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卵サンド、ハバネロトマト、ベジタリアン用朝食。

 東京にいます。昨夜遅く着いて、駅まで来てくれた娘と一緒にホテルへ。ホテルの部屋で話ていたら、久々に会うものだから話が弾んで、結局フロントに連絡して、娘も一緒に泊まりました。

Dscn4798_1280x960 娘へのおみやげに買って、保冷剤を一杯入れてもって来た卵サンド。このものすごいサンドは、「うつわ」の。国際ホテルの西側の通りを本通りの方に入った所にあります。ここでサンドイッチと飲み物でお話しをしている人が一杯。卵ばかりでマヨネーズが多くもなく、あっさりとしておいしいサンドです。これで250円。お腹を空かした娘が喜んで食べました。

 私の昨夜の晩御飯は、マックの期間限定の「ハバネロトマト」。新幹線の中で食べました。相当辛いと聞いていたけれど、そうでもありませんでした。この頃、辛いものを沢山食べているので、ちょっと物足りなかったかな? でも、お味は良かったです。

Dscn4799_1280x960 そういえば、コストコの鶏の丸焼き。夕飯に夫と食べた後、残りは身を削って冷蔵庫へ。残りのガラでスープにしました。それはおいしい鶏のスープができました。これを製氷皿で冷凍しておけば、鶏ガラスープのキューブがてきるのですが、そうするまでもなく、全部飲んでしまいました。結局、鶏丸ごとすべて食べ尽くしました。こんなにおいしい鶏が、まるごとで、700円もしないなんて、嘘みたいです。柔らかくておいしくって、夫婦で大のお気に入りです。

Dscn4801_1280x960 食べ物ばかりですが。今朝はルームサービスを頼みました。ベジタリアン用ので、ソーセージなどのお肉も卵もなくって、野菜と果物、ヨーグルトなどです。生絞りのジュースが濃厚でおいしくって。それにヒヨコマメのソテーもグッドでした。パンの残りは娘に持たせました。

 この4月から専門学校に通っている娘の話が面白くって、話しても話しても尽きません。試験づくしの学校の勉強と、まだライブも続けているので、その両方でなかなか大変みたいです。痩せていたので、ちょっと心配。

 これから私は研修会へ。娘は練習で、スタジオだそうです。

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NHKドキュメント「はだしのゲン世界へ!」

昨日のNHKフェイス、中国地方限定のドキュメントですが。

Nhk

「はだしのゲン世界へ!」

 中沢啓治さんが亡くなって半年。今、はだしのゲンは、さまざまなボランティアの人たちの手で翻訳され、世界中に飛び立っています。
先日はなんとイランでペルシャ語の本も出版されたと。

 そして、奥様のみさよさんが、はだしのゲンが連載されている時の、その苦労を話されました。明るかったゲンの弟が亡くなって、暗い。暗い漫画が若い人たちに受け入れられなくって、いろいろと芳しくない投書もあると。苦労して考えた挙句、中沢さんは亡くなった自分の弟、漫画でも同じ名前で、家の下敷きになったまま焼け死んでしまうのですが、「しんじ」とうり二つの「隆太」を登場させます。明るい隆太と共に、ゲンの物語も、明るくたくましく生きる物語になって行きます。

 その時の苦労、奥様のアドバイス、そして、翻訳、出版、発送、とても苦労しているボランティアの人たちの話もとてもよかったです。

 でも、一つ残念に思うのは・・・。識者として大学の先生が出て、解説をしたこと。大学の先生の話は、なんにも残りませんでした。それよりも、その時間、奥様や出版社の編集者のエビソードや、ボランティアの人たちの苦労など、いっぱい面白い話があるのだから、それらをもっともっと出した方が良かったのにと思いました。

 NHKらしいですね。机上の学問をする人を尊重するのでしょうが・・・。

 それでも、興味あるエピソードが沢山語られた番組、今日の10時05分から再放送されます。多くの方に見て戴けますように。

Dscn4793_1280x960  一昨日のゆいぽーとでの講師の後、姉と一緒にコストコに行きました。コストコは何回行っても面白いです。そこで買ったパエリア。二人暮らしには多すぎることは分かっていたのですが。それでも、食べたかったのです。案の定、大残りしたので、昨日は「コストコ弁当」にしました。姉と二人分です。パエリアと、鶏の丸焼き(やっぱり二人暮らしには多すぎですが、それでもおいしくて安くって、食べたかったので)の一部、足の所をおかずにしました。オイシカッタです。でっかいパエリア、五人分くらいでしょうね。1201円です。なぜ1円がつくのか、それが分からないけれど・・・。

 私は今日は、診療後新幹線で東京に行きます。飛行機はやめて新幹線にしたのですが、やっぱり東京は時間がかかります。その間、何をするか、ですね。明日の朝から、ワクチンについての研修会です。しっかり勉強してきます。

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からだのガタ。

 昨日は、午後は広島市男女共同参画推進センター・ゆいぽーとでの研修の講師を務めました。

 その前に、午前中には内科受診です。狭心症の発作を起こして以来、薬をきちんと飲み続けています。その薬も少なくなったので、受診です。211-110もあってびっくりした血圧も127-76と、大変優秀。コレステロールなどがどうなっているか、検査のために採血をしました。

 昨日、体もガタが来てと書きましたが、今は体はきわめて快調です。なによりもうれしいのは、頻発していた片頭痛が、ぴったりとなくなったことです。薬のおかげなのか、血圧が下がったからなのか・・・。先生のそのことを言うと、首を傾げられましたが。

 目がキラキラして見えなくなって激しく痛む頭痛は、血管性と言われているのですが・・・。突然起こる発作は私には恐怖で、いつ発作が起こるか、いつも怯えていました。これがなくなったのが、ほんとうにうれしいのです。

 考えてみれば、胸が痛くなっただけで済んで、よかった!あんなことになっていたなんて、知らないままでいると、もしかすると、脳の血管が破れていたかもしれません。怖いこと!

 振り返ってみると、全身の関節がバンバンに腫れ上がったひどいリウマチになって、肺のサルコイドーシスになって。そして重い荷物を持って走っていて転んで肩の骨が折れて、自転車で転んで手首が折れて、韓国のお風呂で転んで肋骨が折れて、赤信号で止まっていて20トントラックに追突されてムチウチになって、横断歩道を自転車で渡っていて乗用車にはねられて。

 そういえば、膝に水がたまって座れなくなったこともありました。それは膝関節にヒアルロン酸を計9本注射してもらってすっかり回復しました。ああ、まだそういえば、それらの前に繰り返す胃潰瘍で苦しんだのも、ピロリ菌の治療をしてもらったら、ピタリと胃が痛まなくなったということもありました。

 まあ、本当に色々とあったものです。でも、すべて克服して、そして今回の胸の痛みだったのですね。それもちゃんと治療してもらって、今、とても元気です。治療に加えて、私自身の回復力は素晴らしい!!と自画自賛です。

 週一回のジャジャサイズ、続いています。同じく週一の韓国語も。そして、これからは診療の合間に、地元の県内に加えて、大阪、熊本、岡山、京都、北海道、岩手、埼玉、福井、兵庫、秋田などなどアチコチの講演に行く予定が入っています。快適な体調で乗り切りますね。

Dscn4781_1280x960 今、広島そごうで「よしもと」のうまいもの展と全国うまいもの展が一緒に開かれています。そのイートインで、「冷たいラーメン」を食べました。山形大学前のお店だそう。氷が浮かんでいました。食べるとおいしい!!いいお味です。初めはそうだったのですが、食べ進んでいくにつれて、味が濃く感じて、食べきれませんでした。もしかすると、ちからのラーメンミニや一蘭のラーメンばかり食べているので、普通の量を多すぎるように感じるのかもしれません。

 

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何もかもガタが来ています。

 昨夜は、クリニックの補修をお願いしました。内診室の床が傷んでしまっていたので。開業する時の建設会社の同じ方が駆けつけて下さいました。

 私は、補修が終わるまで、雑用をしながら居るつもりでしたが、いざ補修が始まると、それが面白くて。眼が離せませんでした。

Dscn4783_1280x960 Dscn4785_1280x960 痛んだ所をはがして、それより大きく回りを切って広げて。四角い大きなピンクの床材をそれに合わせて丸く切って張り付ける。

 職人さんの仕事というのは、動きに無駄がなくって、サカサカサカサカ、サッササッサ。手順がすっかり頭にあって、体が自然に動くのですね。かつ、きめ細かくって。動きが美しくって。

Dscn4791_1280x960 Dscn4788_1280x960 すっかり見とれてしまいました。

 二時間ほどですっかり出来上がりました。

 それにしても。開業からもう少しで23年になります。なにもかも、あちこちガタが来て。23年も経つと、当然ではありますが・・・。お金がかかります。

 動きがおかしくなった内診台は注文しているのですが、8月の終わりになると。動きが複雑な台が沢山出来ています。その分、高くなります。それに空調も。部屋ごとに天井に12台あって、室外機は屋上にある空調設備は大がかりなので、そうそう簡単に全面的にやり直すことができなくって・・・。期間もお金も大仕事になりますから。

 考えてみると、この23年は、私にとってはあっという間ではありますが。いろいろなことがありました。開業当時は生きていた両親も亡くなってしまったし。カーテンや白衣などを一手に引き受けてくれた義兄も、待合室や診察室のソファーや机、椅子などを引き受けてくれた義弟も亡くなってしまいましたし。

 診療でも、つらいこともいっぱいありました。

 まだピチピチに若かった私の体もガタが来るのは、当たり前だわなあなんて、工事を見ながら、つらつら思いました。

 私が住んでいるマンションも、築30年を過ぎて、いろいとメンテナンスをしています。このマンションの工事のことについても、お話ししたいことがあります。そのうちに・・・。

 今日は午後、広島市の男女共同参画推進センターの電話相談の相談員養成講座の講師をします。資料もすっかり出来上がって送っていて、準備万端なのですが。話したいことが一杯あって、二時間で納めることが難しくて、その方が問題なのです。そもそも、女性の健康という広いテーマを二時間でやることが無理というものです。

