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私は赦していません。

 10月17日に書いた私のブログ、「田」という字の漢字の書き順なのだけれど、実際はその書き順を巡って小さな私と当時の担任の教師とのことを書いたものです。

 そのブログについて、ここに銀蔵さんが自身のブログ、「ドアを開けろ」に「赦すといふこと」として書かれています。

 それを読んで、ずっとずっと考えてきました。銀蔵さんは、幼いころ、ご自身が教師から靴で殴られるというひどいいじめを初めとして、とってもつらい幼少時代を送ってこられたこと、その壮絶な連載を読んで、私自身が被害にあったような、強烈な怒りを覚えたものです。

 その銀蔵さんが、もうその教師を赦そうと考えたと。

 銀蔵さんの思いを読んで以来、今日まで考えてきて、私は、自分はやっぱり私のその担任を許してはいないし、許す気持ちにもならないと、そう思うのです。

 小さな私が、胸一杯にふさがれて、人眼を逃れて陰で泣いていたこと。その姿を思い出すだけで、やっぱりまた涙が溢れそうになるのです。65才になった今でも。

 私は、その教師を今でも嫌いです。小学校一二年を担任してもらった後、早々に転勤なさったと思うのですが、以来一度も会っていないし、会いたいとも思いません。

 ただ言えることは、そのしんどさを抱えたことで「私は打たれ強くなった」ということです。これまで生きて来た事を目をつぶって思うと、しんどかったことが次々と連なります。あまりに苦しくて、お寺の門をたたいたこともありました。

 それでも、私がここまで生きてきたのは、「つらいこともじっと堪えていれば、そのうちその痛みは感じなくなる」というその処世術を身に着けたこと。その原点を小学校のうちに身につけたこと。それだけは教師に対して感謝していいのかもしれません。

 それでも、私はその教師を許そうとは思わないし、小さいころの心の痛みは、そうそう消える物ではありません。

 私は、今でも権力でもって弱い立場にいる人をいじめるのは嫌いです。医師という絶対的な力を持った者が病んだ人に対して、どこまでその痛みを共有することができるか、対等な立場で接することができるのか、それが私のテーマでもありました。そこに性教育に取り組んで来た原点もあります。

 幼かった中沢啓治さんが原爆でお父様や姉弟を亡くし、その後ひどくつらい生活を送ってこられた、その痛みが今も中沢さんの中に沸々と生き続けている、それを感じ取るし、一体どれだけけおつらかっただろうかと思うのですね。

 昨日、性教協の例会で、広島県の教育長がいじめについて緊急アピールをしたと、それを県内すべての生徒にくばったと知りました。ここにその緊急メッセージがあります。その一部。

「いじめられている人へ。

あなたは、決して一人ではありません。

つらい思いを一人で抱え込まないでください。

どんなことがあっても、自分の命を絶ってはいけません。

安心して先生やまわりの大人に相談して下さい。」

 それを読んで、またまた私はがっかりしてしまったのです。「安心して」。どうして安心してなんて言えるのでしょう。本当に安心して訴えることができるように、それをどう整えているのか、それを語ってあげないと。そもそも教師によるいじめはないのか、次々と明らかになる教師の不祥事や犯罪、それに対して、どう対処いるのか、それがないと、安心なんてできるはずがありません。

 あまりに表面的な上っ面だけを語った緊急アピール。情けなく思いました。

 銀蔵さん、ごめんなさい。せっかく銀蔵さんがそう考えてくれたのに、当の私は、こんな具合なのです。

 性教協での花田さんの発表については、またお話しします。またまた意欲的に取り組んでいて素晴らしいです。

フードフェスティバル、昨日お昼に小雨の中、自転車を飛ばして行きました。

Dscn3036_1280x960広島城会場での日韓親善協会のブース。李先生は、今日韓国語検定試験の試験監督がおありなのに、粉まみれになって一生懸命働いていらっしゃいました。

 私は、キムチチャーハンととっぼぎとチヂミを買って帰って、クリニックでお昼ご飯にしましたよ。しばらく韓国に行っていない私ですが、毎年の懐かしい味。堪能しました。今日も盛況でありますように。


「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

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コメント

先生、とてもつらい経験をなさったのですね。
確かに、教師はとても多くの影響を子どもたちに与えます。
だから、使命感に燃えてお仕事をされている先生もたくさんいます。
少数の不届きな教師のために、その他大勢の教師までもが叩かれてしまう時世に、少し心を痛めています。
子どもたちをはぐくんでいるすべての大人たちがしっかりしなくちゃですよね。

昨日、西宮市の徳永桂子先生の講座を受ける機会がありました。
改めて、性教育は子どもの自己肯定感を育むために必要なことであることを教えていただきました。

投稿: うさこ | 2012年10月28日 (日) 18時29分

今のように報道される時代ではなく、昔からあった隠れてあった問題ですよね・・・

先生もあの記事を書くのは辛かったことと、お気持ちお察しします。

過去に対するネガティブな思い出の消化は人其々と思います。

先生の場合は、許さないことで権力に対するアンチテーゼになるのですから、それはそれで間違いでもなんでもないと思いますよ!!

またゆっくりとお話しを聴かせて頂く機会を楽しみにしております!!

