「私と性教育」⑬エイズ・高田昇先生との出会い
土谷病院で、診療に性教育の講演にと、忙しくしている頃、1984年から、国内外で「エイズ」というそれまで聞かなかった新しい病気について報道されるようになりました。中でも、血友病の方たちの多くが、輸入血液製剤で感染させられていること、そしてどうも性交でうつる病期らしいということもぼんやりと分かってきました。
1986年11月、松本事件が起こりました。HIV(エイズウイルス)に感染しているフィリピンの女性強制送還され、それとともに松本中の銭湯が「外国人女性おことわり」と張り紙をしました。
1987年1月には神戸事件、2月には高知事件がおこったのです。神戸事件は、亡くなった若い女性がどうもエイズだったらしい、この女性とセックスをした人は、検査を受けろと、その女性の葬儀に潜入したカメラマンが葬儀写真を撮影し、週刊誌に載せました。高知では、出産を控えた若い女性がHIVに感染していると報道されました。
神戸では、沢山の男性が、抗体検査を話受けるべく保健所におしかけて、パニックとなりました。高知では、大きな病院が「エイズに感染した人は当院を受診していません」と張り紙をしたりしていました。
そんなとき、中国新聞から、エッセイを書くようにとの要請がありました。私は、その事件のことを取り上げて書きました。「右往左往する大人たちの姿は子どもたちに恥ずかしい、パパは大丈夫なの?と聞かれたら、大人たちはどう答えるのか。血友病で感染した人たちは大変お気の毒、この人たちも同じような差別にあわせてはならない」と。
後で考えると、私の文そのものが、差別の文章だったのです。その頃、いいエイズ、悪いエイズの論調がまかり通っていました。それにどっぷりとつかった私の意識そのものが、患者さんを差別したものだったのです。
それに対して、大学病院の高田昇先生から、反論の文章が掲載されました。「どんな感染経路であったとしても、私たち医師は、真摯に治療に取り組む」と。
私は、もう深く後悔しました。ああ、そうだった!私が患者さんたちを差別していた!私は間違っていた、と。高田先生の言うとおりだ。それからは、もう私はエイズについての話しは一切しないと決めました。
そんな時、NHKのディレクター、池田恵理子さんから連絡がありました。広島に行く機会があるので、会いませんか、と。池田さんは、私が当時度々出演していた「おはようジャーナル」のディレクターでした。その日、私はちょうど休みで、関東で講演をする日でした。でも、夜帰ってきますので、それからなら会えますと答えました。
その夜、家で待っているところに池田さんから電話がありました。今、みんなで話をしているので、私と会うのは遅くなると。どんなに遅くなってもかまいませんよ、と答え待っていると、また電話です。まだ話しているのだけれど、ここのみんなが私もここに呼べと言っている、ここに来ませんか、と。そこに誰がいるのですか、と聞くと、その高田先生がいるというではありませんか。わあかなわん、私はよう会わんと思ったけれど、その高田先生も私を呼ぶようにと言っているとのことでした。
私は、心を決めていくことにしました。いつまでも逃げていても仕方がない、キチンとお会いして頭を下げよう、と。
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コメント
何だか身近なのにちょっと避けてしまう問題ですね。
いろいろと読ませて頂き、思うところあります。
ところで私がよく行く、横川のビートルズバンドのお店。
ユーチューブで観られます。
これね → http://www.youtube.com/watch?v=IijVSTFiszE
投稿: 風船王子はるく | 2010年4月17日 (土) 09時35分
たしかに、自分の欲望を充たすためにふしだらなセックスをして、そこでエイズに感染したのは、因果応報だというような風潮がありました。
病気に、良いも悪いもありません。
縁あって生まれてくる「いのち」も、それがどのようないのちであれ、たとえ、望まれないいのちであっても、いのちのひとつひとつは、みんな平等で、同じねうちのいのちだと思います。
人間の側の、大人の側の、勝手なものさしで、量れるようないのちではないと思います。
投稿: 広島メイファーズ | 2010年4月17日 (土) 11時44分
風船王子はるくさま
お元気そうで何よりです。魚釣りもビートルズライブもいいですね。ご両親のお写真も、ホロリとしました。コメントありがとうございます。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2010年4月21日 (水) 07時38分
広島メイファーズさま
まだこれからエイズ教育についても書きますので、ぜひのぞいてみて下さい。いつもありがとうございます。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2010年4月21日 (水) 07時41分