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教師を辞めて「たこ料理」

 少し前になりますが。5月18日の夜、性教協の例会、研修が終わった後の懇親会。その日の宴会係の性教協の教師の一人が担当で用意していたのは、「たこ料理」でした。へえー、たこ料理。どんなのかしら、たこっていうと、刺身かタコ飯か、たこ焼き、くらいしか思い浮かびません。

 案内されて行ったのは、市役所の裏のビルの一階。まだオープンしたばかりでお祝いのお花が沢山飾ってありました。

Rscn4532_1280x960 市役所の裏の「たこBar善じ」。

 実は、ここをオープンした人のことを聞いてびっくり。ここに案内してくれた教師の教師仲間だった人だと。その人が、たこ焼き作りに入れ込んで、とうとう教師を辞めて、たこやきを中心とした「たこBar」をオープンしたのだそうです。その人は、カウンターの中で忙しく料理を作っています。フロアも男性一人。その二人で頑張っていました。

Dscn4505_1280x960 お店の中は、座敷とテーブル席とカウンターがあって広い!私たちは座敷に座りました。

 次々と運ばれて来るお料理。タコにこだわらず、あわびやサザエ、 えびなど、海の幸満載。素材の味そのままで、これが私にはうれしいのです。どれもおいしくて。

 でも、圧巻はやっぱりたこ焼きでした。ふわふわでこれまで食べたことがないおいしさで。付きだしなどの一部写真の撮り忘れがあります。

 最後のタコ飯と一緒に出たお味噌汁にはカニが入っていました。これまで、教師だった人がこの料理を作っていたのだと、ほんとうに面白い!!

 つい先日姪が友人と二人で行ったら、とても多くの人で一杯だったと。良かったよかった!!


Dscn4503_1280x960Dscn4507_1280x960Dscn4508_1280x960 Dscn4509_1280x960 Dscn4510_1280x960Dscn4511_1280x960Dscn4514_1280x960Dscn4512_1280x960Dscn4513_1280x960


場所 広島市中区国泰寺町1丁目7-26 白鳳ビル一階
電話 082-247-0124

Photo 市役所の裏の通りです。

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「2013.8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑥

今日は、プリントの裏面の呼びかけ文を掲載します。

呼びかけ

『「平和の夕べ」は
ヒロシマの原爆被爆者の悲願である核兵器廃絶と、原子力発電の問題は一体であるとの思いから、企画をしてまいりました。始めた当初は、原子力発電所の大事故が「いつかは起こるかもしれないこと」でした。そして、予想していたがごとく、福島原発の大変な事故が起こってしまいました。


 今、福島の子どもたちに甲状腺がんが起こり始め、高濃度の放射能のために故郷を追われた人たちは、帰郷のめども立っていません。高濃度の放射線を浴びながら原発事故の現場で働く人びとは、下請けの下請け、6次7次の下請け会社により集められ厳しい労働を強いられています。政府や電力会社は原発の再稼働に向けて着々と準備を進めています。そして今では、時の権力者たちは、「原爆をいつでも作れる体制にするために原発は必要である」と、堂々と言うようにもなりました。

 今こそ、ヒロシマの原爆の被害者である三村教授の、まだ被爆から7年しかたたない時の演説をかみしめたいと思います。

 広島・長崎の被爆者も次々と亡くなっています。一昨年、私たちの会で悲壮な被爆の体験と、平和を望む激しい訴えをして下さり、昨年の会にも車いすで駆けつけて下さったはだしのゲン中沢啓治さんも昨年暮れに亡くなりました。

 これ以上あらたな被爆者を出してはなりません。急がなければなりません。再度、私たちの思いを新たにしたいと思います。

 今回の平和講演は、昨年の小出裕章さんと同じ京都大学原子炉実験所の今中哲二さんにお願いしました。今中さんは、ヒロシマの被爆二世であり、今もまだ未解決である広島の黒い雨地帯などの低線量被曝について研究を続けていらっしゃいます。

 低線量被曝の影響を心配している福島の人たちのことを考えるためにも、今中先生のお話を聞きたいたいと思います。今、私たちに必要なものは何なのでしようか。どうぞ皆様、今年も「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」に集いましょう!語り合いましょう!』

Photo それから、今年も関連企画として「上関・祝島現地交流ツアー」と「被爆電車・平和学習」を行います。

 写真は、上関の原発建設予定地。2010年、この企画に私が参加したときに撮ったものです。周辺では、イルカの群れがピョンピョン跳ねて、大変美しい瀬戸内海でした。

「上関・祝島現地交流ツアー」は、原水禁山口主催です。8月5日(月)7:15JR広島駅「新幹線口集合、貸切バス・船で上関・祝島へ。現地では、祝島の漁師さんの船に分乗して、魚釣りをし、手作りのお昼ご飯を戴きながら、現地で頑張っている方々、全国からこのツアーに参加している方たちとの交流を行います。船で上関原発予定地にも行き、今もその場で反対のキャンプを張っている人たちの激励も行います。これは、要予約ですので、チラシにある電話番号に申し込んで下さい。今年の参加費などは、その際にお伝えできると思います。

「被爆電車」は、昨年施行したときに、もう電車の限界が来ていて、来年は運行できるか否かわからないということでした。が、今年も無事運行して戴けることになりました。8月7日(水)11:00~JR広島駅南口噴水前集合 11:30 電車出発。電車内で、その電車に乗っていて被爆した米沢鐵志さんに解説して戴きます。原爆ドーム前まで行き下車。その後は13:00から平和記念資料館地下会議室(2)で平和学習「原爆と原発」。米沢さんのお話しを聞きます。被爆電車の乗車と平和学習合わせて参加費は500円です。

 多数の皆様の参加をお待ちしますね!!

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「2013.8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑤

「2013ヒロシマ平和の夕べ」のプログラムから。

 今年は被爆ピアノの演奏を行います。トークはピアノ調律師、広島被爆二世の矢川光則さん。以下、プリントからです。

『 1952年広島市生まれ。1995年ピアノ工房を設立。2003年、古いピアノを再生し福祉施設などに寄付する奉仕活動で、広島市民表彰(市民賞)を受賞。奉仕活動の中で被爆ピアノと出会う。2001年より平和記念公園でのコンサートを始め、現在は全国で「原爆ピアノ・コンサート」を行っている。著書に「海をわたる被爆ピアノ」がある。』

2  矢川さんは、被爆ピアノの演奏の依頼が多く来るようになって、トラックの運転免許を取ったと言われました。だって、ピアノの運搬はそれは大変なのです。プロにお願いすると、どれだけのお金がかかることでしょう。自分で運搬して、調律もして、そして弾いて頂くのです。

 被爆ピアノは、日本全国のみならず、ニューヨークにまで行きました。東北震災の後は、ピアノのプレゼントを持って東北まで行かれました。

 お話しすると愉快で明るい人ですが、なかなか大変なことが沢山で、そのボランティア精神には、頭が下がります。写真は、プリントに載ったものとは異なりますが、ネットからよく似た写真を選ばせてもらいました。

8.6当日平和の夕べで被爆ピアノを弾いて頂くのは、ピアニストの三浦裕美さんです。以下、プリントを転載します。

『エリザベト音楽大学器楽学科ピアノコース卒業
1988年 第38回全日本盲学生音楽コンクール第2位入賞
1998年 ポーランド国立クラクフ室内管弦楽団と共演
1999年 世界音楽祭オーガストイン広島99において、サロンコンサート
2000年 筑波大学付属盲学校音楽科定期演奏会にゲスト出演
2002年 日韓青少年ドリームコンサートに出演』

Photo_2 写真は、小学校で演奏なさっている所をネットから戴きました。

 広島、長崎、福島にゆかりのある曲を演奏して戴く予定です。

 矢川さんのトークも、三浦さんの演奏もどちらも楽しみです。皆様もぜひ楽しんで聴いて下さいね。

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尼崎にて。

 尼崎に来ています。昨日は午前中の診療を済ませて、こちらに来ました。診療は、四方先生にバトンタッチです。

 夕方、尼崎市性教育講演会で講演をしました。一時間の持ち時間でしたので、いつもの話をはしょりながらで、不十分な話だったことと思います。いつもは私は二時間のバージョンで゜組んでいるものですから。でも、限られた時間、精一杯お話ししました。

 書籍を送っていたのですが、売る人がいないので、近畿在住の友人に頼みました。二人の男性が駆けつけてくれました。持つべき者は友人です。ありがたいことでした。

 ところで、講演が終わって、一人の女医さんが話しに来られました。「これまで、望まない妊娠について、中絶か産むかしか選択肢がないと思って来てたけれど、今日の私の話を聴いて、中絶しないで、産んで養子縁組に」という説得はできないものだろうか」と。

 私はただ、中絶が間に合わなくって、産むしかない、でも育てられないという時、やむを得ずのこととして、養子縁組のお世話をしているだけのことです。もし、中絶しないで生んで養子縁組にという説得をするのであれば、それから長い間の妊娠生活、学校やお仕事などいろいろな生活を誰がどうやって支えるのか、出産に伴う様々な経済的なこと、手続きのことなどを誰が担うのか、いろいろな大変なことがあります。そこまで、責任を持って説得するのかどうかということだと思います。

 今回のことでも、私は毎日お昼休みには病院や役場の手続きに通っています。これは、単なる私のボランティアです。あくまでもやむを得ずなのです。これだけの労力を誰がするのかということなのですね。ただ、中絶される赤ちゃんが可哀そうというきれいごとだけではないのですね。こんなことを言うと、また非難されるのでしょうが・・・。

Photo  全て終ってホテルの窓から外を見ると、雲に見え隠れしながら、まんまるのお月様が。向こうは大阪の夜景です。

 静かなホテルで、次の講演と次の次の講演のスライドの準備をしています。

 いつもあわただしく行って帰るだけなのですが、今回はこんな時間をもらってなんだか申し訳ないことです。そう思いながら、大切に過ごしました。

 結局は、ホテル以外どこにも行かず、誰にも会わず、これから広島に帰ります。

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「2013.8.6ヒロシマ平和の夕べ」④

2013年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、山口在住の長崎の被爆者、宮崎謙一さんの紙芝居をします。

