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コストコで冷凍庫を買った!!

 コストコにはまってしまって。何回行っても面白いのです。試食をふんだんにしているのも魅力の一つかもしれませんし。でも、ネックは売っている単位の一つ一つが大量であると言うこと。二人暮らしの私には、こんなに買ってどうするの?と言うのばかりだし。特に、コストコで焼いているパン。焼きたてがとてもおいしそうでも、多すぎます。ピザもエビが沢山乗っているの、おいしそうだけど、これも大きすぎます。韓国語の先生は、このピザをはさみで切ってラップして冷凍していると。食べたい時に食べたい人が取り出して、オーブンで焼いていると。

 冷凍庫があったらねえ、パンも冷凍できるのに。家の冷蔵庫の冷凍庫は小さすぎて、いつも残り物のごはんやお魚の干物などでぱんぱんです。そんな時、そのコストコで冷凍庫を見つけました。前から冷凍庫は売っていたのですが、お店にあるアイスクリームボックスみたいなの、上から覗き込むようなのばかりで、これだと不便で買う気はしませんでした。

Dscn5030_960x1280_2 Dscn5032_960x1280 でも、見つけました。スリムで中が引出しになっています。これだと、とても使い勝手がよさそう。29800円。コストコでは市内の配達は無料です。で、買いました。

 市内の大手の電機やさんで、同じのを見つけましたが、なんと、1万円も高くて、39800円でした。やはり、コストコは安いです。

 さっそくにアイスクリームを買ってきて、上の段に。そして、ロフトでいろいろなタイプの製氷皿を買って、水だけでなく、アイスキャンデーも作りました。コストコで買った4人分の「パエリア」も二人で食べた残りはお皿に入れたまま冷凍できました。

Dscn5228_1280x960 私は、広島駅で売っている「むかん」が好きで、いつも新幹線に乗る時には、お弁当と一緒に買っています。皮をむいて冷凍してあるみかんです。これを家でもしてみました。ハウスみかんを買って皮をむいてナイロン袋に入れて冷凍です。買った「むかん」と同じようにできました。とてもおいしくて。今は、市販のアイスクリームよりもこれを食べています。そうそう、かき氷器も買いました。シロップも小豆も。

 かんじんのパンは、まだコストコのは買っていません。でも、これなら、自分で焼こうかと、ホームベーカリーを引っ張り出しました。一度に大量に焼いても、もう大丈夫。

 私はウキウキしているのですが、夫は不機嫌でした。なんでも、相談なしにかってに買う、と。私はこのスリムさといい、使いがってといい、夫もきっと気に入ると思ったのですが、かってに買ったというだけで不機嫌でした。でも、今はこそこそと入れているみたいです。

 今朝、風の音で目が覚めました。台風は熱帯低気圧になったそうですが、でも風は強いです。さあ、これが夜はどうなるのでしょう。徳島に向けて、とにかく、瀬戸大橋さえ通行止めにならなければ大丈夫なのですが・・・。

 それから、今日は午後2時から、「広島車いすダンスくらぶ」の公演です。お天気がよくないけれど、多くの人が来て下さいますように。ここに その公演の記事を書いています。私もお昼休みの2時から3時までは鑑賞できそうです。

 それから、同じ会場で、ここのnancyさんのブログ にあるように、小原一真「見えない風景」写真展が開かれています。福島や福島原発の今の写真展。ぜひこちらにも行って見て下さいませ。

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ジャジャサイズ・ケンベン・台風。

 夏休み明けの忙しさも一段落。普通の日常生活が戻ってきました。

Dscn5232_1280x960  今週から、ジャジャサイズも復帰です。夏の間、あれこれ忙しくて、ずっと行事があって、一月も休んでしまいました。インストラクターの栗木さん初め、皆様に喜んで戴きました。いえ、決して辞めません。ただ、忙しかっただけなのですが。久しぶりの激しい運動、ヘロヘロになりました。

 昨日は、日帰りドックに行きました。私は、緊張すると眠れません。何が緊張するかと言うと、ケンベンなのです。ベン潜血を調べるのに、二日間のを提出しなければならないのに、こんな時に限って出ないのです。どうしよう、お腹は張るし、どうやって取ればいいのか、なんて苦しんで、眠れないし。当日の朝4時にやっと一回分が取れて、やれやれで。二回のを一回で勘弁してもらいました。眠れないままでしたので、胃カメラの鎮静剤で、ぐっすり。二時間も眠っていました。私はこの鎮静剤をうってもらうのが大好きで。年に一回のこのドックが、そのために待ち遠しいのです。

 体重が昨年より2キロ減っていて、グッド!!でした。でも、肝機能値が上がっていて、びっくり。それが済んだら、今度は狭心症でのかかりつけのドクターにそのデータを持って行きました。肝機は様子を見ましょうということで、お薬二ヵ月分の処方を書いて戴きました。

828 帰り、法善寺に寄って宇治金時です。ここの宇治金時は、日本一と思います。今夏初めて。何かタイミングが悪くて、なかなか 食べられませんでした。無事ドックが済んで、ご褒美です。マンゾクマンゾク。娘にラインで写真を送ると、とてもうらやましがって。彼女もここの宇治金時が大好きで、全国どこにもこんな宇治金時を食べさせてくれる所はないと言います。

 さあ、これからまた診療プラス講演の激動の日々が続きます。

 たちまちは、明日。夕方までの診療が済んですぐに車で出発して、夜の高速道を一気に徳島まで行く予定なのです。9月1日に徳島大学病院内で講演の予定です。それが済むと、また一気に広島まで帰るつもりでいます。

 台風が来ているのですね。瀬戸大橋は無事渡れるのでしょうか。それが心配で。行けないと、徳島県中から助産師さんたちが集まって来られるのです。なんとしても行かなければ。台風が消えてしまわないでしょうか・・・。

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「夢しょぼう」さん、ありがとうございました。

 8月25日日曜日、この日の午前中は宮島口で、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の反省会と来年に向けての会議でした。その後、私は安芸高田市に向けて車を走らせました。

1  吉田町の夢タウンの「夢しょぼう」が今日限りで閉店されます。店長ご夫妻には、すっかりお世話になり続けていました。すぐそばのひまちゃんに会いに行く時には、いつもここを覗いてご夫妻と話をしたり、本を探したり、取り寄せて戴いたりしました。特にブログを通じて知り合ったはるめさんには、プライベートにも仲良くして戴きました。

 全く突然の閉店のお知らせだったので、本当にびっくりしました。まだ若いご夫妻です。これからが大変でしょうという思いもありました。閉店される前に会いに行って、お礼を言いたいとも思って。

2 21年間もこのお店を続けて来られた「お父ちゃん」も写させて戴きました。寡黙な優しい店主です。

 一つの仕事のはじめと終わり。始める以上に終わることは、それはそれは大変なことと思います。

 これまで休みのない仕事で、本当に大変だったことでしょう。お疲れさまでした。まずはゆっくり一休みしてからですね。これからもどうぞ、お付き合いして下さいね。そして、ありがとうございました。閉店の前にお会いできて、お礼が言えて良かったです・・・。

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「はだしのゲン」閲覧制限撤回について。その③

 「はだしのゲン」について、もう少し。

 特に10巻は、君が代が出てくるし、型通りの卒業式を壊してしまうし。卒業式の後で先生へのリンチを計画していた者もいるし、それが教育委員会にとって都合が悪かったのかもしれません。

 でも、それはあの時代あり得たこと。私の中学の卒業式の場合。式の後、先生方にお礼を言いたいと教職員室に行ったら、ほとんどの先生がいらっしゃいませんでした。式が終わると、飛んで帰る先生が大半だったのです。とても寂しい思いでした。卒業した生徒に何をされるかわからないという恐怖がそうさせたのでしょう。

 原爆で教え子たちを亡くした父は、私たちに戦争は二度といけない、核兵器は三度使ってはならないということをしっかり伝えてくれました。その父をもってしても、「天皇は、軍に利用された」と語っていました。天皇自身には開戦や終戦を決める権限はなく、あくまでも、軍がしたこと、と。天皇自身は悪い人ではないと。今の天皇夫妻も優しい方たちです。東北大震災の被害者たちにも心痛め、何度も慰問に行かれたことを見ても、そうだと思います。

 しかし、これはあくまでも個人がどうだったということよりも、その国の仕組みの問題であると私は思います。多くの国民が天皇陛下万歳と言い(言わされ)、天皇のために死ねと教育されたことも事実です。そして、その教育の中で、たくさんの国民が殺されました。子どもたちも含め、広島だけでも14万人もの人が原爆のために焼き殺されました。長崎もしかり。沖縄の惨状も。「火垂るの墓」でも、東京大空襲でも・・・。戦争の惨禍は十分すぎるほどです。

 天皇を頂点とする当時の日本の社会の中で、戦争に反対するものは非国民と言われ、特高警察により拷問されました。中沢さんのお父様もそうでした。天皇制があって国民が殺された、これも事実です。

 今の北朝鮮の姿を見て、かの国の国民が、情報を制限され、食べ物も十分でなく、それでも金正日氏や金正恩氏を崇めている姿には、強い違和感を持ちます。でも、それと同じ姿が70年前までの日本に在ったということです。

 そんな悲惨なめにあった中沢さんが、それらを含めて、戦争の、原爆の悲惨さを書いたというのは、当然のことでもあります。尚、これらのことを書くために、中沢さんは膨大な資料を集め、読み込み、厳選して書かれたということを聴いています。

 そして、戦争は、決して過去のものではなく、今もこの地球上にあり続けています。シリア情勢。化学兵器を使ったことがはっきりして、アメリカをはじめとする大攻撃がはじまりそうです。攻撃は、決して建物だけに行われるのではありません。その向こうでどれだけの国民が殺されるのかを考えると、胸が痛みます。

 今回の閉架では、教育委員会が校長会で陳謝したと報道されています。しかし、あくまでも手続き上の問題と。そして、やはり「はだしのゲン」には問題ありと、保護者ともしっかり議論をしてどうするか決めるように、と、閉架が当然であるとの圧力としか思えないような口調でありました。決して、閉架を指示する前の状況に戻すということではなさそうです。

