« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

これからの講演・韓国語検定試験など。

 本日で、夏休みも終わりです。新学期の始まりと共に、怒涛のごとくの講演が控えています。またまた、あっちこっち走り回ることになりそうです。今週の木曜日の京都での講演から始まります。宝塚だけでなく、佐賀、大阪、岩手、富山など遠くもあってうろうろします。

 10月に倉敷で開かれる「日本性科学連合 性科学セミナー」での講演、11月の熊本で開かれる「日本子ども虐待防止学会学術集会」でのシンポジウム「「こうのとりのゆりかごを巡る諸問題~これまでと、これから~」のシンポジストとしても招かれています。

 それはとてもありがたいことなのですが、それぞれレジュメの提出があって、それにとても時間がかかりました。日ごろの診療をしながらですので、しんどいことでした。

 このごろ、とても怠け者になっていて、家に帰ると、何もしたくなくなります。でれっとしてしまって。私の勉強部屋のクーラーが故障していることもあります。つい、居間のテレビの前に座り込んでしまいます。そしたらそのうち、眠くなります。

 9月12日には、韓国語の検定試験があります。レジュメを仕上げたので、さあ、今度は試験勉強!なのですが・・・。検定に受かるのは、絶望的ですね。でも、前回申し込んでおきながらスルーしてしまったので、今度ばかりは、そんな無っ細工なことはできません。できなくとも何でも、とにかく受験はしなければ、と思っています。

 今年の10月で韓国語を習い始めて3年になります。自分では、少しずつ力もついてきたな、と思います。ドラマを見ていても大部会話が分かるようになって来ました。(今、「僕の妻はスーパーウーマン」が面白くて。でも後一回で終わりです。)それでも、試験となると、とても難しくて。特に、作文なんて、問題が分からなかったら、どうしよう、なんて思っています。前回は「週末にすること」だったのだそうです。「家族のこと」とか、「自分の仕事」とか、「私の友だち」とか、思いつくテーマを自分で立てて、練習しておこうと思います。

2010_08220001 今も一日おきに行っている「やまとの湯」での台湾の「 冰冰花」、マンゴーのカキ氷です。マンゴーもたっぷり、練乳もたっぷりです。時々ここでの宇治金時を夫と二人で一つ食べるのですが、これからしばらくは、こっちになりそうです。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

海外で医療を受けた場合、お金が補填されます。

 この夏、海外旅行中、外国での事故がいくつかありました。その時の医療費について、ワイドショーなどでまたいろいろと報道されていました。

 海外では、健康保険が効かないから、旅行保険に入っておかないと大変だというものが主流だったように思います。

 以前もお知らせしたことがあるのですが、海外での医療についても、各健康保険は適応されるのです。国民健康保険でも、いわゆる社会保険でも。

 昨年、広島車いすダンスくらぶのメンバーの一人が、釜山で救急医療を受けなければならなくなりました。入院も必要で、医療費は高額となりました。

 帰国した後、海外で罹った医療費の7割が健康保険で補填されるということが分かったので、手続きをしました。そのお金が、ほぼ7割返って来ました。その制度はまだ余り知られていないようなので、もう一度お知らせしますね。

 海外に出かける時には、あらかじめその書類を持っていった方がいいのです。国民保険の人は国民保険の、社会保険の人は社会保険の、それぞれ書類が用意されていますので、それを一度もらっておいて、何回でもコピーをして使えます。

国保の人は、この書類をプリントすればいいのですし、社会保険でも、パソコンでダウンロードできます。この、国民健康保険海外療養費申請添付書類のすべてをプリントされますように。とくに、国際疾病分類表が必ず必要となります。海外のドクターは、日本語はわからなくても、英語はまずできるでしょう。

提出する書類は次のごとくです。

1.療養費支給申請書
2.国民健康保険被保険者証
3.診療内容明細書(FormA)
4.領収明細書(FormB)
5.診療内容明細書、領収明細書の日本語訳
6.医療機関に全額治療費を支払った領収書
7.世帯主名義の口座が確認できるもの(郵便局以外)
※3、4は診療先で記入

この3.4.が問題なのです。これを医療を受けた病院で帰国前に記入して頂かないと、後からではとても大変です。釜山には、韓国語のできる方、私の韓国語の先生にクリニックに来て戴いて、釜山の病院と書類を書いていただくように電話で交渉して頂いたのですが、どうしても理解して頂けなくて、と言うか、前例がないということで、分かって頂けませんでした。ですが、釜山ですので、日韓親善協会の方が釜山の韓日親善協会にお願いしてくださり、そこのご尽力で書いて頂くことが出来ました。

 以来、私も海外に行くときには、書類を持って行くようにしています。そうそう、歯科の医療も適応されますよ。旅行先で歯が痛むことはありえますので。

 それから、独自に入った海外旅行保険とは別物ですので、それはそれで申請されればよいのです。国保や社保では、日本の保険で受けられる医療のみの補填です。たとえば、交通費とか、個室料などは保険では補填されませんし、7割の補填であっても、高額の場合は3割でもとても高くなることがあります。それらを自分で入った旅行保険で補填してもらえば助かります。

 以上、お知らせしますね。

2010_08280015 27日の金曜日、kei.先生のお花のレッスンでした。久々にビデマイヤーです。私はどうも大きく作る癖があって、隙間が開いてしまいました。性格でしょうね。この後、修正をして、ちょっと小ぶりに作り直しました。カーネーションも菊もかわいい色で、気に入っています。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

広島車いすダンスくらぶの公演でした。 

 昨日は、色々なところで、いろいろなイベント盛りだくさんの日でした。私は、一日中診療です。土曜日はとても患者さんが多いので、どこかのイベントに行くのは、とても無理なのですが。

 クリニックの向かいの県民文化センターでは、広島車椅子ダンスくらぶの公演でした。午後三時から。私の午前中の診療が終わったのが、丁度午後三時。午後の診療を三時半からとさせてもらいました。五分で昼ごはんをかっ込んで、県民文化センターに飛んで行きました。ちょっとだけでも見たかったのです。

 行くと、すぐに丁度開演でした。

2010_08280018 この、皆さんのオープニングになると、すぐにもう涙が出てきます。すぐから感動的なのです。

 これに続いて、どんどんとダンスが繰り広げられます。車椅子の人と、健常者と。そこに繰り広げられるのは、素晴らしいプロのダンスの世界です。みんな鍛え抜かれています。

 車椅子を自分で動かせる人は、くるくるくるくる回って、華やかです。

2010_08280019 2010_08280020 片手で車椅子を動かすのは、容易ではありません。観客の目からは、ただただ美しく舞うように見えるのですが、実は、すごい訓練をしたことが伺えます。

 進行性の筋無力症の彼、ハラハラして見ていましたが、大丈夫。力強く踊ってほっとしま      した。2010_08280024

2010_08280023                    下半身麻痺の人たちは、両足を大腿と足首のところで、しっかり縛っています。お客さんには、 そんなところは微塵もみせず、ただひたすら、美しく、力強く、そして楽しく踊っています。

 いつも、その笑顔が人を楽し2010_08280026 くさせる大ちゃん、動かない左手は、しっかりと胸に固定されています。彼はベテランで、右手だけでの車椅子も自在に激しく動きます。彼の笑顔は、昨年の釜山でも大人気で、次々と施設の子どもたちがタッチをしていました。

 私が見れたのは、ここまでです。残念。三時半で、診療に戻りました。

 広島車いすダンスくらぶは、今年は韓国の大邱で公演です。ついて行きたいけれど、今年は私は無理です。

 車いすダンスくらぶのメンバー、公演を支えた多くのボランティアの方たちに拍手です。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ある不器用な男の話・つづき。

「ああ、そうそう。10万出したと思うよ。20万貸してと言ったのを半分だけ出したと思うは。」 

「電話があったんじゃ。借りた金を返すと。僕は電話があった時びっくりしてのう。何年も姿を消した後じゃけえ。久々にまた金を貸してくれ言うんか思うて。そしたら、金を返す言うんじゃ。どうしようか?あんたの、そこに返しに行かすけん。いつ行かそうか?」

「いやあ、返してくれるんじゃ。それはすごい。でも、ここには来なくていいから。あなたが預かってよ。それで、あなたがいつか持ってきてよ。」

 次の日、彼がお金を持ってきてくれた。

「はい、これ。10万じゃなくて20万じゃと。あんた背広も買えいうて、出したんじゃろう。」

 その後、姉が借用書を見つけてくれたら、やっぱり20万だった。彼の記憶力は正しい。

 男は、その後ちゃんと就職してまじめに働いていると。借金をこつこつ返して、これで最後だそうな。何千万もの借金だと。初めにサラ金から返したと。それから、彼に一番投資して、そして亡くなってしまった友人がいる。そこには、二年前に、サラ金の次に真っ先に遺族に返しに行ったと。

「奇跡じゃ。」

と私は言った。彼が働いている。そして、多額の借金もコツコツと返してしまったと。

「私も自分がお金を返せるとは、思っていませんでした。自分にこんな仕事ができるとも思っていませんでした。」

と、友人に語ったと言う。医師免許をとってはいても、研修も何も受けていないのにと。

「でもね、その分野だけでも初めから習ったら、それが研修なんよね。頭はいい人なんだから、仕事も覚えるわね。」と私。

 彼は、いろいろと診てあげて、見つけたことも患者さんに一生懸命話をする。そしたら、その雇い主は、彼だと時間がかかり過ぎるからと嫌がられると。でも、患者さんからは、そこに行くと、丁寧に診てくれて色々と教えてくれると、けっこう評判がいいのだと。

「ああ、それなんよね。そうして人とつながって、人にも喜ばれるということが、彼の喜びになればね。これまで、ずっとずっと孤独だったんじゃろうから。家族もいないし。一人なんじゃもんね。」

