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ヒロシマ・アキバ塾から 「平和宣言」⑥

 昨夜、無事広島に帰ってきました。

Dscn3593_1280x960 Dscn3597_1280x960講演の後に行ったレオマワールド。大分前に閉園したと思っていたのですが、この方のこのブログ を見て、また開園したことを知りました。

 それに、いいろと変遷した様ですが、今の経営者は「大江戸温泉物語」だと。それなら、きっと温泉が充実しているはず。東京の大江戸温泉物語には何回も行っています。レオマワールドで遊ぶ時間はとてもないけれど、お風呂だけならと行ったのです。お風呂だけでも大満足。いつか、しっかり時間を取ってゆっくり行きたい所です。

 さて、昨日お休みしていた「平和宣言」に戻ります。秋葉さんが市長になってはじめての平和宣言。転載しますね。

   

戦争の世紀だった20世紀は、悪魔の武器、核兵器を生み、私たち人類はいまだにその呪縛(じゅばく)から逃れることができません。しかしながら広島・長崎への原爆投下後54年間、私たちは、原爆によって非業の死を遂げられた数十万の皆さんに、そしてすべての戦争の犠牲者に思いを馳(は)せながら、核兵器を廃絶するために闘ってきました。

この闘いの先頭を切ったのは多くの被爆者であり、また自らを被爆者の魂と重ね合わせて生きてきた人々でした。なかんずく、多くの被爆者が世界のために残した足跡を顧みるとき、私たちは感謝の気持ちを表さずにはいられません。

大きな足跡は三つあります。

一つ目は、原爆のもたらした地獄の惨苦や絶望を乗り越えて、人間であり続けた事実です。若い世代の皆さんには、高齢の被爆者の多くが、被爆時には皆さんと同じ年頃だったことを心に留めていただきたいのです。家族も学校も街も一瞬にして消え去り、死屍累々(ししるいるい)たる瓦礫(がれき)の中、生死の間(はざま)をさまよい、死を選んだとしてもだれにも非難できないような状況下にあって、それでも生を選び人間であり続けた意思と勇気を、共に胸に刻みたいと思います。

二つ目は、核兵器の使用を阻止したことです。紛争や戦争の度に、核兵器を使うべしという声が必ず起こります。コソボでもそうでした。しかし、自らの体験を世界に伝え、核兵器の使用が人類の破滅と同義であり、究極の悪であることを訴え続け、二度と過ちを繰り返さぬと誓った被爆者たちの意思の力によって、これまでの間、人類は三度目の愚行を犯さなかったのです。だからこそ私たちの、そして若い世代の皆さんの未来への可能性が残されたのです。

三つ目は、原爆死没者慰霊碑に刻まれ日本国憲法に凝縮された「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことです。復讐(ふくしゅう)や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、国家としての日本の過ちのみならず、戦争の過ちを一身に背負って未来を見据え、人類全体の公正と信義に依拠する道を選んだのです。今年5月に開かれたハーグの平和会議で世界の平和を愛する人々が高らかに宣言したように、この考え方こそ21世紀、人類の進むべき道を指し示しています。その趣旨を憲法や法律の形で具現化したすべての国々そして人々に、私たちは心から拍手を送ります。

核兵器を廃絶するために何より大切なのは、被爆者の持ち続けた意思に倣って私たちも、「核兵器を廃絶する」強い意思を持つことです。全世界がこの意思を持てば、いや核保有国の指導者たちだけでもこの意思を持てば、明日にでも核兵器は廃絶できるからです。

強い意思は真実から生まれます。核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪だという事実です。

意思さえあれば、必ず道は開けます。意思さえあれば、どの道を選んでも核兵器の廃絶に到達できます。逆に、どんなに広い道があっても、一歩を踏み出す意思がなければ、目的地には到達できないのです。特に、若い世代の皆さんにその意思を持ってもらいたいのです。

私たちは改めて日本国政府が、被爆者の果たしてきた役割を正当に評価し援護策を更に充実することを求めます。その上で、すべての施策に優先して核兵器廃絶のための強い意思を持つことを求めます。日本国政府は憲法の前文に則(のっと)って世界各国政府を説得し、世界的な核兵器廃絶への意思を形成しなくてはなりません。地球の未来のために、私たちが人間として果たさなくてはならない最も重要な責務が核兵器廃絶であることをここに宣言し、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。

平成11年(1999年)8月6日

 広島市長  秋   

この平和宣言について気づいたことをみんなで話しました。西暦と元号の書き方のこれまでとの違いとか。ですます調になっているとか。いろいろとその理由は聞いたのですが。何よりも私がびっくりしたこと。
それは、この宣言の中にある被爆者が果たした三つの役割について。これを聞いて被爆者が泣いたという話は他から聞いています。

この三つは、1995年、秋葉さんが衆議院議員の時。ノーベル平和賞の受賞者に長崎の本島市長と広島市の平岡市長を推薦し、その推薦理由に書いたことだったと言うことでした。秋葉さんが、これまで被団協を平和賞に推薦し続けてきたということは聞いていましたが、平岡さんの推薦をしたということは、初めて聞きました。自分がいろいろとして来たことは、本当に話さない、自分の宣伝をすることはしないというか、つくづく下手だと思いました。

この項、もう少し、子どもの「平和への誓い」について講義されたことを話しますね。どうぞ、お付き合いくださいませ。


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ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

 

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コメント

1999年の平和宣言には本当に感動しました。被爆者は特にアメリカで英語に訳される時、survivor(生存者、生き残り)と訳されますが、何のために生き残ったのか、生を選んだのか、生かされたのか、その意味、意義、価値をあれほど明確に示した平和宣言はありませんでした。

投稿: 工場長 | 2012年12月 7日 (金) 08時52分

丸亀の講演お疲れ様でした。
昨日のブログで「講演の練習」をちゃんとされていることにあらためて感心いたしました。

投稿: 想 | 2012年12月 7日 (金) 11時28分

工場長さま
本当にそうですね。今読み返しても、胸が熱くなります。維新の会のあの人も、これを読んでもらいたいですね。コメントありがとうございます。私羽返事が遅くてすみません。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2012年12月13日 (木) 09時34分

想さま
ありがとうございます。いつも生徒に話す時には、すっかり頭に入っていて、時間の計算もできるですが、そこ特有のテーマで話す時には、時間配分などを計算するためにも、練習が必要になります。せっかく時間を割いて来て戴くのですから、多くの者を持って帰って戴きたいものですから。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2012年12月13日 (木) 09時37分

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