チラシに記載された宮崎謙一さんの紹介から。

1_800x546 『1925年生まれ。1945年8月9日、長崎市の実家で被爆。翌日爆心地近くで友人を探した。

 戦後、山口県の鉄鋼会社を定年後、子どもたちを相手に朗読ボランティア。

 阪神・淡路大震災を紙芝居で伝えているのを見て、2006年に自分の被爆体験を12枚の紙芝居にした。2007年には78日間かけて全国を回り紙芝居を50回上演した。』


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 当日は、宮崎さんの紙芝居に合わせて、パーポイントでのスライド上映で、大きな画面で皆様に見て戴きます。

 実は、つい最近、宮崎さまは体調を崩されて、療養なさっています。

 何とかお元気になって、この上演をして戴きたいと思っていますが、でも、お体が第一ですので、ご無理をさならないようにとお伝えしています。

 8.6当日、宮崎さまの上演が無理な様でしたら、紙芝居はそのままに、どなたかに代わりに読んで戴くように考えています。

 宮崎さま、どうぞ、お大事に。貴重な体験をお話しいただく方が、次々と倒れてしまいます。中沢啓治さんの時にも感じていたことなのですが、生きていてほしい、生きて戴いているだけでいい、あの原子爆弾の被害者が今もこの地上に生きて戴いている、それだけでいいのです。宮崎さま、どうぞ、いつまでも生き続けて下さいませ。

 皆様、どうぞ紙芝居を楽しみにしてくださいますように。

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再放送のお知らせ

 平和の夕べの企画については、まだ続きますが、今日はちょっとお休みで。

 5月27日の深夜28日の午前0時40分から放映されたNHKのドキュメント、このブログでも、再放送はないかという問い合わせがありましたが、明日22日土曜日、午前10時30分から中国地方で再放送されます。

3「向き合ってつながって強くなる」。福島の若い女性たちが放射線の不安に向き合いながら、前向きに生きていく姿を描いています。NHK広島の若い女性ディレクターの作品です。若い女性ならではの視点で、福島の若い女性たちと向き合っています。

 中国地方だけなのがちっっょと残念ですが、見逃した方、どうぞ見て下さいね。

 昨日は、三次市立川地中学校に行ってきました。昨日、全校生徒48人と書いていましたが、それは去年のこと。今年は6人増えて、54人でした。

Dscn4772_1280x960 もう、5年になるでしょうか。三次市では、男女共同参画の一貫として、中学生にデートDVのパンフレットを配り、そして私が話をするという企画がずっと実行されてきました。

 年に2から3校、初めは高校から、そして看護学校などの専門学校も。中学校でするようになって、今年、後一校になりました。これをすますと、全部の中学校に行ったことになります。一巡りして、この企画もこれで終わりです。

 もっとも、学校によっては、限られた学年だったりで、すべての若者に話ができたわけではありませんが、精一杯やることができたと思います。

 初めのころはいろいろと抵抗もあってなかなかスムーズにできたわけではありませんが。ここまで、くじけずに取り組んで戴いた行政の方たちに感謝します。

 雨の中、三次市と庄原市を除いて、ほかは回りの地域すべて大雨の警報が出て、学校はお休みか早退になっていました。これは、川地中学も危ないかな?と心配しましたが、無事終了できてよかったです。途中の高速も、50キロの速度規制だけで、通行止めにもなりませんでした。先週のように暑くなくって、話し易かったです。

 まだまだ講演は続きます。一つずつ、着実にこなしていきます。

 

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「2013年8.6ヒロシマ平和の夕べ」③

「広島大学原爆死没者追悼の碑」。そこに記されている当時の飯島学長の碑文についてです。

Dscn4118_1280x960 プリントに掲載したのと違って、これは後ろから撮影したものです。

 碑文は、もちろん正面に置かれています。

Dscn4112_1280x960 Dscn4111_1280x960 碑文を転載します。

「昭和二十年八月六日廣島に原子爆弾が投ぜられた。一瞬、莫大な破壊を生じ、無数の人命を奪ったのみならず、その被害は長く今日に及び、身心の傷跡なお癒ゆることがない。本学前身諸学校のうち、廣島文理科大学、廣島高等学校、廣島工業専門学校、廣島高等師範学校、同附属中学校、同附属国民学校、廣島女子高等師範学校、同附属山中高等女学校、廣島師範学校、同附属国民学校、廣島県立医学専門学校、廣島市立工業専門学校は当時市内に所在し、直接被災した。その教職員並びに学生生徒児童は学校の内外において死傷し、また後遺症により没した者多きを数える。爾来星霜三十年を経て被爆により死没せられた人々を悼む心吾人において益々ふかく、核兵器を憎み、その完全なる廃絶と、世界恒久の平和を願うこと切なるものがある。ここに有志相はかり、建碑して追悼の意を表するとともに、廣島大学が人類平和の確立に敢然寄与すべきふかい学問的責務を負う所以を永久に銘記する。
  昭和四十九年八月六日
      廣島大学学長  飯島宗一撰
     元廣島大学教授  井上政雄書

 飯島先生は、単なる科学者だけでなく、政治や文化、哲学に通じた論客でした。私たちが学生の頃、学生運動で団体交渉などをするにあたって、教授陣との論争は、ひたすら飯島先生をいかに攻略するかが課題でもありました。その後学長になられた時には、なんと46才の若さだったのですね。

 今、これだけの碑文を読んだだけでも、先生の偉大さが分かります。というか、青二才の私たちは、もっともっと先生に学ぶべきことがあったはずだとも・・・。2004年に亡くなっています。

 この美しい文字を書かれている井上政雄先生は、書の名を井上桂園先生と言います。広島大学の教授の後は、安田女子大学で多くの学生を育てられるなど、書の世界の偉大な指導者でもありました。1997年に亡くなっています。

Rscn4770_2  このブログを書くために、撮って来た写真を見ていて、ふと何かあるのに気づきました。拡大してみると、こんなのが書かれていました。後ろの角にひっそりと書かれています。もっと、碑文の中に堂々と書かれていていいはずなのですが。

 この碑の設計者、佐藤重夫先生です。

 広島大学の建築科の教授。1967年の原爆ドームの保存工事を指導した方です。2003年に亡くなっています。

 このような先人たちの業績に触れることができただけでも、私は今回の碑の撮影をしてよかったと思いました。

 私は今日の木曜日は、県北の中学校に講演に行きます。学校はなんかナビも途中で消えてしまうほどの所にある、全校生徒48人の学校です。先週は大規模の学校でしたが、今週は、一人ひとりの顔を見ながら話ができるはずで、ホットします。雨なので。早めに出発します。

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「2013年8.6ヒロシマ平和の夕べ」②

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のプリントの裏面です。

86_2013b_905x1280

 裏面の巻頭に、これまでは峠三吉のさまざまな詩を取り上げてきました。今年は、三村剛昴教授の1952年の日本学術会議第13回総会の「涙の大演説」の一部を取り上げました。広島で被爆した三村氏は、原子力の利用を推進しようという提案に、涙ながらの反対をし、参加者の胸を打ちました。後の広島大学理論物理研究所長、広島大学名誉教授です。詳しくは、ここに 書いています。

 それから、この巻頭に合う写真をいつも私が撮りに行っています。今年は、この三村教授の言葉に合う写真をと考えて、広島大学のキャンパスにある「広島大学原爆死没者追悼之碑」の写真を撮りに行き、掲載しました。

 この碑については、ここに 詳しく書いています。

 私が学生の頃は、こんな碑はありませんでした。千田町のキャンパスにあるという話で、半信半疑で行って見て、びっくりしました。

 広い敷地になんとも型破りな碑が確かに作られていました。ドーンと、存在していました。

 碑は、1974年に作られていました。私が医学部を卒業したのが、1972年。知らないはずです。時の学長、飯島宗一氏が碑文を書かれています。この碑を作るために大変な尽力をなさったようです。飯島先生は、私が学生の頃の病理学の教授であり、後学長となられました。
さらに、出身の名古屋大学の病理学の教授を経て名古屋大学の学長を務められています。

 「核兵器を憎み、その完全な廃絶と、世界恒久の平和を願うことと切なるものがある。」と書いたこの碑文が三村教授の発言と並んで、素晴らしい名文ですので、次回紹介させていただきます。

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今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」。

 大したことではないのですが。

 私のブログの右側のサイドボードを少し変えました。これまで、昨年の「8.6.平和の夕べ」のプリントの写真と、そこから「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の昨年のご案内の記事に行くようにリンクしていたのですが。

 その写真をプリントの上半分にし、そして私のブログのカテゴリー「平和・8.6ヒロシマ」にリンクするようにしました。ただ、カテゴリーについては、いま修正中で、2011年8月までのを遡ってリンクさせています。その前の記事をこのカテゴリーに入れるのは、もう少し時間がかかります。

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  今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のプリントが出来上がりました。すでににあちらこちらに配布したり郵送したりしています。

 今年の平和講演は、京都大学原子炉実験所の今中哲二先生です。

 今中先生については、ここに その著書も含めて書いています。1950年広島市生まれの被爆二世です。広島の黒い雨地帯などの低線量被曝について、研究を重ねて来られました。専門は、原子力学、環境影響評価。特に、原子力施設がもたらす環境評価に関する研究です。

 3.11の後、福島県飯館村に入り、放射線の測定、住民への訴えなどをなされました。

 もっとも信頼できる科学者のお一人です。

共著として「チェルノブイリ事故による放射線災害―国際共同研究報告」(技術と人間)「原発を終わらせる」(石橋克彦編、岩波新書)、著書に「低線量放射線被曝 チェルノブイリから福島へ」(岩波書店)、「Silentwar 見えない放射能とたたかう」(講談社)など。

 ずっと高濃度の放射線下で生活している福島の人たちの健康が心配です。

 大人はまだいいのです。でも、子どもたちの甲状腺がんは、すでに12人が手術を受け、また15人ががんの疑いがあると、6月5日に福島県が発表しました。それでも、まだ「原発事故の影響ではない」というようなことを言っているのですが。

