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水俣病資料館で。

2011_091600302011_09160029昨日の埋立地のすぐそばに水俣病資料館があります。写真は資料館の裏庭と資料館に併設されている水俣メモリアルです。

2011_09160023ここには環境省水俣病情報センターと熊本県環境センターとそして水俣市立水俣病資料館の三つが並存しています。国、県、市のそれぞれが立派な建物を建てています。役割分担がどのようになっているのか、時間の関係で資料館にしかいかなかったので分かりません。

 資料館はやっぱり胸を打ちました。今こその真摯な反省と共に、痛恨の事態が展示されていると思いました。

以下、頂いたパンフレットからの抜粋です。水俣を福島と、水銀を放射線と、そしてチッソを東電福島原発と読み替えるとそのまま通じると思いました。血友病の方たちの非加熱輸入血液製剤によるHIVの感染も同じ構図が読み取れます。

 水俣の海は魚が湧くと言われるほど豊かな海でした。水俣病とは、チッソ工場が不知火に流した工場廃水に含まれるメチル水銀が魚介類を汚染し、その魚を食べた人たちがメチル水銀中毒になった公害病です。

小さな村だった水俣がチッソ工場とともに工業都市へと発展していった・・・

昭和20年代後半から、魚の浮上やネコの狂死などの不気味な出来事が続いた・・・

昭和31年、原因不明の患者が発生していることが公式に確認された。患者の発生が相次ぎ、患者や漁師の生活は困窮を極めた。チッソ工場の廃水が病気の原因との疑いが強まっていったが、チッソ工場はこれを認めなかった。また国や県も工場廃水の規制を行わず、工場廃水は流され続け、海の汚染は続いた・・・

チッソでは、ネコに工場廃液を与えるなどの実験によってみなまた病を発症することを確認していたが、その事実は隠して工場廃水を流し続け、被害の拡大を招いた。

メチル水銀は、工場廃水とともに海に流された後、食物連鎖によって魚介類に高濃度に蓄積されていった。汚染のことを知らない漁村などでは、獲れた魚を日常的に多食し、次々と悲劇が生まれた・・・

 大人も子どもも、脳の中枢が侵され、そして母親の胎盤を通して、胎児にも水銀が蓄積し、胎児性水俣病患者の発生という更なる悲劇が生まれた・・・

昭和43年、水俣病の発生から12年が経過し、ようやく国は、「水俣病はチッソ水俣工場の廃水が原因で起きた公害病である」ことを発表した。

以下、パンフの文章をまる写しします。ヒロシマの被爆者の求めた被爆者援護法や、原爆症の認定とまったく同じなのです。

「健康を奪われた被害者や最愛の家族を亡くした遺族たちは、チッソや国、県を相手に全国各地で裁判や自主交渉を行いました。それは心からの謝罪と救済を求める必死の闘いでした。また、水俣病と認定されずに保障を受けることができない未認定患者の救済も問題となり、認定の基準が厳しすぎると、認定制度そのものが問われていきました。

 裁判で窒素の責任は明確になったものの、認定基準や廃水を規制せず、被害を拡大させた行政責任をめぐって裁判は長期化し、硬直した状態が続いていました。

1990年(平成2年)、裁判所は、被害者が高齢化するなか早期救済のためには和解をするほかないとの勧告を出し、これを受けて、政府が解決案を示したのが1995年(平成7年)でした。

 ほとんどの患者団体は生きているうちに救済を受けるため、仕方なく紛争を取り下げてこの解決案に同意しました。苦渋の選択でした。ただ一つ関西訴訟の原告たちは、あくまで行政の責任をはっきりさせたいと最高裁まで争い、2004年(平成16年)、国、県に行政責任ありとする判決が出されました。

 これまで多くの涙が流されましたが、失われた命・健康を取り戻すことは出来ません。「過ちて改めざる。これを過ちという」と先哲は伝えています。私たちは水俣病の失敗を認め、反省し、二度と繰り返さないようにしていくことが求められています。それは、特に水俣にとっては、人の生命と尊厳にかかわることだからです。」


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水俣の埋立地にて。

2011_09160035水俣の児童擁護施設光明童園に講演に行って二週間が経ちます。講演は午前中に済ませ、お昼をご馳走になった後、職員の先生お二人が私を水俣の街の見学に連れて行ってくださいました。早く水俣のことを書かなければ、と思いながら、これまで来てしまいました。

 水俣病をどう捉えるか、この間、ずっと考えて来ました。そして、今、はっきりと思います。水俣病は、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマとまったく同じ構造であるということを。

 写真は水俣の海の埋立地に患者さんたちが作られた慰霊碑です。その慰霊碑に近づいてアッと私は声を上げました。そこに書かれている碑文。「不知火の海に在るすべての御霊よ/二度とこの悲劇は繰り返しません/安らかにお眠りください」は、広島の平和公園の原爆死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」とそっくりです。

2011_091600372011_09160034周りには遺族の方たちが作られたというお地蔵さんがたくさんおかれています。これらの前には穏やかな海が広がります。


2011_09160040この水俣湾埋め立ての説明文が立ててありました。「水俣湾埋立地の歴史的背景 あなたが立っているこの場所は、海を埋め立てて作られたものです。/この場所で起きた「水俣病」は、チッソ(株)水俣工場の排水に含まれるメチル水銀が原因でした。・・・・」で始まり、この埋め立てについて詳しく書かれていました。水俣湾の海底には、水銀を含むヘドロがたまっていました。その面積は209万㎡、量にして約151万㎥という大変な量でした。このままでは、さらに水俣病が広がるとして、熊本県は昭和52年から平成2年までの14年、485億円をかけて埋め立てを完成しました。

 湾内で、特に水銀濃度の高い部分(約58万㎡)を護岸で囲み、その中に周辺の水銀を含んだヘドロをくみ上げ、合成繊維製のシートをしき、きれいな土砂をかぶせ、水銀を含むヘドロを封じ込めるという工事なのです。とても、本当に大変な工事であったと書かれていました。

  この埋立地と周辺には美しい公園やスポーツ場、竹林等が作られています。広大な道の駅には、バラ園がきれいな花を咲かせていました。

 そうして、水俣は今、きれいな海を取り戻しています。でも、水俣病で失われた多くの人々の命、多くの生き物たちの命は決して戻りません。今もなお水銀に犯された方々の健康は戻って来ません。

 慰霊碑に感動したので、順番が逆になりましたが、その前に行った「水俣病資料館」と、水俣とヒロシマとフクシマのその構図について、明日お話ししたいと思います。


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韓国のシップ

2011_09280001一時、頻回に怪我をしていた私のドジ(中には私の責任ではないのもありましたが)も、すっかり落ち着いて、けがしなくなったねえ、なんて言っていた矢先です。やっちゃいました。

 私の家のあるマンションのエレベーターが壊れて久しいのです。閉まろうとして何かに当たったときに、また開く機能が壊れています。危ないので早く直してといっていましたが、東日本大震災の影響で、直す部品がなかなか入らないと。また開けるときには、エレベーターの中の「開く」を押さないといけません。

 夜中に急患で自転車でクリニックに行きました。帰ってきた時にエレベーターから自転車を後ろ向きに出すのに、ちょっともたもたしてしまって。そしたら、がーっとドアが閉まりました。左手がハンドルとエレベーターに挟まってしまいました。開く機能が壊れたエレベーターの力がこんなに強いとは、正直知りませんでした。ギユーギユーと押し付けられます。体は外に出ているし、中の開くボタンを押せません。外の上るの↑のボタンを押してみたら、開いてくれました。大急ぎで自転車を外に出しましたが、手の痛いこと。

 手の甲が見る見る腫れて、内出血で色が変わって来ました。私の数々の経験から、骨折したな、と思いました。すぐにシップをして、翌日クリニックでX線を撮ってみたら、やっぱり骨に線が入っています。触るとひどく痛いところがあります。やれやれです。お昼休みに整形外科に行ったら、場所的にこのままシップで様子をみたらいいということで、ほっとしました。また手術なんてことになったらどうしようと思っていましたので。

 ところで、言いたいのは私のドジのことではなく、このシップのことです。私は仕事のときに患者さんの内診のたびに左手に手袋をはめます。使い捨てのゴム手袋です。シップを貼っていると、手袋をはめたりはずしたりする度にシップがまくれたり外れたりします。だから、薄く包帯でシップを保護しなければなりません。包帯をすると、手を洗う時にぬれてしまいます。診療中、手はしょっちゅう洗います。左手を怪我すると、とても厄介です。

 ところが、このシップ、韓国製です。私は釜山のお風呂で骨折したときにシップを買って以来、韓国のシップのファンです。とても強力で、日本のシップだとほとんど効果がないような時でも、韓国のシップだと、強烈に効きます。中には漢方薬が混ぜてあるのもあります。それだけでなく、いろいろなお薬がとても安いので、韓国に行くたびに薬局に行きます。

 これは釜山で買ってきておいたシップです。半分に切って貼りました。一旦貼ったら、いつまでもシンシンと効いて、手袋の着脱でもびくともしません。やまとの湯で貼ったまま入浴してもそのままで、あがってもまたシンシンと効いていました。一日一回貼ればもう十分です。助かります。

 皆様も韓国に行ったら、あちこちにある薬局でぜひ買ってみてください。「シップ、ジュセヨ」といったら通じます。ただし、シップでかぶれる人にはよくないかもしれません。ご注意くださいね。他にも、傷の絆創膏もとても安くって買っておくと助かります。私は他にも鎮痛剤や風邪薬などを自分用に買っておきます。

  エレベーターですが、マンションの管理組合の理事長はいま夫がしています。私の手だけだからまだよかったけれど、もし子どもが挟まったりしたら死亡事故になるよ、早く直してらって、と言いました。そもそも今日直る予定だったのだそうです。その直前の私のドジでした。

 明日、午後1時半から3時半まで 安芸高田市民文化センター(クリスタルアージョ)4F小ホールで講演をします。
人権大学講座第一回目の講座です。内容は「人権を守る ! 性教育」テーマ「今こそ 子どもたちに伝えたいこと」です。無料です。多くの方に聞いて頂きますように。


