ヒロシマ・アキバ塾から「平和宣言」①
11月29日のヒロシマ・アキバ塾。これまでの平和宣言についてでした。秋葉さんは、平和宣言や子どもの「平和への誓い」の14枚もの資料を持ってきてくださいました。資料代もお渡ししていないのに、恐縮です。
講座は、過去の平和宣言をかわるがわる読みながら、さまざまな質問、クイズを取り入れながら、行われました。
まず、最初の平和宣言は、1947年。初めての公選市長である浜井信三さんによるものです。まだまだGHQによるプレスコードで、原爆の被害について公に話すことが固く禁じられていた時代。その厳しいチェックの中で、工夫を凝らして書かれています。今の平和公園にまだバラックが立ち並び、人々が懸命に生きていたころ。そこに幕が張られて「平和際」が行われました。
その前年には「平和復興祭」がおこなわれましたが、今の平和祈念式典の原型となる式典がおこなわれたのは、1947年です。
1948年、49年と行われましたが、1950年には、朝鮮戦争が勃発し、日本全土が戒厳令下に置かれて、式典が中止とされています。1951年には再開されましたが、それは平和宣言ではなく、「市長あいさつ」として行われました。原爆の被害について具体的に話すことができたのは、1955年、被爆から10年経ってからのことです。
厳しいチェックの中で行われた1947年の初めての広島市長による平和宣言をここに転載しますね。
平和宣言
本日、歴史的な原子爆弾投下2周年の記念日を迎え、われら広島市民は、いまこの場に於いて厳粛に平和際の式典をあげ、われら市民の熱烈なる平和愛好の信念をひれきし、もって平和確立への決意を新たにしようと思う。
昭和20年8月6日は広島市民にとりまことに忘れることのできない日であった。この朝投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして壊滅に帰し、十数万の同朋はその尊き生命を失い、ヒロシマは暗黒の死の都と化した。しかしながらこれが戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く要因となったことは不幸中の幸いであった。この意味に於いて8月6日は世界平和を招来せしめる機縁を作ったものとして世界人類に記憶されなければならない。われらがこの日を記念して無限の苦悩を抱きつつ厳粛な平和際を執行しようとするのはこのためである。けだし戦争の惨苦と罪悪をもっとも深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、もっとも平和を希求するものであるから。
又この恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。すなわちこれによって原子力をもって争う世界戦争は人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を世界の人々に明白に認識せしめたからである。これにこそ絶対平和の創造であり、新しい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない。われわれは、何か大事にあった場合深い反省と熟慮を加えることによって、ここから新しい真理と道を発見し、新しい生活を営むことを知っている。しかりとすれば今われわれが為すべきことは全身全霊をあげて平和への道を邁進し、もって新しい文明へのさきがけとなることでなければならない。
この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。
永遠に戦争を放棄して世界平和の理念を地上に建設しよう。
ここに平和の塔の下、われらはかくの如く平和を宣言する。
この項目、まだしばらく続きます。
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