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「タウンNEWS 広島平和大通り」にもの申す。

 私は、人のブログにいちゃもんをつけるつもりではないということを初めにお断りしておきます。また、この「タウンNEWS広島 平和大通り」は私の好きなブログであり、しばしば感動を戴いているブログです。

 それでも、あえて私はここで反論をさせていただきたいと思います。それは、このブログの著者であるお二人だけでなく、コメントを寄せていらっしゃる方、さらにコメントへのお答えをされることによる効果が本来の記事から一つの方向に向かっているように思えます。故、これは、単なる反論だけでなく、読者の方々すべてに呼びかけたいと思って書かせていただきます。

 6月16日の「元安川」さまの『自然死』そして、17日の「工場長」さまの『人生の目標は「ガンになって死ぬ」こと』と続くことによって、私が何より心痛んだのは、今、たった今現在癌にかかり、病と闘っている方を傷つけたのではないかということです。

 ご存じのように私は医師です。今も何人もの癌の方と向き合っています。その多くの方は若い方です。まだ死ぬにはつらすぎるほど若い方たちです。その方たちに、「癌は死ぬ病気」ではなく、今や「治る病気」として励ましながら、ではどこでどんな治療をすればいいのかを患者さんと共に考える立場にいます。そのためには、常に癌の最前線の情報を得ることも必要です。私は、その努力をしているつもりでいます。

 癌治療について、話したいことはたくさんあります。

 その前に私の体験をお話ししましょう。私の夫は、35年前、彼が31才、私が30才、二人の子どもたちが2才と3才の時に胃がんにかかりました。それも、ずいぶん進行していました。まだ癌を本人に告知してはならないとされている時代です。大学病院で私一人告知されたとき、とても助かるような癌ではないと言われた時、

「それでも、私はとても無理と思った患者さんが生きている姿も見ています。私はあきらめません。彼に生きてもらうように頑張ります。」

と言いました。告知して下さった先生は、首を横にふりながら、「先生も苦労するね」と慰めて下さいました。彼に癌であることを言えないまま、一人、影で泣きました。

 癌を告知しないままに手術を受けてもらうことは、本当に苦労でした。新聞記者という仕事をしている彼は、少々のことではごまかすこともできず、何度も癌であると言わせてほしい、私は彼と一緒に背負いますから、とドクターに迫りました。それでも固く禁じられました。

 今から見れば、本当にいい手術をしてもらったと思います。胃はすべて取りました。食道と腸がつながっています。周囲のリンパ節、脾臓、そして肝臓の一部も、ごっそりと取りました。ただただ手術で取れたということが、どれだけうれしかったことでしょう。手術の後、膵炎と肺炎を起こし、このまま死んでしまうのでは、と思うこともありました。

 当時、出始めたばかりの抗がん剤、これをも癌と言わずに飲ませなければなりませんでした。栄養剤だの消化剤だのとごまかして。彼は、今も食道と腸がつながっていることで、その後遺症に苦しむことがしばしばあります。ダンピングも未だに起こします。何度もイレウス(腸閉塞)を起こし、もうだめか、今度こそ最後かとそのたびに胸が凍る思いもしました。彼を心配するあまりではあっても、彼の家族、姑や舅の言葉に傷つき、泣いたことも少なくありません。

 それでも、彼は生きることができました。たとえ後遺症があったとしても、彼は生きることができました。生きていてくれて、本当によかったと思っています。当時の主治医は、「生きているのか!!」と未だに言われます。

 彼にとって、「癌イコール死」ではありませんでした。良い治療によって、生きることができたのです。

 私は数々のがん患者さんを診てきて、癌で死ぬことは、決して安らかな死であるとは思いません。特に婦人科のがんは痛い癌です。がんが骨盤後部の神経に進行していくと、とてつもない痛みが襲います。

 婦人科だけではありません。義弟は大腸がんでしたが、背骨に転移して、ひどくひどく、動けないほど痛がりました。肺に広がった後は、大変な呼吸困難に苦しんで亡くなりました。