「そうなんよ。それで、これで借金は全部返して、これからはちゃんと今後のために金をためとけよ、言うたんじゃ。だって、年金なんて何も入ってないんじゃけん。」

「あなたも良かったねえ。お金が返ってきて。奥さんにもこれで申し訳が立つでしょう。」

 「ウン、そうなんよ。女房にもちょっとだけ分けてあげたし。これで、全部のカードの借金を払うたわ。」

と言う。聞くと、男が今度はいくらと貸してくれと言ってくる度に、カードでお金を出しては、渡していたと。それが積もりに積もって、何百万となって、それが今だに彼の懐を圧迫していたのだと。彼も人がいい。人のために一生懸命してあげる人だからこそだ。

 これで、一件落着。お金を貸すと言うことは、あげるということだと思わされてきた。これまで返ることは本当になかったから。中絶のお金がないというアメリカ人の留学生は、10万円返さないままに帰国してしまったし。突然お金を貸して下さいと言った、産婦人科のそうそうたる先生は、返さないままに亡くなってしまったし。数え切れないほどだ。

 だから、今回のことは、私は感動すら覚えた。6月から、また給料が減って、懐がさびしくなった私には、何か思わぬボーナスをもらったようで、単純にうれしかったことでもあるが。

両方とも今日です。よろしくお願いします。

Img137 Img142


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

ある不器用な男の話。

 並外れた能力があるのに、生きるのにとても不器用な男がいる。頭が飛びっきり良くて、高校を卒業して現役で、T工大に入学した。と、そこをやめて、T大の理Ⅰに入学した。そこもやめて、今度は日本の受験生の最高峰とも言える同じT大の理Ⅲに入学。何とそれもやめて、T医科歯科大に入学。それもやめて、とうとう東京を離れ、故郷の広島に戻ってきた。そして広島大学の医学部に入学。結局は、彼は、そこに入学したくて入学したのではなくって、受験勉強が趣味だったのだろうとみんなでうわさした。

 もう、両親もいない、生活の手立てのない年とった広大生の彼の生活を、同級生や先輩がみんなで支えたという。今度ばかりはやめてはいけないと、みんなで叱咤激励。そして、晴れて卒業。医師免許も取れた。

 ところが、就職しない。「人の命に関わるようなこと、自分にはできません。」とのたもうたと。生活を支えてきた友人や先輩達も投げ出して、もう面倒は見ないと、縁切りを宣言したと。

 その男は私の高校の一級後輩である。そんな伝説の男がいるということは、男の生活を支えてきた一人である友人から聞いていた。私の友人である彼は、もう一切関わってはいけないと、ひどく奥さんに怒られて、縁を切ったのだと。それまでが本当に大変だったと。医学部の教科書代、高価だった。医師国家試験に通っても、登録のお金がいると、その度に彼にむしんに来たという。そんな彼にむしんされ続けた人間が何人もいる。

 だから、その伝説の男が私の前に現れたとき、本当にびっくりした。もう、金を出してくれる人がみんないなくなって。とうとう、会ったこともない私のところに来たのだった。お金を貸してほしいと。

 聞けば、医師免許は取ったものの、就職しなくて、生活ができなくなった。予備校の仕事はしていてもとても生活できるだけのお金にはならないと。で、とうとう就職する決心をしたと。今さら、医師の仕事は出来ないけれど、あるとても狭い分野の事だけなら、何とかできるかも知れない。その医師の募集をしているので、試験というか、面接に行きたい。でも、その電車賃もないと。ボロボロの着古したセーターに髪はボサボサ。

 びっくりして、私は悩んだ。どうしよう。これまで私の周りの沢山の人が彼を支えてきた、私は何にもしていない。初対面の私に、金を出す義務はないけれど、でも、ここで私が断ったら、彼に対してでなく、これまで支えてきたみんなに悪いような気がして。悩んだあげく、考えておくので、もう一度来てくれと一旦断った。

 夫に相談した。彼は、助けてあげたら、と言った。でも、お金は返ってくるとは思うな。上げるつもりでないと、後で悔しくなるよ、と。上げるって、、お金を上げるいわれはないけれど・・・。その頃行っていたお寺の先生にも相談した。先生も、お金を出してあげなさいと言われた。困っている人を助けるのは、徳を積むことですよ、と。それに、それだけ能力のある人だったら、何かをするかも知れませんよ、と。

 で、結局私は彼にお金を出した。往復の新幹線代。それに、いくらなんでも、その格好では。面接に行くのなら、せめて背広ぐらいは着て行きなさい、散髪にも行って、こぎれいにして、と。彼は、就職したら、お金は返しますと借用書を書いた。

 そして、それっきり。何の消息もなく。一体、面接にちゃんと行ったものやら、行ったのなら、受かったのやら、ちゃんと働いているのやら、何にも分からない。でも、きっと、持つはずがない。就職したとしても、彼のことだもの、辞めているに違いない。どこで何をしてるのやら、生きているのかどうかも分からない。

 あの、妻に怒られた彼に聞いても、何も分からない、あいつのことは、考えたくもないと彼は言った。そして、何年も何年も経って。そのうち、私は彼のことは忘れてしまっていた。借用書もいつしかどこに行ったか分からなくなっていた。

 そんな先日、例の妻から怒られた彼から電話があった。「おい、〇〇から連絡があったぞ」と。〇〇ったって誰なのか、ピンとこない。そしたら、「金を貸したじゃろうが」と。そして、遠い記憶が甦ってきた。(明日に続きます。)


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (5) | トラックバック (0)

私の針仕事展・水澄美恵子さんの人形も。

Img148_2Img149  9月7日より13日まで、そごう広島店本館9階の特設会場で「私の針仕事展」が開かれます。

 私がこんな案内をするのも変な話なのですが・・・。

 私も手芸や編み物が好きなので、この展示会の予告を見て、とても楽しみにしていました。

と、そこにびっくりのお知らせが。

チラシの裏、展示作品の一部がプリントしてあります。(クリックして大きくして見てくださいね)

 上の右端のキルトは、山口百恵さんの作品です。百恵さんは、亡くなったお母様の着物をキルトにすることから初めて、今や、日本の一級のキルターであると聞いています。その作品が見られるのは楽しみです。

 が、お伝えしたいのは、裏のチラシの下の左端。特別展示 「古きよき母の手仕事」の人形作家 水澄美恵子さんの人形達です。

 水澄さんの人形は、その表情、特に子どもたちが実に生き生きとして、それも懐かしい、私たちの子どもの頃の生活がそのまま切り取られたような、そんな作品なのです。ネット上にも沢山紹介されていますが、その一部、ここと ここにもリンクしますね。

 水澄さんは、私の高校の同学年です。観音高校時代、彼女はテニス部で活躍していました。時を経て、今や日本を代表する人形作家です。高校のクラスメート達の東京組が、私が東京に講演に行ったとき、会を開いてくれて、食事会をしたことがあります。その時、水澄さんの大活躍も知りました。

 彼女の人形を手に入れることはとても難しく、それどころか、その作品集である本もすぐに売り切れてしまって、手に入りません。

 その水澄さんが、40年ぶりに広島に帰ってきて、その作品の展示をされます。どうぞ、多くの方に見ていただきますように。

 展示会は有料ですが、私のところに、沢山の招待券が来ています。一枚に二人無料で入れます。私のクリニックはそごうの近くです。県民文化センターの向かいの大野ビルの5階です。どうぞ、そごうに行く前にクリニックに来てください。招待券をお渡しします。水澄さんの了解の上です。沢山の方に来ていただくためのチケットだそうです。「針仕事展の招待状を」とおっしゃってくだされば、お渡ししますよ。お待ちしています。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

子どもの権利条例について。⑤条例素案

 子どもの権利条例についてのシリーズも今回で終わります。このシリーズを書くに当たって、ネットで検索をすると、反対の行動をする人たちは、やはりPTA中心であることがよく分かります。というか、PTAの役員の方たち。それもある意図を持って役員になっている人たちであるということも。前回のコメントのHさんのように、現場での状況を教えて下さった方もあります。

 子ども条例に反対する人たちは、市が市民の意見を聞くこともせず、かってに決めようとしていると盛んに言われています。しかし、広島市がこれまで様々なところで説明をしようとしても、その時間を制限し、どの会にも政治団体の人を動員しては、前回述べたような珍奇な反対を声高に述べ、反対集会にしてしまうというのが、これまでのパターンでした。

 また、広島市は2007年10月に「子どもの権利に関する条例(仮称)について意見を聴く会」をスタートさせ、これまでに15回会を開いています。また、市民からの意見も度々募集しては、その意見の公開もしています。その難渋の経過については、こちらに書いてあります。

 広島市がいろいろと紆余曲折、苦労しながらまとめている「広島市子ども条例素案」はここにあります。

 私は、改めてプリントアウトして、じっくりとこれを読んで、震えるほどの感動を覚えました。このどこがいけないというのでしょう。

その前文の途中です。

 「広島の未来を担う子どもたちが、平和な社会の中で豊かな子ども時代を過ごし、自立した大人へと健やかに成長することは、市民すべての願いである。

 子どもは、かけがえのない価値を持った一人の人間として尊重されなければならない。

 子どもは、家族や周りの人から愛され、信頼されることによって、自分に自信を持ち、安心して健やかに成長することができる。

 子どもは、学校、地域など様々な場で、子ども同士での触れ合いや大人とのかかわりを通して、他の人を思いやる、ルールを守るといった社会性を身につけることができる。」

 これを読んだとき、私の前で、暗い顔をしてうつむいた、数々の虐待された少女達の顔が浮かんで、涙が出そうでした。

 この素案の全文をここに再掲したいと思いましたが・・・。それでは私のブログにならないので、抜粋とします。第2 子どもの幸福のための環境の整備には、

Ⅰ子どもが安心して生きる環境の整備 1 安心して生きる権利の尊重 子どもは、命が守られ、虐待、いじめなどを受けることなく、安全な環境の下で安心して生きる権利が尊重されなければならない。それについて、2 本市の施策として(1)虐待、いじめ等の防止及びこれらからの救済のために必要な措置 (2)被害を受けた子どもの回復のための支援などの措置 (3)学校などにおける子どもからの相談及びこれへの援助の仕組みづくり (4)通学路の安全対策、施設のバリアフリー化など子どもが安全に生活すための環境の整備さらに、3 関係者の取り組みとして、(1)被害を受けた子どもを発見したときには、直ちに児相等の関係機関に通報しなければならない、さらに通報を受けた施設関係者がすべきこと、などが詳しく述べられています。

