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新田稲実先生回顧展

 シリーズを書いている間にもいろいろなことがありました。

2012_01220003 新田稲実先生の回顧展が開かれました。二科会の重鎮だった先生ですが、私にとっては恩師のお一人です。というより、いつも励まされていた大先輩です。

 先生は、私が通っていた観音中学の美術の先生でした。兄や姉もお世話になりました。

 そして、時が経って、私が土谷病院に勤務していたころ、ひょっこりとたずねて来て下さったのです。先生のスケッチ画を何点も持ってきてくださいました。「上げる」と。

 実は、私の学生時代に先生の息子さんとの接点がありました。学生運動の真っ盛り。とてもしんどいことになった息子さんが、ある年のお正月、私の家に来られたことがありました。実家に帰ることもなく、一人暮らしている学生たちを何人か家に連れて帰り、母の手料理、お正月のご馳走を食べてもらったのです。その中に彼もいました。

 何年も経って、そのことを知られた先生が、「息子の一番しんどいときに親切にしてくれてありがとう」と言ってこられたのです。びっくりしました。

 それから、先生とのお付き合いが始まりました。私の子どもたちは、先生の家に行き、絵を習いました。習うというより、本当にのびのびと自由に絵を描かせて下さいました。

 母が健在だった頃、先生の個展に行き、母に買ってもらった絵は我が家に飾っています。ピンクとグレーのやさしい街の絵で、家の宝物です。

 二科展があるときには、必ず招待券を持ってクリニックに来て下さいました。年に何回かひっょこりと通りがかったからと来られて、私や姉と話をして帰られる、ただそれだけのことです。いつも温厚で、口数は少ないのですが。でも、何度も「息子に親切にしてくれて・・・」ということを言われました。

 今回会場で先生のお嬢様にお会いし、その息子さんも何年も前に亡くなられていたことを知りました。考えてみれば、息子さんが亡くなった後も何度もクリニックに来て下さっていましたが、一言も息子さんの死をおっしゃいませんでした。ただ、少しだけ、かつて息子さんを追い出した学校に対しての怒りを口にされたことがありました。

 そして、ほぼ二年近く前でしょうか。「体調を崩してね」と少しやつれて来られました。それっきりいらっしゃらなくなりました。二科の招待券もいただけなくなりました。先生、お具合が悪いのかねと言っていて、そのうち、先生が亡くなられたことを知りました。

 今回の回顧展も、もう締め切り間近のときにたまたま通りがかって知りました。気づいてよかったです。風をテーマの先生の沢山の作品を見ることができました。私なりにお別れが出来ました。いつも気になっていた息子さんのことも知ることができました。


2012_01220005 会場では、先生のお写真や絵を絵はがきにしたたものを自由に持ち帰っていいということでしたので、頂いて帰りました。これも宝物にします。


「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

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コメント

新田稲実先生は亡くなられていたのですね。
温厚な方でした。

街中で木造住宅に住んでおられました。トイレの修理に伺った覚えがあります。

ご冥福をお祈りします。

投稿: きぬさん | 2012年2月 2日 (木) 09時01分

きぬさんさま
ついうっかりして、お返事が遅くなりました。きぬさんさまも新田先生とご縁がおありだったのですね。今頃、奥様と息子さんとゆっくりお話しなさっていることと思います。合掌。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2012年2月 5日 (日) 09時01分

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