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今日、ヒロシマ・アキバ塾の開講です。それと「和みカフェ」

 いよいよ今日が「ヒロシマ・アキハバラ塾」の開講です。秋葉前広島市長による全10回の市民公開講座。詳しくはこちらのブログをご覧くださいませ。午後7時から、広島YMCAの本館で。はじめ408号室をお借りするようにしていましたが、どうも受講生が多そうなので、403号室に変更して戴きました。

 どなたでも受講できます。なんだか、恐縮してしまいそうな方たちからもご連絡をいただいています。皆様、どうぞ、ご遠慮なく受講して下さいませ。受講料500円です。

 ところで、こちらの記事をご覧下さいませ。広島市のホームページです。

「平和記念公園と平和大通りで、インターネットを利用できます。※平成24年7月31日で終了します。」

だそうです。今、広島市は前市長がやって来たことを取り消すのに懸命です。あれだけ実績のあったアキハバラ塾を潰しました。

 そして、なんと時代に逆行して、こうだそうです。8.6を前に全世界から沢山の方がヒロシマを訪れる、それを当然知っていながら、7月31日で終了するのだそうです。今やインターネットがどこででもできるように世界中が向かっているときに。特に、8月6日には、内外のマスコミの方たちが平和公園に取材に来られます。ネットを使って記事を送ることでしょうに。日頃でも、平和公園、原爆資料館、多くの方がベンチや机に座ってパソコンを開いています。

 一旦できたものを維持するのにどれだけのコストがかかるというのでしょうか。聞くと、年間5000円程度だそうです。それを終了する、なんとまあ・・・。

 遅くなりました。先日の「和みカフェ 五周年記念」、姉と姪と三人で行ってきました。ゲットしたいお目当てのものがあるので、11時開店の5分前に到着しました。

そして。連れて帰りましたよ。Dscn1386_1280x960 はい、遊布戀さんの柿渋のバッグ、とっても軽くて持ちやすくて。早速クリニックに持って行ったら、大好評でした。それに、七夕のお飾りとほうずき。身震いするほどかわいくて。もう少ししたら、両方一緒にクリニックに飾ります。そして、くりき妻様の小物入れです。どれも数少なく、生存競争厳しい中を連れて帰れたのは、ひたすら早く出発できたためです。


Dscn1383_1280x960他にも、自然農法のパンとスナップエンドウ。帰ってみると、おまけでハーブティーを入れて下さっていました。ありがとうございます。

 沢山の人でごった返す中、三人ですべてのメニューを戴きました。ラーダカレー、チラシ寿司、岩国れんこん麺の冷し中華、シフォンケーキ、しょうがプリン、それにコーヒー。

 多くのブロガーさんたちにもお会いできたし、ゆっくりと癒されて、大満足で帰りました。マダムはせがわ様、スタッフの皆様、ありがとうございました。また癒されにお伺いしますね。


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「8.6ヒロシマ-平和の夕べ-」のご案内⑦

 「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の関連企画です。「被爆電車・平和学習」。毎年この企画は大人気で、いつも満員になります。8月7日の午前11時に広島駅南口噴水前に集合していただき、11:30出発。車内では被爆電車のただ一人の生存者である米沢鐵志さんのお話しを伺います。原爆ドームで下車。そのあとは13:00から平和公園内の平和記念資料館東館地下会議室(2)でさらに米沢さんのお話を聴きます。参加費は乗車料、講演料含めて一人500円です。

 被爆電車のご説明です。広島電鉄の650型電車5台は1942年に製造、運行されました。その5台は原爆投下時走っていた場所により全焼、半焼、小破、大破と損害を受けます。それらのうち、宇品付近にあって被害が比較的少なかった電車は被爆直後に市内を走り、傷ついた市民を勇気づけました。また、被爆しながらも、電車を運転した女子生徒の話などが語り継がれています。

 その後修理されて復帰した電車も事故にあったり老朽化したりで、現在現役でいるのは二台のみです。しかし、それも日常的に運行されるのではなく、8.6前後のイベント用に、またはラッシュ時にたまに走っているのみとなっています。

Photo2
 昨年私も被爆電車に乗り、米沢さんのお話しを伺いました。その時の写真です。被爆電車の中は木造でとても美しく保たれています。米沢さんが説明して下さいました。

 米沢さんは広島に住んでいましたが、疎開しており、ちょうど8月6日のその日、荷物を取りに母親と一緒に広島に帰ってきました。そして駅から電車に乗ります。電車の窓際に行きたかったけれどもギューギューづめで、何しろ定員80人のところを200人もの人が乗ったのだそうです。真ん中あたりに人に埋まるようにして乗っていました。それが命を助けることになったのです。

 被爆電車が今の福屋デパートの前を通りかかった時に「ここです。」ここで被爆したと説明されたとき、リアルで身がすくむような思いがしました。電車の窓はすべて割れ、窓際にいた人に刺さり、また窓際の人たちは黒焦げになっていたと。

 お母様と直接の被曝はしなくとも、お母様の母乳を飲んだ妹も髪が抜け亡くなりました。米沢さんも髪がすべて抜け、高熱で死線をただよいましたが、命を取り留めました。

 詳しくは、米沢さんのお話しを聞いて下さいね。

 実は、この被爆電車の企画も来年はできるか否かわかりません。被爆電車が老朽しており、いつまで走らせることができるかわからないからと広電の人に言われました。ぜひ続けたいのですが・・・。子連れの方も多くて、すばらしい平和学習だと思ってきました。被爆者のお話しも年々語って下さる方が少なくなってきて、だからこそ継承が必要となってきているのですが・・・。

 今年の被曝電車・平和学習、ぜひ多くの方に参加して頂けますように・・・。

 以上、7回にわたって今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内をいたしました。当日沢山の方にお会いできますように。私たちも会が無事開催できるように頑張ります。

 そうそう、会の後、「おひさしぶり交流会」を行います。飲み、食べ、語り合う、この会にもぜひご参加を・・・。


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「8.6ヒロシマ-平和の夕べ-」のご案内⑥

 講談師神田香織さん。福島県立磐城女子高等学校卒業後、東京演劇アンサンブルなどを経て、1980年神田山陽門下生となりました。ジャズ講談や一人芝居の要素を取り入れた独自の講談を次々発表し、講談の新境地を切り開きました。反戦反核を訴えた「講談はだしのゲン」で日本雑学大賞受賞。2002年講談「チェリノブイリの祈り」を発表。平和・人権・女性の生き方をテーマとした講談付き講演も精力的に行っています。3.11の後「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を呼びかけ、立ち上げています。

 神田香織さんのブログはこちら。今、福島の支援に走り回っていらっしゃることがこのブログでよく分かります。講談新版「はだしのゲン」はこちらです。

 中沢啓二さんは神田さんのことを「私が認可した」とおっしゃいました。中沢さんの奥様は「すごい迫力で、美人だし、とってもいいですよ。」とおっしゃいました。中沢啓二さんお墨付きの神田香織さんの講談「はだしのゲン」。とっても楽しみです。

 ただ、会が盛り沢山で、時間的に制約があって、フルで講演をしていただくことができないのを大変申し訳なく思っています。

 8.6関連企画のご案内です。今年も原水禁山口主催で上関、祝島現地交流ツアーが行われます。ここに私が参加した一昨年のツアーのルポをしています。翌日のブログにも豊かな海を中心にルポしています。

 言わずもがなですが、上関は中国電力の原発予定地です。上関の住民は、原発推進の町長を選び、議会も推進派が多数の中、着々と建設の準備が進められてきました。しかし、建設予定地の向い側にある祝島の漁師さんたちは、一貫して反対の立場を貫き、補償費も拒否してきました。そして、福島原発の事故で、漁師さんたちがとっても苦労なさっている姿を見たとき、私たちはあらためて、祝島の漁師さんたちの訴えと行動がいかにすごいものであるかを痛感させられました。

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 ツアーでは、祝島の漁師さんたちの釣り船に乗せていただき、魚釣りをします。そして漁師さんたちの手料理をごちそうになりながら、交流します。そして上関の建設予定地に張り付いて、反対のテントに住み続けて闘っている人たちを激励します。ちょうど私が行ったときには、いるかの大群がぴょんびょんと飛んで私たちに訴えているかのようでした。写真は、原発予定地で頑張っている方たちを激励しているところです。

 参加の希望の方は、チラシに乗っている番号にお電話かまたはメールアドレスにご連絡下さいませ。チラシはクリックすると大きくなります。参加費は交通費、昼食代、釣り代など全部含めて9000円です。

 さらに、関連企画「被爆電車・平和学習」について明日ご案内いたしますね。


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「8.6ヒロシマ-平和の夕べ-」のご案内⑤

 今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のトークは広島の被爆者近藤紘子さんにお願いしました。

 近藤紘子さんは、広島市の流川教会の谷本清牧師の長女です。彼女は生後8か月の時、爆心地から1.1キロの教会で被爆。建物の下敷きになりながら、お母さんの必死の行動でかろうじて焼死を逃れます。しかし、その後下痢と高熱でこん睡状態となりながらも、懸命の家族の看護で奇蹟的に命を取り留めます。教会があった幟町の町内で生きることができた赤ちゃんは、紘子さんたった一人でした。

 谷本清牧師は、戦後広島・ピースセンターの設立、被爆女性のケロイドの治療、原爆孤児の養子縁組、精神養子縁組などに奔走します。その活動は、広島の地において時には売名行為などと中傷されることもありました。谷本牧師亡き後今は被爆者のさまざまな貢献をした人・団体に毎年贈られる「谷本清賞」にその名をとどめています。

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近藤紘子さんも戦後、さまざまな波乱に満ちた人生を歩みます。その半生は、この「ヒロシマ、60年の記憶」に詳細に述べられています。

 中でも、ABCCでの屈辱に満ちた体験は、彼女を広島から逃れたいという思いにさせます。その思いは、高校は東京に、そして大学はアメリカへと旅立たせます。そのアメリカでのさまざまな体験、とくにパール・バックさんとの交流は、彼女のその後の人生に大きな影響を与えます。

 私は、先日来、少しだけですが、養子縁組の話をこのブログてしています。今、私のところで育てられない出産をする女性たちと生まれてくる赤ちゃんのために、やむを得ずではありますが、養子縁組のお世話をしています。その子たちの養子縁組先の半分は国内で、そして半分は海外の主に日系の方たちです。その国際間養子縁組の手続きは近藤紘子さんにして戴いています。

 私たちは、NPOでもありませんし、養子縁組をする組織として機能しているわけではありません。ひっそりと、まったく個人的にお世話をしているだけです。しかし、彼女の広い人脈で、彼女を頼って養子を迎えたいという方たちはあとを絶ちません。

 私は、高校時代、近藤紘子さんの弟、谷本清牧師の長男と同じクラスでした。そして、彼に誘われて、養護施設に行き、子どもたちと遊んだり、お手伝いをしたりしていました。そのつながりで、紘子さんともそしてお母様ともご縁ができました。国内での養子縁組の場合は、生まれるとすぐに養親になる方に引き取って戴いていますが、海外への養子縁組をするときには、手続きにとても時間がかかります。その間、赤ちゃんを谷本のお母様と紘子さんの妹さん一家や長男の一家にあずかって育てていただいたりしています。

