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広島です。

 昨夜遅くに広島に帰り着きました。一日中バタバタして、パソコンを開くこともできず、ブログは一日お休みとなってしまいました。

2011_04290002 2011_04290004  義母一人暮らしの家は春真っ盛り。花が咲き乱れています。母は、取っても取っても草が生えると嘆きます。ここまできれいに庭を保つのは、本当に大変なことと思います。この花の隣には、菜園に沢山の野菜が植えられています。

 少し離れたところに住む姉夫婦が花も野菜作りもサポートして下さっていて、ありがたいことです。私たちは、さやえんどう、ラディッシュ、たまねぎなどを戴いて帰りました。出来たのを戴くだけで、たまに帰ってくるだけの私たちは何の役にも立ちません。

2011_04290006  夜、母には我が家に来てもらっての夕飯でした。鍋と、広島風お好み焼きをしました。一度に三枚も焼いたものだから、ギューギューです。私の好みのうどん・肉玉・ねぎかけです。近くのスーパーにおたふくソースを売っていましたが、包装に書かれているのは関西風お好み焼きの作り方。ソースの味も少し違うように思うのは、気のせいかしら。てんかすやあおのりも買って来ました。少し残った材料で、野菜とお肉だけ、玉子やうどんがないのも作りました。

 母は、初めてだと、私が作るのをじっと見つめていて、そしてとても美味しいと食べてもらいました。私としては、作るのにへらが小さいのしかなかったし、いまいちなのですが、喜んでもらってよかったです。

 お風呂に入ってもらって家に送っていく間、夫と母はずっとどこどこのだれだれが亡くなったとか、あそこの二人は離婚したとか、ここの人は嫁さんからいじめられているとか、そんな話をずっとしていました。そんな話しをするのも、楽しみの一つなのですね。

 ところで、帰り道、九州電力の八丁原地熱発電所に見学に行きました。その話、それから私の長兄夫婦は今大分市に住んでいるのですが、以前浜岡にすんでいました。義姉さんから聞いた浜岡原発のびっくりのはなしなど、報告したいことはいっぱいあります。また、ボツボツと書きますね。

 今日は、診療。きっと忙しいと思います。その後は、保険のレセプトを全部終えて帰るつもりです。そうしないと、五連休が休めません。


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別府です。

 昨夜というか今朝2時半に別府の我が家に着きました。へろへろで、すぐに寝ました。

2011_04280003  昨日のお昼、診療中に先日帝王切開したお母さんと赤ちゃんが退院したからと訪ねてきてくださいました。キャー、小っちゃい、わあ、かわいい!!みんな大騒ぎです。赤ちゃんに幸あれ!!この子たちが豊かに暮らしていけるように。そんな社会を作るのは私たちの務めだと、あらためて肝に命じました。

 別府に帰るのは、年末の冬以来です。あのときはすごい雪で、高速を山の中で出さされて、ナビを頼りにとんでもない山道、吹雪のような雪とガリガリの道を、泣きそうな思いで帰ったものです。今回は、まだ連休にも入っていないので、道はスイスイ。でも、トラックがいっぱい。トラックにうずまるようにして帰りました。

2011_04280004 朝起きてみた我が家の庭です。いつもゴールデンウィークにさくらんぼを沢山収穫して帰るのに、今年は実はついていてもまだ小さくて、青いままです。今年の冬の寒さがそのまま我が家の庭にも現れていました。残念。今年のさくらんぼは、きっと多くの鳥たちが喜ぶことでしょう。

 何代にも代替わりしたラベンダーは何とか生き抜いていました。それから、何かの鳥が種を落として行ったと思われる、自然に生えた枇杷が、大きくなっていました。私はうれしいのですが、家に根を伸ばすかも、と、夫は心配しています。私は自然にしておけばいいと思っています。だって、植えてもいないのに、枇杷の実がつくかも!それは楽しみですもの。

2011_042800052011_04280006  今から、夫の実家に行きます。短い時間ですが、義母への親孝行が出来れば、と思っています。明日にはもう広島に帰ります。


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ドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」

 昨夜は、広島平和記念資料館での、ドキュメンタリー映画『はだしのゲンが見たヒロシマ』【完成記念試写会と原作者・中沢啓治さんほかによる会見】に行きました。

 この映画は、はだしのゲンの作者、中沢啓治さんを二年間に渡ってインタビューしたものです。企画、インタビューアーは渡部朋子さん。中沢さんの生の口で、まんが以上に原爆への怒り、父や姉や弟、妹、その後の母などを亡くした悲しみがふつふつと語られます。配布されたパンフレットから引用しますね。以下引用。

 「1945年8月6日、中沢啓治さんはヒロシマ市内の神崎国民学校で被爆する。国民学校の1年生、6歳だった。中沢さんは奇跡的に助かったが、父・姉・弟を亡くした。被爆直後に生まれた妹も4ヶ月で亡くなる。

 中沢さんは、自身が目撃した広島原爆の惨状を、まるでカメラで撮影するかのように、つぶさに脳裏に焼き付けている。『はだしのゲン』に表現されている広島の光景は、中沢少年が自ら体験したことを、ゲンに託して描いたものだ。

 漫画家として東京での活動が軌道に乗ってきた22歳のとき、広島の原爆病院に7年間入院していた母が亡くなった。火葬して骨を拾おうとした時、母の骨は粉々に砕け、ほとんど残っていなかった。「原爆は母の骨までも奪うのか」、怒りがこみ上げた。それまでは”原爆”という文字も見るのも避け、自分が被爆者であることも、一切語っていなかった。被爆者に対する差別があったからだ。「自分にできることは何なのか」必死に考え続けた結果、原爆をテーマにした漫画の第1作目となる『黒い雨にうたれて』を1週間で描き上げた。以下略」引用終り。

 中沢さんが初めて描いた「黒い雨にうたれて」は、被爆し、原爆症で命が長くない青年が殺し屋となって、悪徳アメリカ人を殺して回るという、中沢さんの怒りをぶっつけたものです。その過激さで、どこの出版社も掲載してくれませんでした。そこで中沢さんは、とにかく誰かの目に触れればいいからと、エロ本を出版している会社に持ち込みます。そこの社長が、よし、やりましょう。しかし、私もあなたも覚悟がいりますよ、と引き受けてくれました。これが反響を呼び、次々と原爆ものを書き、それがゲンにつながって行きます。

 これらのことを、中沢さんは、被爆前に自分の家があった場所、お母さんが道端で赤ちゃんを産んだ場所、母にやっとめぐり合って何日かを呆然と過ごした所、知人の家に身を寄せて、いじめ抜かれた場所、そして子どもの頃遊んだ原爆ドームなど、それらの場所で淡々と語ります。淡々とではあっても、その中身は本当に迫力があり、見る者に迫ります。

2011_04260007 2011_04260008  上映の後、中沢さん、渡部朋子さん、そしてこの映画の監督の石田優子さんの会見がありました。

 昨日は、ちょうどチェルノブイリの大事故の25周年でした。その日にあわせての上映会でした。記者さんからは、今の福島の原発事故や原発についてどう思うか、などの質問が出ました。核は、人間の手でコントロールできるものではない。目に見えない放射能の恐ろしさをいやというほど知っているから。今こそ日本が世界に先駆けて、原子力ではなく、自然エネルギーによる発電に切り替えると宣言するいい機会だ、と中沢さんは言い切りました。

