二人のお坊さんの「平和と平等を問う」。
6月2日のお昼の「平和を語る会」。二人のお坊さんの対談には、これまでお会いしたことがないようなお顔の方たちが沢山いらっしてくださいました。おそらく、中国新聞の宗教欄「先心」に掲載されたのを読んで来られたのではないかと思います。ありがたいことでした。
お二人の対談は、まず中村さんから、なぜこのような対談を企画したかという説明から始まり、続いて、沖縄、読谷村から来て下さった知花昌一さんの三線と歌が披露されました。知花さんが作詞した、沖縄の過去から今まで。平和な南の島だった沖縄が、日本に併合され、過酷な戦争に巻き込まれ、そしてアメリカのものとされ、やっと日本に復帰したら、基地がそのままであったという、本当に苦難の歴史が沖縄民謡の調べで歌われました。
私たちからみたら、象のオリの地主である、読谷村の議員さん。修学旅行に行ったら、沖縄の戦争の惨禍がそのまま残るをガマを案内して語って下さったりする、闘う人。その彼が僧侶になられたことは私もびっくりでした。
彼のとつとつと語られた話は、一つ一つ納得できるものでした。彼は、沖縄の哀しみ、怒り、想いを十分に語って下さいました。仏教は、怒らないこと、常に平常心でいることが修行の目的みたいに言われるが、そうではない。権力や社会への怒りは、人々に寄り添うこと。権力に迎合した宗教者がいたけれど、それは間違いの一歩。常に迷いながら、苦しみながら、人に寄り添って行くことが、宗教者として問われ、喜びとなると。
沖縄では、少女暴行事件に抗議する会から始まり、これまで10万人規模の集会が四回も行われたと。沖縄で10万人ま集まるというのは、大変なことであるのだけれど、それでも変わらない。
今、「沖縄の独立」と言い始めた人たちも現れている、と。
お二人が話された後、会場との話し合いになりました。長い間、キリスト教の牧師をなさってた方は、寄り添うこと、人々と触れ合うことは、苦しいことではなく、楽しくて、喜びだと語られました。牧師時代、職として、聖書の分析をしたり、語ったりしなければならない、それを離れてリタイアした今、多くの人々に触れ合って教えてもらうことはほんとうに楽しいと。出身地の佐世保の遊郭のお話しもしてくださいました。学校の同級生がその遊郭で働いていると知った時の怒り、哀しみなども。とても謙虚で誠実なお人柄がうかがえました。
私は、橋下氏の発言は、沖縄ではどうなのか尋ねました。そしたら、知花さんは、「風俗を利用せよということは、金で買えということ。それは、沖縄の女性を買えということ。またアメリカに占領されていた時代に戻れと言うことなのか、と。あの時代は基地の周辺に、今でいう風俗の店が沢山あった」と。それを聞いて、そう、橋下氏はアメリカの軍と人には謝罪したけれど、沖縄の人たちには謝罪していない!と気づきました。沖縄の女性たちに「売りなさい」と言ったに等しい、とても侮辱したことなのに。彼は謝るべきは、沖縄の、それも女性たちに対してなのに。そう思いました。
ここでは、語りつくせませんが、沖縄、広島、長崎、そして福島。原発にも話は及びました。中村さんの話も含めて、とても深くて広い、充実したお話しでした。昨日、3日の中国新聞の記事、そして本日4日の九州本社版朝日新聞の投書欄に、参加して下さった方の投書が掲載されています。ありがとうございます。
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