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父の写真と私の写真が同じところなのです。

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 ちょっとした必要があって父のアルバムを見ていました。この写真は、昭和23年となっています。この写真を何気なく見ていて、ああっと声が出ました。いそいで私のアルバムを出してみました。

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 私の小学校3年生か4年生の時の写真です。みんなで笑っています。見えにくいでしょうが、ここの右上方には、当時の担任の平川逸実先生が書かれた「松の子が笑っている/アッハッハ/松の子が笑っている/ウッフッフ/見れば楽しくなる/アッハッハ/ウフッフ」という字が見えます。私たちは、松組でした。この写真を撮る時のことは良く覚えています。写真を撮る音楽の阿部先生がとぼけた顔をして「あはははははは」と笑って見せたのです。それにつられるように、みんなが大笑いしました。

 でも、言いたいのはこんなことではありません。この二枚は同じところで撮られている、と今になって気づいたのです。後ろが同じなのです。松の木も。そして、建物の窓が崩れています。もちろん、ガラスはありませんが、窓枠が壊れ、父の写真では、中のぐしゃぐしゃになった鉄骨が見えます。私の写真の松のすぐ右の窓の枠が壊れているのが見えます。

 父が当時勤務していた広島二中の講堂は、立派な建物ですが、原爆ですっかり壊されました。昭和23年の春、3月か4月の写真です。

 私のは、昭和30年か31年。昭和25年に広島二中は広島観音高等学校となり、今のところに移転しました。そのあとが観音小学校となりました。

 私が入学して、ほとんど卒業するまで、その広島二中の壊れた講堂はそのままでした。そこは恰好の遊び場でした。中のぐじゃぐじゃの鉄骨に上ったり、綱渡りのように歩いたり。草が生えている中で隣のクラスはいつも相撲大会をしていました。

 今では考えられないことでしょう。危なくって、近づいてはいけないとされているでしょう。でも、遊び盛り、遊び道具なんてない私たちには、これが最高の遊び場だったのです。

 その前での写真です。角度が少し違うようですが、まぎれもなく、この二枚は同じところで撮った写真だと確信を持ちました。今回まで、私は父がこんなところで写真を撮っているなんて知らなかったし。7年か8年の時を経て父と同じところで私も写真を撮っていたのね、と今気づきました。

 今のように残留放射能なんて知らなかった頃。庭を掘ると骨が出てきて、それが被爆した人がこのグラウンドでもたくさん焼かれた、その名残りだということも知らないで、遊んでいました。

 すみません。ただ、それだけのことです。ちなみに、64年前の父は前で地べたでひざを組んで座っている左から二番目。約56年前の私は、前から二番目の左から4番目、大口を開けて笑っています。


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コメント

なんと!懐かしい名前が。
平川先生は、私が小学生の頃の校長先生でした。
私が存じている平川校長はすっかり頭が白くなっておられましたが、笑顔は同じ。
嬉しくなっちゃいました。

投稿: まさちゃん | 2012年8月31日 (金) 02時40分

まさちゃんさま
なんと、そうなのですか。校長先生というと、の○り小かしら。作文教育に熱心で、子どもをかわいがる、とても人徳のある先生でした。またお会いしたいと思いながら、叶わないままに亡くなってしまいました。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2012年9月 6日 (木) 21時58分

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