Ⅱ子どもが愛情をもって育てられる環境の整備  

Ⅲ子どもが豊かに育つ環境の整備  などが書かれています。省くのが残念なのですが。是非、全文を読んでみて下さい。

 その上で、これだ!!と思うのが、第4 子どもの権利の擁護 です。ここには、1 相談 や、救済の申し立てができること。相談を受けたり、救済の申し立てを受けたときの調査、調査への協力の義務、さらに子どもの権利の侵害があると認めるときは子どもの権利を侵害した者に対し、これを是正、改善するように要請すること。また、申し立てへの回答、報告、公表なども義務としてちゃんと書かれています。

 この条例が成立したなら、私は、これからは堂々と児相に何とかして下さいと申し立てることが出来ます。これまでは、家庭内のことだからと、躊躇していたことも。それから、教育現場で起こったことを「子どもは人質だから」とためらう人にもちゃんとアドバイスできます。

 ささやかながら、私もこの条例が成立するように、そのための署名集めを頑張ろうと思います。皆様、読んで下さって、そして様々なご意見を戴いて、感謝です。ありがとうございました。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

子どもの権利条例について④議長宛の請願書

Img144

 これは、広島市議会議長宛の請願書です。九月議会に子どもの権利条例が提案されるそうで、それに向けての署名集めだとJ先生に伺いました。これまでもなかなか制定がむずかしく、今回も制定されるのか否か、分からないとのことでした。それは、反対する人たちの動きが活発で、議会もそれに応じている議員さんが沢山いらっしゃるからということでした。

 請願書に書かれている文章を読んでくださいませ。

 「私たちは、いじめ、虐待、その他あらゆる暴力、障がい、貧困などにより困難な状況に置かれた子どもをはじめとして広島市のすべての子どもが安心して今をしあわせに生きることができるまちをめざし、広島市に対し、子どもの権利条例にもとづいた、子どもの権利に関する条例を制定するよう求め、請願します。」

 これに反対する人たちのことを聞きます。積極的に反対する人たちの多くは、ある政治集団の人たちなのですが、いろいろな会、たとえばPTAの役員会や研修会に出かけて、反対するように働きかけています。

「こんな子どもに権利を認めるようなことをしたら、授業中に生徒がマックドナルドにハンバーガーを買いに行きますと言って、それを教師が止めようとしたら、これは僕の権利だと、権利を振りかざす子ができる。」

「こんな条例を認めたら、子どもたちがみんなセックスをするようになる」

などと。私は笑ってしまいます。授業中にハンバーガーを買いに行くのが権利だと主張する子を、それは権利ではないと、説得も出来ないような、そんな大人に教師になられては困ります。

「子どもの権利条例」が認められたら、なぜ子どもがセックスをするようになるのでしょうか。現実に、「なぜですか」と、そう質問した人がいます。それには、さっぱりちゃんとした答えがありませんでした。

 本当にすべてでっち上げの、ありえないことをさもあることかのように語るのが、彼らのこれまでのやり方でもあります。

 請願書にあるように、子ども条例は、困難な状況にある子どもたちのためにあるのです。放っておいても幸せな人は、それでいいのです。親子とも幸せな人たちは、そのままです。条例が出来たからと言って、なんら変わることはありません。条例が出来たから、不幸になることではありません。

 でも、今幸せな状況の人が、いつ突然状況が変わるかも知れません。まさかというような事故があって障がいを持つようになるかも知れないし、いつ突然親が職を失うかも知れない、そんな社会だからこそ、せめて子どもたちには、どんな状況であっても、幸せになる権利があるという、そんな場を確保したいのです。

 多くのPTAの方がよく分からないままに反対の署名をされていると思います。

 請願書は、クリックして頂くと、別の枠で表示されます。それをプリントして戴くと、そのまま使えます。どうぞ、沢山の方の署名が集まりますように。

 それから、知り合いの市会議員さんがいらっしたら、この条例に賛成して下さいと、頼んで頂けませんでしょうか。政治勢力の力関係で、反対している議員さんも多いと、ある議員さんが嘆いています。こんな条例は、それこそ全会一致で通ってもいいと思うのです。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (13) | トラックバック (0)

子どもの権利条例について③なぜ条例が制定されなければらないか。

Img143

J先生から送って戴いたチラシの裏です。活字が小さくなってしまっていますが、読めますでしょうか。チラシをクリックすると、もっと大きくはなるのですが。

 子どもの権利条約は、1989年に国連総会で採択されました。日本は、この子どもの権利条約を1994年に締結したのです。ですから、日本は、国際的に日本の子どもについて、子どもの権利を実現する義務を背負っています。

おもな子どもの権利

1.人として尊重されつつ生きる権利。

2.自分に影響を及ぼすすべての自公について自由に意見を表明する権利

3.最高水準の健康を享受し、病気の治療や健康回復のための手当てを受ける権利

4.身体的、精神的、道徳的及び社会的な発達のためにふさわしい生活をする権利

5.教育の権利

これらの子ども言えども、人として尊ばれるように本当に当たり前のことを具体的に実現するためのものが子供の権利条例なのですね。

私が、このチラシの中でとても共感し、感動を覚えたことは次のところです。

1.子どもの権利の実現  権利者である子ども自身が子どもの権利の実現を図ることは困難である。子どもの権利の実現は、親をはじめ子どもに関わるすべての人々が担う必要がある。なかでも国と地方自治体の果たすべき役割は大きい。要するに、大人の問題であるということです。

2.子どもの権利条例はなぜ必要か  のところの、最後のところです。子どもの権利条例は、地方自治体が、子どもの権利実現義務を達成するのに役立つ仕組みを定めるために必要である。計画策定、予算確保、組織の一体化、データの収集、子どもの権利実現のための地方自治体のとった措置・とらなかった措置の検証、子どもの意見の聴取と尊重、権利侵害を受けた子どもの救済、子ども権利の広報がその仕組みの一例である。

 これだけ、子どもの虐待による死亡事件が報道される今、子どもの生きる権利がこれだけ侵害されているという風に捉えなければならないのです。それは、単に親だけの問題ではなく、地方自治体、たとえば学校や児童相談所が何をしたか、何をしなかったのか、その検証をきっちりしなければなりません。

 子どもの権利など認めなくとも、今の法律で十分対応できるという人がいます。たとえば、親の虐待により本当に凄惨な死を遂げた子どもの場合、直接手を下した親は法律により逮捕され、罪を問われるでしょう。しかし、それまで何もしなかった学校や自相の職員などは、一時マスコミなどにより非難されるだけで終わっています。だから、何回も同じことが繰り返されて。

 胸がつぶれそうな思いを何度繰り返していることでしょうか。先日の小学生の自殺でもそうです。彼女は、せっかくこの世に生まれてきた命をなぜみずから絶たなければならなかったのか。「しね」と落書きされても、誰がしたのか分からなかったという学校の言い分を「学校は何もしなかった」と検証されなければらない。その後ろ盾となるのが、子どもの権利条例であるのです。

この条例の制定に反対する人たちへの反論を次回、もう少し述べたいと思います。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子ども条例について②施設を卒園する子どもたちへ。

 その頃、当時広島市の児童相談所の所長であったO先生からお話しがあり、8人の人が集まりました。先日来話している下西さや子さんも、そのメンバーの一人です。それから、新聞社の方、テレビ局の方、様々な職種の人たちです。その中の一人が弁護士のJ先生でした。

 当時、あるお寺がバザーをしてお金が集まると。それを何か子どもたちのために役立ててほしい、と。その使い道を考え、実行すること。そのお礼に、私たちのメンバーは、お寺からの要請に応じて、無料で講演に行くことが条件でした。

 私たちは喜んで講演に出かけました。そして、そのお金の使い道を色々と考えました。支援する子どもたちの対象を「児童養護施設で暮らしている子」とし、その子たちが施設を出て、一人暮らしを始めるに当たって、運転免許を取りたい子にその取得のためのお金を出すこと。その補助金で何人もの若者が免許を取得しました。それから、施設にいて中学を卒業する子たち(以前は中卒と同時に施設も出ることになっていました。)すべてに、パジャマと、それから本を渡しました。

2010_08220002 この本は、みんなで手分けをして作りました。これから一人で暮らす子たちのために、たとえばアパートの借り方とか、仕事の探し方、中卒で行ける専門学校の一覧とか。役所にはどんな手続きをしなければならないか、とか、洗濯の仕方、お料理の仕方(本当に基礎から、御飯の炊き方、お味噌汁の作り方、クリスマスのパーティー、お正月のおせち料理など)。私の分野は、当然、男女の付き合い方、避妊や妊娠など。また、お金がなくとも安く楽しめるところ、スポーツセンターとか、文化科学館とか、デートには広島城や縮景園などのマップ、などなど本当に生活のあらゆることについて、細かく書かれています。

 また、メンバーのみんなで子育て講演会もしました。小児科医の毛利子来(たねき)先生や、NHKのアナウンサー古屋和雄さんなどを招いての講演会は、毎回沢山の方に来ていただくことが出来ました。

