ヒロシマ・アキバ塾から「平和宣言」⑦「平和への誓い」
昨夜診療後、歯医者さんで治療して戴きました。先週、突然一本の歯がバラバラと崩れてしまいました。これまでぽっきり折れたりしていた歯とは全然別の、思いもよらなかった一本です。きんかんを食べていて・・・。崩れた外側だけ壁の様に残りました。これが倒れると、外からの見栄えが完全に歯抜けになってしまうので、それをくずさないように、それは気を使いました。
以前から追っかけをしていた先生です。腕の確かさと、それに何より注射が痛くないというのが、40年以上追っかけをしている理由です。その先生の所でこんなものが・・・。わあ、何ですか、それは!!と思わず尋ねて写真を取らせてもらいました。電動の注射器だと。これで、一定量の薬液が細い針先から出てくるので、効き目も早いのだと。フウン!と感心してみていましたが、こんなもの、どこでも使っているよ、と言われました。私は知りませんでした。
まだ生きていた神経を取って、残っていた壁に内側から埋めて倒れないようにしていただいて、一安心です。年内にもう二回行って、治療中の歯もすべて終了する予定です。ありがたいことです。歯だけは大切にしなさいよ、とこれは歯で苦労していた母から言われて来たことだし、私が子どもたちに言い続けていることでもあります。
平和宣言については、私がこのブログでは語りつくせないほど、秋葉さんに沢山のことを講義していただきました。私がお伝えできるのは、ほんの一部です。
最後に子どもによる「平和への誓い」について。これは、以前は教育委員会の方たちの指導などもあったようですが、今では完全に子どもたち自身で作るようになっていると。広島中の6年生が作文を書き、そのなかから10~20人が集まり、ディスカッションをし、みんなで書き上げ、さらにその中から実際式典で読む二人が決まっていくと。私は、その陰には先生方のたゆまぬ平和教育があるということを知っています。
秋葉さんは、式典のその場で初めて子どもたちによる誓いを聞いて「こんな立派な宣言を子どもたちがするのなら、平和宣言なんていらないのではないか」とすら思ったと言われました。
戴いた資料全部を載せたいくらいなのですが・・。秋葉さんが初めて式典の会場で聞いて感動したという、その年のを転載しますね。
平和への誓い
今、私たちが目にする広島は、豊かな緑や花に囲まれ、清らかな川が流れる美しい街です。
54年前のあの日、青い空を巨大なきのこ雲が覆い、灼熱の炎は木も花も焼き尽くし、人々の尊い命や幸せを奪いました。苦しみの中で水を求めて命つきた人々。父を思い、母を思い泣き叫ぶ子どもたち。街は廃墟と化しました。
その悲しみの中から人々は、復興への夢と希望を持ち、平和への強い願いとともに立ち上がり、この美しい街を築き上げてこられました。
私たちは、祈るような目で語られるおじいさんやおばあさんの話や、平和記念資料館の見学などから多くのことを学びました。そして、人々が平和で穏やかな暮らしができるようにするために、何をすればよいか考えました。
世界には今なお紛争が繰り返され環境破壊も進み、飢餓に苦しみ、傷つき幼い命を失っていくたくさんの子供たちがいます。また、私たちの身近にも、暴力をふるったり、友達をいじめ心を傷つけたりする人がいます。
私たちが今できること。それは、もっと平和について学び、よく話し合い互いに認め合うこと。友達への優しさをもち、小さな一歩でも正しいことを実行する勇気をもつこと。そして、戦争や核兵器の恐ろしさを忘れず、平和の大切さを世界の友達に伝えること。それが、この街に生まれ育った子どもとしての責任だと思います。
青く輝く私たちの地球。この地球に本当の平和が訪れたとき、宇宙の中で最も美しい星として誇りをもつことができるのです。私たちは、ヒロシマの人々の心を学び、語り継ぎ、一人一人が輝き豊かに生きる社会を造る、世界の友達とともに努力することを誓います。
こども代表
広島市立本川小学校6年 新谷仁美
広島市立矢野南小学校6年 住吉竜典
最後にもう一回だけ、私が今年の性教協の全国大会で発表した「性教育と平和教育・人権教育の連携」で皆さんに発表した「平和への誓い」をお話ししたいと思います。
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