2009_0726 2009年7月26日、はだしのゲン英語版翻訳出版全巻完成の祝賀会で、あいさつをされる中沢啓治さん。まだ肺がんの発病前で、お顔もふっくらとしています。後ろは、さまざまな国の言語に翻訳された方たちです。翻訳された方達の苦労が語られた会でもありました。それは、ゲンが世界に飛び立っていることを実感する会でもありました。

 中沢啓治さんが亡くなった、まさにその時に松江では「はだしのゲン」が学校の図書館から追い出されるという事態が起こっていたとは。天国から中沢さんは、どんな思いでこの事態を守っていらっしゃるだろうかと思います。

 以上で一旦今回の「はだしのゲン」閲覧制限についての私の思いは終わります。読んで戴いてありがとうございました。

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「はだしのゲン」閲覧制限撤回について。その②

 恋をしたゲン。被爆以来苦労続きだったゲンにとって初めてと言っていいほど楽しい日々がありました。でも、その恋の相手光子さんは、原爆病で亡くなってしまいます。

 愛する人が亡くなってしまったゲン。原爆は、いったいどれだけ苦しめればすむのか。隆太を追い払い、一人になったゲンが川辺で大泣きします。ワーンワーンと泣く姿に涙しました。原子爆弾後障害は決して大げさでありません。

 以下は、広島市ホームページからの転載です。

『 原子爆弾による放射線は、被爆直後の急性障害(発熱、はきけ、下痢など)だけでなく、その後も長期にわたってさまざまな障害を引き起こし、被爆者の健康を現在もなお脅かし続けています。
 昭和21年(1946年)初めころから、火傷が治ったあとが盛り上がる、いわゆるケロイド症状が現れました。また、胎内被爆児は出生後も死亡率が高く、死を免れても小頭症などの症状が現れることもありました。さらに被爆後5、6年が経過した昭和25年(1950年)ごろから白血病患者が増加し、昭和30年(1955年)頃からは甲状腺ガン、乳ガン、肺ガンなど悪性腫瘍の発生率が高くなり始めました。
 放射線が年月を経て引き起こす影響については、未だ十分に解明されておらず、調査や研究が現在も続けられています。

 また、原爆は、人や物に大きな被害を与えただけではなく、人々の社会生活そのものを破壊しました。
 その徹底的な破壊力は、家族から親兄弟や親戚、知人などを奪い、あらゆる施設はもちろん、さまざまな社会的機能をも一瞬にして消滅させました。それは、かつて人々が経験したことのないものであり、生き残った人々の生活に、言葉ではとても表現できない数多くの困難をもたらしました。
 原爆によって心身に及ぼされた傷害は、時が経過しても癒えることがなく、特に放射線の恐ろしさが目立ちました。
 連合国による占領期に制限を受けていた日本の原爆症研究は、昭和26年(1951年)の独立後ようやく進み始め、後障害に苦しむ多くの被爆者の姿が次第に明らかになっていきました。』

 恋の相手光子さんとゲンは、日本軍が中国などで行った行為や、天皇についても様々語り合います。家族を失い、その後の生活に大変な苦労をして来た二人の会話は、まったく不自然でなく、「戦争」そのものの否定に繋がって行きます。ここで出て来る、日本軍の乱暴について、在特会の人たちは抗議し、また松江市教育委員会の人たちも問題にしたようです。しかし、全体を通して読むと、『戦争』というものですべて語られることであり、日本軍のことだけ、一部だけを取り出して問題にするものではありません。

 10巻では、孤児の仲間「むすび」の悲惨な死も出てきます。これだけ麻薬や脱法ハーブが社会を蝕んでいる今の社会で、学校でも薬物教育に取り組んでいますが、このむすびの姿を読むだけでも、大いに教育になるというものです。私も、小さいころ、ヒロポン中毒が本当に具体的に身近なものでした。近所の病気がちな女性に、「いい注射がありますよ」と男が語っているのを目の当たりにしたりしましたもの。

 すべてを失い、落ち込んでいたゲンが、新しく希望を持って東京へ旅立ちます。そのラスト。

「さようなら広島の街 さようなら広島の山 さようなら広島の川 さようなら広島のみんな さようならわしを育ててくれた広島の空よ 大地よ」そのゲンは、列車の中から麦ふみをしている姿を見ます。

「踏まれても踏まれても たくましい芽を出す麦になれ」と言ったお父ちゃんの姿。

「わかっとるわいお父ちゃん わしゃでっかい麦になったるわい わしゃどんとな苦しみがおそって来ても負けんわい カッパカッパ 屁のカッパじゃ わしゃとことん生きて生きて生き抜いてやらあ」そのラストはまた感動的で、涙で読み終えました。

Dscn2926_1280x960_2  まさにこのラスト。英語ではだしのゲンを読む講座の最後の講座に、中沢啓治さんご夫妻が参加して下さいました。亡くなる二ヵ月前です。苦しい中を、酸素吸入をしながら、車いすで。この時、私はゲンの役をさせて戴きました。中沢さんは、「やあ、ゲンが英語をしゃべったねえ」と喜んで下さいました。

 私は、今回の松江市教育委員会の閉架で、この素晴らしい「はだしのゲン」が、マスコミでも「乱暴なシーンが出て来る」という論調に染まっているのに、とても違和感を覚えます。部分しか見ていません。閉架の撤回を報じる朝日新聞では、中国で女性の首をはねるシーンだけを掲載しました。まるで在特会の彼らの主張を認めるかのように。

 戦争というのは、そんな残酷なもの。トータルに読めば、このはだしのゲンは、まぎれもなく反戦争を訴える本であることが分かります。もう少し、この話を続けさせていただきます。

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「はだしのゲン」閲覧制限撤回について。すっきりしません。

松江市教育委員会の「はだしのゲン」閉架について、教育委員会が取り消したと報道されています。一面ほっとしましたが、でも、私の胸の中はすっきりしません。

ニコニコ動画で公開されているこの動画。昨年5月1日に松江市教育委員会に抗議に行っているこの三人について。

 坊主頭の一人は、自分のブログで勝利宣言をしていた高知の中島康治氏。彼のことについては、もうブログを紹介しています。在特会のチンピラ風。(あえて風をつけます) 

 黒服の、まるで映画「み○みの帝王」見たいな人。この人は、当時京都の在特会の西村斉氏。この動画の抗議が行われたのは昨年の5月1日。この後、彼は5月10日に大阪府警により逮捕されています。「ロート製薬強要事件」。

 これについては、ここのウィキペディアに詳しく書かれています。その逮捕までにすでに彼は、二件の事件で有罪、執行猶予の判決を受けており、その後このロート製薬の事件で大阪地裁により1年の実刑判決が出ています。今控訴、保釈中です。実刑が確定すると、執行猶予も取り消されますので、かなりの期間刑務所に入ることになるでしょう。

 ロート製薬への抗議は、その化粧品のコマーシャルにキム・テヒを使うからと、なんとも理解不能な理由なのです。キム・テヒ、美しくて、魅力的な女優さん、私は、彼女のコマーシャルだったら、その化粧品、使いたいと思いますね。コマーシャルに韓国人を使うことが、もうそれが攻撃のターゲットになるという、これが在特会なのですね。

 もう一人が在特会島根支部長の大嶋聡氏。どうして高知や京都の人間が松江市教委に市民として抗議して、その他県の人の抗議に教委が対応するのかと思ったら、この大嶋氏がいるからなのですね。

 しつこい彼らの抗議に、松江教委は最初は抵抗していたようですが、結局は負けてしまったということなのでしょう。こんなやくざみたいな人たちに負けるなんて、なんとも情けない話なのですが。在特会の言いなりになったわけではないと教委は言っているようです。自分たちが読んで、ふさわしくないと思ったからと。それも、10巻を読んで、問題だと思ったからと。

 私が、今回の撤回を素直に喜べないのは、そのような論調がいろいろなマスコミに見られるからなのです。はじめはいい。でも、後半は、と。それも特に10巻は、と。

 どうして10巻を問題にするのでしょうか。天皇批判があるからって。その当時、天皇陛下のためにと言って多くの若者が戦争に駆り出されたのは事実です。しかも、中沢さんのような目に合った人が、天皇批判をするのは、まったく当然ことと思います。これについては、また次回に述べます。私自身が、天皇について、父親たちとどんな会話を交わしてきたかも含めて。

 私は、はだしのゲンを英語で読む講座に参加していたからでもありますが、なめるようにして何度も読んでいます。そして、一番好きなのが、この10巻なのです。

 頑張って働いて生き抜いて来たゲンが、いよいよ中学を卒業します。その卒業式。荒れる卒業式をゲンのリードもあって、みんなで青い山脈を歌うなど、楽しく感動的な卒業式にします。

 でも、その式の後、少年院に入っていたワル達が、先生たちにリンチをしようとします。そのワルのボスをゲンが止めます。「どんな理由があってもリンチはきらいじゃ、おどれらみたいに群れるやつらはきらいじゃ。わしは集団で群れていじめをするやつは大きらいじゃ。許せんのじゃ。一人でなんにもできんやつは大きらいじゃ」と。

 そのボスをやっつけてリンチを止めたゲンに教師が礼を言います。すると、ゲンが言います。 「学校の先生になる人は・・・ 本当に心の底から子どもが好きな人以外は教師になるなっ。しっぱいしたらどなりつけて理屈を言うより黙って力いっぱい抱きしめて共に失敗を悲しむ人間になれやっ 教師ぶっていばるなっ こどもはよーくみとるんじゃ。なめたらいけんわい」

かっこいい!!このセリフが私は大好きなのです。これは、中沢啓治さんの、まっすぐな、正義感が溢れる所です。

 さらに、卒業後、看板屋で働くゲン。この辺りも中沢さんそのものなのですね。お母さんも亡くなって、生活のためにゲンは働かなければなりません。実際中沢さんのお母さんは、原爆病で病弱で、入院を繰り返しています。中沢さんも中学を卒業すると、看板やさんで働いて、絵の書き方を学ばれました。高校に行く余裕などなく、働かなければなりませんでした。

 そのゲンが、恋をします。溜息ばかりついて、ボーっとして。それが何ともかわいくって。ちっとも偏向した漫画とは思いません。特に10巻は、涙ぐんだり、笑ったりしながら、感動の中で読み終えることができるものなのですね。  明日、また続きます。 日曜日のこと、なかなか書けません。必ず、ご報告しますからね。 