 いろんな活動をした楽しい仲間達も、何年か続いた後、お寺からの援助がなくなった時点で解散し、それからは、それぞれのメンバーが、それぞれの立場で子育て支援の活動をしています。下西さんは、CAP広島を立ち上げましたし、J先生は、ずっと少年事件の弁護をしていらっしゃいます。それに、子どもミュージカルも継続して尽力していらっしゃいます。

 その活動は、ハタから見続けているだけでしたが、このたび、本当に久しぶりにひょっこり来て戴いてとてもうれしかったです。

 そのJ先生も頑張って制定しようとされている広島市の子ども条例。請願書の(ここをクリックして下さい)署名集めもしてます。次回もう少し詳しくこの条例について述べますね。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

子どもの権利条例について①J先生との出会い

Img142

 昨日、クリニックで診療をしていると、弁護士のJ先生がいらっしていると受付からの知らせがありました。私は、びっくりして飛んで受付に行きました。

 そこには、J先生がお元気そうに立っていらっしゃいました。今年春、J先生に講演をして頂きたくて、弁護士事務所にお電話をしたことがあります。その時に、他の弁護士さんから、J先生はご病気だとうかがいました。それも、復帰はいつになるか分からないと。

 本当にびっくりして。お元気だとばかり思っていたので。その後、深刻なご病気であるとの情報も入っていました。心配はしていたものの、どうしたらいいのか、どうしたらご迷惑なのか、それともご迷惑ではなく、喜んでいただけろるのか、分かりませんでした。

 その先生が立っていらっしたのです。そして、このポスターを貼ってください、と。持ってこられたのが、「広島市に子どもの権利条例を!」シンポジウムのポスターです。真夏の灼熱の中、わざわざ先生自身がポスターを持ってこられていたのです。手には、まだ何枚ものポスターがあります。まだいろいろなところを回られるのでしょうか。私は診療中で、お茶の一杯もお勧めすることなく、立ち話だけで終えてしまって、本当に申し訳ないことでした。

 J先生とのご縁は、もう30年近く前になります。

 私は、勤務医で忙しくしていました。「さらば、悲しみの性」を出した頃と思います。一人の性犯罪の被害者の少女を診ていました。その少女の件でJ先生が私を訪ねて来られたのです。先生は、その加害者である逮捕された少年の弁護士でした。犯罪の状況をお話しする中で、先生の立場は分かるけれども、でも、加害者の弁護をなさるのに、被害者である彼女を貶めるような弁護だけはしないでほしい旨、お話ししました。

 それから、何年か後、また先生との出会いがあります。

 このシリーズ少し続きます。

 「子どもの権利条例」ついては、言いたいことが沢山あります。制定されて当たり前の条例を、政治的に意図的にあまりに歪曲して、反対の活動をする政治団体の人たちに対して、ちゃんと言わなければと、うずうずしていたのです。J先生が訪ねてきてくださった今、私もがんばらなければ、と思いました。次回は、J先生たちとのその後の活動について、お話ししますね。

 


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (3) | トラックバック (0)

日本軍『慰安婦』のマップ

 今日から、診療再開です。きっと、猛烈に忙しくなるでしょう。ブログを書くのも、以前のように深夜か早朝になりそうです。今日は朝の内に。

 この夏に学んだことの一つです。

Img141

 これは、性教協の全国大会で買って帰ったパンフレットの一ページからです。「従軍慰安婦」のマップです。従軍慰安婦は知っていたようでも、こうして改めてマップを見てみると、その多さにぞっとして、本当に胸がつぶれそうです。

 「慰安婦」と日本では言われているけれど、国連は早くから「性奴隷=Sexual Slavery」と表現しています。

 日本軍の『慰安婦』にされたのは、現地の女性や捕虜収容所の女性たちも強制的にされています。現在分かっているだけでも、朝鮮・中国・台湾・フィリピン・インドネシア・マレーシア・東チモール・ベトナム・オランダ・フランス・アメリカ(グアム)・タイ・ビルマ・インド・ユーラシアン(欧亜混血)・日本など多くの女性たちが『慰安婦』にされています。

 かってに業者がやったことと言う人がいます。マップの黄色は、公文書・軍関係資料が存在するところです。

 『慰安婦』は商売の女たちだったという人がいます。だまされたり、拉致されたり、家族に危害を加えると脅迫されたり、抵抗したり逃げようとすると凄惨な拷問をうけたり、監禁され、自由が剥奪された中で、日本軍人の性の相手を強いられています。中には、行列をして待っていざ自分の番となって、部屋に入ると、女性がベットに手足を縛り付けられていたという日本軍兵士の証言もあります。

 日本軍が進出するところには、『慰安所』という場が作られていたのです。

 このサイトをぜひ覗いてくださいますように。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (10) | トラックバック (0)

養子縁組の書類提出終了。

2010_08190003  夏休み最後の日、朝新幹線でやってきた近藤紘子さんと待ち合わせ。とりあえず、クリニックのそばのG線でモーニングを。これまでランチばかりだったけど、一度モーニングを食べたいと思ったG線。いろいろなモーニングがある中で、ボローニャパンのモーニングを。一度ランチで食べたボローニャパンがめっちゃ美味しかったので。

 ランチの時と同じように、サイホンで入れてくれた美味しいコーヒーで。食べながら、お互い用意した書類を出し合って確認。私は昨日家庭裁判所に行って必要な書類を一応確認しています。

 モーニング、期待通りとても美味しかったです!!また行きたい。たまには外で朝ごはんもいいもんです。その後、一緒にクリニックへ。そこでせっせと書類作り。三時近く、すべての書類が出来上がったので、いざ家庭裁判所へ。

2010_08190004 用意して来た、計15種類の書類を提出。養子縁組についてのフランスの法律、翻訳つきとか、養親希望の夫妻の婚姻証明書とか。さらには、フランスの政府機関の「」養子縁組のこどもの受け入れ承諾書とか。これによると、夫妻の調査をした上で、アジアから、36ヶ月未満の子どもを一人受け入れることを了承。この決定は2008年に出されていますが、有効期限は5年となっています。さらに、実母の供述書、実母が未成年なので、実母の実母の供述所とか。

もうこれ以上ないというくらい、完璧にそろえたつもりなのだけれど。家裁の職員の「あなた達が弁護士なのなら、文句はないのですが。」のことばに痛く傷ついて。「私たちが民間人だからということなのですか。では、どうすればいいのでしょうか。」と思わずムッと。

 私は実母を診てきた医師として。そして近藤紘子さんについては、その著書「ヒロシマ、60年の記憶」をも提出しました。その中には、彼女の父親、ヒロシマ流川教会の谷本清牧師の戦後の原爆乙女への援助、そして原爆孤児の養子縁組のこと。それを受けついで、これまで国際間養子縁組をして来たことなどが詳細に、かつ感動的に書かれています。

 役所というのは、前例のないことには、とても冷たいということは、よく承知しているつもりでも。最後に「養子縁組が認められるかどうかは分かりませんよ。」の言葉にまたまた傷ついてしまって。これまで頑張ってして来たことがすべて否定されるような。でも、認められない理由はないはず。一応書類は受理されたので。近藤さんと、「やれやれ、終わったね。」とお互い慰労の言葉をかけあいました。そのまま彼女を送って広島駅に。彼女は新幹線に乗って近畿に帰っていきました。

 私は、どっと疲れて、そのまま家に帰ってしまいました。本当は、まだ学会のレジュメ作りが出来ていないのですが。

 一国も早く養子縁組が認められて、赤ちゃんが無事渡仏できますように。それにしても、国内やアメリカでは、もっとうんとやさしくできることが、フランスというのは、本当にむずかしくて。こりごりです。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

家庭裁判所・初盆。

 夏休みも今日と明日の二日だけになりました。遣り残したことがどっさりです。昼前からクリニックに来てそれらを片付けているのですが。

 昼過ぎに家庭裁判所に行きました。例の赤ちゃんの養子縁組の件、児童相談所の決定も戴いたのですが、フランスのガードはとても強くて、これでもまだダメだと。結局裁判所の決定をもらわなければならないということになりました。それならそれで初めからそうすればよかったのですが。アメリカやカナダなどと、ずいぶん違うのだと、やってみて初めて分かることが沢山あります。

 赤ちゃんは、今、とてもいい家庭、大家族のところで本当にかわいがって育てて頂いてはいるのですが。早く養親の元に行かせてあげたいのです。家庭裁判所での手続きは私は慣れてはいます。それでも、フランスから取り寄せなければならない書類があったりして、本当に一筋縄ではいきません。まだ何回か裁判所に通うことになりそうです。

2010_08140002  話はさかのぼります。14日、義弟の初盆でした。大分の犬飼駅は、この鮎が沢山いそうな大野川のそばにある、小さな駅です。ここで広島から来た一団と待ち合わせをしました。ここからもっともっと山奥に入ったところに、義弟が育った実家と、お墓がありました。

 すごい田舎ですが、義弟は大分市内の高校と大学に通っています。どうやって通われたのですかと問うと、初めの一学期だけ朝5時に家を出て、夜8時に帰っていたけれど、とても持たなくて、一年の二学期から大分市内に下宿をしたのだと聞きました。まじめに学生時代を送ったであろう故人を偲ぶ話でした。

2010_08140006  初盆に来てくださったのは、若いお坊様です。いつものお寺さんの息子さんで、京都のお東さんで修行をしていらっしゃる方だと。お盆のお手伝いに京都から帰っていらっしゃるとのことです。日ごろ広島では安芸門徒の西本願寺、お西さんのお葬式や法事に出てばかりだし、私が行っていたお寺は真言宗で、お東さんと言うのは、初めてでした。

