「私と性教育」⑨女性医師ばかりの産婦人科に。
一人で赴任した土谷病院の産婦人科ですが、だんだん忙しくなって、とても対応できなくなりました。医師をもう一人増やして欲しい、と院長と大学の教授双方にお願いし、了解を得ました。その時に、私は一つのお願いをしました。
後輩のドクターにはぜひ女性を、と。私は、土谷病院に赴任するときから「女性のドクターばかりの産婦人科を創りたい」という希望を持っていました。
今と違って、その頃はまだあまり女性のドクターはいませんでした。特に、子どもを生み、育てなから産婦人科医を続けるというのは、あまりに過酷な職場でした。同時に女性の医師は出張病院からは歓迎されていませんでした。堂々と「女はいらん」という先生もいました。その理由に「女は妊娠するから」と先輩のドクターが言ったとき、呆然としたものです。だって、産婦人科で「妊娠するから」と言われるなんて。
でも、まだその頃は、国全体が女性の労働というのを、そんな風に捉えていました。「男女雇用機会均等法」もありませんでした。少しずつ入局している後輩の産婦人科の女性の医師の研修や職場を私が引き受けようと思いました。
そうして、二人目も、そして三人目、四人目もすべて女性のドクターが大学から派遣されて来ました。とにかく、勤務時間は全力で働きましょう。時間が来たら、早く帰りましょう。子どもの保育園のお迎えに間に合うように。でも、夜の交代の当番の時、子どもをどうするか、それだけは個人で対応を考えて下さい。
その方針でなんとか回って来ました。そうしたら、いつも女性の医師が診てくれる病院として、ますます若い女性の来院が増えてきました。
そんな時、NHKから取材の依頼がありました。私の「さらば、悲しみの性」を読んだディレクターが興味を持たれたようです。まず、番組として取り上げることが出来るか否か、産婦人科の診察室という大変プライベートでデリケートなところにカメラを入れることが出来るかどうか。それらを考えるために、まず派遣されたのが、当時NHKに入社したばかりの若い女性記者Aさんです。院長とも話しあった末、彼女はナースの服を着て、診察室や病棟に入りました。産婦人科の中に入った彼女がみた状況を検討した上で、ゴーということになったようです。
そのAさんとは、その後も付き合いが続いています。彼女は今や立派なベテラン記者として、アメリカやヨーロッパで大活躍をしています。
当時のNHKの看板番組、「NHK特集」で取り上げようと、NHKの方針も決まったと聞きました。でも、どうやって?一人の記者が現場を見るのとは違って、テレビとなるとカメラが必要です。診察室にカメラマンが入る?それは、とても無理な話でした。(まだしばらく続きます)
植物公園でのお花たち。これは、一体の何のお花?と近づいてみたら、チューリップでした。八重咲きのチューリップ。こんなのもあるのですね。びっくりしました。
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