あのドキュメントにyuuminさんが。
昨日のこと、いつも私のブログにコメントを入れて下さるyuuminさんから、個メールが来ました。御用件の後、その続きに書かれているのを見て、びっくりしました。本当に、もうもうびっくりしたのです。
あの5月27日深夜に放映された、NHKドキュメント「地方発ドキュメンタリー」、「向き合って、つながって、強くなる」についてです。
『映像の最初のところで 原爆病院で検診を受けている写真が出ていましたが 姉と私です。千田町のご近所の方と 原爆病院で はじめて検診を受けたその時の写真でした。』
うん?なんですって?クリニックで録画してあるドキュメントを見てみました。ドキュメントの最初、冒頭と言ってもいいほどの所、福島から来た女性たちが原爆資料館の見学に行った時の映像です。彼女たちがボエーっと言いながら、一つ一つの写真を見ていました。その時にカメラが一枚の写真をアップしています。
ここの採血している人の後ろで不安そうな顔で立っている、この少女に違いありません。
デジカメで拡大して見ました。
もっと拡大してみました。ああ、yuuminさんだ。幼いyuuminさんが、まぎれもなくそこに立っています。本当にびっくりして、お電話をしました。原爆病院が開院したその初日、被爆者の検診も行うようになったと。そこに、まず原爆病院の地元の千田町の人から、検診をしましょうと、ご近所の方と行ったのだと。
初日なので、新聞社の人が取材に来て、写真を撮ったのでしょう。一緒に写っているyuuminさんの右側の人は、千田町で私も学生時代によく知っているバッチやトロフィーなどのお店、「カキタ」の柿田のおばあ様だと。
調べてみましたら、原爆病院は1956年9月11日に開院しています。(被爆から11年もたってからです。翌年、1957年にやっと被爆者手帳が交付されました)
yuuminさんが10才の時ですね。
yuuminさんは、1945年の原爆被災時、お母様のおなかにいた、胎内被爆者です。お母様が、物干し台で洗濯ものを干している時に原爆が投下され、物干し台と一緒に飛ばされて、軟着陸する形になって、助かったのだと聞いています。これは、中沢啓治さんのお母さんと、まったく同じです。
胎内被爆の方は、その妊娠の時期によって、原爆小頭症として生まれて来たこともよく知られています。妊娠の初期に強い放射線を浴びた時です。yuuminさんは、もう少し大きかったのだと思います。でも、強い放射線を浴びたことには変わりありません。
採血されている人を見ている、この不安そうな表情を見ると、胸が詰まります。
そして、何とも、不思議なご縁を感じます。きっと、その検診の初日、取材に行ったカメラマンか記者の方は、少女がいることに注目して、この写真を撮ったのでしょう。そして、57年もの時を経て、その写真が掲示されている資料館を取材に行った、NHKのカメラマン(きっと女性です。私のクリニックや福島での撮影に来たのも女性の決まった方でしたから)も、少女が写っている写真に注目したのでしょう。それを撮影し、そして膨大な場面からその場面を残して放映したディレクターの意志。そして、全国放送されて、それを今は広島から離れて暮らしているyuuminさんが見て、自分を見つけて、私に連絡をしてくださる・・・。
私が出ているドキュメントに、いつも私を励まして戴いている、そして、自ら原発の反対運動に頑張っているyuuminさんの写真がアップされている・・・。
いつも何気なく見ているドキュメントですが、その場面一つ一つにこんなことがあるのだと、あらためて感動しました。
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コメント
おはようございます
福島の若い女性達の成長されてる様子が ドキュメントから しっかり伝わって来ました。
人は 人と繫がって成長するのだと あらためて実感しました。若い方の飛躍的な成長ぶりすばらしいです。
いつもいつも思っていることですが
美代子先生の 講話や診療で 出会えた人は
本当に幸せです。
先生ご自身のお体も お大事にされつつ 沢山の若者に
大事なことをお伝えくださいませ。(ちょっと矛盾した欲張りなお願いですが・・・)
わたしも姉も元気でいます。
運よく生かされた命に感謝しつつ
これからも 一日一日を大切に過ごすつもりです。
投稿: yuumin | 2013年6月 8日 (土) 08時58分