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先週一週間

 先週一週間は、夏休み明けで診療もどさっと患者さんで、大変でしたし。それに毎晩いろいろと会合があって、まあ、忙しかったこと。

20日の火曜日は、四金会、開業産婦人科医の昔からの伝統ある会の納涼会。あるホテルのビアガーデンで。コンクリートが、昼間、灼熱の太陽に焼けていて、ムワーっと熱くて。それに、なんとバーベキューです。これも暑くて。飲める人には、冷たいビルがおいしいのでしょうが。私は、せいぜいこの程度。

Dscn5160_1280x960 Dscn5170_1280x960 頭上には満月なのですが、私の安いデジカメでは、きれいにまん丸に出ていません。暑かったけど、でも、この会は、経験を積んだ先生たちや、それぞれの分野で一線で活躍している人たちの話がざっくばらんに聞けて、楽しい会です。

 21日は、今度はビル開業をしている「オフィスギネコロジー」の会。

 23日の金曜日はフェイスブック繋がりの人たちと、なんと「さかもと屋市兵衛」での会。私は、フェイスブックはほとんどしてない、というより、活用の仕方がまだ分からなくって。それでも、声をかけて戴いて、ありがたく参加しました。

2 ちょんまげの料理人のお料理がまた素晴らしくって!!さすが、ミシュランガイドに掲載されたお店だと、うなりました。ここの感動したお話しとお料理は、また機会を見て。

24日は、「8.6広島平和の夕べ」の打ち上げ。翌25日の午前中が正式な反省会。今年の会の反省と、もう来年に向けて始動しました。はだしのゲンが大変なことになっている今、アイデアが湧き出て、またいい会ができそうです。 打ち上げは、中の棚の韓国料理「大邱」で。

Dscn5198_1280x960 Dscn5205_1280x960 Dscn5210_1280x960 Dscn5199_1280x960 飲み放題付きで3500円という金額で、まだまだここに掲載しきれない、食べきれないほどの料理を出して戴きました。中でも、感動は、大きなビビンバ。これを店主の女性がザクザクと混ぜてくれます。おこげがおいしくて。私もマッコリを少し飲んで、楽しく過ごしました。

 昨日、日曜日のことは、また続きますね。



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nancyさんのライブが始まりました。

 nancyさんのライブが始まりました。
遊布戀さんの展示会が盛況のうちに無事終わり、パーティーです。
ああ、この素敵な歌声を皆さんにお届けしたい!!

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遊布戀さんの展示会、今日までです!!

遊布戀さんの展示会、22日の初日に行きました。今日までです!!

 今回も素敵な作品が並んでいます。それに、遊布戀さん、この丁寧なお仕事に、このお値段はないでしょう、と言いたいほどのお値段を付けていらっしゃいます。私たちはうれしいけど。でも・・・。

Dscn5171_1280x960 お分かりでしょうか。写真の左に透けて見えるポシャギ風。あれを目指して行ったのですが、もうすでに売約済みとなっていて、ああ、ザンネン!!

Dscn5172_1280x960 Dscn5173_1280x960 黒も売約済み!!またの展示会を楽しみにすることにしました。

でもね、この写真の真ん中のワンピース、売約済みとなっていたでしょ?それは、私が戴いたのですよ!!とっても素敵なので、持って帰るよりもみな様に見て戴いた方が、と思ってそのままおいて戴いています。私に入るかな?とおそるおそる試着したら、なんと、全く大丈夫だったのです。これを着て、さあ、どこに行きましょうか!!

Dscn5174_1280x960 Dscn5176_1280x960 Dscn5177_1280x960それに、音♪さんのつば広の帽子と、筒井典子さんのウサギを一つ。ウサギは孫用です。

 遊布戀さんのお連れ合いの「大きい人」の器。一目ぼれしました。うーん、素敵!!でも、買えない!!この器用にコツコツと 貯金しようか、と思います。

 今回は、広島市内の行きやすい場所です。ぜひ皆様もお運びくださいませ。感動ですよ!!

私は今日の最終日のパーティーに参加します。nancyさんの歌が聞ける!!とっても楽しみです。どなたが行ってもいいのだそうです。ぜひ皆様、ご一緒しましょうよ!!

Photo

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「広島車いすダンスくらぶ」の公演のお知らせです。

 昨日書いた、「図書館の自由に関する宣言」。ここの日本図書館協会 のサイトに詳しく書かれています。この日本図書館協会が、この度の松江市のはだしのゲン閲覧制限について要望書を送ったと。この 国立国会図書館のサイト にその要望書のことや、これまでのさまざまな動きについて沢山のリンクが書かれています。ぜひご一読を!!

 一週間後の8月31日土曜日、広島車いすダンスくらぶの公演が行われます。

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 車椅子ダンスくらぶは、1997年に設立。今年17年目になります。現在、障がいのある人と健常者と半々で、ほぼ30人余りのメンバーです。

 これまで、日本中のみならず、数々の海外公演も行っています。昨年は、オーストラリア、シドニー郊外・ウィロビー市を親善訪問。その美しく元気な舞台は、芸術の域にまで昇華されています。

 私は、6年あまり前からのお付き合いになります。初めて、その練習場に行った時、車いすでこんな動きができるのかと、本当にびっくりしました。

 釜山の公演に同行したこともあります。公演に出かけるのは、本当に大変なのです。日頃の車いす以外に、公演用の車いすや衣装や、生活の荷物など、沢山の荷物を運ぶこと。乗り物の乗り降りの度にその荷物も乗り換えなければなりません。私はその荷物運びや、公演の時の衣装の脱着など、一生懸命にお手伝いをしました。

 その同行は、私にとって感動の連続で、忘れられないものになりました。

 右半身が不自由な男性の場合、不自由な手は、胸にしっかりと固定し、足もしばります。それで片手で車いすを動かします。手一本でくるくると回り、みんなに手を挙げながら舞台を右に左に。笑顔一杯で。それを見ているみんなもつられて笑顔一杯です。その彼の汗びっしょりの衣装を引っ張って脱がせ、また次の衣装を着る手伝いをする・・・。私も必死でした。その思い出は強烈に私に残っています。

 ぜひ皆様にこの素晴らしい舞台を見て戴きたくて、ご案内しますね。チケットは、私のクリニックにもあります。

ここに 広島車いすダンスくらぶのホームページがあります。沢山の公演写真もあります。ぜひ覗いてみて下さいませ。

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はだしのゲン閲覧制限について、さらに。

 はだしのゲンについて、いろいろと情報を戴きました。皆様ありがとうございます。

 まったくゲンを読まないでコメントする政府、大臣、記者の質問への答え方では、報道された以外は読んでいないな、ということがすぐにわかりますね。その意味で、松井広島市長も情けないことですが。読んでいないからこそ、松江市のことを批判する立場にはないなんて、あんな曖昧な応えしかできないのでしょう。

 島根の関係の人からの情報です。

山陰中央新報は、そのコラム、明窓 で、

「戦争と平和学ぶ種に」のタイトルで、「遠ざけるのではなく、子どもが持つ能力を信じて見守る。必要なら助言する。その中で戦争責任をめぐる論議や平和を考える種になることをゲンも望んでいないか。」

と述べています。本当は、全文転載したいのですが、無断転載を禁ずるとなっていますので、残念。青字の「明窓」をクリックして読んで下さいませ。

さらに、山陰中央新報の社説では、

「はだしのゲン閲覧制限/平和教育の原点に返れ」として、 「・・・市教委では昨年12月、この本を図書室から別の場所に移し、教員の許可を得てから子どもたちに閲覧、貸し出しを認める閉架とするよう全市立小中学校に要請。すべての学校が従っている。学校図書室で特定の本について閉架とするのは全国的にも例がないという。
 市の教育上の重要な問題は市内の有識者らを委員とする市教育委員会で審議することにしている。しかしこの問題については人事など重要案件には当たらないとして教育委員会には報告せず、市教委事務局で判断した。 ・・・漫画だからこそ子どもたちに訴える力は大きい。歴史的背景も分からない子どもたちに、その残虐さを直視させるのは平和教育の強要だと批判もある。しかしその残虐さの根源を考えさせる。その視点を大切にしたい。

などと述べています。これも、無断転載禁止となっていますので、一部の引用だけしかできません。

 昨日、教育委員会が開かれたようですが、結論が出なかったと。教育委員の方から、異論が出ないというのが、不思議で仕方がありません。島根気質というのがあるのでしょうか。
私は、結婚するまでは、本籍は松江でした。今は出雲のお墓に眠っている、島根師範学校卒の父がこのことを聞いたら、おそらく怒り、嘆くことと思います。

さらに、友人からです。

「県立図書館

   松江にある県立図書館の雑誌のコーナーで岩波新書の「世界」、「週間金曜日」が撤去されています。職員に理由を聞くと「持ち去りがあって困るので見たい人はフロントに申し出てください。」とのこと。

   撤去状態は少なくとも半年以上続いています。

   持ち去りの対応策なのか、見せないための対応なのか分かりません。

1ヶ月前に元に戻されたらどうですかとお話ししましたが、撤去状態は続いています。」

持ち去りがあっては困るのは、どの本でも同じこと。それが、「世界」と「週刊金曜日」だけというのが、おかしな話です。

また、
花山豊華さんからは、「図書館の自由に関する宣言」を教えて戴きました。以下、ウィキペディアからです。

図書館の自由に関する宣言(抄)[1]

 図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とする。この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

神奈川新聞の社説 では、今現在では、少し変わった視点で「文化の海外展開」として、「
 広島に投下された原爆により家族を失いながらも懸命に生き抜く少年の姿を描いた中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」は多くの読者に衝撃を与えた。核兵器がもたらす悲劇がリアルに描かれ、目を背けたくなるような場面もあるが、連載されたのは少年誌だった。戦争の真実を後世に伝えようという編集者の気概が伝わってくる。・・・

・・・近隣の国々と歴史認識をめぐって摩擦が絶えない中で、文化を通して日本への理解を深めてもらう好機といえないか。たとえば原爆の悲劇は、まだ他国にきちんと伝わっていない。「はだしのゲン」を読んだ人の多くは、亡くなった人たちや被爆者の苦しみに素直に共鳴するだろう。」