 紘子さんは今、兵庫県の教会の牧師さんの妻として忙しくしていますが、みずからも二人の養子を育てていらっしゃいます。原爆孤児の養子縁組に奔走したお父様や、たくさんのベトナム戦争の孤児を引き取って育てていたパールバックさんの教えが彼女の中にしっかりと生き続けています。

 以前から親しくしている紘子さんですが、この本を読んで改めて彼女の人生のスケールの大きさに感銘を受けています。驚くこともたくさんありました。パール・バックさんのことは聞いていましたが、あのドイツの緑の党を作り、暗殺されたぺトラ・ケリーと同じ大学の仲良しとして、卒業後も暗殺されるまで、ずっと交流していたことには、本当にびっくりしました。

 今、彼女は世界の子どもたちと共に平和を訴える「チルドレン・アズ・ザ・ピースメーカーズ」の国際関係相談役として活躍しています。毎年8.6前後には多くの若者たちがヒロシマ・ナガサキを訪れます、その案内役で大忙しです。その合間を縫ってお話しいただきます。

 これまでの被爆者の証言とはまた違った視点でのお話しが伺えることと思います。ご期待下さいね。


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「8.6平和の夕べの」お知らせはお休み。いろいろと。

 まだ今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のお知らせは続きます。ただ、そればかりを書いていると、日々のお知らせしたいことが話せなくって。今日一回お休みをして、また明日から書きます。今日はいろいろと。

 午前中は「和みカフェはせがわ5周年イベント」に行きます。途中、往診に寄って行く予定です。素敵な人々と手作りの小物たちに会えるのがわくわくします。もう改めて私が言わなくってもでしょうが。こちらをご覧下さいね。万難を排して行かなくっちゃ!!

 夜はここに書いています。「はだしのゲンが見たヒロシマ」の上映会です。

 はだしのゲンの作者中沢啓二さんがヒロシマの思い出の地で、また漫画を織り交ぜながら自分が必死で生きて来た思い、今の思いなどを語るドキュメンタリー映画です。中沢さんは、何度もの入退院を繰り返してこられました。今はご自宅で療養中です。退院後もしばらく酸素吸入が離せませんでしたが、今は酸素も取れて、今日の会に参加なさるそうです。ただ、歩くのはしんどいので、車いすでトークをなさるとのこと。お話しを聞きに行かなくては。

 そして、いよいよ「ヒロシマ・アキバ塾」の第一回目の開催が迫ってきました。秋葉前広島市長、現広島大学教授の市民への公開講義です。第一回は今週の木曜31日午後7時から広島YMCAにて。こちらのブログをご覧下さい。私のブログでご案内したら、とてもたくさんの方から電話がかかってきました。待ってました!!というものです。どなたでもお出下さいね。受講料は会場費としてワンコイン、500円です。

 昨日は、診療後一組のご夫婦をお迎えしました。広島出身の日本人のご夫婦ですが、今アメリカで暮らしています。ご夫婦にはお子様がなく、養子を広島から迎えたいとの希望で訪ねてこられました。お話しをして素晴らしい方たちだとわかりました。こんなご夫婦に育ててもらったら、子供は幸せだろうと思いました。

 今、一人の高校生が出産を控えています。自分で育てることはできません。この生まれてくるであろう子どもを育てて下さる予定の人は、涙ぐみながら、用意万端整えて待っていて下さっています。みなさん、本当に待ち望んで下さっています。ありがたいことです。アメリカから来たご夫婦にも、いつのことになるかわからないけれど待って下さいね、とお話ししました。お話しした後、さわやかな思いに満たされました。


 
 Dscn1366_1280x960 この頃の食べたもののアップもできないままでしたが。これがあんまりおいしかったので。クリニックのすぐそばの讃岐屋。私はこれまでここではうどんはだしの味が合わなくって、食べるのはいつもにゅう麺かそうめんばかりでした。

 でも、新メニュー登場。タンタン麺です。注文すると小さなすり鉢にゴマがたっぷり出されて、「擦って待ってて下さい」と。コリコリと混ぜながら待っていると、タンタン麺に小さなご飯とラー油が運ばれてきました。ラー油を少しとゴマを入れて半熟卵を崩して混ぜて食べるとおいしい!!麺はふつうの中華めんと違って、韓国で食べた冷麺のような食感です。それはそれは美味でした。残ったお汁にごはんを入れて食べるとまたおいしい!全部食べてしまいました。ごはんはお替わり自由と言われましたが、さすがにそれはなしです。うどんやさんのタンタン麺。今度はタンタンうどんを食べてみようと思います。



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「8.6ヒロシマ-平和の夕べ-」のご案内④

 私の4月25日のブログ、ここにあるのですが、三代目春駒さんの「横を向いて歩こう」について書きました。その歌の優しさに思わず涙ぐんだのですが。その彼が今年の「8.6平和の夕べ」でトップを切って歌って下さいます。「横を向いて歩こう」も素晴らしい。そして、何と言っても彼の代表作「その男ヨシオ」もぜひ聞いてほしい曲です。

 私たちのプリントに書いた彼のプロフィールです。

『芸者として博多で活躍していた祖母「春駒」の芸号を継ぎ、ミュージシャン、フリーライター、アートディレクター、ナレーター、武術師範などボーダレスに活動。祖父ヨシオのヒロシマでの被爆体験をもとに2001年に発表した反骨ソング「その男ヨシオ」は、2011年の福島第一原発事故以来、「サイコーに勇気が出る歌」と再び話題を呼んでいる。』

 ぜひそのライブをYou Tubeでお聞き下さい。



『   「その男ヨシオ」  詞・曲/三代目春駒

1945 「8月6日」 イン・ヒロシマ
ガイガーカウンター 振り切るほどの放射能
まだ黒焦げの 焼死体くすぶる 瓦礫の街
見ろよ一人の男が 汗にまみれもう家を 作りはじめてる

そーだ!
その男ヨシオ
この俺のジイチャン
その男ヨシオ
くじけない男
オリャ、オリャ、オリャ!生きたるんじゃ!

ツライ時こそ 笑ろうてみせや 男なら
絶望の朝に 希望のメロディ 口ずさめ
まだ幼い カズオの命が 腕の中
なすすべなく 儚く 終わったとしても

そーだ!
その男ヨシオ
涙に沈んでも
その男ヨシオ
何度でも立ち上がる
オリャ、オリャ、オリャ!生きたるんじゃ!

あなたが逝ってしまうまえに
もっと話したいこといっぱいあった
あたたかな眼差しのその奥の
覗いちゃいけない 哀しい記憶を 

今もずっと
溢れる勇気で
その男ヨシオ
俺を照らし続けてる

その男ヨシオ
この俺のジイチャン
その男ヨシオ
くじけない男
オリャ、オリャ、オリャ!生きたるんじゃ! Don't give up!

Get up,Stand up、、、、足に力込め
Get up,Stand up、、、、大地を踏みしめて』


『あなたが逝ってしまうまえに
もっと話したいこといっぱいあった
あたたかな眼差しのその奥の
覗いちゃいけない 哀しい記憶を』
このフレーズがたまりません。私が父に言いたかったこと、そのものなのですもの。私だけでなく、親を亡くしたすべての人が持つ感情ではないかと思います。


 広島の被爆者としてお話しいただく近藤紘子さんや講談師神田香織さんや、被爆電車の体験を話していただく米沢鐵志さんのことなど、まだまだ「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内は続きます。どうぞ飽きないで読んで下さいませ。よろしくお願いします。



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「8.6ヒロシマ-平和の夕べ-」のご案内③

 今年の平和の夕べのメインの平和講演には、「小出裕章先生」が来て下さいます。小出先生は、もう改めて言うまでもないでしょう。京都大学原子炉実験所の助教でいらっしゃいます。助教とは、昔の言い方の「助教授」と思われがちですが、昔の「助手」。その職を助教と言います。

 福島原発の事故で分かったように、多くの研究者が電力会社から多額の研究費などをもらい、原発推進の役を担い、「原発ムラ」が形成されていると言われています。その研究者たちが福島の事故で行ったことの醜さ。「ただちに健康被害はない」だの、「笑っていれば健康被害は少ない」なんてとんとでもないことを言った人もいます。沢山のウソがふりまかれて来たことは、もう、多くの国民の前に暴露されました。

 小出先生たち、京都大学の「熊取六人衆」と言われる研究者たちは、一貫して原発の危険性を訴え続けてこられました。しかし、これまでの政治の中で、ここの研究者たちは、研究費も少なく昇進など全く無関係な立場に置かれてきました。

 私たちは、これまでずっとその六人の先生たちのお仲間、今中先生、小林先生などに来て戴いて、毎年平和の夕べの中で語って戴いてきました。

 今年こそ、メインに小出先生にお話しいただきたいと強く思いましたが、福島の事故以来、先生は超多忙でいらっしゃいます。早くからその計画は立てられないと断られる中で、じっと待ちました。そして、なんとかスケジュールの予定を立てられるという時期が来て、渾身の思いを込めてお手紙を書きました。こことこの次の日にお手紙を載せています。そして、先生からうれしいお返事を戴くことができました。本当にうれしく思います。

小出先生の著書です。「隠される原子力・核の真実-原子力の専門家が原発に反対するわけ」(創史社)、
「放射能汚染の現実を超えて」(河出書房新社)、「原発のウソ」(扶桑社)、「原発はいらない」 (幻冬舎ルネッサンス新書)、「知りたくないけれど、知っておかねばならない 原発の真実」 (幻冬舎)、「子どもたちに伝えたい―― 原発が許されない理由」 (東邦出版)、「小出裕章 原発と憲法9条」(遊絲社)、

Photo そしてドキッとするタイトルの最新刊です。

 私たち実行委員は、これから8.6に向けてより意志を固めるため、瀬戸内海に面した伊方原発のフィールドワークと、隣の県の島根原発の見学に行く予定でいます。

 全国の皆様、8月6日にはぜひ広島においで下さい。そして、一緒にヒロシマの地で小出先生のお話しを聞きましょう!! 広島の皆様、また暑い長い一日となるでしょう。遅い午後からは、ぜひYMCAにお越しくださいませ。

このシリーズ、まだ続きます。もう少しお付き合い下さいませ。


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「8.6ヒロシマ-平和の夕べ-」のご案内②

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 昨日のプリントの裏面です。画像をクリックすると大きくなります。そこに出ている峠三吉の詩「呼びかけ」。

峠三吉は、「ちちをかえせ 母をかえせ・・・」であまりにも有名ですが、1953年、被爆から8年後に亡くなるまでに沢山の詩を残しています。これまで私たちのプリントには峠三吉の詩を引用して使わせていただいています。

 2010年の平和の夕べには峠三吉の原爆詩集の中の「墓標」から

『「仆れた母親の乳房にしゃぶりついて
生き残ったあの日の子供も
もう六つ
どろぼうをして
こじきをして
雨の道路をうろついた
君たちの友達も
もうくろぐろと陽に焼けて
おとなに負けぬ腕っぷしをもった

