「森瀧市郎追悼集」から②
森瀧市郎さんが「被爆三〇周年原水爆禁止世界大会・国際会議で日本代表として行った基調演説」です。
『海外からはるばる参加された外国代表のみなさん!
日本各地からご出席の皆さん!
被爆三〇周年を記念する本会議に参加下さったことに対して、心から感謝の意を表明させていただきたいと思います。
さて、今年はヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されてから三〇年目に当たります。言いかえますと、人類は三〇年間の長きにわたってこの悪魔のような核兵器を廃棄できずにきてしまったということであります。それは永い人類史上において最もおろかな時代だったといえるかも知れません。』(原発についての演説を紹介するために、少しここから省略します。この格調高き演説の全文を読んでいただきたいのは山々ですが・・・)
『人類が核兵器を廃棄できずにいる今日の時代は、まさに"狂気の時代"であるということです。少なくとも、ヒロシマ、ナガサキのあの生地獄をくぐり抜けてきた一人の証人として、現在の世界を透視してみますとそういう以外はありません。私たちのあの気違いじみた核兵器を地上より全廃して、「力の政治」に依拠するような政治を改め、民衆が平和に生き通せる国際秩序をつくりださなくてはならないと思います。
しかし、現実には核兵器のもたらす危機は楽観を許しません。そればかりか、核拡散の機運は昨年以降急速に発展して参りました。いまや、一歩誤れば核の無政府的な拡散すら危惧されます。核の世界的拡散は核威嚇政策の乱用を誘引するでしょうし、局地紛争における核使用の現実性をますことでしょう。
事実、アメリカ国防省は、朝鮮半島での核使用を言明しています。"狂気"はいまや一段とエスカレートする危険をましています。
私たちのこうした危惧がつのる一方で、多方面からも核の危険がつのってきております。それは核エネルギーの「平和利用」という名の下に進められている原発であります。
核エネルギーの推進者たちは、石油危機を逆手にとって、次代のエネルギーは核以外はないというキャンペーンをくり返しております。しかしながら、世界各地につくられつつある原発はそのことごとくが、安全の保障しえないものであり、その欠陥を露呈し、トラブルを起こしております。こうして放射能による環境汚染問題は人類の等しく批判しなければならないものとなりつつあります。原発から出る放射性廃棄物はいかなる処理の方法もないのですから、核分裂エネルギーの利用を進めれば、いずれこの有限な地球という惑星全体の放射能汚染へと発展せざるをえません。原発の稼動によって生じる半減期二万四千年のプルトニウムは人類社会に耐えかねない重圧をもたらすことも必然です。
核エネルギーの平和利用もまた人類を危機に陥れることは間違いありません。その上、核の平和利用は同時に軍事利用に容易に転用できることも自明であります。
私は以上の概観の上にたって、この核の時代三〇年を総括して"核分裂エネルギーを利用する限り人類は未来を失うだろう"というテーゼを提起したいと思います。
と申しますことは、人類は核と共存することはできない故に、核分裂利用のすべてを否定する核絶対否定の理念をいよいよ高く掲げ、人類の生きのびる道を切り開いて行かなくてはならないということであります。』(以下略します。)
この演説は36年前のものなのです。この基調講演を受けて、以来、翌76年から原水禁世界大会では「原発」の分科会が絶えることなく続けられています。さらに、森瀧さんの活動は「世界の核被害者の連帯」へとつながっていきます。ウラン鉱採掘に従事したヒバクシャ、核実験によるヒバクシャ、原発によるヒバクシャとの交流を通して、1985年の原爆忌にヒロシマで開かれた「国際ヒバクシャ・フォーラム」へ、そして二年後のニューヨークでの「核被害者世界大会」へと続きます。その間の年に世界を震撼させたチェルノブイリの原発事故が起こったのです。
後もう一回だけ森瀧さんの追悼集から引用をしますね。
すでにお伝えしているように、今週末9月3日、4日、キャンパス・セクシャル・ハラスメント全国ネットワーク全国集会が広島・エソールで開かれます。昨日は一日中クリニックにこもってその分科会のためのスライド作りをしました。くたびれました。
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