 このようなみんなが心配していることをお話しいただけるのではないかと期待しています。

 今日からしばらく、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内をしますね。

 そう、3333333番目のアクセスの方からは、結局お知らせを戴けませんでした。300万目もダメだったし。がっかりしています。今更さかのぼることができないので、仕方ありません。

 それから、「子宮頸がん予防ワクチン」の私の私見について、いろいろとコメントを戴いています。ありがとうございます。今の所、すべてをアップしていますが、おひとりずつのお返事は書いていません。が、はっきり言って、私は、決していい加減なことは書きません。クスリメーカーの方の受け売りするようなことは書きません。これをさりげなく書いているようでも、これまで、どれだけの労力を要しているか。どれだけの学会に行き、論文を読んでいるか。それらを検証して、自分が納得したことしか書きません。中には失礼なことを書いてこられる方もおありですが、もし、これから先、中傷が続くようなら、一時的にコメント欄を閉鎖するかもしれません。

 

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千円の親子丼ミニ。

 市内のデパートで行われている江戸展。ネットでチラシを見て、お昼時間に出かけました。目当ては、チラシの真ん中に載っている「親子丼」。正確に言えば、私はそのお店の「鍋うどん」、姉が親子丼のつもりで。私は、鍋焼きうどんが大好きなのですが、なかなか今これを食べれる所がないのですね。姉は、親子丼が好物です。

 あらら、行ってみると、鍋うどんは18日からでした。それはネットではとても見えないほど小さく書かれていましたね。仕方ないので、私も親子丼、二人ともミニです。

 待っている人の行列はなく、丁度立った人がいて、すんなりと案内されました。おしゃべりをしながら大分待って、ハッと気づきました。うん? 席は沢山あって満席なのですが。みなさん、食べてないのです。私が座っているカウンターは9席、だれも食べていません。振り返ってみると、6人のテープル席でも、だれも食べていません。その隣、向こうのカウンター、全部を見ました。後で見ると、34席あったのですが、食べている人がその時4人しかいませんでした。みんな待っています。

 「これは大変。出て来るのに大分かかるんじゃないの?」まあ、せっかくだから、待とうか、と、覚悟をきめたのですが。うーん、親子丼が出て来るのに45分かかりました。途中、姉は何回もやめて帰ろうと言ったのですが。それまでお茶だけ3回つぎに来てくれました。お茶だけ飲んでもねえ、後何番目か見て来てくれる?と一度言って、アルバイトらしい若いおにいちゃんを困らせてしまいました。

 これは、作る能力に比し、席が多すぎるのだと思います。立って待つよりも親切なのかもしれませんが、もし人が立って行列していたら、並ぶのをやめるという選択ができるのですね。

待って待ってやっと出て来た親子丼。うん?醤油が濃い過ぎます。塩っ辛くて。もう少し薄味にしないと、素材の味も消されていしまいます。これが東京の人の好みなのかしら。塩からいのの口直しに、ついて出た漬物を口にすると、もっと塩っ辛くて口直しになりません。

 音♪さんは、「讃岐屋の勝ち」と書かれていましたが、姉は、「大戸屋のほうがおいしい」と言いました。それも、ミニで1000円ですよ。親子丼で千円も出してしまいました。

 これが人気店だとしたら、東京の人はかわいそう、そう思いました。ただ、軍鶏のお肉が人気のようですが、広島ではおいしい卵や鶏肉はいくらでも食べられるので・・・。

 私、食べに行った時に、まずかったら何も書かないことにしているのですが。今回は全国的に大手なのでいいでしょう。東京の本店では待つのが当たり前のようなお店のようですが、今回は行列がないので待たなくてもいいと一方的に思ったのが、私の間違いではあります。不快な原稿ですみません。

Photo 遠くからやって来たママに会えました。もう少しで保育器からも出られそう。ママとしっかり目が合って、見つめ合っているようです。

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子宮頸がん予防ワクチンについての私見。

 子宮頸がんのワクチンについて、厚労省の方針が変わったことなど、いろいろと報道されています。これについて、またきっちりと私は私の意見を書きます。もう少し準備が必要です。今月末に大きな勉強会に行ってきますので、それの後になります。今日は、あくまでも今の私の心境を述べておきたいと思います。

 今、私がはっきり言えるのは、私はワクチンの接種について、いささかも方針のぶれはありません。子宮頸がんで亡くなっていく、悲惨な女性たちを見続けて来た私にとって、この癌にかかる人が減って行く期待は変わるものではありません。

 そもそも、日本はこのワクチンが採用されたのは、世界の中の100番目の国であります。他の国々、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど、早くからうち続けている国々では、このワクチンの副作用で中止をなどという声は上がっていません。

 そもそも、子宮頸がんは今、日本も含めたアジアの病気とされています。罹患する人も、死亡する人もアジアが圧倒的なのです。

 欧米では、もっとも安全なワクチンとされ、何千万人にもうたれている、それも学校で集団接種されているこのワクチンが、なぜ日本だけこんな事態になるのでしょう。

 日本の今回の方針を出した委員会の委員には、肝心の子宮頸がんの患者さんを診て来た産婦人科医は一人も含まれていません。

 産婦人科のがんの専門のドクターたちは、みなさんこのワクチンに期待を寄せています。その専門医たちどころか、産婦人科医が一人も含まれなかったという、この委員会の構成は、一体なんの意図があって作られたのかと思ってしまいます。

 この子宮頸がんの予防ワクチンについては、低用量ピル、緊急避妊薬などの採用に対し、それはそもそも性教育にとんでもない理由で反対し続けて来た、そしてその資金力で政治も動かして来た、宗教団体の動きが最初っからありました。このグループは、前の安倍政権の元で大活躍をしました。このワクチンをうつと、死ぬだの、不妊になるだの、ウソだらけのデマがネットを中心にふりまかれてきました。(日本民族を滅ぼすための外国の陰謀だというのまで。日本民族が滅ぶ前にもうとっくに多くの女性に打ち続けている外国の方が先にほろんでしまうでしょうに。)

 私は、この度の副作用報告のすべての厚労省への報告を読みました。なんと、ワクチン接種から一年後に膝の関節が痛くなったなんていうのなど、ワクチンの接種と関係があるの?と言いたくなる例が多数含まれています。

 それから、検診で早期に分かるはずというのは、幻想の一つです。子宮頸がんの中の扁平上皮癌はいいのです。検診でもよく分かるし、進行もゆっくりだし、抗がん剤も放射線もよく効くし、よく治ります。でも、腺癌は、進行が速いし、検診ではわかりにくいし、薬も放射線も効きません。産婦人科界では、腺癌をいかに克服するかが、課題の一つになっています。

 このワクチンは、腺癌を予防してくれるものとして、大きな期待をしていました。

 それから、このワクチンは万能ではないという人がいます。でも、16型と18型の予防ではあっても、似たようなワクチンのクロスプロテクションとして、ほぼ95%のウィルスをブロックしてくれるということも分かって来ています。残りの5%を検診でカバーを、と考えられるのです。

 そもそも、ワクチンをうつに当たって、これまで他の科のドクターたちが、子宮頸がんは、セックスで感染するウィルスが原因であること、このワクチンをうっても、大人になったら、検診を受けましょうね。このワクチンと検診で、ほぼあなたは子宮頸がんからは守られるでしょう、ということなどをキチンとお話しした上でうたれているのか、それを常々疑問に思って来ました。

 今、私のクリニックでは、週に一回、三人ずつ、子宮頸がんの検診で陽性となった人の精密検査を施行しています。でも、そのスケジュールがいっぱい一杯で、もう八月まで予約が一杯という状況になってしまったので、その方針を変え、他の日にも臨時にすることにしました。子宮頸がんは、決してどこか遠い世界のことではないのです。
 もちろん、このワクチンは強制ではありません。うちたくない人、うたせたくない人は、うたなければ良いのです。風疹も含めて、ワクチンそのものに反対する人、子宮頸がんの予防ワクチンにだけに反対する人、それぞれの立場があるのでしょう。うたなければ、副作用を心配することはありません。後、病気にかかるか否か、あくまでも自己責任ということになります。

 迷っている人については、これからも私は丁寧にお話しをし続けたいと思います。その上で、選択して戴きたいと思います。
 子宮頸がんの検診で何もなかった人が、一年後に進行がんであった、それも腺癌で、急速に進行してしまったという患者さんを、痛恨の極みで診て来た私の信念は、変わらないと言うことを表明しておきたいと思います。

 この私のブログについて、少なくとも、委員会に産婦人科医がいないと言うことすら、検証もしないで、このニュースを流してきた、すべてのマスコミにも逆らうような私見について、また、たくさんの彼らからの誹謗中傷が寄せられることでしょう。その扱いをどうするか、全部を公表するか、全部を公表することを止めるか、考えますね。


 

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京都「素夢子古茶家」で。

 木曜日、宇治での講演の後、電車で京都駅に。その後、地下鉄に乗って三条にある私の好きなお店「素夢子古茶家」に行きました。

 一人、靴を脱いで上に上がって、カウンターに座りました。

Dscn4754_1280x960_2久しぶりだけれど、いつも変わらない静かな空間。心地良い音楽。本当にホットします。

 ここにたどり着くまで、重い荷物を持って

地下鉄の階段を登ったり下りたり、炎天下を必死で歩いたり、ただでさえ、講演で暑かったのに、さらにしんどくなってしまって。

 電車の中であんまりしんどいので、もう行くのをやめて、広島に帰ろうかとも思ったのですが、行かなければならない理由があって。

 でも、たどり着くと、ほんとうに癒されました。


Dscn4753_1280x960新しい、おおきなポシャギがかけてありました。素敵!!これを作るのに、どんなにか手間がかかったことでしょう。
 今度、7月の終わりに性教協の全国セミナーが京都であります。その初日の夜は県別交流会です。それを、私の案内で、この「素夢子古茶家」に連れて行けとみんなのリクエストなのです。私が良くここのことをブログに書くので、みなさん興味があるようです。そこで、それが実際可能かどうかの下見と、予約をするために来なければならなかったのです。

