同じお題で「心に残る記念の写真」
広島ブログ、同じお題の日です。今回は「心に残る記念の写真」。「幸せの雲と整体師」の金星さんからのお題です。
先日、徳島の県助産師会に講演に行ったのは、徳島大学医学部の敷地内にある「青藍会館」という、医学部の同窓会館でした。その入り口には、大きくて山の絵と詩が染められた、とても美しく、立派な藍染が飾られていました。(その藍染の写真を撮り損ねたのがとても残念ですが) その講演の初っ端のご挨拶で私が話したことです。
『もう50年前になります。私は高校生の時には演劇部でした。中学3年の時に、私が後に入学した高校の演劇部が「花火」という被爆した姉弟の演劇を演じ、それが大評判を呼びました。地区大会、県大会と優勝するのを私も見て、私も高校生になったら演劇部に入ろうと思いました。
そして、一年生の時には「象の死」という、戦争中に動物園の動物を次々と殺さなければならなくて。でも、象は賢くて毒の入った食べ物は食べないし、皮膚が固くて、注射の針も立たないし、結局餓死させることになったと。そして、象は食べ物ほしさに最後の最後に逆立ちをして、どっと倒れて死んだと。そんな実話を演劇にしたものでした。その演劇も、大評判で、地区大会、県大会で優勝しました。
二年生の時に、今度は「広い黄色い土地」という、中国に日本軍が侵略して行き、そこの土地に住む少女たち一家と、日本軍の将校との交流を描いた物を上演しました。これも地区大会、県大会に優勝し、そして、当時できたばかりの中四国大会にも行ったのです。
その年の中四国大会は、徳島で開かれました。はるばる徳島にいくのですが、当時のまだ交通事情の悪い中、列車をのりつぎながら長い時間をかけて行きました。今とは隔世の感ありです。徳島の旅館では、みんなで阿波踊りを習って踊りました。
そして、大会。徳島の県立板野高校が、「藍染の頃」という創作劇を出し、そして、そこが優勝。私たちはニ位でした。負けたのです。(二校とも、翌年の全国大会の出場権を得ました)
さっき、「負けたなあ」と思いながら、この入口の美しい藍染を見ました。50年も前のことです。今日は、そのリベンジのつもりでお話ししますね。』
こんな導入は、結構受けました。みなさん、ニコニコしながら聞いて下さいました。
その「広黄色い土地」を演じた時の写真です。前列真ん中の左側が、当時の演劇部顧問の中冽正堯先生。後にH氏賞を受賞した詩人で、さらに兵庫教育大学の学長になられました。その右は、もう卒業したのに、まるで演劇部顧問のように、ぴったりと張り付いて指導して下さった、後の広島テレビの人気アナウンサーとなった「脇田義信」さん。花火の弟役で、観客のみんなを泣かせました。みんなでまた劇団を作ろうと言っていたのに、胃がんで亡くなってしまいました。腰を落として、ほんとうに上手に阿波踊りを踊っていた姿を忘れません。私は、後列右から二番目の中国の少女役です。後ろの左から三番目の彼女は、のちに全日空の国際線のスチュワーデスになりました。前列の右から二番目は、広島でドラマの撮影がある時には、自分も、そしてさまざまな現地の役の人を手配するオフィス青野の青野光臣さん。当時の演劇部の者も結構駆り出されています。
今も、みんなと会うと当時の様々なエビソートを話しては、大笑いしますし、あの頃のことを思い出すと、胸がキュッとなります。50年なんて、ついこの前なのですよ。
そして、一年生の時には「象の死」という、戦争中に動物園の動物を次々と殺さなければならなくて。でも、象は賢くて毒の入った食べ物は食べないし、皮膚が固くて、注射の針も立たないし、結局餓死させることになったと。そして、象は食べ物ほしさに最後の最後に逆立ちをして、どっと倒れて死んだと。そんな実話を演劇にしたものでした。その演劇も、大評判で、地区大会、県大会で優勝しました。
二年生の時に、今度は「広い黄色い土地」という、中国に日本軍が侵略して行き、そこの土地に住む少女たち一家と、日本軍の将校との交流を描いた物を上演しました。これも地区大会、県大会に優勝し、そして、当時できたばかりの中四国大会にも行ったのです。
その年の中四国大会は、徳島で開かれました。はるばる徳島にいくのですが、当時のまだ交通事情の悪い中、列車をのりつぎながら長い時間をかけて行きました。今とは隔世の感ありです。徳島の旅館では、みんなで阿波踊りを習って踊りました。
そして、大会。徳島の県立板野高校が、「藍染の頃」という創作劇を出し、そして、そこが優勝。私たちはニ位でした。負けたのです。(二校とも、翌年の全国大会の出場権を得ました)
さっき、「負けたなあ」と思いながら、この入口の美しい藍染を見ました。50年も前のことです。今日は、そのリベンジのつもりでお話ししますね。』
こんな導入は、結構受けました。みなさん、ニコニコしながら聞いて下さいました。