投稿: 銀蔵 | 2012年10月29日 (月) 19時58分

先生、私は、小学生の時、跳び箱が飛べませんでした。

運動神経が鈍いんです。母の遺伝です!

担任の教師は、クラス全員に「今から、○○に跳び箱を

飛ばしてみるから、何故飛べないか意見を言いなさい」と言いました。

みんなの前で私は何度も何度も飛ばされ泣きました。
クラスメートもまだ小学生なので、みんな特に意見も出ませんでした。

そしたら、教師は言いました。「あれは、思いっきりがないので飛べないんだ!」と・・・。

また、私は何の因果か、学級委員なるものに選ばれてしまいました。

ところが、私は、全くリーダーシップとか学級会で司会をやる能力がなく、ホント、困り果てて毎日を過ごしてました。出来るだけのことは私もやろうとしたのですが、性格的にそういう資質がないのです。

そして、個人懇談の時、担任教師は私の母に「お宅の子供さんは、リーダーシップが全くない、委員としての責任感も無い・・・。」と。
母は、そう言われたことを私に伝えるなり、こうも言いました。
「教室の戸は、全部開いてたのよ、次に順番で懇談をまってた○○さんや、○○さんにも全部、恥ずかしいことを聞かれたのよ。あんたのせいよ。」と言って泣きました。

娘をかばうでもなく、自分が恥をかいたことを嘆く母。
自分の指導法の未熟さを反省もせず、その生徒の特性も見抜けないのを棚にあげ、生徒をイジメた教師。

私は、どちらにもウンザリです。
50年以上経った今も、全く同じ気持ちです。

教師のことは許せません。

母の気持ちも、「見栄っ張りのあの母だから、辛かったのね・・・」とは思いますが、可愛そうなのは、あの小学生だった自分、毎日努力してもイジメられた自分、抱きしめてやりたいです。

以前の記事のコメントですいません。
河野先生の記事を読んでたら、どうしても書きたくなってしまいました。


投稿: みるく | 2012年10月30日 (火) 09時35分

母に一度尋ねたことがあります。

「担任の教師(若い男性教師、まったくイケメンではありませんでした・・・笑)は、何故○○さんには、優しいことを言うのに私には、そう言ってくれないの?」と。

母は、「それは、○○さんの方があなたより可愛いからよ!」
それを聞た時、私は、「悲しいのか、何なのかわからない」不思議な気持ちになりました。

今思うと、母はいつも「男性の上司は、ちょっと可愛くて若い子には、仕事でミスしてもかばうのに、私らにはキツイ!」と言ってました。

今となっては、母の悔しい気持ちもわかりますが
似た顔をしている我が子を可愛く思えないのは、母も子もつらいものです。

私も2人の娘がいます。
2人とも顔も性格も、夫や夫の家系にそっくりです。
助かりました・・・

何度も愚痴を書いてしまいました。
申し訳ありませんでした。
書かせていただけて、うれしかったです。
ありがとうございました。


投稿: みるく | 2012年10月30日 (火) 11時25分

なぜか、私のPCからは、10月17日の記事が最初の数行しか読めません。残念です。
今なら想像もできませんが、私も小1の時、担任が勉強のできない子や要領の悪い子が忘れ物をした時など、みんなで一発ずつたたきなさい!とたたかせていた事があって、とても嫌な思いをしました。とはいえ、自分の母と同じ年代の先生に異論を唱えることもできず、かと言って、母に告げ口もできず、気の毒だなあと悲しく思うだけでした。でも、その頃は、子ども間でのいじめはなかったんですよね。
私自身は、高校で担任から嫌な言動を受けましたが、今でも思い出しては、不愉快になりますし、人を見た目だけで評価する、ああいう人間にはなるまいと思っています。

投稿: かよ | 2012年11月 1日 (木) 09時37分

拝啓 河野先生

 このブログを読み、先生もいじめの体験をお持ちと知り、僕も綴らせていただきます。
 実を言うと僕もまたいじめに遭ってきた一人でした。そのきっかけが、転校。小学校2年に上がる時、そして中学2年になった時でした。容姿のこと、動作が鈍いこと、集団でうまくやっていけない。親はその当時余裕がなく、まして父は教員であるにもかかわらず、自分の殻に閉じこもりがちになった自分に、もっと外で遊べなどと言うばかり。さっぱり心に響いてきませんでした。文中のメッセージも、読んでいて骨のないスカスカな中身ですよね。中学のときは担任が無策というか無能を曝け出し、かえってことを悪くしてしまいました。
 それを食い止めたのは美術の先生。
 授業を丸一日止め、事件の追及をしたのです。そしてクラスにこう言い放ちました。「お前ら、37人しかいない同級生なんだからな!!」
 しかし、いじめの後遺症は続いています。小学校の時の記憶が時に甦ることがあり、いじめた同級生に殺意を感じることがあります。そのたびに精神的に不安定になったりします。僕のようにかつていじめに遭い、その傷を抱えたままに生きてきた人がこれほど多いとは正直思ってもみませんでした。周りもいじめがあって当たり前という風潮を黙って受けてきたでしょうが、今はそれも通用しません。
 いじめのエスカレートを止めるのは周りの子どもたちであり、大人でもあるのです。

投稿: 佐藤陽男 | 2012年11月 4日 (日) 21時09分

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