島根原発を遠くから見ました。
昨朝。出雲市平田町のホテルを9時に出て、鹿島町恵曇に行きました。まず、原発資料館へ。資料館に行く途中、原発の入り口でびっくり。ものすごい警戒です。ガードマンが何人いたでしょうか。車止めも厳重に作ってあって、まるで米軍基地の入り口のようです。実は、話は前後するのですが、帰りにそこを写真に取ろうとして、ガードマンに止められました。写真は写してはいけないのだそうです。入り口のすぐにはトンネルがあって、後は何も見えないのに、それでも写してはいけないのだと。本当にここまで厳重に警備しなければならない、それは何故なのでしょうね。
資料館からは、原発の建物が見えます。ここでは写真を撮ってもいいそうですが、黄砂でぼんやりです。
ここでは今三号機が建設中です。その三号機はプルサーマル用に作られるそうです。ウランよりもうんと毒性のつよいプルトニウムをまぜた燃料MOXを使うものです。
佐賀の玄海発電所で多くの人たちの反対を押し切って、初めてプルサーマルが導入されました。丁度佐賀で私の講演があって行ったとき、その会場の隣でプルサーマルの反対の集会が持たれていました。全国から沢山の人たちが集まっていました。
それが押し切られて導入された後、いまでは伊方原発でも、そして福島第一でも導入されていたことを知りました。そして今回は中国電力の島根原発でです。
資料館はよく作られていました。いろいろとゲームもつくられていて、子ども連れで楽しめるでしょう。子ども達がここに来て遊んでいるうちに、いつの間にか原発は必要なものだと思うようになるかも知れません。でも、原発が危険なことには変わりありません。
その資料館から恵曇の町が見えました。そこを出て、恵曇に行きました。
恵曇漁協は昔と変わらない景色でした。この漁港で昔祖父は氷を作っていました。電気技師だった祖父は、あの一畑電鉄を作るために島根に来ました。一緒に来た祖母は、初めて島根に裏千家の茶道を持ってきた人です。祖父は、一畑電鉄を作った後、ここで電気を使って氷を作る仕事をしていたのです。
道路は広くすっかり変わっていましたが、何と、昔祖父母が住んでいた家がまだあったのです。祖父母がそこを引き払って広島に来て、もう四十年になります。すっかりあばら家になって、でも、たしかにそこに家はありました。
その家の向かいのお家を訪ねました。祖父母や夏休みに私たちが行っていたときにとてもお世話になったお宅です。その当時小学生だった男の子が出てきて下さいました。もうお孫さんがいらっしゃるようです。小さな服の洗濯物が干してありました。
タイムトンネルを通ったような不思議な感覚でしたが、私の小さな頃の思い出が確かにそこにありました。泳いでいた海、原発がなければ、素晴らしい景観で、今ならきっと多くの人たちがキャンプや海水浴に訪れたことでしょう。
まだまだ発電についてはお話したいことが沢山あります。でも、今日から私はソウルに行きます。五日に帰ってきます。広島に帰ってから、また書きますね。
広島空港からは、いっぱいで飛行機に乗ることが出来ませんでした。福岡空港から行きます。びっくりなのですが、広島から福岡への新幹線の切符、指定が取れなかったのです。今、人々は東に行かないで、西へ。特に九州が人気なのだそうです。広島から福岡なんて、いくらでも座席があるものと思い込んでいたのですが。
ソウルから、ブログをお送りするつもりでいます。
| 固定リンク
コメント
こんにちわ。
すごい警戒ですね。なぜでしょうか・・・。
子供のころから不思議でした。
「安全」という割りに、なぜ郊外につくるのか。
田舎に作るのか・・・。
安全なら、人がたくさんいるところにつくればいいのに・・・と。
世の中、矛盾だらけです。
還暦をとうにすぎ、昔から「患者さんのため」に命をささげてきたお医者さんたちも、まったく儲けにならず。深夜診療で0時まで開院し、それでも黒字が出たら税金でがっぽりとられるそうですね。
「風邪?あったかくして、水分とって、寝てたら治る」「怪我?サランラップまいて密封していたら治る」私の子供の頃のお医者さんはこう言っていました。
なんてつめたいお医者だ!と思ってましたが、大人になると、「自然治癒力」と「通院させなくて済む」ととても患者思い(病気怪我の度合いにもちろんよりますが)だなと実感しました。
ちょっとでも儲け主義の病院は、あれやこれやと検査検査。風邪なのに、耳やら鼻やらなんやら処置。
どうして前者のような患者思いの、本来の人間のお医者さんが苦労して、命を削って税金を払い、またこういう人の命をおびやかすものに使われていくのでしょうか・・・。
悲しいですね。
ソウル、気をつけていかれてください。
投稿: A | 2011年5月 3日 (火) 18時00分
確か核兵器拡散防止条約の為、テロ対策でどういう設備があるか明らかになるようなことは禁止されてるんじゃなかったかと。
だから写真も一切ダメだと記憶してます。
福島の原発施設の状態が当初はっきりしなかったのも、その為ですよね。
爆弾落とされたり突っ込まれたりしないように、与えて良いと判断された情報のみ、開示出来る。。。
ちょっと誤解されやすいですね。
投稿: ななこ | 2011年5月 3日 (火) 22時39分
25年前、チェルノブイリの原発事故があった時、子供たちは3歳と1歳でした。危機感いっぱいで、同じ年頃の子どもを持つお母さんたちと一緒に、「まだまにあうのなら」という、脱原発を訴えた小冊子をたくさんの人に読んでもらったり、勉強会したりしました。「まだまにあうのなら」、その絶望と希望の入り混じった言葉が頭の中をぐるぐると巡る日々です。
投稿: スヌーピー | 2011年5月 4日 (水) 12時43分
右側が1号炉で左側が2号炉ですね。3号炉は左の山の向こう側てすね。トンネルを抜けると1号炉の右に出ます。
原発建設で、町には沢山のお金が入り、当時としては立派役場が建設され、道路は綺麗になり、原子力発電所の固定資産税で、町は潤います。
電力館に登る坂道の途中には、立派な運動施設があったと思います。
地方の町があのような施設を作ると建設費と維持費で大変てすが、原発の恩恵で大丈夫です。
しかしながら、被害は恩恵なんてまったくない町に及びます。これらのお金を含んだ電気代だけは、負担させられますが。
もし広島市に原発があったら、30km 圏は呉市東広島市安芸高田市北広島町廿日市市大竹市江田島市が含まれます。
港から左側に行くと、魚の干物やイカの一夜干しを売っているお店があったと思います。
投稿: やんじ | 2011年5月 4日 (水) 19時22分
Aさま
ええ、想像以上にすごい警戒だったので、びっくりしました。外には何重にもガードマンの方たちが立っています。門だけ、他の何も見えないところでも、写真を撮ってはいけないと。厳重にガーとしているところを写されては困るのだと思いました。ソウル、楽しんで来ました。いつもコメントありがとうございます。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2011年5月 7日 (土) 08時10分
ななこさま
コメントありがとうございます。誤解じゃなくって。まさにその通りなのだと思います。ある国のミサイルは、ぴたりと原発に焦点を当てていると。原爆なんて要りません。原発に普通の爆弾を当てただけで、原爆と同じ効果があるのですから。だからこそ、そんな危険なものは作って欲しくないと私は思っています。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2011年5月 7日 (土) 08時13分
スヌーピーさま
まだ間にあうのなら。そうですね。福島の方たちは間にあいませんでした。私たちはもう原発は要りません。そういい続けたいと思っています。いつもありがとうございます。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2011年5月 7日 (土) 08時15分
やんじさま
ええ、道は本当に立派になっていましたね。昔の面影がありません。でも、港はそのまま残っていました。一夜干しのお店にも行きましたよ。水揚げしたばかりの新鮮なお魚も沢山。すぐに韓国に行くつもりだったので、買えなくて残念でした。そういえば、やんじさんと初めて知り合ったのは、やんじさんがブログに恵曇へのツーリングを書いていて、それへコメントしたのがきっかけだったのでは?もう大分前になりますね。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2011年5月 7日 (土) 08時19分
島根原発の最新ニュース
http://ggtms.com/p/gpshima.html
活用いただければ幸いです。
投稿: ガイガータイムズ | 2011年7月31日 (日) 10時49分