負けるものか
まけるものかと
朝鮮のお友だちは
炎天の広島駅で
戦争にさせないための署名をあつめ
負けるものか
まけるものかと
日本の子供たちは
靴磨きの道具をすて
ほんとうのことを書いた新聞を売る』

 2009年のプリントには同じ「墓標」から次の部分引用させていただきました。


『君たちよ
もういい だまっているのはいい
戦争をおこそうとするおとなたちと
世界中でたたかうために
そのつぶらな瞳を輝かせ
その澄みとおる声で
ワッ! と叫んでとび出してこい
そして その
誰の胸へも抱きつかれる腕をひろげ
たれの心へも正しい涙を呼び返す頬をおしつけ
ぼくたちはひろしまの
ひろしまの子だ と
みんなのからだへ
とびついて来い!』

 そして、今年は「呼びかけ」です。

『    呼びかけ

いまでもおそくはない
あなたのほんとうの力をふるい起すのはおそくはない
あの日、網膜を灼く閃光につらぬかれた心の傷手から
したたりやまぬ涙をあなたがもつなら
いまもその裂目から どくどくと戦争を呪う血膿
をしたたらせる
ひろしまの体臭をあなたがもつなら

焔の迫ったおも屋の下から
両手を出してもがく妹を捨て
焦げた衣服のきれはしで恥部をおおうこともなく
赤むけの両腕をむねにたらし
火をふくんだ裸足でよろよろと
照り返す瓦礫の沙漠を
なぐさめられることのない旅にさまよい出た
ほんとうのあなたが

その異形の腕をたかくさしのべ
おなじ多くの腕とともに
また墜ちかかろうとする
呪いの太陽を支えるのは
いまからでもおそくはない

戦争を厭いながらたたずむ
すべての優しい人々の涙腺を
死の烙印をせおうあなたの背中で塞ぎ
おずおずとたれたその手を
あなたの赤むけの両掌で
しっかりと握りあわせるのは
さあ
いまでもおそくはない』

 私は今もはだしのゲンを英語で読む講座に通っています。そして、あの原爆で多くの子ども、市民が焼き殺され、その後かろうじて生き残った多くの子どもたちが、食べるものもなく、住むところもなく、生きるために必死であったことを実感させてもらっています。

 その廃墟の中で、峠三吉が8年のうちに残した詩は、福島で原発の事故が起こり、世界を見れば地球が何千回も廃墟となるほどの核兵器が配備されている今も、そのまま通用する詩なのですね。

「今でもおそくはない」今回の平和の夕べは、その思いで取り組みたいと思います。(チラシの中の写真は私が撮りました。平和公園の片隅にひっそりと佇む峠三吉の碑は、ウーロン茶がぽっんと置かれているだけ。折り鶴の一つもなく、さびしいものでした。)


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「8.6ヒロシマー平和の夕べー」のご案内①

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 今年の「8.6 ヒロシマー平和の夕べー」のパンフができました。ヒロシマ・ナガサキの被爆者、被爆二世が中心となって8月6日に行なって来たこの平和の夕べは、今年で5回目を迎えます。毎年、年を経るにつれ、多くの皆様が参加してくださるようになりました。

 昨年は被爆の原点を見直そうとの思いで、「はだしのげん」の漫画家中沢啓二さんにお話し戴きました。肺がんを患いながらも、その悲壮な体験と平和を望む中沢さんの心からの訴えに、心打たれました。

 今年の平和講演には、京都大学原子炉実験所の小出裕章先生にお出いただきます。一貫して「原発の危険性」を研究し、警告して来た小出先生が、8月6日の広島で講演して下さることに、大きな期待と喜びを抱いています。

 会のはじめにはミュージシャン三代目春駒さんに「その男ヨシオ」を歌って戴きます。そして、小出先生の講演。そのあとはヒロシマの被爆者近藤紘子さんのトーク。そして、講談師の神田香織さんに「はだしのゲン」の講談をしていただきます。

 今年も昨年に引き続いて豊富なメニューを用意することができました。ぜひ多くの皆様のご参加を呼びかけます。今日からしばらく、発言して戴く方のご紹介など、会のご案内をしますね。お付き合いくださいませ。


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日食、見ましたよ。

 昨日のこと。朝6時。前日下見をしていた場所へ自転車で行きました。原爆ドームの向いの橋の上です。そしたら、そこは某テレビ局がいて中継のリハーサルをしていて、がっかり。すぐそばに行く訳にも行かず・・・。

Dscn1320_1280x960 場所を変えて・・・。この川沿いは、三脚を立てた豪華なカメラの人たちがずらり。広島ではこのアングル、と、多くの方が考えることは同じなのね。でも、私は粗末にデジカメの、それも三脚なしで。この後ろの方でひっそりと待ちましたが、厚い雲。とても太陽は出そうもなく、しばらく待って、結局家に帰りました。

 私の家からは回りがビルだらけで朝の太陽は見えません。しばらくテレビで観測していて、それでも雲が切れないかと、また自転車で今度はここへ。


Dscn1324_1280x960 ここにもたくさんのひとがベンチに座ったり回りに三脚を構えていたり・・・。私はどうせ私のカメラでは風景と共に太陽を撮るのは無理なので、ただ回りにビルがなくって見える場所を探したらここだったということなのですが。そして、見えた見えた!! 


Rscn1350_1024x768_1024x768Rscn1349_640x480_640x480 前日に緩和ケア医さんに頂いた日食メガネをくっつけてフラッシュ禁止にして撮ったら・・・。


Rscn1352Rscn1351_1024x768 あらま、どうしてこんな光が出るの??手振れかしら。

 前日、日食メガネが手に入らないと泣きそうに電話をかけて来た娘。東京の自分の部屋からは朝日がばっちり見えるのに、と。結局、サングラスにサランラップを張り付けて、クロマジックを塗ったら、すごーくよく見えたと、感動して電話をしてきました。良かった良かった。

 珍しいことには何でも興味いっぱいのよく似た者親子です。

 私が小学生の時にはきれいな金環日食を見ました。その時は下敷きで見たのですが。周りが薄暗くなって、風が吹いて、回り中の小鳥が一斉にうるさいくらいに鳴いたのを強烈に覚えています。今回は朝、夜明けすぐ、それも曇りだったので、そんな変化はなにもなかったような・・・。

 朝早く自転車で行ったり来たり。そして仕事へ。ちょっと疲れました。


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ひまちゃんを囲む会・続き

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 ひまちゃんのとなりにどさっと分け入った⑦パパが促して、ひまちゃんが泣きながらみなさんにお礼を言うのを、⑦パパが通訳をしてくださいました。このあたりが、⑦パパの本当に優しいところです。

 とら吉さんが何度も入退院を繰り返して、最後の入院の時、私と音♪さんが病院に行くと、とら吉さんが「ひまちゃん、よかったねえ。お友達が来てくれてよかったねえ」と言って泣きました。それまで何度会っても決して泣かなかったとら吉さんが、初めて泣き顔を見せたのです。もう黄疸で全身真黄色でした。浮腫もひどくて、足はぱんぱんでした。そんな状態でも、自分が亡くなった後のひまちゃんを心から心配するとら吉さんでした。

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 とら吉さんに代わって、私たち友人が、これからの一人暮らしを少しでも支えることができれば、と思います。もちろん、日々の生活はご両親やヘルパーさんたちの力が大きいでしょう。その生活にメリハリや楽しさや力を得ていただくために何ができるのか。少しの時間でも、ひまちゃんに声をかけ、訪問して会話をし、一緒に何かを食べ、なんてことができればなあと思います。 とりあえず、これから私は六月に二回、三次で講演があります。その途中に寄ろうと思います。(写真は、韓国のホテルでスワロフスキーのトラを探したけれど、やはりトラはなくって(あたりまえかしら)猫にしました。写真が下手だけど、小さな猫が頼もしい彼を見上げています。)

 会の最後にshiozyさんからのご報告とお願いがあったのですが、酔っぱらったshiozyさんがちゃんと言いませんでした。酔ったせいでなく、シャイなのかしらね。市民運動や草の根をしているときに私たちはなれているから、ボランティア活動のために募金を呼びかけるのはしょっちゅうなのですが。

 ボランティアとして何かをするときに、たとえば車いすを押していて、ひっくり返ってしまって、けがをさせたというようなとき。または、当日に車で安芸高田から広島にひまちゃんを乗っけて来た、でも交通事故に会ってしまったとか。そんなときのためです。その時の保険に入りました。保険金は取りあえずshiozyさんが立て替えて下さっていたのですが、それをみなさんでシェアしていただけないかというもの。結局「ひまゆい」でまた呼びかけようと思います。

 ボランティアと責任。以前から難しいことではあります。エイズダイアルの日曜検査で針刺し事故をやったというようなとき。そのための保険も論議し、対策を取ってきました。友人だからということでも、何かあったら、その時の安心があった方がいいというのは当然ですのでね。

Dscn1303_1024x768Dscn1308_1024x768お料理の一部、イカの活け作り、刺身の後は天ぷらになりました。それから、一人ずつのチーズの入ったトマト鍋。他いろいろ。飲み放題でも食べるものも充実していたと思います。難を言えば、狭くて騒がしくってごめんなさい。もう少し静かなところで、ゆったり動けるスペースでできればよかったのですが。ただ、そういうところは高いのですよねえ・・・。

 参加したみなさんのひとことずつも暖かい、ほっこりと優しさに包まれた会だったと思います。改めて皆様ありがとうございました。


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「ひまちゃんを囲む会」

 昨日のひまちゃんを囲む会無事終了、計25名の皆様ありがとうございました。とっても楽しかった!!ですね。県北からひまちゃんを送り迎えして下さった皆様、ありがとうございます。

 それに、テンペさんと音♪さんがひまちゃんの両側に座り、食べることや飲むことをしっかりサポートしてくださって。おかげでひまちゃんも食欲いっぱい。泣いたり笑ったりしながらもりもり食べる姿に、何度笑ったことか。だって巻きずしを一口で、それも四切れも食べたのですもの。

Dscn1310_1024x768 志音さまは本当に素敵なオカリナの演奏をして下さいました。コンサートには似つかわしくないお店での演奏、さぞやりにくかったことと思いますが、でもお店のほかのお客さんたちも耳を澄ませていましたよ。ありがとうございました。本当は、もっと何曲か演奏していただきたかったのですか、環境があまりによくないのがお気の毒で、アンコールを言えませんでした。

 遊布戀さまは、一人ひとりにシジミの手作りのストラップを下さいました。縮みの布に鈴がついて、それに紐も手作りなのですって。とても手が込んでいます。ありがとうございました。

 緩和ケア薬剤師様は、緩和ケア医の高橋先生からのプレゼントを持ってきて下さいました。なんと、日食メガネ。その日、そごうにもデオデオにもどこにも日食メガネがないと、妹ががっかりしてクリニックに来た所でした。これにはみなさん、歓声を挙げて喜びましたよ。もちろん私も。高橋先生、ほんとうにありがとうございました。


Dscn1312_1024x768 くりき妻様は急な用で参加できなくなって、代わりに大工くりき様が参加して下さました。そして、くりき妻様から手作りのバッグがひまちゃんにプレゼントされました。くりき妻様は、さまざまなリフォームを手掛けています。中でも、帯を使ったバッグは大好評で、このプレゼントも帯の柄が素敵な模様となって、かつひまちゃんの体でも持てるように斜め掛けできるようになっていて、心遣いを感じました。

 それになによりひまちゃんがパソコンを使って作ったという参加のみなさんへのプレゼント。ああ、何ということか。みなさんへのお手紙と絵。ひまちゃんが渾身込めて作ったそれを私は紛失してしまったのです。会場を出る前に何か忘れ物がないかと見たときに、封筒が忘れてありました。それをshiozyさんが預かって下さったのですが。それは私のだった!!のですね。今皆様にお見せすることができないけれど、どうぞどなたかアップして下さいね。shiozyさんいつかお会いするときに私に渡してくださいませ。よろしくお願いします。


Dscn1316_1024x768 高橋先生の日食メガネとパンフレット。真ん中のが遊布戀さんの手作りのシジミのスプラット。それにひまちゃんからのハンカチとC.D.。私はたくさんのひまちゃん作詞の歌の中でこの「つめきりラブソング」が一番好きです。


皆様には、これでどうぞ。ひまちゃんはこの歌をとら吉さんが病気になった後に作ったのですが。ひまちゃんの思いが切々と伝わってきます。

 もう少し、明日もこのひまちゃんを囲む会について書きますね。


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キャンセルされた学校から講演依頼が来ました!!

