裁判の証人でした。
昨日は、午前中、病院に行きました。ここのところ、むち打ちがつらくて。後ろ頭、首、肩がつらくて。ドクターによると、この時期は、頚椎捻挫の患者さんには、つらい時期なのだそうです。雨が降る前、気圧が下がった時がつらいのだそうです。なるほど。人の話には聞いてはいましたが、自分がそうなってみると、本当に実感します。もう少し頑張ったら、梅雨が開けるので、そしたら、また調子がよくなりますからと、励まして頂きました。
午後からは、裁判所でした。その昔、私がまだ勤務医だった頃。他の産婦人科から緊急で紹介、搬送してこられた方のC型肝炎の裁判です。私は、原告でも被告でもなく、一人の証人でした。
28年前のこと。私には全く記憶がありません。私が手術したという、その病院でのカルテもありません。でも、その紹介元の医院のカルテのみ存在しています。それを見ると、確かに私がその方を受け入れています。
その方についての記憶がないので、一般論で、私はこうしたであろうということのみ、証言できます。その当時、フィブリノーゲンを使ったであろうか、どうか。
記憶はないれど、その当時の私の行動や、状況を思い出しながらの証言をしました。
しかし、きつかったです。当時のことをあれこれ聞かれても。当時の産婦人科は何床あったか、助産師や看護師は何人いたか、月にどれくらいお産があって、何人手術していたか、そのうち、輸血を要する人はどれくらいいたか、次々と尋ねられます。
私は、前の病院に一人で赴任し、産婦人科を作りました。患者さんは〇からの出発です。そこから、どんどんと患者さんも増え、ベットも増え、ドクターも増えて行きました。お産も、手術も増えました。救急指定病院ですので、夜昼かまわず救急車も飛び込んで来ました。
一週間、毎日手術をした日もありました。お産も月に80人あることもありました。その聞かれた時期がどの時期になるのか、私にははっきりとした記憶にありません。だから、とてもしんどかったです。
一つ分かったのは、若かった私は、ひどく頑張っていたのだと。そんなショック状態で命が危ない患者さんを、一人で勤務している病院になぜ受け入れることができたのでしょう。救急病院としての体制が出来ていたこともありますが。子育ての真っ最中に、こんな仕事をしていたのでは、それはくたびれるはずだわ、10年近くそこで働いて、ついに力尽きて開業をしたのが20年前になります。今、あれこれしていてよく体がもちますね、なんていわれても、あの勤務医時代に比べれば、天国です、と答えて来ました。それを改めて今回実感したのです。
考え考えしながら証言しましたけれど。ただ、少しでも、お気の毒な状況にある方のお役に立てられれば、と思います。
夜は、医師会のブロック会でした。私が開業している地域のドクターの集まりです。日ごろ産婦人科以外の方とはあまり付き合いがないのですが、この会は、様々な科のドクターがいらっしゃいます。新しい、私の知らない情報も沢山聞くことができます。それに、皆さん、とても優しくて、ほっとくつろげる会です。
瀬戸内海で83センチ、7キロの鯛を釣ったという先生がいました。映画が好きで、一番好きなイタリア映画のロケ地に行ったという先生もいました。
つんけんと、嫉妬混じりの攻撃をする人がいる会は、とても疲れます。でも、昨夜の会はゆっくり楽しく過ごすことが出来ました。
会場のリーガロイヤルの32階から見た、広島市の北側です。まだどんよりとした雲が厚くて、またいつ降り出すか分からないような空でした。
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コメント
河野先生
お久しぶりです。Mです。
最近、このブログを知り、毎日楽しみにしています。
私達は「夫婦でやっと一人前の親」してます。
そうなんです。
十数年前に授かった息子が高校生になり、
この息子に振り回されっぱなしの日々です。
しかし楽しいです。
先生のブログを読んでいると、
それがとっても幸せなことだと実感できます。
投稿: nancy | 2010年7月16日 (金) 09時15分
Nancyさま
ワア、コメントありがとうございます。おかげさまでnancyさまのブログも知ることが出来ました。お料理もふんだんでとても楽しいブログです。ぜひ広島ブログにも登録してくださいませ。早いデスね。あの彼がもう高校生!おっとりのnancyさんと彼と息子さんの温かい家庭が目に浮かびます。いつかお会いしたいなあ。彼にもよろしくお伝えください。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2010年7月17日 (土) 07時56分