 でも、それはちょっ無理なような気がしました。ここは夜9時閉店です。私が、診療を済ませて駆けつけるのは、どんなに早くても8時半。私を抜きで初めてもらっておいても、私が食べる時間は30分。それに、致命的なのは、ここは韓国の古茶屋さんなので、アルコールがないと言うことなのです。ゆず茶とか、なつめ茶とか、そんなのは素晴らしいのですが。

Dscn4756_1280x960 うーん、どうしよう。どこかでアルコールは飲んで来て、ここでは最後の食事にするか、とか、いろいろと考えました。ここの食事、素夢子御膳とか、ごま粥などは素晴らしいのです。これは、広島でもう一度みんなと相談した方がいいなあという結論にしました。

 私は、その日、おかゆを食べようと思っていたのですが、あんまり暑くて、まいっていたので、「スジョンガアイス」にしました。たっぷりのアイスクリームにスジョンガ(水正果)がかかっています。それにクルミとか、松の実などのナッツも。スジョンガ、私もこれに凝って、このお店や韓国で材料を買っては、よく作りました。生姜と黒糖と桂皮(シナモン)をコトコトと煮詰めて作ります。素敵な器に入った、さっぱりとしておいしいアイスクリームをたっぷり戴いて、元気が出ました。

Dscn4760_1280x960 ここのメニューにも出ているヤクパプ、韓国のおこわと生姜の砂糖煮を買って帰りました。

 おこわは晩御飯にしました。、栗、松の実、ごま、なつめなどがたっぷり入った甘目のおいしいおこわでした。生姜は、とっても辛くて、のどがヒリヒリするくらい。それがまた、体によさそうです。

 そこでひとしきり休んで、元気を取り戻しましたが、もう駅までは、また歩いて地下鉄の駅に行く気にならなくって、タクシーに乗りましたよ。

 もっと時間があれば、いろいろと京都を楽しめるのでしょうが、ほとんど講演はとんぼ返りで、今回、素夢子古茶家に行けただけでも良かったと思いました。

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ブログをしゃべって書く。

昨日アイパットの調子が悪くなりましたので、親しい友人に教えてもらおうと、電話をしました。
友人は、しばらくiPadを使っていないので、少々お待ちくださいと言いました。今彼はiPhoneばかりを使っているのだそうです。それも音声ばかりだと。でもブログの原稿はどうしてるんですか?それは書いているんでしょう?と尋ねました。そしたら、いいえ、ブログを書くのもしゃべって書いていますと言いました。もうびっくりです。キーボードのところに、マイクの絵があるでしょう、それをタッチしてしゃべったらいいんですよ、と教えてくれました。

それで私も試してみることにしました。このブログは喋って書いています。本当に見事に漢字混じりの文章になります。スゴーイ!!

もう何でもできるような気がします。もしかして、この前iPadで録音した講演録も、自動的に文字にならないかしら、なんて思っています。

なんだ、そんなことを今更、と思われるかもしれませんが。私にとっては凄く新鮮。まだまだ宝の持ち腐れですね。

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宇治での講演。

 昨日は、もう、猛烈に暑かったですね!!

Dscn4752_1280x960 講演は、生徒、保護者合わせて400人弱。とっても暑くって、かなり疲れました。真冬の体育館は、体のあちこちにカイロを張り付けて、防衛することはできますが、夏の暑さにはなかなか防衛法がなくって。途中、映画をするときに養護の先生が、冷凍したお水のパックを持って来て下さって、それを首筋に当てたりしながら、ホッとしました。でも、それも一時的。講演が済むと、ぐったりでした。

生徒さんには、飲み物の水筒、タオル、下敷きなどの扇ぐものを持って来てもらいました。講演前には、炎天下の校庭でサッカーなどで走り回っていて、元気なものです。

 写真は講演前の会場です。生徒さんたちが初めはざわざわしていたのが、だんだんと聞いてくれるようになって、こちらに向く目をしっかり意識しながら、頑張って話すことができました。

 やっぱり若い人たちはいいですねえ。こちらも力を戴けます。もちろん、私が二時間話しただけで、すべて分かっただろうなんて思ってはいません。ただ、ウソだらけの性情報が溢れている今日、一生懸命体や性について話してくれた大人がいると、それだけでも、少しは記憶に残ってくれたら、と願います。体や性って大切で素敵なものなんだよと。全ての生徒さんたちに、素敵な大人になってほしい!と思います。

 私の講演を企画して下さった先生方に感謝します。

Dscn4744_1280x960 Rscn4762_1280x960 JR宇治駅の駅舎は面白いです。新しくされたそうですが、平等院などの平安の貴族文化や源氏物語ゆかりの地、そしてお茶の町にふさわしく作られています。

 

Dscn4746_1280x960Dscn4748_1280x960 その駅前には、丸い時計がありました。ちょうど12時になるので、待ってみました。時間になると、丸いふたが開いて、中から人形が現れて、音楽に合わせて、茶摘みをしました。

 宇治川がゆったりと流れて、落ち着いた街なのですが。途中、京都大学の敷地の隣に広大な自衛隊があってびっくりしました。聞くと、ここは戦時中弾薬を作っていた所なのだそうです。作った弾薬を宇治川から大阪湾に運び、そこから全国に運ばれたそうです。しかし、よくここが爆撃の対象にならなかったことと、怖い思いがしました。京都も原爆の攻撃の対象の候補の一つだったのですが・・・。

 平等院か、隠元豆の隠元さんが作った萬福寺かどこか一つ見て帰りたいと思ってはいましが、何しろこの暑さで、ぐったりしてしまったので、取りやめて京都行きの電車に乗りました。

 この後、京都の三条に行きました。それについては、また。

 実は、夜八時半ごろ家に帰りつきましたが、その時に気づきました。私、朝ホテルを出る前にトイレに行き、夜家に帰るまで、一度もトイレに行っていませんでした。沢山飲み物は飲んだのですが、まったく尿が作られなくって、すべて汗になったのでしょう。家に帰っても、ぐったりだったので、軽い熱中症にかかりかけたのかもしれません。

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3333333ありがとうございます。

3333333ありがとうございます。
私が見た時、3333336で、通りすぎていました。
みなさまのおかげです。
本当にありがとうございます。
3333333を引かれた方、どうぞお教え下さいませ。
どうぞよろしくお願いします。

私は今、奈良線の電車の中です。
猛烈に暑いです。
体育館で話を聞かされる生徒さんも大変でしょう。

私も頑張らなければ。

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京都です。新幹線に酔っちゃった。

 京都にいます。今日木曜日の休診日は、京都、宇治の中学生に話をします。診療を終えて、新幹線に飛び乗って京都まできました。

 新幹線の中では、締切が迫っている、来週末の講演のためのスライドを作りました。参加のみなさんに資料として配布するために、一週間前に原稿を送らなければなりません。ずっと前かがみになって揺れる新幹線の中で細かい作業をしていたら、まあ、気分が悪くなって。酔ったみたいです。新幹線に酔うなんて、なかったことなのですが。お腹が空いていたのがいけないのか、胃を圧迫したのがまずかったのか、何だかわからないけど、気分が悪くって。

 ホテルでダウンしておりました。京都のやまとの湯で久々にあかすりをしてもらおうか、ホテルの部屋にマッサージに来てもらおうか、なんていろいろと考えていたのですが。なんにもする気なし。デレデレとしておりました。

 晩御飯は、ベットに横になっていると少し楽になったので、ボツボツ食べました。昼のインドカレーの定食の残ったナンと、患者さんから戴いた採れたてのスナップエンドウ。それをクリニックのポットの湯と電子レンジでチンして湯でて、塩を振ったもの、それにオレンジ。それから、広島駅の新幹線のホームで売っている手羽先の空揚げ。どれも少しずつです。スナップエンドウ、採れたてなので、甘くってとてもおいしいです。

 それに、ホテルの空調は、スイッチを入れると寒いし。切ると暑いし。25度の弱なのですが、なかなか調整が難しいです。

 まだ、今年の夏の性教協の全国セミナーのためのスライド作りとか、今日のホテルでしようと思ったことが沢山あるのですが、どうもダメです。情けない。ブログもすみません。大切な3333333の日になるはずなのに、何を書いているのか、しんどいということしか書いていません。今日は難しいことは書けません。すみません。

Dscn4743_1280x960  今日のお昼のナーナックのレディーススペシャル。1090円です。このナンが半分も食べきれなかったので、持って帰って晩御飯用にしました。ナンの裏がカリッとうすく焦げていて、香ばしくてとっても美味です。タンドリーチキンもおいしいし。でも、ちょっと小さい。もう少し食べたいです。

 久しぶりのランチネタで、ご勘弁を。ごめんなさい。もう寝ます。

 「3333333」どうぞよろしくお願します。

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「3333333」

 昨日ののぞみさまのコメントにあるように、もうすぐ私のブログのアクセス数が3333333になりそうです。

 こんなつたないブログを読んで下さる皆様のおかげて゛、ここまで続けることができました。本当にありがたいことです。

 アクセス数の節目節目で励まされても来ました。300万アクセスでは、残念ながらどなたにもお知らせいただくことができませんでした。3000001番目の方にはプリントを戴いてありがたいことだったのですが。

 そこで、300万の替わりに3333333番目のお知らせを戴きたいと思います。

 アクセス数を見てみると、ここ一ヵ月の一日平均が2703です。2000から3800の開きがあります。これで行くと、今日の夜か、または明日午前中かな?と思います。丁度3333333のアクセスに当たった方、どうぞお知らせくださいませ。画像を送って戴ければ、とてもうれしいです。ささやかにお礼をさせて戴きたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。アップはしませんので、コメント欄に連絡方法などを記載して下さいませ。

Photo 昨日のお昼に、生まれたばかりの赤ちゃんに会いに行ってきました。保育器の中で酸素を吸っていますが、元気です。

 この子が大きくなった時には、いつか、あなたのお母さんは命がけであなたを産んだこと。あなたの命を助けようと、多くの人が尽力したこと。

 あなたのお母さんは、あなたを育てることはできないけれど、でも、きっと幸せに育ててくれるに違いない人に、あなたを託すことにしたこと。あなたのお母さんが、悩んで悩んで、ギリギリの所でそう決断したこと。あなたが幸せに育つために、それを一番に考えての決断だったこと。

 今、あなたの両親になるだろう人が、あなたが生まれることを待って待って、そしてとても喜んで二人で大泣きしたこと。その二人があなたに会いに向かって来ていること。

 そんなことを沢山話してあげたいと思います。幸せになろうね!!