 今、今年度の講演の依頼がまだ来続けています。実は、昨年度になぜか急にキャンセルになった学校があります。私には時々あることで、ああ、またかと思うのだけなのですが、でも、そこの講演が入っていてスケジュールが埋まっているときに、他からの依頼を断らざるを得ないこともあります。その日が近づいてから急のキャンセルだと、どうせキャンセルするなら、もっと早くしてよ、という気にもなります。そしたら、ほかの学校の依頼を入れることができたのにと。

 なぜなのか、だれがどう動いてキャンセルになったのか、それは全く説明されませんし、私もあえて聞こうとは思いません。友人の北村邦夫など、キャンセルされたなら、キャンセル料、損害賠償を請求しろなどといいますが、まさかね。

 でも、そのキャンセルされた学校から、また今年度の講演の依頼が来ました。誰がどう動いて講演が年度を変えて復活したのか、それもわかりませんし、あえて聞こうとは思いません。ただ、ありがたいことです。喜んで行かせていただきますとお答えしました。いろいろあるものです・・・。

 また、先日、六月に講演に行く予定の主催者の方から「先生、いいものばかり食べてらっしゃる」と言われました。ブログを読んでいらっしゃるのですね。私、毎日いいものばかり食べているわけではありませんが。日頃のランチ、ほとんどは「ちからそごう店の」中華そばミニか、讃岐のにゅうめんか、時間がないときにはついそばの100円パンのパン二個かで済ませています。たまに、豪華なランチを食べたときに、ブログに出す訳で・・・。

 講演に行ったときにも、ほとんどは講演だけで飛んで帰ります。たまに駅弁を買って帰って夫と二人で家に帰って食べるくらいのものなのですが。食事をごちそうになるというのもめったにないことなのですが。気を遣わせてしまって申し訳ないことでした。ちょっと反省です。

 さて、韓国ソウルで食べたもののアップがまだまだたくさん残っています。

Dscn1223_1024x768 昨年私が一人でソウルに行ったとき、どこかでランチをとさまよって、わからないままに入ったお店。そこが明洞の「火」という店だったと言うことだけ覚えていて、そして今回探しました。窓からキンパの店が見えていたことなどを頼りにやっと見つけたお店。野菜とイカやタコなどの炒めもののお店です。お店のお兄さんが炒めてくださると、真っ赤になります。辛いけど、おいしい。それにおかずがそこらのお店と違って。卵のふわふわやピーナッツの煮たのとか、楽しくおいしいのがいろいろです。もう一回行けて満足。でも、夫は「あさりのスープ」なんて韓国料理らしくないのを頼むから、日本のあさりと全然違うくさいおいしくない貝の吸い物で、うんざりしていました。

 今日はいよいよ「ひまちゃんを囲む会」です。参加表明した方、必ず出席してね。人数分きっちりお料理を頼んでいますので。今回は3500円で飲み放題付き、でも500円出すと、イカの生け作り付きといわれたので、そうしました。ひまちゃんと県北から来られる方たちに食べてもらいたいと。だって、ここにはプールみたいな水槽でイカがが沢山泳いでいて、甘くてとてもおいしいのです。お楽しみに!!私はぎりぎりまで仕事があるので、音♪さんに受付をお願いしました。もし早く来られた方があれば手伝ってあげて下さいませ。ひまちゃん、ひまちゃんと同行される方、どうぞお気を付けていらっしてくださいね。


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喫茶「青山」の閉店にびっくり。

 昨日は、休診日ではあるけれど、午前中からクリニックへ。午後ある中国新聞文化センターの講義の準備。配る資料をせっせと作りました。自分でコピーしてホッチキスで止めて。更年期の治療の基本。漢方の情報。ホルモン補充療法の種類、方法、そのメリット・デメリット。その合間にトウモロコシ茶をつくり、百均に紙コップを買いに行き・・・。せっせと作っていたら、あっという間に時間が来てしまいました。結局ごはんも食べないままに教室に。

 講義は少人数で和気あいあいと進めることができました。そのあとで、講座の受講者の一人nancyさんとお茶を飲みましょうと喫茶へ。はじめにそごうの一回の「青山」に行って驚きました。あの「青山」が5月13日をもって「閉店」していました。ええっ?ここは流行っていたはずなのに閉店なんて。経営上の問題としか考えられないけれど。どうしたのかしら。今、あちらこちらのお店が閉店してたり、いつの間にかほかのお店になっていたりとよく遭遇します。ここも苦しかったのか、またはなにか事情があるのか、よく分からないけれど。青山には、本当にびっくりしました。

 今、私がひいきにしているお風呂の「やまとの湯」。ここのマッサージも四月に突然閉店してしまって。ここはみなさん上手で大好きで、とても疲れているときにはマッサージをしてもらってそれからお風呂へというのが私の贅沢の一つだったのですが・・・。ある日お風呂に行くと、突然しまっていてびっくり。何のお知らせもありませんでしたので。

 何だか、上の方、経営者の間で何かあったらしくて。次をまた近々オープンしますと言われて久しく、まだそのままです。お風呂屋さんのマッサージは、そこそこのお風呂屋さんが独自でやっているのではなくって、マッサージの会社との契約でマッサージ師さんが派遣されて来ているのですね。

 ああ、と胸が痛みます。私のクリニックもそうならないように頑張らなくっては。四月、健康保険の改定がなされて、またまた収入が減ってしまいました。全体としてはそう変わらない改定だったようですが、私たちのような零細婦人科開業医にはつらい改定です。

 結局nancyさんとは六階の風車へ。するとまたまたびっくり。すべての受講者の方たちがそこですでにお茶していらっしゃいました。nancyさん夫妻とは、20年以上前、広島エイズダイアルを立ち上げたときからのお付き合いです。nancyさんは、パンフレットなどのデザインをして下さったデザイナー。彼女が作ったお人形が市内のあちこちで撮影されて、「平和カレンダー」になったこともあります。その後生まれたお子さんが、もう高校3年生。時の流の速さを痛感します。

Dscn1301_1024x768 その後またクリニックに戻って、明日の「ひまちゃんを囲む会」のお土産づくりをしました。私の韓国からのお土産の仕分けをして袋に入れましたよ。中身はいろいろだけど、金額的に不公平がないように心がけました。基本は、「カナダ産アイスワインの小さいの」と、「ロクシタンのハンドクリーム」と「韓国のポシャギの巾着」。これに小物、ボールペンとか、黒ゴマのチョコレートとか、韓服の人形のマグネットとかを組み合わせました。何だこんなもの何て言われないことを願って作りましたよ。これで準備万端。

 全部作り終えたら、ツカレター!! 腰が痛い、体がしんどい!!ちょうどそのとき、夫から電話がかかってきました。夫も会議から帰ったばかり。ごはんを外で食べようかと。願ってもないことです。すし亭でお寿司を食べ終わると、もうふらふらよろよろで。

 ここの所、診療が住むと、夜の往診が頻回にあったり、夜中の電話があって注射液を取りにクリニックに駆けつけたりで、結構睡眠不足です。まだ五月には少しゆとりがあるけれど、六月になると、怒涛のごとく講演が入っていて、全国飛び回ることになります。それまでに体力をしっかりつけておかなければ。とりあえずは睡眠不足の解消で、昨夜は泥のごとく眠りました。


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「ひまちゃんを囲む会」は明後日です。

Dscn1254_1024x768 19日の「ひまちゃんを囲む会」明後日になりました。これまで参加を申し込んでくださった方は計24人です。とても楽しい会になりそうです。ひまちゃんは、県北の方たち、テンペさんやクンちゃんさん、よしじいさんなどが一緒にきて下さるそうで、安心しました。とらきちさんが亡くなって、一歩一歩一人暮らしを歩んでいるひまちゃんに、みんなでエールを送りたいと思います。

 さて、その会に参加してくださる遊布戀さんが届けて下さいました。参加のみなさんに一つずつと。写真ではよく分からないかもしれません。一つ一つ手作りで、それも素敵な高価な布で丁寧に作ってくださっています。さらにこれも一つずつ素敵なデザインの手作りの袋に入れて下さっています。さあ、この心のこもったプレゼントをどうしましょう。遊布戀さんは、受付のところで一つずつ好きなのを持って行ってもらってと言われますが、それにはあまりにもったいないし・・・。当日まで知恵をしぼりますね。参加の皆様、お楽しみに!!

