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ヒロシマ・アキバ塾から 「平和宣言」②

 昨夜は、ナナパパ主催の偽レブの会。はじまりが20時30分と遅くはありましたが、私は初めて二次会なんぞに行って、カラオケ三昧。本当に楽しく過ごしました。

 帰りは午前二時半。タクシーの中で携帯がピカッとしているのに気付いてみると、何回もズラッと夫からの電話があったと知らせています。あわてて電話をすると、無事なんだね、と。自転車で帰るのに事故にでも巻き込まれたのではないかと、それは心配というか、不安だったようで・・・。恐縮してしまいました。こんなに遅くまで帰らなかったのは、何十年ぶりかなので。途中、連絡を入れるのもすっかり忘れてしまっていました。ゴメンナサイです。

 時間も忘れるほど楽しいイベントを、皆様、とりわけナナパパ、ナナママ、本当にありがとうございました。

 それでは、本題に戻ります。平和宣言です。

 1947に始まった広島市長の平和宣言。

1955年  初めて被爆者の惨状を伝えることができました。
   (1954年第五福竜丸事件が勃発し、杉並区の主婦を初めとして原水爆禁止の声の高まりがありました。1955年に第一回原水爆禁止世界大会が開かれ、56年5月広島県被団協、8月日本被団協が発足しています)

1965年  ベトナム戦争についてふれています。
1971年  平和教育の必要性についてふれています。
1979年  飢餓・貧困について。
1981年  非核三原則について。
1983年  世界平和都市の連帯について。
1985年  平和市長会議第一回総会が開かれたこと。
1986年  チェルノブイリ、人権、国連、軍縮など。
1990年  外国人被爆者について。

1982年、時の荒木武市長による平和宣言を転載します。(難しい漢字が使われていました。)

    平和宣言

燈燈無盡ーーヒロシマの心は、すべての人々に受け継がれ、語り継がれなければならない。

広島のあの日の惨禍は、人類絶滅の不気味な暗雲の到来を告げるものであった。その危機を身を以て体験したヒロシマは、核兵器の廃絶と全面軍縮を世界に訴え続けてきた。

しかし、米・ソを始めとする国家間の対立は牢固として解き難く、核兵器はますます量的拡大と質的高度化の一途を辿り、限定核戦争や先制核攻撃論が台頭し、人類は今、まさに、核戦争の危機に陥ろうとしている。

軍縮と安全保障問題に関する独立委員会のパルメ委員長やペルティーニ・イタリア大統領は、いずれも、ここ広島の地で、原爆被害の過酷さに慄然とし、核戦争に勝者も敗者もあり得ない、と深い憂慮の意を表明した。

今こそ各国政府は、世界各地で澎湃として高まっている核兵器廃絶への熱望を真摯に受け止め、一刻も早く軍縮を促進し、平和への道を急ぐべきときである。
この時開催された第2回国連軍縮特別総会は、遺憾ながら国家間の不信を克服しえず、「包括的軍縮計画」の合意には至らなかった。
しかし、核戦争の防止と核軍縮が最優先課題であるとの第1回軍縮特別総会の決議を再確認するとともに、新たに、軍縮への世論形成を目的とする「世界軍縮キャンペーン」の実施に合意し、さらに、日本政府が提案した広島・長崎への軍縮特別研究員派遣を採択した。
広島市長は、今回の特別総会でヒロシマを証言し、ヒロシマの悲願を訴えた。
今、重ねてここに訴える。
核実験を即時全面的に禁止し、あらゆる核兵器を凍結して、これを廃棄するよう強く求める。
また、ヒロシマと心を同じくする世界の都市が、互いに連帯することを呼びかける。
さらに、核保有国の元首をはじめ各国首脳が広島を訪れ、被爆の実態を確かめること、広島で軍縮のための首脳会議を開催すること、また、広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を設けることを提唱する。
ヒロシマは、単なる歴史の証人ではない。
ヒロシマは、人類の未来への限りない警鐘である。
人類がヒロシマを忘れるとき、再び過ちを犯し、人類の歴史が終焉することは明らかである。
本日、被爆37年を迎え、犠牲となられた人々を弔うに当たり、今なお、肉体的・精神的に苦しみ続ける原爆被爆者及び遺族への援護が、国家補償の精神に基づいて充実・強化されるよう、わが国政府に求めるとともに、ヒロシマは平和の燈火を絶やすことなく、世界に平和を訴え続けていくことを固く誓うものである。