などと述べています。

 松江の世論で、図書館からの撤去を妥当としたのは、1割に過ぎなかったということ、さらに
さまざまなメディアが今回の件を取り上げる中で、「はだしのゲン」の売上が急速に増えているというのが、救いですね。

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「天心の譜」上映会のお知らせ

NPO法人スペシャルオリンピックス日本・広島設立15周年記念『「天心の譜」映画上映会&アスリートたちのパフォーマンス』のお知らせです。以下、主催者のチラシから引用、転載します。

 スペシャルオリンピックスとは、スポーツを通して、知的障害者の自立や社会参加を進めている国際的なスポーツ組織です。

 現在、広島県には、広島・尾道・東広島・廿日市・三次支部があり、約160名のアスリートが、陸上・水泳・ボウリング・サッカー・バスケット・卓球・バトミントン・自転車・アイススケートのブログラムに参加しています。

 このたび設立15周年を記念して、スペシャルオリンピックスの活動や知的障害者のことを広く知って戴くために「天心の譜」の映画上映をします。

日時     平成25年8月23日(金)
           18時会場  アスリートたちのウェルカムパフォーマンス
     18時30分上映開始

場所  広島県民文化センター  ホール
     広島市中区大手町1丁目5番3号

入場無料です。どなたでも参加できます。

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障害の有無などにかかわらず、すべての人たちがその人らしく、生き生きと命を輝かせて暮らすことのできる、『包み込むINCLUSION社会』

【 物語 】

 2010年、指揮者・小林研一郎は古稀を迎え、障がいのある31名の演奏家を【コパケンとその仲間たちオーケストラ】に加え、コンサートを企画しました。その中に、自閉症で知的障害のあるバイオリニスト田口麻紀子がいました。

 障がいのある、なしにかかわらず、その人らしく生き生きと演奏してほしいとの趣旨で始まった半年の日々は、練習から公演まで小林研一郎氏との心を刺激し合う貴重な時間が流れました。

 この終始にカメラを向けたのが、2005年、長野県出開催されたスペシャルオリンピックス冬季世界大会の記録班として誕生した知的障害のある9人の”ビリーブクルー”でした。

 2011年3月11日、震災と津波が私たちを襲いました。福島県いわき市出身の小林研一郎は「肉体を失った人々が、どんな思いで魂となったのか、それを思うと、今残されたものたちのことを考えることはとても・・・」と言葉を失います。

・・・・・

本映画の半分ほどの映像は、”ビリーブクルー”のカメラによって構成されていることも特筆すべきことです。

「天心の譜」題字は、ダウン症の書道家 金澤翔子さんです。

私は先約があって上映に参加できません。すごーく残念です。いつか機会を見て、ぜひ鑑賞したいです。自分は参加できなくとも、ぜひ多くの方に見て戴きたいと思い、ご案内しました。

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「はだしのゲン」松江市教育委員会への恫喝。

 「はだしのゲン」について。今日のこのブログ に、松江市委員会に抗議に行った時の動画がアップされています。これを見ると、まさに在特会の右翼の言動がこんなものなのだと言うことが良く分かります。はだしのゲンの一部のコピーを持って、ガンガンと脅しています。足を組んで、まさにチンピラの脅しのようです。そして、こんな者たちの恫喝に左右される教育委員会とは、一体何なのだと思います。

 こんな人のブログを紹介するのも、気が進まないのですが、在特会ではないでしょう、何てとぼけたことを言う人がいるので、一応紹介しますね。

 しかも、今回の松江市教育委員会の処置は、教育委員会に諮られて決定されたものではなく、事務局の通達だということが分かりました。こんな大切なことを事務局に任されているのが現状なのですね。

 しかも、申し入れをした彼は高知の人間ですが、高知教育委員会は、彼の申し出を一蹴しています。でも、松江の教委は一蹴しなかった、ということです。

 高知の人間が、なぜ松江市に?と思う所ですが、それは、やはり一緒に行っている人たちの引きがあったからでしょうか。それに、彼は、もっといろいろな所に申し入れをしています。広島市にも。

 おそらく、今回の松江教委のことをとても喜んで、「祝」なんて言っていますので、勢いをつけて、まだまだ行動を広げていくでしょうね。

 在特会は、いろいろな行政や、特に教育委員会に恫喝に現れています。極めて個人的な行動のようですが、それには、しっかりと会としての裏付けがなされています。

 そんな動きがこの日本にあるということを、やはりみんな知らなければ。それに、この上の方では、今回の子宮頸がんのワクチンに反対したり、性教育に反対したりという動きと、まったく一つなのだということも。そうそう、福井県で男女共同参画や性教育にかかわる本を図書館から撤去させたのも、彼らの行動でした。

 松江市教育委員会が今回の通達をしたのは、そんな彼らに屈したというより、喜んでなのかもしれません。

Photo 一昨年の「ヒロシマ平和の夕べ」で、お具合が悪い中、その思いを話して下さった中沢啓治さん。この後、抗がん剤の治療のために入院されました。その闘いに頑張って下さいね、とみんなで拍手で応援したのですが・・・。


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草取り物語。

 大分には、河野の実家と、私たちが将来住むためにもう建てている家があります。その両方とも、大変なのは、草取りです。特に、老いた母にとって、いつも庭をきれいにしておくことは、使命のように考えていますが、重労働で、腰にこたえてしまいます。

 わしたちが実家に帰った時に、夫は、草を取ることに第一に取り掛かります。

 今回、夫は、通販で、草刈り機を購入しました。プラスチック製で軽く、片手でも動かすことができます。草の根本を左右に動かすと、草がどんどん刈られて飛び散ります。

 通販に申し込んだ時には、人気製品で、品薄で、時間がかかるというのを、お盆に使うので、どうしてもそれまでに送ってくれと懇願したそうです。帰る直前に届いたので、夫は大喜びです。

 そして、実家に着くと、母と話すのもそっちのけで、ごそごそとそれを取り出して、草を刈りはじめました。

 私がそばに行って見ると、「良く刈れる」とご機嫌です。でも、短いズボンの私の足に、ビシビシと小石が飛んで来て、「わあ、石が飛んで来る。痛いわあ、こりゃ、かなわん」と飛んで逃げました。夫のズボンは、砂と石が飛んで来て、埃だらけで、真っ白です。

 そして翌朝、夫は、まだ涼しいうちにと、我が家の草を刈りはじめました。そして、しばらくして。夫が、「大変なことになった!!」と言います。

 見ると、夫の足が内出血だらけです。飛んで来た石で、こんなことになったのです。半ズボンのまま、むき出しの足に石が当たったのですね。それを痛いと思いながらも、我慢していたと。

Dscn5158_1280x960  あはは、私は、大笑いしました。大丈夫、ただの内出血だから、数日で消えるよ、と言いましたが、夫はがっかりして、ツカレタ、と言ってまた寝ました。私はこっそり記念写真を撮りました。(昨日見せて了解を取りました)

 夫は、注意書きなどなにも読みません。私は、まず添付書類を読みますが、夫は、そんなもの読まなくても分かる、と言います。

 後で義兄に聞くと、それは、足にキャッチャーが付けるようなプロテクターをつけてするものだと。半ズボンでするなんて、もってのほか。それもコツがあって、こう傾けて刈ると石は向こうに飛んでいくが、こうすると、自分の方に飛んで来る、そして、下手をすると、飛んだ石が車に当たってガラスが割れてしまうこともあると。大きな石でなく、小さい石ほど、ガラスを壊してしまうと。隣の車のフロントガラスを壊してしまうこともあると。

 そんな注意が必要な怖い物でした。壊れたのが車でなくって、夫の足だけで良かったと思いました。



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高齢の一人暮らしの義母の発熱。

 昨夜遅くに広島に帰ってきました。

 別府最後の夜、母が熱を出して、とてもつらがりました。血圧はいいのですが、脈が飛んでいます。手持ちの熱さましを飲んでもらって、夜中に塩分の入った飲み物・ソルティーライチや、熱さまシートや氷を買いに行ったり来たり。と言っても、真っ暗な山道をコンビニまで車で行かないといけません。そして、母の隣に横になって、一晩中水分を取ってもらったり、体を冷やしたりの看病でした。

 開けて昨日は日曜日。朝ごはんを食べる気がないそうで、リンゴやバナナ、ヤクルト、それにソルティーライチを入れて、ジュースを作って飲んでもらいました。そして、当番医を調べて、車で受診に行きました。

 そもそも、ものすごく暑い部屋で寝ている母を、クーラーのある部屋で寝るようにと強引に言った翌日の発熱です。熱中症気味ではあったのですが、その誘因は、軽い風邪と。お薬も出して戴いて、安心しました。

 夫だけ、残る?と言ったのですが、僕一人がいても、何の役にも立たん、と言って一緒に帰ってきました。そばにいるだけでも心強いんじゃないん?と言ったのですが。

 私たちと入れ替わりで姉夫妻が来てくれて、一緒に晩ごはんを食べたそうです。

 少々気が重いままで、疲れて帰ってきました。今日から診療再開ですので・・・。

 結局、私の夏休みの後半は、親孝行のみで終わりです。日頃孝行をしていないので、こんな時だけでも・・・です。

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 大分の三重への叔母の初盆のお参りに行ったその帰り。遅いお昼を食べに寄った、道端の小さな食堂。入って見ると、思いがけず、ちゃんとしたお店でした。とり天定食です。から揚げ定食は知っていても、鶏の天ぷらというのは、この地方独特で、どこの食堂にもとり天があるのだそうです。

 先日の義父の13回忌の時に東京から来た息子が、大分空港で食べたとり天定食がとても美味しかったといったのを思い出して。からしのポン酢をつけて食べます。とてもおいしいのですが、鶏の天ぷら、多すぎます。夫に二個食べてもらいました。これで、650円です。夫は、卵どんぶり。お味噌汁と小鉢、漬物がついて450円。二人で1100円。安すぎない?と。思いがけずですが、今度の大分行きの楽しいことでした。

 もうすぐ90才になる母の一人暮らしです。近くに姉夫妻が住んでいるので心強いのですが。長男の一人息子である夫がどうするのかを、そろそろ決めなければならないようです。

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松江市教育委員会「はだしのゲン」禁止。

 大分の田舎で、親戚づきあいをしたり、具合の悪い母の食事を作ったりしていて、テレビのニュースも見ず、新聞も読まないで、世の中から少し離れていました。昨朝、広島ブログの工場長さんのブログを読んで 、もう、びっくり。あわててネットで検索をしたら、沢山のメディアが取り上げていたのですね。