 今日は中国新聞文化センターでの講座です。受講して下さる方たちへ毎回お出ししている「漢方飲み物」。


Dscn1282_1024x768_1024x768Dscn1287_1024x768  今日は五味子茶(オミジャチャ)です。オミジャは、モクレン科チョウセンゴミシの赤い果実です。この実を乾燥させたものが「五味子」と呼ばれる漢方薬です。この実を一晩水につけておきました。朝、こんな風に膨らんで、養分が浸出しています。


Dscn1289_1024x768 これをこして、火を通し、はちみつを加えました。今回は、少しなつめ茶も加えています。そして、再度漉して出来上がりです。きれいな透き通った赤の飲み物が出来上がりました。今冷蔵庫で冷やしています。冬は暖かくして飲みますが、今日は暑そうなので冷やしました。五味子の名前は「甘、酸、辛、塩、苦」の五つの味を持つことに由来しています。咳止め効果があり、のどにとてもよく、集中力を高める効果もあります。ネットで調べると「咳止め、疲労回復、消化機能の正常化」と書いてありました。


Dscn1293_1024x768  はちみつを入れて飲みやすくしていますが、もし、酸っぱいのが苦手な方がいらっしたらいけないので、もう一つ、先日のソウルで買って来たとうもろこし茶も作っていきます。これも香ばしくっておいしいお茶です。貧血、便秘、冷え性などに効果があります。ソウルのスーパーマーケットで買ったら、ティーバッグが15個入っていて、約80円。今、毎日これを作って職場に持って行っています。今日は、この二つのお茶を飲みながら更年期の治療のお話しをします。


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小学5年生の理科の授業「人の誕生」続き

昨日の続きです。城さんの小学5年生理科の「人の誕生」から。

④胎児の成長

 城さんは、では、生まれたときにできているもの、どんなものがある?たとえば鼻とか目とか手、指とか。それらがどんな順番でてきているのだろうか、と問います。赤ちゃんが生まれてくるときの大きさの人形、またいろいろな大きさのキューピーを用意しました。

 点で突いたような大きさの受精卵から、ここまでだんだんと大きくなる様子をその人形たちと、それからフランス製のDVDの動画で見ます。その動画も素晴らしくきれい。赤ちゃんがだんだん作られていく様子、初めは受精卵から、しっぽがある時、そしてだんだんと体が作られていき、たとえば手の指はどうできるか、ということなどがよく分かります。また、出来立ての胎児から、心臓が動き始めるところの映像も。それらは、私が見ても感動的な映像でした。

 城さんのすごいところは、こうしてさまざまな映像などの資料をふんだんに使って、一時も飽きさせないことです。こんな資料集めも一筋縄ではできないだろうと思います。


Dscn1285_1024x768 さらに、妊婦さんにわたす本にあるような人の誕生カレンダーも配ります。そこにはちゃんと受精から○週目とにんしん○週とにんしん○か月というのが分けて書かれています。心臓が動き始める、手や足の指がわかれる、目耳ができる、髪の毛が生えはじめるなどが書き込まれています。時々の身長や体重も。

 さらに、資料が配られます。母親の子宮の中で胎児(お腹の中の赤ちゃん)がしていることはどれでしょう。

○動く   ○食べる   ○飲む   ○息をする   ○尿を出す   ○便を出す   ○目を開ける   ○聞く   ○話す   ○見る   ○見る   ○たいばんをつくる   ○へそのおをつくる   ○羊水をつくる   ○生まれる合図を出す

みなさんはわかりますか? これらの中で、特に生徒たちがびっくりするのは、尿をだし、それをまた胎児が飲み、自分の腎臓できれいにしてまた尿を出すという、そんなことを胎児がしているということですね。

⑤出生

 これも動画で、赤ちゃんが生まれる映像を使います。赤ちゃんが生まれてすぐに泣くのはなぜだろう、肺がいっぱいに膨らんで自分で呼吸し始めるその姿はまた感動です。

 五時間の授業のまとめで、子どもたちのの感想は、赤ちゃんはお腹の中でいろんなことをしている、すごいな、生まれてきてよかったな、と見事に書かれていました。ちなみに、性交について書いていたのは、一人だけ。これまで汚いイメージだったけど、大事なことなんだとわかったと。

 性教育というと、いまだにセックスをする方法を教える、とんでもないととらえている人がいます。そんな人が政治を動かしてきました。そうではなく、性交なんて、ほんの一部のこと。こんな実践を見ると、やはり性教育は命の教育なのだということがよく分かりました。そして、こんな授業を受けることができた子はしわせだと。でも、こんな授業を受けることができるのは、ほんの一部に過ぎないのですね。


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小学5年生の理科の授業「人の誕生」

Dscn1272_1024x768 13日日曜日の性教協広島サークルの例会での城さんの報告。「生まれてきてよかったな」~5年生「人の誕生」で自己肯定感を高める~どの子にも自分の誕生を肯定的にとらえてほしいという思いで取り組んだ5年生理科での授業実践です。写真や動画や資料をふんだんに使った授業は、とても楽しくて、感動的でした。何より城さんには、29年間実践し続けた裏付けがあります。

1. はじめに

「生んでくれてありがとう」の前に「生まれてきた自分の力」を感じてほしい

 よく、自分自身が生まれてきたときのことを、保護者に聞き取りして来ることがなされています。しかし、今のような社会になったとき、必ずしも実の親に育ててもらっていない子もいるし、また実際にあったことなのだけれど、「自分はいらない子だったけど、何かの事情で生まないといけなくなったんだ」と親に言われて、それをみんなの前で発表した子もいたと。女子の場合、「女でもよかったよ」と親に「でも」と言われた場合もあったと。必ずしもみんな回りから待ち望まれて生まれてきたという、こちらの思いを保護者が返してくれるとは限らないということでした。だから、城さんは保護者からの聞き取りはしない。生まれてきた自分自身の生命力を感じ取れるようにというのを心掛けた授業を行ったということでした。

 さらに、これまでは理科でメダカの誕生か人の誕生かどちらかを選択するようになっていました。(これも性教育のバッシングの一つの表れでもあります)でも、城さんはどちらかはなく、両方やってきたと。一昨年度からやっと両方学ぶように教科書が以前のように戻ったとのことです。

2.授業

①産卵数・産子数

 まず、サンゴの産卵の動画を見せてもらいました。とてもきれいな沖縄の海で、何十万個もの卵がさんごの口から放出されます。一つのサンゴから20万個。それが一斉ですから、大量です。そうして産卵された沢山の卵は海をただよいながら精子と出会い、受精します。それは幻想的ともいえる美しい映像でした。

 そのあとに出てきたのは、なんとタラコの写真。これなーんだと。にタラコの実物を見せたこともあるそうですが。一腹のタラコの中に何個の卵があるか。実際に少しずつ分けてみんなで数を数えるという実践をした先生もあるそうです。一つのタラコで20万個の卵があるとのことでした。

 さらに、どんな魚がいるかな?と、次々と魚の写真が出てきます。マンボウ、ブリ、タラ、アイナメ、コイ、トゲウオ。これらの魚が一回に生む卵の数が多いのはどれだろう? と。それは、ここに並べた順です。

 マンボウは一回に約3億個。ブリは180万個。タラは20万個。アイナメは1万個。コイは6~9千個。トゲウオは100個なのですね。どうしてこんなに数が違うのか。上から三つ、タラまでは海中に生んで産みっぱなし。海の中でかってに育つのですが、その多くは他の魚に食べられたりで、実際自分で産卵できる大人になるのは1か2匹だけなのだと。アイナメとコイは、何かに卵をくっつけて漂わないようにするのでこの数でいいのだと。さらにトゲウオは自分で巣を作って子守りをするので、100個でいいのだと。こんなこと知らない私にはとても新鮮で面白いのです。

 次に鶏の卵について、魚の卵と違うのは何だろう。固いからがある。からが大事な中身を守ってくれている。でも、困ったことがあります。からが固いと精子と出会うことができません。たがら、からができる前にお母さんのおなかの中で精子とであい受精をします。卵を産むのは鶏は一度に1個ですが、蛇は10~20個。かえるは1000から2000個なのですね。

②子宮で育てる動物

 馬は一回に一頭。犬や猫は3~5匹。お母さんのお腹の中で育つので安全だから生まれるのが少なくていいのです。そこで、受精に行きます。鶏や馬などの受精ととともに、人の受精についても。たくさんの動物たちとともにさらりと語られますので、ちっとも違和感はなく、素直にはいります。

③人の受精

 人の受精は動画でまたとてもきれいな映像が使われます。一回に約3億の精子が子宮の中に入って約数100が卵管に入っていき、出てきた卵に出会います。精子みんなで精子の頭のところにある酵素で、卵の回りの膜をとかし、やっとあいた一か所の一番そばにいた精子が中に入ります。このような映像を制作しているところはたくさんあるのですが、「一番先に卵にたどり着いた精子が入ることができる」とか「勝ち残った精子が入れる」とかいう表現は間違いなのですね。あくまでも偶然なのですね。そうして一個の卵と一個の精子が出会ってできたのが君たち自身なのだと。子どもたちからは「ラッキーじゃった」「奇蹟じゃ」とかという言葉が出たそうです。

長くなりました。また明日に続きます。


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息子たちとカープでした。

 昨日は、午前中は性教協の例会で、城さんの授業の実践報告 「生まれてきてよかったな」~5年生「人の誕生」で自己肯定感を高める~に参加しました。

 それは素晴らしい実践で、私自身にも勉強になることや感動がたくさんありました。そして、こんな授業を受けることができる生徒は幸せだと思いました。この授業については、またちゃんと報告しますね。

 午後は急いで球場へ。帰ってきている息子夫婦と姉の家族、姉、姪、甥、甥の子たちは早くに球場に入っていました。中で合流です。

 久々のカープ、打ち合いで面白かったです。最後にピンチヒッターの前田が打ってくれていたら、もうサイコーの試合だったのですが。まあ、今のカープだったら、引き分けで良しとしましょう。

Rscn1276_1024x768 途中、カープ侍たちに会いましたよ。みんなうれしくって記念撮影です。柿さん、Dr.でぶログさんにもお会いしました。でぶログさんにお会いしたのは初めてでしたが、ちっとも太ってなくってかわいい人だったのでびっくりしました。

 野球がすむと、そのまま徒歩で広島駅へ。甥親子はJ.R.で、息子夫婦は新幹線で帰っていきました。息子は松山での友人の結婚式に出席するために行き帰りに寄り道してくれたものです。ちっょとだけしか会えなかったのですが楽しかったです。また寂しくなりました。


Dscn1252_1024x768 帰ってきた金曜日にはお好み焼きが食べたいというので、長田屋へ。もっといいものをごちそうしたいと思ったのですが、お好み焼きが食べたいから帰ってきたのだからと言います。手が写っている息子はそばのダブルです。生ビールの大ジョッキとダブルをペロリとたいらげました。彼女は卵が二つの「長田屋焼き」。彼女もおいしいと言いながら、完食でした。やはり若い人はいいですね。活気があって、こっちまでニコニコします。



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水戸巌さんのこと。②1979年の講演録。

 一つの投書に心打たれた私は、水戸巌さんとその妻喜世子さんのことをもっと知りたいと思いました。

 様々な方がネットに水戸巌さんのことについて書かれていました。そして、びっくりしたのです。水戸巌さんは、救援連絡センターを立ち上げ、初代の事務局長をなさった、あの水戸先生でした。

 私は、全共闘運動の真っ盛りに学生時代を過ごしました。そして、広島の地に救援連絡センターを作るのに、走りまわったものです。当時、広島でもそして東京でも広島大学の学生のたくさんの逮捕者が出ました。逮捕の情報が入ると、すぐに下着や歯ブラシなどの日常グッズを持って差し入れに行き、弁護士の手配をし、警察に、拘置所にと面会に行き…などの活動をしました。私は、セクトの人間ではなく、初めら最後までノンセクトでした。それゆえ、いろいろな立場の人にかかわってきました。逮捕された人の立場を問わない、それが救援連絡センターの使命でした。

 その当時に教えを請うたのが、東京に立ち上げられた救援連絡センターでした。あの水戸先生とこの核物理学者であった水戸巌先生が私の中で初めて結び着いたのです。

こちらのブログに1986年5月1日の東京新聞が掲載されています。ここに生前の水戸巌先生の写真も出ていますし、その当時に先生が言われたことの見出しがそっくり今の福島の状況となっています。「格納容器あっても結果は同じ」「農業は壊滅、居住もできず」「子どもに与える影響大きく」「雨天ならさらにひどい状態」

