« 南三陸町の中学生たち。 | トップページ | 大川小学校について、もう少し。 »

あのとき、大川小学校で何が起きたのか

 昨日書いた、あの津波の中で生き抜いた中学生たちのNHKの番組の感動が、暗転して、心が暗くなってしまいました。

852x1280 帯の裏に書いてあることです。

『なぜ、「山さ逃げるべ」という児童の懇願も受け入れず避難が遅れたのか?
なぜ、石巻教育委員会は児童の聞き取り調査メモを廃棄したのか?
なぜ、真相解明を求める遺族の声は聞き入れられないのか?
膨大な資料開示請求から得た
新事実と、行政・遺族双方への綿密な取材によって
再検証する、渾身のノンフィクション!』

 この大震災と津波では、先生方の尽力で児童生徒のほとんどが助かっているという事実がある中で、この大川小学校では、多くの教師と子どもが亡くなってしまいました。

 その報道を見るにつけ、私は、これまでこの筆者と同じように、「先生方も子どもたちを助けようと必死だっただろうし、想定外の自然災害で仕方がなかったことなのだろう」と思っていました。

 ところが、どうも違うという声に接して、気になっていました。

 この本の中の保護者の声です。

「子どもたちは『早く山へ逃げよう』と訴えていて、山へ向かったのに、戻された子どももいる。なぜ50分もの間、避難しなかったのか」

「子どもたちは、見えない魔物に殺された。怒りをぶつけても、黒い影のように、何も反応がない。人としての温もりが感じられないんです」

「先生たちを責めてるわけではなく、正直に話してほしいだけ。失敗例として検証できない組織に問題がある」

 暗く、重い心で確信をもって言えるのは、子どもたちがかわいそうだということです。それにつきます。大人たちは、今後繰り返さないためにも、きちんとそのままを話すべきなのだけれど。多くの子どもが亡くなったことを考えれば。でも、教委は、こんな事態でも、東電と同じように、いろいろと小細工をしたりするものなのかという、絶望感に襲われます。

 まだ遺体が見つかっていないお子さんたちもいます。ただただ可哀そう!でも、それだけで済ませてはいけない。それは多くの遺族の方たちの思いであるということです。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

|

« 南三陸町の中学生たち。 | トップページ | 大川小学校について、もう少し。 »

コメント

このことは、最悪の判断ミスというより、教師の知識のなさを感じました。
子供達を連れて川の土手方向に逃げていたという報道がありましたが、いつも防災に気にかけていたら、そんなことはしませんよね。
そんな判断をし行動したことに、信じられないと思いました。
津波警報や注意報が出るたびに、報道は川は危険だ、川では津波のスピードが速くなり、大きくなると、何度も聞いいます。
日頃から防災意識の強かった学校は、中学生が自ら判断し近くの小学生を連れて山に逃げてほとんど助かったというのもありました。
小学生が山に逃げようと言ったのは、日頃から親の話を聞いていたからでしょうね。
その反面、他所から来た教師には、そんな言い伝えは聞いていなかったのかもしれませんね。
また、誰かが教育委員会が指示してくれるの待っていたのかもしれませんね。
自らが考え、情報を知り、子供達のことをちゃんと見ていたら、どこぞのだれかの判断に頼ることなく、自分で判断し、行動ができたのではないでしょうか。
個々の教師独自の判断力の欠如は、いじめや体罰と同じで、みなに流されているだけですね。大人の犠牲になるのは、いつも子供のようですね。

投稿: やんじ | 2013年2月19日 (火) 13時16分

いつもいろんな問題を投げかけてくださってありがとうございます。
あの津波のニュースを見た時のショックと悲しさが甦ります。
いつも最善を尽くせる心構えを持っていたいと思いました。

投稿: K HOUSE | 2013年2月19日 (火) 20時19分

やんじさま
子どもの中には、地震が来たら、川に逃げてはいけない、津波が川を上って来ると、あの地震の前日にもそうノートに書いていた子もいるのですね。本によると、教師がいない方が子どもの命は助かったと言った人もいます。今必要なのは、嘘偽りなく、きちんと検証すること、そしてそれを今後の教訓にすることと思います。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2013年2月27日 (水) 08時32分

K HOUSEさま
ありがとうございます。ネットには、テレビで放映した以上のものすごい津波が沢山アップされています。ほんとうに震えあがります。他人事と思わず、私たち自身の教訓としたいと思います。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2013年2月27日 (水) 08時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: あのとき、大川小学校で何が起きたのか:

« 南三陸町の中学生たち。 | トップページ | 大川小学校について、もう少し。 »