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高橋昭博さんのお通夜

2011_11030017 昨日の高橋昭博さんのお通夜で配られた、奥様の史絵(本当は難しい字の絵なのですが、パソコンで出て来ません)さんの「ごあいさつ」が胸を打ちますので、ここに転載させていただきます。

    「世界平和」に生涯を捧げた夫でした

 平和への思いを胸に、広島平和記念資料館の館長を務めた夫でした。多感な少年期に被爆し、右手の自由を失いながらもハンディキャップを乗り越え、常に前向きに強く生きてまいりました。病に倒れる前日まで、被爆証言活動に励んでいたものです。入院中もその意欲は衰えることなく、再び活動できる日を心待ちにしていましたが、願いは叶いませんでした。

 私たち夫婦は、十日後に金婚式を迎えるはずでした。「長い間、よく一緒に歩いてくれたね。ありがとう」との言葉を残し、夫 昭博は平成二十三年十一月二日、八十年の生涯をとじました。まるで夜明けを見届けるかのように、お浄土へ還った夫・・・。今はただ、夫が生涯を懸けて蒔き続けた平和の種が、ひとつでも育ってくれるようにと願っています。

 生前、夫が皆様に賜りました多大なるご厚誼に、親族一同深く感謝申し上げます。在りし日を偲んで下さる時には、平和の種にそっと水を与えていただければ幸いです。本日はご会葬いただき、誠にありがとうございました。

 略儀ながら書状をもちまして厚くお礼申し上げます。

 平成二十三年十一月四日

       (以下、ご住所お名前など略します。)

 史絵さんは、お通夜の後葬儀場の控え室で点滴などをしたのですが、深夜とうとう倒れてしまわれて、救急車で緊急入院されました。心身の疲れは、もう限界でした。今日は奥様のいない葬儀になります。   合掌

 


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コメント

ご無沙汰しておりました。
ブログは毎日拝見しておりましたが、やっと時間ができたのでコメントできます。
高橋昭博さん。。。名前を見ただけではわからなかったのですが、写真と平和祈念資料館の館長…というのでわかりました。
なんとお若い年齢でしょうか。言葉もでません。
きっとお浄土より広島を、平和を祈っておられることでしょうね。

私の祖母も被爆者ですが、原爆のことは未だに話してはくれません。祖父もでした。
聞いておきたい。でもやみくもに聞きだすのは傷口にカラシを塗ることなのか…と。
なので話してくださる被爆者の方の証言をしっかり聞いて子供に平和の尊さを伝えていかなければ…と思います。

平和公園でフィールドワークしている修学旅行生をよく見ますが、子供達は「めんどくさい。あとで(メモしてあるものを)写させて」とか言ってっるのを目の当たりにすると、被爆者の証言を聞いた方がいいのでは…を思ってしまいます。←だいたいそういう学校は宿で寝る前に被爆者の方の証言を聞くそうですが…。
被爆者の方のお身体(夜遅くまで)を考えるとかしないのかな。。。と思ってしまいます。。。
長々とすみません。

投稿: けいちゃん | 2011年11月 4日 (金) 16時20分

けいちゃんさま
本当に、証言して下さる方が次々となくなってしまっています。今のうちに聞けることは聞いておかないと、と思います。広島への修学旅行生が増えているのは、うれしいことです。中にはおっしゃるような学校や生徒もいるかも知れませんが、それはそれで。子どもたちが原爆や戦争をなんにも知らないままに大人になることを考えると、広島への就学旅行の意義はあると思いますのでね。コメントありがとうございます。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2011年11月 7日 (月) 08時16分

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