「英語ではだしの元を読む」講座終了。
昨日は、最後の「はだしのゲンを英語で読む」講座でした。初めて、この講座にはだしのゲンの作者、中沢啓治さん夫妻が来て下さいました。
一時この講座に加わって下さっていた県立大学のロンさんも、最後だからと駆けつけて下さり、みんないささか緊張し、気合いを入れて講座を行いました。
最後の13ページ。ここには、中沢さんがおっしゃりたいことが凝縮して書かれています。
ゲンがリュウタに言ったこと。
「お前は原爆がどんなに悲惨で恐ろしい物かを証言できる。大切な証人なんじゃ。」「何があってもへこたれるな。生きろよ。」
ゲンに絵を教えた画家の星雅が言ったこと。友達のむすびが死に、リュウタとカツコが東京に逃げて行き、一人残されて落ち込むゲンに、
「お前には若さという宝物がある。何にでも挑戦できる若さじゃ。」それを受けてゲンが「生きて生きて生き抜いてやる。」と、東京に出ていく決心をするところ。
そして、最後にまた父親の言った麦が出てきます。
「ゲン、霜柱を押しのけて冷たい冬に芽をふいた麦はのう、何回も何回も踏まれる・・・。踏まれた麦はたくましい根を大地にはって霜や風雪に耐え大きくまっすぐに伸び・・やがてゆたかな穂をみのらせるんじゃ・・・お前も麦のようになれ」
ゲンがヒロシマから出ていくところ、「さようなら広島の街、さようなら広島の山、さようなら広島の川、さようなら広島のみんな、さようならわしを育ててくれた広島の空よ、大地よ・・・。わしは自分の未来に挑戦するんじゃ。力いっぱいがんばるんじゃ。負けるもんか 負けてたまるか」
ここではつい胸が詰まってしまいました。大好きな父もお姉ちゃんも弟も、そして母も、友達たちも、大切な恋人も、みんな死んでしまった広島です。
英語で読み、広島べんに訳して読み、すべて終了した時。中沢さんは、「いやー、元が英語をしゃべったねえ。これからもどんどん世界に出て行ってもらいたいねえ。」とおっしゃいました。
そしてこれからの元、東京に出て行ったあとどうなるのか、自分が考えていた、その構想を話して下さいました。でも、中沢さんはそれを漫画にすることはできません。残念ですけど、「はだしの元」はここで終わりです。
私たちは、柏先生を中心にして、なめるように、丁寧に丁寧に元を読んで来ました。小学生のゆりえちゃんも最後まで頑張りました。そして、昨日、終えた後に涙を浮かべたゆりえちゃんが言ったこと。
「戦争は絶対ダメ。原爆も絶対にダメ。それを世界に向かって訴えられるような大人になりたいです。」にびっくりして、拍手でした。
最後に記念撮影です。ロンさんが今日の授業の準備があるため、急いで帰られて残念。それから、またまだたくさんの人が受講しましたが忙しくてこれなかった人も。昨日の出席者だけでの撮影です。
この講座を企画して下さった毎日文化センターの山口さん、大変な労力でこの講座の講師を務めて下さった柏先生、何よりこの「はだしの元」を書いて下さった中沢啓治さん、その中沢さんを支えてこられた奥様、みなさんに感謝します。
「はだしの元」は来年連載開始40年になります。これからももっともっと元が世界に羽ばたいて行きますように。
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コメント
私の息子は
「元」と書いて、「はじめ」と読みます。
学校では誰も「はじめ」と呼ばず、「ゲン」と呼ぶそうです。
名前が同じだと、妙に親しみを感じますね。
投稿: 宇品灯台 | 2012年10月24日 (水) 09時57分
先生、日常の業務お疲れ様です。
地名や駅名、読みにくかったりする事があったりと、なにかしらの発見があります。
毎日仕事に行く道すがらにある天理に向かう国道にあるバス停で「上長岡」という停留所がありました。「かみながおか」と読むんだろうと行ってみるとローマ字で「KAMINANKA」と書いてありました。
最近は学校なり職場なり問題になっている事件が出てますね。
ニュースを見ると、「自分なら何ができるのだろうか?」と考える機会(宿題)を与えられたように感じます。
投稿: NaraLove | 2012年10月24日 (水) 21時14分
宇品灯台さま
そうなのですか。素敵な名前の息子さん!!中沢さんのお孫さんも元くんなのだそうです。こちらはゲンと読むのだそうですが。いつも、宇品灯台様のコメント、平和大通りで読ませていただいています。いつも適切で素晴らしいコメント、ありがとうございます。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2012年10月29日 (月) 07時33分
Nara Loveさま
どう見ても、「かみなんか」なんて読めませんねえ。漢字は奥が深い!です。コメントありがとうございます。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2012年10月29日 (月) 07時36分