その「広黄色い土地」を演じた時の写真です。前列真ん中の左側が、当時の演劇部顧問の中冽正堯先生。後にH氏賞を受賞した詩人で、さらに兵庫教育大学の学長になられました。その右は、もう卒業したのに、まるで演劇部顧問のように、ぴったりと張り付いて指導して下さった、後の広島テレビの人気アナウンサーとなった「脇田義信」さん。花火の弟役で、観客のみんなを泣かせました。みんなでまた劇団を作ろうと言っていたのに、胃がんで亡くなってしまいました。腰を落として、ほんとうに上手に阿波踊りを踊っていた姿を忘れません。私は、後列右から二番目の中国の少女役です。後ろの左から三番目の彼女は、のちに全日空の国際線のスチュワーデスになりました。前列の右から二番目は、広島でドラマの撮影がある時には、自分も、そしてさまざまな現地の役の人を手配するオフィス青野の青野光臣さん。当時の演劇部の者も結構駆り出されています。
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コメント
学生時代、何かに一生懸命取り組んだ記憶のない私には、
とても羨ましい、、、写真です。
脇田アナウンサーは、私が広島に嫁に来たころ、
よくテレビに出ておられました。
いつか、胸キュンのお話を、
お聞きしてみたいです!!!
投稿: ナナママ | 2013年9月17日 (火) 10時21分
同じお題に御参加いただき有難うございます。
読んでいるとこちらも胸がきゅっとなりますね。
今の場所へあの頃から向かっていたような若者たちですね。
投稿: 金星 | 2013年9月17日 (火) 10時28分
「あの人は、演劇部のマドンナだけでなく、頭がよく美人で憧れの的でした」。先生のある同級生(広島音楽界の重鎮)が語ってくれたことがあります。青春の想い出は、その人だけの「宝物」です。
投稿: 無冠の諦王 | 2013年9月17日 (火) 10時36分
1人だけ、顔が隠れてるw
投稿: ⑦パパ | 2013年9月17日 (火) 16時24分
歴史の重みがあるお話ありがとうございます。
「象の死」
私も子どものころ読んで涙が止まらなかったことを覚えています。
投稿: もみじ日記 | 2013年9月17日 (火) 22時53分
ナナママさま
ええ、青春時代の思い出は、いっぱいです。つい最近のこととして胸に残り続けていますよ。脇田さん、演劇がとても好きな方で。亡くなったのが残念で残念で。お葬式では、みんな号泣しました。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2013年9月19日 (木) 08時44分
金星さま
素敵なお題をありがとうございました。おかげ様で、青春時代を振り返ることができました。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2013年9月19日 (木) 08時45分
無冠の帝王様
恥ずかしい!!どなたなのですか、その人。私の胸には、青春の、苦くも楽しい思い出が一杯です。みんなそうですね。これだけでも、幸せな一生だと思います。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2013年9月19日 (木) 08時49分
⑦パパさま
ええ、兵隊役の同級性です。彼とは、今もずっと交流があって、しょっちゅうクリニックに来ていますよ。当時は、デジカメ何てないので、写真を焼いてみて初めて分かるのですよね。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2013年9月19日 (木) 08時52分
もみじ日記さま
そう、昔の上野動物園の実話なのですね。その動物園の園長、獣医や軍とのやり取り、逆立ちをした象に、やめろ!!と怒鳴る園長、そして悲鳴を上げて、どうっと倒れる象、この辺りは音だけなのですが・・・。その音取りなど、懲りに凝ったお芝居でした。私は、動物園の女性の獣医役でした。50年経った今も私、せりふを覚えています。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2013年9月19日 (木) 08時59分
素敵な写真、素敵な思い出ですね。
この写真から15年ぐらいあとでしたか、「象の死」の公演、観ました。
脇田さん、青野さん、河野先生。
お名前を聞くだけでも懐かしいです。
路面電車に乗って、稽古場についていったっけ。
先生の青春の一ページは、その後、私の人生の一ページにつながります。
投稿: ちえ | 2013年9月19日 (木) 23時00分
ちえさま
うーん、どなたでしょう!!もしかして、あのちえちゃん?まあ、コメント、ありがとうございます。そうそう、もう医師になって象の死、再演しましたものね。私の子たちも見てくれました。懐かしい、私の中にいつまでも生き続ける思い出です。また、お会いできますように。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2013年9月22日 (日) 08時13分