 義兄は、肺の中皮腫でした。腫瘍は、背骨に、口の中に、そして残った肺にとあちこちに吹き出すように急速に広がりました。血を吐きながら、それはそれは苦しんで亡くなりました。

「癌は治療しなければ安らかに死ねる」なんて、なんと癌を知らない人の言葉なのでしょうか。

 抗がん剤も昔に比べれば、本当に進歩しています。特に、婦人科のもっともたちの悪いとされる卵巣がんでも、シスプラチンというプラチナからできる抗がん剤が開発されてから、それを含む多剤併用で、本当に治療できるようになっています。腹水がバンバンにたまっている人でも、すっと腹水が引き、元気になった姿を何人も見ています。私は、子宮頸がんや体癌や、卵巣がんやそれに乳がん、それらの患者さんたちに、決してあきらめないで治療して、と訴えます。その治療をしてくれるドクターは限られています。そのスペシャリストのドクターにつなぐのも私の仕事です。

 もちろん、抗がん剤の治療はしばしば苦痛を伴います。それでも、それを乗り越えて、元気になりたいと頑張る人たちがたくさんいるということです。その人たちに、がんになったら治療すべきでないというようなことは決して言ってはならないことだと思います。

 この広島ブログでも、厳しい闘病生活をブログにしている方があります。私はいつもその方のブログを読んで、頑張って!!とひそかに応援のエールを送っています。その方のがんが小さくなったという喜びのブログを読んだときには一人涙しました。その方はその方で頑張って抗がん剤の治療と、自分でさまざまな努力をなさっています。今、彼はそれらの効果があったことで、喜びいっぱいの記事を書かれています。

 何か間違っているのではないでしょうか。老衰の死、枯れていくように静かに死ぬことは、だれもが望むことでしょう。癌になっても何も治療しなければ、そのような穏やかに死を迎えることができるというのは、よほど苦痛を感じることが鈍くなった年を取った人に限るのではないでしょうか。

 治療が悪いような幻想をふりまかないでほしいと思います。

 先日、癌で最愛の夫を亡くされた方が、「治療をしてよかったのだろうか」と、その苦しい胸の内を吐露されました。彼が生きたいと頑張った姿は、それはそれで尊い姿でした。最後はとても苦しんで亡くなったけれど、それは決して治療したから苦しんだのではありません。がんが進行したために苦しまれたのですね。

 がんは放っておいたら確実に死に向かいます。でも、早くに治療すれば何ごともなかったかのように生きることもできます。たとえ、進行した癌でも今ではいろいろな治療で治すこともできるし、長く生きることができるようになっています。もっと生きたいと思って治療する人がたくさんいるということを忘れないで下さいね。

Dscn1360_1280x960 私が往診に行っている方の一人です。訪問看護の方の尽力で、在宅でもいろいろな治療ができます。お年でも、息が苦しければ酸素が吸いたい、食道が詰まって水も飲めません。でも、のどが渇けば、点滴をしてほしい、痛みは麻薬のパッチを貼ります。それらの訴えは人として当然のことです。家族は本当にたいへんですが。


「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

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コメント

癌には自分自身がなった時じゃないと どうするのか?はわからないと思います。
認知症と同じです。「うぇーあの病気にはなりたくない」って言っててもいざなってみると どう行動するのか?誰もわからないのではないかと思います。
 擦り傷切り傷のように時間が経ったら元通りってものとは違います。
お金の問題もあるし・・・ 
ただ、癌の治療で 治療をするため検査を受けるために(保険が効いても高額だから)身体がしんどいけど会社に勤めながらじゃないと払えないんだって言う人がいました。
抗ガン剤の副作用でとても苦しそうだけど、治療費を払うために会社に行っています。
 かたや「わしは えかったよ。毎日200円でええけぇ 抗ガン剤治療も放射線治療もお金を気にせんでええけぇ」って言う人がいました(その人の事情は先生はおわかりです)