 松江市の教育委員会が、「はだしのゲン」を小・中学校の図書室から、閉架したと。要するに、図書館から撤去して倉庫にしまいこみ、自由に子どもが読めないようにしたのだと。

 その表現が過激だと言う理由をつけていますが、その背景には、過激な右翼団体、在特会が執拗にねじ込んでいたということがあったのだそうです。

 「はだしのゲン」を図書室から撤去させようという彼らの動きがあることは、知っていました。しかし、教育委員会が指示するなどと、初めて聞きました。今、沢山の言語に翻訳されて、世界中に飛び立っている「はだしのゲン」です。

 松江の子どもたちだけが、読むことを制限されるなんて。そう、松江市には、日本中で、唯一県庁所在地に原発を抱えています。中国電力のおかげで、立派な建物が沢山建っています。そこの教育委員会が、ゲンを制限しました。

 その構図が、あまりに分かりやすくて。

 おそらく、松江教育委員会は、それとこれは関係ないと言うでしょうよ。関係ないはずがありません。

 教育委員会は、子どもの力を馬鹿にしていると思います。子どもたちは、さまざまな情報に接して、自ら考え、成長していきます。原爆に合うということは、こんなこと。戦争とは、人をこんなに残虐にするもの、そんな情報を中学生にも与えてはならないなんて、なんと子どもを馬鹿にしているのかと思います。

 私も参加した「英語ではだしのゲンを読む」講座には、小学4年生のゆりえちゃんが参加していました。全10巻読み終わって、講座が終了したときには、ゆりえちゃんは6年生の終わりになっていました。小学生でも、何の問題もなく、この漫画を読みこなしました。

 広島市は、平和教育の教材として、「はだしのゲン」を使っています。松江市は、子どもに読ませないようにしました。

 その昔、私の「さらば悲しみの性」を悪書指定した教育委員会がありました。その県では、子どもたちに読ませてはならない本になってしまいました。一方では、図書館協会の推薦本になりましたし、多くの学校が教材としていましたが。

 この動きが、在特会の働きによって、もっと、全国に広がってしまうのではないかと、恐れます。 一方では、ヘイトスピーチ、朝鮮人や中国人を本当に馬鹿にして、死ねなどというデモをしたりする好戦的な人たちが、はだしのゲンをつぶそうとしています。

 はだしのゲンは、人を差別することの罪を知り、戦争を否定し、平和を願う人になってもらうために、必要な本と思います。

Dscn1685_1280x960 昨年行った、島根原発。私が子どもの頃泳いでいた美しい海が原発に占領されてしまっていました。

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同じお題で「両親の呼び方」・マミーダディー。

 もものすけさん、ごめんなさい。15日、同じお題で書く「両親の呼び方」。
二日遅れで、参加させて下さい。すみません。

 私の両親の呼び方なんて、何ていうことはないのです。ふつうにお父ちゃん、お母ちゃんから、大人になると、いつからかお父さん、お母さんで。子どもからはパパ、ママといまだに呼ばれております。孫からは、ジージ、バーバでしょうね、きっと。こんなことは、他人にとっては、面白くないのですね。

 それで。

 もう、かなり前の話です。私の所で、とても事情のある子が産まれました。事情があり過ぎて、養子縁組も無理で、施設にあずかってもらっていました。施設に会いに行くと、すくすくと育ててもらっています。いつもその子のことが、とても気になっていました。そんな時。

 あるアジア系のアメリカ人の夫妻が、親に育てられない子がいたら、養子として迎えたいと来られました。そこで、とても事情があるのですが、と、その子の話をしました。すぐに施設に会いに行かれ、何回も会いに行き、そして、週末に家に連れて帰るようになって。

 また施設に帰った時に、施設の職員の方に叱られたのですって。そしたら、その子が「マミー、ダディ―」と言って泣いたのだそうです。つらい時、「おかあちゃーん」言って泣く、その対象がそれまでなかった子です。その子にとって、初めて呼ぶ相手ができました。「マミー、ダディ―」と。その話を聴いて、私は泣きました。

 そして、再度その子の出生について話をし、それでもいいのかと問う私に、その夫妻は、「私たちは、この子にフォーリンラブです。もう、この子のその事情については、これ以上、話をしないでください。」と言われ、そしてその時点で、特別養子縁組の申請をしました。一年後、家庭裁判所の厳しい審査を経て、その子は晴れてご夫妻の子になりました。

 その子は、もう大きくなっているはず。きっと、今もマミー、ダディーと呼んでいるでしょうね。

 東京で、金魚のアート展に行きました。まだまだ暑い日々。涼しい写真をどうぞ。

Dscn5125_1280x960 水槽の中に、万華鏡が作られています。万華鏡の向こう側に金魚が泳いで来たら、幻想の世界になります。まだ沢山写真を撮ってきたので、そのうちに・・・。

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 大分に来ています。

 大分にいます。昨日は、義母が夏風邪をひいて具合が悪いというので、まっすぐに母の所に行きました。母に、手持ちの咳止めや抗生物質などを渡して、すぐに墓参りです。一時帰って来たお義父さんを、お墓に送って行くのです。この辺りでは、お墓に迎えに行くのと、送りに行くのと、二回お墓に行くのですね。だから、お盆の真っ盛りに墓参りすると、そこにはどなたもいないのですって。

Photo

 河野のお墓は、お寺ではなく、山を少し上った所に、あります。大きな何千年かの杉が守ってくれています。杉の右の方に古いお墓が。左に、本家と河野の家のお墓が並んでいます。

 その後は、本家にご挨拶に行き、いとこ夫妻と話をし、そして実家に戻って、夫は草刈り。私は、茄子とゴーヤの取り入れをしました。

 そしたら、まあ、足も手も体全部がかゆくって。かゆくてかゆくて、狂いました。虫よけスプレーをしても、この辺りの蚊は、何のその。スプレーしている手足、そして服の上からだってどんどん刺すのですから。蚊だけでなく、茄子の葉っぱは母だってかゆくなると言われました。ヒーヒーといいながらムヒを塗りたくって。夏は本当にこれが苦手です。まいりました。

 今日は、昨年夏に亡くなった、母のお姉さんのお家に行きます。一周忌もお盆にも行けなかったので、ご挨拶です。車で一時間ばかりの三重まで運転です。

 ところで、昨日の終戦記念日。安倍首相のあいさつ。ホンットに戦争への道が着々と作られていて、くらーい気持ちになっています。

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東京で孫とのんびりでした。

 昨夜遅くに広島に帰ってきました。新幹線は、満員。乗る直前に買った指定席は、通路側しかありませんでした。でも、自由席のままで立ち席になるのを逃れてよかったです。

 東京では、息子の家に一泊、娘の家に一泊しました。みんな、ちゃんと生活しているので、安心、感心、感動しました。

 孫は、また一段としっかりして。私がお風呂に入れたら、またまた大泣きでした。親に入れてもらうのは、大好きなのだそうなのに。残念。

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みんなより早くに食事を済ませた後は、大人が食べているテーブルの下に潜り込むのが大好き。私の膝をつかんで立ち上がって、ばあ、と顔を覗かせます。

食事は、ママが作ってくれたエスニック料理の大ごちそう。どれも、とてもおいしくて。

 寝かせるのは、息子の役目だそう。覗いてみると、こんなことになっていました。

 ベットの頭の所に置いてあるのは、遊布戀さんに作って戴いた、孫が生まれた年のカレンダーのクッションです。

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 孫ちゃんと遊んで、こちらが楽しませてもらいました。久しぶりにのんびりの夏休みでありがたいことでした。

 今日は、午前中から大分に向けて出発です。

 東京から帰りの新幹線の中では、「8.6.平和の夕べ」の今中先生の講演の整理、まとめをしました。もう少ししたら、当日の続きをアップしますね。

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「原爆の父」がアメリカ批判をしていた

以下、共同通信社のサイトからの引用です。

『「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 

共同通信社  812() 配信

 

1966年10月5日、ロンドンで記者会見するウィリアム・ペニー博士(PA=共同)

 【ロンドン共同=半沢隆実】英国の核開発を主導し「原爆の父」と呼ばれ、米国の原爆開発にも関与したウィリアム・ペニー博士(1991年死去)が日本への原爆投下から約4カ月後、「米国は放射線被害を(政治的な目的で)過小評価している」と強く批判していたことが10日までに、英公文書館に保管されていた文書で分かった。博士は独自に「殺傷要因」を特定するため、英科学者を米国の核実験に派遣する必要性を訴えていた。

 米国は当時、放射線による悲惨な被害実態が世界に知られることを警戒、厳しい報道規制を敷いていた。文書は、米国が最重要同盟国で原爆を共同開発した立場にある英国に対しても、核兵器の本質を隠していたことを示している。

 文書は原爆被害を調査した英政府機関、医学研究評議会(MRC)のファイルの一部で、45年12月4日にMRC関係者が作成。「ペニー博士は(広島と長崎で)多くが放射線によって死亡したことを示す相当な証拠があると判断している」と記されている。

 ペニー博士はさらに「米国はこの見方を軽視し、あらゆる被害を爆風と熱に起因させようとしている」と批判。「この(放射線被害の)問題は、米国で最も重要な政治問題になろうとしている」と背景を指摘した。

 爆風効果計算の専門家であるペニー博士は英国での研究を経て、原爆開発を進める米国の「マンハッタン計画」に参加。長崎では観測機から投下を目撃し、その後、広島と長崎を現地調査した。45年12月13日にロンドンで行われた専門家会合で博士は「投下直後の放射線照射により、多くの人々が死に続けたことに疑いの余地はない」と指摘した。

 また、米国提供の情報は不十分で、次の原爆実験に英側も参加し、放射線被害について「最大限の情報」を収集することを医療専門家らに呼び掛けた。MRCの記録などによると、英科学者らは博士の提案通り、46年7月にビキニ環礁で行われた実験観測に参加した。

