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政治を見る⑦「騙された責任」

 原発を受け入れて来た自治体の長の中に、福島の事故の後、「自分たちは騙されていた」と、発言している方がいます。絶対に安全だと言われて、だから受け入れて来たのだと。でも、実際事故が起きてみると、町全部が消えるほどのとんでもない事態になってしまったと。

 そもそも、受け入れの自治体にどのようにお金がばらまかれて来たか、NHKスペシャルで、とても見応えのある番組を放映しています。ここに その番組が全て動画で案内されています。それはそれは、具体的で丁寧な取材をしています。

 原発三法交付金、電力会社からの寄付、核燃料税などにより、爆大なお金がまかれていること。しかし、そのお金をもっとも沢山もらった柏崎市が実は、その交付金をもらい沢山の箱ものを建てたがゆえに、その維持費がかさんで、累積赤字は年間の予算を上回るほどになっていると。

 ちなみに、このご案内したブログ、「原発・放射能から子供を守る会・塩谷」には、そのNHKスペシャルの前に、例の斑目春樹氏の「最後は結局お金でしょ?」のインタビューが長くアッ゜プされています。結局はお金でしょ?という部分が目立って広まっていますが、実はこの中には、原発というのは、やってみないとわからないことがたくさんあるという怖い発言もされています。

 佐高さんと小出さんの本からです。この中に、「騙された責任」がかなりのページ、語られています。

佐高 いつも講演の中で言うのですが、騙されていたと思っている側の人間には、根っこのところに「自分は騙されるほどいい人だ」という思い込みがある。

小出 もちろん、騙した奴はもっと悪いですけれども。

佐高 それは大前提としてあります。が、やはり騙される人も悪い。しかしそう言うと、善男善女は必ず反発する。

小出 騙されることは悪いことですよ、やはり。騙されて被害を受けるのが自分だけならいい。しかし実際には、周囲にまで大きな影響を与えるのですから。

佐高 戦争の時も同じです。自分は騙されていただけの無垢な人間だから、責任を感じる必要はない。自分は白い手だとみんなが思おうとした。

小出 それは自己欺瞞でしょう。

佐高 反省しなかった結果、日本人はまた同じ過ちを繰り返してしまった。戦争と原発事故は、構造が全く同じなんです。』

 そして、映画監督の伊丹万作氏の長い文章が引用されています。昭和21年8月に書かれた「戦争責任者の問題」という文章です。私は、この本を読んで、いろいろと問題点が整理されたり、新しいことが分かったり、大きな感動がありました。でも、なんといっても、この伊丹万作氏の文章を読んだこと、これが一番意味がありました。

 私が、たとえば戦争責任と被爆者の問題、特攻隊としてゼロ戦や回天に乗った若者の事などを考えた時、なぜこうして騙されてしまったのか、教育の力とは、多くの若い国民の命を失うほど、それほど大きいものなのかといつも疑問に思っていたことを解決してくれました。

 騙された人が一人もいなければ、騙した人はいなくなり、戦争も起こらなかったということが、丁寧に述べられています。騙された人は、次の人を騙していく、その繰り返しであったと。騙した人、騙された人と容易に二分されるものではないと言っています。

『「騙されていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対し、暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

 「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるであろう。いや、現在でもすでに別のウソによってだまされ始めているに違いないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追及ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味をほんとうに理解し、だまされるように脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。』

 戦争直後に書かれた文章が、今の原発をめぐる状況にそっくり当てはまります。

Dscn2023_1280x960 写真は、昨年の8月6日「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で小出裕章先生に講演して戴いている所です。今写っているスライドは、今回の福島の原発事故を日本政府がIAEA閣僚会議に報告したもの。空中に放出されたセシウム137は、ヒロシマの原発168発分(ベクレル)であったということです。日本政府がそう認め、報告しているのですが、そんなことはほとんどの国民に知らされていません。
 今回で、この「原発と日本人―自分を売らない思想」の本については終わります。が、「政治を見る」は、もう少し続けたいと思います。

 今日14日は、共通のお題でブログを書く、緩和ケア医の高橋先生の出題「感謝」の日なのですが、行きがかり上どうしても今日、そのお題で書くことができませんでした。私は、明日、そのお題で書かせていただきます。一日の遅刻ですが、お許し下さいませ。そのあとでまた政治に戻ります。

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コメント

騙されたのでなく、損得だけで判断した結果だと思います。
自分たちで勉強もせず、誰かの言いなりになっていれば得をする。
得さえあればいいという、安易な考えですね。
そして、自分たちが損をすれば「騙された」と言えばいい。
それは責任転嫁です。
原発を立地して、得した人達は、騙された被害者でなく、得を得た時点で加害者だと思います。

投稿: やんじ | 2013年1月16日 (水) 15時15分

佐高さんが言っている、「騙されていたと思っている側の人間には、根っこのところに「自分は騙されるほどいい人だ」という思い込みがある。」というところが分りません。本当は佐高さんに聞くべきなのでしょうが、河野先生は分かっていらっしゃるようですので、伺います。

「騙されて悔しい」とか「騙された私が馬鹿だった」という言葉は何人もの人から聞いたことがありますが、「騙されたから自分は良い人間だ」という言葉は聞いたことがありません。

どんな人が、「自分は騙されるほどいい人だ」と思い込んでいるのでしょうか。具体的にそんな人がいるのでしたら教えて下さい。

騙された人が悪いとなると、例えば、振り込め詐欺に引っかかった人も、騙されるほどいい人だと思い、また、騙された人間として「悪い」ことになるのでしょうか。

もう少し広く考えて、加害者と被害者という対立の中で、レイプやいじめの被害者には、何が何でも被害者に悪いことはない、という点を伝えて、「blaming the victim」というアンフェアな考え方を一掃するための努力がなされてきたのではないでしょうか。

それと、これとでは本質的なところが違うのかもしれませんが、違いはあるのでしょうか。あるとしたらどこが違うのでしょうか。

「二度と騙されない」ように勉強したり行動したりすることは大切だと思いますし、その点については皆さんのご意見の通りなのですが、そのことと、騙されたことを良いか悪いかという二律背反の枠組みの中でどちらかに決めなくてはならないという考え方とは少し、問題がずれているような気もします。でも、とにかく出発点が分りませんので、教えてください。

お忙しい先生に長いコメントになってしまい申し訳ありません。

ブログ上でのやり取りでは、時間もスペースも大掛かりになるようでしたら、プライベートにメール等で御教示頂くことでも構いません。(ブログ上で教えて頂ける場合、この最後のところは削除して載せてください。)

投稿: 騙されて悔しい | 2013年1月16日 (水) 21時22分

やんじさま
原発について、それでも、まだ騙されたと気づいて、それ以上の協力はしないように改める人は、まだいいのです。騙されていても、それでもまだ早く再稼働をしてくれという自治体の長などを見ると、どうなっているの?と思ってしまいます。やはり金がすべてなのでしょうか。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2013年1月20日 (日) 13時52分

騙されて悔しいさま
悔しいとは、何か騙されたのでしょうか?
私は、特に佐高さんの言葉に違和感は持ちませんでした。基本的に、レイプでの被害と、原発の問題とを同列に考えられません。それに、佐高さんの言葉は、おっしゃるように、「騙されたことを良いか悪いかという二律背反の枠組みの中でどちらかに決めなくてはならないという考え方」とは違うのではありませんか。佐高さんは「必ず反発する」と言ってますが、その続きを読めば、とても素直に受け止めることができると思います。流れで読むことだと思います。私は、長い論争をしようとは思いませんので・・・。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2013年1月20日 (日) 13時59分

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