第四回ヒロシマ・アキバ塾。
昨夜は、第4回ヒロシマ・アキバ塾でした。また、たくさんの方の参加がありました。東京から新しく参加した方も、また、内モンゴルから東北大学に留学している学生さんの参加もありました。
秋葉さんは、先日のIPPNW(核戦争防止国際医師会議)で、基調講演を行っています。昨日は、まず初めに、その基調講演でどんなことを話したか、の紹介がありました。
「広島、長崎に原爆が投下された直後より、我々の先輩の医師達は自ら傷つきながらも献身的に犠牲者の治療にあたりました。全国からも、たくさんの医師が応援にかけつけました。
しかし、余りにも多数の犠牲者、役に立たない医療器械、皆無に等しい医療資材など大量破壊兵器の前に医療は余りにも非力でした。そして、さらに放射線障害の恐ろしさと、それに対して医学が全く無力であることを思い知らされたのです。
そして、そのことは今も変わりません。ある一定のレベルを超えて放射線を浴びると死を免れることは不可能です。それ以下のレベルでも放射線を浴びると、将来ガンになる確率は非常に高くなります。今の医学では、これらはどうすることもできません。そして、将来も・・・
治療することができないのなら、予防すること。」
これは、日本のIPPNWの紹介に掲載されている文章です。
1980年、 米国のバーナード・ラウン、ジェームズ.ミューラー、エリック・シビアン博士が、スイスのジュネーブでソ連のエフゲニー・チャゾフ、レオニード・イリーイン、ミカイル・クジン博士と会談し、核の脅威と闘うために国際的な医師の運動を組織することに合意下ことから、この会が設立されました。
今回、第20tepte大会がヒロシマで開催されたこと、そしてその基調講演を秋葉さんがすることについては、 IPPNW日本支部長であり、広島県医師会の会長であった碓井静照氏の尽力がありました。その碓井先生は、この世界大会を見届けことなく、今年の5月9日の亡くなっています。
秋葉さんのお話しは、これまでヒロシマ・アキバ塾で話されたことと重なりますが、途中から参加された方たちには、よかったと思います。
そのあと、被爆者と被爆者援護についてのお話しでした。
これまでの被爆者の援護に至る道は決して平坦なものではありませんでした。
これまで被爆者が闘った原爆訴訟の紹介もありました。これらの訴訟での国の姿勢、また、それぞれの判決についても。石田明先生の裁判について、判決は、原爆による白内障の治療は、治癒しないまでも、進行を食い止めるという意味があるとしました。認定被爆者の条件として、「治療」の効果があることという制限があります。また、私が学生時代に闘いが注目され、ささやかながら支援の運動をした、韓国人被爆者の孫振斗さんの裁判では、「外国人であっても、被爆者であ理、被爆者手帳は甲府されるべきである」という明確な判決でした。
ここにさとうしゅういちさんが詳しく報告しています。
秋葉さんのお話しの後、参加者から、今福島の人たちは、広島の被爆者に学びたいという願いがあると。福島の人たちに必要なのは、何でしょうか、という意味の質問がありました。秋葉さんは、どこでどれだけの被曝をしたかが今はまだ明確でなく、これからいろいろと出て来るであろう、そのためにも、とにかく今は自分の記録を細かく取っておくこと、というアドバイスがありました。
広島の被爆者の大変な苦労の歩みを見ただけでも、福島の人たちの前途は多難でしょう。私たちも、できる限りの支援をしたいと思います。
まだまだたくさんのお話しはありましたが、できれば、また工場長さんが動画を公開してくだされば、と願います。
次回は、在外被爆者の闘いと、支援の歩みから話をされます。大変お忙しい中、このような講座を引き受けて下さる秋葉さんに感謝です。
私は今日の診療後、土・日の軽井沢での思春期学会に向けて出発です。昨日の昼間、資料の印刷など準備万端整えました。明日の診療は、四方明子先生にお願いしました。
「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。
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