 ところが、お若いお坊さんのお話がとても良かったのです。「さびしいお盆になりましたね。」と、皆をいたわることから入られました。お経から、親鸞聖人の話、そして亡くなったことは悲しいこと。でも、そのおかげで今、こうしてみんなが一同に会することで、新たな出会いが生まれたと。人は皆死ぬけれど、こうして一人亡くなることによって残された者の世界がまたそれぞれ広がっていくのだと。とても前向きな話をさわやかにされました。

 その後で一人の具合が悪くなったため、もう少し話をしていたいところだったのですが、救急車の後ろを追って病院にいきましたので、失礼してしまいました。

 この後も、もう少し、この夏休みの間にいろいろと知ったことなどをご報告しようと思います。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

広島へ帰りました。そうめんうりの酢の物です。

 昨夜広島に無事帰って来ました。途中、福岡の兄のところに寄って、御飯を食べたり、大話をして再出発です。

 0時を5分過ぎて廿日市のインターを出ましたので、高速料金6100円の所が深夜料金の半額になって、3100円で済みました。3000円の違いは大きいです。途中、美東と下松の二つのSAで時間を潰したかいがありました。下松に入る前に、事故で玖珂、岩国間が渋滞7キロと出ていましたが、出発するときには、渋滞も解消して、丁度良かったです。

 広島の家を出て、帰るまで計1139キロ走っていました。

 家に帰ると、荷物の整理もそこそこに、戴いて帰った「そうめん瓜」を湯がきました。福岡の兄と半分こして、もう包丁が入っていますので、早くしないと、と。茹でていると、ポロポロと糸がはがれて出てくるのは面白いです。黄色の糸が沢山出来ました。

Photo  一晩お水に漬けたままにしていたので、今朝起きるとすぐに、これも沢山戴いて帰った茗荷と大葉を刻んで、ゆずポン酢であえました。たっぷりの七味唐辛子を振って、いい感じの酢の物が出来ました。

 出来た酢の物と、沢山戴いて帰ったキューリやゴーヤ、かぼちゃなどと共に、姉と妹におすそ分けを持って行って来ました。

 茗荷はまだたっぷりありますので、刻んで、塩、ごま油、醤油につけました。今晩は、酢の物と、例の茗荷御飯です。それと、これから、かぼちゃと冷凍庫に眠っているお肉を炊きます。

 別府の家でしようと思っていた学会のレジュメ作りや、韓国語の検定試験の勉強など、なんにも出来ませんでした。もう少し夏休みがありますので、これから頑張りましょう。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

熱中症、石仏、夏ふぐ。

 義弟の初盆で起こったハプニングというのは、広島から行った、私の姪、妹と義弟の娘の一人が熱中症で倒れて、救急車で病院に運ばれ、救急病院に入院したのです。で、広島組全員が一日大分に残ることになったというわけです。38度を越える熱を出した姪も、一晩入院して点滴をしてもらったら、微熱はあるものの、一応元気を取り戻して、無事退院しました。

 土曜日のお盆でも、救急を受け入れ、すばやく対応をして下さったのは、大分市の医師会立の大きな病院でした。即座に血液の検査も頭のCTも撮ってくださるという、本当に救急体制が出来上がっている病院でした。ありがたいことです。

 お昼前に一行を送り出した後、私たちは河野の実家へ。15日は、お墓から連れて帰った義父をまたお墓に連れて行く日です。

2010_08150001 母が、「おみやげだんご」を作っていました。甘いものが大好きだった父に、餡たっぷりのお団子です。これを持って、またあの世に帰ってね、というお土産なのだそうです。仏壇にお供えした後、私たちも戴きました。

 こういう風習がいつまでも、しっかり残っている地域です。義母は、 こういうことをきっちりやって来た人です。これらは、冠婚葬祭すべてに言えること。私は、若い頃は、それらに大変戸惑いましたが、歳をとった今、それらも受けいれることは出来ます。が、私にそれらがすべてできるかといわれると・・・これはもう、かんべんを!!と言うしかないでしょう・・・。

 無事義父にお墓に帰っていただいた後、母と義姉夫妻と共に、臼杵に行きました。義姉、夫の姉ですが、その夫妻が近くに住んでくださるからこそ、私たちも一人暮らしの高齢の母のことを安心していることが出来ます。

1 国宝の臼杵の石仏です。これまで何十回も大分に帰っていながら、行ったことがありませんでした。1400年も前、平安時代に作られたという沢山の石仏には、たしかに荘厳なものを感じ、自然に手を合わせることが出来ました。(何と、デジカメを持っていくのを忘れてしまって、携帯での撮影です。残念!)

静かな田圃と山が広がる中を人々が静かに巡っていました。暑さと蚊に悩まされることのない、もう少し気候がよくなったら、もう一度来て見たいところです。

2_2  その後、臼杵の石仏のすぐそばの「臼杵湯の里」へ。以前、ここのお食事どころでふぐを戴いて、それは美味しかったことがあります。事前に調べて、問い合わせた所、今もふぐ料理をやっていると。夏ふぐは、冬以上に美味しいと書いてあります。

 臼杵はふぐの名産地です。刺身は、身が厚くてびっりするほど美味です。臼杵市内には沢山のふぐやさんがあります(あの、小室〇〇さんの奥さんの実家もここの老舗ですが、ホームページで調べたら、それは高価でした。こんなところにはいけません)が、湯の里は、お風呂に入って、食事、それもお料理のわりに安いことは実証済みです。

 写真は、これで二人分のお刺身です。三人用は、もっと大きなお皿に盛られていました。ここは、ふぐの肝も出してくれます。雑炊や最後のデザートにいたるまで、フルコースを堪能しました。

 母や姉夫妻にも喜んで頂いてよかったです。

 今日は、広島に帰ります。明日の午後から大事な会議があります。それに間に合うように、ゆっくりのんびり帰ろうと思います。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ゴーヤの「オランダ」。

2010_08140014  義弟の初盆で、ちょっとした出来事があって、急に別府の我が家に大人数が泊まることになりました。

 明日の朝御飯の準備をしています。

 義母に教えてもらった「オランダ」です。以前一度ブログにアップしたことがあったのですが、今夜作ったのでもう一度。なぜ「オランダ」というのか分かりませんが。

 材料は、全部母の家庭菜園で取れたものです。

2010_08140009_2 2010_08140010 全部を薄切りにして、油で炒めます。しんなりしたら、味噌とお砂糖を少しのお水で伸ばしたものをいれ、もう少し炒めます。全体にお味噌が回ったら、水溶きの小麦粉を回しいれ、さらににまぜまぜ。

出来上がりです。

2010_081400122010_08140013  これを御飯に載せて食べます。簡単なのに、とても美味しいです。これだけで、御飯が何杯でも食べられそうになります。義母が作ってくれたのを初めて食べたときに、びっくりして、即作り方を教えてもらいました。

 小さな子どもたちには、ゴーヤを除いてあげます。子どもたちには、小さなおにぎりやタコさんのウインナーやミートボールや野菜炒め、ハウスみかんなどでお子様ランチを作ろうと思います。

 何しろ息つく間もないほど忙しくて、皆様のブログを訪問することも出来ないままです。初盆のことなども書きたいのですが、また広島に帰ってからになりそうです。不義理ですみません。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

別府のお盆です。

 昨夜広島の家を出発するのが10時になってしまって。途中御飯を食べたり休憩したりしていたら、別府の我が家にたどり着いたのが午前4時でした。二階のベランダのガラス戸を開けると、海風がそよそよと涼しくて気持ちがいいので5時ごろにそこで寝ました。

 そしたら、ほどなく登ってきた朝日が私を直撃で。暑くてもう7時には目が覚めてしまいました。本を読みながら、もう一度寝なくっちゃとあせっていたら。

 夫が実家の母と電話で話しています。そして、「急げ」といいます。「早くお父さんを迎えに行かないと」と母に言われたのだと。

 普通、私たちは、お盆のお墓参りと言いますが。こちらでは、そうではないのです。13日にお墓にご先祖様を連れに行くのです。お墓から、ヨイショヨイショと手を後ろに組んで、おんぶして家に連れて帰ります。河野のお墓には、義父しかいません。その父を家につれて帰るようにということでした。

 びっくりして、大急ぎ。実家は、我が家から車で20分ほどです。そこに帰って、お水やお花、お線香を持ってお墓へ。山道を汗びっしょりになってお墓へ行き、無事(?)父を家に連れて帰りました。お盆がすんだら、また父をオブってお墓に連れて帰ります。

 明日は、朝早くから、義弟の初盆に行きます。今年の初めに亡くなった妹の夫は、偶然ですが、実家が大分で、お墓も大分犬飼にあります。そこにお参りに行く予定です。

2010_08130004  家から見た別府湾の夕暮れです。家からは、海と国道10号沿いのやしの木と、そのそばを時々通る日豊線の列車がよく見えます。

 そうそう、夜中に高速を出たので、高速料金は半額でした。それに椎田道路と宇佐別府道路が無料の試験期間だったので、計2800円で済みました。でも、やっぱり夜の運転は疲れるし、時々眠くなって危ないですね。帰りはどうしようかと考えています。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日から夏休みです。

 一週間が飛ぶように過ぎて行って、もう今日は木曜日の休診日です。昨日まで必死で診療をして、そしていよいよ今日から一週間の夏休みです。

 でも、私は遣り残したことが沢山あって、一人出勤してそれらを片付けます。医師には沢山の書き物があります。患者さんの保険の証明とか、訪問看護の指示書とか。日ごろ紹介状や紹介状の返事は、その日その日に書くようにはしていても、どうしてもいろいろと書くべきものがたまります。それらを一気に片付けないと、私の夏休みは来ません。

 それらを済ませて、夜大分に向けて出発する予定です。一日遅らせて、土曜日の夜中に高速を出るようにすれば1000円で済むものを、どうしてもそのスケジュールではきついのです。ではせめて夜間料金の半額になるように、午後9時ごろ出発する予定です。

