槙坪夛鶴子監督が亡くなってしまいました。
映画監督の槙坪夛鶴子さんが亡くなりました。リウマチで車椅子の生活になりながら、そして何度もの命の危機を乗り越えて、映画を作り続け、全国の上映会を回り続けていらっしゃいました。この度も25日からの福島をはじめ東北や徳島での上映会に向けて張り切っていらっしゃいましたが、24日の朝突然に亡くなったと連絡を頂きました。
槙坪夛鶴子さんは広島の生まれです。小学校のときに大阪に転居されましたが、途中、広島国泰寺高校に一年だけ通われたとのこと。早稲田大学第一文学部演劇科卒。その後永い間映画のスクリプター、記録係としての仕事をなさっていました。
槙坪さんと私との付き合いは、私が1985年に「さらば悲しみの性」を出版してからです。「性教育」の映画を作りたいという槙坪さんの希望と私の性教育を広めたいという思いがぴたりと一致しました。第一作として「子どもたちへ~いのちと愛のメッセージ~」、続いて「若人よ~いのちと愛のメッセージ~」、「地球っ子~いのちと愛のメッセージ~」とこれらの三作まで映画作りにかかわらせて頂きました。
同じごろの子どもを持つもの同士、私の子どもたちも随分お世話になりました。広島での映画の撮影の間、一緒に連れて行ってくださって、宮島で泳ぐシーンには、子どもたちも写っています。息子が夏休みに東京の家に永い間泊めて頂いたこともあります。
その後槙坪監督の映画は「わたしがSuKi」「老親」「母のいる場所」「星の国から孫ふたり~「自閉症児」の贈りもの~」と続きます。性教育、エイズ、援助交際、介護、発達障害・・・。これらの作品に一貫しているのは「いのち・愛・共生」であると彼女自身が言っています。
だんだんとお体が大変だったし、認知症のお母様を連れての映画撮影。それにはお母様に車椅子を押して頂くという任務を作られて、それがどれだけお母様の励みにもなったことか。
東京や広島での講演会とセットでの上映会、その前後で夜を徹して話したたくさんの夢・・・。彼女の突然の訃報に接し、様々な思いが私の中で渦巻いています。今度の震災、原発事故でもきっと彼女は暖かい、鋭い映画を作るだろうと期待もしていました。そして、私は今、彼女に被爆者、被爆二世の映画を作ってもらいたかった!!と思っています。
何より、もっと話しておけばよかった!!いっぱい話しておきたいことがあったのに!!本当に大切な方が次々と亡くなってしまいます。その中でも、彼女の死は、これから特別私に打撃を与えるだろうと思います。ご冥福をお祈りします・・・。
(写真は「太秦からの映画便り201005」よりお借りしました。)
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ぜひ、覗いてみてください。
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コメント
大切な方が また一人お亡くなりになり本当に残念で寂しいことですね。
ご冥福をこころからお祈り致します。
映画作品の中にしっかりと生き続けていらっしゃることが 残された者にとって唯一の救いです。
投稿: yuumin | 2011年9月28日 (水) 20時34分
お久しぶりです。槙坪さん、亡くなられたんですね・・・。
じつはわたし、「母のいる場所」を見たことがあり、会場でお母様といっしょにいるところを見かけたことがあります。
わたしもびっくりしました。
槙坪さんのご訃報に接し、ご哀悼の念を表します。
投稿: ハセケン | 2011年9月29日 (木) 21時46分
yuuminさま
そうですね。すっごーくザンネンだけれど、作品が残っています。彼女のメッセージは暖かく優しく、そして鋭いものがあります。これらを大切にしましょう。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2011年9月30日 (金) 18時34分
ハセケンさま
私も、びっくりして。さびしいです。だも、作品が残っていますので・・・。ブログ、終了なさったのですか。また再開されるようなら、教えて下さいませ。コメントありがとうござまいした。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2011年9月30日 (金) 18時44分