電車内被爆者米澤鐵志さんのお話
米澤鐵志さんの講演の内容をスタッフがまとめて下さいました。私たちの企画では、これが最後のお話しです。
『 電車内被爆者のただ一人の生存者、米澤鐵志さんが被爆電車651号に乗車した人たちに被爆体験を話ししました。原爆ドーム前で下車したあと、資料館会議室に場所を移し、平和学習会が開かれました。
約1時間半、被爆後お母さんと逃げる途中見た多くの人たちの様子や自身の発病や、核と原発について次のように語りました。
被爆者を描いた絵がありますが、どうして幽霊のように手を垂らしているのか分りますか。やけどで水ぶくれになった皮膚が手の先に垂れるから、そういう姿になるのです。爆風で眼球が飛び出し、深い眼窩を見せ目玉を頬のところで支えていた真っ黒になった女性もいました。
そして自分も母親も敗戦の次の日から、髪の毛が全部抜け高熱と嘔吐に苦しめられました。母親は9月に入り死亡しました。私は、医者だったおじいさんにも見離されましたが、かろうじて回復。市内の川の水を飲まなかった(母親は飲んだ)、黒い雨に濡れなかった、その日のうちに市内から出られた、などの条件がそうしたのではないかと思います。
しかし、母親の母乳を10日ほど飲んだ1歳の妹は、被爆しなかったにも関わらず、髪の毛も全部抜けて、10月に亡くなりました。当時は「栄養失調」と言われました。いま、立証の方法もありませんが、母乳による内部被爆だと思っています。
朝鮮人の友だちも多くいました。彼らは疎開もできず、ほとんどの級友が亡くなりました。日本は、朝鮮人に対しそのときも、その後もひどいことをしてきました。きのう広島の繁華街では中電前に抗議に行く人たちに「朝鮮へ帰れ」などと悪罵を浴びせるグループがいました。
この国は、戦争と被爆をなんと考えてきたのでしょうか。
戦後、私たちは核兵器廃止運動をやってきたし、原発にも反対してきました。
しかし、被爆国日本は、核不使用共同声明に署名しない。福島が起こったのに原発を再稼働し、輸出をするといいます。福島は安全だという「学者」さえいます。スリーマイルのとき、チェルノブイリのとき、核使用はやめなければならなかったのです。
子どもたちを「放射線管理区域」以上の地域に住まわせてはならないのです。
本を出すなどは考えてもいませんでしたが、福島が起こり、私の体験と考えを何とか残し伝えておかなければならないと思うようになりました。本にしてよかったと思います。本はずっと残りますから。
「核」を地球上からなくさなければなりません。電気は足りなくない。毎晩、星が見えないほど明るく輝かせているではないですか。
力の続く限り訴え続ける、と米澤さんは力強く結びました。』
米澤鐵志さんの本→『ぼくは満員電車で原爆を浴びた』~伝えたい少年原爆体験記、11歳の少年が生きぬいたヒロシマ~ 小学館刊 定価998円(税込)
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コメント
戦争の悲劇を、子どもたち知ってもらいたいなら、
今の日本の歴史教育を変えないと意味がないですね。
投稿: 熊本県人 | 2013年8月 9日 (金) 23時13分
お疲れ様でした。
今日も素晴らしいお話ありがとうございました。
投稿: もみじ日記 | 2013年8月10日 (土) 00時09分
熊本県人さま
はい、私もそう思います。戦争を美化してはダメです。今の政治は危ないです。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2013年8月15日 (木) 09時05分
もみじ日記さま
はい、大仕事がひと段落です。いつもありがとうございます。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2013年8月15日 (木) 09時06分