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ヒロシマ・アキバ塾第三回のご報告・続き。

 1956.1.28.「広島平和をきずく児童・生徒の会」発足。全国へ募金を呼びかけ。海外からも寄付が集まり、1958年5月5日、「原爆の子の像」が建立されました。

 真上に折り鶴を掲げた佐々木貞子さんが立ち、像の真下にある石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれています。像からは、銅鐸型の鐘がつるされ、その中からは金色の鶴がつるされています。それを引っ張ったり、風に揺れると鐘がなるようになっています。鐘には、湯川秀樹さんの「千羽鶴」「地に空に平和」の字が刻まれています。今は、そのオリジナルは、資料館東館に展示されています。

 1958年には、生徒たちにより「折鶴の会」が結成されました。そのお世話をしたのは、河本一郎さん。16歳で被爆し、女学院中・高の校務員さんを務めながらの活動でした。なぜ河本さんがその活動を始めたか、それは

 1955年、原爆一号と言われた吉川清さんの言葉からでした。「被爆者が、黙ってしもうたら、おしまいなんですよ。僕ら、ピカの恐ろしさを知っているものが口を閉じてしもうたら、原爆のことは、だれにもわからんのじゃもの。特に、いまの子どもたちに原爆のむごさをとっくり話してやらにゃいけん。僕はそう思うとります。」

 ここからは、少し私の言葉です。

「折鶴の会」のこどもたちは、ヒロシマを訪れる人たちに折り鶴のレイを作り首にかけて上げたり、原爆の子の像の掃除をしたり、そして、河本さんの指示を受けて、入院していたり家で一人ぼっちの被爆者の様々なお世話もしていました。河本さんの生前、お家に行っていたときに、電話で子どもたちに「だれだれさんのところに行ってあげて下さい」と指示をしている姿を拝見しました。

 それから、吉川清さん。私が小学生の時、平和公園で、原爆の話を聞いています。そして、シャツを脱いで裸の背中を見せて下さいました。背中全部がケロイドでした。なんとむごい!!その印象は強烈でした。

 そして時を経て、大学一年の時、「ヒロシマ1966」という映画が作られました。その映画作りには、吉川さんが協力されていました。私は、その映画のオーディションを受け、ヒロシマの高校生として出演しました。当時の被団協があった国道二号線沿いのビルの地下の喫茶店や、学校の校庭や、あちらこちらでロケをし、その間吉川さんにはずいぶんいろいろなところに連れて行ってもらい、食事をごちそうになったり、話しをしたり、詩を作ってもらったり、すっかりお世話になりました。子どものいない吉川さん夫妻の娘のようだとかわいがってもらいました。

 秋葉さんの話を聞きながら、河本さんや吉川さんを思い出し、またまた胸が詰まる思いでした。

 禎子さんに始まった折り鶴は、その後次々と世界中に広がります。今、原爆の子の像にささげられる折り鶴は、年間10トン。一千万匹です。それも子どもたちがさまざまな工夫をして、メッセージを書き込んだり、パネルにしたり。

 その膨大な折り鶴を広島市は旧日銀跡と市民球場に展示していました。その折鶴には、訪れた人たちを圧倒し、感動を呼びました。

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Dscn1785_1280x960Dscn1786_1280x960 一人ひとりの子どもたちの力は小さくとも、こうして数を集めると、圧倒的な力となり、感動を呼びます。その折り鶴を展示するミュージアムを創れば、必ずそこは観光客が訪れる場となり、そして多くの人を感動させることになる、その思いは叶わなくなりました。

 話は前後しますが、秋葉さんの講義が終わった後、そこまでの秋葉さんの思いが伝わっていなかった、多くの市民も分かっていなかったのではないかという意見が出ました。それから、先日新聞に出ていたけれど、子どもたちが一生懸命作って像の前に供えた折り鶴を広島の子どもたちのちぎり絵に使わせていると。人が作ったものをかってにちぎるというのは、許せないという意見も出ました。

 さらに、何ゆえ禎子と折り鶴が子どもたちにアピールするのかという秋葉さんの分析です。写真に撮りました。

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Dscn1789_1280x960 お話しはさらに子どもたち自身の活動と平和教育に及びます。また、少し時間をおいて、三回目の講座の第3をお話ししますね。

 私は今日、福井に行きます。そこでの「性教育指導者セミナー」に参加します。またまた演劇をするのです。そのご報告もしますね。朝早い出発になりますが、寝坊したらいけないと緊張すると、眠れません。だから、起き出してこのブログを書きました。どうしよう、このままだと新幹線の中で居眠りしてしまいそうです。


「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

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コメント

公的な情報は、マスコミというフィルターを通して伝わってきます。
発信者の思いや考えを伝えて、それに対する賛成や反対意見なども伝えるべきなのでしょうが、そうはなりません。
誰か都合の良い人悪い人の色に染められて、情報を伝えます。
折り鶴ミュージアムに限らず、秋葉前広島市長の思いや考えは、反秋葉派(市議)の都合の良い形で伝えられていたと思います。
地元新聞社と放送局は、その色が濃かったように感じます。
新聞と放送が、同じような色で発信したら、多くの人はあたかも真実のように受け取りますが、この両者はある意味親族会社ですから、同じになりえます。
発信者の言葉を、マスコミが付けた色をでなく、なぜこのようなことを言うのかと考えれば、自分ならどうかと考えれば、もしかしたら真意が見えてくると思います。
でも、多くの人はマスコミの情報に流され、自分で考えようとはしていないのではないでしょうか。
だからこそ、発信したひとの真実が見えなくなって、伝わらなかったと感じるのかもしれません。そのためにマスコミが正論に感じるのでしょう。
消費税も原発も、マスコミはそれを推進する意見に染めて発信しています。僅かな反対意見は載せますが、それを上回る濃い色に染めて。
今回の講義は、子供達の平和への力強さが、子供達だからこそできる世の中を動かす力のお話だったように思います。
だからこそ、子供達が平和を心から祈って作った折り鶴は、保存しその思いを後世に伝えまた継承する必要があると思います。
折り鶴ミュージアムは、今の行政では不可能になってしまいましたが、なんとかするべきだと思います。

投稿: やんじ | 2012年7月28日 (土) 14時50分

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