※原爆被害

 原子爆弾が爆発した際の熱線で、広島、長崎の爆心地の地表温度は3千~4千度に達した。広島では猛烈な爆風で爆心地から半径2キロ以内の建物のほとんどが壊滅、大量の放射線も放出した。当時広島には市民ら約35万人がいたが、1945年末までに爆発と放射線の影響で推計約14万人が死亡。人口約24万人の長崎では同年末までに推計約7万4千人が死亡した。被爆の5~6年後には白血病が多発、10年後からは臓器のがんが多発するなど、生き延びた被爆者も多くが放射線の影響による健康被害に苦しんでいる。(ロンドン共同)』

 以上で引用は終わりです。原爆の投下後、厳しい報道規制、プレスコードが敷かれていたことは、周知の事実ですが。投下から4ヵ月後に、もうこのようなことがあったとは。改めて、情報を隠ぺいすることの罪を感じます。

 情報が国民に知らされていない他の国のことをあれこれいいますが、今のアメリカもそして日本も、
いかに卑怯なことを政治がしているか、東電の原発事故を見れば分かります。騙されないようにしなければならないのですが・・・。

私は、まだ東京にいます。今日、広島に帰ります。明日からは、大分です。

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暑い熊谷での講演でした。

 昨日は、もう、暑ーい熊谷で講演をしてきました。

 お盆休みに入る日と言うのに、たくさんの方たちが来て下さいました。ありがたいことです。講演は、時間目いっぱいしましたが、本当にお話ししたいことがいっぱいあって、話し切れなくって少し残念でした。

 全国あっちこっち行っていますが、どこも性教育に情熱を燃やしている方たちが沢山いらっしゃいます。このままではいけないという憂いている方たちも。講演の後、質問が出ました。

 その方は、中学の教師で、私の講演を25年ぶりに聴いたのだと。そして、25年経ってもなんにも変らないと。どうしてなのか、どうしたらいいのか、という質問でした。

 私は、なんにも変らないとは思っていないと答えました。変わっていないのではなく、ますます悪化していると思っているのです。少年の性行動は、ますます低年齢化しているし、援助交際やら、性風俗で働く女性の低年齢化も、そして性感染症の広がりなども。

 世界的に、これだけ豊かで、識字率も高いこの日本が、なぜHIVの感染が増え続けているのか、それは世界の不思議になっているのですね。

 そんなことを考えると、悪化していると思わざるを得ないと。そして、それはやっぱり教育の責任と思うのです。性教育が全く進まないどころか、後退している状況の中で、いわば当然なかもしれません。

 そして、教育が進まないのは、やはり政治のせいだと思います。政治が文科省を動かしているわけですから。そして、性教育に反対するグループが、金も力もあって政治を動かしているのですから。

 私、コツコツと続けてきましたが、そして話せば、みなさん分かって下さるのですが。やはりこれも「負けて」いるのですよね。少しずつでもともに歩もうとする方たちが増えて、そして実践なされることを本当に心から望みます。

Dscn5066_1280x960 講演の後、スタッフのみなさんと、近くのイタリアンのお店で食事会兼、お話し会をしました。困難な状況でも、みなさん頑張ろうとしていらっしゃいます・・・。

 それから、会場は、熊谷の駅ビルの中の会議室を二つ合わせて行われました。この駅の中には、行政の男女共同参画室や、保育所、クリニックなども沢山あって、とっても魅力的なビルでした。駅に保育所があるというのは、いいですねえ。

Dscn5069_1280x960 Dscn5054_1280x960  ビルの中の保育園の入り口の写真と、右の写真は「ティアラ女性クリニック」です。そのクリニックを見学させていただきました。写真に写っている中山先生と、ほかに4人の女医さんが持ち回りで日曜日もずっと診療しているのだと。

Dscn5056_1280x960 Dscn5057_1280x960 待合室が、一般向けと若者けとの二つに分かれていました。若者は、ここの机で本を読んだり、勉強したりしているのだそうです。広くて、美しくて、素敵なクリニックでした。若者が行きやすい産婦人科、全国にもっともっと増えるといいですねえ。

 今回の講演を企画して下さった、埼玉の皆様に感謝申し上げます。。


 

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埼玉、熊谷に来ています。

 埼玉、熊谷に来ています。昨夜、新幹線を乗り継いで来ました。熊谷は暑い所と言っても、夜に着いたので、広島と全然変わりません。だって、広島もホンットに暑いですもの。

 一昨日は、診療後研修会に参加しました。会での講演は、浜松医療センターの院長、小林隆夫先生。女性のホルモン療法、特に、低用量ピルなどの安全性に関してのお話しでした。その会の世話人をなさっているのは、弘前の蓮尾豊先生です。蓮尾先生は、弘前から羽田、そしてヒロシマへと飛行機を乗り継いで来られました。広島に来てすぐに原爆ドームに行ったといわれますので、

「暑かったでしょう!?」と言うと、もう、本当に暑くて暑くて、とびっくりなさっていましたもの。

ところで、本題です。

Photo 今日は、私はこのようなタイトルで講演をします。昨日のニュースです。

埼玉新聞 8月11日(日)9時59分配信

 10日午前10時ごろ、新座市栗原2丁目のマンションごみ集積場で、乳児の男の子が置かれているのを近所の女性(71)が発見、110番した。男児はへその緒が付いており、生後間もない状態だったが、命に別条はなかった。新座署は保護責任者遺棄容疑で捜査している。

 同署によると、男児は身長40~50センチ。体重2千~3千グラム。青いバスタオルに包まれ、プラスチックケース2個を重ねた上に置かれていた。女性が自宅から集積場を見た際、ごみのような物が置かれていたため、確認したところ乳児だったという。

埼玉新聞 8月11日(日)13時25分配信

 新座市内のマンションのごみ集積場で乳児の男児が放置されていたことで、新座署は10日、同市在住の中学3年生の女子生徒(15)を保護責任者遺棄の疑いで逮捕した。

 逮捕容疑は、10日未明に自宅で出産した男児を、実母として保護する責任があるのにもかかわらず、マンション敷地内のごみ集積場に放置した疑い。女子生徒は両親と3人暮らし。男児を放置した事実を認めているという。

 世間では、きっと、親は何をしていたのかなどと、いろいろと言われるでしょうが。私は中学生が、たった一人で出産をし、その子を誰にも知られることなく、タオルに包んで外に置きに行くという、その行動を考えただけで、胸か痛みます。だって、お産って、本当に大変なのです。それを一人で耐えなければならなかったなんて。

 赤ちゃんも少女も命に別条はないと言うのが、幸いです。

 少女が一人ぼっちで出産をして、出血多量で亡くなってしまったという、悲惨な例を私は知っています。壁に、血の手の跡が一杯ついていたと。そんなことにならなくってまだよかった。産後の体で逮捕されたということだけど、少女と赤ちゃんの命と心のケアをのぞみます。

 西塔拓己選手、世界陸上、20キロ競歩6位入賞、おめでとう!!テレビで頑張れ頑張れと応援していました。西塔拓己選手は、私が取り上げた子なのですよ!!

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「はだしのゲンを英語で読む」が出版されました。

969x1280 2010年から二年間、毎日文化センターで行われた講座「はだしのゲンを英語で読む」が、本になりました!!

 講座では、英語版「はだしのゲン」・「BAREFOOT GEN」全10巻を読みました。英語で読んで、日本語で話すと言う繰り返しで、コツコツと10巻の終わりまでこぎつけたのです。

Dscn2929_1280x960  最後の講座には、闘病中の中沢啓治さんご夫妻も来て下さって、「やあ、ゲンが英語をしゃべったねえ」と喜んで下さったものです。

 その講座に参加した人が中心となって、名場面集を選び出し、そのページと、単語の解説、さらには全体のストーリーの要約、柏先生の解説など、丁寧に編集されています。

2_1280x933 3_1280x959 生き生きと生きたゲンが生き生きと英語をしゃべります。

 これは、中学生が英語を楽しみながら勉強するのにもピッタリです。


 当時の毎日文化センターの館長の山口一朗さんと、柏博子先生が中心となり、プロジェクト・ゲンの人たちの協力もあって、この本が出来上がりました。

Dscn5053_1280x960 恥ずかしながら、講座の不出来な生徒であった私の名前もちょっと入れて戴いてました。感謝です。

 多くの人に読まれますように・・・。そんな願いを持ってご案内しました。

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それぞれお疲れ様でした、の食事会。

一年かかりで取り組んで来た8.6.の集会が終わって、今、診療が大忙しです。明日、11日から一週間の夏休みに入りますので、その前の大混雑が続いています。レセプトも終えたし、頑張って今日を乗り切れば、お休みです。と言っても、12日には、埼玉の熊谷での講演が入っています。午前中なので、11日から移動です。熊谷って、とても暑い所と、時々ニュースに出て来るなあ、と、少々恐れています。

 そんな近況なのですが。

 昨夜は、診療後、お食事会でした。8.6を終えて、それぞれ皆様お疲れ様でした、と。

Dscn5043_1280x960 はだしのゲンの中沢さんの奥様と、原爆資料館の前館長さんの前田さんご夫妻とです。以前から、このメンバーで時々食事をしています。

 遠慮ない間柄で、話が弾んで楽しく過ごしました。

 中沢みさよさんは、亡くなった中沢啓治さんの替わりにこの間、大活躍でした。人前で話すのはとて苦手なのだけれど、中沢さんがお世話になった方たちへの恩返しだと思って、と。そばで中沢さんの活躍を見、支えて来た方のお話しは、それはとても貴重で、意味のあることでした。

 中沢さんが、お母さんのことで、とってもABCCに怒っていらっしたこと。そんなことが本当にあったのかしら、と思っていたら、みさよさんが、谷本清牧師の長女さんの近藤紘子さんの本を読んで、紘子さんも、まったく同じ目に合ったということが分かって、本当だったんだとわかったこと。

 中沢さんは、漫画の絵をかくのに、正確に描かなければ、と、とても気を配っていらっしたこと。特に戦争の場での飛行機の絵は、とっても苦労して資料を集められたこと。その沢山の切抜きが今も所沢にあるとのことで、それは、原爆資料館に寄付して下さい、そんな物、いえ、中沢さんがそれらの資料を集めて、そして、この漫画の絵が描かれたというのは、大変な意味がある資料です、何てやり取りもありました。

 私は、もっともっとみさよさんのお話しも聴きたいと思います。

 それから、びっくりしたのは、前田さんです。前館長さんですので、あちこちまた、引っ張りだこでテレビの生中継の解説など、大活躍されたのですが。前田さんがエアロビクスの中四国大会で優勝して、今度全国大会に出られるとのこと。7年前から初めて、今、Y字バランスもちゃんとできるのだと。もう、本当にびっくりです。この話、書いても大丈夫と了解を得ました。すごい!!