 この映画は、DVDとして初夏から売り出される予定です。聴覚者対応日本語字幕付きです。私は、外国語に翻訳した字幕付を早く作って、世界に流して欲しいと思います。

 明日から私は二連休です。今日の夜から、大分の河野の実家に帰る予定です。30日には普通に診療をします。


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地球環境大賞「東京電力株式会社」

 「第20回地球環境大賞は東京電力株式会社様」と聞いたときには、ホント、ブラックジョークだと思いました。さすがに4月5日に予定されていた授賞式は延期とはなったものの、一体、この受賞はどうなるのか注目していました。

 やっと東電が受賞辞退を申し入れたと発表されました。地球環境大賞のHPと辞退についての発表です。

 とてもえらい大学教授などが委員となって選考されたそうですが、全く、もう・・・言葉を失います。受賞理由は、原発とは異なるプロジェクトだったようですが。一方で、これだけ原発を推進してきて、とうとう大事故を起こしてしまった、その「東電」によりによって「地球環境大賞」なのですよ!!情けなくって、笑ってしまいます。

 もう、原発はクリーンなエネルギーだなんて、本当に言わないで下さい!!これだけ地球環境を破壊するものは戦争、核兵器、そして原発と言ってもいいと思います。もし、上関に原発が作られたなら、瀬戸内海は大きく変わらざるを得ないでしょう。もし、事故が起こったなら、瀬戸内海全部が死滅してしまいます。

 昨日、朝の番組をみていたら、「ドイツが脱原発を決めた」と報道されました。原発推進派であったメルケル首相が方針を変えると発表したと。それを受けたみ〇〇〇たさんが、「大丈夫なんですかね、ドイツは」と言いました。そして、「今ドイツでは、その二割が原発での発電で、それを他の発電に切り替えていくそうだ」と若い人が言ったら、み〇〇〇たさんは、「それとろうそくと。」と言って、ひっひっひと笑ったのです。

 今、まだ震災の被災地では、電気が来ていなくて、ろうそくの生活をしている人もいます。その人たちに対して、とても失礼な「ひっひっひ」でした。それに、原発推進派の方たちが言っているような、原発がなくなったら、まるでみんな電気が使えなくなってろうそくの生活になるというような言い方は、絶対におかしいのです。

 今、日本でも、他の方法での発電の方が多いのですね。それを原発での発電を5割に持って行こうと強引に他の方法の開発や運転をやめさせて、さらに強引に原発を作ろうとしていたのが、これまでの日本なのです。

 一旦事故がおこったら、とてつもない犠牲を人々やあらゆる生き物や地球環境に負わせるのが原発なのだと、もういやというほど思い知っているのに。

2011_04240006  先日の「原発なしで暮らしたい」会場で戴いたチラシです。袋の中でサイダーがこぼれてボロボロになって見苦しいのですが。面白い!マサイ族のナンバー2と上関の原発に反対し続けて頑張っている祝島の人たちとのコラボです。 5月21日は広島の大光寺で、22日は山口県光市で。

 すっごく行って見たいけど、私は仕事でいけません。残念。お知らせまで。


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「原発なしで暮らしたい」会場から。

2011_04240004 昨日は当番医。診療は、患者さんが途絶えることなく、たんたんと行いました。

 お昼時間は、近くのハノーバー公園での「原発なしで暮らしたい」会場へ。

 メインステージでは、コンサートやトークが行われました。この大きなスピーカーなどの機材は、すべて会場に設置された太陽光発電のパネルでまかなわれました。朝はやく、まだ曇っているうちは、ジーゼル発電を使ったそうです。

2011_04240003  このジーゼル発電は、軽油を炊くようになっていますが、当日は、使用済みの天ぷら油を製油して使ったのだと。でも、これを使ったのは少しだけで、後は好天に恵まれて、ずっと太陽光発電だけで出来ました。さほど大きくないパネルでしたが、大したものです。発電した直流は、パネルの右にあるテントの中で交流に変えられ、機材へと送られています。

 ステージでのトークは、上関でカヤック隊で頑張っている青年、韓国人被爆者の支援を40年間続けている豊永先生の話を聞きました。さらに、山本シスターの歌、これは上関で頑張っている祝島の皆さんへのメッセージの歌です。山本さんは、いつもその素敵な声で歌って下さいます。福島の現地からのお話しの途中で、私は時間切れです。残念。被爆者の支援と核廃絶の運動を続けている、ご自分も被爆者の肥田舜太郎医師の話も聞きたかったのですが・・・。後ろ髪を引かれる思いでクリニックに帰りました。

2011_04240002  会場は子連れの方も多く、子どもと共に楽しめるようになっていました。沢山のお子さんたちが、風車や蜜蝋によるろうそく作りを楽しんでいましたよ。

 木のおもちゃのHANAさんもお忙しそうにしていらっしゃいました。お声をかけそびれてしまいましたが・・・。

 この後、私はもちろん参加できませんでしたが、「原発なしで暮らしたい」の横断幕を持ってデモ行進がされました。

 広島の地から、このようなメッセージが発信された意味は大きいと思います。いつも「ただちに健康の被害はない」とばかり言っているえらい人たち。豊永先生は、「私は低線量被爆だけれど、50年経ってから、二つのガンにかかってしまった」と言われました。

 今はまだ福島原発を何とか押さえ込むことに全力を尽くす時なのでしょうが、いずれ住民や現場で働いている人たちの健康の観察と対応を長期にわたってしなければならないと思います。


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「地熱発電」について知りたいです。

 とてもいいお天気です。昨日お知らせした「原発なしで暮らしたい」イベントは、好転に恵まれて、きっと沢山の方が来られることでしょう。

 原発の事故のことが頭から離れません。もしも福島でこれ以上のことが起こったら。もしも、言われているように東海地震が起こって浜岡原発に事故が起こったら・・・。そうしたら、東京にいる娘達とは会えなくなるのかしら、などと、つらつらと頭に浮かびます。「浜岡原発にならか起こったら。そうしたら、とにかく日本海側へ逃げて、どこかから飛行機で広島に帰ってくることしかないね。でも、そのためにはお金がいるから。少しは、手元にお金を持っていないとね。」そんな話を先日も娘としました。取り越し苦労に終わることを祈ります。

 自分なりに、自然エネルギーのことを考えています。

Geothmap1 水や太陽や風だけでなく、「地熱」。日本の地熱発電は、東北と九州で行われています。これがどんなものなのか、日本には、世界で三番目に地熱エネルギーの埋蔵量があるといわれていますが、それがまだまだ利用されていない状況です。将来的にどうなのか、もっと知りたいと思います。これを進めるためらは、何が障害となっているのかも。できれば、この連休中に九州に帰ったときに、地熱発電所の見学に行きたいと思っています。

ここにも詳しく出ています。

 今日は当番医。今から出かけます。


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「原発なしで暮らしたい」

福島原発の事故による多くの方々のたいへんな苦労を見て、でもなおかつまだ「原発は必要だ」という人たちがいるというのが、信じられません。原発はなくとも、必要な電気は作ることができるということをこれも多くの方たちが言っています。

 福島の方たちのご苦労のおかげで、上関の原発を作る動きがやっと止まると思ったら、まだ現場では動いているとのことでした。ダンプが動いているとは聞いていました。でも、発破でドーンと破壊されていると聞いて、もうびっくりです。これは、「調査」と言う名目なのだそうですね。調査をするのに、発破でくずしているのだと。??です。

20110416_44285871

 そしてチェルノブイリ25周年を迎えます。あさって24日、広島で「原発なしで暮らしたい」の大集会が開かれます。私も何かをせずにはいられない気持ちでいたのですが・・・。ここに詳しく載っています。キッズエリアも設置されますので、子育て中の方も親子で参加できそうです。

