中沢啓治さん、続き。
昨日、さまざまなメディアで、中沢啓治さんの死を取り上げていました。それら、テレビを見、新聞を読んで、また悲しくなっています。
そして、私は、やっぱり昨日のブログに書き足りないので、ここにもう一度言います。ここに NHKのニュースがあります。動画もついています。
『中沢さんは、被爆体験を思い出したくないとして、8月6日の平和記念式典には出席してきませんでしたが、去年、初めて「原爆への怒りと戦争への反省を次の世代に伝えたい」として出席しました。』と、これが全国ニュースでも地方ニュースでも、昼も夜も何回も読まれた原稿です。
おそらく、この原稿は「はだしのゲン」など読んだことのない人が書いたのでしょう。それを通した上司も。知らないにもほどがある、と思いました。中沢さんほど、原爆のこわさ、悲惨さを後世に伝えるべく尽力した人はいないのではないでしょうか。これは誤報と言ってもいいほどではないかと怒っています。
中沢啓治さんご夫妻とは、よく食事をご一緒させていただきました。これまでお会いする度に、ぽつぽつと話してくださったことのすべてが、この度出版された「わたしの遺書」に載っています。その意味で、中沢さんは亡くなる直前に、また大きな事をなさったなあと思うのです。
この度、中沢さんがお葬式もすることなく、すべて済むまでその死を公表されなかった、その訳が、中沢さんがその本に書かれています。少し引用させて戴きます。
『 ぼくは、三十代のころから、自分が死んだら、火葬にして、骨は瀬戸内海に散骨してほしい、葬式もお別れ会もするなと家族に伝えてあります。
ぼくの座右の銘は、「一寸先は、闇」。いつか原爆の症状が出るんじゃないかという不安から、死と背中合わせの生きてきたので、徹底した現実主義者になりました。
ぼくは、原爆地獄の中で、あまりにもたくさんの死体を見過ぎてきました。だから、人間というのは、死ねば、ああいう死体になって、骨が残るだけ、なんとむなしいものだろうという、しらっと開き直ったような無常感みたいなものが、強烈にあるのです。
六歳であの地獄を見ればねえ、人間がどうなるかってわかるわけです。
非常に冷めたものの見方をするませたガキになりました。冷やかに物を見る、そんな死生観が身につきました。
自分が死んだら、ああいう姿になるのだということが、想像つくわけです。それが絶えずちらつくんですね。焼けこげたいろんな死体が浮かんでくるんです。
虚飾の世界がみんなはげ落ちてね。
人間、あれでおしまいなのです。
だから、もう達観してしまって、「わしもみんなのところに行くから席をあけて待っていてくれ」という気持ちだけで、葬式や墓参りといったことは一切いらないと思うようになりました。ですから、おふくろやおやじたちの墓参りにも行ったことがありません。
先祖もくそもない。あの一瞬にして焼き尽くされた広島を知っているから、しょせん人間はこんなものよ、そんな感覚があります。
ぼくは、きんきらきんの仏壇も嫌いで、死者を悼むんだったら、何も金箔でぎんぎらぎんにしなくても、各自が静かに心の中で悼めばいいと思っています。
この度、中沢さんがお葬式もすることなく、すべて済むまでその死を公表されなかった、その訳が、中沢さんがその本に書かれています。少し引用させて戴きます。
『 ぼくは、三十代のころから、自分が死んだら、火葬にして、骨は瀬戸内海に散骨してほしい、葬式もお別れ会もするなと家族に伝えてあります。
ぼくの座右の銘は、「一寸先は、闇」。いつか原爆の症状が出るんじゃないかという不安から、死と背中合わせの生きてきたので、徹底した現実主義者になりました。
ぼくは、原爆地獄の中で、あまりにもたくさんの死体を見過ぎてきました。だから、人間というのは、死ねば、ああいう死体になって、骨が残るだけ、なんとむなしいものだろうという、しらっと開き直ったような無常感みたいなものが、強烈にあるのです。
六歳であの地獄を見ればねえ、人間がどうなるかってわかるわけです。
非常に冷めたものの見方をするませたガキになりました。冷やかに物を見る、そんな死生観が身につきました。
自分が死んだら、ああいう姿になるのだということが、想像つくわけです。それが絶えずちらつくんですね。焼けこげたいろんな死体が浮かんでくるんです。
虚飾の世界がみんなはげ落ちてね。
人間、あれでおしまいなのです。
だから、もう達観してしまって、「わしもみんなのところに行くから席をあけて待っていてくれ」という気持ちだけで、葬式や墓参りといったことは一切いらないと思うようになりました。ですから、おふくろやおやじたちの墓参りにも行ったことがありません。
先祖もくそもない。あの一瞬にして焼き尽くされた広島を知っているから、しょせん人間はこんなものよ、そんな感覚があります。
ぼくは、きんきらきんの仏壇も嫌いで、死者を悼むんだったら、何も金箔でぎんぎらぎんにしなくても、各自が静かに心の中で悼めばいいと思っています。
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コメント
私は、「はだしのゲン」をまだ読んだことはありません。中沢さんのこともよく知らないのですが、その私でさえ、NHKのテレビニュースの先生がご指摘のところで「?」と違和感を覚えました。原爆のことを思い出したくない人が原爆のことをテーマにした漫画を描くのだろうか?と。
投稿: 想 | 2012年12月27日 (木) 09時32分
小学校の図書室にある『はだしのゲン』は
ぼろぼろです。
新しいのを入れても入れても
すぐぼろぼろになります。
大勢の子どもたちが
中沢さんの想いを受け取っている証だと思います。
受け取った想いを
どうか語り継いでいく子どもたちであってほしいと思います。
中沢さん,生き残ってくださって
『はだしのゲン』を描いてくださって
本当にありがとうございました。
投稿: Hoch | 2012年12月27日 (木) 17時07分
想さま
ねえ、変ですよね。絶対おかしい。こんなステレオタイプ的な報道をするなんて、この手のことは日常茶飯事なではないかと疑ってかからなければなりませんね。今年一念、本当にたくさんのコメントありがとうござまいした。感謝しています。どうぞ、お元気でいいお年をお迎えくださいませ。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2012年12月31日 (月) 10時32分
Hochさま
そうなのですね。私のクリニックにおいているのも、ボロボロで。中沢さんが新しいのをプレゼントして下さいました。多くの人の心をつかむのは、やはりゲンすなわち中沢さんのまっすぐな感性だと思います。これからも世界中の沢山の人に読まれますように。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2012年12月31日 (月) 10時34分