遊布恋さんの「花ふきん」
忙しく、いつも何かに追いかけられているような生活をしていると、なんでもいいから作りたくなります。時間の合間を縫ってキルト展や刺繍展や手作りの雑貨屋さんなどに行くのも、きっとそれの代償行為なのでしょう。
時間がかかった帽子を作り上げて、何だか空虚になっている自分がいます。うずうずしても、今はダメ!!もっとしなければならないことがあるでしょ!!と、自分に言い聞かせています。
昨日の古い写真を見て、母がさまざまなものを作っていたのを思い出して、胸が熱くなっています。両親は五人の子を産み育てました。父の給料だけではなかなか生活が厳しく、父は教師の傍ら、いつも畑を作って野菜を育て、鶏を飼って卵を産ませていました。母は私たち三人の娘のためにせっせと針仕事で、いつもこぎれいな服を着せてくれました。兄の野球のユニホームまで作っていました。編み物は、プロ並みでした。私たちがみんな育つと、今度は孫のために作り続けました。きっといろいろな思いを胸に、作り続けたのだと思います。
遊布恋(遊布恋さんの恋は本当は難しい昔の恋なのです。でも、私はその字をパソコンで出すことができなくて、ごめんなさい)さんから、こんな「花ふきん」を戴きました。下が折り曲げてあって裏が見えるようになっています。白いふきんに青の糸で刺し子がしてあります。気が遠くなる程の根気がいる仕事です。それに添えてあった花ふきんという文章がまた素晴らしかったので、ここに勝手に転載させていただきます。
花ふきん
竜飛岬を目指した旅の途中、岩手、秋田、青森と途中下車して、北国の人たちの手仕事の見事さに圧倒された思い出が、花ふきんを作らせました。その時、出会った刺し子やこぎん刺しの作家さんが、花ふきんの由来を語ってくださったのです。
昔、嫁ぐ娘に持たせるために、長い時間をかけて作りためておくものだった。嫁ぐ先は大家族が当たり前の時代だったから、それぞれのお膳にふきんをかけて、間違えないように区別する役目があったという。その花ふきんは、水をくぐるほどに刺し糸の色がうっすらとにじみ出て、白いふきんが淡い刺し糸の色に染まっていく。「早く婚家の色に染まりますように」との実家の願いを潜ませたものであったという。
たかがふきん、されど・・・。ゆったりとした穏やかな笑顔でたゆみなく動いていた手仕事の妙。絶やしてはならないとの願いを込めてのささやかな手仕事です。
あんてぃーく・あとりえ
遊 布 恋
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