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槙坪夛鶴子監督が亡くなってしまいました。

Photo 映画監督の槙坪夛鶴子さんが亡くなりました。リウマチで車椅子の生活になりながら、そして何度もの命の危機を乗り越えて、映画を作り続け、全国の上映会を回り続けていらっしゃいました。この度も25日からの福島をはじめ東北や徳島での上映会に向けて張り切っていらっしゃいましたが、24日の朝突然に亡くなったと連絡を頂きました。

 槙坪夛鶴子さんは広島の生まれです。小学校のときに大阪に転居されましたが、途中、広島国泰寺高校に一年だけ通われたとのこと。早稲田大学第一文学部演劇科卒。その後永い間映画のスクリプター、記録係としての仕事をなさっていました。

 槙坪さんと私との付き合いは、私が1985年に「さらば悲しみの性」を出版してからです。「性教育」の映画を作りたいという槙坪さんの希望と私の性教育を広めたいという思いがぴたりと一致しました。第一作として「子どもたちへ~いのちと愛のメッセージ~」、続いて「若人よ~いのちと愛のメッセージ~」、「地球っ子~いのちと愛のメッセージ~」とこれらの三作まで映画作りにかかわらせて頂きました。

 同じごろの子どもを持つもの同士、私の子どもたちも随分お世話になりました。広島での映画の撮影の間、一緒に連れて行ってくださって、宮島で泳ぐシーンには、子どもたちも写っています。息子が夏休みに東京の家に永い間泊めて頂いたこともあります。


 その後槙坪監督の映画は「わたしがSuKi」「老親」「母のいる場所」「星の国から孫ふたり~「自閉症児」の贈りもの~」と続きます。性教育、エイズ、援助交際、介護、発達障害・・・。これらの作品に一貫しているのは「いのち・愛・共生」であると彼女自身が言っています。


 だんだんとお体が大変だったし、認知症のお母様を連れての映画撮影。それにはお母様に車椅子を押して頂くという任務を作られて、それがどれだけお母様の励みにもなったことか。

 東京や広島での講演会とセットでの上映会、その前後で夜を徹して話したたくさんの夢・・・。彼女の突然の訃報に接し、様々な思いが私の中で渦巻いています。今度の震災、原発事故でもきっと彼女は暖かい、鋭い映画を作るだろうと期待もしていました。そして、私は今、彼女に被爆者、被爆二世の映画を作ってもらいたかった!!と思っています。

 何より、もっと話しておけばよかった!!いっぱい話しておきたいことがあったのに!!本当に大切な方が次々と亡くなってしまいます。その中でも、彼女の死は、これから特別私に打撃を与えるだろうと思います。ご冥福をお祈りします・・・。

(写真は「太秦からの映画便り201005」よりお借りしました。)


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旭山動物園。ホッキョク熊のカプセルで大笑いです。

2011_09230071アザラシの館では、地下に降りての部屋の周りは大きなガラスで、アザラシが泳いでいるのがよく見えます。そして、その部屋にの真ん中には、どーんとガラスの柱が立っています。突然、その柱の中をあざらしがグーンと泳いで登ります。次々と現れては、アット言う間に上へ消えていきます。そのたびにみんな歓声を上げます。なかなか写真を撮るタイミングが難しくて、頭だけだったり、頭のないのだったり。これはうまく撮れた方です。何しろ二匹が同時に上って行ったのですから。


2011_092300742011_09230075 トラ、熊、ライオン、貫禄はあるけど、何だかさびしそうでした。動物の数が少ないからでしょうか。でも、複数を同時に飼うのは難しいのかも知れませんね。

2011_092300762011_09230078 やっぱり丹頂は優雅です。釧路湿原でたくさんの丹頂をみましたが、ここまで近づいてみることは出来ませんでしたので、うれしかったです。

2011_09230084 さて、ホッキョク熊です。毛並みがとてもきれい。地下の部屋から見上げるようにして見ていましたが、「カプセルは20分待ち。その人はこちら。外に出る人はこちら」という案内がありました。私は何なのか知らなかったのです。「アザラシの気分が味わえるカプセル」って。私たちは時間がなかったので、そのまま外へ。出てみてわかりました。「ホッキョク熊に食べられるアザラシ」の気分なのですね。カプセルから顔を覗かせて、ガラス越しに熊を見るのですね。その姿がおかしくて、大笑いしました。もし今度時間がある時にここに来ることができたら、ぜひその気分を味わってみたいと思いました。


2011_092300882011_09250002 私にとっては木曜の休診日と祭日の連休で、講演にかこつけてすっかり楽しませて頂きました。帰りの飛行機から旭川の街に名残りを惜しみました。皆様、本当にお世話になりました。有難うございました。
 買ったものです。乾燥りんごは食べたことはありますが、乾燥したアスパラは初めてです。真ん中のは、旭岳で買った熊よけのベルの大小です。深いいい音がします。どこにつけましょうか。それと、旭川ラーメン、味噌味と塩味です。食べるのが楽しみです。でも、しばらくはダイエットです。ホテルでの二回のバイキングで太ってしまいましたので。


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旭岳と旭山動物園

2011_09230046大雪山、旭岳にロープウェーがあります。それで標高1600メートルまでいくことが出来ます。雨、霧、見通しがまったく悪いまま、寒さで震えながら、ロープウェーに乗りました。すでに三連休に入っているからでしょう。とてもたくさんの人です。ロープウェーを降りてから、登山道を上に向かいます。そこから旭岳の頂上を目指す人もいます。私はまったく山を歩くなんて考えていませんでしたので、そんな服装をしていません。皆さん、登山靴で綿の入った服を着ています。私には佐藤先生がコートを持ってきて貸して下さいました。姉は自前のコートです。しかし、雨で道はぬれています。ほとんどが石を積んだ道で滑ります。ふうふうの思いでやっと展望台までたどり着きました。

2011_09230055私は釜山のお風呂ですべって肋骨を折ってから、すべることが怖くて。慎重に、慎重に。降りるときももっと気をつけながら。でも、少しだけ周りの高山植物を見る余裕もありました。


2011_092300482011_09230050この高さでは、上に伸びる木はもうありません。松は地べたを這うようにして生きています。このほかにも七かまどのような赤い実をつけたもの、そして白い実をつまむとサロメチールのにおいがするものなど珍らしいものにいっぱい出会いました。もっといいカメラを持って、ちゃんと装束も調えて、お天気のいいときにもう一度来たいと強く思いました。

2011_09230066 何しろ旭岳にも、旭山動物園にも行きたいという欲張りな私たちに佐藤先生は精一杯のスケジュールを組んで下さいました。お昼は動物園の近くで旭川ラーメンです。私は味噌ラーメンを頼みましたが、お味が絶妙、本当においしいラーメンでした。いつも広島の北海道展には札幌ラーメンのお店が出展していますが、いつも味が濃すぎて最後まで食べられません。でもここのは味がまろやかで最後までスープも飲みほしたいほどでした。(飲みませんでしたが)

2011_09230086そして、いよいよ楽しみにしていた旭山動物園です。たくさんの人でしたが、その多くは大人たちです。子連れの人よりお年の人たちのほうが多いと思いました。みんな童心に返って楽しんでいます。動物の数はそれほど多くありません。むしろさびしいほど。でも、見せる工夫がとっても面白くって。人気の理由がわかります。

2011_092300672011_09230070これまでペンギンを見るのはいつも地上だけでしたが、ここではトンネルの中から上手に泳いでいる姿が見えます。

 たくさんの動物の写真も撮りましたが、何より面白かったのは「ホッキョクグマ」でした。明日またアップしますね。


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ホテル・青い池・ぜるぶの丘

2011_092300242011_09230025 私たちがこの度泊まったホテルは、旭川から大雪山の方に約百キロ行ったところの美瑛町にあります。山の中でホテル以外はなにもありません。入り口と入り口からエントランスを反対に見たところです。とても美しく手入れがしてあります。平日にもかかわらず、多くの人が泊まっていました。温泉は源泉賭け流し、茶色のお湯です。緑が見えて、露天は空気がとてもおいしくて。


2011_09230022食事は朝夕ともバイキングです。これは私の朝ごはんです。夕飯は写真を撮り忘れです。ジンギスカンなべや海鮮どんぶり等も自分で作ります。チョコレートタワーもあってデザートも豊富。夕飯もバイキングだからでしょうか、料金が一泊二食付きで一人11500円という信じられない安さでした。ここは、今回の担当の先生に教えて頂いて、自分で電話をして宿泊を予約しました。本当に心からのんびりして、朝九時に出発です。佐藤先生がお迎えに来て下さいました。


2011_09230027ホテルから車で三分の所にある「青い池」です。空はあいにく小雨でこんな色ですが、お天気によっていろいろと色が変わるそうです。パステルカラーの青で神秘的です。

 続いて「ぜるぶの丘」へ。お花がきれい!!私たちはカートに乗って園内を一周しました。

2011_092300342011_09230043 カートに乗るのは500円です。他に自分で運転する四輪のバイクみたいなバギーもあります。でも、自分の足で歩くのは、入園料なしでまったく無料なのですね。信じられません。

2011_092300422011_09230038丘の向こうに一本立っている木が「ケンとメリーの木」なのだそうです。若い人は??みたいでしたが、40年前にスカイライン、ケン・メリのコマーシャルに使われた木だとの説明に「わからなくって当たり前だった」とつぶやいていました。カートに乗せていただくって、遊園地みたいで楽しいです。

 この後、雨の旭岳トレッキングの真似事と旭山動物園について、明日ご報告しますね。


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旭川空港です。

旭川空港です。

今から東京経由で広島に帰ります。
北海道の雄大な自然に、すっかり心を癒されました。
今日は、青い池、ぜるぶの丘、旭岳、そして旭山動物園と、駆け足で廻りました。
車でずっと案内して下さった佐藤先生、本当にありがとうございました。

また、広島に帰って、写真をアップしますね。

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旭岳が初冠雪でした。

旭岳が初冠雪でした。

飛行機は激しく揺れながら無事旭川空港に着きました。
お迎えの方が用意して下っさていたお弁当を、車中で食べながら会場へ。
沢山の人が無事に来てお話するのを待って下さっていました。
ありがたいことです。一生懸命お話しましたよ。