 おいしかった食事の写真も、また公開しますね。

 今日は診療後はピルや血栓症などの研究会です。それが済んだら、お休みです!!
 

 

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電車内被爆者米澤鐵志さんのお話

Dscf0119_1280x956 米澤鐵志さんの講演の内容をスタッフがまとめて下さいました。私たちの企画では、これが最後のお話しです。

 電車内被爆者のただ一人の生存者、米澤鐵志さんが被爆電車651号に乗車した人たちに被爆体験を話ししました。原爆ドーム前で下車したあと、資料館会議室に場所を移し、平和学習会が開かれました。


 約1時間半、被爆後お母さんと逃げる途中見た多くの人たちの様子や自身の発病や、核と原発について次のように語りました。

被爆者を描いた絵がありますが、どうして幽霊のように手を垂らしているのか分りますか。やけどで水ぶくれになった皮膚が手の先に垂れるから、そういう姿になるのです。爆風で眼球が飛び出し、深い眼窩を見せ目玉を頬のところで支えていた真っ黒になった女性もいました。

 そして自分も母親も敗戦の次の日から、髪の毛が全部抜け高熱と嘔吐に苦しめられました。母親は9月に入り死亡しました。私は、医者だったおじいさんにも見離されましたが、かろうじて回復。市内の川の水を飲まなかった(母親は飲んだ)、黒い雨に濡れなかった、その日のうちに市内から出られた、などの条件がそうしたのではないかと思います。

 しかし、母親の母乳を10日ほど飲んだ1歳の妹は、被爆しなかったにも関わらず、髪の毛も全部抜けて、10月に亡くなりました。当時は「栄養失調」と言われました。いま、立証の方法もありませんが、母乳による内部被爆だと思っています。

朝鮮人の友だちも多くいました。彼らは疎開もできず、ほとんどの級友が亡くなりました。日本は、朝鮮人に対しそのときも、その後もひどいことをしてきました。きのう広島の繁華街では中電前に抗議に行く人たちに「朝鮮へ帰れ」などと悪罵を浴びせるグループがいました。

 この国は、戦争と被爆をなんと考えてきたのでしょうか。

戦後、私たちは核兵器廃止運動をやってきたし、原発にも反対してきました。

 しかし、被爆国日本は、核不使用共同声明に署名しない。福島が起こったのに原発を再稼働し、輸出をするといいます。福島は安全だという「学者」さえいます。スリーマイルのとき、チェルノブイリのとき、核使用はやめなければならなかったのです。

子どもたちを「放射線管理区域」以上の地域に住まわせてはならないのです。

本を出すなどは考えてもいませんでしたが、福島が起こり、私の体験と考えを何とか残し伝えておかなければならないと思うようになりました。本にしてよかったと思います。本はずっと残りますから。

「核」を地球上からなくさなければなりません。電気は足りなくない。毎晩、星が見えないほど明るく輝かせているではないですか。

力の続く限り訴え続ける、と米澤さんは力強く結びました。』

 米澤鐵志さんの本→『ぼくは満員電車で原爆を浴びた』~伝えたい少年原爆体験記、11歳の少年が生きぬいたヒロシマ~ 小学館刊 定価998円(税込) 


ぼくは満員電車で原爆を浴びた: 11歳の少年が生きぬいたヒロシマ 




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「被爆電車と平和学習」

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 昨日8月7日、私たちの「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」の関連企画、「被爆電車と平和学習」が行われました。これで、私たちの今年の8.6.の企画は終了しました。

 無事終了したこと、一重に皆様方のおかげと感謝申し上げます。

 被爆電車には、40人の方にお乗り戴き、それを上回る人が講演に来て戴きました。私は残念ながら、診療があったため(二日も連続して休診にすることはできないので・・・)その様子は、実行委員の方の報告になります。その写真つきの報告を待っていたため、今日のブログのアップは遅くなりました。

 これまでと違って、電車には、小さなお子様連れの若いお母さまが何人もいらっしたと。それが何よりうれしいことでした。

Dscf0108_1280x956  電車の中では、米澤鐵志さんが、当時乗った同じルートで、自分とお母様、街並みの様子、被爆した時の様子などを説明をされました。昨日は、テレビ局の取材があったのだそうです。

 米澤さんは、この私たちの企画、被爆電車に乗ってお話しをするのは、今年が最後になります。もうすぐ80才。少々体力気力が厳しくなったとおっしゃいます。とても残念ですが、今年で打ち切りとすることにしました。

Dscf0132_1280x956 その後、原爆資料館地下に場所を移して、米澤さんのお話しを聞きました。

Dscf0128_1280x956  その内容について、また次回お話ししますね。

 米澤さんは、6年前のこの平和の夕べを始めた当初から、ずっと参加してお話しして下さって、本当にありがたいことでした。今は、京都に在住です。その京都から、暑い広島に来て、お話しいただくだけでも、ずいぶんと体力と気力をつかわれたことと思います。いやでも、あの当時のことを思い出して、それもつらいことだったとうかがいました。本当にありがとうございました。

 今後もぜひお元気で、京都の地で、ご活躍くださるようにお祈りします。

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8.6.ヒロシマ平和の夕べ

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「8.6広島平和夕べ」、沢山の方に帰戴いて、無事終了しました。皆様、本当にありがとうございました。

 被爆ピアノ、全盲のピアニスト、三浦裕美さんが、語りを交えながら弾いて下さいました。

1_997x681 被爆証言、紙芝居「あの日のこと」。実は、全国50カ所を上演して来られた、長崎の被爆者、宮崎謙一さんは、私たちの依頼に喜んで承知して下さっていました。私たちもとても楽しみにしていたのですが、実は、直前になって脳卒中で倒れてしまわれたのです。もう88才になられます。高齢と御無理が重なったのでしょう。何とか、回復して戴きたいとお待ちしていたのですが、どうしても無理だと連絡が来ました。

 でも、紙芝居の絵と語りの文章が届けられました。そこで、私は里博康さんに語りをしていただきたいと願いしました。

 里さんは、私の観音高校の演劇部の三年後輩です。RCCドラマグループや劇団四季でも活躍してました。

 観音高校の前身は、広島二中です。

 広島二中の一年生は、当時学徒動員の建物疎開のために集まって、今の平和公園、国際会議場の川岸に休んでいました。そこに原爆が投下され、300人余の生徒たちが全滅してしまいました。

 そして、今、観音高校の合唱部O.B.会がそのレクイエム「合唱曲碑」を毎年発表しています。その合唱曲のナレーションを彼が毎年受け持っています。

 里さんは喜んで紙芝居の語りを受け待って下さいました。素晴らしい紙芝居になりました。みなさんにも真剣に見て戴きました。「あの日のこと」。またこのブログでも再現できたら、と思います。宮崎さんの早い回復をお祈りします。

 そして、今年の平和講演は、京都大学原子炉実験所の今中哲二先生でした。「低線量被爆」について、科学者として、私たちにもわかりやすく解説して下さいました。

Dscn5012_1280x960 これらの内容についても、またお話ししたいと思います。

 交流会などのすべてを終えて帰る時。平和公園にかかる川で、まだ灯ろう流しをしていました。

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8.6.です。

 今年も8月6日がやって来ました。

 先ほど、慰霊碑にお参りしてきました。慰霊碑には、父の名前が入っています。8.6当日は、式典の前は警備が厳しいくて近づけませんし、後は人が多くて、なかなかゆっくりお参りできません。3時なら、誰もいないだろうと思って行ったら、警備の人やプレスの人たちが沢山いらっしゃいました。で、写真も撮りたいと思ったのですが、それはできませんでした。

Photo  昨夜、帰りに、平和公園への橋のたもとで、人だかりがしていました。今年も、「小さな祈りの影絵展」が開かれています。今年のテーマは、「あの日の灯り」でした。

 この影絵展については、ここに グランパさん、今は亡き佐々木典明さんが、詳しく書かれています。

 いろいろな年代の市民参加の影絵展、美しく、ちょっと悲しい展示です。継続されているのがいいですねえ。

 私は、今日、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で司会をします。緊張してしまって。緊張すると眠れなくなります。眠れないままに、エイッと平和公園経由で、クリニックまでやって来ました。ここで今日の会の司会の準備をします。時間があったら、少しでも眠りましょう。眠れるかな?

 皆様、私たちは、これまでコツコツと準備をしてきました。多くの皆様と共に平和を考える会になりますように。どうぞ、いらっしてくださいね。そうそう、被爆ピアノの演奏や紙芝居など、小さなお子様にも分かる会にしています。ご家族で来て戴けると嬉しいです。

 それでは、会場でお会いしましょうね。

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金城実作100メートル彫刻「戦争と人間」。

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 明日の8.6.原爆記念日を前に、一冊の写真集のご案内です。「戦争と人間」。

 沖縄の金城実さんが10年をかけて作り上げた巨大レリーフ。この写真を撮った大西忠保さんは、2012年5月、肝臓がんで亡くなっています。体がしんどい中で、執念で撮った写真。ものすごい迫力で迫って来ます。

 大西さんの死後、友人たちでこの写真集を出版しました。

写真集の金城実さんの文から。

『巨大レリーフの製作にあたって

 私を追うように少年が沖縄に来て大学に合格したが発表直前に米軍の車で殺されていった。

 沖縄の風土が好きな少年に影響を与えた私は彼の死に心が痛む。少年の名前は海老原鉄平。

 私も初老を迎えて自己満足に陥りかけて沖縄の美しい風景に昼寝していた。ところが鉄平の死は、沖縄の矛盾に目を背けることが恥であることを知らしめてくれた。さらに追い打ちがかかって沖縄戦被徴発者「恨の碑」の製作にあたることになる。戦争がもたらした歴史を刻むことはその実相を風化させ隠蔽するもの達との戦いである。』