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湧永庭園。

 一昨日の日曜日、夫と姉と一緒に湧永庭園に行きました。今週の木曜日から、怒涛の如く、講演が始まります。これから8月のはじめまで、まったく休みがなくなります。それだけでなく、それぞれの準備も大変で。しばらく大忙しになるその前の休みをどうしようかと考えて。前から行きたいと思っていた湧永庭園に初めて行きました。

Dscn4722_1280x960_1024x768 きれいに手入れされている庭園。とても広くて、中には芝生でお弁当を広げている人も沢山です。

 しかも、入園無料だなんて。

 写真を一杯撮りました。ここは四季折々の花たちで楽しませて下さるそうですが、今はバラが満開の見どころでした。

Photo通り道の足元にもかわいい花たちが。ここまて整備するのは、さぞ大変だろうと思いました。

Photo_2 モネ邸の睡蓮も素敵。これは、2000年にジヴェルニーのモネ邸から、睡蓮の株が大原美術館に送られ、それを株分けされたものだそうです。睡蓮の花ってどうしてこんなにかわいいのでしょう!!

 バラは500種、5000株も。

 では、バラの写真をいくつか。

 心もすっかり洗われた一日でした。広い園内を歩いて、運動にもなったし・・・。

Photo_3 Photo_4 Dscn4727_1280x960 Dscn4734_1280x960 Dscn4732_1280x960

 
















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英気をやしなったので、これからを頑張って乗り切りますね!!

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掌に乗るプロジェクター。

 コストコが面白くって。一回行ったら、またすぐ行きたくなって。買うのは、もっぱら食べ物だけれど。多いので、息子や娘にクールで送ったりしています。でも、食べ物だけでなく、孫のための椅子も買いました。そして。

Dscn4686_1280x960 これを見つけました。こんなのを見ると、もうダメ。掌に乗るプロジェクターです。約10センチ四方、高さは4センチ弱。

 実は、昨年夏には、軽井沢で講演するのに、プロジェクターを持って行くことになって。大きくて重いプロジェクターは持っていたのですが、それだととても持っていけないので、散々悩んで、思い切って買ったのがあります。それは、掌サイズで、五万円しました。これでも、十分気にいっていたのですが。でも、パソコンと一緒に持って講演に行くのには、結構重く感じます。黒い本体の、この写真のが昨年買ったのです。

Photo でも、コストコで見たのは、掌に乗るサイズです。それも、コストコ価格で、19800円でした。

 一目ぼれで、欲しい欲しい、で、結局買いました。

 小さくても、優れものです。LEDのランプなので、とっても明るくって、よく映ります。パソコン、DVDプレイヤーにつながりますし、SDカードやUSBも直接入ります。もちろん、台形補正や音量の調節なども、これまでのプロジェクターとおんなじ機能を持っています。

 プロジェクターと画面までで焦点が合う距離は、97センチから323センチまで。323センチだと、画面は斜めの対角線で100インチ(254センチ)、画面サイズは215センチ×135センチです。

Dscn4685_1280x960 Dscn4689_1280x960裏から見た所と、入っていた一式です。小さなバッグに全部入ります。右上のが本体です。

 電源を切ると、120秒ファンが回り続けて本体を冷やすようになっています。


Dscn4706_1280x960 クリニックの待合室で写してみました。まだ明るくっても、画面ははっきり写ります。

 もう、大満足。仲間内で会場を借りて研究会や講演会などをするときには、プロジェクターを借りるのには、結構高いのですね。もう、これで心置きなく持って行って使うことができます。

 でも、三つもプロジェクターを持ってどうするの?と自分であきれるのですが。一方で、大人のおもちゃとして、まあ、これくらいいいんじゃない?と言う自分もいます。ネットで調べると、やはり5万円くらいの品です。それがコストコ価格で買えたのだから、ますますいいんじゃない?と思っています。



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誕生日。「いのちのつながり」。

 私、昨日のブログ、間違っていました。ごめんなさい。

 yuuminさんからコメント以外にも、メールが来ました。yuuminさんがお母様のおなかにいる時に被爆。その時の被爆の状況が、完全に間違っていました。私は、いつかの頃からか、yuuminさんのお母さまと、中沢啓治さんのお母さまと、状況がおんなじだと信じこんでいました。どうしてかしら。すみません。訂正します。

 yuuminさまからのメールをそのまま転載させて戴きますね。

『 さっそくブログ拝見しました。
  1956年の9月の事だったんですね
  小学5年生、私の孫息子が 今5年生です。

  原爆投下時 母は台所に立っていたと。
  父は 夜の町内見周りから帰って 布団の中でまだ寝ていたそうです。
  2歳の姉は 玄関の土間にジャガイモを取りに行かされていた瞬間でした。

  一瞬のうちに家が崩れ 三人は 家の中で バラバラのポジションで
  身動きできない状態・・・。

  どれくらいの時間がたったのか  しっかり聞いていないのですが
  とにかく しばらくの時間の後 お隣のご主人が 屋根や柱を押しのけて
  まず 父を救出していただいて そして二人で 母と姉を 救出して下さったのだそうです

  いま、生かされている 姉と私は 元気でいます。
  いのちが繋がって 三人の孫に 最大の元気を頂いている昨今です。』


 今、このようなお一人お一人の被爆の状況を語り継ぐこと・聞くことがとても大切だと思うのです。被爆者がどんどん亡くなっている今です。そのうち、もうお話しを聞くことができなくなってしまいます。具体的にそのお話しを聞くこと。そこに一人ひとりの生活があった、そして、それが一転、砕かれてしまったということが実感を持って迫ってきます。

 yuumin様、本当にありがとうございました。

そして、もう一つ訂正なのです。いい加減なことを書いてはいけませんね。

 ブログを読んで戴いたNHKのディレクターの方からです。yuuminさんが写っていた写真は、福島から来た若い女性たちが一番見入っていたものだったのだそうです。それを私は、かってにカメラマンの方やディレクターの方の想いや感性のためと思っていました。そうではなくって、福島からの女性たちの感性に訴えるものがあったということなのですね。考えてみれば、それも何かのつながりなのですね。


 今日は、広島ブログで、共通のお題でブログを書きましょうの日。お題は「誕生日」。あえて、私はこのブログをその共通のお題にしたいと思います。

 原爆で壊れた家の下敷きになってしまって、それでも命からがら、どなたかの助けもあって、脱出できた方の命。それから、私の父のように、本当に偶然にも爆心地を離れていて、助かった命。その命は
生き続けることができて、yuuminさんと今の私のように、そして子どもたち、孫へと命をつないで行くことができました。

 中沢啓治さんのお父様とお姉さま、弟のように、下敷きになった家から脱出できず、そのまま火に焼かれてしまった命。その命はそこで途絶えてしまいました。

 そんなにことをつらつら考えると、今、ここに私たちが生きていることは、本当に偶然と奇跡の連続のたまものであったと思えます。

 両親には、あの困難の中でよくぞ生き続けて、そして私を産んで下さったという感謝と、そして私自身の誕生日も、子どもたちの誕生日も、そして孫の誕生日も、つながった命が生まれた日と
て、心から祝いたいと思います。


Dscn4677_1280x960 私のクリニックのベランダの花たちです。真ん中は6年前に頂いた蘭、両脇はもう10年以上前に頂いた蘭とアマリリスです。

 この時期が来ると、必ず花をつけて、私たちを和ませてくれます。時々お水を上げるくらいで、特に何にもしていないのですが。この花たちにも、命のいとなみを感じます。




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あのドキュメントにyuuminさんが。

 昨日のこと、いつも私のブログにコメントを入れて下さるyuuminさんから、個メールが来ました。御用件の後、その続きに書かれているのを見て、びっくりしました。本当に、もうもうびっくりしたのです。

 あの5月27日深夜に放映された、NHKドキュメント「地方発ドキュメンタリー」、「向き合って、つながって、強くなる」についてです。

『映像の最初のところで 原爆病院で検診を受けている写真が出ていましたが 姉と私です。千田町のご近所の方と 原爆病院で はじめて検診を受けたその時の写真でした。』

 
うん?なんですって?クリニックで録画してあるドキュメントを見てみました。ドキュメントの最初、冒頭と言ってもいいほどの所、福島から来た女性たちが原爆資料館の見学に行った時の映像です。彼女たちがボエーっと言いながら、一つ一つの写真を見ていました。その時にカメラが一枚の写真をアップしています。

Dscn4690_1280x960 テレビを接写しました。これですね。

 ここの採血している人の後ろで不安そうな顔で立っている、この少女に違いありません。

 デジカメで拡大して見ました。

Rscn4694_1280x960 もっと拡大してみました。ああ、yuuminさんだ。幼いyuuminさんが、まぎれもなくそこに立っています。本当にびっくりして、お電話をしました。原爆病院が開院したその初日、被爆者の検診も行うようになったと。そこに、まず原爆病院の地元の千田町の人から、検診をしましょうと、ご近所の方と行ったのだと。

Rscn4695_1024x768 初日なので、新聞社の人が取材に来て、写真を撮ったのでしょう。一緒に写っているyuuminさんの右側の人は、千田町で私も学生時代によく知っているバッチやトロフィーなどのお店、「カキタ」の柿田のおばあ様だと。

 調べてみましたら、原爆病院は1956年9月11日に開院しています。(被爆から11年もたってからです。翌年、1957年にやっと被爆者手帳が交付されました)

 yuuminさんが10才の時ですね。

 yuuminさんは、1945年の原爆被災時、お母様のおなかにいた、胎内被爆者です。お母様が、物干し台で洗濯ものを干している時に原爆が投下され、物干し台と一緒に飛ばされて、軟着陸する形になって、助かったのだと聞いています。これは、中沢啓治さんのお母さんと、まったく同じです。