2010_08110001 いいことがありました。いつも行く「やまとの湯」では、八周年記念のイベントがありました。その抽選で、こんなでかいゼリーのセットが当たりました。いろいろなフルーツゼリーが25個も入っています。いいこともある物です。

 昨日から、そごうで「横浜中華街展」が始まっています。そこで、こんなチャーシューと、ピータンを買いました。チャーシューは別に買うつもりはなかったのですが、「食べてみて」と試食を出されたので食べたら、びっりするほど美味しかったのです。トロンと口の中でとろけるようで。

2010_08110002 二日間煮込んでいるそうで、それはやわらかでした。で、一番小さいのを買いました。家に帰って、即、小さくきざんで、白ねぎも刻んで、御飯に混ぜて頂きました。御飯は冷蔵庫の中のの暖め御飯です。チャーハンにしたらいいのかもしれないけれど、そのままのチャーシューを食べたかったので、何にもアジ付けなしで、ただもうチャーシューとねぎだけの味で戴きました。

 甘めのチャーシューの味が御飯にもからんで、ねぎのぴりぴりした刺激とでとっても美味しかったです。

2010_081100032010_08110004  我が家の昨夜の晩御飯です。さっさとできるものばかりで恥ずかしいのですが。

 それでは、次は大分からのご報告になります。お墓参りです。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

上関・祝島現地交流ツアー②原発予定地で。

2010_08060010 漁師さんたちが作ってくださっていたお昼ごはんです。タコの入った炊き込みご飯も、サザエとアジとタイとかわはぎなどのお刺身も、お魚の入ったお味噌汁もタコの入った酢の物も、ほかにもお漬物もありましたが、それらはみんな食べ放題でした。この写真は、私がはじめによそったものですが、御飯もお刺身も、酢の物もお代わりをしました。それは新鮮で美味しかったです。飲み物は、ビールもありましたが、島の名産のびわ茶がとても美味しかったです。

 会場では、地元の方たちに続いて、皆さんが発言をしました。埼玉、新潟、長野、大阪、東京、松山、皆さん全国からいらっしています。全国の方たちにこうして瀬戸内海に作られようとしている原発のことについて知って戴くのは、とても大切なことです。

2010_08060006 交流会の会場である公民館の横に歌が掲げてありました。

 食事を しっかり戴いた後、今度は漁船5隻にみんなが分かれて乗って、上関原発予定地に行きました。海からその予定地に着くと、24時間の監視、抗議行動をしている方たちが、皆さん手を振ってくださいました。

 前に出てきてくださったいかだに乗っているのは、祝島でただ一人の女漁師さんなのだそうです。その後ろには、青い服の中電の人たちも出てきて、見張っています。

2010_08060018          

2010_08060017

 私たちの「平和の夕べ」には、一人の男性が話しをしてくれる予定でした。でも、彼は今、公で話が出来ないことになりました。裁判を控えているためです。

 彼らは、海を埋め立てるためのくい打ちをシーカヤックに乗って阻止しようとしたのです。そして、その妨害のために損害をこうむったとして、中国電力から4800万円もの損害賠償請求の訴訟を起こされてしまいました。

2010_08060020 一体どんな船で阻止しようとしたのか、あの、日本のくじらの調査船を妨害しようとして逮捕された人たちのようなあんな速い船かと思ったら。

この写真をクリックして大きくして見てください。真ん中に写っている黄色の二人乗りの手漕ぎのいわゆるカヌーです。手で押せば、ふっと向こうに動いてしまうような、小さなボートとも呼べないような、そんな船です。これに乗って回りを動いたと、それで4800万円の損害賠償です。なんとも大人げない、腹立たしい中電です。

 祝島の方たちの、この豊かな海を守りたいというその熱意は、現地に行って見て、本当によく分かりました。同時に活断層の上に作られようとしているこの原発が、危険を押してでも作られなければならないものなのか。当初の計画から30年もたって、社会の状況もずいぶん変わりました。太陽光や風や地熱等の自然のエネルギーを活用するその技術も進歩しました。原発の事故は起こらないとする確証もありません。

 行きのバスの中で、隣に座られた東京から来た方は、福島原発のことを話してくださいました。釣りの船でご一緒した松山の方(後で弁護士さんだと分かりました)は、伊方原発のことを話してくださいました。期せずして、同じ話でした。福島も、伊方も。電力会社は、原発を作ることによって、雇用も発生するし、補助金で地域が活性化するといわれ、地域の人たちもその気になったと。でも、それから何十年も経って、町は本当に高齢化して寂れてしまって、過疎の町になっていると。原発は、出来てしまうと、ほとんど雇用は発生しないのだと。補助金で作った建物の維持費が大変で、赤字が発生していると。補助金はいつまでも支払われるものではないのですね。

 それに、クリーンエネルギーだなんて。核のごみはどうするのでしょう。原発を作るための二酸化炭素の排出は、それは莫大なものです。

2010_08060022 帰りにであったいるかの大群です。この豊かな海を、放射線や原発から排出する熱湯で温度を変化させるなど、壊してはならないと思いました。漁業とびわの生産だけで生活している祝島の皆さんの場をも壊してはならないとも思いました。私は、島のびわのシロップ漬けと、ふのりを買って帰りました。

 以上、上関・祝島現地交流ツアーのご報告でした。

            


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

上関・祝島現地交流ツアー①祝島で魚釣り。

2010_08060001  時間はさかのぼりますが、8月5日、「8.6平和の夕べ」の関連企画としての「上関・祝島現地交流ツアー」に行きました。原水禁山口の主催で毎年この日に行われています。今年は木曜日で休診日なので、喜んで参加しました。

 午前7時15分、広島駅新幹線口に集合。大型バス一台貸切で、一路山口へ。上関町室津港到着。定期船に乗り、祝島へ。定期船は、瀬戸内海の島々を巡る生活便です。主に島の住民が乗りますが、郵便物、新聞、宅配便なども積んで途中の島で荷をおろしたり、積んだりします。

2010_08060002 祝島に到着すると、その港の沖に待機していた漁船が次々と接岸し、私たちを乗せてくれます。一艘に三人から四人づつ乗ります。それぞれ漁師さんの「場」につれて行ってくださって、そこで「魚釣り」をしました。

 魚釣りなんて、本当に何十年ぶりでしょう。子どもが小さい頃、よく宇品や草津漁港や江田島などに行っては、釣っていました。時間は、一時間もなく、ほんの「釣り体験」みたいなものでしたが、でも、広く穏やかな海でのんびり。とっても気持ちがよかったです。

2010_08060005 漁師さんが用意して下さった釣りの道具をお借りし、エサは元気な海老。直接糸を持って、手で釣ります。

 程なく、びくびくとして、私が第一号で釣ったのが、この石鯛でした。ぱちぱちと、自分で拍手。

 でも、釣れたのは、この一匹。早々に陸に帰らなくてはならなくて、とても残念でした。漁師さんがあらかじめ釣っていらっした元気な30センチ級のアジを6匹も戴きました。他の船では、結構釣れたらしく、あの時間でタイ100匹近く釣れたのもあったのだそうです。うらやましい。

2010_08060008 その後、現地の方たちとの交流会です。漁師さんや奥様達がお昼御飯を用意して下さいました。祝島の漁師さんたちは生活の場である海に原発ができることにその9割の方たちが反対していると。

 毎週月曜日には、反対のデモをしていて、そのデモも1000回を超えたといわれます。でも、その方たちも高齢で、力もなくなりつつあると。

作って戴いたご馳走など、この後、また続きますね。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「月愛三昧 親鸞に聞く」と岡百合子さん

 「平和の夕べ」には、広島ブログの関係の方にも多く来ていただいたことが、後で分かりました。皆様には、本当に失礼してしまってすみませんでした。何しろ司会をしながら、会場の様々なことや講師の方々にも気を配らなければならなくて、ずっとバタバタしてしまいました。それに、控え室では、講演の声が聞こえないものだから、客席で聞かなければならなかったのです。行ったり来たりたりで、気づかなくってすみませんでした。でも、それを知ってとてもうれしかったです。

「平和の夕べ」が終わった後、交流会が開かれました。東京からきた本屋さんも、交流会の会場で高先生の本を並べています。と、「shiozyの介護生活」の塩崎さんが私に「河野ちゃん、あの本、読みこなした?」と「月愛三昧 親鸞に聞く」を指差しました。

「ううん、一部読んだだけ。全部は読んでないよ。難しいけど、でも、息子さんが亡くなったときのことから始まっているし、それは読みやすいよ。警察から連絡があって、かけつけて、遺体に対面したとき。それから、息子さんのなきがらを真ん中にして、川の字になって横になったことなんか。」

「そうなん? そんなことも書いてあるん? じゃ、買おう。どうしようかなあ、読んでみたいけど、読めるかなあと迷っとったんじゃ。」

 それで、私と塩崎さんは、一緒に買いに行きました。私は、まだ人のを見せてもらっていただけでしたので。やはり自分で買って、時間をかけて読もうと思いました。そして、塩崎さんと一緒に高先生のところに行き、サインをして頂きました。そのサインには「大悲無倦」と書かれました。今の私に、本当にぴったりの一語です。

 12歳で自死した息子さんの遺体と川の字になって横になっているとき、高さんの耳に、

「ジネンニイキルナラ、モットモミヂカナモノヲタスケルコトガデキル」

と言う声が聞こえてきます。それは、「歎異抄」にあった言葉だと高さんは気づきます。高さんは、昔、若かった頃に古本屋で買って、でも読みこなせなくて、本棚にそのまま置いてあった本を捜し、取り出します。それを買った頃、高さんは、ある社会運動に全力を尽くそうとしていた「善」が、その運動体により否定され、自分の善悪の基準を根こそぎに砕かれていた、そんなときだったのです。

歎異抄には、「善人なおもて往生をとぐ、まして悪人をや。」と言う、社会の基準と真反対の、悪人に対する目線がありました。でも、彼は、若いときには、その歎異抄を読みこなすことに挫折をしています。

 再びその古い本を手にし、「ジネンニイキルナラ・・・・」という文を捜します。が、歎異抄のどこにも、その文はありませんでした。そんなことから始まる分厚い本です。時間をかけて読もうと思います。

2010_08080010  さて、その交流会では、様々な人が発言しました。久しぶりに会う人と、話も弾みました。その宴もたけなわの頃、私は声をかけて皆さんに静かにして頂き、そして高先生と同行して下さった高先生のパートナー、岡百合子さんに発言して頂きました。

 岡百合子さんは、お茶の水女子大を卒業後、長い間東京都の中・高で教師をされていました。一人息子の真史君が亡くなった後発見された彼の詩を、高先生と一緒に「僕は12歳」として出版、その後も「白い道をゆく旅」「大空に舞った少年よ」なども出版されています。

 その岡さんの交流会での発言が、ものすごく面白くて。高先生と55年も一緒にいて、でも、彼女によれば、高先生は、彼女に対しては詐欺師だったといわれるのです。「物書きになるなんて。私には、ただ、一度手紙をよこしただけ。それも、どこかで、なんか金がいるから至急送ってくれという、そんな手紙だけだった」とか。それに「佛教だなんて。私はいまだにお念仏なんて、唱えられない」とか。「この会に一緒に来たかったのは、あの秋田明大さんに会えるという、それが楽しみで」とか。(参加されたみなさま、受付に秋田明大さんが座っていたのに気づかれましたでしょうか) その彼女の発言を、高先生はにこにこと笑みを浮かべて聞いていらっしゃいました。

 本当に面白いスピーチで、話して戴いてよかった!!と思いました。

 そんなこんなで今年の「平和の夕べ」も無事終えることが出来ました。関連行事の8.7.の被爆電車・平和学習」も定員を超える人に集まっていただき、平和記念資料館では、人があふれ、廊下に椅子を並べて聞いていただくというそんな状況でありました。

ご協力いただきました皆様、本当にありがとうございました。これから、私たちは先に向かってまた一歩から取組んでまいります。また、お会いいたしましょう!!


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

8.6ヒロシマー平和の夕べーより。

 診療のかたわら、性教育の大会や平和の夕べなど、いろいろと取組んできて、一応終了しました。ほっとして、気が抜けてしまって。ふと気づくと、ブログは書いてない、皆様のブログも訪問していない、これはいけないと、久々にパソコンの前に座っています。

 8.6の集会には、多くの皆様にいらっしていただいて本当にありがとうございました。今、つらつらと思い返しながら、感動を新たにしています。

 集会には、全国の方が駆けつけて下さいました。高史明さんのファンの方が、東京からも何人も来てくださって、改めて高さんの人気の高さも知ることができました。

 集会では、池田精子さんにまず話していただきました。

 高等女学校一年生、12歳の時、学徒動員で作業中に被爆。ひどい火傷を負って、家にたどり着くまでの話。その後生死をさまよいながらも、両親の懸命の看護で奇跡的に生き延びたこと。でも、顔にひどいケロイドが出来、学校に行きたくなくなったこと。心も深い傷を負ったものの、ある日お父さんの話を隠れて聞いていて、父親の自分への深い愛を感じ、なんとか立ち直ったこと。その後、アメリカで原爆により顔にケロイドを負った女性たちの手術療法の技術を学んでこられた原田東岷先生の手術を15回も受けて、顔を取り戻したこと。それから、今の語り部の活動について、核廃絶への願いなど、30分あまりの時間、凝縮して濃く話してくださいました。

 私は、池田さんの話を聞くのは4回目でしたが、それでも、涙なしで聞くことはできませんでした。

 続いて、沖縄から来てくださった知花昌一さん。戦中のみならず、戦後今だに沖縄の人たちに戦争の犠牲を押し付け続けている私たちに、静かに怒りを語って下さいました。

 私が彼の存在を知ったのは、もうずっと以前、1987年、国体のソフトボール会場で、日の丸を引き降ろし焼き捨て、逮捕されたというニュースででした。そのすぐ後に、沖縄に性教育の講演に行ったとき、知花さんの中学時代の担任だったという先生に出会いました。彼によると、中学時代は、おとなしい目立たない少年だったと。それが、その後、高校に行き、大学で学ぶ中で、思想を鍛えられたのでしょう、と、その先生はおっしゃっていました。

 そのおとなしい彼が、今、読谷村の議員であり、「象のオリ」の地主として戦い続けるなど、闘士として活動しています。その口調は柔らかくて、静かなのですが、今、内に重大な決意をこめていることも語って下さいました。沖縄の人たちの孤独な戦いにしてはいけないと、私たち自身が、沖縄をどうしたらいいのか、考え、行動しなければ、と改めて思いました。

 そして、いよいよ高史明さんでした。

  今年は韓国併合100年、被爆65年の節目の歳でもあります。その節目に最もふさわしい方である高さんが来てくださることになりました。

 私は、この会の司会を引き受けるに当たって、高さんの本を何冊か読みました。それまで私が読んだのは、「ぼくは12歳」のみだったのです。その多くの著書は、佛教哲学に深く根ざし、難しいのもありますが、でも、一貫している、人々への目線の優しさに心打たれました。

 講演は、多くの人の著書を引用しながら、淡々とそして鋭く近代史と「人間」、「いのち」を語ってくださったと思います。夏目漱石、石川啄木、福沢諭吉、朝永振一郎、サン・テグジュベリ(星の王子さま)そして何より親鸞、さらに12歳で亡くなった自分の子、高真史君の詩など。

 言葉、数学、物理等で命が切り刻まれる今、この社会をどうすればいいのか、私たちのなすべきことは何なのか、自然に浮き上がって来ました。

2010_08080011  そのお話しは、高先生の最新刊、「月愛三昧 親鸞に聞く」に含まれています。これは、900ページ余りの分厚い本で、これまでの高先生の集大成とても言える本であると思います。

 これについて、また集会のあとで開かれた交流会のことなど、明日、もう少しお話しますね。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

上関の原発予定地と平和公園です。

2010_08060021  昨日は、朝7時15分集合で、帰ったのが夕方6時半。一日かけて山口県の上関と祝島に行って来ました。

 一枚だけ写真を。

 ここは、中国電力が原発の建設を予定している場所です。丁度この写真を撮ったところにブイがあって、ここから向こうの海岸まで、とても広い海が埋め立てられようとしています。

 この海岸には、漁民たちが24時間変わるがわる泊り込んで監視をしています。その方たちとエールの交換をしてきました。豊かな海。ここから少し行ったところで、いるかの大群と出会いました。沢山のいるか達がピョンピョンと飛んで感動的でした。また、スナメリの親子も私たちの船を歓迎するかのように、姿を見せてくれました。

 これらについては、また改めてゆっくり書こうと思います。

 夜は、私たちの今日の集会に駆けつけて下さった懐かしい方たちと久々に食事会でした。

昔、学生時代に必死で議論を交わした方たちと、話し合いです。今、人の話をきちんと聞いて、自分の意見を言って、お互い議論しあうということが、本当になくなっています。かつてのように議論をしようとすると、なんだか、「人格を傷つけた」みたいに捉えられて、びっくりしたりという失敗をしています。昨夜は、そんなことも含めて、本当に久々に喧々諤々、楽しいひと時でした。

2010_08060026 今朝は、平和講演の慰霊式に行きました。まず、広島二中の式典で手をあわせました。父の生前は、父と一緒に行っていましたが、今はそっと後ろから手を合わせるだけにしています。広島市の式典は、人が多くて、後ろからでも式典の様子は見えません。木々の間から、左の方に慰霊碑が。右のほうに話をしている知事の姿が小さく写っているだけです。

見るのは、これがやっとです。スピーカーから声や音だけを聞きました。

2010_08060024

2010_08060025 その後は、韓国人被爆者の慰霊碑と、無縁仏、身元が分からない方などの遺骨が安置されている原爆供養塔にお参りをしました。

 暑くて、汗びっしょりです。65年前、こんな暑さの中で火傷を負った方たちは、どんなにか暑くて、痛かったことかと思いを馳せました。

 家に帰って、洗濯とシャワー。これから集会の準備に出かけます。多くの方たちと出会えますように。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

茗荷ごはん、ぜひお試しを!!

