「私と性教育」⑯「広島エイズダイアル」立ち上げ
様々な方が駆けつけて下さったエイズメモリアルキルト展、最後の日にイベントを行うことになりました。キルトは四枚つないで大きな一枚になっています。はずした一枚を広げて持って、みんなで平和公園に行きました。ぞろぞろと臨時のデモ行進みたいなものです。
原爆ドーム、子どもの像、慰霊碑と歩き、最後に資料館の下にキルトを広げて、みんなで囲みました。そして、キルト展を終えるにあたって、それぞれの思いを話しました。
血友病友の会の一人が「僕はこれまでどうしたらいいのか分かりませんでした。でも、これで何をしたらいいのか、何か分かったような気がする。」と言いました。それを聞いていた高田先生が涙ぐみました。
沢山の方たちにも出会いました。大変だけど、やってよかったと、本当に思いました。
そのキルト展をしたメンバーがその後話しあいをつづけ、結局「広島エイズダイアル」を立ち上げることになりました。キルト展をしたのが1991年4月、エイズダイアルの立ち上げがその年の8月です。
話し合いの末、代表を私がすることになりました。私はその前年に勤務医をやめ、開業医となって、だれからも縛られることがない立場になっていました。何のしがらみもありません。私にとって、新聞紙上でとても見識のない文を書いてしまった償いの意味でもありました。
以来、これまでエイズボランティアを続けています。もっとも規模や活動のの中身など様々姿を変えてはいます。はじめた頃は、会員募集にどっと人が集まり、24時間電話相談などは、まるで野戦場のような雰囲気でもありました。電話相談員の養成講座にもいろいろな講師が来てくださり、沢山のひとが連続して講座を受けました。
中でも、これまで一緒に性教育をしていた仲間が沢山参入して下さり、大きな戦力になりました。全国や外国の他のボランティアの人たちともつながりが出来ました。振り返ると、走馬灯のように様々な方たちのお顔が浮かびます。
多くの方がなくなりました。はじめに話した山形の宇野信子さん、お子様をなくした後、ご自分もお家で倒れ、亡くなっていました。横浜エイズ会議では、自分の息子さんのユニホームを縫いつけたキルトを案内して下さいました。山形に講演に呼んでいただいて時には、こんにゃくをごちそうになりました。
赤瀬範保さん、石田吉明さん、大分の草伏村生さん、平田豊さん、皆さんのお話しは、自分の命を懸けて鋭く、でも同時に皆さん他者に対しての限りない優しさをもっていらっしゃいました。
私は常に、ボランティアとは何ぞや、とといかけながら過ごして来たように思います。もう少し、エイズボランティアの話をつづけます。
18日日曜日の世羅の芝桜です。五分咲きといったところで、もうちょっとです。広大な敷地全部に咲きそろうと本とうにきれいでしょうね。

コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。

| 固定リンク
コメント
河野美代子さま
本当にお久しぶりです。お元気そうな様子嬉しいです。<あの時>のことを書いていて下さり宇野さんのこと赤瀬さんのこと、そして平和公園のこと、昨日のようによみがえりました。やはりいまから思うとあの時が大切な出発点のような気がしますね。
先日、陸前高田の保育園で木島知草さんと会いました。
今彼女は、被災地を巡り保育園などで子供たちを前に公演を続けています。体のこと、性のこと、そして原発や放射能のことなどをあの素晴らしい人形劇で伝え、子どもに寄り添いながら旅をしています。
また仙台のキルト展の中心にいた加藤哲夫さんとも久しぶりに会いました。今彼はとてもしんどい病を抱え闘っていますが、彼のブログ「蝸牛庵日乗」を通じ、本当に大切なメッセージを送り続けています。やはりあの時に出会った人たちです。
私は、被災地の支援学校などを巡り野染をしたり、流された人や動物たちのキルトを作っていければと動いています。できたらブログ<風の布・パピヨン>を検索して頂ければ嬉しいです。
一巡りしてまた出会い直しているようです。
久しぶりにまたゆっくりお話ししたいですね。
お互い体ヘマをしない様に行きたいですね。
斎藤 洋
投稿: さいとう ひろし | 2011年7月24日 (日) 23時48分