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ヒロシマは原発を容認して来たのか。

 感動的な中沢さんのお話。夫も聞いていて、感想として「その最後に被爆者として、今の福島の原発事故をどう思いますか?」と入れればよかったのに」と言いました。私もずっと今回の福島の人のことを聞こうかどうしようかと迷っていました。ただ、「原発事故をどう思うか」という聞き方は漠然とし過ぎています。

 以前、中沢啓治さんのDVDが完成したその試写会に行ったとき、後の記者会見で記者の方たちが同じ質問をされました。そのときに中沢さんは、真っ先に「風評被害」のことを言われたのです。ご本人がヒロシマから東京に行ったとき、被爆者に対する差別がひどかったとおっしゃっていました。それだけつらかったのでしょう。「福島の人たちを励ましてあげたい」といわれました。

 でも、記者が聞きたかったのは、それではありませんでした。原発の存在そのものについての中沢さんの思いだったのです。。何回も質問を重ねた挙句、結局各紙一面に中沢さんの言葉が載りました。私は、限られた時間の中で、そのように質問を繰り返すことは出来ないし、どうしようかと迷っていたのです。

 事前にお会いしたときに、中沢さんがチェルノブイリに行ったときのことを話されました。「かわいそうに。少女が後一月しか生きられないと言われたと泣いていてね、残酷なものでした。そのときにもまだ地面はガーガーとガイガーカウンターの音を立てていたよ」と。私は、福島という獏という問い方ではなく、そのチェルノブイリの話しを質問しようと決めていました。しかし結果的には、時間がなくなってしまって、その質問は出来ないままでした。

 原発については、その後の草薙さんと小林さんに任せようと思いました。

 でも、今、私は、無理をしてでもそのことを聞くべきだったと思っています。ヒロシマの被爆者が原発をどのように捉えているかを示すべきだったと。

 私は、この間「ヒロシマの運動は核兵器にばかり反対をしてきて、原発については黙っていた」という記事を沢山読みました。テレビの「熱血授業」でもえらい大学の先生が「ダブルスタンダートだった」とも言われました。その方がどれだけ被爆者運動を調べたのか、勉強したのかわかりません。たしかに、広島でも、そのようなことを言った人はいるのでしょう。でも、それは「その人が」そうだったということであってヒロシマの運動がといわないで欲しい、と思います。

 今回の私たちの集会を大々的に報じたミニコミ誌「未来」でさえ、そんな人の声を敢えて載せていて、本当にがっかりしました。「東日本大震災が起きるまでは、核兵器対人間ととらえてきた。フクシマを機に、放射能対人間で核を見つめ直す必要があると、"自己批判"せざるを得ない」(元中国新聞編集局長・元市長、平岡敬さん)[いずれも新聞報道から]

 なぜこのような人の言葉を載せるのかと私は怒っています。被爆者運動をして来た人でもなく、この人はやはりこの程度だったということに過ぎません。それをあたかもヒロシマの代表のようにマスコミの新聞がそう載せたとしても、「未来」まで引用することはなかろうと思ったのです。私たちの平和の夕べでも、その第一回から必ず被爆者の話と同時に原発の講演をいれてきています。

 これまで反原発の運動を粘り強く闘ってきた人たちはヒロシマにも確実にいるわけだし、でも、このようなフクシマの事態が起こってしまったということは、その運動が弱かったということに過ぎません。財界、マスコミ、大金を使っての攻撃に負けてしまっていると。

 今、私は森瀧市郎追悼集「人類は生きねばならぬ 核時代を乗り越えて 森瀧市郎の歩み」を読み返しています。この本のあちらこちらに、森瀧さんの信念「核絶対否定」が書き込まれています。その本と共に、そこに書かれている、早くから被爆者運動が原発に反対をして来たことを紹介しようと思います。被爆者運動の父、森瀧市郎さんの深い思いが記されています。

2011_08010001別府市の京都大学地熱研究所。正式には京都大学大学院理学研究科付属地球熱学研究施設本館。1923年大正12年に作られた現在国の登録有形文化財。別府での性教育指導セミナーに行ったとき、会場の向かい側にありました。ちょうど中が公開されている日だったので、地熱利用について行ってみようと思っていたのに、次の日にいったら、もう終わっていてがっかりでした。いつか行って見学したいと思います。


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の反省会

 ここのところパソコンの調子が悪い悪いと思っていましたが、今朝、メールもインターネットもすべて接続できなくなって、あせりました。あれこれしながら、絶望的になりましたが、やっと今、インターネットにつながって、ほっとしています。またおかしくなる前にいそいでブログを書かなければ。それに、出勤時間も迫っています。

 一昨日の日曜日、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の反省会が開かれました。久しぶりに共に準備をした仲間が集まり、あれこれ話し合いました。その準備のために計16回の会議や作業をしまた。中でも、二回の作木カヌー公園での泊り込みの合宿がとても楽しくて。夜を徹しての喧々諤々でしたが、環境が素晴らしくて、いつまでもそこにいたいような思いでした。

 私たちの会は、お金もないし、さまざまな仕事をしている人たちの自主的な集まりです。何かしようよ、という人が寄ってきているだけですので、一定の方針があるわけではありません。ただただ集まった人の意見で動きが決まります。その分、一人ひとりの真剣な思い、話し合いと行動が大切になります。

 当日YMCA国際文化ホールに集まって頂いた方は290人+子どもたち(高校生以下は入場無料にしましたので生徒や子どもの人数の把握が出来ていません)。大まかな内訳は広島近郊約135人。大阪50人、兵庫50人、京都20人、東京などの関東30人ということでした。上関・祝島現地交流ツアー参加者13人。被爆電車・平和学習参加者70人でした。

Photo画像は「shiozyの介護生活」からお借りしました。

 参加者の皆様の感想文も沢山頂きました。有難うございました。書いて下さった方は心から中沢さんのお話に感動して下さったようです。リレートークの草薙さんの話も小林先生のお話も。早苗NENE三の歌にも。

 これらを読ませて頂いて、やってよかったなあと感慨を新たにしています。すでに話し合いは来年に向かっていますが、その前にもう少し私の今年の反省を踏まえてお話ししておきたいと思います。もう時間がないので、明日に続きます。


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リレー・フォー・ライフ・ジャパン2011 in広島(尾道)のお知らせです

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 今年のリレー・フォー・ライフ・ジャパン2011 in 広島(尾道)のお知らせです。

 リレーフォーライフは、24時間がんと闘う方々の勇気を称え患者や家族、友人、支援者と共に交代で夜通しグランドを歩き続けます。地域一丸となってがんと闘う連帯感をはぐくむ場として、がんで悩む事のない社会を実現するために募金活動を行うチャリティーイベントです。
 
 リレー形式で24時間歩くいのちのリレー、癌でなくなった人たちを偲び、メッセージを記した嚢にキャンドルを灯すルミナリエ、さまざまなイベントを行うステージ、そしてがんについての専門いによる数々の講演会、各種ブースや屋台など、しみじみとしてでも楽しく有意義なイベントです。

 過去二回、広島で行われました。この二回には、私も少しだけかかわらせて頂きました。今回は初めて尾道で開かれます。ぜひ、多くの方のご参加を呼びかけます!!

 スタッフの皆さんも日常の仕事をしながらの準備で本当に大変と思います。どうぞ、皆様お体にお気をつけてご準備なさいますように。


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車いすダンスの公演とハラスメント講演会のご報告です。

2011_08270003昨日は広島車いすダンスくらぶの公演でした。今回は車いすダンスくらぶ創立15周年記念の公演でもありました。私は、昼時間を使ってほんの少ししか見ることができませんでしたが、また一段とメンバーも増え、華やかになっていました。皆さん、忙しい日常生活の合間を縫って厳しい練習を乗り越えてこられたことがよくわかりました。
 
 以前、少しだけ公演のお手伝いをして、何気なく楽しんで見ているダンスの陰にどれだけの努力が隠されているかがよくわかりました。足の神経がない人は、足を固定するためにしっかりと結ばれています。片手の動かない人は、動かない片手をさりげなく胸に縛り付けています。残った片手で車椅子を自在に動かすことがどれだけ訓練を要することか。大変な介護を要するお子さんと共に、親子で参加している人は、もう家族中が生き生きとされています。このダンスくらぶで活動することが生きがいとなっていることもよくわかりました。

 そんな人々の公演を短い時間しか見れませんでしたが、精一杯の拍手を送って帰りました。

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 診療後は街づくり市民交流プラザに急ぎ、広島大学ハラスメント相談室の北仲千里先生のお話を聞きました。「学校・大学でのセクシャルハラスメント」 ~その特質と現状~。広島大学は、学長直属の組織としてハラスメント相談室を設けています。そこで働く先生たちは、大学の教師、教授・準教授の身分保障をされています。そして、その働きは今や学内で一つの地位を確立しています。「ハラスメント相談室ですが、お話しを聞かせて頂きたい」との電話をすると、皆さん震え上がるほどの状況になっています。ハラスメント相談室が動いているらしい、ということを耳にすると、警戒されるようにもなっています。

 その先生たちの奮闘振りをうかがうことが出来て、とっても面白かったです。日本におけるハラスメントの歴史、行政や法律の対応の歴史、北仲先生のこれまでの活動、全国の学校や行政の研修の状況などなど盛り沢山でした。いま、広島大学では、年間百件の相談がありますが、内、セクハラは1から2割。多くはパワハラ、アカハラであると。大学という組織において、教授を頂点とする権力構造がどれだけの研究者の苦闘を強いているか。広島大学では、殺人事件も起きています。

 今、広島大学のハラスメント相談室は全国から見学や講演の依頼が後を絶たないそうです。ますますのご活躍を!!本当に頼もしく思いました。同時に、広島大学はいいなあとうらやましくも思いました。私ごときでも、仕事上いろいろなケースに付き合って、ギリギリと悔しい思いを引きずっているのですから。当事者はいかばかりかと思います。

 すでにここにご案内したように、今週の土曜の夜からキャンパス・ハラスメントの全国大会が広島で開かれます。プレ企画の土曜の夜は、自衛隊セクハラ裁判の原告や、広島の県立高校の原告・弁護士さんも参加され、裁判の報告や討論が行われます。ぜひ参加しなければ!と思っています。私は翌日曜日の分科会の一つを受け持ちますが、それよりも前日のほうが興味があるなあ!!です。土も日も事前申し込みはありません。当日来られれば大丈夫です。ご報告まで。


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今日はイベントがいっぱい。

 今日27日は8月最後の土曜日。さまざまなイベントが行われます。
まず、午後三時からは広島車いすダンスくらぶの公演。こちらにご案内があります。ぜひ多くの方に見ていただきたい公演です。

 午後6時からは広島大学ハラスメント相談室の北仲里子さんの講演会です。こちらにご案内が゜あります。

 私は車いすダンスくらぶの公演ははじめのオープニングしか見ることが出来ません。午後の診療がありますので。北仲さんの講演は診療後駆けつけることになります。どちらもとても楽しみなのですが、なんとも中途半端なことになってしまいます。

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 このごろのお弁当。ダイエット目的なのでささやかですが。左のはみょうがご飯の残りを冷凍していたのを解凍しておむすびにしました。おむすびの隣は前の晩の友人たちとの会で出たゴーやの肉詰めのフライです。おいしかったので残りを頂いて帰りました。キューリとわかめとみょうがの酢の物は朝作りました。右のは、アナゴご飯の残り物です。これも夕飯の残りなのですが・・・。おかずのポテトサラダにはバターピーナッツを埋め込みました。サラダやかぼちゃの煮物などにはアーモンドのスライスをパラパラとかけておくと香ばしくて美味なのですが、アーモンドが切れていたので、かわりにピーナッツを入れてみました。これもコリコリした塩味が混ざっておいしかったですよ。上の方のはミニトマトのチーズ焼き。トマトを半分に切って並べて上に溶けるチーズを一枚おいて、レンジでチーン。熱々も冷えてもどちらもおいしいです。お昼を少しのお弁当にしたら、今2キロ減です。


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オンニョさんの詩「ふるさと」


 思いがけず、オンニョさんからコメントが来ました。原っはさんが連絡をして下さったようです。びっくりして。でもとてもうれしかったです。

 あのオンニョさんの随筆「ふるさとへの道」を紹介して、多くの方から直接感想を聞いています。そして、ご紹介してよかったと思いました。その後、必死になって元のオンニョさんの詩「ふるさと」を探しました。原っはさんのブログのリンクから、またもう一つリンクをして、ずっとさかのぼって。そして見つけた「ふるさと」。これもいつか皆様にご紹介したいと思っていました。

 ここに転載させていただきます。オンニョさんは「ウリハッキョ」を守るためにと書いた詩だと言われています。「ウリハッキョ」。ウリは私たちハッキョは学校です。「私たちの学校」。私が何も言う必要はありません。

 私の今日のブログはこの詩を紹介させて頂いて終わりです。

オンニョさんの詩(1)ふるさと  
 
      ふるさと

                許 玉 汝

生まれ育ったところが故郷だと
誰が言ったのだろう
私には故郷なんてなかった
ふるさとがなかった

60年が過ぎた今も
両足首に残ったゴム紐の痕を見ると
知らぬ間に涙が出る
優しかったオモニを思い出す

北海道にいるという父を訪ねて
身重の母は姉と次兄の手を引き
幾度も幾度も列車を乗り継いだ
風呂敷包みひとつ頭に載せ

突然津波のようにやって来た陣痛
青森の小さな旅館の布団部屋で
私をこの世に生み出してくれた母
自分の歯でへその緒を切ってくれた母

6ヶ月後に北海道に渡り
馬小屋で寝起きした日々
函館の海でいか裂きしながら
私達を育ててくれたオモニ

零下20度の凍て付くような浜風
私をおぶって浜で働いたオモニは
私の靴下が脱げない様
ゴム紐をきつくきつくまきつけた

青森から北海道へ
北海道から東京へ
東京からやっと京都に戻ったとき
私は5歳になっていた

生まれて初めて会ったハラボジ
空襲で1本足になったハラボジ
ハラボジのリヤカーに毎日乗って
声張り上げた《ボロおまへんか》と

あの路地この路地、一緒に回った日々
いつも聞かせてくれた故郷のはなし
ハラボジが出してくれた出生届
いつのまにか出生地は京都市になっていた

家族そろって大阪に移り
りっぱな朝鮮人になれと
父、母が送ってくれたウリハッキョ
満員電車に押し込められて通った学校

初めて通ったウリハッキョは
藻川に沿った小さな小さな学校
体育の時間は広い川原でころげまわり
図工はのどかな川辺でいつも写生

麦飯とキムチだけの弁当
雨の日あちこちにバケツが並んでも
暖かい先生や友達に囲まれて
ちっともイヤじゃなかった、楽しかった

ア、ヤ、オ、ヨ…
歌う様にハングルを習い
子ども心に誓った
将来は故郷のアナウンサーになるんだと

ウリハッキョで学んだ日々
恋もし、喧嘩もし、悩みもしながら
進路について話し合った懐かしい日々
一度もなかった。孤独な時なんて

同胞のために頑張ろうと仕事を選び
済州島に住む長兄に会う日を夢見ながら
集会にも、デモにも参加した日々
夢は近づいては遠のいたり

疲れを知らなかった青春時代
休むことを忘れてた中年時代
突然悪夢の様に悲しみが押し寄せた日

それでも踏ん張れよと
ギュッと抱きしめてくれた
それがウリハッキョ
オモニの様に温かかったウリハッキョ

生まれ落ちた場所さえ知らない私に
思い出と友と夢と勇気をくれ
愛する心を育ててくれたウリハッキョ

私にも祖国が在る事を教えてくれた
ウリハッキョはゆるぎない心の柱
私のふるさとは ウリハッキョ

決して誰も奪えない
私が通い、子供達が学び、孫達が通う
ウリハッキョ 心のふるさとを!


     2010.6 ・15


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手作りするということ。


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 ここのところ、定期的にお会いする方です。いつも手作りの服を着ていらっしゃいます。ほとんどが古い着物、時にあまり布なども駆使してのリフォームだと言われます。帽子もおそろいで作っていらっしゃいます。いつもいつもあんまり素敵なので、写真を撮らせていただきました。ブログでアップすることもO.K.して下さいました。

 この方は75才です。とても若々しくて素敵で、お会いするのが楽しみです。私は、着るものでも食べるものでも、こつこつと手作りをして楽しんでいらっしゃる方が好きです。自分もそうありたいと思います。

 振り返ってみれば、私の母もそうでした。家に帰ると、いつも机に布を広げてあれこれ考えながら、布を切ったり縫ったりして、姉と私と妹の三人姉妹の服を作ってくれていました。時には編み物でセーターやベストなどを編んでくれていました。

 今となったら、これは母の楽しみでもあったのだということがよくわかります。私も、そんな母の影響か、小さいときから編み物をしたり手芸で財布やお人形やバッグを作って使っていました。一人目の子どもが生まれる前には、あれこれ手作りして生まれてくるのを待っていました。

 今、私はさっぱりそれらのことが出来ません。いつかは私も、と思いながらぜんぜん出来ません。だから、自分でお洋服を作って着ていらっしゃる方をとても尊敬し、うらやましく思います。だったら、すればいいじゃないと自分でも思うのですが、、、。いつかは、ね!!

 昨夜は親しい方の就職のお祝いの会でした。久々に、何年ぶりかでカラオケを歌いました。楽しいひと時でした。皆さんお上手で、私も練習してレパートリーを増やしたいと思いました。

 今、明日が締め切りの原稿に追われています。八月で学校での講演がないのを感謝しながら、クリニックにこもっています。


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いつまで仕事を続けるのか。

2011_082200012011_08220003 一昨日の夜診療後廿日市で友人たちと会いました。場所は「鈍色」にびいろと読みます。にびいろと携帯で辞書を引くと、ちゃんとこの漢字が出て来ました。濃いねずみ色。昔からの着物の染めの色、平安時代にはこの色の着物が喪服に使われたと。その濃さで亡くなった人との関係性が表現されたそうです。
 その名前のついた古民家を改造したカフェです。手作りの心のこもったお料理でした。来るべき廿日市市の市長選挙についての話もいろいろとしました。正直言って、他の市町と比べて大きく差がついている住民への福利。これは診療の場にいて、廿日市の人たちが受診にこられた時、いつも心に引っかかっていたことです。選挙をきっかけにそれらが何とかならないかと思います。楽しいひと時でした。あ、もちろん、みんなの割り勘でしたよ。念のため。


2011_08230003そして、昨夜は産婦人科の開業医の集まり「四金会」の納涼会でした。それにこの度米寿を迎えられる滝井先生のお祝いを兼ねていました。写真は大正生まれの先生たちです。この先生たちのうち三人の方はいまも現役で働いていらっしゃいます。四金会も始まって45年。その間、多くの先生が亡くなられたと先生たちは感慨深く語られました。産婦人科医という大変体力的に厳しい仕事をなさった上で、この年令までお元気というのは、大変なことだと改めて感動します。滝井先生のお母様は、昨年107才でお亡くなりになったとのこと。長寿のDNAに恵まれているのだといわれます。

 この中のお一人が私に「何歳になった?」と聞かれました。私がお答えすると、「若いなあ、私よりふた周りも若い」といわれて私は苦笑しました。最近、若いと言われたことなんてありませんもの。
 
 会の後で若い?友人たち五人でホテルの喫茶でコーヒーをのみながら話の続きです。開業医というのは、定年がありません。いつまで仕事を続けるのか、自分で決めなければなりません。それも、膨大なカルテの保管も含めて、いろいろと大変なことがいっぱいです。気づいてみれば、すでに私の年齢の他の職業の人たちの多くは、すでに定年を迎え、第二の人生を歩んでいらっしゃるのですね。開業にはエネルギーが要るけれど、廃業はもっとエネルギーが要ることだと友人が言いました。本当にそうだと思います。結婚よりも離婚のほうがうんとエネルギーが要るというのとおんなじですね。

 私は結局は決断できずに、だらだらと続けてしまうのではないか、その挙句、何か大病でもして、放り出してしまうのではという恐れもあります。その場合、後始末をする人に多大な迷惑をかけてしまいそうです。そうならないうちに、自分の力でちゃんと決着をつけなければね、自分が少しは元気なうちに引退しなければね、そんな話しをしました。


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オンニョさんの文と詩。

 4時半に目が覚めてしまって、もう眠れません。横になったままあれこれ考えていましたが、どうせ眠れないのなら、と起き上がってパソコンに向き合っています。眠れない原因、わかっています。この文章があまりに強烈で。どう考えたらいいのか、もんもんとしていました。

 この文章です。ぜひここをクリックして読んでください。

 「原っはさんの虹の橋」の筆者はパートナーを乳がんで亡くされました。以前からその慟哭の手記を読んでいましたが、少し前から、朝鮮学校の支援の活動をされ、その記事も書かれています。中でも、オンニョさんの詩が不定期に掲載されており、それも心して読んでいました。

 この所、自分が忙しくしていたりして、読むのを少し怠っていたため、この文章を読み逃していました。8月15日にこの文章がアップされています。もう読む途中から涙々でした。

 その後、この詩も読みました。

 私は、今年の8月6日、数日前から新しい形の右翼の集団が、広島に入ってきて活動をしているとの話しは聞いていました。その人たちが平和公園に向かう橋の上で日の丸を立てて演説しているのに行き当たりました。通りがかり上、少しだけその演説を聴いたのですが、本当に聞くに耐えない中国や北朝鮮や韓国人への差別意識を丸出しで語っていました。この人たちのこの差別意識は、いったいどうやって形成されたのだろうか、この人たちの思考の中で、国家と国民はまったく一体化したものなのだろうかと疑問を持ったのです。

 北朝鮮が日本人を拉致したことについて、本当にひどいことをしたと思います。被害者の家族の方々の心情を考えると暗澹たる思いがします。もし私の娘が被害者だったら、と考えただけでもぞっとします。早く日本に帰してあげるためにはどうしたらいいのかとも思います。しかし、貧困の中で生きることもやっとの生活をしている北朝鮮の貧しい人々を同じようにうらむ気持ちにはなれないのです。

 それは、この8.6の平和の夕べでの中沢啓二さんのお話しの中にも、しっかり語られました。あの戦争の中で、どれだけの日本の国民が日本の権力を持った人たちにより殺されて行ったか。その恨みは中沢さんの中には今も脈々と生き続けていました。また、中沢さんは、あの戦争のさ中でも、お父様に朝鮮人を差別してはいけないと厳しく教えられていました。

 電車内被爆者の米沢さんも語られました。自らの体験を学校で話しをすると、子どもたちの感想文の中には、日本は拉致よりもひどいことをしたのではないかというのを何人かが書いていると。

 私は、韓国に行くと、いつも人々が私たちにとても優しいのに戸惑います。地下鉄に乗っていると、手を引っ張って、座りなさいと言ってくれる女性がいました。地図を見ていると「どこに行きたいのか、お手伝いをしましょう」と必ずと言っていいほど声をかけられます。中には、そこまで行きましょう、ついて来て下さいとわざわざ遠回りなのに連れて行ってくれる人もいます。お風呂で転んで痛がっている私に一生懸命書かれている文字を指さしながら語るおばあさんがいました。「私は日本人です。韓国語は出来ません」と(これくらいは韓国語でいえますので)言うと、じっと顔を見ていたその方が「日本のどこから来たの?」と日本語に切り替えて下さいました。その昔、強制的に覚えさせられた日本語なのでしょう。

 この親切な方たちの中に、日本という国が犯してきたことと、私たち日本人のことがどのように整理されているのだろうかというのがいつも私の中にあり続けています。

 そんなに簡単に許されることではないけれど、それでもオンニョさんの文章と詩の両方の最後に書かれている言葉にほっとしてしまいます。ぜひ、多くの方に読んでいただきたいのでかってにリンクさせて頂きました。

2011_080900102011_08090011お盆に河野の実家に帰ったとき。お墓のそばにいとこが植えたブルーベリーが実っていました。取って食べました。クリもいっぱい実をつけています。大きな実の丹波クリです。お墓は他にもすいかやお化けかぼちゃやいろいろなものに囲まれています。


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二つのライブ、演奏会。

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 大変遅ればせながら、すでに多くの方のブログにかかれているように、18日に開催されたインターネットテレビ「ナマ@広島アクティブリング」の100回記念ライブに私も参加しました。そして、昨日は広島市文化交流会館での吹奏楽サマーフェスティバルへ行って、高校生たちの演奏を聞きました。

 18日のは、かつて私も何回も行ったことのあるライブハウスJive。何年ぶりでしょうか。とても懐かしくって。上綱さんの軽妙な司会でお話しが展開され、昔の懐かしい曲の数々が演奏されました。中でも、見真講堂の話が出たのは、びっくり。30年前にそこでライブをなさったなどの。それに⑦パパさんは、昔の川岸にバラックが並んでいたころの広島を知っています、年寄りです、なんて言われるものだから、ぶっ飛びそうになりました!⑦パパさんが年寄りなのなら、私なんぞはいったいどうなるの、と一人苦笑しましたよ。
 
 だって、私は数えてみれば48年前に見真講堂で演劇をしているのですから。今は亡き広島テレビの脇田義信さんなど先輩たちの熱い指導で。観音高校が高校演劇の頂点に立っていたころです。それから何回もその舞台には立っていて・・・私も東京に行って演劇を!の思いが挫折して、とぼとぼ広島に帰ってきて、なれの果てが今のこの姿だわ、なんてことを思い出しながら私も胸が熱くなる思いでした。

 古い歌ばかりなくでなく上綱さんの新しいお好み焼きの歌「へらラへら」。その歌の間、小さな女の子のけん玉に似た玩具の技を披露してくれました。彼女の顔を何とか写したいと思ったのだけれど、何枚撮ってもうまく写らなくって。少し早めに失礼しましたが、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。皆様有難うございました。

 そして昨日の吹奏楽サマーフェスタ。今度の中国大会に進出した広島県の五校の演奏です。さすが!高校生とは思えない演奏にこれも楽しい時を過ごすことが出来ました。

 残念なのは、席が前から6番目という前過ぎて、後ろの生徒たちの楽器や表情がまったく見えなかったこと。少し後ろから見下ろす形のほうが全体がよく見えます。そう思って一校が終わったときにあいている後ろに座ったのだけれど、決まった席に座って下さいと注意されてしまって。まったく!ガラガラなんだからいいじゃないなんて思いながら元にもどりましたが。まあ、その席を選んだ私が悪かったのだけれど、それくらい融通を利かせたってと、しばらく気分がうせていました。

 せっかくの名演奏も私には半減してしまいましたが。一生懸命の高校生の姿に、またまた私の昔を思い出したりしながら楽しみました。
 
 しかし、もう過去を振り返るのはやめにして。さあ、後一月後に迫っている韓国語の検定試験の勉強、まったくはかどらないのをそろそろ本気にならなければ!と反省しております。


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「おらんだ」と「みょうがご飯」

2011_081800102011_08180011大分の実家の庭に自然に生えてきた苦瓜を持って帰りました。義母や義兄たちは「ゴーやじゃなくって苦瓜だから苦いよ。」と警告してくれました。

 釜山から帰ると、すぐに大分の郷土料理、義母に習った「おらんだ」を作りました。もう以前にアップしたことがあるのですが、もう一度。苦瓜となすとたまねぎを一緒に炒めました。そこに少しお水を入れて、味噌とみりんと少しのお砂糖を入れて、混ぜ混ぜ。大体煮えた頃に水溶きした小麦粉を入れて、出来上がり。

2011_081800122011_08180013_2冷蔵庫に入れておいて、熱々のご飯に乗っけて食べました。二回でアッという間になくなってしまいました。

2011_082100022011_08210003お父様のご不幸で芸北の実家に帰っていた友人が「今朝取ったばかりだから」と沢山のみょうがを持ってきてくれました。クリニックのみんなで分けました。新鮮!みょうがの花って始めてみました。花も一緒に食べられるということなので早速。
 これもアップしたことがあるのですが。薄切りにしてごま油とお塩と少しの醤油に漬けました。丹波の黒豆の枝豆があったからと夫が買ってきて湯がいていてくれたのを剥いておきました。これで今日の晩御飯は、炊き上がったご飯にこれらを混ぜて「みょうがご飯」です。ああ、楽しみです!!


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釜山での失敗

 釜山から帰った翌日のこと。のんびりとI Padで他の人のブログを覗いていたら、突然I Padが動かなくなりました。インターネットに接続されていません、としか表示されません。どうしたのか、何をやってもだめ。外では雷がなっているので、まさか雷の影響ではないよね、と思いながらデオデオに持っていきました。

 デオデオのソフトバンクのカウンターでお兄さんがあれこれやって下さいましたが、首をひねるだけ、そして、ソフトバンクのカスタマーセンターへ携帯でつないで渡して下さいました。電話は何箇所も回って、本人確認やらいろいろとした後わかったのは、

「高額の負担が発生したので、使用を一時ストップしました。」

ということでした。アアッ!です。私がいい気になって釜山で使用したのが、パケし放題になっていなかったということです。
 
 でも、これには伏線があります。五月にソウルに行ったときにソウルの友人が私のI Padをさっさと操作して、「これで使えます。」と教えてくれました。そのときには何の問題もなかったのですが。

 だから、釜山でも自動的にI Padが使えるようになったのは、そのときの手続きが有効だとかってに思ってしまったのです。ソウルと釜山で会社が異なっていたのです。そこでちゃんと手続きをしなければならなかったのですね。

 ああ、しまった!でも、仕方のないこと。金額を恐る恐る聞いたところ、57000円と少し。「それは、通常の引き落としでお支払いをします。帰国しているので、もうソフトバンクですし、高額となる使用はしません。」
 
ということで、戻してもらいました。一時間後には使用可能になりました。

まったく、もう、釜山に行くのに、自分で高速艇やホテルの予約をし、交渉してホテルは40%引きにしてもらったり、なもかも安い安いといい気になって、後でどーんと、それもI Padなんぞに五万七千円も支払わなければならないなんて。

 まったく、高いことになってしまいましたが、これも高い授業料を払って勉強をしたということで、やっと心の整理をしました。

 私は無知のばか者でした。ということです。皆様もどうぞお気をつけて!!


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またまた釜山。足マッサージとデパ地下での食事。

こうの たった一泊二日なのに、まだ釜山ネタですみません。

 チャガルチ市場で満腹になった後はまたまたタクシーでホテルへ。韓国はタクシーがとても安いので、遠慮なく乗れます。たまたま乗った運転手さんはこれまた日本語が上手。日本語はどこで勉強なさいましたか?と(韓国語で)尋ねると、姫路に5年いたと。でも、使わないと忘れると言われます。向こうは日本語で、私は韓国語でおかしな対話です。お互い使いたいのだから。

 ホテルに帰ると、今度はホテル内のカジノにちょっと。夫は行きません。もうくたびれたみたい。私と姉と姉の娘、姪はまだまだ元気です。カジノは日本人だらけ。でも、私はトランプはできないし、ルーレットも一杯なので、もっぱらスロットです。それも少しだけ。負けてしまったしとても出そうにないので、姉親子を残して部屋に帰りました。きっとアカスリでくたびれたのでしょう。そこそこに眠ってしまいました。

 次の日に聞くと、姉達は、その後またホテルの周りの散策に行ったと。屋台の様子を見たかったのだそうです。まあ、元気なこと!屋台はどこも一杯の人で、皆さん韓国の焼酎、「ジンロ」を飲みながら食べていたと。自分達も食べたかったけれど、どうにもおなかが一杯で、と言います。本当に元気なこと!!

 朝はホテルの朝食です。豪華なバイキングをこれまたどっさり食べて、早々にホテル内にある免税店へ。ここでお土産を買いました。あれこれですが、もう韓国土産のパターンは決まってしまって。いつもと同じです。ただ、お土産以外には自分のためにハンティングワールドの大ぶりの肩掛けバッグを買いました。夫は免税店には行きません。近くの散歩に出かけました。

 さて、その後もまだ。免税店でしこたま買い物をした後は、荷物作り。チェックアウト後に荷物を預かってもらって、ホテルの横にある足ツボマッサージへ。韓国のマッサージはどこもはずれがありません。中でもここには以前行って、とっても良かった覚えがあるのでみんなで行きました。四人一斉にしてもらえました。

 みんなは、足マッサージ、私だけは足と腰、と頼みました。まあ、その上手だったこと。ツボをわきまえて、力強く、本当に気持ちよくって。頭から顔から、耳から、背中、腰、足まで全身くまなくマッサージをしてくれて。夫たちの、足マッサージを頼んだ者も頭や肩もしっかり揉んでくれたのだそうです。みんな上手だった!と大満足でした。45分で一人3200ウォン。約2500円ですね。足も腰も肩もすっかり楽になりました。

 さて、それから。昼ごはんはホテルの隣のデパートの地下のフードコートに行くことにしました。ソウルでは、あれこれ食べるのにデパ地下がとても便利でした。

2011_08180006

 午後一時、まだまだ昼食時でフードコートはすごい人でした。いろいろなお店がずらりと並んでいます。が、注文は一括です。どう注文して、どの店でもらうのか分かりません。しばらく見学です。結局サンプルにある番号を書いて行ってそれを渡しました。そしたら、係りの女性がわざわざサンプルのところに一緒に来てくれて、これとこれでいいのか、ととても親切です。どこでもらったらいいのかも尋ねました。何しろソウルと違って、一切日本語がありません。

 キムチチゲ定食、テンジャン(味噌汁)チゲ定食、キムチチャーハン、パジョン(海鮮チヂミ)等を頼みました。

2011_08180003

テンジャンチゲ定食には大きな金のボールが乗って来ました。何これ?中には辛みそやナムルが何種類か入っています。周りを見渡すと、皆さん、そのボールにご飯を入れて、混ぜて食べています。はあはあ、ビビンバみたいにして食べるのだわ。面白い!!で、姉がキムチも何もかもぶち込んで、混ぜてみんなでスプーンで食べました。その下品さがたまらなく面白くて美味しいのです。私が頼んだキムチチャーハンも、本場のチヂミも美味しくて。それに安いし。一人当たり400円くらいでした。もっとキンパやトッポギも食べたかったのですが、これだけでおなか一杯です。

 もっと、二泊くらいしたら、もっと色々と食べられるのでしょうが・・・。

 以上、食べることとお風呂とマッサージのご報告です。釜山の観光すべきところには、すでに行ってしまっているし、これらが私達にとっての楽しみを凝縮した物なのですね。

 とっても楽しかったのですが・・・。私は、実は釜山で大失敗をしたのが広島に帰って分かりました。完全に私の失敗なのですが、今も、くそっと残念で。それはまた気持ちを取り直したら、ご報告しますね。


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釜山のチャガルチ市場。

2011_08150010 2011_08150008_2  釜山港のすぐそばのチャガルチ市場、いつも真ん中辺りのこのお兄さんのところに行きます。ここが一番人気が有るので、魚も回転がよくって新鮮と聞いたからです。ここで魚などをあれこれ買って、二階で調理をしてもらいます。お兄さんには、もうすっかり覚えてもらっています。

2011_08150011 2011_08150012 あわびの刺身とバター焼き、ひらめの刺身、イカの刺身にウニ。

 サザエのつぼ焼き、大海老の塩焼き。他にもぐれだと思うのですが、黒い魚の塩焼きも。

2011_08150014 2011_08150015 醤油で普通にお刺身を食べたり、サンチェやえごまのはっぱに、にんにくや唐辛子のみじん切りが入った味噌を塗り、刺身やご飯を載せて包んで食べると、モウ、サイコーに美味でした。

 思いっきり食べてお腹がいっぱいのところに今から鍋をすると言われたので、それはもうお断りしました。頼みすぎてとても食べ切れませんでした。そうそう、沢山の生野菜も出てきましたが、なかでも緑の唐辛子をかぷっと食べてえらい思いをしました。口が痛いだけでなく、脳までしびれてぼーっとしましたよ。これまで何回が失敗しているのに、今回もまたやってしまいました。

2011_08150017  大満足で外へ出て、隣り合わせの市場に行きました。水揚げされたばかりの魚達が次々と運ばれてきます。もうすぐセリが始るのでしょう。手前が沢山のアンコウ、そしてカニ。真ん中に白く見えるのは、イカたちです。

 この市の周りには、地べたに生きたのを泳がせたり、山積みにした魚を売る、元気なおばさん達がずらりと並んでいます。以前、カニの醤油漬を買って帰りましたが、今は夏なのでやめました。でも、カレイの一夜干しが山になっていて、とっても美味しそう。よほど買おうかと思ったのですが...。

 これだけ豊富な海の恵みを水揚げして、活気づいているのを見ると、やはり漁師さんたちにとって竹島周辺の領土は死活問題なのだということがよく分かります。

 明日、もう少し釜山でのことを書きますね。

 昨日はクリニックに来ていろいろと仕事をしました。患者さんからの電話の応対もとても忙しくて。今日も木曜日で休診なのですが、私は一日中クリニックに出ます。


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釜山のご報告。

 昨夜は午後7時に博多港に着き、それから車で午前0時半に家に着きました。一週間前の11日の夜に家を出て、ほぼ6日間出かけていました。家に猫がいる間はこんなことは出来なかったのですが、今は誰も家で待っている人はいません。

 たった一泊二日の釜山でしたが、その分ぎゅーぎゅーに詰め込んで楽しんで来ました。

2011_08150005 着いてすぐにホテルまで行き、チェックインまで荷物を預かってもらって、近くであわび粥を食べ、歩いてホテルの周りを散策しました。丁度行った日は韓国は光復節。日本の支配から解放された祝日です。ホテルの周りはとてもにぎやかで、すでに屋台も出ていました。屋台はソウルと少し違って天ぷらとキンパ(のり巻き)が多く出ていました。美味しそう!空腹だったら買って食べるのですが。

 二時のチェックインを済ますとすぐにタクシーでヘウンデの温泉へ。山の上のあるVESTA。お風呂から釜山の海が見えて、とてもきれいでお気に入りのお風呂です。そこも祭日でとてもにぎわっていました。前回来たときよりもリニューアルされて浴室ももっと広くなって浴槽は五つ。私が以前すべって転んで肋骨を折ったヒノキ風呂ももっと広くなっていました。冷たいプールでは子どもたちが泳いでいます。ここは地の人が主で、日本語は全く聞こえませんでした。

 そこでアカスリをしてもらいました。今回はフルコースで、マッサージやパックなども、体のすべてのメンテナンスをお願いしました。アカスリのベットに横になろうとすると、そこのリーダー格のおば様に「お久しぶりでございます。」と挨拶されてびっくりしました。よく覚えていて下さって!

 頭も顔も丁寧にマッサージをしてもらって、顔はキューリのパックがひんやりと気持ちよくって。体中にはパフェのようなとてもおいしそうなクリームが全身に塗られたり。何度もお湯をかけたり、こすったり揉んだり。特に、きっとミントのオイルだと思いますが、それを全身にぬった後に熱いくらいのお湯につけたタオルで全身を包まれ、その上からマッサージです。暖かいのにスースーして、不思議な感覚でとっても気持ちよくって。

 初めてなのですが、今回はオッパイもむんずとつかまれて揉まれました。子どもを生んだ後のマンママッサージ以来ですね。今でもオッパイをもまれると痛いということがよく分かりましたよ。

 長時間のアカスリとマッサージで何だか大運動をしたように疲れてしまいました。体も顔もすべすべ、しっとりです。

 その後サウナが沢山あるフロアにいきました。多くの家族連れやカップルがごろごろしています。夫はすでにそこでぐっすりと眠っていました。夫もアカスリとマッサージをしてもらったそうです。写真はそこからガラス越しに外の海を写したものです。

 そのフロアには食堂もあります。私はこれも楽しみのパッピンス、カキ氷を買って四人で食べました。

2011_08150006 スプーンはカレーを食べる大きいものです。果物や小豆やお餅などがどっさり入っています。大きくて、四人で食べても精一杯です。これで5000ウォン、400円弱です。

 このフロアには、周囲にいろいろな温度のサウナ、汗蒸幕や酸素部屋やインターネット部屋などもあります。皆さん一日中ふろに入ったり昼寝したり、ご飯を食べたり、ごろごろとゆっくりするのですね。

 そこからまたタクシーで一旦ホテルに戻って、今度はチャガルチ市場にいきました。

 先ほども言ったように、光復節で、タクシーではラジオがニュースや特集をしています。当然ではありますが、日本がしきりに出てきます。イルボン、イルボンと言っています。特に、今注目の竹島、独島のことを言っていますが、私の乏しい語学力では、よく分かりません。何だか、申し訳ないような、縮こまるような思いでしたが。たった一つ、韓国と日本は過去いろいろあったけれど、今は友好関係にあるという人もいたと思います。そう聞こえた時には、ほっとしました。

 チャガルチ市場での大ご馳走、また明日報告しますね。

 


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さよなら釜山

さよなら釜山
昨日来たのにもうお分かれです。楽しかったよ、釜山。

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釜山のアワビ粥

釜山のはアワビ粥
昨日釜山に着くとすぐに食べたのがアワビ粥です。アワビ粥はいろいろなところで食べましたが、やはりここ済州屋が一番と思います。きもがどっさり入っていて、濃いくて美味です。アワビ粥の他にアワビのバター焼きとウニのスープも頼みました。ウニのスープは、わかめとウニがどっさり入っています。パソコンの調子が悪くてこれはI Padです。これも失敗して再送信です。また帰ってからゆっくり報報告しますね。

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「福岡の迷い犬」

 福岡にいます。今朝早くに博多港から釜山に向かいます。

 昨夜のこと。福岡市の隣の新宮で陶芸をやっている兄のところに行きました。車から降りると、見慣れない犬が寄ってきます。兄の家で飼っているのはミニダックス。それとは異なるちょっと茶色かがった白の、それなりに立派な雑種かな?

 兄夫婦が、その犬は数日前からこの辺りをうろうろしていると言います。首輪もしていて、おとなしくて吠えることはない、人っなつっこくて、寄ってくるのはお腹がすいているのだろう。兄の家のめだかの水槽の水を飲んでいたと。今朝は兄がドッグフードを食べさせたそうです。

 よく見ると、首輪には、福岡市の登録がつけてありました。飼い犬に間違いない、迷い犬だわね。鑑札の番号から飼い主が分かるはず。でも、今日は日曜のお盆で、保健所は無理だわね。

 そんな話をしました。ふと、私の昔話をしました。昔、私が呉の病院に勤めていた頃。病院の婦人科の診察室の中に犬が迷い込んできて。一体どこの犬なのか、勤務を終えても帰ろうとしないし、困って私が家に連れて帰りました。一応、ドッグフードを買いに行って食べさせながら、ふと、病院がある地域の交番にに電話をしたのです。犬を保護していると。そしたら、すでに犬の行方不明の届けが出ていると。そして、飼い主の方がタクシーで迎えに来られたよ、と。

 と、兄が「そうか、保健所ではなく警察か。よし、電話をしてみよう」「糟屋警察署に「なんでも相談室」というのがあるからそこだ」と電話をしました。犬の特徴や自分の住所や電話番号など。

2011_08140003 兄が自分の家の犬のリードをつけて待っていましたら、ほどなくパトカーがやって来ました。一枚の写真と共に。この犬の届けが出ていると。写真はそっくり。間違いないわ、この犬だわ。警察に届けられている名前を呼ぶと、振り向いて尻尾を振ります。ますますそうだわ。

 犬は、パトカーに乗せられて、飼い主と思われるところに連れて行かれました。違っていたら、本署に連れて行きますと。警察官は「か〇んチャン車に乗ろうね」と何とも優しかったですよ。

2011_08140004  そして、また程なく、警察の方から間違いなかったとの電話がありました。一週間前に行方不明になっていたと。かわいそうに、一週間もうろうろしていたのですね。

 私達は、みんなでよかったよかったと喜びました。たまたま犬好きの家族のところに来て良かったね、と思います。

 それにしても、警察って親切なのですね。迷った犬をパトカーに乗せて、飼い主のところに連れて行ってあげるなんて。兄はますます糟屋警察署のファンになったと言っていました。私達も胸がホコホコしています。


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義母の野菜料理

 昨日は、凄まじいゲリラ雷雨。お墓に行こうとしたところ、みるみる真っ暗になって、雷がピカッと同時にドッシャーン!あわてて本家に逃げ込みました。雷がなくて雨だけなら、いい熱冷ましなのだけれど。

 雷も去って、雨が小降りになってお墓へ。その前に虫除けを手足、首などにしっかりスプレーしました。以前お墓の草取りをしていたら、もう数え切れないほど、一斉に藪蚊に刺されて、震えが来たことがありました。それ以来、蚊には警戒です。

 ところが、スプレーしたところではなく、ずぼんやTシャツの上から、しっかり刺されました。一体藪蚊って、どんなに長くて頑丈な口をしているのでしょう。体中、ムヒを塗りまくりです。

2011_08090014  義母の手料理です。畑で収穫したばかりの野菜を使って、さっさと作られるので、私もそばについていて、コツを習います。

 いしがき餅は、サツマイモをさいの目にし、小麦粉や砂糖を練って蒸したもの。夫が子どもの頃に良く食べたのだと。私の小さい頃にはこれは知りません。ネットで見ると、大分県の郷土料理の様です。

2011_08130001 2011_08090012 茄子とピーマンとシメジの炒め物は、高温の油で炒めた後、少しのお水で煮るようにして、みりん、味噌、お砂糖で和えてあります。

 キューリとわかめとちりめんの酢の物には、たっぷりのゴマがかけてあります。2011_08090013

2011_08130002  母が自分でつけている沢山の漬物。これは大根の古漬けを薄切りにして水につけておいて、油いためにした物。少しの醤油とお砂糖と唐辛子で味付けがしてあります。これだけでいくらでもご飯が食べられそうです。

 ポテトサラダには、カニ缶とゆで卵のきざんだ物が入っています。母の料理には、いつも何かちょっと工夫がしてあって、上手だと思います。

2011_08090015  実家の畑には、義姉夫婦が来て、いろいろなものを作っています。これは昨日収穫したすいか三種類。黄色のスイカなんて初めて見ました。これはカラスにやられないのだそうです。中は真っ赤でした。

 実家の豊かな食生活を堪能しました。

 今日の午後大分を経って福岡に向かいます。そこで一泊して、明日の朝早い高速艇で釜山に行ってきます。釜山は一泊二日というあわただしいスケジュールです。


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日本一の大ソテツ

失礼しました。当方のちょっとしたミスでした。

2011_08130009 大分県速見群日出町、そこは河野の実家があるところですが、康徳山松屋寺。豊臣と徳川のゆかりがあるお寺です。

 雪舟の庭はとても美しくよく手入れがしてあります。松尾芭蕉の石碑や石の如来像など、見る物が沢山あります。

 そのお寺に国指定の天然記念物、大ソテツがありました。

 何と、これが一本のソテツだなんて。樹齢600年以上。二度の火災で焼けながらも、生き続けているとありました。

2011_08130007  屋久島でもそうでしたが、長年生き続けている植物の迫力には圧倒されます。

 一見の価値ありと思います。もっと早く見に行けばよかった!

 今日は、午後お墓に義父を迎えに行きます。お盆の間、お墓から家に帰って過ごしていただくのです。お盆がすんだら、またお墓に連れて行って入ってもらうのだと。

 結婚当初、その風習にびっくりしたものです。


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別府湾の朝焼けです。

2011_08130015  別府湾の朝焼けです。我が家からですが、電線がジャマッ!でも、これをよけるわけには行かないので、仕方がありません。

 朝早く寒くて目が覚めました。太陽光発電をつけると、節電をするようになるといわれますが、確かにそうで、クーラーなんてつけたくなくって、窓を全部開けて寝ました。そしたら、寒い!というわけです。

 昨日は、銀行で待ち時間の間、すぐそばの「日本一の大ソテツ」というのを見に行きました。これまで40年近く別府に通い続けていますが、観光らしきものをしたことがありません。

以前から大ソテツがあるというのは知っていましたが、何とそれは実家からすぐそば。すぐ横を何回も、何十回も通っているのに、見たことがなかったなんて。

 ここで突然、なぜかココログに写真が反映されなくなってしまいました。何回試みてもダメ。サイズも問題ないのに。ためしに大ソテツの写真だけI Padで送ってみます。ああ、残念。


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「太陽光発電」

 昨夜一時過ぎに別府の我が家に着きました。

 屋根の太陽光発電が出来上がって稼動していました。着いたときは夜なのでよく分からなかったのですが、今朝おきてみると、ちゃんと発電している様です。

2011_08120002 2011_08120003 履歴を見ると、まだ二日ですが、売電マイナス買電で二日でいくらの収入というのが出ます。ルスの間に勝手に稼いでくれるようで、ムフフフです。今から業者の方の説明を受けて、残りの契約をします。

 その後、実家のお盆の準備に行きます。

2011_08120004 紀伊国屋で買って来ました。休みの間に一冊仕上げたいと思っていたのですが、さて?時間が取れるかしら。

 さっぱり記憶力が減退していると言いました。昔は、スカッと一回で覚えられたのが、もう、本当に何回も何回もかかります。もうこれではだめだ。何か工夫をしなければ、で、考えました。

「カイカイカイ!はさみ(カイ)取って」とか、「うさんくさい傘(ウサン)」とか、そんな風にイメージしてして覚えるようにしました。

 開け放した窓から自然のに涼しい海風が入ってきます。気分だけはのんびりしています。


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「子どもの虐待死」

 また幼児の虐待死が報道されて胸が痛いことです。今回の二歳の子が餓死した件。これとそっくりなことを私も経験したことがあります。この夫婦には他にも何人も子どもがいたようです。今回の妊娠、出産もほとんど健診を受けず、飛び込みのような出産だったと。

 これと同じような出産は産婦人科医であれば誰しも経験のあることでしょう。そのようなときには、この赤ちゃんをこの女性が育てることができるのか見極めなければなりません。

 私は、危ないと思うときには、直ちに児童相談所に連絡を取って、施設に預かってもらっていました。子どもの命がかかっている問題です。今でも、人工中絶が間に合わなくて、産むしかない、でも育てられないというケースはそうなります。一部、私はよくよく話し合い、考えてもらった上で、養子縁組のお世話をすることもあります。

 でも、今回のように自分で育てるふりをするケースはとても厄介です。ある程度強引な力が必要になります。強引に説得して施設へ、というケースもありました。その見極めをしなければ。ますます産婦人科医の役割も大きくなります。

 先日の性教育指導セミナーの県民公開講座での北村邦夫氏の講演で示されたデータです。

Photo

Photo_2

 虐待による死亡は、0歳が一番多いし、その中でも0ヶ月の子が、そしてその中でも日齢0日の子が一番多いとなっています。

 生まれてすぐの赤ちゃんの死亡です。その中の母子手帳をもらっていなかったというのが81.3%にもなります。

 孤独な出産、赤ちゃんをどうしていいか分からずの行為なのでしょう。そう考えると、本当に胸が痛みます。

 妊娠SOSの設置、さらには妊娠した行き場のない人が身を寄せられるシェルターなどの設置、その前に避妊の教育も・・・。課題は沢山あります。

 昨日は、診療がとっても大変でした。患者さんの総数141人。いろいろな人がいました。人工中絶の紹介も三人。その一方では不妊の治療での人工授精の人。風俗で働く女性、子宮体がんの可能性のあるお年よりや、更年期でとてもしんどい人も・・・。性同一性障害の人へのホルモン治療や、早産しかけて緊急に紹介入院の人も、卵巣腫瘍の手術の紹介の人も・・・。

 必死で診療をして、そしてきょうから夏休みです。今から、のびのびになっていた歯医者さんに行きます。私の体のメンテナンスをして、夕方から大分の河野の実家に帰ります。老いた母が一人でいますので・・・。

 


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昨夜は「英語ではだしのゲンを読む講座」。

2011_08090005  昨夜は「英語ではだしのゲンを読む」の講座でした。

 三月に亡くなった元RCC記者の佐々木典明さんは、ずっと中沢啓治さんをサポートしていらっしゃいました。英語版はだしのゲンが全10巻完成したときには、佐々木さんが中心になってその完成記念の会が開かれ、私も呼びかけ人の一人になりました。中沢さんが肺がんの手術なさった時には佐々木さんはいつも病院に行き、相談に乗っていらっしゃいました。その典明さんのほうが先に亡くなってしまって。

 私は、佐々木さんがメンバーの一人であった「平和大通り」のブログで、英語版はだしのゲンを読む講座が毎日文化センターで行われているという記事を読んで、すぐに申し込み、参加したのです。丁度YMCAの英会話の教室をやめたところでした。

 それが続いて今、第五巻を読んでいます。生徒は、11歳の最年少の少女から64歳の私まで、なんと年齢差54歳。先生も生徒のお二人も通訳ガイドをなさっている英語ぺらぺらの方で、私は韓国語の講座と同じく劣等生です。11歳のゆ〇えちゃんは、英語で過ごすYMCAの幼稚園出身。小学生の今もずっと英会話の教室に通っていて、長年英語教育を受けている人たち以上に素晴らしく英語ができるし、その子どもとしての情報や感性が面白くて、場が和みます。

 配役を決めてセリフのように英語を読み、その配役のままに日本語、というか広島弁で訳します。深刻になったり、笑ったりしながら。

 私は、日本語のゲンを読んで予習していきます。

 なめるように丁寧にゲンを読んで、それは単なる英会話の練習だけではなく、当時の風俗や被爆後のヒロシマの復興などを詳しく知ることにもなります。私が幼い頃のヒロシマの風習が出てきて、懐かしく面白くもあります。私があの頃、こうしていた時に、中沢さんはこんな苦労をなさっていたということを、実感を持って感じることにもなります。

 時間的には厳しい日もありますが、それでも私の楽しみの一つとして、これからも続けたいと思っています。毎週火曜日、午後7時から。今からでも十分。皆様、ご一緒しませんか!?


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レストラン「フュージョン」での食事です。

 もうずいぶん前になってしまいます。7月23日の土曜日に「レストランフュージョン」に食事に行きました。前からブログ「レストランフュージョン」でとても気になっていたレストランです。遅ればせながらアップしますね。

2011_07240001 2011_07240002  一緒に行った私達三人とも年なので、メインが「お肉とお魚」ではなく「お肉かお魚」のコースにしました。

 まず冷たい前菜と温かい前菜。

2011_07240003 2011_07240004 スープはかぼちゃかと思ったらニンジンでした。メインは私は岩ガキ、姉はお肉、夫はお魚、みんなバラバラですが気持ちよく引き受けていただきました。

2011_07240006

 デザートは焼きいちぢくに冷たいアイスクリーム。器も暖かくて、急いでアイスクリームを戴きました。

 これらにカリカリフワフワの暖かいパンと飲み物。

 見ていただいたとおり、食材が豊富。特に、あらゆる野菜がふんだんに使われています。意表をついて、ええっ?と言うような組み合わせも。ソースもそれぞれ食材によくマッチするように自在に工夫されています。

 フロアの女性は、みんなの食事の進み具合をよく見て、適切に動かれます。本当にゆっくりとリラックスして楽しく過ごすことが出来ました。

 フュージョンの皆様、ありがとうございました。写真を撮ることの了解は戴きましたが、名乗ることもせず、長い間アップもしないですみませんでした。とてもステキでした。また行かせて戴きますね。(ブログにリンクしたいと思ったのですが、「ameba」が緊急メンテナンス中ということで、リンクできません。また、夜にでもリンクさせていただきます。)


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被爆電車・平和学習

2011_08070002  昨日は、平和の夕べの最後の企画、被爆電車・平和学習を行いました。

 広島駅から、被爆電車に乗りました。被爆した電車は今二台だけ現役で動いています。その一台を貸し切りしました。駅前から原爆ドーム前までの約20分運転して頂きました。沢山の皆様に集まっていただきました。

                 中では、電車内被爆者の、今、おそらくただ一人の生存者2011_080700042011_08070005といわれている米澤鐵志さんの説明を受けました。

 米澤さんは、広島駅前で乗った電車が八丁堀の福屋デパートの前に差し掛かったところで、被爆。 米澤さんが被爆した辺りの風速は約220メートル。ほとんどの木造家屋は、吹き飛ばされ、約30メートルも舞い上げられ落とされたこと。当然電車のガラスは吹っ飛んで窓際にいた乗客にびっしり刺さったこと。電車を運転していた女性は一瞬にして真っ黒に焼かれて即死したこと、などなど・・・・。

 そこから白島に向かって逃げたこと。その途中で見た人々の姿。さらにそこから迫ってくる火に追われるように逃げますが、途中から米澤さんもお母様も激しい頭痛と嘔吐に襲われひどく吐いたこと。

 20分はアットいう間でしたが、それでも、ここで被爆して、この道をこっちに逃げたなどとてもリアルに実感できました。

2011_08070007 その後は原爆資料館東館の研修室に場所を移し、そこで二時間のお話をして頂きました。そこから新たに加わった人たちもいて、超満員。通訳のいらっしゃる外国人の方も含めて、後ろには追加の椅子を出し、さらに立ち席も出てしまって、申し訳ないことでした。

 米澤さんは、お母様と命からがら当時疎開していた田舎に戻り、戻ってからのひどい急性症状。それによりお母様は亡くなり、被爆はしていなかったのに、お母様の母乳を10日飲んだだけの一才の妹がやがて髪が抜け、紫斑が出て亡くなってしまったこと。ご本人もひどい状況から奇跡的に立ち直り、元気になったことも語られました。

 すでに何回もお伝えしていますが、このようなことをリアルに語ってくださる方たちはもう少なくなっています。今回の米澤さんのお話を聞くことができて、とてもありがたいことだと思いました。

 これですべての企画が終わりました。無事に終えることが出来たこと、参加してくださった皆様に感謝申し上げます。それから、広島ブログの方たちも多く参加してくださり、それぞれに記事を書いて下さってありがとうございました。

 さあ、これから診療三昧の生活になります。夏休みまで。実は、昨日終わった後、クリニックにこもってレセプトに取り掛かったのですが、そのはかどらないこと。いろいろな思いが頭をめぐって、進みません。人のブログを覗いたりして気が散ってしまって。とうとう深夜になっても出来上がらないので、残りを持って帰りました。

 今日からは心を入れ替えます!!


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私の8.6.

 昨日は「2011ヒロシマ平和の夕べ」無事終了しました。満員の沢山の方にお出でいただきました。あちらこちらに知っている方のお顔が見られて心強かったです。ありがとうございました。

 私は自分が舞台で中沢さんと話している所を写真に取ることが出来なかった(当たり前ですね)し、どなたかに「写真を撮って」と頼むことも忘れてしまったので、残念ながら写真がありません。

 でも、中沢さんは、体調が優れない中、精一杯お話をして下さいました。朝早く広島市の平和祈念式典に出席され、私達の会でお話しいただき、その前にも沢山のマスコミのインタビューをこなされて、お疲れだったことと思います。でも、最後の交流会まで私達の会にいてくださいました。ありがたいことでした。

 草薙順一弁護士のお話と元京都大学原子炉実験所の小林圭二先生のお話も素晴らしくて皆さん聞き入って下さいました。内容については、またご報告いたします。

2011_08060011  最後の早苗NENEさん。あの大ヒットした「愛するってこわい」の頃よりうんと成長し、朗々たる声量の美しい声で歌って下さいました。映像を使いながらの「さよなら戦争」。憲法九条も挿入されています。新しく作ったヒロシマの歌も。

 平和の夕べにふさわしいミニライブでした。

 後の「お久しぶり交流会」では、奈良から来られた父娘の三線での峠三吉の詩の朗読、演奏、歌、おどり。

 広島の三代目春駒さんのミニライブ。

 佐賀からいらっして下さった玄海原発のプルサーマル導入の反対運動を頑張っていらっしゃる広島の胎内被爆者のyuuminさんのお話し。

2011_08060013 2011_08060016 尾道からいらっした整体の先生のミニ整体の教授。NENEさんも大サービスで歌って下さいました。

 最後に今日お話をして下さる電車内被爆者の米澤さんのお話。などなど楽しい会を持つことが出来ました。

2011_08060020  帰るまえに中沢さんご夫妻と写真を撮っていただきました。

 すべての皆様に感謝します。

 私はこれから被爆電車に乗りに行きます。

 米澤さんの講演もすべて終わったら、放っているレセプトを今日中に仕上げます。


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準備が整いました

準備が整いました
お客さんも入って来られました。中沢さんもスタンバイしています。私はドキドキしています。

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「国境のない花たち展」

2011_08060001 昨日から今日の午後8時まで紙屋町シャレオ中央広場で『八月六日にひろしまで花を生けるー国境のない花たち展[平和を願う花作品展示]ー』が開かれています。

「 ナイフを武器ではなく、平和をつむぐ道具として

 1986年に起きた原発事故を発端にひとりのフラワーデザイナーが始めた「平和を願う花生け」は広島の花に関わる人々の手に受け継がれ、2003年に「国境のない花たち展」といういけばな作品展へと繋がってきました。・・・」とパンフに書かれています。昨日診療後急いで見に行きました。

2011_08060003  いつも私のクリニックに花を生けて下さっている嵯峨御流・いけばなインターナショナルスクール広島支部の青の直甫さんの作品です。昨年のはすの葉、実と今年の青い実とうっすら赤い花のつぼみが生けられています。

 きれいなバラの花束が格安の500円で売られていました。この売上金はすべて東北の震災被害者への支援に献金されるとのことで、私も買いました。今日の平和の夕べで飾ろうと思います。

 皆さんが一人ひとり自分の範疇で平和を考え実行することは素晴らしいと思いました。

 今日は、「2011ヒロシマ平和の夕べ」です。みんなで用意してきたことを実行する時になりました。多くの皆様とお会いできますように・・・。


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大学教授二人の発言

 もう、ネットの世界では十分に広がっていてご存知の方も多いと思います。

 東大の児玉龍彦教授の国会へ招致されたときの発言、大手のマスコミはほとんど報道しなかったということです。私はテレ朝の朝の番組で見ましたが。

 動画、または全文を読みたい方、こちらには両方出して戴いています。この件について、医療系サイトでは、児玉先生に感動したという沢山の書き込みがある一方、現地の先生からの抵抗が強く記されています。児玉先生の発言の一部を引用します。

「私ども東京大学には27箇所のアイソトープセンターがあり放射線の防護とその除染などの責任を負っております。それでわたくし自身は内科の医者でして、東大病院の放射線施設の除染などにずっと数十年関わっております。」

「われわれが放射線障害をみるときには、総量を見ます。それでは東京電力と政府はいったい今回の福島原発事故の総量がどれぐらいであるか、はっきりとした報告はまったくされておりません。

そこで私どもはアイソトープセンターの知識をもとに計算してみますと、まず熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております。ウラン換算では20個分のものが漏出していると換算されます。さらにおそるべきことにはこれまでの知見で、原爆による放射能の残存量と、原発から放出されたものの放射線の残存量は1年に至って、原爆が10分の1になるのに対して、あ、すいません、原爆が1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない。

つまり今回の福島原発の問題はチェルノブイリ事故と同様、原爆数十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出したということが、まず考える前提になります。」

「次にヨウ素131。これはヨウ素はご存知のように甲状腺に集まりますが、甲状腺への集積は成長期の甲状腺形成期がもっとも特徴的であり、小児に起こります。しかしながら1991年に最初、ウクライナの学者が甲状腺癌が多発しているというときに、日本やアメリカの研究者は、ネイチャーに、これは因果関係が分からないということを投稿しております。なぜそういったかというと1986年以前のデータがないから統計学的に有意だということが言えないということです。

しかし統計学的に有意だということが分かったのは、さきほども長瀧先生からお話しがありましたが、20年後です。20年後に何が分かったかというと、86年から起こったピークが消えたために、過去のデータがなくても因果関係があるということがエビデンスになった。いわゆるですから疫学的な証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまでだいたい証明できないです。

ですから今、われわれに求められている子どもを守るという観点からはまったく違った方法が求められます。そこで今、行われているのは国立のバイオアッセ―研究センターという化学物質の効果を見る、福島昭治先生という方がずうっとチェルノブイリの尿路系に集まるものを検討されていまして、福島先生が、ウクライナの医師と相談…集めて、500例以上の、前立腺肥大のときに手術をしますと膀胱もとれてきます、これを見まして検索したところ、高濃度の汚染地区、尿中に6ベクレルパーリッターと微量ですが、その地域ではP53の変異が非常に増えていて、しかもその、増殖性の前癌状態、われわれからみますと、P38というMAPキナーゼと、それからNFカッパーBというシグナルが活性化されているのですが、それによる増殖性の膀胱炎というのが必発でありまして、かなりの率で上皮内の癌ができているということが、報告されております。

それでこの量に愕然といたしましたのは、福島の母親の母乳から2から13ベクレル、7名で検出されているということがすでに報告されていることであります。」

「緊急に子どもの被曝を減少させるために、新しい法律を制定してください。私のやっている、現在やっていることはすべて法律違反です。現在の障害防止法では、核施設で扱える放射線量、核種などは決められています。東大の27のそのいろいろなセンターを動員して南相馬の支援を行っていますが、多くの施設はセシウム使用権限など得ておりません。

車で運搬するのも違反です。しかしお母さんや先生に高線量のものを渡してくるわけにはいきませんから、今の東大の除染では、すべてのものをドラム缶に詰めて東京にもって帰ってきています。受け入れも法律違反、すべて法律違反です。このような状態を放置しているのは国会の責任であります。」

「第三番目、国策として土壌汚染を除染する技術を、民間の力を結集して下さい。これは例えば東レとかクリタだとかさまざまな化学メーカー。千代田テクノルとかアトックスというような放射線除去メーカー、それから竹中工務店などさまざまなところは、放射線の除染に対してさまざまなノウハウを持っています。こういうものを結集して、ただちに現地に除染研究センターを作って、実際に何十兆円という国費をかかるのを、今のままだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を私はすごくもっております。

国の財政事情を考えたら、そんな余裕は一瞬もありません。どうやって本除染を本当にやるか。七万人の人が自宅を離れて彷徨っているときに国会は一体何をやっているのですか。以上です。」

 これまで「安全だ。ただちに健康被害はない」と言い続けてきた御用学者さんたち。これもその一部を引用します。以下、長崎大学の山下俊一教授の講演録からです。この人は、福島県のアドバイザーとして県内各地を安全だという講演をして回ってこられました。

「これから福島という名前は世界中に知れ渡ります。福島、福島、福島、何でも福島。これは凄いですよ。もう、広島・長崎は負けた。福島の名前の方が世界に冠たる響きを持ちます。ピンチはチャンス。最大のチャンスです。何もしないのに福島、有名になっちゃったぞ。これを使わん手はない。何に使う。復興です、まず。震災、津波で亡くなられた方々。本当に心からお悔やみを申し上げますし、この方々に対する対応と同時に、一早く原子力災害から復興する必要があります。国の根幹をなすエネルギー政策の原子力がどうなるか、私にはわかりません。しかし、健康影響は微々たるものだと言えます。唯一、いま決死の覚悟で働いている方々の被ばく線量、これを注意深く保障していく必要があります。ただ、一般の住民に対する不安はありません。」

「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています。酒飲みの方が幸か不幸か、放射線の影響少ないんですね。決して飲めということではありませんよ。笑いが皆様方の放射線恐怖症を取り除きます。でも、その笑いを学問的に、科学的に説明しうるだけの情報の提供がいま非常に少ないんです。」

 広島・長崎の被爆者の、にこにこ笑っている人とそうでない人にこんなに差があったというデータがあるのでしょうか。チェルノブイリの子どもたちの甲状腺がんは、笑っている子とそうでない子にも差が有ったのでしょうか。動物実験、そのデータを示して欲しい、放射線の害というのは、もっと物理的なものでしょうと、私はそう思います。講演録全文はここにあります。

2011_08010002  もうずっと前、約15年になるでしょうか。兵庫県の八鹿高校に講演に行ったときに庭に沢山咲いていた芝菊を少し分けてもらって別府の我が家に植えました。一週間前に帰ってみると、こんなに広がって、塀をぐるりと囲むように咲いていました。たくましく、きれいに生き続けています。


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いろいろご報告です。「I Padアプリ筆談パット」など。

 8.6.ヒロシマ平和の夕べの準備に追われています。今日は、いろいろとお知らせしたいことを・・・。

2011_08040002  すでにお知らせしたし、私も試写を見て感動したDVD「はだしのゲンが見たヒロシマ」を二冊購入しました。中沢啓治さんのドキュメンタリー映画です。これは私は8.6まではあえて再度は見ません。平和の夕べで私がインタビューをするのには、見ないほうがいいと思っています。すんでから見るためと、一つは親しい人にプレゼントします。一冊3990円です。 

 今、インタビューをするためと、その時にバックに写すスライド作りのために、またまた漫画はだしのゲンを全10巻読み直しました。泣いたり、笑ったりしながら。何回見ても、面白いところは面白いし、悲しいところは悲しくって。

 ですが、読むたびに新しい発見があります。中沢さんの、ユーモアを持ちながらも、まっすぐな生き様はどうやって培われてきたのかと思います。やはり、早くに爆死されたお父様の教えによるものだろうと確信しました。三つ子の魂百までとはいわれますが、まさに中沢さんはそうだと思います。

 読めば読むほど、ゲンはいい子ですねえ。ゲンは、中沢さんそのものです。

2011_08040003  愛用の I Pad 。先日別府で一緒だった産婦人科の仲間の人に教えられて、無料アプリ「筆談パット」をダウンロードしました。患者さんと向かい合って、指で字を書くと、向かいの人にもさかさまで字が出てきます。

 これは面白い!私のところには耳の不自由な患者さんがよく来られます。一部の手話は知っていますが、たとえば「赤ちゃん元気?」とか、「薬」や「検査」などの単語は教えてもらっていますが。でもちょっと複雑になると筆談です。それにすぐに使えそうです。

 もう一つ。子宮頸がんの予防ワクチン、通達が来ました。

 今、中学1年生相当から高校二年生相当の女子への助成です。高校二年生に限っては、9月30日までに1回目の接種をした人に限り、平成24年3月31日までの接種について助成対象となります。9月30日を過ぎると、新たな人への接種は出来ないということですね。

 その他の学年の人。平成24年3月31日までの接種に限り、助成対象になるということです。と言うことは、9月30日までに一回目を接種しないと、3回すべての助成をしてもらえないということになります。

 まだかなりの方が接種していないし、接種が再開されているということを知らない人がいらっしゃるようです。まだ先でいいわ、と思っていたら、無料では受けられないことになってしまいます。

 それから、びっくりするのですが、打たせようかどうしようかと悩んでいる保護者の方がいらっしゃることです。その悩みの根拠を聞くと、ネットで副作用のことを知って・・・とのことです。

 もうこれまでも何回も言ってきたのですが、全く根拠のないデマをネットでいいふらしている政治的な団体があります。もちろん、打たせるか否かは自由ですが、その根拠をきちんと検証して欲しいと思います。少なくとも、産婦人科の癌に取組んでいる先生達は、皆さんこのワクチンを勧めているし、期待もしています。

 先日の性教育指導セミナーでも、自治医大の教授鈴木先生の「HPVワクチンの普及をめざして」という講演を聞きました。どんな工夫をして接種を広めているか、イギリスゃオーストラリアなどの世界的な動きと、それに比較しての日本の残念な状況も聞きました。イギリスでは80.9%の12-13歳の女児が接種を受けていると。さあ、日本では、1年が終わった時点でどれだけの接種率になるでしょうか。


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」関連企画のご案内です。

8.6ヒロシマ平和の夕べの関連企画も再度ご案内します。

 8月5日には、原水禁山口の主催で「上関・祝島現地交流ツアー」が行われます。午前7:15にJR広島駅「新幹線口」集合。バスに分乗して現地に向かいます。バスの中では、いろいろと主催者のお話を聞きます。

 バスと船を乗り継いで、祝島に着くと、漁師さんの船に分乗して、上関の海で魚釣りをします。主に鯛の手釣りです。

 その後は、祝い島のお母さん達の手作りのご馳走を戴きます。新鮮なお刺身や炊き込みご飯、お味噌汁や酢の物など、とってもご馳走です。

 食事の後、交流です。祝島の漁師さんやお母さん達、全国から集まった人たちの自己紹介や思いなどを話します。その後、また船に乗り、上関の原発建設予定地に行きます。今も監視小屋を作って建設反対を粘り強く闘っている現地の方たちの激励をします。

 帰りは夜になります。

 昨年私はこのツアーに参加しました。美しい海。一貫して建設反対を頑張り続けている祝島の漁師さんたちと直接触れ合うことが出来て、本当に感動しました。釣った魚とあらかじめ漁師さんが用意して下さっていたお魚もどっさり戴いて帰りました。

2010_08060002 2010_08060013  写真は昨年、漁師さんの船に分乗するところと、上関の原発建設予定地です。写真を撮ったこの場所は埋め立て予定地です。

 参加の申し込みは090-1338-1841へ。参加費一人9000円です。

 8月7日は被爆電車・平和学習です。午前11時。JR広島駅南口噴水前集合。被爆電車に乗ります。11時半電車出発。電車に乗っていて被爆した米澤鐵志さんが一緒に乗って解説して下さいます。原爆ドームまで行って下車。少し時間がありますので、個人で平和公園の散策や食事などをして下さい。13時から、平和記念資料館東館地下会議室(2)で米澤さんのお話を聞きます。

 電車内被爆者で、今生き抜いていらっしゃるのは米澤さんお一人になってしまいました。一緒に電車に乗っていたお母様と、そのお母様の母乳を飲んだ妹さんは被爆後相次いで亡くなっています。ぜひ多くの方に米澤さんのお話を聞いていただきたいと思います。参加費は500円です。

 私は、8.6平和の夕べが近づいて緊張しているのでしょう。夢ばかり見ます。それも、変な失敗の夢ばかりです。しっかり準備をせよということなのでしょう。


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中沢啓治さんと打ち合わせをしました。

2011_08010008  昨夜、「はだしのゲン」の中沢啓治さんと「8.6.平和の夕べ」の打ち合わせをしました。

 中沢さんは昨年10月、肺がんの手術を受けられました。一時は、意識不明でICUで手当てを受けなければならないほど症状が悪化しましたが、その後、お元気になっています。

 でも、先日、Pet CTで癌が肺に再発、胸と骨盤の骨に転移していることが分かりました。再度、8月22日から入院して、抗がん剤の治療を受けられることが決まっています。

 今、中沢さんはお元気で、食欲もあります。お会いして、ほっとしました。あの被爆の状況をしっかり記憶して、話すことができる最後の年代の被爆者であろうとご自分でも話されました。 もう少し若いと記憶が断片的になると。もう少し上の方は次々と亡くなっていると。

 そうです。先日は沼田鈴子さんが亡くなりましたし、昨日は武田靖彦さんのお葬式でした。武田さんは、インド、パキスタンを初めとして、多くの語り部をなさいました。私達が性教協の全国大会をしたときに、参加者が同伴してきた子どもたちへの平和公園の碑めぐりの案内、説明をして下さった方です。癌が悪化して、お具合が悪くなっても、最後まで今後の被団協を心配なさっていました。

 中沢さんからは、昨夜、これまで私が知らなかった数々のことも話していただきました。8.6.では、思う存分、胸にある思いのたけを話していただこうと思います。どうぞ皆様、ご期待下さい!!

Img206 8.6.当日は午後3時半から始まります。始まってすぐに中沢啓治さんへの私のインタビューをします。約一時間。その後、草薙弁護士、元京都大学原子炉実験所の小林先生のリレートーク、そして最後に早苗NENEさんの歌というメニューです。

 詳しくは、このブログと、ここから三日間に渡って述べています。ぜひごらん下さい。

 多くの方が参加して下さいますように・・・。

 当日は、聴覚障がい者の方たちへの要約筆記と手話通訳の両方を用意しています。

 はだしのゲンのファンの子どもたちも10人を越えて参加するという情報も入って来ました。中沢さんは、体調を見て、できるかぎり子どもたちへのサインにも応じるから、と言ってくださいました。

 先日完成し、今映画館で上映されている中沢啓治さんのドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」のDVDの販売もする予定です。

 私は、まだまだその準備に追われています。


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「性教育指導セミナー」

 昨夜12時近くに家に帰りました。性教育指導セミナー、前日に続き、また盛況でした。その前夜、懇親会場です。

2011_07300029 地元の日本文理大学の学生さん達のチアです。これまでテレビでは見たことはありますが、目の前で実際繰り広げられると、すごい迫力でした。

 私達の避妊教育ネットワークの中には、福島や岩手などの被災地から駆けつけたメンバーもいます。寸劇の男子高校生の役をした人、その母親役の人は福島の人です。懇親会上では、岩手の秋元ドクターの隣に座りました。彼が以前勤務していた病院は全滅、いま瓦礫が詰まれていると。想像もつかないほどの状況を色々と教えてもらいました。

 他の安全な地域にいる者があれこれ口だけ言うのは迷惑だと聞きました。それでも、私の立場も話した上で、福島の子ども達、大人はいいのです、細胞の分裂が活発な子どもたちが本当に心配なのだと。地域に住んでいる個人の人たちに対してではなく、政治、行政に向かって発言しなければらない事だってあると私は言いました。

 専門家といわれる人たちの「ただちに健康被害はない」という発言に強い違和感を覚えると。

 私は、原爆被爆の一番初め頃に生まれた二世です。被爆者医療がやりたくて産婦人科に入局し、10年間、染色体研究室にいて、近距離被爆者、その子ども、さらにその子ども達の染色体を分析して来ました。10年間、膨大な論文を読んできたと。広島のABCCの論文は、すべて英語。日本人に向けての報告はない中で、英語の論文を読んで愕然としたことが多々あります。その時代のことも、すでにこのブログの中でも、数々発言して来ましたが・・・。

 本当に大変な状況から、医療の世界が元に戻るのは、10年はかかるるだろうとも聞きました。私が東北に送った超音波の機械、其れはきっとちゃんとどこかに届いているだろう、でも、日赤に集まった大金は、ほとんど配られていないと。一体、あれはどうなったのだろうか、と、そんな話も聞きました。私自身への課題をも突きつけられたと思います。私は、私の立場でこのブログも含めてちゃんと発言を続けようと思います。

 昨日の若尾先生の講演は、「私の身体と私の気持ちー性的自己決定権を考える」というタイトルでした。若尾先生は、法学出身です。子どもの権利条約、堕胎罪、レイプ、売春、DV、母子保健、憲法24条、女性差別撤廃条約・・・。などなどを駆使しながら、簡潔に明快に問題提起をしてらったと思います。

 その後、「難しい問題だ」との座長の先生の発言で、すっかり落ち込んでいた若尾先生と、一緒にお茶をしましょうと喫茶を捜していたら、ないのです。そしたら、何と、その座長が車で喫茶店まで連れて行ってくださいました・・・。

 また、機会を見てご報告しますね。


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