 私は、残念。休日当番医です。近くですので、お昼休みには覗きたいと思っています。何より自然エネルギーのコーナーに行きたいし。ベーグルなどの販売もあるそうなので、そこでお昼ご飯にすればいいかな?主催の方のお一人に、もし具合の悪くなった方があれば、当番医なので当方で対応しますと伝えました。

 当番医、昨年まで二年続けて、ゴールデンウィークの真っ盛りに当たっていました。今年は、すれすれ一週違いでセーフです。24日に当番医で働きますので、5月2日の月曜日を休診にしました。5日間連続で休みます。一ヶ月以上前に院内には告知し、予約も入れないようにしていますが、もしかするとご迷惑をおかけする方があるかも知れません。私は、1・2で島根の両親のお墓参りに行くつもりでいます。


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おかやま山陽高校調理科の修学旅行

 震災や原発の事故のニースに目が離せません。何もなく、いつもの日常を暮らしている私たちは、同じ国内での出来事が、よそ事のように感じてしまうことがないように、自分をいましめています。

 大きな余震があるたびに娘から電話がかかってきます。とても情けない声で。緊急地震速報がまずテレビで流れると、すぐに携帯電話で知らせがあるのだと。だから、テレビを切っていても携帯が知らせてくれるのだと。そしたら、二匹の猫は、すばやくベットの下にもぐりこむのだそうです。すっかり学習できているのですね。この音がするとすぐに家が揺れると。えらいものだと娘も感心しています。

 こんな時なのですが。

 先日行ったおかやま山陽高校。ここの調理科や製菓コースのことは聞いていました。以前、立派な実習室やホテルのようなテーブルマナーのお部屋の見学もさせて頂きました。和・洋・中・韓、多彩な講師陣は全員プロ。それに多くの方がここの卒業生で、自分のお店を持っている人たちだそうです。3年間で600種類のレシピを身につけ、卒業と同時に調理師免許が取得できます。それに全員が茶道裏千家の初級許状も取得します。

 その彼らの修学旅行先、パリでの様子が校長先生のブログに書かれています。ぜひここをクリックして下さい。ここの「パリで。」と「パリで、その2.」の二つのブログです。パリで。では、チョコレートのお店で、憧れのショコラティエ、ジャック・ジュナン氏に偶然会え、励ましてもらった男子生徒の泣き顔がアップされています。まあ、その泣き顔が、本当にかわいくて、おかしくて。その純粋さ、校長先生は「本気モード」と書かれていますが、素晴らしいと感動します。高校生で、ここまで目指す何かを持つことができるというのは、幸せなことでもあります。

 もう一人。「パリで、その2.」では、コルドンブル料理学校での一日体験入学の様子が書かれています。今回の講師のシェフは、前職が大統領官邸シェフであったという人。その指導で、男女一人ずつが助手になり、調理をしたと。そして、とてもほめられたのだそうです。そしたら、緊張しまくりだった男子生徒が緊張が解けたとたん、しゃがみこんで号泣したと。おまけに鼻血まで出てきたのだそうです。

 そのシェフと、並んでの写真、これがおかしいのです。シェフの笑顔と、鼻にティシューを詰めたままの彼の顔。本当にこれもかわいくて。

 久々に感動してかつ笑ってしまった楽しいブログです。ぜひご一読を!!

2011_04210001 2011_04210002  おかやま山陽高校調理科の生徒の料理とは比べることも出来ないのですが。私の超手抜きです。山陽高校に行ったときに寄ったサンロード吉備路で買って帰ったカレーのうち、W桃太郎カレーです。桃太郎トマトと桃太郎鶏で作られています。頂き物の乾燥きしめんがあったので、それでカレーうどんにしました。美味しいカレーですが、うーん、大きな鶏手羽のお味が今一つ。私としては、以前の白桃カレー、ニューピオーネカレーの方が好きかな?


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「リーゼンさん」閉店

 広島そごう三階、バスセンターに長い間常設されていた韓国グッズのお店「Lee Zen リーゼン」さんが三月一杯で閉店されました。大変多くの客がついていて、大繁盛のお店でした。お店の中には韓国や韓流ドラマのファンがいつもいて、座り込んで情報交換したりたわいないお話をしたり。

 私も必ず週に一回は行っていました。別に買うものがなくとも、行っては、雰囲気を感じて帰る、それだけでも癒されていたのです。ママは、釜山から嫁いで来た、まだ若くきれいな、そしてとても親切な優しい人なので、みんながその人柄に惚れていたのだと思います。いつもソウルからどっさり仕入れをしては品を揃えて下さっていました。店員さんも明るく優しい人たちばかりなので、お店全体が優しさにあふれていました。私の選挙の時など、そのお店のお客さんたちが、皆さんお手伝いにも来てくださいました。

 ですので、閉店はとても残念です。今、そのリーゼンさんの最終のお店が、バスセンターの特設会場で開かれています。18日から25日まで。

2011_04200001 2011_04200002  初日は多くのお客さんでごった返して、沢山のものが売れたそうです。私は、昨日、二日めに行きました。東方神起のファイルやお財布、ブラウスなどを買いました。

 また早くお店を再開してくださることを祈っています。

 今日は、中国新聞文化センターでの更年期を上手に乗り切る、第二回目です。初回は更年期の総論をしました。今回は、肥満、子宮が下がる、尿漏れ、性交痛など、なかなか人に相談できないことを集中的にします。昨夜おそくまで時間をかけて、しっかり資料の準備をしました。参加して下さる皆様のお役に立ちますように・・・。


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帝王切開・英語版はだしのゲン。

2011_04190001  昨日のお昼時間は、帝王切開でした。生まれたての赤ちゃんです。保育器の中ですので、天井の電気がガラスに写っていますが、元気に泣いています。

 おそらく私の生涯でのラストオペレーションだろうと思います。写真を見ているだけで、涙が出てきます。お母様から許可をいただきましたので、私自身のメモリアルとしてアップさせていただきますね。赤ちゃんの健やかな成長を祈ります。

 さて、昨日の夜は、「英語ではだしのゲンを読む」講座でした。一月以上ご無沙汰しての復帰です。とってもとっても楽しかったです。相変わらず私は劣等生ですが、皆さんのおかげで楽しく過ごさせてもらいました。

 日本語の漫画と比べて、英語版は、上品です。漫画ですから、いろいろとこどもの世界での「シモネタ」の言葉が出てきます。それがまた、この漫画の楽しいところでもあるのですが、私たちの昔の世界そのままなのですね。それが英語版では言葉がはずされていたり、変えられていたり。替え歌が全く面白みのないものになっていたり・・・。翻訳に苦労されている姿が見えますし、文化の違いもありますので、仕方がないことではありますが・・・。

 もっとも、元々がものすごい力がある漫画ですので、ニュアンスが少々変わっても、元々が持つメッセージが変わるわけではありません。世界にゲンが飛び立って行くことはうれしいことです。先日ブラジル版が出来て、これで今14カ国で出版されています。もっともっと世界中の多くの方にこの漫画が読まれますように・・・。

 私も、これから8.6に向けて、丁寧に楽しみながら読み続けようと思います。


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二つのサイトの紹介です。

 のら屋は、丁度25年前の4月26日、あのチェルノブイリの大事故が起こった日にオープンした、オーガニックの食材を使った食堂です。原夫妻、特にK子さんが中心でやってきたお店ですが、25周年を前にして、ここで伸幸さんが中心にやって行くと方針を変えられました。その再出発の会でもありました。原さんと友人の家庭科の男性教師が手伝って、大ご馳走をして下さいました。

2011_04170002  三日かけて炊いたという黒豚の角煮、手作り豆腐、肉じゃが、根菜の煮物、刺身はあわびやサザエ、タイ、タコ、小いわし、みんなその時まで生きていた新鮮なものです。小いわしの梅煮、ベビーサザエ、大きなあさりのバター焼き、タイの骨蒸し・・・。堪能しました。

 これからののら屋に幸あれ!!

