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浜岡原発であったこと。

 韓国でのことはもっと書きたいことが、それも食べ物とか買い物とかいっぱいあるのだけれど、今日は浜岡原発のことで。

 もう、浜岡原発がとても危険な活断層の真上にあるということ、いつ大きな地震が起こっても不思議ではないこと、もし地震が起こったら、大変大きな犠牲が出ることなどは、散々言われて来ました。今回の東北地震のずっと前から。

 今回、これだけ大きな住民への犠牲が出て初めて、具体的に本気で政府も考えたのでしょう。昨日の管総理の記者会見にいたるまでいろいろと大変だったことも想像できます。でも、やっとやっとという思いです。

 それに浜岡だけなの?他の原発は?この国全体のエネルギー政策は?これからも原発中心でするの?特に、今、新しい原発については全面ストップとしているはずなのに、なぜ上関ではダンプが動き続けているの?

 知りたいことがいっぱいで、気持ちがあせります。

 そんなとき。ちょっと昔の話です。私の兄夫婦は、以前浜岡に住んでいました。夫婦とも、理学部化学卒の化学者です。

 浜岡の原発が出来たとき、地元に人たちの見学会がありました。何グループにも分かれて、その一つのグループで義姉も行ったのだと。そして、姉は「使った後の使用済み核燃料はどうするのですか?」と聞いたのだそうです。

 そしたら、ただちにこちらに来てくださいと、姉は別室に連れて行かれたのだと。別室で一人。そこで中部電力の人に「そのような質問を皆さんの前でされては困ります。」と言われたのだと。

 姉にしてみれば、当然の疑問です。だれもが知りたいことではありませんか。といっても、それへの返答はなしで、ただ困りますといわれただけだと。そして、とうとうみんなとの合流はさせてもらえず、ただひとり別の車で家に送り届けられたのだそうです。

 そしてその夜。電力会社のえらい人たち三人が家に来られたのだそうです。

 「お昼には大変失礼なことをしました。お詫びいたします。」と。

 それでも、このことは、どうぞ内々にして頂きたい。やはりあのような質問は皆さんの前でされては困るもので、と、謝罪?されたのだと。今から考えると、謝罪でも何でもありませんが。

 その際、菓子折りと、現ナマも持ってこられたのだと。姉は、しつれいな!!と付き返したそうです。

 以来姉は、あの時の悔しかった気持ちをずっと引きずっていると。昔のことではあっても、それは残り続けるものなのですね。

 やはりそう。反対する人たちを札束でひっぱたくような真似をして、反対の意見を持つ人を封じこめるようにして、原子力政策は続けられました。マスコミに対しては、反対の番組を流すと、コマーシャルを引き上げるという恫喝をして、押さえ込んで来ました。

 それは、姉が侮辱された昔から続いているということなのですね。

 上関では、多くの人々が次々とお金で黙ってしまいました。でも、祝島の漁師さんたちは、お金を受け取らず、ずっと反対の意志を貫いています。自分たちの職場でもある、海を守れという思いを行動し続けています。祝島だけでなく、上関の方たちでも、原発予定地の買収に応じていない地主の方たちもあります。そのような土地が点在しています。

 福島原発の事故の後、初めての新原発として中電は何としてでも作ろうとするでしょう。私たちにできること、それは地元の方たちを孤立させないことだと思っています。


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ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

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コメント

おつかれさまです。先生、お帰りなさい。

浜岡原発を筆頭に、今後、迅速な決断をできるようになってほしいです。
もしかしたら、昔の時代に戻りたくないっていう怖さもあるのかなぁ?苦しかったとは思うけど(不便)、それを変えたくて国家に入ったのなら、戻りたくないっていう恐怖から踏み出せないのか・・・。
田舎モノの私が聞く母や祖母らからすると、
その中でやってきたし、戻っていいのだけど、
そこらへんも精神論として政治家さんにあるのでしょうか・・・(素人なのでわかりませんが)

お義姉さんの話、やっぱりありますよね。
原発ではないですが、私も色々聞いたことはあります。工場・発展という名の町改造・身近なところで病院でも。

どんなにお金に困っていても、受け取ったら人として一生悲しくなってしまう部分が増えるので、私も突き放したことがあります。

結局うやむやにされ、ひとりきりになってしまうので、正しいことがなにかわからなくなる錯覚におちいりそうでした。

多数決主義っていうか。。

一人でも戦う。その心積もりはあっても
悲しくなるときってありますよね。
戦いつづけて、ようやく日の目をあびるのは
何年も、何十年もかかりますもの。

右に倣えでなく、左もみれる国であってほしいな・・・。企業自体もそれで染まっているので、少しづつ、ひとつづつでも。目先の利益より、一人勝ちでなく、儲けなくても、平和で・・・

ハングリー精神はほどほどがいいんです。きっと。

また、落ち着いたらソウルのお話、待ってます。

投稿: A | 2011年5月 7日 (土) 17時49分

いわき市久ノ浜から静岡に避難していた男児(小5)が、子どもの日に急逝し、その子の症状が「鼻血」などの体内被曝の初期症状に酷似しているのでは・・との疑問を持った方(転校先の同級生の保護者)が、自分のブログに記事を書かれ、それを読みました。
彼は、体外被曝の数値も高かったのだそうですが、それよりも内部被曝の症状では・・と疑念を持たれた反原発の活動をされている方が書かれた記事でした。

私は、肥田俊太郎先生のお話をネットで聞いていましたから、この方の記事が とても気になりました。。単なるストレスや、環境が良くないことが原因で・・ではない背景が、彼の死亡原因には存在しているのではないかと思い、このブログにつけての投稿を。

別件ですが、この前、子どもの被曝許容値アップに反対するためのネット署名をしようと思ったら、何故か繋がらない!!
締切前なのに どうしてもダメ!(??)?でした。
ちょうど、マスコミで「流言飛語に惑わされないように・・」を連発させていた時に当たっていたので、どうもネット規制がかけられていたようです。
後で調べてみたところ、総務省から各プロバイダーに事故後のことに関しての規制を要求する「お達し」を出していたようです。(4 /20 外務委員会・河野太郎議員の質問内に発言されていた中に規制通達に関することが出されいましたから、時期的に合っていた事象だったと思いました。) 


重要な情報の多くを隠蔽してしまったことから、日本政府は世界中から信用を失くしてしまいました。
この男児の死因を追及調査する必要があります。
母乳の調査も、まだまだサンプル数が少なすぎると思っています。
産婦人科学会で調査する動きはありますか?

投稿: C.K | 2011年5月 7日 (土) 20時23分

岩盤の上にあれば揺れは少ないでしょうが、直下だと地震の衝撃が直接伝わり、大きな被害がでるように思います。
原発の建物が崩壊し圧力容器が浜辺に転がり、壊れた所から燃料棒が出て浜辺で溶解している風景を想像するだけで、日本の終焉が。
中国電力は、原発に依存しなくも消費電力に影響しないと、昨年の夏に証明しました。
安全点検さへまともにできない会社が、原子力発電所の安全なんて管理できるはずはないです。
電力会社は、原発には事故はおきないとは言えなくなりました。事故がおきたときの対応や補償について具体的な説明を求める必要がありますね。

投稿: やんじ | 2011年5月 7日 (土) 21時53分

自らの手で消すことのできない火。
そんなものを燃やし続けていたのが原発なんですね。

中山千夏さんの
「私のための原発メモ」(検索するとPDFで読めます)を読みながら,
息子に今回のことを説明していたのですが,
息子が「じゃあ,誰が悪いの?電力会社?国?」と質問してきました。
「うーん。利権に群がる人とか・・・」ともごもご答える私に,
「いや,国民が悪いんだよ。日本は国民主権なんじゃけえ」とバッサリ斬られました。

知らなかったじゃすまされない。
知らないことは罪だった・・・。
この子たちの未来に大きな不安を残すような
愚かなことをしてしまったと思いました。

投稿: Hoch | 2011年5月 8日 (日) 13時33分

はじめまして。

お義姉様の話、あるとは聞いたことはありましたが
本当に現ナマも提げて来るのですね・・・(-_-;)

今年度、提出されている電力供給計画によると
全国でも上関のみ、当初の予定から変更・中止の内容が
盛り込まれていませんでした。

一度、現地を視察に行くなどして、もっと現状を理解して
欲しいところです。地震大国に原発は不似合いだと
今回の一件で実証済みですから!

投稿: さくとも | 2011年5月10日 (火) 03時19分

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