昨日の続きです。
先日、私の患者さんをある緩和ケアの先生に紹介しました。まだ私の娘よりもうんとお若い方です。痛みでとてもつらくて、でも、緩和ケアには行きたくないと。それは、もう死を意味することとご本人は受け止められていました。
そうではなくって。緩和ケアというのは、痛みなどのつらいところをを楽にしてもらうところ。痛みに対応できるようになったら、また退院してお家で過すことができるのだから。そこに行ったらもうそこから動けないと思わないで。もし、そこがいやだと思ったら、私のところに帰って来ればいいから。
お電話でお願いした先生は、それはそれは予想以上の対応をしてくださいました。
「こうして時間外に電話をしてこられたということは、急を要するということですか?では、明日来てもらって下さい」と。お忙しいでしょうに、即、診て下さると、ありがたいことです。
そして、ご本人に会われた後、そのドクターからお電話を戴きました。
「すぐに入院をしてもらうことにしました」と。「でも、先生(私のこと)に会うと元気が出るということですので、一緒に対応させていただくということでよろしいですか?」
「ありがとうございます。私もとても気になります。入院なさっていても、私も会いに行かせていだいてもよろしいでしょうか」
「ええ、そうして頂ければ、何よりもご本人が喜ばれると思いますので。」
とっても包容力のある、ドクターでした。
そして、その後お手紙が来ました。一週間で退院なさったと。お家で元気に過ごされていると。
ご本人もご家族もすっかりその先生を信頼されたようです。もし、私に用があればご本人から連絡があるでしょう。
私のような開業医は、自分では対応できないと感じたとき、いつどのドクターに繋ぐか、それがとても大切になってきます。そのためには情報のアンテナを高く保っておかなければなりません。ときとして、世間の評判と内部の状況とが大きくかけ離れていることもあります。単なる病院の評判だけでなく、どのドクターがどんな対応をしてくれるか、技術も大切ではありますが、そのドクターが、人として優しさと包容力を持っているかも大きな要素となります。
昨日、あんな記事を書いたちょうどその日、紹介先のドクターたちから来たお手紙の中に、期せずして、子宮頸がんの人と、体癌の人と、卵巣がんの人と、そして乳がんの人と、四人のがんの方たちの紹介状のお返事か来ていました。それぞれドクターも対応も異なります。
小さな開業医でも、次々と癌の方が見つかります。ふと自分の家族を見てみても、私たち5人兄妹とその連れ合いの10人のうち6人が癌で、でも亡くなったのは2人で、4人は治療後も元気に生活をしています。そんな時代なのですね。
これからも、心して患者さんたちに向き合いたいと思います。
先日長崎から帰りの列車の中で、諫早湾の水門が見えました。あわててカメラをとりだしたので、ちょうどいいチャンスをのがしましたが、それでもかすかに写っています。干潟のギロチンとも言われたあの水門は今どうなっているのでしょう。それぞれの立場の方たちの生活があるのでしょうが、この地球の自然を人の手でどんどん壊していく、その歯止めをどこでかけるのか、これも考えていかなければならないことなのですが・・・。
| 固定リンク
コメント
突然すみません。前に長年、子供が出来ないことで、悩んでいた時にここに書き込みした時、不妊治療のアドバイスをもらいました。病院には行ってみましたが、40歳だし願いを持ちつつあきらめてました。が、なんと陽性反応が。すぐ病院に行ったらまだ五週目で見えないけど確実ですって!ちょっとお腹が痛いので、もしかすると子宮外妊娠の恐れもなきにしろあらず・・・だけど、命をさすがると言うのは凄く嬉しいことでほんと感激的。まだ色々問題はありそうですが、分かるまでは幸せを味わおうと思います。こんな幸せは女性として、なんと表現していいのかわからない位、あたたかい体温とともにシアワセ。ありがとうございます。ほんと。
投稿: o工業 | 2012年6月20日 (水) 15時47分
o工業さま
わあ、よかったですねえ。とりあえず、おめでとうございます。まだまだいろいろな関門があるでしょうが。40歳、決してむちゃなことではありませんよ。どうぞ、ご無事に赤ちゃんを抱かれますように。また経過を教えて下さいね。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2012年6月27日 (水) 07時55分
せっかくお返事頂いたのに六週で袋がみえず検査の結果子宮外妊娠でした。今日手術です。
悪いように考えればきりがないですが、私はやはり色々あるけど出来た事は良かったと思います。
妊娠がわかった瞬間からお腹を触っているパパ。ちょっと熱い体温とだるくて仕方ない体にも大事な人の命を授かった温かさ。たくさんみんなに抱きしめてもらい短いけど幸せな時間だったから残念だけど喜ぼうと。軽いかもしれないけど良かったねって小さな命にも楽しい記憶を大事にしようと思います。
小さな願いはもう一個の卵管が
元気だったらいいな。子供を
持つと言う事は常に不安と期待と隣合わせでここで終わりということは無いんだなと思いました。
投稿: o工業 | 2012年6月29日 (金) 09時01分