 さて、そこで皆さんに教えてもらったサイトです。一つは、米澤さんから伺った藤波心さんのブログです。藤波心さんは、中学生のアイドルです。彼女が書いた震災や原発についてのブログ、米澤さんが読んで泣いたといわれました。私が読んでもやはり涙が出てきます。「非難覚悟で」というタイトルのブログには、その後、沢山のコメントが寄せられて、本当に彼女は大変と思います。その後のブログを読んで、また、心が洗われる思いがしました。13歳の彼女に比べて、私はまだダメだなあと思わされましたよ。

 もう一つ、たんぽぽ舎のサイトです。脱原発と環境破壊のない社会を目指して、これまで地道に活動して来たたんぽぽ舎は、今、登録すると、毎日原発についての様々な情報を送ってくれます。早速に登録しました。

 こんな情報をもらって、一人で考えるのでなく、直接人に会って語り合うことの楽しさと大切さを痛感したのです。


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実り多い日でした。

2011_04170001  昨日は、お昼、米澤鐵志さんのお話しを聞きました。「戦後平和運動(主として原水禁運動)を語る」。米澤さんは、11歳の時、爆心地から700メートル、超満員の電車の中で被爆し、現在ただ一人生き抜いている電車内被爆者として、様々な証言活動をしていらっしゃいます。一緒だったお母様は、一月もたたないうちに亡くなられ、直接被爆はしなかったものの、お母さまの母乳を飲んだ妹もやがて髪が抜け、なくなられています。

 戦後、ずっと原水禁運動の渦中に身を置いていらっしゃる、その生の証言を聞きました。緻密なレジュメも頂きました。これは、今後私も利用させて頂けるありがたいものです。ご自身と、戦後医師をしながら、共産党の市会議員を続けられたお父様との軋轢など、とっても面白く聞かせていただきました。

 昨日は、実りの多い日でした。

2011_04170004 5時からは、のら屋で懇親会です。そこで沢山の有益な話を伺いました。

 とても一度では書けませんので、また明日も、二度にわたってお話します。

 何よりもびっくりしたのは、私が予告したイベントには、いつものように駆けつけて下さるKさんが、実は二歳の時に被爆し、両親が亡くなった原爆孤児であったと、初めて名乗られたことです。これまで、そのような背景があってたこと等、全く知らないままにお話ししていました。

2011_04170006 ウクレレとハーモニカで力強く歌ってくださったのは、小林一彦さん。彼のおじいさんは、原爆の焼け野原に被爆後三日目から家を建てたと。それを素晴らしい歌声で歌ってくれて、感動しました。

 みんないろいろなのですね。人を知るということは、感動を重ねることなのだとあらためて思いました。

 また、明日に続きます。


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診察室で。

 いろいろと忙しくしていても、毎日ちゃんと診療をしています。他の活動は、診療の合間、休診日や夜にすること。これは原則です。

 今日は、久々に診察室のことを書こうと思います。それは昨日があまりに強烈だったからかも知れません。このごろ特に増えた患者さんは、親にちゃんと育てられていない子と風俗の子なのです。

 愛情を持って育ててもらっていない子は、何かにすがるように異性を求めます。まるで彼女自身の居場所を求めているかのように。でも、自分のその思いが、相手にも伝わっているとは限りません。当然、とてもしんどいことが彼女にのみ起こります。

 そのしんどいことが起こったときに、自覚を持ってくれればいいのですが、それでもまだ相手を信じようとしては、さらに傷ついて行きます。これまで辛い中で生きてきた、そこで培われたものを、ほんの一時期関わる私の言動でガラリと変えるなんてできるわけがありません。

 それでも、ほんの一時期でも、一生懸命に自分に関わってくれた大人がいるということが、彼女の中に少しでも残ってくれれば、と思います。いつかまたしんどいときに、あそこに行ってみようか、と思ってくれますように、と。そう願いながら治療をします。

 昨日来た患者さんの個人情報を話すことが出来ませんが、でも、親だけでなく、すべての大人たちがもっと意識を持って子ども達に関わっていかなければ、という焦りがあります。診察室の中は、社会の縮図です。言っても言っても変わらない社会が居続けます。

 ああ、またこの子もかと風俗に足を入れてしまう女性にも次々と出会います。あまりに無防備で、自分がバラバラになってしまうのではないかと危惧します。もっと前から風俗で働く女性は、しっかりプロ意識があって、自分の体の管理にも熱心です。でも、誰でもできる、素人そのものの女性は、自分の体の管理をしながら主体性を持って働いているわけではありません。余りに無防備で・・・。

 昨日の一人は、私が引いてしまいそうになるくらい、ぐっちゃぐっちゃでした。産婦人科歴39年で初めて出会うほど、ぐちゃぐちゃです。ため息が出ます。こうなるまで、どうしていたのか、辛かったでしょうに。それに、こんな状態で風俗の仕事をしていたことが、信じられません。客は、どうしてこんな女性を相手にできるのか、それも信じられません。何とか、治療をしますが、それでも、完治させる自信はありません。

 こんな女性に出会うと、自分の仕事に無力を感じてしまいます。これまで私は何をやってきたのだろうか、と思ってしまいます。

 今、多くの大学生がアルバイトで風俗嬢になっています。親は何も知りません。まさか、自分の子がと思われているでしょう。私は、彼女達に必要なのは、プライドだと思っています。ぐっと胸を張って前をまっすぐに見つめながら生きていく、そのプライドです。たとえ貧乏でも、自分を売り渡したりはしない、そのプライドです。それは自分を肯定的に捉えないと、持てないものでしょうね。また、いつかこの当たりを詳しく語ってみたいと思っています。

 昨夜は久しぶりに心の通じ合う人たちと、深夜まで語り明かしました。すこーしだけ気持ちが前向きになれました。きょうは、米澤さんのお話を謙虚な気持ちで聞こうと思います。

2011_04070001  すぐには出せなかったのですが、もうこれだけ時間が経ったらいいでしょう。平和公園で。お会いできて、とっても嬉しかったです。私のお宝写真の一枚になりました。ありがとうございました。


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100兆ドル札。

2011_04150001  岡山でのお話し、もうひとつです。おかやま山陽高校の校長先生から、一枚のお金を戴きました。記念に差し上げましょう、と。ジンバブエの新品のお札です。ウン?とよく見ると、ゼロが14個ついています。うわあ、100兆ドル札!と思わず声を上げました。凄まじいインフレなのですね。

 家に帰ってジンバブエをネットで調べてみました。ハイパーインフレ。その率は2億%。国は、独裁と暴力、失業率90%。どのネットにもしんどい国民の生活が記されています。今は、そのインフレもやっと止まっているようですが、国民の生活は変わらないままのようです。

 私は日常的にこんなジンバブエの様子なんて知りませんでした。イランやアフガニスタンや北朝鮮、それに最近ではリビア、他国のことは、せいぜいそれくらいの関心しかなくって。一枚のお札が、民主主義がどれだけ大切かを思い知らせてくれました。

2011_04150004  昨夜は、韓国領事館の辛亨根総領事着任の歓迎会でした。辛総領事のお父様は広島で被爆をされ、韓国に帰国後、韓国人被爆者協会を作られた方。辛総領事は被曝二世です。お父様と総領事に関わる様々な方たちのお話をうかがいました。

 それに、出席者の方たちからも個人的にお話しを聞きました。お隣同士の国が仲良くすること。このことがとても難しいままにこまで来ています。やっとやっと、ここのところ、少し溶け初めているのかも知れません・・・。