でも、寒いです。
講演がすんでホテルに向かう時に見えた旭岳です。初雪だとのことです。
空港でトランクから引っ張り出した上着を着ていましたが、写真を撮るのに外に出ると、寒くて。サブツ!!と車に駆け込みました。車は暖房を入れて下さっています。
ホテルはすぐ近くと聞いていましたが、百キロ離れた大雪山国立公園白金温泉のホテルパークヒルズ。温泉に入ってノンビリしました。
今から朝風呂に入ります。

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素晴らしいお天気です

素晴らしいお天気です

ホテルの部屋からです。昨日の事が嘘みたいです。
でも、北海道は今暴風雨とニュースが言っています。
さて、どうなるのでしょう。
スライドもバッチリ直したし、準備万端なのですが。
とにかく、出発します。

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羽田のホテルに着きました。

 羽田のホテルにいます。いやー、もう・・・です。次々と東京広島間の飛行機が欠航という情報で、どうしようかとあれこれ考えをめぐらしていました。「今日はだめなら明日の朝一番の飛行機で東京に行けば、何とか午後には旭川までたどり着けるのでは」とか。そしたら、なんと予約していた最終の飛行機だけが飛んでくれました。

 とは言っても、ジェットコースターのような揺れで上昇して行くとき、もう、しまった! こんなに揺れるのだったら乗るんじゃなかったなんて思いましたが。それも羽田がとても込んでいるということで、到着は40分遅れです。くたびれました。でも、ともあれ東京まで無事到着。

 なんかテレビのニュースによると、今日の北海道の各方面への飛行に影響があるようなことを言っています。いやあ、ここまで来てたどり着けないのだったら、情けない話です。もし旭川行きが飛べないのなら、千歳に飛んで、レンタカーで走ろうかとも思っています。北海道は何回かレンタカーで走っています。道が広くてまっすぐでとても気持ちのよいドライブが出来るはずです。いえ、雨や風がないのなら、ですが。

 台風による被害が次々と報道されています。どうぞ、これ以上ひどいことになりませんように。特に東北の震災の被害にあった方たちがまた洪水による被害に、なんてことになりませんように。

 今からもう一度今日の講演予定のスライドのチェックをします。少々眠いです。

2011_09210004昨夜は晩御飯を食べる余裕がなくって広島空港で「牛カツサンド寿司」というのを買ったのですが。???で、ご飯がとてもすっぱくて三つのうち一つしか食べられませんでした。これは、せっかくのアイデアなのだから、ご飯は酢飯でなく普通の飯のほうがいいのになあと思いました。で、ホテルに入ったのが夜11時半。それから急いでまだ開いているホテルのレストランに行って食べたのがこれです。これにドリンクが二つついて2900円。姉がウーロン茶、私はビールがのみたかったけれど、もう少しすることがあるのでコーラで我慢です。食べるのは二人で分けて。ちょっとずつですが、かわいくて。


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麺ランチ競演

 台風15号がとても強くなって、日本のあちこちが大変です。名古屋もあんなひどいことになるなんて。

 私は今日の最終の飛行機で東京へ。明日の朝、羽田から旭川空港に飛ぶ予定です。今日の夜は広島はもう台風も通り過ぎて大丈夫でも、東京は怪しいし、飛行機が飛んでくれるのかどうか・・・。JTBからは飛行機、ホテルともキャンセルしてもキャンセル料はかかりませんと、昨日言って来ました。

 でも、私はまだあきらめていません。私は30年近く、約2000箇所で講演をして来ましたが、交通のことでキャンセルしたのは、二回だけ。いろいろと危ないことはあったけれど、何とか工夫してたどり着いています。

 一応、今日は行く用意をして仕事にでかけようと思います。今晩がだめなら明日の朝の飛行機で東京へはいけるのではないか、東京から旭川へはどうなるのか、よりによってこんなにもろにぶつかるなんてと、頭が痛いことです。

2011_091000072011_09100006さて、今日は麺のランチ競演です。袋町NTTの向かいのそばやさん「しらかわ」。だしの味が好きでよく行きます。姉がたのんだのが、サラダそば。ごまのたれをかけて頂きます。ゴマだれは、ピリカラでも辛くないのでもどちらでも出来るそうで、姉はピリカラにしました。私も少し味を聞かせてもらいましたが、とってもおいしかったです。私はミニ天丼とミニそばのセット。そばは温かいのでも冷たいのでも選べますが、私は暖かいのを。天丼と両方って贅沢です。どちらもおいしくって大満足でした。

2011_091800022011_09160001左はそごうの十階のマダロシェンロンのタンタン麺です。汁なしタンタン麺は激辛で、以前食べたときには、涙目になってしまいました。汁があるのは中辛です。でもこれでも結構辛くて口が少々痛くなりましたが、美味です。右のは、並べるのは恥ずかしいのですが、クリニックのスタッフが高松に行って、おみやげにナマの讃岐うどんを買ってきてくれました。早速クリニックで作ってお昼ご飯にしました。卵とねぎをサンモールで買ってきて、やはりおみやげの赤てんぷらも入れました。うーん、これも美味でした!!

 これ以外で、一番よく食べる麺ランチは(そごうの)ちからのミニ中華そばと讃岐のそうめんです。これらはもう紹介しましたので省略ですが、これらも安くておいしくて好きです。とくに讃岐のそうめんはしいたけの煮付けとみかんの缶詰がおいしいです。漬け汁は辛めなので氷を入れて薄めます。


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島根県多岐の「いちじく温泉」

 雨と風、時々所によって曇りという中を広島に帰って来ました。

 出雲に行くと、いつもは平田の温泉「ゆらり」に行くのですが、今回は大雨なのであきらめました。ここはとっても湯量が豊富でとくに露天風呂がすごく広くて気持ちがいいところです。そばのビジネスホテルに泊まると「ゆらり」は200円で入れます。ここに入るのがお墓参りに行く楽しみの一つでもあるのですが。これだけの大雨の中、露天風呂に入ることは出来ないのであきらめたということです。

2011_091900079号線を帰っていて、雨がちょうど小降りになったとき、「多岐いちじく温泉」がありました。多岐はイチジクが名産です。農協のスーパーマーケットに寄ったとき、そこの前にもたくさんのイチジクの木があり、またたくさんの実をつけていました。今がシーズンですね。9号を通るとき、前から気になっていた温泉で、日帰り入浴が出来ます。どんなところなのかはまったく知らないけれど、ここに行ってみようか、ということになりました。

2011_09190006まず、入浴料の安さにびっくりです。夫と姉は65才以上なので300円。私は400円でした。まず腹ごしらえ。そこの食堂で地いかのどんぶりを頂きました。いかは新鮮でとってもおいしかったけれど、1250円という値段はちょっと高いかな?

 お風呂はとっても気持ちのいい温泉です。露天風呂も屋根つきですのでのんびり入れました。入っているのはほとんど地の人たちだと思います。やんわりした島根弁に囲まれて、ゆっくりしました。レトルトの「いちじくカレー」を買って帰りました。さあ、おいしいかな?

 それにしても、台風。本当に今年は台風、大量の雨の様子がいつもと異なっています。一体これからどうなるのでしょう。

 紀伊半島、十津川村をはじめ、どうぞこれ以上被害が出ませんように。十津川高校には講演に行ったことがあります。その村の「ドライブイン長谷川」で釜飯を頂いて、そのおいしさにびっくりしました。十津川の温泉に泊まって、川くだりもしました。あののんびりした、とても人々の気持ちがいいところがひどい状況になっているのを報道で見て、胸を痛めています。どうぞ皆様ご無事でありますように。

 北海道行きはどうなるのかわかりません。


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出雲にいます。

出雲にいます。
夫と姉と一緒に出雲に来ました。
浜田道から江津、国道9号を日本海に沿って西へ。海は5月に来た時より荒れていました。
空は台風の訪れを感じさせます。
出雲で一人暮らしの叔母を連れて、平田の金光教教会へ。先生に祝詞をあげて頂いて、ひとしきりおしゃべりをしました。今年初物との栗きんとんをいただきました。美味!!
すっかり夜になってしまいました。
その後、叔母と一緒に食事をして、家まで送って行くときに、凄まじい雨でした。
前も見えないほどの豪雨です。道は所々冠水しています。
ホテルに入る時には風も強くて、傘もさせません。
台風がそこまで来ているかの様でしたが、まだ沖縄あたりなのですね。
水曜日の夜に出発して東京経由で行く予定の北海道旭川。どうなるのでしょうか。
今日は早めに帰った方がよさそうです。

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韓国語検定試験終了です

2011_091800052011_09180004朝8時40分集合で、12時半までぴっちり鍛えられてきました。会場には島根県立大学のスクールバスも止まっています。学生さんたちがバスで集団で受験に来ているのですね。

 私は緊張して夜眠れなくって、やっと寝てもすぐに目が覚めて、ボケボケの頭で本当に霞がかかっているみたいでした。少しでも頭をシャンとさせようと思って家から会場の宗徳高校まで自転車で行きましたが、その効果はさっぱりでした。

 帰りの自転車をこぎながら、こんな受験の仕方はもうやめようと思っていました。もっと、大学受験みたいに準備万端、さあ、どきからでもかかってこい、みたいなそしてクリアな頭で受験をしなければ。次回はそうしよう、早くから準備をしよう、なんてとても惨めな思いで帰ってきたのです。

 受験するするなんて、ブログで口外したのも、自分を追い詰めたいこともありました。本当に格好悪いことです。

 ともあれ、終わりました。しばらくは、ちょっとだけ韓国語から開放されようと思います。

2011_09160002いま、そごうで開かれている京都老舗の会でお菓子を買いました。今回の京都展、少し食べ物が物足りません。このお菓子はいつも買うので今回も少しだけ。色とりどりで楽しいです。

 今日、いまから出雲の両親の墓参りに行きます。少しハードですが、今日しか行くときがないので。また出雲からご報告しますね。



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「みずほ」「さくら」「つばめ」全部に乗りましたよ。

 いよいよ明日が韓国語の検定試験です。もう、本当に勉強が出来ていなくって泣きそうになっています。やっぱり受けるのをやめようか、それは逃げるようでだめ!!等と自問自答しながら、でも、本当に時間がなくって。