 さらに、同じ方のブログのここには、1979年の水戸巌先生の講演録「原発はいらない」が掲載されています。しかし、この講演録は、こちらの方のブログの方が読みやすくできています。どちらも、この講演を再録されるのに、とてもご苦労なさった様子が読み取れます。

 でももちろんどちらを読んでも、ほんとうにこの講演が1979年になされたものとは信じられないほど、今の福島の状況をそのまま予言なさったようで身震いします。また、広島の原爆被害についても、ここまできっちりと語って下さってとてもありがたいことです。

 はっきり言えることは、当初から、このようなことをしっかりと専門的な立場から言い続けた人がいるということ。そして、その方たちの言うことを無視し続け、あるいは妻喜世子さんの投書にあるように、そのような声をさまざまな妨害で圧殺しようとした輩がいるということ、それらが政治を動かして来たということは間違いないということです。

 一方で電力会社から膨大な利益供与を受け続けた、学者と呼ばれる人たちが大勢を占めていたということも事実です。いえ、学者や政治家だけでなく、官僚も、マスコミも同罪ですね。

 それにしても、Wikipediaに出てくる高木仁三郎さんの語られているエピソードには涙を禁じえません。その高木先生も福島を知ることなく亡くなってしまっています。水戸先生や高木先生が生きていて下さったら、と思います。でも、水戸先生の意志は高木先生や小出裕章先生たちにしっかりと受け継がれています。高木先生も亡くなってしまったけれど、設立に尽力された原子力資料情報室はここにきて、ますますその存在意義が貴重になっています。

 私は夫と双子の息子さん三人を山の事故で亡くされた妻喜世子さんのことをもっと知りたいと思いました。それは、私の想像を絶することです。でも、反原発だけでなく、さまざまな人権をめぐる活動をなさっているようで、その毅然とした生き様にひざまづきたいと思いました。そして、この投書をしてくださったことに心から感謝したいと思いました。

Photo すでにお知らせしたように、今日は性教協広島の例会です。城さんの模擬授業、楽しみです。一人でも多くの方にきて戴けますように…。今から出発します。

 そして、私はその後カープに行きます。ヒョー、久しぶり!!なのですが。東京から息子夫婦が帰って来ています。かれらのカープを見たいという希望に私も便乗するのです。今日はマエケン。打者に頑張ってもらわないと・・・。ピッチャーが頑張っても見殺し状態が続いていて、かわいそうですね。


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水戸巌さんのこと。①妻喜世子さんの投書

 5月1日のこと。「やまとの湯」で先に上がって夫を待ちながら、何気なく朝日新聞を手に取り眺めていました。その投書欄「声」に「福島事故経て 科学者に勇気」というタイトルの投書が載っていました。このごろ、原発関連にはパッと目が行きます。読むうちに、背中がざわざわしてきました。その文章の明快さ。力強さ。そしてその内容に何より驚愕しました。その投書がずっと頭にあり、そしてさらに知りたいと思いました。この人は何者なのか。この人の夫とは?

 そして調べるうちに、私はいかに無知であったかと思い知りました。この投書の主の夫は、高木仁三郎さんや小出裕章さんの恩師でした。そのことを少しシリーズで書きたいと思います。すでに知っている人にはなんだお前は今さらこんなことをいっているのかと言われそうですが。

 投書をかってに転載させて戴きます。投書主は 無職 水戸 喜世子 (大阪府高槻市 76)さんです。

『 敦賀原発直下に活断層か。原子力安全・保安院の意見聴取会のメンバーである産業技術総合研究所と京大、福井大の専門家ら4人が現地調査し、断層が動く可能性を指摘した。福島の事故という大きな犠牲を経て、科学者がその考察を率直に語る勇気を持ったことに安堵した。国民が渇望しているのは事実だけである。

 原発災害の元凶は、科学者が責任を持つべき分野を空白にしたまま、一部の政治家が政治利用によって原発を動かしたことにある。福島の事故後は、科学不在の政治的発言が横行してきた。浮き彫りになった保安院の無知、重大事故を「直ちに影響はない」とした枝野発言。国民の不信はそれらに根ざしている。

 廃墟に佇む被災者を前に、政治家は科学者の声に耳を傾けよ。科学者には、その職責がどれほど重い社会的責任を伴うかを自覚してほしい。沈黙は体制のゆがみを支えるのだ。

 亡き夫の水戸巌は核物理学者だ。東海原発の訴訟では原発の危険性を証言した。双子の息子も物理学を学んでいた。25年前、3人とも北アルプスで遭難死するまで、反原発の活動にかかわっていた。妨害や、電話などでの嫌がらせは日常茶飯事だった。

 孤立無援、少数の科学者が反原発を叫ぶ時代はもう過ぎ去りつつある。亡き夫、息子とともに、そう信じたい。』

 この項、続きます。

Dscn1246_1024x768 みちがみ病院での胎児の超音波から。26週の赤ちゃん、白人のような顔をしています。お母さんにそっくりです。顔の前に足があります。胎児はときには手だけでなく足の指を口にくわえたりもします。


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悩んでいる?胎児。

 久々にちっょと涙ぐんでしまったことがありました。

「先生、先生からお電話を戴いて、本当にうれしかったんです。実は、僕、このお正月に夢を見たんです。先生がね夢の中で、夏ごろに赤ちゃんが生まれるからねと言ったのですよ。縁があったんですねえ、この縁を大切にして生きたいと思います。」

 ああ、夢にまで出てくるほど、赤ちゃんを望んでいてくださった。待って待って、待ち続けて、そしてやっと順番が来て、それが現実になろうとしている、それを素直に喜んでくださった。本当にありがたいことです。

 これで私は赤ちゃんに「あなたはこんなに望まれて生まれて来るんだよ。さあ、頑張って生まれておいでね。」と言ってあげられます。

 「生んでくれるお母さんとその家族にも感謝しようね。みんな本当にびっくりして、戸惑って、そして育てて上げることはできないという結論を出したけれど、でも、それはそれ。あなたは望まれているのだから。かわいがって育ててもらえるよ。これから楽しい人生が始まるからね。心配しないで生まれておいで。」そう言ってあげられます。

Dscn1248_1024x768 それとは別の話です。昨日のみちがみ病院での妊婦健診で。妊娠23週、まだ6か月の赤ちゃんです。この映像が現れた時「あっ!!悩んでる」と言ってしまって大笑いになりました。お母さんのおなかの中で、胎児は本当にいろいろな表情をします。それに感情が伴っているかは分かりません。でも、いろいろな表情を見ると、どきっとすることがあります。(もちろん、このエコーの写真をブログに出すことはお母さんの了解を戴いています)


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「ひまちゃんを囲む会」の第二報です。

このブログでお知らせしました、「ひまちゃんを囲む会」。たくさんのみなさまの参加の表明、ありがとうございます。楽しい会になりそうで、ワクワクしています。

ここで、間違いがあってはいけませんので、ご参加の方のお名前を確認しますね。
もし、間違っていたら、このブログにコメントを下さいませ。それから、まだ参加を考え中の方、13日日曜日までにご連絡下さいませ。まだ席のゆとりはありますよ。

お名前は、参加のコメントを下さった順です。

shiozyさん、音♪さん、yuu-fu-renさん、のりたまさん、くりき妻さん、せんごくテンペさん、junさん、ひまわりさん、ゆかりんさん、銀蔵さん、志音さん、さとうしゅういちさん、コガッチさん、くんちゃんさん、チェリーさん、キヨMeさん、ナナパパさん、花かんざしさん、緩和ケア薬剤師さん、それに河野とひまちゃんで、今の所、計21人です。

なお、志音さんからは、オカリナを待って来て演奏して下さると、うれしいご連絡をいただきました。みなさまも、何か企画がありましたら、ご連絡下さいませ。

私はソウルから参加の皆さまにおみやげを買って来ましたよ。今、どうお分けしようかと考え中です。どうぞお楽しみに!!

私は今、光のみちがみ病院に来ています。昨夜、診療後、廿日市に往診をしてからここに来ました。やっぱりパソコンは使えません。そのためにと思って古いパソコンも持って来たのですが、調子が悪くて、開きません。真っ青です。これはアイパッドで書きました。やれやれです。

大変失礼しました。はるめさんからお電話を戴きました。yoshijiiさんも参加でした。ごめんなさい。これで22人になりました。皆さまありがとうございます。

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ヒロシマ・アキバ塾のご案内

4月、三々五々集まった有志で毎年恒例のお花見を行いました。そこで、今の広島市を憂う会話が、深く広くかわされました。その中から生まれた企画です。

ヒロシマ・アキバ塾を開始します。

講師は前広島市長秋葉忠利広島大学教授。

毎月最終の木曜日。
第一回は5月31日。

午後7時から9時まで。

場所は広島YMCA本館408号室。人数によって変更もあり得ます。

どなたでも参加できます。申し込み不要。当日会場においで下さい。
場所代として参加費一人500円お払い下さい。

 秋葉さんは、4月から広島大学で講義を始めています。その授業を市民にも公開してほしいとの願いを秋葉さんが受け入れて下さり、この塾が実現しました。

 大学では全15回の講義ですが、このヒロシマ・アキバ塾では来年3月まで全10回を予定しています。(12月は年末なので、忘年会を予定)

 もし、最終の木曜日が秋葉さんが都合が悪くなった場合は、ピンチヒッターとしてのゲストスピーカーが多数控えています。

なお、秋葉さんの大学での講義の都合により、後期になると、塾の日が変更になる可能性があります。


 参考までに、大学での講義の内容を広島大学シラバスからご一部ご紹介しますね。これらを濃縮した形での塾の講義が行われると思います。

 第2回 広島の原点――被爆に至る歴史、原爆の原理、被爆の実相とその後の苦しみ。
 第3回 被爆者の歩んだ道、被爆体験の意味――「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」、被爆体験と愛。
 第4回 被爆者の力・都市の力・多様性と創造性――寛容な都市と平和な都市、活力のある都市。
 第5回 子どもの力――「原爆の子」と佐々木禎子そして折り鶴。 
 第6回 海外からの支援――マルセル・ジュノー、フロイド・シュモー、ノーマン・カズンズ・バーバラ・レイノルズなど と被爆者・広島
 第7回 被爆者援護のための努力と施策――原爆二法から被爆者援護法に。「受忍」とは。
 まだまだ続きますが、略します・・・。

 秋葉教授は、学生たちに「判断する前に、意見を述べる前に、事実を確認すること。できるだけ多くの人と活動する上で何が大切なのかを考えながら参考図書を読み、議論し、考えること。具体的な活動に参加できれば素晴らしい。」とアドバイスしています。

 私自身もこれまでの断片的な知識を理論化できるのではないかと楽しみにしています。また、この塾の中から、具体的に行動する人が出てくる可能性もあるのでは、と期待しています。

 秋葉さんは講義は無料で引き受けて下さっていますが、参加者が大人数の場合は、参加費から講義代をお払いできます。ぜひ、誘い合わせて、御参加下さいませ。多くの方にお会いできればうれしいです。


