「平和を語る会」
昨日は、「平和を語る会」が無事開催されました。ゴールデンウィークも始まり、あちらこちらで沢山のイベントや講演会が開かれている日、参加者が来て下さるのか、とても心配でしたが、スタッフ以外で計83人の方がいらっしてくださって、ほっとしました。
初めは、久保田圭二さんのお話し。平和の夕べの実行委員会のメンバーでもある久保田さんは、私たちにもこれまであまり語って来られなかった、原爆孤児として生き抜いて来た、そのお話しをしてくださいました。
二歳にして原爆ドームから一キロの近距離で被曝。家はつぶされ、両親は殺され、一人のお姉さんとも離ればなれになり、久保田さんは祖父母と過ごしました。小学校三年から新聞配達をし、中学卒業と同時に、自力で生きて行くようにと祖父母から言われ、夜間高校へ。そこを1年で辞めて様々な仕事をした後、商業系の高校に再入学。20才で金融関係に就職。
そこでの就職試験の面接で「両親がいなくて、就職できると思うのか」と言われたエピソードなどを聞いて、これまで、いろいろな人にさまざまなことを言われて来たのだろうな、と思いました。持前えの負けん気と頑張りで、計画通りの人生を歩んで来られました。その結婚観も。全く人生に対して無計画な私とは正反対でおもしろかったです。私たちは、若者に大人気だったグラタンの店「リゾート」の元オーナーということくらいしか知りませんでしたが、金融機関を辞めた次の日からもうオーナーとして店に立っていたこと。それまでに勤務しながら宅建や調理師の免許などを取得するなどその頑張りがとても役に立ったこと。
行列ができるほどのお店をスッパリ辞めて、5年前、それまで別々に生きて来たお姉さんとピースボートに乗り、二人で北半球の世界一周をしました。この度、5年ぶりに再びピースボートに乗り、今度は南半球を回って来られました。後半はその楽しいお話しでした。船の中では、台湾の反原発の活動家の方の講座や、久保田さんは、福島の原発事故の放射線被害についての講座をしたとの報告もありました。
今は、野菜を作り、癌サポートや図書館の本修理などのボランティア三昧の生活を送っていらっしゃいます。
それにしても、両親祖父母と姉の楽しい家庭が、一瞬にして地獄と化し、その後の厳しい生活を余儀なくされた、でも、頑張りでここまで生き抜いてこられたということが良く分かりました。
久保田さんのお話しの後、今度は秋葉さんのお話しです。秋葉さんは、4月の4日から24日までの間、アメリカでニューヨーク、ボストン、ヨーロッパでエジンバラ、ベルリン、ジュネーブなどを回られ、あちらこちらで講演をし、大切な人々に会うなど、まさに走り回ってこられました。その行程に沿ってお話しいただきました。
ニューヨークではAFS国際本部、AFS USA、国連大使、MPIの事務所などに行き、それぞれの人たちとお話しなさいました。
その後、以前秋葉さんが教官を務めていらっしたボストンのタフツ大学で開かれた「Japan Roundtable」へ。タフツ大学の外交・法律大学院である「フレッチャー・スクール」に在学中の日本人学生が中心となって開催する日本関連のシンポジウムです。今年のテーマは「核」。この会で三人の方が基調講演を行いました。
一人はハーハード大学のKoga Keiさん。核抑止力 アメリカと日本の関係と東アジアについて。
もう一人は日立の原発を造り、売る立場の吉成康男さん。そして、秋葉さんの三人です。どの人の講演も聞いてみたい魅力あるタイトルでした。
その中の原発推進の吉成さんのお話しを少し詳しく話して下さいました。(長くなりますので、続きは明日にします。)
今日は、これからの「8.6平和の夕べ」に向けての打ち合わせですが、私はパスです。これからクリニックにこもって、原稿書きをしなければなりません。もう締切が来ています・・・。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント