8.6ヒロシマー平和の夕べーより。
診療のかたわら、性教育の大会や平和の夕べなど、いろいろと取組んできて、一応終了しました。ほっとして、気が抜けてしまって。ふと気づくと、ブログは書いてない、皆様のブログも訪問していない、これはいけないと、久々にパソコンの前に座っています。
8.6の集会には、多くの皆様にいらっしていただいて本当にありがとうございました。今、つらつらと思い返しながら、感動を新たにしています。
集会には、全国の方が駆けつけて下さいました。高史明さんのファンの方が、東京からも何人も来てくださって、改めて高さんの人気の高さも知ることができました。
集会では、池田精子さんにまず話していただきました。
高等女学校一年生、12歳の時、学徒動員で作業中に被爆。ひどい火傷を負って、家にたどり着くまでの話。その後生死をさまよいながらも、両親の懸命の看護で奇跡的に生き延びたこと。でも、顔にひどいケロイドが出来、学校に行きたくなくなったこと。心も深い傷を負ったものの、ある日お父さんの話を隠れて聞いていて、父親の自分への深い愛を感じ、なんとか立ち直ったこと。その後、アメリカで原爆により顔にケロイドを負った女性たちの手術療法の技術を学んでこられた原田東岷先生の手術を15回も受けて、顔を取り戻したこと。それから、今の語り部の活動について、核廃絶への願いなど、30分あまりの時間、凝縮して濃く話してくださいました。
私は、池田さんの話を聞くのは4回目でしたが、それでも、涙なしで聞くことはできませんでした。
続いて、沖縄から来てくださった知花昌一さん。戦中のみならず、戦後今だに沖縄の人たちに戦争の犠牲を押し付け続けている私たちに、静かに怒りを語って下さいました。
私が彼の存在を知ったのは、もうずっと以前、1987年、国体のソフトボール会場で、日の丸を引き降ろし焼き捨て、逮捕されたというニュースででした。そのすぐ後に、沖縄に性教育の講演に行ったとき、知花さんの中学時代の担任だったという先生に出会いました。彼によると、中学時代は、おとなしい目立たない少年だったと。それが、その後、高校に行き、大学で学ぶ中で、思想を鍛えられたのでしょう、と、その先生はおっしゃっていました。
そのおとなしい彼が、今、読谷村の議員であり、「象のオリ」の地主として戦い続けるなど、闘士として活動しています。その口調は柔らかくて、静かなのですが、今、内に重大な決意をこめていることも語って下さいました。沖縄の人たちの孤独な戦いにしてはいけないと、私たち自身が、沖縄をどうしたらいいのか、考え、行動しなければ、と改めて思いました。
そして、いよいよ高史明さんでした。
今年は韓国併合100年、被爆65年の節目の歳でもあります。その節目に最もふさわしい方である高さんが来てくださることになりました。
私は、この会の司会を引き受けるに当たって、高さんの本を何冊か読みました。それまで私が読んだのは、「ぼくは12歳」のみだったのです。その多くの著書は、佛教哲学に深く根ざし、難しいのもありますが、でも、一貫している、人々への目線の優しさに心打たれました。
講演は、多くの人の著書を引用しながら、淡々とそして鋭く近代史と「人間」、「いのち」を語ってくださったと思います。夏目漱石、石川啄木、福沢諭吉、朝永振一郎、サン・テグジュベリ(星の王子さま)そして何より親鸞、さらに12歳で亡くなった自分の子、高真史君の詩など。
言葉、数学、物理等で命が切り刻まれる今、この社会をどうすればいいのか、私たちのなすべきことは何なのか、自然に浮き上がって来ました。
そのお話しは、高先生の最新刊、「月愛三昧 親鸞に聞く」に含まれています。これは、900ページ余りの分厚い本で、これまでの高先生の集大成とても言える本であると思います。
これについて、また集会のあとで開かれた交流会のことなど、明日、もう少しお話しますね。
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ぜひ、覗いてみてください。
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コメント
残暑お見舞い申し上げます。。
時々拝見しています。
精力的に活躍されていて
すばらしいなと思っています。おつかれさま。
来週、地元の戦争展で、
歌のコーナーで、ヒロシマ、ヒロシマの有る国で
青い空はを歌います。そのほかはみんなと一緒に。。微力ですが、できることをと思っています。
お身体たいせつに。
投稿: みえこ | 2010年8月 8日 (日) 11時25分
みえこさま
コメントありがとうございます。戦争店、盛況でありますように。私は、今週、大分に帰ります。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2010年8月 9日 (月) 08時08分