  1982年(昭和57年)8月6日

              広島市長  荒木武

Dscn3480_1280x960 この冒頭の「燈燈無盡」というのは、ろうそくのような小さな燈が細々とでも、絶えることなく、ずっと続いて行くさまなのだと秋葉さんが教えて下さいました。私は、「澎湃」という漢字が読めませんでした。(私の夫によると、当時荒木市長は、高橋昭博さんと、広島大学の国文学の小林教授と共にこの平和宣言を作っていて、この難しい漢字は小林教授の文章なのだそうです)

この項、まだ続きます。平岡市長の平和宣言、秋葉市長の平和宣言の裏話、それから子供による「平和への誓い」など、お伝えしたいことはたくさんあります。


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ぜひ、覗いてみてください。

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コメント

昨日は遅くまでお疲れ様でした。
先生の素敵な歌声を聞かせていただいて、得した気分でした。ありがとうございました。
それにしても旦那様、さぞ心配されていたんでしょうね。愛されているんですね、素敵!

投稿: チェリー | 2012年12月 2日 (日) 22時43分

河野先生お心遣いいただきありがとうございます。
お会いできてとてもうれしかったです。
福島の女性がこられたときのTV番組で、結婚にまつわる話をされていたときの
「惚れてたってことでしょうよ。」
の言葉を思い出しています。
娘にも聞かせたいお話ですもの。
ご主人にホンと愛されているのですね。
広島がとっても近くなりました(^^)

投稿: ペア | 2012年12月 3日 (月) 08時39分

「人類がヒロシマを忘れるとき、再び過ちを犯し、人類の歴史が終焉することは明らかである。」
この人類が日本人で、それも国を導く政治家なんですからね。
平和式典には、自民党の首相が沢山来ていますが、何をしに、何を見て、何を感じたのか。

投稿: やんじ | 2012年12月 3日 (月) 15時29分

子供の頃船越は「安芸郡」だったため、私にとっては「市長」は「荒木武」さんなんですね。
お顔がソックリなお兄さんが近所に住んでいらしたし、「市長」=「荒木さん」です。
あ、当然、最近は「市長」=「秋葉さん」をイメージしますよ。

山田さんは民社党でしたよね。なんか「山田」「荒木」「平岡」「秋葉」と
保守の人さえ、非自民で平和都市広島の良識を示していたような気がします。
滅多にしない政治的発言をしてしまったw

投稿: ⑦パパ | 2012年12月 4日 (火) 12時14分

チェリーさま
タノシカッタ!!ですね。⑦パパさまはじめ皆様のおかげです。私の歌、ただ恥ずかしいばかりです。それよりも、チェリーさんのさすが音程のしっかりした美しい歌声にうっとりしましたよ。またご一緒したいですね。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2012年12月 7日 (金) 08時20分

ペアさま
遠くから、本当にご苦労さまでした。ペアさまの梨、大好評でしたね。当たった方がうらやましかったですよ、みんな。梨のおかげで、一段と座がもりあがりましたね。お帰りは大丈夫でしたか。またお会いできますように。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2012年12月 7日 (金) 08時23分

やんじさま
ええ、平和宣言は広島市長の義務なのですね。ヒロシマの願いを世界に発信すること。でも、式典に来ている政界の偉い人たちは、耳を通り抜けて行くだけなのでしょう。やんじさんのブログ、とってもいいですね。心して読んでいます。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2012年12月 7日 (金) 08時26分

⑦パパさま
そうそう、山田さんもいらっさしゃいましたね。荒木さんは植木市長とよばれましたが、その緑は、今、広島市の景観を潤している、貴重なものになっています。お顔がそっくりなお兄様がいらっしたのですか!?知らなかった!政治的?なコメントありがとうございます。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2012年12月 7日 (金) 08時31分

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