高校のO.B.会でした。
昨日は、午後更年期の講座三回目無事終了。
そして、夜には高校の演劇部のO.B.会でした。O.B.の一人、私と同期の人が定年、仕事をすべて終えて、東京から広島に帰ってこられました。その彼女の歓迎会でした。現在59歳の現役の高校教師から、舞台などのイベント会社でまだ働いている66歳の人まで、14人が集まりました。
青春真っ盛りを共に過ごした仲間というのは、やっぱりいいなあと思います。すぐに昔に戻って、話が弾みます。
中でも、一枚の昔の写真を持ってきた人がいて、それを見て、涙が出る思いがしました。
若いころの数人が写っています。中に脇田義信さんが写っていました。かわいい頃の脇田さんです。昨日集まったみんながお世話になったし、それぞれが思い出を持っています。やっぱりいつまで経っても、O.B.会には脇田さんは必要な人なんよね、亡くなってしまって、本当に残念よね。という思いがわきあがって来ました。
その頃の思い出の一つ。当時の校長先生は、誰もが尊敬する人格者でした。当時の高校には、県の大変な有力者の息子さんが通っていました。でも、それが凄まじいワルで、とうとう校長が退学をさせることを決意されました。退学させた後、校長は、僻地の学校に転勤させられました。
「あれを退学させたから」「でも、切らざるを得ないと、大変な決断だった」「気の毒なことだったけれど・・・」当時の人々が言っていたのを私も覚えています。
私が入学する直前のことです。その年に当時の高校の演劇部は「花火」で広島市の地区大会、県大会とも優勝したのです。「花火」は被爆した姉弟の話です。被爆で顔をやけどし、目の手術をした姉が、包帯を取って、自分の顔のケロイドにびっくりし・・・。という話でした。
脇田さんは、その弟の役を大変好演しました。
県大会で優勝して夜広島に帰ったあと、脇田さんとあと二人で校長官舎に優勝杯を持って訪ねて行ったと。これをもらいました、と。そしたら、校長が大変喜んで下さって、翌日の朝礼で演劇部が県大会で優勝したと、みんなに話して下さったと。
そんな思い出を話してもらって、ウルウルです。その校長先生も、当時の顧問の先生も、つい先日亡くなってしまって、寂しいことです。
O.B.の何人もが癌になっていて、みんなそんな年になって来たのだから、会える内に会っておこうね、としみじみ話をしました。
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コメント
先生、実力者の息子って誰のことか直ぐにわかりますよw
彼もまた「その退学の話」を今も「モチネタ」にして喋っていますからw
「ワル」だったのでしょうが、頭は良かったんでしょうね、
その後KO大学に進んでますから。
しかし笑った。
投稿: ⑦パパ | 2011年5月20日 (金) 16時24分