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「明日、悲別で」。

  2月28日に観劇した倉本聡さんの富良野グループ「明日、悲別で」。まだずっと胸にその感動が熱く残っています。ここの所、観劇することがしばしばなのですが、ほんとうに久しぶりに骨のある、どっしり重い演劇を見ることができました。

 作・演出 倉本聡。やっぱりこの方はすごい人です。

Dscn4034_1280x960_3 これは、会場に入るとすぐに貼ってありました。もうそこからドラマが始まっていました。というか、今、この現実の社会そのものが舞台だと言えるでしょう。

『我ラ世ニ遅レ不要ト言ワレタリ
 ヨッテ此処ヲ去ル
 何ヲカ言ハンヤ
 文明我ラヲ踏石ニシ高所ニ登リテ
 踏石ヲ捨テル
 踏石ノ言葉既ニ聞クモノナシ
 子ラヨ イツノ日カ文明ガ滅ビ
 人類ガ絶望ニ瀕シタル刻
 カプセルヲ開キ中ニ求メヨ
 我ラ希望ヲココニ封ジル也

 一九六一年秋 悲別炭鑛鑛内夫一同』

「 昔―30年前。
  初めてこのヤマで馘切りのあったとき、
  先輩たちがタイムカプセルを、
  つぶされる坑道に埋めたのを知っとうか。
  俺は九州から渡ってきたばかりで、
  こっちんことは何も知らされず
  先輩たちにたずねたもんや。
  カプセルの中に何を入れたんだって。
  先輩たちは笑って答えた。

  『希望』さ。」

 買ったパンフレットから、一部転載させていただきます。倉本聡さんの◎作者の言葉◎「まだ、悲別で」から。抜粋でごめんなさい。

『「国ッ。いつ気を変えたッ。誰に断って気を変えたッ」

 目まぐるしく変る国家の意志の変更で、一時はちやほやともてはやされながら忽ち捨てられる下層の民たちの物語。

 これは、棄民たちのドラマである。

 かつての炭鉱町悲別の民も、原発事故で家に帰れぬ福島の民も、更には戦時中強制労働で日本に連れて来られ故郷から切り離された朝鮮人たちの亡霊も。国家大局のうねりの中で使い捨てられ放り出された棄民たちの望郷のドラマである。

 ふるさとは一体何なのだろうか。

 ふるさとを奪われ、その場所に二度と戻れぬという哀しみは、一体どういうものなのだろうか。』

 初めから最後までハラハラ、コワイ、オモイ、ツライ、でもオモシロイで貫かれました。そして、最後はああ、本当にそうなんだと、どっしりと胸に居座りました。

 カプセルの中には何があったか・・・。

 多くの人が見るべき演劇だと思います。

 私、会場で売られているすべての本(すでに以前富良野で買った「獨白」以外ですが)を買って、一冊にだけサインをしていただきました。多くの人が並んで、そのすべての人に立って黙々とサインをして下さった倉本さん。ご迷惑と思いながら、私、つい手を触りたくて、手を伸ばしたら、倉本さんは握手をしてくださいました。ご迷惑だっただろうなと思いながら、でもこの手の感触は忘れない!!と思いました。ありがとうございました。


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