Dscn1145_1024x768 ソウル青瓦台裏にある三清閣で食事をした部屋から裏山が見えました。その上に城壁が見えました。漢陽都城の一部です。漢陽都城は、首都漢陽(ソウル)を守るため朝鮮太祖5年の1396年に築かれました。全長は18.6キロ。日本による植民地時代や朝鮮戦争で破壊され、今は城壁の一部と南大門、東大門などの門の一部しか残っていません。今、ソウル市は世界遺産の登録を勧めています。日が暮れると、ライティングされていました。


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チマチョゴリのハギレ。

 今回のゴールデンウィークにソウルに行こうと決める頃、こんなことを聞いていました。

「骨董品のお店などが200軒も入っている建物があって、そこのずっとずっと奥に行くと、チマチョゴリのハギレを売っているお店があって、とっても安く買える」と。

 それが気になって、何人もの人にその建物のことを聞いて回っていたのですが、どこにそれがあるのかが分からないままだったのです。仁寺洞の一昨日ブログに載せた、ぐるぐるとまわりながら上に上がっていく建物、それかなあと思いながら上がっていったのですが、そこは手づくりの作品がほとんどで、骨董品はありませんでした。

 今回、行きたかった所の一か所が「廣場市場」(カンジャンシジャン)です。これは韓国語の先生お勧めの市場で、あらゆるものが売っていて、そこの屋台では何を食べても大丈夫、さらにそこの○○さんのお店ではとってもいいご夫婦がいるよ、と。そこの横に階段があって、そこから上に上がると、チマチョゴリを作ってくれるお店や螺鈿細工のお店がたくさんあるよ、と。

 そこは、ものすごくにぎやかな市場でした。私たちが入った所からは衣類のお店がずらっと並んでいました。両側にお店と、真ん中には屋台がずらりです。そこの一軒のお店で、姉は素敵なブラウスをとっても安く買いました。

 しばらく行くと、今度は食べ物のゾーンになりました。生きたカニが泳いでいたり、女性がたらいでキムチを作っていたりと。真ん中の屋台も食べ物の屋台となり、たくさんの人が屋台を囲んで食べています。すごいエネルギーです。圧倒されました。明洞の屋台とは、全然スケールも種類も違っています。

 私は、屋台で銀杏や栗の殻をむいて売っているのを見つけました。以前プサンで銀杏のむいてあるのを買って重宝したことがありました。クリニックのスタッフのおみやげにこれっと飛びついて、大量に入っているのを二袋買いました。

 そして、先生に教えていただいたお店も見つけ、横から二階に上がっていきました。鮮やかな、チマチョゴリを作ってくれるお店がすごい数並んでいました。もしかして、あのはぎれを売っているお店というのは、ここかも、とドキドキしました。

 その一軒ではぎれらしいのがおいてあるのを見つけました。そこにいた若い女性が、これは売り物ではないと言われます。でも、私はこれを売ってほしいと言いました。何回かのやり取りで、さらに上の棚から、どさっとハギレが出てきたのです。うわっ、これもこれも分けて下さいと。でも、何度もこんなのは売り物ではないと言われます。それに構わず、値段は、と聞くと、たしかに売る意志はなかったのでしょう。とても困られて。これは全部絹でとても高いものなのだと言われます。それでも、高くても売って下さいというと、やっと困った挙句、全部で「一万五千ウォン」と言われます。ええっ?全部地模様の入った絹の生地、大きいのから小さいのまでいろいろ、平均50センチ四方でしょうか。総計11枚。これ全部で千円なのです。びっくりでした。 大喜びで売ってもらいました。


Dscn1234_1024x768Dscn1233_1024x768左のがそこで売ってもらったものです。薄い緑や黄緑、水色など写真では色がちゃんと出ていません。少し右がその前に仁寺洞のポシャギ専門店で、30センチいくらというとても高いお値段で切ってもらって買ったものです。麻は安いのですが、絹ですので、とっても高かったのです。

 さて、買って帰って・・・。これらをじっと眺めてわくわくしています。これはそんなお店があることを教えていただいた、遊布戀さんへのおみやげです。お渡しできるまで、眺めて楽しみます。

 でも、悲しいことに、ドジな私です。どっさり買った銀杏。重いのが、いつの間にかなくなってしまってました。きっとあの生地を買ったお店か、そのあとカニをたべに行った料理やさんか、どこかに忘れてしまったのでしょう。うれしさやおいしさに舞い上がっていましたから。もう、悔しい、残念。スタッフに素敵なお土産ができたと思っていたのに・・・。がっかりです。

 忙しくしています。昨日は晩御飯にありついたのが、12時でした。往診やらレセプトやら、早く書かなければならない書類やら・・・。もう少し頑張らければなりません。遊んだあとは仕方がないことです。


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ソウルのおみやげ。

 昨日、無事帰って来ました。二泊三日の旅ですが、目いっぱい楽しんできました。観光地にはもう行きつくしているので、もっぱら市場とレストランとお風呂やさんとマッサージと。歩くことと買い物と食べることに専念しました。

Dscn1208_1024x768Dscn1221_1024x768 少しだけ景色を。ソウル市内を流れる清渓川とホテルの窓から見える南山とソウルタワーです。清渓川は、下水道で汚れていたのを2003年から2005年にかけて工事を行い、5.8キロのきれいな川にしたものです。市民の憩いの場になっています。デートコースでもあります。沢山の人が歩いたり、川辺に座ったりしていました。

Dscn1228_1024x768Dscn1227_1024x768名残惜しくて、帰りの出発する前にホテルのロビーでお茶を飲みました。ホテルの庭と、アフタヌーンティーです。アフタヌーンティーはサンドイッチ、ケーキお菓子などが盛られています。一つを三人で戴きました。

 今日は、早く行ってしなければならないことがあるので、ごめんなさい。買ってきたお土産の一部です。


Dscn1219_1024x768Dscn1229_1024x768 首枕と、さまざまな大きさのマグネットと太鼓がついたのりげです。

Dscn1230_1024x768Dscn1232_1024x768ボールペン、シャーペンです。真ん中のは唐辛子の形で面白いので。他は韓服を着た人形がついています。それから、ブックカバー。ポシャギ風です。売っているのは、カバーだけでなく中に文庫の大きさのノートが入っていました。これも使えます。ブックカバーに凝って、革製や民芸風のなどいろいろと変えて楽しんでいますので、これを買ってうれしいです。


Dscn1238_1024x768Dscn1239_1024x768ポシャギ風の巾着。これはいつも買うのですが、以前、仁寺洞で安いと思った買ったのが、帰って見るとメイドインチャイナでがっかりしたことがあります。以来、高いのですが、免税店でメイドインコリアを買うようにしています。それから、ポシャギ風のテーブルセンター。これもポシャギの専門店ではとても高いので、免税店で買いました。それでも、5万ウォン、約4000円しました。

 もう少し買ったものがあるのですが、そのエビソートと共に、明日書きますね。

 きょうから診療です。忙しいでしょうね。


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ソウル二日目です。

 まあ、本当に昨日一日はよく歩きました。携帯の万歩計を見ると、一昨日は8097歩。昨日は、何と16398歩もでした。足がだるい、腰が痛い!!それによく食べました。良く食べても、これだけ歩いたのだから、カロリーを消費しているでしょうと、そう思うことにします。

Dscn1191_1024x768朝ごはんは前夜のうちにコンビニで買っておいたモンキーバナナ三本と機内食で出たけど飲まないていたオレンジジュース、それにコーヒーです。午前中、免税店であれこれお土産を買った後、お昼はデパ地下で。私と姉はスンブドチゲ。豆腐とアサリが入っています。夫は海鮮チゲ。エビやいかやカニが入っています。姪がビビンバ。それにみんなでチヂミを一つ。例のごとくたくさんのおかずも出て、机の上が賑やかでした。

 そのあと、仁寺洞へ。仁寺洞では、私は主にポシャギを見て回りました。韓国の伝統的パッチワークです。どれもきれい。でも、高価です。なかなか手が出ません。


Dscn1193_1024x768仁寺洞のビルの一つ。古い建物です。ぐるぐるとらせん状にまわりながら上に上がります。その端にびっしりお店が。それもいろいろなお店です。主に手作りのものが売られていて、とっても楽しいです。沢山の若い人たちが歩いています。

 歩き疲れて、お茶にしましょうと。それも単なるカフェではなく、伝統茶を飲むお店にしましょうと。姪がよく調べてきていました。仁寺洞には、日本語で案内をする若い人が赤いTシャツを着ています。その女性の案内で、お店にたどり着きました。小道を入ると、なんと、汚いところで、こんなところのお店はどうなのかなあと思いながらだったのですが。


Dscn1207_1024x768Dscn1204_1024x768着いてみてびっくり。昔の豪華な家をそのまま使って、お茶の博物館をかねていました。中庭がカフェです。自然の光と風。とても気持ちのいい空間でした。

Dscn1202_1024x768Dscn1205_1024x768中庭の屋根には古い瓦がそのまま使われています。建物の壁には、たくさんのお茶が展示してあり、購入もできます。それと、世界中の茶器、茶わんも展示してあります。


Dscn1194_1024x768Dscn1195_1024x768 夫は冷たいゆずちゃを。私たちは紅茶のパッピンス、韓国風かき氷です。おいしい紅茶の氷に自分で練乳やナッツをトッピングします。ナッツの下には、あっと驚いたのですが、びっしりあずきあんも入っていました。これらを混ぜて食べました。でも、すごいボリュームで、とても食べきれません。周りを見ると、みなさん数名みんなで一つのかき氷を突っついていました。


Dscn1199_1024x768 そのうえ、私たちはこんなおもちも頼んでいたのです。黒ゴマのおもちと緑茶のおもちです。緑茶のには、水あめをつけて食べるようになっていました。何もかも珍しく、楽しく、素敵だったのですが。食べきれなくて残してしまいました・・・。

 この後、廣場市場に行ったこと、さらに夕飯についてはまた、報告しますね。今日は広島に帰ります。


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ソウルの初日でした。

 ソウルにいます。昨日は、ごちそうを食べ、お風呂に行ってあかすりやサウナでゆっくりしてと、一日中充実していました。

 まず、空港について、ガイドさんに会い、バスで東和免税店に連れて行かれました。

 今回は、初めてHISにお願いしました。これまで、ずっとJTBだったのですが、今回はJTBではソウル往復のチケットが取れず、個人でアシアナに行ってお願いもしましたが、それでも取れず、あきらめかけていたのが、HISに行くと、なんと、飛行機もホテルも取れたのです。早くからたくさん抑えていたのでしょうね。

 HISのやり方で、免税店に行くこと、帰りは空港に行く前にお土産屋さんに行くことの二つは仕方がないことでした。でも、私たちは、そこの免税店に入る希望はないので、周辺をぶらぶらしました。ビジネス街で、ちょうどお昼時です。小さな食堂がたくさんありました。人々が食事をしています。私たちもお昼ご飯を食べましょうとお店を探しました。チゲが食べたい、キンパがいい、アワビ粥はどうかね、などとお店を覗きながら。