『私の手元に、最近、大西杏子さんから贈呈された古い写真集がある。

 1972年3月18日発行。全日本学生写真連盟広島デー実行委員会 出版491。

1972年が沖縄の本土復帰で、出版が2ケ月前ということになる。その頃、私は大阪で、高校の教師をしていた。復帰については、さほどの感動もなかった。それは、本土並み、核抜き返還を信じていた沖縄県民に、核も残され本土並みどころか復帰後、本土にあった米軍基地が沖縄に移されることになったからだ。』

『私のレリーフを全く別の世界に飛ばして鎮座させている不思議さに目をうばわれる。アングルからとらえる光と影は太陽の動きをとらえて離さない。いかに彼が太陽の光を追っかけていたか思い浮かべ泣きたくなる。サンゴ礁の部分などはレリーフを洋画に変身させている。大西さんのアングルはレリーフ(彫刻)をのみ込んで彼独特の世界へと引きずって行く。たまらないね、大西さんは。』

 同じく写真集の編集後記、パートナーの大西杏子さんの文から。

『この頃体調は思わしくなく、身体を休めながら「このレリーフは何時頃の太陽の光がよいか」と計算し、撮り続けました。自分の感性の中からキュッとショートする所があるまで考え、独特の写真を撮る人でしたので、実さんのレリーフにはそんな出会いがいっぱいあったのです。それに読谷の広々とした青空の下、レリーフは生き生きしておりましたし、沖縄の歴史的事々を実さんが反骨精神で練り出したレリーフの中に自分を見出していたと思います。』

 まさに、命がけで作った彫刻と、命がけで撮った写真の、それらが合体した写真集、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で販売致します。

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平和公園・「はだしのゲン」原画展

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 昨夜、帰り道での平和公園です。すでに、8月6日を迎える準備がすっかり出来上がっています。

Dscn4990_1280x960  熱い平和公園には、もう沢山の人たちが来られています。

 私は市の祈念式典には、今や全く興味がありませんが。

Dscn4977_1280x960  でも、資料館東館地下では、「はだしのゲン」の原画展が開かれています。中沢啓治さんが丁寧に書かれた一本一本の線が、改めて胸を打ちます。

Dscn4980_1280x960 Dscn4984_1280x960 さらに、同じ地下では、市民が描いた原爆の絵も展示されています。NHKが募集した絵の再展示です。

 私は、昨日の昼時間に行って見てきました。はだしのゲンも絵画展も無料です。ぜひ皆様にも見て戴きますように。

 すでに、昨日から、原水禁国際会議・世界大会が開かれています。右翼の街宣車も走り回っており、喧噪のヒロシマになっています。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」連絡事項です。

 皆様、たくさんのコメント、ありがとうございました。どうにもしんどい思いを鬱々としながら、書いてしまいました。でも、皆様の励ましで、とても癒されています。

 昨日は、やはり納得できないものですから、もう一度、市の方とお話ししました。というより、自分の思いを、今回は、思いっきり話しました。一昨日は、とにかく思いがけないことでしたので、ただ事実をお話しするだけでした。

 でも、昨日は、自分の立場からお話ししたと思います。市の方は、少々不愉快だったかもしれません。でも、私にとっては、必要なことでした。後は、市の方が、どう厚労省にお話し下さるか、厚労省がそれをどう判断されるか、それを待つだけです。

 さて、8.6平和の夕べのお話しです。昨日、すごくうれしいお話しを戴きました。人づてに聞きました。私にとって、もう、すごい方が参加して下さると。もう、うれしくて、うれしくて。当日、私は司会をします。ぜひ、その方が参加して下さっていることを皆様にご紹介したいと思います。今、すぐここで言いたくても、その方の了解を得ていないので。どうぞ、皆様お楽しみに!!

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いくつか、連絡事項です。

 今年も、もちろん手話通訳をお願いしています。広島県手話通訳問題研究会から、二名の方が来て下さいます。毎年、耳の不自由な方も参加してくださいます。皆様の回りにもいらっしたら、ぜひ参加してくださるように、お誘いくださいませ。

 それから、昨年は保育を頼まれた方がおありでした。今年も頼みたい方がありましたら、ご連絡下さいませ。

 それから、残念なお話しです。毎年してきた「被爆電車と平和学習」は、今年限りとなります。電車が老朽化していますが、これは広電の方たちの、丁寧なメンテナンスのおかげで、今年は走らせていただけます。これから先はわかりません。もしかして、まだ持つかもしれません。

 ただ、ただ一人の生存者である電車内被爆者の米澤さんが、もう80才になられて、「もうしんどい」と言われます。それで、今年を最後に、ということになりました。本当に貴重なお話しをして下さったことに感謝しています。皆様、最後の米澤さんのお話し、ぜひ聴いて下さいませ。

 今日は、スタッフの宿舎開きです。全国あちこちから、スタッフが集まってきます。明日から数々開かれる大会の会場に行って、びら配りなどをします。元気を出して、頑張らなければ!!

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眠れないままに。

 全く眠れなかったのは、暑さのせいだけではなさそうです。悶々としたまま、頭の中を悔しさがぐるぐると回り、ゴロゴロ寝返りばかりうっていました。結局5時には寝るのをあきらめて、テレビをつけ、パソコンを開きました。もう、一つ8.6平和の夕べのブログを書いたのですが、やっぱりこの悔しさを出さないと、不眠も続き、診療もできないようになると思ったので。

 昨日、市役所の方お二人とお会いしました。厚労省の指示なのだそうです。誰か、大体は分かるのですが、匿名の電話が厚労省にあったと。調べるように、市に指示があったと。ついては、事情をお伺いしたいと。

 私が、長年、信念に基づいてしてきたことが、どうも違法らしいのですね。冗談じゃない。いつそんな法ができたのか知らないけれど、そんな時期よりも、もっともっと前から、もう30年近く続いて私がして来たこと。

 それも、駆け込み寺的な私のクリニックの診療の延長として、まったくボランティアとしてして来たこと。金銭を得るどろころか、持ち出しで、お金も時間も労力も使ってきたこと。

 それには、複数の命がかかっていること。

 私が始めるよりも後から作った団体が、金銭の授受をしながら、広げてきていることは知ってはいるけれど、それはそれ。私はあくまでも無償でボランティアでと、淡々としてきたことが違法だなんて!!

 やめろと言われればやめるまで。もう、知らない!!と言ってしまえばそれまでなのだけれど、だったら、この後、彼女たちはどうなるのか。私は、私が診た女性から自殺と犯罪者だけは出したくないと思って。私の所に来れば、何とかする。どんなにしんどい状況にあっても、何とかなるから、と。そんな思いでしてきたことだけれど。

 良く分からないことを書いて、ごめんなさい。今、詳しく話すことはできないけれど。厚労省の結論待ちとなりますが、どんな結果であっても、ここにお話ししますね。その時には、私の話を聞いて下さいね。

 長い間仕事をしていると、いろいろとしんどいことがあります。全く、もう、ストレスフルです。

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被爆ピアノは「ミサコのピアノ」です。

ミサコの被爆ピアノ「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での「被爆ピアノ」の演奏について。今回演奏される被爆ピアノは「ミサコの被爆ピアノ」です。

松谷みよこさんが、この被爆ピアノについて絵本を出されています。

 1945年8月6日、広島市千田町、爆心地から1.8キロの地点で被爆しました。無数のガラスが突き刺さりましたが、それでもピアノは生きていました。戦後、このピアノの持ち主、ミサコさんが親戚の子にせがまれてピアノを弾き、みんなで歌をうたっていると、石が投げ込まれたと、絵本にあります。

 ヤマハ製アップライトピアノ
 製造番号 18209
 製造年   1932(昭和7)年
 高さ    約120センチメートル
 重量    約220キログラム
 特徴     象牙鍵盤 良質な木材  85鍵(現在のピアノは88鍵)
               手作り

 なお、この時期は、被爆ピアノも矢川さんも大忙しです。先日の川岸の親水テラスでのコンサートで萩原麻未さんが引いたピアノは、かずこのピアノでした。当日、このミサコのピアノは、私たちの会で弾かれた後、すぐにマツダスタジアムに行きます。

 また、当日は、全盲のピアニスト、三浦裕美さんに弾いて戴きます。

曲目は、アラベスク第1番(ドビッシー作曲)
      いつでも何度でも(ジブリアニメ『千と千尋の神隠し』主題歌)
            長崎の鐘(古関裕而作曲)
      花は咲く(東日本だ震災復興支援ソング)
            ひろしま平和の歌(山本秀作曲)
ヒロシマ・ナガサキ・福島をつなぐ曲としてこれらの演奏をお願いしました。

 また、当日、昨年と同じように紀伊国屋のご協力で、このミサコのピアノの絵本や米澤鐵志さんの「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」、またはだしのゲンの中沢啓治さんの「わたしの遺書」など販売を行います。

 皆様、どうぞ、一緒に楽しみ、怒り、考える会にしましょう!

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福島の若い二人が参加します。

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 また、広島の暑い夏がやって来ました。灼熱の中を歩きながら、いつも思います。こんな真夏の暑い中で、原爆でやけどを負った人たちは、どんなにか熱く、痛かっただろうかと。想像を絶します。

 「8.6ヒロシマ平和の夕べ」も、後一週間を切りました。

 改めて、皆様に参加を呼びかけます。

 この会に、福島の若い人たちが来て下さることになりました。お一人は、「負けねど飯館!!」の佐藤健太さん。佐藤健太さんとその活動については、ここに 書いています。以前、秋葉前市長さんたちと一緒に、広島で開催されたシンポジウムでの発言を聴きました。若い彼らが、頑張って活動しています。ぜひ皆様もその言葉を聴いて下さいね。

 もう一人は、日塔マキさん。「女子の暮らしの研究所」を立ち上げ、頑張っています。その姿が、NHKのドキュメント、「向き合ってつながって強くなる」で放映されました。彼女は、ピーチハートの一員として、広島にやって来ます。会場には、会津木綿を挟んだピアスも持って来て販売されます。これまで、どうやって買ったらいいの?とよく聞かれました。当日会場で。どうぞ、楽しみにして下さいね。

 このお二人が参加して下さることが、私はものすごくうれしいのです。

 今、福島では「低線量被曝をずっとし続けること」がどうなのか。これが課題となっていると思います。

 今中先生は、そのあたりのことを語って下さるでしょう。福島のお二人も、その今中先生のお話しをぜひ聞きたいと言っています。

 皆様、ぜひご一緒できますように。

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