 水俣の行き帰りの新幹線の中ではずっと勉強をしていました。旅館では布団の中で勉強しながら、でもきっとすぐに眠ってしまったのだと思います。さっぱり覚えていませんので。診療の合間に少しでも勉強しようと思ったら、患者さんがすごく多くて、お昼も食べられないほどで、だめでした。語彙、読解、聞き取りは何とかなるかも。今日いっぱい作文の練習をして、何とかなりそうだったら、受験しましょう。とても自信がなかったら、また春にしましょう、なんて考えています。

 そんなことで、水俣で感動したことをゆっくり書きたいのですが、これはまた来週にさせて頂いて。今日は軽いことだけにさせて下さいね。

2011_091600052011_09160055診療が終わって水俣に向かったのは、広島駅からの「さくら」でした。ピンクの標識がカワイイ!! 帰りもさくらのつもりでしたが、ちょっと遅れてすぐ後の「つばめ」に乗りました。車体に絵が書いてあるのでびっくり。乗ろうとしていたのですが、思わず振り返ってその絵を撮ってみたら、ソフトバンクの絵なのですね。ふうん、新幹線にまで絵を描くいちゃうんだと感心しました。

2011_09160056
つばめは各駅に止まります。山陽新幹線の「こだま」なのですね。その上、博多で「ひかり」に乗り換えです。もうちょっと何とかならないかと思っていたら、車内放送で、熊本駅でつばめの後に「みずほ」が来ると。その方が先に博多に着くし、それは新大阪まで一気に行くし、その上、止まるのも熊本からは博多、小倉、広島だけだということでした。さて、自由席はあるだろうか、「みずほ」は人気があってなかなか乗れないとは聞いていたけれど、平日だし、何とかなるでしょう、もし立ち席なら、博多で本来の「ひかり」に乗り換えてもいいし、なんて考えて、思い切って熊本で降りました。これが大正解。「みずほ」の自由席の窓側に座ることが出来て、早くに広島に着くことが出来ました。

 期せずして、一泊二日で、九州新幹線の「みずほ」「さくら」「つばめ」全部に乗ることができましたよ。

2011_091600032011_09160004行きの「さくら」から、徳山の工場群の過ぎたあたりの日暮れがきれいだったので。それと、鳥栖の景色です。もう真っ暗でしたが、十六夜の月がきれいだったので。安いデジカメで、動く新幹線からそれも窓越しに撮るのだから、はっきりしない写真ですが・・・。


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水俣、光明童園の研修会

 昨日は終日水俣で過ごし、夜広島に帰って来ました。
2011講演は水俣市内の光明童園。お寺に併設されている児童養護施設の職員の研修として行いました。子育てをする上で知っておいてほしい体のことを中心に話しをしました。お若い園長先生を初めとして、皆さん発想が柔らかで学ぶ意欲もしっかり持った素敵な方々で、私も楽しく過ごしました。

2011_091600132011_091600152才から18才までの約80人が生活しています。職員は39名。研修は子どもたちが学校や幼稚園に行っている間に行いました。

2011_091600162011_09160017


2011_091600192011_09160018様々な事情のある子どもたちがたくさんで生活をしますので、いろいろと大変なこともあるであろうと思います。これからの職員の皆様の活動と、子どもたちの成長に少しでもお役に立つことができたなら、幸いです。

 研修の後、職員の先生の案内で水俣を少し見学しました。

 私の学生時代に水俣病のことは大変な公害として報道されていました。学生運動をしていた人たちの中には水俣病の患者さんの支援に水俣に行った人もいました。が、私はこれまで水俣には行ったことがありませんでした。この際、少しでも勉強ができたら、という思いで連れて行ってもらいました。それと、徳富蘇峰・蘆花の生家にも。これらの報告はまたしますね。

 光明童園の皆様、本当にお世話になりました。皆様に暖かく迎えて頂いて本当にうれしかったです。お互い、がんばりましょうね。


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水俣の朝です

水俣の朝です

昨夜は今日講演をする養護施設の人たちと遅くまで食べ、話して、とっても楽しく過ごしました。
目が覚めたら、お部屋からの景色がこうでした。素晴らしい!!
今からお風呂に入ります。

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子宮頸がん予防ワクチン締め切り間近です。

 ここ数日、子宮頸がんの予防接種希望の方が多くこられます。公的助成の駆け込みの方たちですね。今、初めて来られる方には「間に合いましたね」と言います。「お友だちにも教えてあげて」とも言います。

 高校二年生の方は、今月までに第一回目をうたないと、もう助成が受けられません。九月で締め切られます。

 中一から高校一年までの方は今月いっぱいまでに一回目を打たないと、三回目の助成が受けられません。助成は三月で締め切りになりますので。

 これまでに助成で接種した人は、広島県全体では50%。広島市では46%なのだそうです。もったいないことです。一人当たり三回の接種で計五万円もかかるのを無料で受けられるという助成なのですが、きっと締め切りがあるということが行き届いていないのでしょう。

 もうこのワクチンについては散々お話ししていますので、くり返しませんが。意思を持って接種しないというのであればそれはそれでいのです。将来お嬢さんが子宮頸がんになったなら、それはそれとして対処していきましょうということなのでしょう。でも、まだ後に接種すればいいと考えていらっしゃるとしたら、もう有料になるということを知ってますかということなのですね。

 「今月いっぱいですよ」と再度呼びかけますね。

2011_09090003これは何でしょう!? あはは、ハバネロです。唐辛子の中でもとびっきり辛いと言われるハバネロをそごうの地下で見つけました。一袋78円という安さでしたので、思わず二袋買ってしまいました。さあ、どう使いましょう。ネットでいろいろと料理法を調べたのですが、唐辛子味噌を作るのが一番みたい。後でいろいろに使えますので。作るのは、少し時間がかるので、来週以降にします。ねぎやにんにく等を入れたおいしいのを作ろうと思います。でも、これ、直接手でふれないように。手袋をして調理すること、調理器具も別にするように、または後でよーく洗うこと、など怖いことがネットには書かれています。確かに。買った袋には穴があけてあって、その袋を持ってみた後、顔を触ったら、なんと顔がピリピリ。目を触らなくってよかった!と思いました。こういうのを見つけると楽しみでワクワクします。

 きょうは診療後に水俣に向かいます。初めて「さくら」に乗ります。明日の午前中に講演をして、早い夜には帰って来ます。


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ふうん!!ちょっとシモネタでごめんなさい。

 私はお風呂フェチで。日常的に温泉に行くだけでなく、どこに行っても日帰り入浴や銭湯があったら入りたいのです。遠方からお客さんがこられると「お風呂に行きませんか」とお接待代わりに誘います。

 唯一のんびりできるお風呂で、気になることにいくつか出会ったので。

 私がよく行く所には、すのこが置いてあって私はいつもそこで寝転びます。夏でも冬でも、サウナでほてった体にそよそよと風が吹いて、とっても気持ちがよくってついうとうとします。そこでのこと。寝転ぶときに裸のままで寝る人もいるし、タオルをお腹にかけている人もいます。私はタオルを縦にしてバストから足までかけます。人によって、好みによっていろいろです。

 そこで、えっ?という人がいました。バストに横にタオルをかけている若い人。下はむき出しでおっぱいだけ隠しています。ふうん、そうなんだと思いました。そういう人もいるでしょう。おっぱいを見られたくないのでしょう。でも、その見慣れない格好、なんだか変だなあと思いました。

 別の日です。お風呂からあがって服を着るとき。先に上がっている若い人。体をふくと真っ先にブラジャーを着けています。下はむき出して、ブラジャーだけしているとこれも何だか変。と、しばらくそのままで顔に化粧水なんぞをつけています。一通りお顔の手当てが済むと、服に手をつけたので、ああ、やっとパンツをはくのかなあと思っていたら、そうではなく、Tシャツです。短めのそれを着てやっぱり下はむき出しのまま。その格好で今度は髪を整えています。これも何だか変。髪がととのったら、そこでやっとパンティをはいて、私もなぜかほっとしました。

 お風呂から上がったら真っ先にパンツをはいて。子どもの頃からそう思い込んでいた、こんな私の感性、やっぱり古いのですかねえ。誰にも迷惑をかけるわけではないし、好きにしてもいいようなものなのですが・・・。

 それよりも、すのこの上に裸で寝転んで、足を広げて踏ん張って、腰を上げる体操をしているおば様、それって家の布団の上でやってくれませんかねえ。私は、そんな裸体操、見たくないのですが・・・と言いたくなります。

 音♪サンのブログやナナパパさんのブログでnobeechanのゆで卵の浅漬けが何度も出てきて。


2011_091200097パパなんて、nobeechanのレシピをまねして何かに応募して賞と商品をもらったなんて書いてあるし。どれだけ遡ってnobeechanのブログを見てもそのレシピは出てないし。作りたくってしょうがないので、とうとう音♪さんに電話して教えてもらいました。早く作りたくて我慢できなくて、昨日のお昼にサンモールで卵と浅漬けの素と唐辛子を買ってきて、クリニックで作りました。そのまま冷蔵庫に入れておいて、家に持って帰って晩御飯に食べたら、おいしかったあ!! 音♪さん、nobeechanさん、有難う。


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お月見ですね。

 昨日は、ずっとクリニックにこもっていました。昨日がおそらく今年の最後の休みになるでしょう。休みが休みとしてのんびりできたなら・・・。とため息をつきながら。来週の日曜日が韓国語の検定試験です。ずっとクリニックで勉強していました。

 検定に落ちるかも知れない、落ちたらいやだから勉強しなければ、もう時間がないよう、とため息をつく私に夫は笑います。「それなら、受けなければいいじゃない」と。そう、受けなければいいのです。なにも自分から好き好んでしんどい思いをしなくとも、と自分でも思います。これをしなければ仕事が続けられなくなるわけでもないし。だから、もし直前になっても自信がなければ受けるのをやめようと、今、そんなことを考えています。でも、そしたら先生ががっかりされるだろうなあと思います。

 それから、このごろ、家に帰ると何にもしたくなくなっています。前は、一人部屋にこもって勉強したり論文らしきものを書いたりしていたのが、さっぱり出来ません。家で最低限の片付けや洗いものなどをしたら、もうあとはでれっとしています。二日に一回のやまとの湯だけは行っていますが、それだけでもういっぱいいっぱいです。やっぱり年なのでしょう。体力も衰えているということでしょう。

 だから、仕事が済んだ後はすぐに家に帰らないで、雑用をしたり、ちょっとでも勉強したりしています。休みは家では何もしたくなくなるので、強制的に職場に出て行きます。

 人並みに仕事をしているのだから、家ではゆっくりしてもいいんじゃないんと姉は言います。それもそうだけど・・・。もう、検定試験がすんだら好きなことだけをしよう、編み物をしたり韓国ドラマを見たりしよう、そんな風にも思います。本当にもう、自分から好んでストレスを作っているようなものなのです。ばかな私です。


 2011_09100005お月見なのですね。先週の金曜日、kei.先生のお花とお茶を楽しむレッスンでした。お月見のお花です。真ん丸い菊がお月見団子のようで、なんともかわいいアレンジになりました。花器は一枚の紙を折り曲げてお家の形を作り、それにオアシスを入れています。クリニックの受付に飾りました。



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ビビンパランチ競演。

2011_09100001韓国にツアーで行くと、必ず一度はお昼ご飯に組み込まれているビビンパ。ご飯にナムルやお野菜や卵を乗っけて、混ぜ混ぜして食べます。先日紹介した共栄のランチ。ランチは日替わりですが、ビビンバランチはほとんど毎日のメニューにあります。熱々の、うつわにできたおこげがまたおいしいです。いつものランチと同じようスープとサラダとそれに後でコーヒーがついています。790円でした。

2011_08300001_210日ほど前、お昼に時間があったので、ウォーキングをかねて中の棚へ行きました。いろいろな小さな食べ物やさんが軒を並べています。どれを見ても、ランチがおいしそう。その中で、小さなビルの三階の「大邱」へ行きました。小さな部屋ですが、韓国ソウルから来たというお姉さん一人でランチを出して下さいました。ビビンバランチ。スープがついています。熱々を混ぜ混ぜしていたら、「はいっ!!」とおかずが出てきてびっくり。

2011_08300002韓国とおんなじだ!!韓国のお料理の楽しいところは、その店店ごとのいろいろなおかずが沢山出てくるところです。ここで出てきたのは、白菜キムチ、ちくわのピリカラ煮物、チャプチェ、それにねぎの入った卵焼きです。どれもおいしくて、感激しました。これで700円。

 コーヒーがついて790円の「共栄」も、おかずがついて700円の「大邱」も、どっちもファンになりましたよ。韓国料理。大好きですが・・・。午後の診療に気を使わなければならないのがちょっと・・・。マスクをしてします。



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更年期講座のお知らせです。

2011_09010004春に五回シリーズで行った中国新聞文化センターでの「更年期講座」。おかげさまで19人の受講生で行うことができました。好評だったようで、また秋にとのお話しを頂きました。今回は、働く方も考えて、夜に三回シリーズですることにしました。
 
 春の講座でもお出ししたのですが、今回も毎回漢方の飲み物を手作りしようと思います。桂皮(にっけ)と黒糖としょうがのスジョンガとか、高麗にんじんとなつめと甘草の元気茶とか、あと一つ、うんと豪華ななつめ茶にしようかと考えています。

 内容もせっかく高い受講料を払ってきてくださる方に、十分お役に立てるように資料たっぷりの楽しい授業にしたいと張り切っています。10月20日、11月17日、12月1日いずれも午後6時半から8時までです。お待ちしますね。

 他に、これからの講演の予定を少し載せておきます。

9月15日は熊本、水俣で。(児童養護施設の職員研修です)
  22日は北海道富良野で。(養護教諭他教師の研修です)
  29日は安芸高田市吉田人権会館で。(どなたでも無料です)
10月6日 岩国市の中学生徒と保護者に
   10日京都私学職員研修
   13日宝塚の中学校生徒に
   20日中国新聞文化センター更年期講座
   27日午前高知市、遅い午後広島大学公開講座(どなたでも無料です)

11月以降はまた近づいたらお知らせしますね。

 診療も講演も頑張らなくっては!!


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子どもの性被害について。

 もう少し、先日のスクールセクハラについて、特に広島の事件でなぜ早くに発覚できなかったのかという点について補足しておきたいので。

 性犯罪を犯す者は、必ずその被害者に「誰にも言うなよ」「言うと殺すぞ」「言うともう勉強は教えてあげない」などと口止めや脅しをします。

 小さいうちから、子育ての中で
「誰にも言っちゃいけない約束は悪い約束です」
「悪い約束は守ってはいけません」
「誰にも言うなと言われたら、それは悪いことなのだから、早く誰かに言いましょう」
と教えておいてあげたいのです。

 これまでにこのブログでも何回も取り上げているように、CAPでそのように教えます。初めてCAPの授業を受けたときに、ここに一番感動しました。それと、

「川があります。よくここで子どもがおぼれて死にます。ここに子どもが近づかないように柵をしましょう。それと同時に子どもが川に落ちても、おぼれないように泳ぐことを教えましょう」

と、これがCAPの理念だと。これにも感動しました。

 あの広島の教師が逮捕されてからも、次々と教師の性的不祥事が起こっています。一体、広島県の教育委員会は何をしているのか、と思います。ただもう、まともな性教育は出来ないし。それは文科省の方針でもあるのだけれど、「川に近づかないように」としか教えようとしません。

 少なくとも、あんな事件が起きたのだから。多くの子どもたちにひどい心の傷をおわせたのだから、教育に取り組まなければ、と思います。すべての小学校でCAPを!!と訴えたいと思います。教育委員会や学校は、独自では何も出来なかったのですから。CAPなどの民間を取り入れたらいいじゃないかと思います。

 少なくとも今は学校現場でちゃんと教えてもらうことは出来ないのですから、保護者から積極的にこれをおしえておいてあげて欲しいと思います。

 そして、自ら子どもたちの相談相手になりうる親であって欲しいとも思います。

「困ったときにはここに相談相手がいるよ。私はあなたの親なんだから、あなたが困ったときには、一緒にどうしたらいいか考えてあげることができるよ。何があっても助けてあげたいから。ここに相談相手がいるという、これだけは知っていてね。」

 と、日ごろから門を開けておくこと。それを子どもたちに伝えておくこと。「何かあったら助けるよ!!」と。

 本当は学校の先生方にも「何かあったら助けるよ。何でも言ってきてね」と生徒たちへの姿勢を示して欲しいのです。さらに、言ってきた子どもに二次被害の所で言ったような対応はしないでほしい。真摯に話しを聞いてあげれば、その子が本当のことを言っているのかどうかくらいわかります。

 私も実例を何例も知っていますが、何とかはじめの段階で食い止めることが出来たのは、早くに子どもが相談したときなのですね。一人で悩んで悩んで、やっとのことでだれかにSOSをした時には、手遅れだったということが何人もあるのです。

 さて、昨日はドックでした。しんどかった!!です。年々これが苦痛になって行きます。どうしてマンモグラフはあんなに痛いのでしょう。おっぱいが壊れるかと思うほどでした。胃カメラは、しっかり麻酔をしてもらいました。その前のあの口に含む麻酔剤の苦いこと、オエッとなってしまいます。麻酔からさめても、ふらふらして、体がひどく疲れてしまって。婦人科までフラリフラリとしながら歩いていきました。婦人科検診も年々痛くなって・・・。

ともあれ、一年に一回の憂鬱は終わりました。私がドックにかかっているところは県民文化センターの食事券をくれます。
2011_09090001一階の"il vent"で、食事券ではこれが出て来ました。400円追加して、デザートとコーヒーを頼みました。お腹周りを測られたのはアウトだったけれど、ドックのあとにドクターにはBMIがまだ高くないから大丈夫ですといわれたので、いい気になりました。

 夕方、一応頭もシャンとしてから、これからの講演の準備をしました。またまた沢山の子どもたちのカルテを読みながら、胸が痛い思いをしました。性的虐待に会った子どもたちが沢山います。母親の彼から、実父から、実兄から・・・そんな被害を受けた子たちがどうなっていくか・・・。これらは、等しく大人の問題です。教育委員会の人たちに私のデータを見てもらいたいと、本当にそう思います。

 夜中までかかって、二か所にスライドの配布資料をメールで送りました。ほっとしました。韓国語の勉強はさっぱり出来ません。


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韓国料理「共栄」のランチ

 しばらくランチを載せていませんでした。私の職場の周辺は食べ物の誘惑がいっぱい。一歩外に出ると、あらゆるジャンルの食べ物やさんが工夫を凝らしたランチを提供して下さっています。今日は私の好きな韓国料理のご紹介です。

2011_09010001そごうを背にしてデオデオの右側を県民文化センターの方に入ると今右が大きな建設現場になっています。そこの角を右に入ると、喫茶のG線や御嘉家やもっと行くと酒呑童子等があります。その御嘉家の向かい当たりに韓国料理の共栄があります。1階がラーメンのお店。そこの二階です。ここではランチがいろいろなメニューが日替わりになっています。私がその日食べたのはトッポギ定食。甘辛いトッポギとわかめのスープとサラダ、それに後でコーヒーがつきます。ちゃんと豆から挽いた本格的なおいしいコーヒーです。

2011_09010002その日、姉は韓国風冷麺。同じようにスープとサラダとコーヒーがつきました。冷麺は沢山の野菜などが載っています。スイカまで!!私は600円。姉は800円。コーヒーがついてこの値段ですから。それに韓国と同じ味か゛楽しめるのがうれしいです。


2011_08260002その前に行ったときのランチ。カルビースープ定食。たっぷり入ったカルビーがやわらかくて美味でした。コーヒーもついて700円でした。

2011_08260001


2011_08260003お部屋の落ち着いた様子と座布団です。あんまりかわいいので思わずパチリでした。

 私は今日はドッグ入りです。胃カメラや婦人科検診など。きっとメタボと言われるに違いありません。やれやれです。


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シンポジウム「大学生とセクシャル・ハラスメント、加害者を出さない教育」

 午後はシンポジウム『大学生とセクシャル・ハラスメント、加害者を出さない教育』と全体会が行われました。全体会では、「キャンパス・セクシャル・ハラスメント等 処分報道資料」2010.9ー2011.8と「裁判資料2011」も配布され、説明もされました。前者では39件の、後者では119件の報告がありました。これは、大学など高等教育の場でのことであり、高校までの学校での件は含んでいませんし、裁判資料には提訴・起訴報道は含まれず、裁判のみです。私は、その数の多さに、改めて仰天しました。

 また、キャンパス・セクシャル・ハラスメント全国ネットワークは、2002年、第8回全国集会で提言「被害を受けた人の権利保持と権利回復のために」が、採択されています。そして2009年、第15回全国集会にて改めて提言をしています。大学に対し、また学会、日本学術会議、高等教育評価機関、文部科学省、内閣府男女共同参画局、司法機関・弁護士会、マスメディア、医療機関等にたいしても。これらを詳しく読むと、現場で多くの人々がこれについて尽力していることがわかり頼もしく思いますが、一方、それでも日本においてのこの分野は本当になかなかなのだということもわかります。

 そのような頼もしい会ではありますが、それにしてはどうしたの?というようなシンポジウムで、これにはがっかりしました。

シンポジストは今注目の京都教育大学関口久志さんの「被害・救済教育から加害防止教育への発展を」
高等学校養護教育のすぎむらなおみさんの「正しい性知識」「科学的な性教育」で、学生はかわるのか?」
首都大学東京の江原由美子さんの「どう進める?大学のジェンダー教育・性教育」

 受験勉強ばかりしていた大学生がほとんど性教育を受けていないというのは、村瀬先生の「恋人とつくる明日」の中にもしっかり書かれています。村瀬先生の講座には、受講希望の学生たちが殺到して抽選になっているほどです。大学生だって教育を 受けたがっていると私は考えています。でも、全国的に大学生に対してはほとんど出来ていないのが現状でしょう。

 私がとくに唖然としたのは、高校養護教諭の発表でした。「進学校の生徒はきっちり避妊ができている」「定時制の生徒は・・・」などなどのステレオタイプ的な学校や生徒の捉え方には本当にびっくりしました。「科学的な性教育」の科学の捉え方はまったく間違っています。

 卵子に精子が入って受精するという教え方も、「卵子が精子に向かって行って、勝者が入りこむことができる」から「卵子の殻が弱いところにいた精子が入る」から「それではあまりに女性が受身ではないか、卵子だって自分で動くんだ、動いて精子を選別しているんだ」という風に変わって行っている、こんな風に科学が変わっていると説明しました。

「それでは女性があまりに受身ではないか」というのは、科学ではありません。卵子が動くのは、卵管の繊毛の働きや圧の関係であって、自ら動く器官を卵子は持っていません。

 「生徒たちはよく知っている」の発言も??でした。この情報社会で沢山の性に関しての情報が撒き散らされており、ネットなどでそれらの情報にふれてはいても、私は若者たちは無知であると思っています。たとえば「コンドームなんて生徒は知っている、知ってはいても使わないだけ」と彼女はいいましたが、使わないこと、行動もちゃんとしなければならないということを若者は知っていない、行動をしなければならないのだということを知っていないということではないでしょうか。コンドームなんて、言葉では小学生だって知っています。

 私のデータで、避妊しなかったものの妊娠率、コンドームを使ったり使わなかったりした者の妊娠率、コンドームをきっちり使ったものの妊娠率、それらを数値として出すと、若者はびっくりします。使っても13.5%のものが妊娠するというデータには「使えば大丈夫と思っていた」とか。

 性感染症、検査をして全部の性感染症にかかってなかったという人がいます。でも、尖圭コンジローマや性器ヘルペスの検査は出来ないということはほとんどの若者は(大人も)知っていません。

 性交からどれだけたったら出産の予定日になるのか、いつまでが人工中絶ができるのか、女性にとって切実なこの数え方も教えられていません。10ヶ月でうまれると思っていた、まだ中絶は出来ると思っていたけど、間に合わなかったという若者たちがどれだけいるか。

 科学をちゃんと教えることがいかに大切なことか。

 それに、進学校の生徒がちゃんと出来ているのであれば、多くの大学での、多くのDVや人工中絶を受けなければならなくなった学生たちのことはいったいどう考えるのでしょうか。

 私は、進学校であれ、定時制の高校であれ、底辺校であれ(彼女が言った言葉です)、どんな学校で学ぶものにも、等しく性教育をして欲しいと思っています。彼女の発言に対して、フロアから涙ながらの抗議があったことを大会関係者はどう考えるのか、知りたいところです。

 それに、「性教育とともにDVについても教育しなければ」というフロアからの発言にも私はびっくりしました。DVは、性教育の大切なテーマです。性教育と別ものでは決してありません。人と人とのいい関係作りが性教育の究極のテーマであるといってもいいでしょう。

 そんなこんなで、私は今回のシンポジウムは??だったのです。最初からどうしようもない会であればそれほど期待はしないのですが、期待が大きかっただけに、後味が悪いものになりました。


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スクール・セクハラについて・続き

 昨日の続きです。亀井さんの配布されたプリントの最後には、次のように書かれています。

『 「二次被害は一次被害と同等の加害行為である」

 数々の二次被害をもたらす言葉が使われ、被害者は周囲のあらゆる人間関係から孤立させられていくことになります。
 被害者であるのに、まるで加害者であるかのような扱いをされて多くの被害者は口を閉ざしてしまうことに繋がっていきます。何よりも性暴力であるセクシャル・ハラスメントという問題を理解し、被害者がそれ以上つらい思いをしなくていいように、被害を相談でき受けとめられる社会に育っていくことを願います。』

 その二次被害の続きを転載しますね。

《保護者や教員が教育委員会に相談した時》

・子どもさんが作り話をしていることも考えられますよ
・校長先生は立場上、そんなことはしないでしょう
・いくらなんでもそんなことまでしないどしょう
・大変なことがおこりましたね、では校長先生に確認してもらいましょう
・児童生徒は商品みたいなものなので手を出すなと一追う指導はしています
・腺腹の防止規程を下さいと言うと→校名・名前・使途を書くように言われた
・親子間のコミュニケーションが取れていないから子どもが注意を引こうとしている
・未だそんなことを言っているんですか、校長からは『何もしていない』と担任は言っていると報告が来ています。何かの勘違いでしょ

《職場で教職員が告発した時》

・そんな重箱の隅をつつくようなことわしていたら職場がギスギスするだけ
・細かいことを言ったら教育は何も出来なくなる
・あいつは(被害者は)○○先生のことがすきだと言ってたから、自分から誘ったのではないか
・最近、○○先生から厳しく指導を受けていたから仕返しかも知れませんね
・べつに、大したことはないでしょう。レイプされたわけでもないんだし
・単にスキンシップのつもりでしょう
・あれは、補助ですよ。そんなことを言われたら補助もできませんね

《加害者が同僚や管理職から事実を聞かれた時》

・そんなつもりはなかった
・イヤだったらイヤだと言ってくれたらよかったのに
・スキン・シップ、愛情表現、指導、補助・・・抗弁として
・可愛がって何が悪い
・そんなことを言われたら、何も出来ないですよ

《保護者間》

・そんな小さなことに目くじら立てなくてもいいのとちがう
・あなたがこんなことを言ったから○○先生は辞めさせられた。あの先生が大好きだったのに
・離任式には、花束を持っていくわ
・大したことではないのに、先生が気の毒ですね

《生徒間》

・あなたのせいで、大好きな先生がいなくなった
・おまえがつまらないことを言ったから先生は転勤させられた。どうしてくれるの。謝れ!
・大切な顧問がいなくなって部活ができなくなった。お前のせいだ!

《公的機関の相談員》

・学校の先生は、辞めて欲しい生徒にそんなことをするんですよ、だからあなたが辞めればよかったの
・進学校は体育会系の先生が多いから体罰だって、セクハラだってやるのよ
・そんなことをする先生は特殊に人だよ
・訴えたらあなたに何かしてきそうよ、泣き寝入りしておく方がいいね
・学校は難しいから何もできない、訴えてもダメよ
・教育委員会には言わないほうがいいね

さらに、亀井さんのお話は性教育の必要性も話されました。

 性教育をすることで、性被害の知識を持つこと・・・セクハラ・痴漢・強姦など
     男子の被害もあることも

 防止教育の視点   被害を受ける側 加害行為をする側

 強姦神話の常態化に歯止めを(たとえば強姦は衝動的な行為であるという神話、実際は通報された強姦事件の 四分の三は計画的なものであることなど)

 さらに現代のネット被害にも言及されました。性被害が報道されると、必ず被害者に問題があったという書き込  みなど、被害者の誹謗中傷がなされ、それによって被害者が傷つけられていきます。

このような講義を受けて、私も深く同意しました。

さて、全国集会の午後のシンポジウムについて。私は、とても残念なことを報告しなければと思っています。明日そのことを怒りと悲しみをもって書きます。

2011_09050003昨日、音♪さんの皮の作品展に行きました。バッグがすんごっく素敵!!そこでランチをしました。お勧めですよ。


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キャンパス・セクシャル・ハラスメント全国ネットワーク全国集会

 昨日は、朝から夕まで一日中「キャンパス・セクシャル・ハラスメント全国ネットワーク全国集会」に参加しました。

 朝10時からは分科会。三つに分かれていました。

○ 「スクール・セクシャル・ハラスメント~二次被害と性教育~」私も発表者の一人でした。他に

○ 「ハラスメントと職場のメンタルヘルス」 オフィス・インテグラルの澤田章子さん

○ 「大学の相談体制について考える」 岡山大学・早稲田大学・島根大学の担当の方たち

 私の参加した会は特定非営利法人「スクール・セクシャル・ハラスメント(SSH)防止全国ネットワーク」の亀井明子さんも発表者の一人でした。この亀井さんのお話がとっても意義深かったので、ご紹介しますね。

スクール・セクシャル・ハラスメントは高校までの教育現場におけるセクシャル・ハラスメントをさします。このNPO法人では1998年から全国六箇所で活動を行っています。相談への対応、支援、研修、講座・学習会、防止プログラムの提供、加害者研修、情報収集・提供、ニュースレター発行、弁護士・カウンセラーや関連機関紹介、教育委員会・学校などの研修講師派遣など。

2006年122件  2007年106件  2008年121件  2009年97件の相談にかかわっていらっしゃいます。

 教育現場ではとても多くのセクシャル・ハラスメントが起こっています。中でも大変大きく報道された広島県での事件。「教え子乱暴 懲役30年」というあの件について。逮捕時43才の小学校の教師が教師になって一年後から19年間にわたって教え子27人を強姦、95件のわいせつ行為をしていたという件について。しかもその犯罪をビデオにとってパソコンに保管していたと。亀井さんは、広島に通い続けて、裁判の傍聴をしたそうです。

 教師になって1年目というと、広島県の小学校で、6年生の教え子への性犯罪の挙句彼女を殺してしまったというあのひどい殺人事件の直後からです。

 亀井さんによると、この長い間に何度も事件が発覚するチャンスがあったのだと。女性教員がその犯人の教師と生徒がトイレから出てきたところを目撃して、校長に伝えたと。校長が問いただすと、「子どもが気分が悪くなったので介抱していた」と答えたと。直に本人に問うと、なんらかごまかすのは当たり前なのです。もっと他のシステムがあったならと亀井さんは言われます。

 スクール・セクハラにちゃんと対応できないその原因には二次被害があります。配布された二次被害の言葉~こんな言葉は被害者の周辺の人を傷つける~(実例です)

《保護者が管理職に相談したとき》

・先生は「やっていない』と言っています(はい、やりましたとは言いません)
・あんなにまじめで熱心な先生がそんなことをしますかねぇ
・あの先生は部活動も熱心だし、保護者の信頼もあついんですよ。
・分かりやすい授業をすることで、生徒からは慕われていますよ
・教頭試験を受けていて来年には管理職になる先生です。そんな先生が・・・するはずないでしょう
・子どもさんが夢でも見たのではないですか
・そんな些細なことに時間を割いている暇はない
・あいつは学年主任(様々な立場で言われる)で学校にはなくてはならない存在です
・あの先生には奥さんもこどもさんもいるんですよ。そんなことをするはずないじゃないですか

《保護者が先生に相談した時》

・冗談ですよ、やつはそんなことを生徒によく言ったり、したりするんですよ
・笑わせようと思ってやっているのです、単なる受け狙いですよ。気にするほどのことではないよ
・なかなか、熱心な先生で
・結婚もしているし、欲求不満でもないと思います

本当に言いそうなことです。これは、親から虐待を受けた子どもにたいしても、そのまま当てはまります。まだまだありますので、明日も続きます。教育現場は一面、こういうところでもあるということを知っておくべきと思いますので。


2011_09040002写真は午後からのシンポジウムです。全国からの沢山の人でした。シンポジウムや全体会のこともまたお知らせしますね。


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「森瀧市郎追悼集」から④

森瀧市郎追悼集「人類は生きねばならぬ」の第2章は森瀧さんの「遺稿」集となっています。その中に(1979年4月25日夜、海老園の自宅にて)と記された文があります。これは、スリーマイル島原発事故を受けて書かれたものです。

『四国電力伊方原発訴訟における原告側「準備書面(一二)」の意味するもの』とのタイトルの文章から引用します。

『米国ペンシルベニヤ州スリーマイル島原発で起こった事故の報道は、全世界に大きな衝撃を与えた。私は三月末から四月はじめにかけて、毎日時間のありったけをかけて、この事故の報道に耳を傾けた。

 そして一年前の四月二十五日、松山地裁が下した「安全判決」にいたるまでの科学的論争を回想しないではおれなかった。科学裁判とよばれた四年余にわたる伊方原発裁判で、原告住民の弁護士・学者が展開した論述・証言の総まとめとも言うべき「準備書面(原告一二)」は、その副題の示すごとく「伊方原子力発電所の危険性及び違法性のすべて」にわたって体系的に委曲をつくして述べたものである。これは原発論争史上不滅の文献となるであろう。

 それにもかかわらず松山地裁の判決は、被告・国側の言い分を全面的に採用し、原告側の論述証言をいともあっさりとしりぞけてしまった。そして原発の安全性に太鼓判を押してしまったのである。

 私は悲憤やるかたない気持ちで広島にかえった。その日の日記を見ると、「ガリレオはその地動説の放棄を命じられたが『それでも地球は動く』とつぶやいた、伊方の人たちも『それでも原発は危険だ』と言い続けるであろう』と書いている。はたして伊方の人たちは高松高裁に上告した。そして進行中である。

 スリーマイル島原発事故の報道や解説と伊方原発訴訟の「準備書面(一二)」を読みあわせて見ていくうちに、私はこの準備書面のえらさに今更ながらいよいよ頭がさがったのである。

 スリーマイル島原発事故の報道で、私がいちばんおどろき、注目したことが二つある。一つは事故が二次給水系の故障に端を発したということであり、もう一つは炉内に水素が発生してあわてふためいている状況の報道であった。』(以下略します)

『原子炉一次系の熱除去は、正常なときには蒸気発生器二次側の水の蒸発によって行われている。しかし主給水系と補助給水系からなる二次側給水系が故障し給水が止まると、原子炉の停止が行われても、崩壊熱による発熱のために、蒸気発生器二次側の水は蒸発によって、およそ三十分で空になる。そうなると蒸気発生器による一次系の冷却は行われなくなるため、崩壊熱によって一次系の温度は上昇し、一次系の圧力は高くなる。・・・』(以下略します)

『次に私は、スリーマイル島原発の炉心に発生した多量の水素であわや一大事にいたる緊迫したニュースをみておどろいた。このことについても私は、伊方訴訟「準備書面(一二)」にその解説を求める外なかった。はたして準備書面の五六五頁で「燃料棒の被覆管と化学反応を起こして熱と水素を発生させるとともに・・・」という箇所に出会った。

 燃料棒被覆の金属ジリコニウムと水との反応で金属は酸化してもろくなるとともに、そこで発生した水素は酸素との割合で爆発するか燃えるかし、炉心溶融の最大事故につながる。そのことについての国側の安全審査のあまさを、原告側は次のように批判している。・・・』(以下略します)

『ともかくも私は、この伊方訴訟準備書面(原告一二)の中から、スリーマイル島原発事故のニュースの中で私が最もおどろいた二つの点について、このように明確に解明を与えられたのである。逆に言えば、少なくともこの二つの点については準備書面の所論はスリーマイル島原発事故で立証されたのである。もうひとつ逆に言えば、この準備書面のこの所論は、スリーマイル島のいわば科学的予言であったようにさえ私には思えるのである。

 私の言いたいことは、原発の危険性を憂慮する多くの人びとが今あらためてこの「準備書面(原告一二)」を読んでみていただきたいということである。』

 今年の8.6平和の夕べで、元京都大学原子炉実験所講師小林先生はこの伊方原発訴訟について話されました。この訴訟では、科学的に原発の危険性を完璧に科学的に立証したと。それでも、三権分立はどこに行ったのかというがごとく、国の言うことに裁判所はあっさりとお墨付きを与えてしまったと。

 森瀧さんは、1979年に、スリーマイル島の事故で、この伊方原発訴訟のすごさを語られています。それから三〇年あまり、今度はとうとう日本でこんな大事故を起こしてしまいました。伊方原発訴訟の予言どおりに。

 このたび、この本を読み返し、そして一文字一文字キーを打ちながら、私は、何度涙したことでしょう。森瀧さんの中では、核兵器も原発もみごとにつながっていました。「放射能」というこれのみによって被爆者運動を理論化し、引っ張ってこられました。いまさらながら森瀧さんのすごさに感銘します。

 そして、今日の状況を振り返ってみると・・・。あまりの状況に愕然とするのです。それは、被爆者運動の弱体化のみではありません。これまでヒロシマは核兵器を語って来たが、原発にはふれないできたとのうのうという人たちの存在にも。

 長い間引用ばかりで読む人は面白くないだろうなあ、いえ、ほとんど読んでもらえないだろうなあと、思いながら、続けさせて頂きました。改めて森瀧さんに深い感謝をささげます。なお、引用した本は、数冊でしたら我が家にありますので、お分けできます。


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森瀧市郎追悼集」から③

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森瀧市郎さんが、1975年の原水禁大会で「核絶対否定」の理念を明確に打ち出すに至るまでをもう少し抜粋します。森瀧さんは広島大学を定年退職した後、海外への平和行脚にも意欲を示します。

『森瀧はさらに一九七五(昭和五十)年四月、南太平洋のフィジーで開かれた「非核太平洋会議」に出席した。前年の被爆二十九周年原水禁世界大会に出席したフランスのサンフォード国会議員(ポリネシア選出)の強い招請によるものだったが、同会議への出席は森瀧にとって大きな収穫となった。

 この会議は、核保有国の戦略展開地域、核実験場になっている太平洋地域を非核化することが目的で、二十二カ国から約九十人が参加。「太平洋地域の放射能汚染」「太平洋地域の核基地化と核実験反対」「太平洋非核化条約締結の国際行動の展開」の三項目をテーマに討議し、

①核兵器、核爆発装置、核運搬手段などの実験の禁止 ②核兵器の貯蔵・運搬の禁止 ③核兵器の指令または中枢的施設の禁止 ④各国政府に対し、原子力の利用をやめ、他のエネルギーに切り替えるよう要請 ⑤太平洋での原子力潜水艦、原子力船の存在に反対、放射性廃棄物の海洋投棄反対ーーを決議した。

 森瀧は帰国後、会議の成果を「核の被害者になっている国々の連帯が生まれた」と報告したが、中でもオーストラリアから参加したアボリジニ(先住民)の女性の「ウラン鉱山のある地域は私たちの聖地なのに取り上げられたうえ、私たち先住民は低賃金でウラン鉱山の最も危険な場所で働かされている」との訴えは心に響いたようだ。この訴えに心を痛めた森瀧は「核はたとえ平和利用であれ、人類と共存できない」と確信。その夏の原水禁大会で「核絶対否定」の理念を明確に打ち出した。』

『森瀧はある講演で核被害者について、こう話している。

「被爆者が非常に大きな痛手を被っておるのは放射能です。放射能の影響というのは、一体どけだけの子孫にまで及ぶものであろうかはまだわからない。平安朝時代から今日ぐらいまでの間の時間をかけて研究していけば、大体結論が出るかもしれません。(中略)

 アメリカのネバダで核実験をする時に、随分乱暴なことをするもので、きのこ雲が未だ立ち上がっているのに、兵隊をそこへ突入させてみる。そういう兵隊さんたちは皆、核被害者です。ネバダの風下にも、たくさんの(住民の)核被害者があります。それはアメリカだけでけなく、イギリスもそうです。イギリスの軍人が被ばくして非常に重大な病気が出ておる。

 それから、原子力発電があちこちにできるようになりますと、ウランを掘り出す、精製して核燃料を作る、それを燃やして原子力発電をする、あるいはその燃えかすを再処理する、どの段階を取ってみても、被ばく者が出ます。なんらかの放射能を必ずかぶらざるを得ない運命にあるのです。そうならないためには『ウランを掘り出すな』ということです。この核の時代を代表する一番の知恵を我々に教えてくれたのは、一番遅れているはずだったオーストラリアやアメリカの原住民の人たちです。我々はあの人たちの、声にもならんような叫びを、本当に聞かなければなりません。核絶対否定によって、核なき未来を求めるときに、我々は世界の核被害者と手を結ばなければなりません・・・。」』

 森瀧さんは,どんな人の声にも謙虚に耳を傾けて下さる方でした。学生時代、私たちがひっそりと平和公園で座り込みをしていたとき、あの森瀧先生が激励に来て下さって、本当にびっくりして、涙が出るほど感激しました。この本を読んでいて、あの時のうれしかったことが昨日のように思い出されます。

 あまり読んでくださる方はないかも知れないと思いながら、それでも今こそこの森瀧さんの声をもう一度検証する必要があると思って。後一回だけと言っておきながら、今度は伊方原発訴訟についての森瀧さんの記述がありますので、それも紹介しようと思います。今回の8.6.平和の夕べで小林先生が話して下さったことと、見事に一致するのです。


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「森瀧市郎追悼集」から②

 森瀧市郎さんが「被爆三〇周年原水爆禁止世界大会・国際会議で日本代表として行った基調演説」です。

 『海外からはるばる参加された外国代表のみなさん!
 日本各地からご出席の皆さん!
 被爆三〇周年を記念する本会議に参加下さったことに対して、心から感謝の意を表明させていただきたいと思います。

 さて、今年はヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されてから三〇年目に当たります。言いかえますと、人類は三〇年間の長きにわたってこの悪魔のような核兵器を廃棄できずにきてしまったということであります。それは永い人類史上において最もおろかな時代だったといえるかも知れません。』(原発についての演説を紹介するために、少しここから省略します。この格調高き演説の全文を読んでいただきたいのは山々ですが・・・)

 『人類が核兵器を廃棄できずにいる今日の時代は、まさに"狂気の時代"であるということです。少なくとも、ヒロシマ、ナガサキのあの生地獄をくぐり抜けてきた一人の証人として、現在の世界を透視してみますとそういう以外はありません。私たちのあの気違いじみた核兵器を地上より全廃して、「力の政治」に依拠するような政治を改め、民衆が平和に生き通せる国際秩序をつくりださなくてはならないと思います。

 しかし、現実には核兵器のもたらす危機は楽観を許しません。そればかりか、核拡散の機運は昨年以降急速に発展して参りました。いまや、一歩誤れば核の無政府的な拡散すら危惧されます。核の世界的拡散は核威嚇政策の乱用を誘引するでしょうし、局地紛争における核使用の現実性をますことでしょう。

 事実、アメリカ国防省は、朝鮮半島での核使用を言明しています。"狂気"はいまや一段とエスカレートする危険をましています。

 私たちのこうした危惧がつのる一方で、多方面からも核の危険がつのってきております。それは核エネルギーの「平和利用」という名の下に進められている原発であります。

 核エネルギーの推進者たちは、石油危機を逆手にとって、次代のエネルギーは核以外はないというキャンペーンをくり返しております。しかしながら、世界各地につくられつつある原発はそのことごとくが、安全の保障しえないものであり、その欠陥を露呈し、トラブルを起こしております。こうして放射能による環境汚染問題は人類の等しく批判しなければならないものとなりつつあります。原発から出る放射性廃棄物はいかなる処理の方法もないのですから、核分裂エネルギーの利用を進めれば、いずれこの有限な地球という惑星全体の放射能汚染へと発展せざるをえません。原発の稼動によって生じる半減期二万四千年のプルトニウムは人類社会に耐えかねない重圧をもたらすことも必然です。

 核エネルギーの平和利用もまた人類を危機に陥れることは間違いありません。その上、核の平和利用は同時に軍事利用に容易に転用できることも自明であります。

 私は以上の概観の上にたって、この核の時代三〇年を総括して"核分裂エネルギーを利用する限り人類は未来を失うだろう"というテーゼを提起したいと思います。

 と申しますことは、人類は核と共存することはできない故に、核分裂利用のすべてを否定する核絶対否定の理念をいよいよ高く掲げ、人類の生きのびる道を切り開いて行かなくてはならないということであります。』(以下略します。)

 この演説は36年前のものなのです。この基調講演を受けて、以来、翌76年から原水禁世界大会では「原発」の分科会が絶えることなく続けられています。さらに、森瀧さんの活動は「世界の核被害者の連帯」へとつながっていきます。ウラン鉱採掘に従事したヒバクシャ、核実験によるヒバクシャ、原発によるヒバクシャとの交流を通して、1985年の原爆忌にヒロシマで開かれた「国際ヒバクシャ・フォーラム」へ、そして二年後のニューヨークでの「核被害者世界大会」へと続きます。その間の年に世界を震撼させたチェルノブイリの原発事故が起こったのです。

 後もう一回だけ森瀧さんの追悼集から引用をしますね。

Img221 すでにお伝えしているように、今週末9月3日、4日、キャンパス・セクシャル・ハラスメント全国ネットワーク全国集会が広島・エソールで開かれます。昨日は一日中クリニックにこもってその分科会のためのスライド作りをしました。くたびれました。

 


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「森瀧市郎追悼集」から①

2011_09010006 "反核の父"森瀧市郎さんは、1994年1月25日、胃がんで亡くなりました。翌95年7月この本が刊行されました。

 これには被爆者援護と反核の戦いに一生をささげた森瀧さんの偉大なが業績が詰まっています。巻末の年表と共に、貴重な資料にもなります。今、改めてこのすべてを多くの方に読んで頂きたいのですが、今回はこの中の原発にかかわる部分を紹介したいと思います。以下、かぎ括弧『』で記載した部分はこの本からの引用です。

 森瀧さんが明確に反原発を打ち出されたのは、1975年です。それにいたるまでにさまざまな足跡があります。

『森瀧の「原子力の平和利用」への関わりは1955年(昭和30年)アメリカ下院で「広島に原発を建設すべきだ」との提案がなされた際、原爆製造につながる危険、放射性物質の人体に対する不安を提起したことに始まる。その後、「原子力は「第二の火」として、人類の未来を約束してくれるエネルギー」との主張が主流となる中で、75年、原水禁大会で「核絶対否定」の立場を明らかにして以来、原発反対を自らの運動の大きな柱に据えた。

 原発建設地の住民の反対運動にも関わり、中でも四国電力・伊方原発(愛媛県)は1968(昭和43年)以来、建設反対、運転差し止めを要求して法廷闘争を展開した原発周辺住民を支援し、現地も何度か訪れた。原発反対住民の廣野房一さんは「森瀧先生は「子孫に不安を残してはならない」という大原則を貫き、私たちを指導してくれた。」と、森瀧の存在の大きさを語る。廣野は今も森瀧から送られた「核絶対否定」の書を額に入れて飾り、反対運動に取り組む心の糧にしているという。

 だが、反対運動にもかかわらず、日本は世界最大の原発立地国となっていただけに、森瀧にとって、六ヶ所村に建設予定の日本最初の核燃料サイクル施設の建設は絶対に食い止めなければならないものだった。

 森瀧は、新日本原子力協定、核物質防護条約の批准と原子炉等規制法案などの国会上程が四月八日に決まると、すぐに社会党本部に電話を入れ、伊藤茂政審会長(当時)に「全力で阻止して欲しい』と要請。広島県原水禁事務局長、横原由紀夫さんと連絡を取り合いながら国会審議の行方を見守った。

 しかし、協定、条約は批准され、関係法案も成立して、六ヶ所村のウラン濃縮工場、核燃料再処理工場、低レベル廃棄物処分施設の核燃料サイクル三施設はその都市の八月十日、事業認可され、十月に着工した。

 森瀧らは国のごり押しの原発推進政策を押しとどめるには法的規制が必要と、十一月には「脱原発法」制定を国に求めることを決定。制定実現に向け、全国規模の五千万人署名運動をスタートさせた。

 同時に、六ヶ所村の施設建設反対住民との交流も進め、翌八九(平成一)年四月八日、青森市文化ホールで開かれた「核燃料サイクル反対全国集会」に参加。翌日、六ヶ所村で開催された現地集会では、森瀧は集まった人の波に圧倒され、「一万人余の人々が旗を押し立てて集まって来たのである。いい得ぬ感動。原水禁運動は生きている」と日記に記している。壇上から次々と、核燃料サイクル施設反対を叫ぶ住民や市民運動団体代表の力強い表情は、森瀧を大いに勇気づけた。』

 長くなって申し訳ないけれど、でもどうしても読んでいただきたい部分だけにしますので、もう少し抜粋を続けます。明日は、その感動の1975年「被爆三○周年原水爆禁止世界大会・国際会議で日本側代表として行った基調演説」を掲載します。


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