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オンニョさんの詩「ふるさと」


 思いがけず、オンニョさんからコメントが来ました。原っはさんが連絡をして下さったようです。びっくりして。でもとてもうれしかったです。

 あのオンニョさんの随筆「ふるさとへの道」を紹介して、多くの方から直接感想を聞いています。そして、ご紹介してよかったと思いました。その後、必死になって元のオンニョさんの詩「ふるさと」を探しました。原っはさんのブログのリンクから、またもう一つリンクをして、ずっとさかのぼって。そして見つけた「ふるさと」。これもいつか皆様にご紹介したいと思っていました。

 ここに転載させていただきます。オンニョさんは「ウリハッキョ」を守るためにと書いた詩だと言われています。「ウリハッキョ」。ウリは私たちハッキョは学校です。「私たちの学校」。私が何も言う必要はありません。

 私の今日のブログはこの詩を紹介させて頂いて終わりです。

オンニョさんの詩(1)ふるさと  
 
      ふるさと

                許 玉 汝

生まれ育ったところが故郷だと
誰が言ったのだろう
私には故郷なんてなかった
ふるさとがなかった

60年が過ぎた今も
両足首に残ったゴム紐の痕を見ると
知らぬ間に涙が出る
優しかったオモニを思い出す

北海道にいるという父を訪ねて
身重の母は姉と次兄の手を引き
幾度も幾度も列車を乗り継いだ
風呂敷包みひとつ頭に載せ

突然津波のようにやって来た陣痛
青森の小さな旅館の布団部屋で
私をこの世に生み出してくれた母
自分の歯でへその緒を切ってくれた母

6ヶ月後に北海道に渡り
馬小屋で寝起きした日々
函館の海でいか裂きしながら
私達を育ててくれたオモニ

零下20度の凍て付くような浜風
私をおぶって浜で働いたオモニは
私の靴下が脱げない様
ゴム紐をきつくきつくまきつけた

青森から北海道へ
北海道から東京へ
東京からやっと京都に戻ったとき
私は5歳になっていた

生まれて初めて会ったハラボジ
空襲で1本足になったハラボジ
ハラボジのリヤカーに毎日乗って
声張り上げた《ボロおまへんか》と

あの路地この路地、一緒に回った日々
いつも聞かせてくれた故郷のはなし
ハラボジが出してくれた出生届
いつのまにか出生地は京都市になっていた

家族そろって大阪に移り
りっぱな朝鮮人になれと
父、母が送ってくれたウリハッキョ
満員電車に押し込められて通った学校

初めて通ったウリハッキョは
藻川に沿った小さな小さな学校
体育の時間は広い川原でころげまわり
図工はのどかな川辺でいつも写生

麦飯とキムチだけの弁当
雨の日あちこちにバケツが並んでも
暖かい先生や友達に囲まれて
ちっともイヤじゃなかった、楽しかった

ア、ヤ、オ、ヨ…
歌う様にハングルを習い
子ども心に誓った
将来は故郷のアナウンサーになるんだと

ウリハッキョで学んだ日々
恋もし、喧嘩もし、悩みもしながら
進路について話し合った懐かしい日々
一度もなかった。孤独な時なんて

同胞のために頑張ろうと仕事を選び
済州島に住む長兄に会う日を夢見ながら
集会にも、デモにも参加した日々
夢は近づいては遠のいたり

疲れを知らなかった青春時代
休むことを忘れてた中年時代
突然悪夢の様に悲しみが押し寄せた日

それでも踏ん張れよと
ギュッと抱きしめてくれた
それがウリハッキョ
オモニの様に温かかったウリハッキョ

生まれ落ちた場所さえ知らない私に
思い出と友と夢と勇気をくれ
愛する心を育ててくれたウリハッキョ

私にも祖国が在る事を教えてくれた
ウリハッキョはゆるぎない心の柱
私のふるさとは ウリハッキョ

決して誰も奪えない
私が通い、子供達が学び、孫達が通う
ウリハッキョ 心のふるさとを!