Rscn1123_1024x768そんな一件の看板です。とてもきれいなお店で引かれたのてすが。何?「お腹の肉すし」って。おかしくって。「呉さんとくせん定食」や「呉さんふつう定食」もあるし、アワビ粥も。何より「お腹の肉のお寿司」って何だろうで、ここに入りました。そしたら、刺身やさんでした。チゲもないというので、結局ここは出ました。お腹の肉が何なのか確かめられず残念でしたが。そこの人がキムチチゲを食べたいのなら、そこに店があるからと教えてくれたところに入りました。


Dscn1120_1024x768Dscn1121_1024x768 私たち三人はキムチチゲ定食。夫だけはイカの炒め定食です。イカ炒めはみんなで突っつきました。

Dscn1122_1024x768 キムチチゲ定食は600ウォン。ウーロン茶が300ウォン、コーラが200ウォン、後ビールで全部で39000ウォン、一人700円弱くらいでした。キムチチゲのお鍋が年季の入った真鍮製で、こんなのはじめてです。次々と人が入ってきておいしそうなものを食べているのですが、悲しいかな、それがどんなメニューなのかがわかりません。でも、どれもこれもとてもおいしかったです。

 ホテルのチェックインの後、明洞をブラブラ。人が多いですが、そのほとんどは日本人だろうと思います。中国人も多いですね。韓国にはゴールデンウィークはありません。みなさん、仕事や学校です。今日5日だけは子どもの日で休日なのですが、もともとの休みの土曜日と重なって、残念ということでした。

 夕飯は、友人のソンさんにお願いして予約をとって戴いた三清閣へ。青瓦台の裏にある、古い建物の料理やさんで、ドラマ「食客」の舞台となったところです。

Dscn1132_1024x768Dscn1138_1024x768早くに着いたので、いろいろと建物などを見て回りました。この門から入ると、山の広大な敷地の中に点々と立派な建物があります。昔、ここで政治家たちがひそひそとお話しをしたそうです。


Dscn1139_1024x768Dscn1125_1024x768 一つの建物のお庭では結婚式が行われていました。私たちの食事は右の写真の建物の料理やさんです。ここの食事やお風呂については、またの機会にしますね。


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あわただしい一日でした。

 なんと昨日はあわただしい一日でした!! 出雲市平田町のホテルを出るとすぐに両親が眠っている教会へ。そこで教会の中とお墓の前で教会長先生に祝詞をあげてもらいました。ひとしきりお話しをした後、日帰り温泉の「ゆらり」へ。

Dscn1110_1024x768Dscn1111_1024x768 写真は教会の玄関の横に書いてあった言葉です。ほんとうにその通りです。ゆらりは加水も加温もない温泉です。広い露天風呂、ぬるぬるとした泉質がとっても気持ちよくって、最高の温泉と思います。近くのホテルに泊まった者は200円で入れます。

 気持ち良いお風呂にゆったり浸かって、今度は出雲市内のおばの家へ。叔母は、一人暮らし。連れ合いが亡くなって、さびしい生活でしたが、行ってみると二匹の子猫を飼いはじめていました。かわいい猫ちゃんたち。まだまだ子どもでいたずらっ子です。抱くと、イタッ!!爪がとんがったままです。猫の爪を切ることを知らない叔母は、手足が傷だらけです。

 二匹の猫の前足の爪を切ろうとしても、嫌がってなかなかです。結局、夫が抱っこして、私が爪を切りました。二人がかりです。これでしばらくは安心です。叔母が寝るときには、二匹とも、おばの胸あたりに寄り添って三人が並んで寝るのだと。これで叔母さんの寂しさも、ずいぶん癒されているようでした。ちょっと安心です。

 叔母の家をおいとまして、いざ、広島へ。


Dscn1112_1024x768途中、遅い昼ごはんを54号線沿いの奥出雲そばの「一福」で。私は、マイタケの天ぷらそばです。それに、三人で割りこそばを一人分、三枚。これを一枚ずつ分け合って食べました。ほんとうに美味。どちらも、おいしいお蕎麦でした。

 そこで、はるめさんから電話でした。私のブログを読んでの電話でした。通りがかりなので、途中、掘りたての筍を持って帰るように、と。ありがたくって。高田インターでいったん高速を出て、沢山のたけのこを戴きました。

 帰りはとても順調だったのですが、大誤算。西風新都で高速を降りて沼田を通ったのですが、ちょうどサンフレッチェの試合が終わったときで。もう、大渋滞。ひどく遅くなってしまいました。家に帰り着いたのは7時50分です。急ぎ用意をして、古江のにしなやコーヒーさんへ。ここでインターネットテレビです。ここに録画があります。⑦パパの部屋で、遊布戀さんの手作り洋服、着物のリメイクを主に作られたもののファッションショーがありました。私はモデルの一人として出たのですよ。音さんが控えでいろいろとコーディネートしてくださいました。

Dscn1117_1024x768ゲストは、遊布戀さんともう一人、作曲家の上本巨志さん。なんといっちゃんさんの甥っ子さんだそうです。かわいい!!私があれこれ言うよりも、ぜひインターネットテレビ、録画で見ていただきますように。

 はるめさんの筍、私は二ついただいて、あとはみなさんにお分けしました。みなさん、喜んでもって帰られましたよ。はるめさん、ありがとうございました。

 私は今日の7時40分広島空港集合でソウルに行きます。今から準備です。なんか眠いです。


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「はだしのゲンが見たヒロシマ」上映会のご案内です。

 出雲にきています。診療後車を走らせました。

 雨の夜の道、いつもは浜田道を通って、あと山陰の国道9号を通るのですが、今回、少し迷いました。尾道・松江線の一部、吉田掛谷から出雲まで、または松江までが開通したという話を新聞で読んでいました。それに乗ると、たぶん早く出雲に着くでしょう。でも、三次からそこ掛谷までが結構山道をくねくねと行かなければなりません。浜田道から国道9号をテレテレ走るのとどっちが近いか、試してみようという気もありました。

 やはり吉田掛谷から走るのはとっても早くてアッと言う間に出雲市の平田に着きました。はじめに出発するとき、ナビが午前0時45分着と指していて、これはしんどいなあと思いましたが、結局到着は11時5分でした。途中朝インターでラーメンを食べましたが、その時間を入れても3時間半でしたよ。別府に行くのより早くて助かりました。助手席の姉と後ろの夫と、ぺちゃべちゃとしゃべりながらなので、まったく疲れを感じることもありませんでした。

 今日は両親のお墓詣りをして、そのあと出雲で一人暮らしをしている叔母、母の姉を訪ねて帰ります。

Img273 今日は、中沢啓二さんのDVDの上映会のご案内です。私のこのブログ

にご案内しています。これの上映会です。中沢啓二さんもご挨拶に来られるそうです。ただ、中沢さんは、今も入院中で、お具合によってはごあいさつが他の方に代わることもあり得るとのことです。

 漫画、「はだしのゲン」が世界中の多くの方に読まれますように。そして、このDVDも多くの方に見ていただけますように・・・。


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明日のインターネットテレビ⑦パパの部屋を見てください。

 昨日は、連休の谷間の診療日で、とても忙しかったです。多くの患者さんの診療以外に、流産の手術の人や、輸血の方や、つわりの点滴の人や、浮腫の人の機械を使ったリハビリなど、二つのベットもフル回転でした。

 診療が済むとすぐに廿日市まで往診です。寝た切りの方の状態がよくありません。話しかけても、目が開きませんでした。訪問看護のナースたちと褥瘡の処置をしたりしながら、今後の打ち合わせです。入院を勧めても、本人はとても嫌がられます。これから、往診が忙しくなりそうです。

 これから連休を休もうとすると、少々忙しくなるのも仕方がありません。今日も診療を頑張らなければ・・・。

 ところで、明日3日のインターネットテレビ、⑦パパの部屋には、遊布戀さんが出演です。その番組にモデルとして出るようにとの遊布戀さんからのお達しです。先日、遊布戀さんの展示会で購入した服を着て出るようにということなのでしょう。

 しまった!!先月は私が出たのですが、次は遊布戀さんと聞いたときから、さもありなんと準備をすればよかったのです。そう、ダイエット!! このお腹を引っ込めることができたはずなのに。ああ、こんな体型のままで・・・。

 いえ、遊布戀さんの服は、私のような者でも十分着こなせるような、やさしい服です。きっと他にも何人もモデルとして出られるのでしょう。どなたが来られるのかは聞いていませんが、私以外のみなさんは、きっと素敵なはず。どうぞ、お時間のある方は見てください。5月3日午後9時から。URLは⑦パパのブログ、この記事をご覧くださいね。

 私は今日の診療が終わるとすぐに島根に向かいます。両親のお墓参りです。明日、早く帰ってきて、このインターネットテレビのスタジオに行くつもりです。


 Dscn1100_1024x768 別府の河野の実家の裏庭です。ここもやはり一種類のつつじが咲いているだけです。この庭の奥にエビネが群生していたり、シイタケの原木にたくさんのシイタケができたりしています。この雨と暖かさで、またたくさんのシイタケが大きくなるだろうと母が言っていました。仕事を引退したら、こんなところで自然と共に生きるのがいいと思います。庭の草取りは大変でも・・・。


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陸を走って帰りました。

 昨日、無事に広島に帰ってきました。別府は土砂降りの雨。高速道、宇佐・別府道路は雨と霧のため閉鎖でした。仕方なく、10号線をトロトロと走りました。九州の東側は、西に比べて、本当に道路の整備が遅れています。国道でもほとんどが一車線。それほど車は多くなく、渋滞でもないのに、ずっととろとろでした。高速道には北九州空港ICから乗りました。

 途中、やっぱり眠気が来ました。高速バスの大変な事故が報道されています。運転していると、なぜかどうしようもなく眠くなることがあります。普段に生活しているときには、決して起こらないような眠けです。そんなときには、一刻も早く車を止めて、シートを倒して眠ることにしています。ほんの少し眠れば、パシッと頭がすっきりします。できればコーヒーでも飲むといいのですが。「道の駅・豊前おこしかけ」でそうしました。次いでに少しお買いもの。

Dscn1105_1024x768 もう一か所、山陽道のSA美東で止めて、瓦焼きそば一つを夫と二人で分けて食べました。それとコーヒー。これであとは一気に家まで帰りました。

 別府を出発する前、兄夫婦が訪ねてきてくれて少し話。そのあとは義母のところに行って、母の手作りのごはんを戴きました。


Dscn1102_1024x768Dscn1104_1024x768 チラシ寿司、エビのから揚げ、野菜のかき揚げ、シジミの味噌汁、たけのこと蕗の煮物、漬物もすべて母の手作りです。料理好きの料理上手の母は、親不孝の私たちが帰るといつもいっぱいごちそうを作ってくれます。

 母ももう88才。長男である夫夫婦が帰らなければならないはずなのですが・・・。どうする?いつ帰る?そのためには私が仕事を辞めなければ。取りあえずあなただけが帰って、私は休みのたびに往復することにして・・・。と言ったのですが、うーんと意味のない返事だけです。本当にどうしましょう・・・。

 今日と明日はついも通りの診療です。


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