 いよいよ今日から三日間、これまでみんなで準備して来たことを実現させる日です。8月6日を中心に、イベントに取り組みます。

 とりあえず、今日は、私は上関、祝島に行きます。それはまたレポートしますね。びっしりスケジュールが入っているので、少々遅くなるかもしれませんが。

 今日までに、レセプトも全部済ませたし。ああ、忙しかった!です。

 今日は少しでも早く皆様にお知らせしたい「茗荷(みょうが)御飯」です。私は茗荷が好きで、いつも食卓に茗荷があります。それもほとんど酢味噌あえです。

 スタッフのTさんが茗荷御飯を教えてくれました。早速昨日試してみました。

2010_08030001 朝、出勤前に茗荷を薄切りして、「塩とごま油と醤油」につけておきます。枝豆は、塩茹でして皮から出しておきます。それを冷蔵庫へ。

 帰宅する予定の時間に炊き上がるように御飯をセットして。

 帰ると、炊き上がった御飯に茗荷を漬け汁ごとと枝豆を入れてまぜます。それでできあがり。アジを見て、足りないなと思ったら、少しお醤油か塩を足します。

2010_08030002 2010_08030003

茗荷がさくさくと、風味一杯で、ごま油が不思議なうまみを出しています。枝豆はプチプチと食感がいいですね。なんとも面白くておいしい御飯になりました。お醤油などの分量は適当に。

2010_08030004 おかずは、先日金沢の近江市場で買って帰った「のどぐろ」の一夜干しを焼いたのと、豆腐となめことわかめの味噌汁、それにレタスに生ハムときゅうりと白ねぎとこしょうのマヨネーズを包んで食べました。

 寝ていてクーラーに当たったのか、のどが痛くて咳が出ます。きょうから大変なのに、やれやれです。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

金沢のお土産です。

もう少し金沢のことです。いつまでもすみません。

2010_08020048 スタッフへのお土産に買ったものです。ちりめんのストラップ。手まりと思ったら、これは、何と万華鏡なのです。小さな穴からのぞくと、立派に美しい模様を作ります。本当にかわいくて。万華鏡大好き人間ですから、これを見つけたときは、とってもうれしかったです。もちろん、日本製です。

それから、いろいろな形のお麩です。これは、スタッフそれぞれ好きなものを持って帰ってもらいました。私の家は手まりのお麩にしました。ちょっと吸い物やお味噌汁に入れます。

2010_08020050 ハートや、星や、もみじや紅梅や、お麩の世界も楽しいものです。

 あと、お菓子です。金沢の和菓子もまた魅力一杯なのですが、いろいろなお菓子をちょっとずつ詰め合わせたものにしました。ほんとにちょっとずつです。私は、中でも「わり氷」が好きです。わり氷だけが沢山入ったのにしようか、悩むところでした。

2010_08020051 金沢は、町もきれいで素敵なところです。私は、講演で何回も来ていますが、こんなに兼六園に行ったり、お土産をゆっくり買ったりというのは初めてでした。その魅力にはまりそうです。いつか、ゆっくりと来たいと思います。その時は、輪島などの能登半島と、それから加賀か芦原の温泉とか。それは夢でしょうねえ。

 最後に、金沢駅前の屋根です。巨大な屋根で、びっくりです。「おもてなしの屋根」と言うのだそうです。夏の日差しも、冬の雪も、そして雨からもお客様を守ってくれるのだと。

2010_08020044 2010_08020047

横からと、中の正面から見上げたものです。見事な構図で、しばらく見とれました。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

金沢で食べたものです。

 目一杯ギリギリのスケジュールでの金沢行きでしたが、それでも食べるものはちゃんといただきました。

2010_08020010 「駅の蔵」での続きです。左が金時草とズワイガニの酢の物。金時草は、広島ではお目にかかりません。緑だけれど裏が紫で、食感は、モロヘイヤみたいでした。

 右はレンコンのおろしたものに、海老などが入ったしんじょ風の茶碗蒸し。それは美味しかったです。

次は、セイロで蒸した夏野菜です。これを幾種かのソースをつけていただきます。少し甘めのわさびマヨネーズが特に美味しかったです。

2010_08020008 何の変哲もないようですが、しっかりした味の野菜たちでした。翌日のホテルでの朝ごはんのバイキングにも、大きなセイロで蒸した夏野菜がありました。ソースもあったのですが、そのそばにカレーが置いてありました。そして、「御飯の上にこの夏野菜を置いて、カレーをかけると朝カレーのできあがり」と書いてありました。朝はパンにしようと思って、半分のサイズの食パンをトーストしていたのですが、これを見ると、「そうですか、それはおいしそうですね。」と一人で納得して、小さなお皿に御飯ちょっぴりと野菜満載の夏カレーを作って食べました。セイロで夏野菜を蒸すというのも、金沢料理の一つなのかもと思います。

2010_08020012 デザートは、私は「棒茶のプリン」です。棒茶、加賀の前田の殿様用で、葉のない、茎だけのお茶なのだそうです。そのお茶でプリンが作ってありました。上にはアンがかかっていて、クコの実が置いてありました。

 他にも、お刺身や、大きなぶりカマの焼き物など、新鮮な海の幸がたっぷりでした。

翌日、すべての行事が終わって、広島のメンバーと、久しぶりに会った北海道の家庭科の男性の教師のE君と、一緒にお2010_08020016 昼をいただきました。

 会場から、暑い中、歩いて「近江町市場」へ。小さな魅力的なお店がずらりと並んでいます。特に、新鮮なお魚やカニ、エビや岩牡蠣など、海の幸がいっぱいです。その市場の中のおすし屋さんに入りました。

 これは、友人が食べた海鮮丼。新鮮な海の幸満載です。

2010_08020017_2 次は、北海道の彼が食べたアジの丼です。北海道の彼の住んでいるところでは、新鮮なお刺身になるようなアジは食べられないからと、これを選びました。ショウガのたれをかけていただいていました。

次が、私たちが食べたおすしです。高いのから二番目のお寿司でしたが、やはりこんなときは、一番高いのを食べたほうが、良かったかな?と思いました。イクラやカニ味噌はあったけれど、トロやウニがなかったのが残念だったので。モチロン、ネタは新鮮で美味しかったのですよ。

2010_08020018 数は多いので、E君に手伝ってもらいました。これら全部にシジミのお味噌汁がつきました。

 朝のバイキングに続いて、こんなのをお昼に食べたので、それに暑い中、兼六園を歩きまわって疲れたので、夜は食欲なしです。家に帰って、チキンラーメンを半分食べたのみです。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

夏期セミナーについて。

 性教協の夏期セミナーは、今年で29回。来年は30回の記念大会となります。プログラムとしては、基調報告、記念講演、トーク&トーク(パネルディスカッション)。

 そして、模擬授業、テーマ別分科会、講座、あなたにフィットプログラム等が34。参加者は午前に一つ、午後に一つの参加をして学びます。

 理論講座が二つ。

 内容としては、小学校、中学校、高校、障がい児、児童養護施設、それぞれの場で、いのちの始まり、誕生、性被害、STI(性感染症)、デートDV、性同一性障害、貧困と性教育、男性、女性のそれぞれのライフステージと性の健康、など多岐に渡ります。

 これらを、それぞれの現場で実践して来たことのその報告です。

 広島からは、先日の広島セミナーで行った、城さんのアサーションの授業、「気持ちを伝えあおう~私もあなたもOKのコミュニケーション力を~」を持っていきました。部屋一杯の参加者で、例年城さんのファンが増えていることがわかります。その実践力は素晴らしくて、皆さんの感想文にも、感動があふれていました。

 速報からです。「人間には、いろんな感情があって、どんな感情を持っても良いんだよ。という切り口は、改めて考えさせられた。問題は、どんな感情を持つかではなく、その感情を堂表現して、どう伝えるかなんですよね。・・・城先生が言われたとおり、日常で何が起こっているのか、子どもはどういう背景を背負っているのかを一人ひとりにきちんと向き合うことの大切さを学びました。」本当は、すべての感想文を読んでいただきたいのですが。

 「子どもたちのコミュニケーションに関しての課題(それは、大人社会の反映なのですが)は、年々深刻になっているようです。「自分の感情をうまく表現できず、乱暴な言動をとったり、押し黙ったりする」「傷つくことを恐れ、気を遣いながら表面的な関係しかもてない」など、日々接する子どもたちの中に当たり前のように見られる姿です。」これは、城さんの資料の最初に書かれている文です。城さんは、生徒達への愛情あふれた教師です。

 日々報道されている凄惨な事件の加害者が、どれだけコミュニケーション能力を鍛えられてきたか、いつもそれを考えます。私自身が接する若者達も、また、長い間共に暮らしていながら、お互いコミュニケーションが取れあっていない更年期の方がたにも、このような教育を受けていない、むしろ逆に自分を抑え続けて、そしてついに大爆発してしまう、そんな姿を見るのです。

 性教協のことを、政治的意図を持って「過激な性教育」をしているグループと、デマを広める政治集団がいます。実際、このような実践を見てもらいたいと、会に参加するたびに思います。

2010_08020007 土曜日の9時過ぎに金沢駅についたのですが、広島のメンバーが金沢駅にある「金沢旬料理 八兆屋 駅の蔵」で待っていてくれました。金沢の料理は和食と言っても、一工夫も二工夫もしてある、きめ細かい配慮があって、楽しいし、美味しいものでした。これは、生麩の田楽です。味噌が全部異なっています。

 また他にも食べたものをアップしますね。


コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

金沢から広島へ。

金沢から広島へ。
広島へ向かう列車の中です。
兼六園へ行きました。
今朝早く、6時に出かけて兼六園を散歩した広島のメンバーが、兼六園は癒やされると言ったので、それはぜひ行かなければと思いました。
本当にきれいで松が素晴らしくて、やっぱり癒やされました。
が、何しろ広くて、足が疲れました。
列車の中で正座をしたいのですが。不恰好でしょうね。
広島の家に帰り着くのは11時過ぎになりそうです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

無事講演終了です。

無事講演終了です。
今年も全国から沢山の人たちが集まりました。
一年に一回こうして集まると、多くの仲間が頑張っていると確認できて、元気になります。
三日間の大会も今日が最終日。
私の話しと、武蔵野美大の教師の佐藤明子先生のライフワーク、「戦争と性」の二つの講演でした。私の話は自分では写真が撮れないので、佐藤先生の講演の写真です。

私はホテルで時間ギリギリまでスライドの手直しをしながら、構成を考えていました。
で、宝塚の全中学校で講演ができるようになったことや、子どもの性的虐待の話も入れ、
そして最後に、あのアメリカから訪ねて来て下さった一家の写真を出すことにしました。

結果的にはまずまずうまく話せたと思っています。
大役が果たせて、ホッとしています。
帰りの列車までもう少し時間がありますので、兼六園に行ってみようと思います。
広島の仲間たちは早い列車で帰るということで、先ほど分かれました。
一人でぶらぶらです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »