« NHKの討論に参加しました。 | トップページ | 本「までいの力」 »

なぜ私はソーラーパネルを貼ろうとしているのか。

 NHKの番組の収録で、どなたがどんなことを言ったのかは、マナーとして言えません。ただ、この世界の多くの人々が、物事を考える基準が「お金」であるということをまた認識しました。

 私は大分の家にソーラーパネルをつけようとしています。小型の風力発電機が置けないかとか、いろいろと考えましたが、やはりソーラーだと思います。家は空き家です。年に数回しか帰らないところで、放っておいてもいいとなると、太陽しかないと思いました。

 「元が取れるか」という基準ではありません。私は「原発のお世話になっていて原発批判をするのか」という声に対して、いいえ、原発のお世話になっているつもりはありません。と言うためです。

 発電所を色々と見て回るうちに、自分でできることはないかというのが、私の課題になりました。

 そもそも私がこの原発に本当に意識を持ち始めたのは、いつなのか。このたびの討論に参加するうちに、思い起こしてみました。

 私は、被爆二世です。医師になった時には被爆者に関わる仕事をしたいと思いました。同時に、被爆者の子ども、妊娠、出産、命を生み出すということが、私の中で一つになりました。入局直前に広島大学の産科婦人科で、胎内被曝者の中に小頭症の子ども達がいるという研究の発表がありました。私はその研究を学生として見ていました。

 産科婦人科に入局して研究室を決めるとき、教授にその旨を伝え、そして染色体研究室に決めました。以後、被爆者と被爆二世の多くの方の染色体分析をしました。ダウン症の余剰染色体が男性・女性のどちらから来たものであるかという研究もしました。

 その過程で、私の中には、核爆弾は後々まで人々を苦しめるということがよく分かりました。核爆弾だけでなく、核の平和利用という国の方針にも強く違和感を持っていました。

 別府に家を建てるというときに私はソーラーパネルを希望したのですが、当時はまだとても高くて、諦めたといういきさつもあります。

 そして、2009年、佐賀に講演に行ったとき、会場の横の公園に沢山の人が集まっていました。あれは何なのかと尋ねたとき、初めて私は「MOX・プルサーマル」ということばを聞きました。不勉強でした。

 原発で燃やすのはウランだとばかり思っていたのが、いつも間にかプルトニウムを使おうとしていると。ウランを燃やした後に1%のプルトニウムが出来る。それを取り出して燃料にしようと。プルトニウムは、単に放射線としての危険性だけでなく、強い毒性があります。それも半減期24000年と気が遠くなってしまいます。

 それがきっかけで、原発のことを真に考えるようになりました。

 特に、これからの子どもたち、孫たちに、その核廃棄物をどんどんと溜め込むようなことをしてはならないと思います。今は廃棄物の処理すら全く出来ないままに溜め込んでいます。

 そのプルトニウムからまたプルトニウムを作ろうとする「もんじゅ」は、今、とんでもないことになってなっています。世界中、イギリスもフランスもこのプルトニウムからプルトニウムを作るというのは、とても危険で無理だと諦めて中止したというのに。

 日本がどんどんと危険な方向に向かおうとしている、それに対して、何か出来ないかと考えたとき、自然エネルギーに何か貢献したいと思ったのです。単に損得勘定で考えているのではないということだけははっきりさせたい思います。

 もちろん、家にいない間に発電された電気は「九電」に売ります。玄海原発でプルサーマルの発電をしている九電に、です。それの元が取れるのかどうかは、二の次です。


「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

|

« NHKの討論に参加しました。 | トップページ | 本「までいの力」 »

コメント

先生の研究内容を拝読して、ふと気になりました。
私は被爆3世です。父は終戦の翌年に生まれており、祖父は西区で被爆しました。
私の三男は発達障害があります。長男はグレーゾーンと言われています。
私の下の妹には息子が一人いますが、彼も発達障害です。詳細は現在結果待ちです。
発達障害は生まれつき脳に何かしらの原因があるといいますが、被爆と発達障害は関係があるのでしょうか。3人ともADHDだと思います。
最近になって発達障害についての研究が進んできたので、広島や長崎に特に多いとか、そういう研究まではまだ行き着いていないでしょうね。もしも関係があるのなら、気になるところです。

投稿: きぃ | 2011年6月14日 (火) 14時04分

世の中「お金」より大切なものは山ほどありますが、「お金」を一番に持ってきても原発は選択肢には入らないことを、もっと多くの人が知るべきだと思います。

原発推進のために自治体の長が「50年後に生まれる子供がカタワばかりでも構わない」と言うほどの莫大な補助金を使い、もんじゅだけでも2兆円、一体、原発のために何十兆円が使われ、これから使われようとしているのか、その原資は我々の払う電気料金と税金であることを、もっと多くの人が認識すべきです。

どの化石燃料より早く枯渇することが予想され、特に日本では使用済燃料の保管場所も再処理も最終処理も全てに目処が経っておらず、他国に比べ桁がいくつも違うほど地震が多い国では保険すら仕分けられるくらいリスクが高く、いかなる経済合理性においても原発は排除されるものです。

高コスト体質の独占企業のために、国民はどれほどの高いコストを払っているか、通信においてもソフトバンクが参入する前は、日本人は世界で最も高く最も遅い通信インフラを使っていたことを改めて思い出すべきだと思います。

投稿: 松田 | 2011年6月15日 (水) 20時12分

太陽光発電で注意することを補足しておきます。これは結構パネル業者も電力会社ですら知らなかったり言わなかったりすることです。

実は、家庭で発電した電力を流すことが出来るのは同じ電柱の変圧器についている家庭に対してのみなのです。家庭のソーラーパネルの制御装置の送電電圧は普通107ボルトで高くても109ボルトです。(厳密には200ボルトもありますが、これは特殊です)

電気というのは送電により電圧がどんどん下がるので発電所から50万ボルトで送られてくる電気は変電所、変圧器を通して、家庭には100ボルト(もしくは200ボルト)で供給されますが、いずれにしても電気は電圧の高いところから低いところにしか流れません。

そのため家庭で発電した107ボルトの電気は、何らかの原因で周囲の電圧が110ボルトなどのように高くなることがあると(稀にあります)抑制という機能が働き、電気が流れなくなり売電できなくなります。

あるいは、あくまで同じ変圧器に繋がっている家庭にしか流れないわけで、その同じ変圧器に繋がっている1戸から数戸の家庭で電気を使っていなければ電気を流すことも売ることもできないわけです。

そういう理由で変圧器に繋がっている戸数が少ないとか、太陽光発電をしている家庭が多いと発電した電気は無駄になるだけということもあります。

ただ変圧器から変電所レベルまで電気を戻す技術はあるようなので、これは中国電力でのことで、九州電力も同じかどうかは分かりません。一度、確認された方が良いと思います。

投稿: 松田 | 2011年6月17日 (金) 12時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: なぜ私はソーラーパネルを貼ろうとしているのか。:

« NHKの討論に参加しました。 | トップページ | 本「までいの力」 »