 胎内被爆の方は、その妊娠の時期によって、原爆小頭症として生まれて来たこともよく知られています。妊娠の初期に強い放射線を浴びた時です。yuuminさんは、もう少し大きかったのだと思います。でも、強い放射線を浴びたことには変わりありません。

 採血されている人を見ている、この不安そうな表情を見ると、胸が詰まります。

 そして、何とも、不思議なご縁を感じます。きっと、その検診の初日、取材に行ったカメラマンか記者の方は、少女がいることに注目して、この写真を撮ったのでしょう。そして、57年もの時を経て、その写真が掲示されている資料館を取材に行った、NHKのカメラマン(きっと女性です。私のクリニックや福島での撮影に来たのも女性の決まった方でしたから)も、少女が写っている写真に注目したのでしょう。それを撮影し、そして膨大な場面からその場面を残して放映したディレクターの意志。そして、全国放送されて、それを今は広島から離れて暮らしているyuuminさんが見て、自分を見つけて、私に連絡をしてくださる・・・。

 私が出ているドキュメントに、いつも私を励まして戴いている、そして、自ら原発の反対運動に頑張っているyuuminさんの写真がアップされている・・・。

 いつも何気なく見ているドキュメントですが、その場面一つ一つにこんなことがあるのだと、あらためて感動しました。

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中沢啓治さんのお母さんの愛唱歌「ゴンドラの歌」。

 遡ってすみません。先日の、「はだしのゲン」掲載40周年記念のイベントで、オペラ歌手の藤田真弓さんが歌って下さいました。藤田さんは、中央で活躍される歌手ですが、昨年のオペラはだしのゲンではお母さん役をされました。中沢啓治さんは、この公演をとても楽しみにしておられました。でも、本番は、お具合が悪くて入院中で、会場に行きたいと強く希望されたのですが、ドクターに止められて断念されました。

 それでも、本番の前の練習中に一度練習場に行かれて、アドバイスされました。その時に藤田さんをご自分のお母さんそっくりと激賞されたのです。

Dscn4597_1280x960 藤田さんは、そのオペラ「はだしのゲン」から「お父さんのアリア」、「お前たち、麦のように強くなれ」というくだりの歌。それから、中沢さんのお母様がお好きだった「ゴンドラの歌」も歌われました。

 私は、その藤田さんの歌を動画で撮ったのですが、そしてそれを皆様にも聴いて戴きたいのですが、残念。自分で撮った動画をアップする方法を知らなくって。YOU Tubeの動画はアップ゜できるのですが。

 中沢啓治さんが亡くなる二ヵ月前。毎日文化センターでの「はだしのゲンを英語で読む」講座の最終回。もう、とてもお具合が悪かったのですが、来て下さったのです。そして、みんなが英語で漫画を読み、日本語で読むのを聴いて、「やあ、ゲンが英語をしゃべったねえ」ととても喜んで下さったのです。

 その時、中沢さんは、私たちのリクエストにこたえて、お母様がお好きだったという「ゴンドラの歌」を歌って下さいました。それを当時の毎日文化センターの館長の山口さんが、中沢さんが亡くなった後、You Tubeにアップされました。

肺がんで、もう大分お痩せになって、息も苦しい中での歌声です。聴いてみて下さいね。

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「広島県日韓親善協会会員の夕べ」でした。

Rscn4675_1280x960  昨日は、「広島県日韓親善協会会員の夕べ」でした。私と姉は、診療が終わって駆けつけたので、やはり遅刻。もうお客様たちのご挨拶などが済んでしまって、食事が始まっていました。だから、最初の領事様などのご挨拶の写真などが取れませんでした。

 私たちも、大急ぎ、食べ物が並んでいる所に行きましたよ。

 ANAクラウンホテルのお料理と並んで出されていたのは、私の韓国語の李先生を初めとして、民団のお母さんたちが一生懸命作って下さった韓国料理。私のお目当てもここにあります。

Dscn4643_1280x960ここに写っていないのもありますが、手作りのキムチ、韓国冷麺や、カルビ、トック、チヂミ、パジョン、それに今回のトッポギは宮廷料理で、赤くなく白いの。それにニッケや生姜が効いたシッケなど、とても沢山のお料理で、準備がさぞ大変だったことと思います。

 私は休診の前日なので、思いっきりお料理を戴くことができました。

 余興は、この前のフラワーフェスティバルで領事館主催のK-Popのコンクールで賞を取った方たちの歌。もう、ほんとうにお上手で。

Rscn4652_1024x768 この方は、県庁にお勤めの公務員の石橋豊さん。激しくK-Popを踊り、歌い、その後で息が弾んでいるでしょうに、しっとりと冬のソナタの「初めから今まで」も歌われて、拍手喝采でした。

Dscn4651_1280x960 もうお一人、最優秀賞を取られた、会社社長の矢部修さんは、二曲目は、会場からの女性とデュエットです。

 まあ、お上手で、楽しくて、会場を沸かせました。

この後で、お楽しみ抽選会。アシアナ航空提供で、広島-ハワイ往復航空券、それになんと広島-パリ往復航空券など沢山の品が当たりました。パリ往復が当たった幸運の方の写真も撮ったのですが、御本人の了解を得ていないので、アップできなくて残念。
Rscn4674_1280x960
 最期は、沢山の方が檀上に上がり、アリランを歌いました。自然に踊りも湧き上がりました。

 そして、中締めのご挨拶は、民団の新しい団長・沈勝義(シム・スンウィ)さん。

「韓国と日本は、ここの所、しっくりいっていません。政治の世界は、政治できちんと対応してもらうとして。民間のわれわれの仲は、どんなことがあろうとも、揺るぎません」と言われ、やんやの拍手でした。

 私も本当に同感です。サッカーワールドカップの日韓共同開催や、冬のソナタなどの韓流ドラマの熱烈なファン、それに韓国への観光など、民間では、ずいぶんと溝は埋まってきていると思うのです。

 それでも、安倍首相や橋下氏の発言などに見られるように、第二次世界大戦を巡る日本の政治家たちの発言、行動がどれだけ韓国の方たちを傷つけ、日韓の関係を危ない物にしていることか。それも、そのような政治家を選んでいる国民の責任だと言われれば、うなだれるしかありませんが・・・。

 協会の世話をなさった方、民団のお母さんたち、楽しい食事と会をありがとうございました。

 

 

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「はだしのゲン」を歌う会。

 さて、日曜日2日の最後のイベントは、「ゲンと歌おう」でした。

 午後7次から、カラオケシダックス本通りクラブのパーティールームにて。18人の老若男女が集まりました。この会は、私が幹事をしました。

 でも、この会のために、名古屋の、「はだしのゲン」を中国語に翻訳している坂東さんが、歌が出て来る漫画のシーンと、本来の歌詞と、それにゲンたちが替え歌にしているの歌詞など、そのすべてを印刷して来て下さいました。大変なご尽力と思います。

 カラオケには、あんまり古くて入っていない曲もありましたが、それでも8割の曲がありました。それにあわて歌いました。

Dscn4628_1280x960 全く、子どもは天才で、おっびらに戦争批判はできなくとも、大声でカラオケを歌って、憂さ晴らししていたのでしょうか。

 例えば、軍艦行進曲。「守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の/浮かべる城ぞ頼み鳴る浮かべるその城日の本の/(みくに)の四方(よも)を守るべし・・・」が子どもの替え歌では「ジャンジャン ジャガイモサツマイモ/浮かべて並べてくし刺して/蒸かして 食べたら おいしいな~」となります。

 この歌、当時いつもいつもお腹を空かしていた子どもたちが歌っていました。実は、この歌、8.6のその日、中沢さんが学校に出かける時に4歳になる弟のすすむちゃんが、玄関の所で船の模型を持って「ジヤンジヤクジャガイモサツマイモ~」と歌っていたと。そしてその弟は、その直後の原爆で、玄関の所で、倒れた家の梁に頭を挟まれてしまい、そのまま広がって来た火に生きながら焼かれてしまったと。ここのブログの中の中沢さんの動画の中で中沢さんが語っていらっしゃいます。

 そんなことを知って歌うと、単に楽しい歌でなく、とても悲しい歌になります。

 楽しく食べ、飲み、歌いましたが、実は、若い人たちはほぼ100%こんな歌を知りません。

Dscn4632_1280x960 そこで、彼女たちはゲンに出て来る歌ではなく、李翔雲さん作詞作曲の「はだしのゲンが伝えたいこと」タイトルは「メッセージ」を歌いました。

 この歌は、その日のお昼に旧日本銀行広島支店で開かれた「まんがはだしのゲンが伝えたいこと」の中で歌われた歌です。ギターを弾いているのが李翔雲さん。

ここに彼のブログがあります。広島在住の在日三世の歌手。これから、ますます活躍されることと思います。応援します!!