     2010.6 ・15


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コメント

よくよく掘り出し見つけて下さいました。
掲載してもらってありがとうございました。
この詩こそ許玉汝(ホ・オンニョ)先生がはじめて日本語で書かれたものです。
そして昨年の10月広島で行われた「朝鮮学校無償化除外反対」の朗読会で発表された詩です。。
私はこの朗読会で涙で訴えられた校長先生、高校生の皆さんに自分の出来る何かをお手伝いしようと決めました。
  
その後、日本語で書かれるオンニョ先生の『詩』に感動し紹介してきました。
2人の想い重なるものは『ふるさと』でした。
私もこれまで新聞に投稿した数は60余りになります。
私は今、オンニョ先生の一つの願いが叶い、こうして多くの方に感銘を与えている事を大変喜んでいます。
  

投稿: 原っ葉 | 2011年8月27日 (土) 12時53分

詩の掲載有り難うございました。この詩を書いてから1年が立ち生まれ故郷も探せ感動的な事が多々ありました。故郷に対する想いをひとつの詩にしました。読み流してください。今日の朝、推敲終えました。

ふるさとを想う

            許 玉 汝

30年前
父が この世を去った日
病室の 枕の下から出てきた 封筒の束

見舞客が置いていった 大切な封筒
一つ残さず 貯めていた アボジ
故郷で眠りたいと願ってた アボジ

封筒を手に 涙ながら オモニは云った
行かせてあげよう ふるさとに
どれほど帰りたかっただろう ふるさとに

親不孝者と 後ろ指さされながら
父を見送った時でさえ 分からなかった
魂になってまで 何故に故郷を探すのかと

歳月は流れ いつしか還暦がすぎ
孫を持つ年になり やっと気付いた
ふるさと想う アボジオモニの心の内を
 
住所さえ知るすべがなかった 私の出生地
心優しい人々が 真心で探してくれた生地を
この年になって 初めて訪ねた 夢のように

陣痛に耐えかねて やむなく母が降りた駅
身寄りもなく さまよっていた 私たちを
家族のように見守ってくれた 碇ヶ関の人々

消え入りそうな私の命を 燈してくれた地
たとえ 先祖代々の 墓はなくとも
私の故郷と 呼ばずにはいられぬ 碇ヶ関

見知らぬ土地なのに こみあげる懐かしさ
紫陽花眩しい三笠山 滔々と流れる平川
オモニの姿と重なりし 美しい山よ、川よ

昔も今もとめどなく流れる 白沢の水音が
母のせなで聞いた やさしい子守唄となり
私の胸を 恋しさに 震わせた

人生の出発点に立ち 私は心底思った
生まれ故郷、心の故郷、父母の故郷
その全てが 大切な我がふるさとだと

二度と二度と 奪われはしまい
代々 守りぬかねばならぬ 心の根よ
62年の歳月を経て 凛とこの地に立つ

      2011・8.30

投稿: オンニョ | 2011年8月30日 (火) 19時35分

原っ葉さま
こちらこそ、有難うございました。今、オンニョさんの文と詩をプリントして友人たちに配っています。できるだけ多くの方に読んで頂きたくて。原っ葉さんのおかげです。またいろいろと教えて下さいね。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2011年9月 6日 (火) 08時04分

許玉汝さま
出来上がったばかりの詩を有難うございました。オンニョ様のふるさとへの思い、碇ヶ関の方たちへの思いがひしひしと伝わってまいります。特に,最後の「凛としこの地に立つ」がとても好きです。この詩もプリントして配らせて頂きます。私のところにも、こんなに寄せて頂いて心から感謝です。有難うございました。お返事がとても遅くなってすみませんでした。これが私の悪いところです。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2011年9月 6日 (火) 08時20分

河野先生。大阪のオンニョです。昨日朝鮮新報の電子版に写真入で随筆「ふるさとへの道」が掲載されました。内容は同じですが写真と一緒に出ると又あの日の感動が蘇ってきました。先生のアドレスを知らないためコメント欄に書かせていただきました。新報文化欄をご覧下さい。下のををクリックしてくださいね。

http://jp.korea-np.co.jp/article.php?action=detail&pid=52183

投稿: オンニョ | 2011年9月 8日 (木) 20時43分

オンニョさま
お知らせ有難うございました。オンニョ様の写真も見ることが出来て、うれしかったです。ここからまたこの文章がいろいろな人に広がっていくといいですね。感謝しています。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2011年9月 9日 (金) 08時39分

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