広瀬隆さんの緊急講演から。
緊急に行われた広瀬隆さんの講演。超満員でした。山口や三次から一緒に行った人たちを港に送って行ったり、レンタカーを返しに行ったりで講演にぎりぎりに行った私たちには、もう配られた資料もなく、席もありませんでした。残念。
でも、聞いてよかったです。豊富な資料で、説得力のあるお話しは、本当に伊方原発、いえ、すべての原発が危険であるということを痛感させられました。
以下の図は、1970年から1985年に世界で発生したマグにチュード4.0以上の地震の震源地を黒い点で、そして原発のある位置を赤の点であらわしたものです。広瀬さんのお話しでこのスライドが出されましだが、手元にその資料がないので、ネットの検索でコピーさせていただきました。検索したサイトはこちらです。
世界の陸地のたった0.25%にすぎない日本で,世界の地震のおよそ10%が発生しているのだそうです.そして世界人口の2%が暮らしているこの国に,世界の原発の約13%が集中しています.
大きな地震が数多く発生するのはプレート(地殻)の境界およびその周辺です.太平洋をぐるりと囲っている太い黒帯のような震源群はそれです.日本が位置する場所は,そのなかでも地球を覆っている十数枚のプレートのうち4枚ものプレートが衝突し,ひしめき合っている場所なのです.世界の原発は、地震発生地帯を避けて作られていることがわかります。日本は、日本中が震源地だらけです。これを見ただけでも、日本は原発にふさわしくない国であることがわかります。
しかも、今ある原発は、地震があることを想定して作られた原発ではありません。
さらに、今回の東北大地震を千年に一度の地震と盛んに報道されています。とんでもない、日本には大地震と大津波は度々記録されています。
また、伊方原発は瀬戸内海に作られています。(伊方原発と今作られようとしている上関の原発予定地は向い合せで、30キロしか離れていません)
内海には津波は来ないとして津波を想定していません。それもとんでもない。それらの数々の資料が出されました。
1896年6月22000人の人が犠牲になった、ほんの百年前の明治三陸沖地震では、吉村昭氏の聞き書きをまとめた「三陸海岸大津波」によれば、岩手県田野畑村羅賀では、津波が50メートルにも達していたそうです。
1771年の4月に発生した推定マグニチュード7.4の八重山地震は、明和の大津波とも言われ、石垣島宮良村での津波は最大波高40メートル、最大遡上高さは85.4メートルにもなります。
津波は、深海から浅瀬に乗り上げると、塊となってとてつもない高さになります。1854年の安政東海大地震では、今の浜岡原発のある佐倉の海岸巨大津波が三時間も繰り返し襲いかかり、600メートルの内陸まで津波が押し寄せたと記録されています。津波は遠浅に乗り上げると、一気に水かさが増えて、巨大津波になります。
瀬戸内海には津波は来ないとして、伊方には一切津波対策を取っていません。それが、いかに危険なことなのか、歴史が教えてくれています。
長くなりました。続きは明日にさせて下さいね。
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