 昨夜の会は、傷を刺すようなことを言う人にはどなたにも会うことなく、ほっとして帰りました。今日の夜は、一週間前の総括の会に出席です。気が重いことです。


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高校生が作った電気自動車

 昨日は、恒例の岡山山陽高校に行きました。私の最も好きな学校で、いつも新入生に話をしています。今年度もこの学校の一年生に話すことから講演を始められたのを嬉しく思います。

 ここに行くと、いつも何か新しい発見があります。

2011_04140101  自動車科の生徒たちが手作りした電気自動車です。

 以前は水陸両用車を作って、もし売り出しをしたら第一号で買うからと言っていたのですが、それはどうにも馬力がよくなくって、実用化できなかったのだそうです。もしもそれらがクリアできていたなら、今回の震災でも、ずいぶん活躍しただろうにと校長先生もおっしゃっていました。残念。

 今回のこの自動車、家庭用の100ボルトの電源で充電できます。後ろにはちゃんとナンバープレートも取り付けられていて、公道を走ることができます。今、世界一車高の低い車としてギネスに申請しているそうです。名前はMIRAI(未来)。かわいくってカッコよくって、もう又もやほしい、ほしいとなってしまいました。

 機械科の生徒は、お好み焼き用の厚い家庭用の鉄板を作って文化祭で売り出したら、あっという間に完売だったと。後は、予約生産をしたとのことでした。

 ここの普通科音楽コースを卒業して東京芸大に進学、今ドイツ・カールスルー音大留学中の近藤那々子さんは、日本音楽コンクールオーボエぷモンでグランプリを獲得しました。

 まだまだいっぱい感動することがあって、帰って話をしていたら、夫が、「君はいつも山陽高校に行ってきたら、一生懸命話をする。よほど好きなんだろうね。」と言いました。その通りです。

2011_04140105  岡山と来れば帰りはここです。総社の「サンドーロ吉備路」。姉と一緒に行きましたので、ここに寄って、日帰りの入浴と夕飯のバイキングを食べて帰りました。ここに来た目的は、売店にもあります。ここで売っているレトルトのカレー。もう、とっても美味しいので、どっさり買って帰りました。隣の産直市場は、もう閉じていて残念。

 素敵な学校での講演とお風呂、食事で少し元気になったように思います。


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「京大原子炉研究所」

 先日、中国新聞文化センターの講座「更年期を上手に乗り切る」の一回目を終えたとき、一人の受講生が私のところに来られて「私は祝い島の出身です」と言われました。そして、「先日、震災の後に柳井で小出先生の講演会がありました。いつもはあまり人が集まらないのだけれど、その時には、400人を超える人で超満員でした。」と言われました。ああ、そんな講演会があることを知っていたなら、私も行きたかったと思いました。

 以前、小出先生のメールを転載したことがあります。またまた週刊誌ネタですみません。週刊現代4.16号「ジャーナリストの目」共同通信社の記者であった青木理さんの記事『「熊取六人衆」原子力の危険を訴え続けた真の研究者たちがいた』からです。

 2008年の秋、大阪毎日放送が取材・放映した「なぜ警告を続けるのか~京大原子炉研究所、”異端”の研究者たち」と題した番組と、その後日談について書かれています。以下、一部転載します。

『京大は、大阪府熊取町に研究用の原子炉を持つが、ここには一風変わった6人の研究者がいた。原子力を研究しつつ原発に懐疑的な立場を取り、その危険性を訴え続けたのだ。彼らは「熊取六人衆」などと呼ばれ、閉鎖的な「原始ムラ」の中で異端視され、徹底して排斥された。

 6人は、教授どころか准教授にもなれず、助教(助手)や講師のまま定年を迎えていった。今も残るのは今中哲二氏と小出裕章氏のみ。二人ともやはり助教のままだ。真夏でもエアコンを使わぬという質素な研究室。取材カメラを前に二人は訥々とこう語る。

「原子力を選ぶか否かは、一人ひとりがどう生きるか、どんな地球を作るかの問題で、それぞれに考えていただくしかない。ただ、私は科学者の立場から自分の責任を果たしたい」「原子力の専門家という立場から原子力に警告を発し続ける、そんな人間が必要なんです」略

 その番組は、もちろん反原発がにじみ出ていたが、過剰な演出を控えた秀作ドキュメンタリーだった。ところが、地元・関西電力は猛烈に噛み付いた。日曜の深夜、それも大阪ローカルの放送なのに、同局の全番組から広告を引き上げ、「原発がいかに安全か」という講習を局幹部が受けるようねじ込んできたのだ。

 馬鹿げた話だが、各地域の電力を独占供給する電力会社は、意に沿わぬ学者やメディアを徹底的に締め上げ、一方で御用学者や御用メディアに甘い汁を吸わせてきた。』

 またご案内しますが、今度の8.6、中沢啓治さんをお迎えして行う平和集会では、その六人衆のお一人、小林圭二先生をもお迎えします。小林先生は、一昨年の会にも来て原発のお話をして下さいました。今年の会にお願いしたのは震災の前だったのですが、こうなると、小林先生のお話もとっても楽しみです。 

 小出先生のYouTubeが送られて来ました。転載転送自由とのことですので、私も転載させていただきます。

福島原発事故の現状について 京都大学原子炉実験所小出裕章先生に聞く
【福島原発】2011/4/12/最悪の「レベル7」引き上げの意味
http://www.youtube.com/watch?v=ruTVbPCGAxw
私は今日の休診日は岡山の高校に行きます。高校の新入生300人にお話しをします。震災で多くの命が失われた今、再度命を考えてもらえるような話をしたいと思います。

 


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「電車内被爆者米澤さんのお話を聞く会」

 傷ついた人の心をさらにえぐるようなことを言う人がいます。昨日は、その言葉に眠れなく、もんもんとしました。私でさえそうなのだから、豊田さんや秋葉さんやその周囲の方たちはいかばかりかと思います。かく言う私も、豊田さんに会うと、心からの謝罪の言葉がなかな言えなくて、何か言えば言うほど、彼女を傷つけてしまったのではないかと後悔しています。しんどいことばかりです。

 心をよく知り合った人たちのみと付き合えれば、どんなにか心地いいかと思います。そうはならないのが人生なのでしょうが・・・。

 さて、以前にもご案内しましたが、今度の日曜日、電車内被爆者のたった一人の生き残り、頑張って証言活動をしていらっしゃる米澤鐵志さんの証言を聞く会を開きます。

Img205

 主催は「平和の夕べ実行委員会」です。私たちは、三年前から毎年8.6に集会を開いています。その関連行事として、8.7に被爆電車に乗り、そのあと平和記念資料館東館地下で米澤さんのお話を聞いています。いつも超満員の人で、はみ出してしまいます。

 私は、米澤さんとお付き合いする中で、その薀蓄、包容力、生き様に感嘆します。特に、医師であったお父様との、戦後の運動をめぐっての軋轢のお話しがとっても面白かったです。

 今回は、その米澤さんのお話を聞く会を、8.6、8.7だけでなく、今の時期に開くことにしました。この時期に行って、どれだけの方に来ていただけるのか、全く分からないのですが。もしかすると、ほんの少数かも知れません。それならそれでも意味があることと思って行います。ぜひ多くの方のご参加をお待ちします。

 8.6の平和の夕べは今年は「はだしのゲン」の中沢啓治さんをお招きして行います。そのチラシがもうすぐできますので、またご案内しますね。


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原発・週刊誌。

 豊田さんは、昨日秘書の方と一緒に挨拶周りをしていると聞きました。えらい!そしてたくましい!と思います。私も、お世話になった方たちに主に電話で、行けるところには直接に行って御礼とお詫びをしています。いろいろな方たちから、今後の提言を戴いています。ありがたいことです。