 聞いててやりきれなくなりました。

もちろん私は民間の医療保険に入っていますが・・
それでも払えないような高額な治療費がかかるようなら・・治療を開始しても続けられないと思います。

 だから お金の問題も忘れちゃいけんと思いました。

投稿: はるめ | 2012年6月19日 (火) 10時06分

この記事を読ませていただいて、
スキルス性胃がんで亡くなった義父の事を思い出しました。
最後は痛みでとても苦しみました。
悶えてベットの上で大暴れしている義父の手を握りしめていた感触が今でも思い出されます。
どんなに痛くても「連れて行かれたくない」それで両手を前に出すので思わず握ったんです。
看病した家族は精神的にも肉体的にも大変でしたが、
残された者には最後まで支えたという気持ちはあります。
治療で義父を苦しめた部分もあったかもしれないけれど、
「生きていて欲しい」と願ったことに後悔はありません。

投稿: nancy | 2012年6月19日 (火) 16時51分

癌を患ったときの、その人の抱えている状況とか年齢で、どう癌に対応するかは違ってくると思います。
「タウンNEWS 広島平和大通り」さんに書かれていることは、生かされる命をどうするか、選択肢の一つだと思います。
延命治療でベットから離れなくなり、病院からでれないのであれば、それが本当に良い事なのだろうかと。
癌で母を亡くした時に、母に対し、よく頑張ったとかよく闘ったとかと思いませんでした。さぞかし辛く苦しく悲しく無念だっただろうと。
私自身は、本当に母のためにできたのだろうかと自問自答しましたし、癌であったことを気づけなく後悔していました。
入院して癌治療を続けることが、末期の人にはどうなんだろうか。
病院は、ある意味残酷な場所です。同じような病気で入院していた人が悪化して亡くなっていく状況を何度も見て聞いて知ってしまいます。
母のいた病院では、悪化すつと別室に送られ、そして二度と帰ってこない。死に行く状況を、見せられてしまいます。
母が亡くなる数週間前に家に帰りたいと言いました。
家ではだれも面倒を見る事ができなかったし、病院で治療を続けて少しでも長く生きて欲しかったから、入院を続けてもらいました。
この選択が、本当に良かったのか、もしかしたら間違っていたのではと、今でも考えてしまいます。
母にしてみれば、自分が悪くなっていることはわかっていたでしょうから、別室に送られるのは次は自分ではないだろうかと、不安でいっぱいだったのかもしれません。
一日でも長く、これはもしかしたら自己満足だったかもしれません。
とうぜん、母は少しでも長く生きたかったでしょう。
結局、悪化して別室送りになり、そのとき母は強く拒否したそうです。
それは、死の宣告をされるに等しい事だから。
家に連れて帰り、もしかしたら早く亡くなったとしても、家族とともに暮らせた方が、母のためになったのではと思います。
病院の栄養バランスの良い食事でもプラスチックの器より、たとえたまご掛けご飯でも、家族と一緒に食べてた方が、気が充実したかもしれません。
癌の治療が、延命でなく、普通の生活のもどれるような回復治療なら受けるべきだろうと思います。
でも、普通の生活になれないのなら、どうなんでしょうか。

今の私の状況で末期癌になったら、延命だけの治療は受けないと思います。経済的な負担を家族に強いりますし、ベットに縛り付けられたのでは家族への肉体的・精神的な負担は増すばかりです。
それより、普通の生活を送りながら、残された命を辛く苦しいものでなく、一緒に食事をし、一緒にテレビを見て泣き笑いしたいですね。
そして、超老犬になった愛犬しんちゃんと、どちらが長生きできるか競争したいですね。病院でなく、一緒に暮らして。

はるめさんが書かれているように、どうしてもお金の問題はついてきます。
低所得者の最善で最高の医療と、高所得者のそれはまったく違うでしょう。それは同じ病気でも、前者は死に、後者は生きるかもしれませんね。

税と社会保障の一体改革は、低所得者を医療から遠ざけて、今では死なない病気で殺すでしょう、そうすれば健康保険料をはらわすだけで医療費は安くすみ、また年金も払わすだけで支払わなくってすみます。

投稿: やんじ | 2012年6月20日 (水) 15時43分

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