Dscn4641_1280x960 シダックスが全員の写真を撮って、人数分焼いてプレゼントして下さいました。写真の接写で一部光ってしまいましたが。写真の真ん中あたりのギターも持った李君の右が中沢さんの奥様のみさよさんです。

 40周年を楽しみにされていた中沢さんも、きっとこの楽しい会をニコニコして見守って下さったと思います。

 中沢さんの歌について、もう少し、また報告しますね。


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二人のお坊さんの「平和と平等を問う」。

 6月2日のお昼の「平和を語る会」。二人のお坊さんの対談には、これまでお会いしたことがないようなお顔の方たちが沢山いらっしてくださいました。おそらく、中国新聞の宗教欄「先心」に掲載されたのを読んで来られたのではないかと思います。ありがたいことでした。

Dscn4625_1280x960 お二人の対談は、まず中村さんから、なぜこのような対談を企画したかという説明から始まり、続いて、沖縄、読谷村から来て下さった知花昌一さんの三線と歌が披露されました。知花さんが作詞した、沖縄の過去から今まで。平和な南の島だった沖縄が、日本に併合され、過酷な戦争に巻き込まれ、そしてアメリカのものとされ、やっと日本に復帰したら、基地がそのままであったという、本当に苦難の歴史が沖縄民謡の調べで歌われました。

 私たちからみたら、象のオリの地主である、読谷村の議員さん。修学旅行に行ったら、沖縄の戦争の惨禍がそのまま残るをガマを案内して語って下さったりする、闘う人。その彼が僧侶になられたことは私もびっくりでした。

 彼のとつとつと語られた話は、一つ一つ納得できるものでした。彼は、沖縄の哀しみ、怒り、想いを十分に語って下さいました。仏教は、怒らないこと、常に平常心でいることが修行の目的みたいに言われるが、そうではない。権力や社会への怒りは、人々に寄り添うこと。権力に迎合した宗教者がいたけれど、それは間違いの一歩。常に迷いながら、苦しみながら、人に寄り添って行くことが、宗教者として問われ、喜びとなると。

 沖縄では、少女暴行事件に抗議する会から始まり、これまで10万人規模の集会が四回も行われたと。沖縄で10万人ま集まるというのは、大変なことであるのだけれど、それでも変わらない。

 今、「沖縄の独立」と言い始めた人たちも現れている、と。

 お二人が話された後、会場との話し合いになりました。長い間、キリスト教の牧師をなさってた方は、寄り添うこと、人々と触れ合うことは、苦しいことではなく、楽しくて、喜びだと語られました。牧師時代、職として、聖書の分析をしたり、語ったりしなければならない、それを離れてリタイアした今、多くの人々に触れ合って教えてもらうことはほんとうに楽しいと。出身地の佐世保の遊郭のお話しもしてくださいました。学校の同級生がその遊郭で働いていると知った時の怒り、哀しみなども。とても謙虚で誠実なお人柄がうかがえました。

 私は、橋下氏の発言は、沖縄ではどうなのか尋ねました。そしたら、知花さんは、「風俗を利用せよということは、金で買えということ。それは、沖縄の女性を買えということ。またアメリカに占領されていた時代に戻れと言うことなのか、と。あの時代は基地の周辺に、今でいう風俗の店が沢山あった」と。それを聞いて、そう、橋下氏はアメリカの軍と人には謝罪したけれど、沖縄の人たちには謝罪していない!と気づきました。沖縄の女性たちに「売りなさい」と言ったに等しい、とても侮辱したことなのに。彼は謝るべきは、沖縄の、それも女性たちに対してなのに。そう思いました。

 ここでは、語りつくせませんが、沖縄、広島、長崎、そして福島。原発にも話は及びました。中村さんの話も含めて、とても深くて広い、充実したお話しでした。昨日、3日の中国新聞の記事、そして本日4日の九州本社版朝日新聞の投書欄に、参加して下さった方の投書が掲載されています。ありがとうございます。

 

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広島二中竹田雅郎さんの弁当箱。

 昨日は、午前中は原爆資料館へ。午後YMCAでの知花さんと中村さんお二人の僧侶による「平和と平等を問う」の講演会へ。そして夜はカラオケ・シダックスのパーティールームでの「はだしのゲン」の関係者の方たちと、はだしのゲンの歌を歌う会にと、フルでした。どれも感動的でしたので、ぼつぼつご報告しますね。

 午前中、私たちの「平和の夕べ」のスタッフの神戸に住む竹田雅博さんのお兄さんが、被爆当時広島二中の1年生で爆死。そのお兄さんの真っ黒に焼けた弁当箱が資料館の「二中遺品」に保管してある、それを見せてもらうというので、私も行ったのです。

 竹田さんと、前日に沖縄から来られた知花昌一さん、そして中村周六さんと四人で資料館東館の三階の事務所に行きました。

Dscn4600_1280x960 遺品は、空調の効いた保管室から、事務所に移されていました。密封された容器に入っています。

 資料館の方が、白い手袋をして出して下さいました。

 容器の蓋を開けると、写真と共にしっかりと包装された遺品がありました。あどけない写真。まだ12歳。中学一年生で、学徒動員に出されていたのです。

Dscn4603_1280x960 Dscn4604_1280x960 一緒に保管してあった説明書は日本語と英語の両方で書かれていました。

「 1年6学級の竹田雅郎さん(当時12歳)は、同級生の自宅である舟入河口町の唯信寺まで逃れましたが、8日に亡くなりました。この弁当箱とはしは、父親の俊二さんが雅郎さんが建物疎開作業を行っていた場所で見つけたものです。遺体が唯信寺にあるあることをまだ知らなかった俊二さんは、遺骨の代わりとして、この弁当箱にその場の砂を納めてもち帰りました。」

Dscn4608_1280x960 中身の砂はこぼれるので、別の袋に入れて保管されていました。お弁当箱の蓋の模様から、雅郎さんのお弁当箱だとわかったのだそうです。

 見つかった時に、中身がなぜなかったのか、分からないそうです。ほとんど爆心地。あまりの高温で中身に何か変化があったのかもしれません。

Dscn4616_1280x960
 当時広島一中の3年の兄昭義さんは、鶴見橋一帯での建物疎開に動員されていました。そのお兄さんが、中国新聞の二中の犠牲者の特集の紙面に語っています。「父が住職から聞いた話では、弟は最期に『天皇陛下万歳』と言ったそうです。何とも言い難い気持ちと、戦争責任の所在を考えざるを得ません」

 遺骨は、お寺で沢山の人と一緒に焼かれたため、ないのだと。だから、お墓には、名前は書かれているけれど、中は何にも入っていないそうです。

 この後、講演会場のYMCAに向かいました。

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「はだしのゲン」40周年記念イベント。

 昨日は、はだしのゲン40周年記念のイベント初日でした。診療が終わって駆けつけると、第二部のシンポジウムが始まっていました。

Dscn4579_1280x960 檀上に並んでいらっしゃるのは、はだしのゲンの外国語版の翻訳をなさった方たちです。金沢在住の「プロジェクト・ゲン」代表で、ロシア語に翻訳された浅妻南海江さんたちお二人、英語版を翻訳されたアラン・グリースさん、中国語に翻訳しつつある坂東弘美さん、朝鮮語に翻訳された金松伊さんなどのそうそうたるメンバーです。

 残念ながら、私が行った時は、坂東さんからのお話してした。中国人留学生と共に大変なご苦労で翻訳されています。でも、翻訳されたとしても、中国での出版がなかなか難しいことが予想されるとのことでした。

Dscn4582_1280x960 朝鮮語の翻訳者の金さん、この方お話しはすごかったです。大変なご苦労で翻訳なさった後の出版でした。まだ日本の文化が禁止されていた時です。なかかな出版してくれ会社が決まらない時。韓国に行き、出版を決め、いざ出版されると、日本の漫画なんてとそっぽを向いていた大学の先生たちが読んで感動してくれて、そして徐々に広まって行ったと。持っていらっしゃるのは地下鉄に貼られたポスターだそうです。今、韓国のほとんどの学校の図書館に韓国語版が入っているそうです。

 金さんは、今年の7月には、「はだしのゲン私の遺書」の翻訳が出来上がると言われました。皆さんのご尽力、頭が下がります。

40 次に檀上に上がられたのは、現広島基町小学校校長の二宮孝司さん、元広島平和記念資料館館長の前田浩耕一郎さん、京都国際マンガミュージアム研究員の伊藤遊さん、そして先日の動画でも紹介されていた冨恵洋次郎さんの四人です。

 どの方も、それぞれゲンの取り組みのお話しがとても興味深かったです。

 二宮さんは、小学校での平和教育への取り組み、4回も中沢啓治さんに来て戴いて児童たちにお話しして戴いた、そのお話し。

 前田さんは、中沢さんに提供された原画がどのように大切に保管されているか、でも、それを仕舞いこんでいたいのだけれど、中沢さんの声で、フランスに貸し出したなどの、そのいきさつなどのお話しも面白かったです。

Rscn4598_1280x960 そして。圧巻は、伊藤さん。はだしのゲンの第一回目が掲載された少年ジャンプを持ってこられたのです。巻頭に、見開きカラーで掲載されていました。ほとんどの人はこれを初めて見たのでしょう。マスコミを含めて、カメラのフラッシュがすごかったです。

 ほかにも、ジャンプの後、ゲンが掲載された「市民」も持ってこられました。さらに、調査をした所、ゲンが小学校の図書館の89.5%に収載されていたこと。大人たちは「平和教育」として図書館に入れたとしても、子どもたちはどんな読み方をしていたかの調査など。子どもたちは「サバイバルの物語」として、また、「怖い物」として読んだことなど。またこれから、たとえばドイツではどう読まれているか、など調査をしたいとか、色々と学問してのはだしのゲンの取り組みもあるんだなあ、とうなりました。写真で話をしているのが伊藤さん、初回のゲンを持っているのが冨恵さんです。

 まだまだこの後は映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」の監督の石田優子さんと製作プロデューサーの渡部久仁子さんのお話しと、ペラ歌手の藤田真弓さんの歌などがありました。これは、またお話ししますね。

 盛り沢山の充実したイベント初日でした。会場には、若い人たちの姿も沢山あって素晴らしかったです。またお話ししますね。

 今日は、私は、昼は「平和を語る会」。沖縄の知花昌一さんと中村周六さん、お二人の僧侶による「平和と平等を問う」。夜ははだしのゲンの替え歌を歌う会です。

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森井眞さんと中沢啓治さん。二つの動画です。

 昨日の森井眞さんのインタビューの続きです。

 このインタビューは、2007年に収録されています。終戦から62年だって、なおかつ涙ぐみながらお話しされる、この想いを皆様にお知らせしなければ、と思いまして。

 お風呂から出て、まだ出てこない夫を待ちながら何気なく開いた新聞で、この森井さんの投書を見なかったら、こんな貴重な映像に探しあたることもありませんでした。その意味で、よく投書をして下さったと、93才の森井さんに感謝します。もっともっと長生きをして、私たちにメッセージを発信して下さいますように。




 もう一つの動画を。漫画「はだしのゲン」40周年記念のイベントは、今日の夜から開催されます。それに関連して。以前、この広島テレビで放映されたニュースの映像を掲載しますね。

 今日の夜には、この映像に出て来る冨恵洋次郎さんもお話ししてくださいます。 様々な方が自分と中沢さんやはだしのゲンとの出会いをお話しして下さいます。多くの方に出会えますように。


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