 そして夜には韓国語の教室に行きました。一月以上休んでいます。先生に、

「今日は私は見学にさせて下さい。教科書もどこまで進んでいるのかわからないし、宿題も。それに、私の頭からは韓国語がほとんど消えています。アンニョンハセヨくらいしか残っていません。」

と言ったのに、先生は「大丈夫です。一緒にやりましょう。大丈夫、大丈夫」と言われます。私は大丈夫ではないのに。

 そして、長い文章を読んだり約したり。そのうち、段々と頭が戻って来ました。これからは、しっかり宿題や自習をしようと思います。ゴールデンウィークにはソウルに行くつもりでいます。そのときにはガイドさんなしで動けるようにしないと。

 それに、久しぶりに週刊誌を買っています。地震や原発について、テレビや新聞には出せないことや写真が沢山載せてあります。特に原発が知りたくて。そして、案の定、原発についてテレビでしゃべっている学者さんたちの人脈が出ていました。ただちに、健康に影響はないとばかりいい続ける学者さんたち。それなのに事態は悪化するばかりです。原発をめぐっては、東京大学を中心とした人脈、原発推進派の人たちで固められています。みんな仲間うち。原発の危険性を指摘したり反対する学者は、隅に追いやられていく構図が、はっきりと読み取れます。

「原子力分野では、東大工学部と東工大原子炉工学研究所、京大原子炉実験所の科学者達が3大勢力です。京大には原発の危険性を訴えている研究者グループもいますが、彼らは昇進やポスト配分などで冷遇されていて、テレビ局なども敬遠しています。原発推進派の研究者でないと研究費もつかないし、電力会社からの寄付ももらえない・・・。(全国紙科学部記者)」(週間現代から)

 そして「NHKに出ずっぱりの関村直人東京大学大学院工学系研究科教授、その研究科には、東電から「寄付講座」名目で約10年にわたり合計5億円ほどの金が流れている。」

「その研究科で原子力を専攻した人たち。その中にもヒエラルキーがあって、最も成績が良く、教授からの受けがいい人間が大学に残る。次は日本原子力研究開発機構(旧・動燃)のような政府系研究機関に行く。3番目が日立、東芝、三菱といった原子力プラントメーカー。4番目が電力会社で、最後が経産省や文科省の役人になる。・・・」これは医学の世界でも同じことなのですが・・・。

 私たちは、情報が欲しいのです。操作された情報ではなく、すべて。もしも最悪のことになったらどうなるのか、その時にはどの地にいる人はどういう行動を取ればいいのか、それも含めて知りたいのです。


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みなさま、ありがとうございました。

昨日で大きなできごとが終わって、今日から日常の生活に戻っています。
皆様には本当にお世話になりました。数々の励まし、応援、ありがとうございました。
わたしたちにとって、とても残念な結果になりました。これも民意、ひろしま市民の選択ですので、素直に受け入れるしかありません。

心配なのは、豊田麻子さんです。私たちの要請を、悩んだ末受け入れて立候補を決意して下さいました。私たちの力不足で、結果的につらい思いをさせることになってしまいました。まだまだ私たちですべきことがいっぱいあったのにと後悔ばかりしています。
勝手なことを言うようですが、 彼女はまだ若く、才能に溢れた人です。どうぞ、今回のことをプラスに転化して、これからの人生を豊かに生きてほしいと思っています。

私たちは、これからの広島市をチャンとウオッチングして行きたいと思います。何しろ、ひろしま出身だと言っても、18 才で広島から出て、広島では一度も働いていない人です。わからないことだらけでしょう。
昨夜、NHKのインタビューを見ていました。広島の活性化は協議会を作ると言われました。「7つの選挙区ごとにどんな事をしたいか出してもらいます。」と。夫と思わず顔を見合わせました。「どの区を外すんじゃろう」と私は言いました。夫は「いや、知らないんだと思うよ。」と言いました。広島の選挙区は8区です。びっくりです。

いえ、こんな揚げ足を取るような事ばかりを言うつもりはありません。ここにいる人たちに恩返しを、と言われると、またまたエエーツです。その恐れは十分にあるでしょうが。

改めまして、皆様に感謝とお詫びを申し上げます。

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いいお天気です。

2011_04100002  いいお天気ですね。真っ青の空。満開の桜。平和公園はお花見の人々で大賑わいです。

 こんな日は投票率が下がるそうです。これからの広島県、広島市の四年間を決める大切な選挙です。どうぞ、多くの方が投票されますように。

 もう、結果については広島市民や県民が選ぶこと。それに素直にしたがって、これからの生活をすることですね。

 わたしは明日から日常に戻ります。一月お休みしていた「韓国語」の教室も「はだしのゲンを英語で読む」教室も明日から行きます。きっと、ずいぶん進んでいるでしょうね。

 もともと劣等性の私ですが、ますます輪をかけて、とならないように頑張らなくっては。

 ブログも本当に書きたいことが書けない、なんだか不完全燃焼でしたが、また元に戻れるでしょうか。皆様のコメントにもお返事を書かなくってすみませんでした。今日から、さかのぼって補っていきますので、どうぞお許し下さいませ。

410  投票場で姉親子とバッタリ。同じ時間に行っていたのです。帰りに一緒にモーツアルトに入りました。本当に久々にブランチです。735円。食べきれないので、ゆで卵は持って帰りました。

 


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桜。

 テレビを見ながら、ついうとうととし始めたとき、携帯電話が鳴りました。娘からです。「また、すごーく揺れたよお」と。彼女がいる古い建物の9階は、とてもよく揺れるそうです。東京にも関わらず、前回は家の中がぐっちゃぐっちゃになったと。今も毎日余震で揺れない日はないけれど、今回の余震はまたとっても大きかったと言います。帰って来るように言っても、やはり猫二匹と一緒には帰れないからと言います。

 今日は娘の誕生日。あの日、早産してしまって、保育器の中の小さな女の子を見ながら情けない思いをしていた時に、夫が桜の枝を一枝持ってきてくれました。遠い日ではありますが、あの時の気持ちや情景、満開の桜の枝の姿は、つい先日のように心に残っています。 

 季節というのは本当に不思議なもので、また広島は満開の桜です。娘には、「ご馳走でも食べなさい」と誕生日祝いを振り込んでおきました。なにかプレゼントを送っても、好みがさっぱり異なって、あんまり喜ばれないことが多いので、ここのところ、もっぱらお金です。

2011_04080005  昨日、時間の隙を見て、kei.先生のお茶とお花を楽しむレッスンに行ってきました。大きな桜の枝はとても扱いが難しく、まとまりません。クリニックに持って帰っても、大きくて飾る場所はベランダです。忙中閑あり。少しほっとしました。

 ここのところ、家に帰るのは深夜です。それももう二日で終わります。頑張らなくっては。


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秋葉市長のお見送り。

 昨日、中国新聞文化センターの「更年期を上手に乗り切る」の初回の講座でした。結局受講者は19人になりました。スライドだけでなく、いろいろと資料を精一杯用意して行きました。ところが、入り口が分からず、あっちうろうろ、こっちうろうろ。やっと着いたのが時間ギリギリとなってしまって、受講される方にはとりあえず、御自分の更年期度のテストをしていただきながら、スライド準備などをするという、結果的にバタバタしてしまいました。反省です。

 それを無事終了した後、今度は退職される秋葉市長のお見送りのために、平和公園に行きました。みこし連集合と電話をしたら、次々と広がったのでしょう。80人の支持者の方たちが集合場所の原爆資料館の下に集まってくださいました。資料館周辺にお勤めの職員の方たちと共に、市長さんが車で着かれると、拍手です。Nさんが、でっかい声で「世界に誇れる秋葉広島市長!」と叫び、それに続いて「ア・キ・バ・ア・キ・パ」とみんなで呼びながら慰霊碑へついて行きました。四年前の市長選挙の時に本通りをこうして歩いたものです。これが最後のアキバコールです。

2011_040700072011_04070008  献花の後、集まった方たちに「皆さんに支えられた12年間でした。」と挨拶をして下さいました。

 帰られる途中、ちょっと足を止めて。こうしてあらためて見てみると、圧倒的に男性が多いですね。写真からはみ出してしまった方たち、ごめんなさい。

 これで、「みこし連」も終了です。あらためて解散会はしますが、きっとまた大勢の方たちが集まってくださるでしょう。


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秋葉市長最後の日。

 今日は秋葉広島市長の任期最後の日です。

 秋葉市長をかってに応援して来た「みこし連」も、秋葉さんの政界引退で解散です。いつか近いうちに解散の会を持つつもりでいます。今日は、秋葉さんを市役所で退所されるのを見送りしようかとも考えたのですが、それは市役所の方たちの仕事でしょうね。

 それで、別の場所でみんなでお迎えすることにしました。その様子はまたご報告しますね。

 みこし連は、1989年、秋葉さんが初めて衆議院議員選挙に立候補されるときに、里吉製作所の里吉さんが言いだしっぺでかってに作られました。以後、新しく参加する人もあり、亡くなる人もありましたが、22年間、絶えることなく不定期に活動してきたものです。

 秋葉さんの突然の不出馬表明で、私たちは呆然としました。きっとまた立候補されると思っていましたので。オリンピックのことや西飛行場のことで秋葉さんの反対派の議員さんやマスコミに散々叩かれても、まだ支持率は高い、立候補されれば当然当選すると思っていました。

 不出馬表明についても、今度立候補したら落選すると考えたのだろうと言う人もいました。でも、今回の市長選挙で、「秋葉市長の市政を評価するか」の問いに、どこのマスコミも「評価する」が60%を越えていました。

 やっぱり見る人は見ていたのだと思います。争点とかってに作られたオリンピックや飛行場や旧市民球場の跡地のことではなく、秋葉さんのこれまでの市政そのもの。何より財政再建。旧制度の入札を電子入札とすることにより、徹底して談合を排除。その結果、落札率を劇的に下げることが出来て、市の財政に大きな貢献をしています。

 一方、福祉の充実。私は診察室で、日々、広島市内外の方と向き合っています。医療へのサポートが全然違うのです。がん検診、妊婦健診、住民検診・・・。市外の方に気の毒になるほど手厚くされているのです。

 先日、市長選にむけて、みこし連の方にお声をかけました。急だったので電話で召集したのですが、多くの方がはせ参じて下さいました。みんな手を取り合い、抱き合い、笑顔、笑顔で再開を喜んでいました。秋葉さんの不出馬表明で、胸を痛めていた人たちです。会場一杯の人たちを見ていて、ああ、集まっていただいてよかったと思いました。選挙での意志一致も出来ました。

 今日は平日で仕事のある方もいますので、どれだけ集まっていただけるかは分かりませんが。また笑顔で秋葉さんをお迎えしようと思います。

2011_04060003 2011_04060002 お昼時間に平和公園でお花見です。今年は、広島市文化交流会館(旧厚生年金会館)のお弁当にしました。三段の豪華で丁寧でおいしいお弁当、1800円でした。私は一度には食べきれないで、半分は晩御飯にしました。大満足でした。


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全国大会の中止の知らせ。

 昨夜、突然飛び込んできた知らせ。今年の夏に予定されていた性教協の全国セミナーが中止、延期というものでした。びっくりです。今年は性教協30周年。その記念大会で、様々な企画が用意されていました。私も、「政治と性教育」の講座を一つ持つことになっていて、その準備がなかなか大変だと心していました。それの突然の中止の知らせです。

 会場は、埼玉。その予定していた会場は、今回の地震で壁にひび割れが入ってしまって、しばらく使用中止となったそうです。それに、多くの学校や施設が、震災の避難所となっていて、その対応も大変だとのことでした。いろいろと用意されていた医学界の学会も、中止の知らせが沢山来ていますが、性教協もそうなってしまいました。

 かわりに冬に東京でするとなったそうです。

 私は、夏の本来行われる予定だった日の一日前には、大分での会が入っていました。それから、すぐに埼玉に移動、なかなかきついスケジュールだと覚悟をしていたのですが、これでゆっくりできることになりました。

 大分では、性教育指導者セミナーが行われます。そこで、また、例の性教育に取組んでいる産婦人科医の集まり、避妊教育ネットワークで 演劇をすることになっています。以前、千葉のディズニーランドのホテルで同じメンバーで演劇をして、大喝采を浴びたことがあります。私もセーラー服のミニスカートの高校生になって。でも、今回は私は妊娠した高校生の母親役です。大分弁で夫と言い合います。診察室で、産むだのおろせだの、大騒ぎが起こります。台本もみんな仲間のドクター達が作りました。

 埼玉の会が中止になったのは残念ですが、これで心置きなく大分での演劇が出来ます。性教協の全国セミナーは、冬に頑張ることにしましょう。

 その中止の知らせは、東京の先生からでした。いまでも毎日余震で揺れる、と。本当に大変だと思います。それに、原発もいつどうなるか分からないという、怖さも重なっています。それに比べ、こちらは日々何もなく過ごすことが出来て、ありがたいことですが・・・胸が痛みます。


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お花見。

2011_04030011  3日の日曜日、平和公園でお花見をしました。まだ川岸は寒く、桜は2分咲きというところでしょうか。

 毎年このメンバーで集まって同じところでお花見をしています。新聞社やテレビ局などのOBが中心となって、異業種のメンバーも加わった面白いメンバーです。

 でも、今年はメンバーが一人欠けました。昨年のお花見にはとても元気でお話しをしていた方が、この三月に亡くなってしまったからです。

 私たちは、お花見は取りやめようかとも話しましたが、彼を偲んでのお花見をしましょう、となりました。乾杯ではなく、「献杯」。彼との思い出をみんなで話し、男性の多くが涙を流しました。私は途中で退席しましたが、話はこの広島の、また日本の行く末にまで及んだとのことです。

 私もみこし連も、ずいぶんお世話になった方が、皆さん、次々と亡くなってしまって寂しいことです。

 先日来お話ししている、中国新聞文化センターの講座「更年期を上手に乗り切る」五回シリーズが、今週、あさってから始まります。受講申し込みが7人もあると聞いてびっくりしたのですが、なんとその後17人もに増えたとの連絡を戴きました。あらためてびっくりです。それだけ悩んでいる方が多いということでしょうか。

 これも、先日配られた「リビング」で膀胱炎の特集のお手伝いをしました。普通の膀胱炎に加えて、高年の方の膀胱炎、ホルモンがなくなってしまったために膀胱粘膜が薄くなって、炎症を起こしやすいこと、単に抗生剤ではすぐに繰り返してしまうことなども、ちょっと付け加えたのです。そしたら、高年の膀胱炎の方が沢山来られて、びっくりしました。それも、これまで何年も悩んできたと。これまであまり語られてこないで、カゲに追いやられていたことにひそかに悩んでいる女性が多いことを痛感しました。

 五回のシリーズでは、体の基本を知ることや、パートナーとの会話・自己表現の仕方のレッスンなど、楽しくやれるように資料の準備をしています。私自身、診療の場では、どうしても会話が限られてしまいますので、女性たちとじっくり話しができるこの講座をとても楽しみに張り切っています。


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ありがとうございました。

 昨日の誕生日、多くの方からお祝いのメッセージ、本当にありがとうございました。お一人ずつのコメントを読みながら、年甲斐もなく嬉しく思いました。

2011_04030007 クリニックのスタッフからのプレゼント、外反母趾の矯正の靴下です。診療しながら、早速はいてみると、足がとても痛くて。痛いということは、効いているということでしょう。しばらく履き続けてみます。私の体を気遣ってもらって、ありがたいことです。

 いろいろとお花も戴きました。バラやチューリップやブリザードも。これも嬉しくって。感謝です。

 昨夜は、 集会をしたりしたので、遅くなりました。ご飯は誕生日だから外で、とのつもりでしたが、遅くなってお店が閉まってしまってました。結局やまとの湯に行く途中のかつ屋さんでの食事となりました。夫は並のカツどんで、私は並のかつカレーで、二人合わせて1030円と、まことに安上がりで余りおいしくない食事でした。冴えないことです。

 でも二日前の木曜の休診日に、姉とランチに行きました。一度行ったきり、日ごろ行きたいと思いながら、なかなかいけないままになっていたZUCCOTTOさんです。震災以来、抽選で当たった海鮮丼以外は、食べたものの掲載は控えて来ましたが・・・。実は、ここのところ、昼はカップ麺ばかりで過ごしていたのも理由のひとつです。これが私の誕生日のご馳走と思うことにいたします。

 お昼の込み合った時間で、予約もしないで行ったのですが、ラッキーにもカウンターにすわらせて戴きました。

2011_04030002  素敵なお皿の前菜。どれもていねいに美味しく作られています。

 パスタは、私は「濃厚ごまクリームソース、香る油で生パスタ」。姉は、前回私も戴いた一番人気の「ウニクリームとルッコラの幸せパスタ」にしました。具が沢山入っていて、ゴマソースが香ばしくて美味しかったです。

 それに、姉はコーヒーのみ。私は、デザートとコーヒーです。私は、デザートを食べずにおれましょうか・・・。たとえパスタをたべなくとも、デザートは絶対に戴きたいのですね。

2011_04030003 2011_04030004  本当に美味しく頂きました。ZUCCOTTOさま、ご馳走様でした。黙って行って黙って帰ってすみませんでした。

 それにどうしてというほどお安くて。私のクリニックの近くに出来た有名店より、うんと美味しくて素敵だと思います。


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誕生日。元気であることに感謝です。

 二日にわたって紹介した「原爆市長」。これは昭和42年に朝日新聞社から出版されました。その後絶版となりましたが、2006年、平成十八年、ご家族や協力者の方々の手により復刊されたものです。が、これは非売品となっていて、市場では売られていません。私はたまたま親戚である先輩のドクターから戴きました。こんな貴重な本を戴いて、本当にありがたいことでした。

 この本を読みたいと言う方のコメントを戴いていますが、どうしたら手に入るか尋ねますので、少々お待ちいただきたいと思います。

 売られていないものをご紹介して、無責任だったかな、と反省しています。ただ、こんなときに読み返してみると、本当に今の状況にこそ読まれていい本だと感じています。

 さて、今日は私の誕生日で、広島ブログに告知されていて、恥ずかしいことです。この年になると、誕生日は全然嬉しいことではありませんが、でも、今まで生きてこられて、そして元気に活動できることをありがたいことと感謝しなければ、と思います。

 あれだけ焦土の広島の復興のために尽力された浜井市長は、62歳で突然心筋梗塞で倒れて亡くなっています。

 私は今、市長選挙でのんびり誕生日を過ごすことは出来ません。

 選挙といえば、またいわゆる怪文書が撒かれていることを知りました。それも、全くあり得ない大変えげつないことをあたかもあったことのように書くというのは、以前の選挙の時にもあったことです。一時収まっていたのに、また今回の選挙で同じようなことが行われています。本当になさけないことです。

 多くの有権者は、書かれていることを信じるはずがないと思います。こんなことを撒く陣営は、よほどあせっているのでしょう。また、ブログでひどい中傷を書く人たちもかわいそうな人たちです。こんなことに心痛めることがないように、頑張らなければ。でも、負けずに名誉毀損で訴えることは可能ですので、それも検討して欲しいと思っています。


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「原爆市長」続きです。

 昨日に続いて、「原爆市長」のほんの一部ですが、転載します。

 『おそらく、広島市歴代の市長で、木原市長ほど苦労した市長はいなかったであろう。市長はしばらく、いまの第一助役室で執務していたが、私が助役に就任して、市長室に移った。どの部屋も例外なく、ドアもなければ窓枠もなく、焼けただれたままの部屋であった。でこぼこのコンクリートの床、その部屋のまん中に、ありあわせの小さな机と椅子をおいて、市長は腰かけていた。

 あの年の冬は、庁舎を修理する財源も、資材もなかった。文字通りの吹きっさらしで、市長室にも助役室にも、吹雪が真っ白に吹きだまった。まして他の各課の事務室にいたったは、役所などというようなものではなかった。

 暖をとる木炭もなかった。焼け跡から拾い集めた木切れを燃やすので、市内はどこも煙でいぶり、真っ黒になった。けむたくて涙腺をやられ、目ただれのようになった吏員がふえた。

 助役室の窓からは、大手町あたりの焼け跡に、点々と小屋が見えた。どの小屋も焼けトタンで囲ってあった、人間の住まいとは思えない小屋であった。私は、その小屋を見ながら、ああ、あそこにも悲惨な生活がある、とややもすれば挫けそうになる自分の心にムチを打った。』

 『季節の歩みは正確であった。中国地方の雄都「広島」が、つい数ヶ月前までここにあったーーとは、とうてい信じられないような、新しい廃墟にも春はめぐってきた。

 そういうある日、爆心地に近い国泰寺の大楠木の根元に、黒山のひとだかりがした。焼け残ったこの老樹は、一枝の葉もなく、枝も幹も黒焦げになって、かろうじて立っている様子であった。その根元から一メートルほどのところに、青い双葉の小さな芽が一つ、ぽつんと出ている。

 「あッ!芽が出ている!」

 通りかかった一人が発見して声を上げた。そばを歩いていた人たちがかけよって、楠木の根元を取り囲んだ。

 「ほんと!ホラ、青い芽が・・・・」

 中には、その薄茶色がかった青い一穂の芽を、なでさすらんばかりにして、涙ぐんでいる婦人もあった。

 七十五年間、草木も生えぬーーといわれた原爆砂漠に、一年もたたぬ翌年の春、こうして青い芽が吹いたのだ。それを見た感激の大きさ、それは被爆者ーー広島市民でなければ、とうてい理解できないことかもしれない。この一穂の芽は、市民たちに安心感と希望をよみがえらせた。陽気のせいばかりではない、市民の表情は明るくなり、活気がみなぎってきた。

 春が過ぎて、夏が近づくころのことであった。宇品の柿原政一郎さんが役所へ来て、

 「もうそろそろ、復興事業にとりかからねばなるまいが、それに着手する前に、一度公式に、戦災死没者の供養をしなければいけない。いまだに市中には、幾多の死体が瓦礫の下に埋まっているはずだ。その死体の整理と、犠牲者の供養をしないで、復興事業に取り掛かることは絶対に避けなければいけない」

 と、強い申し入れがあった。まことにもっともな話であった。考えてみると、その頃まで私たちはまだ戦災死没者をおがむ中心さえ持っていなかった。』

 読めば読むほど、今の震災の姿と重なります。また、市長選挙とも・・・。


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