「私と性教育」⑤大学病院時代にした集会。
医学部学生が中心となってするシンポジウム、私は学生達の指導をすることになりました。その当時「ウーマンズボディ」という本が大ヒットしていました。1980年、鎌倉書房から出版された翻訳本です。その翻訳ををした根岸悦子さんと池上千寿子を招きましょうということになりました。根岸悦子先生は、東京医科歯科大学の産婦人科医。池上さんは、いまはエイズのボランティア「プレイス東京」の代表など大活躍をしています。当時は東大卒の若くかっこいい女性編集者でもあり、翻訳家でもあり、研究者でもありました。
お二人を交えてのシンポジウム、沢山の人が集まり、大盛況でした。このときのやり取りの中で、ある高校の教師で、生徒同士が付き合っていて、ある日キスをしたということが分かった。それで、両方の親を呼び、親と生徒に厳重注意をしたと、得意に話した人がいました。若い参加者から、一斉に、「ええーっ!!」という悲鳴に近いブーイングが起こったものです。
実は、そのシンポジウムをするにあたり、せっかくのお二人が来られるのに、コレだけではもったいない。もう少し何かできないか、と考えました。女性の体と社会みたいな集会をやりたい。でも、私一人では到底無理。何とか仲間を、と考えました。その頃は、家と病院の行き帰りだけの毎日です。そのほかの方とのつながりはほとんどありませんでした。
何とかしたい、誰かいないかと私は電話帳を繰りました。そこに以前新聞で見たことがある「女の図書室」という字を見つけ、電話をし、そこのメンバーの何人の方に集まって頂いて私の思いを話しました。二人の子を連れて喫茶店に行き、夢中で話しました。私の思いに賛同して下さった女性達とともに集会に取り組みました。
その時の女性達とは、30年経った今も付き合いが続いています。「女の体、女の自立」とのタイトルでした集会も何百人もの会場からあふれる人で大盛況でした。当時まだ珍しいテーマでの会にラジオや新聞者の取材もありました。その取材に来ていた中国新聞の女性記者が中村隆子さん、後の「家族社」を作った方です。
その会で印象に残ったのは、池上さんの「歯が痛い」とは人に言えても、「膣がかゆい」とはとてもいえない、との発言にはワッと笑いが起きました。会場からの質問で、「女性にとってセックスは健康のためにあった方がいいのか」という質問。これにも笑いが起きました。根岸先生が、「一つ言えるのは、セックスのない人には子宮頸がんは起こりません。」といわれたこと。女性の体について、一方的な講演でなく、会場全体が大変おおらかに語り合うことが出来た、貴重な集会になりました。
まさに、今、子宮頸がんは性交によるウイルス感染で起こると科学で実証され、ワクチンまで出来るという時代になっています。30年前の根岸先生の発言は感慨深いものがあります。池上さんには、その後エイズの研修会にも来ていただいたり、他の会で同席させて頂いたりの付き合いがあります。
根岸先生は、その時、小さな息子さんを連れて来られました。彼は、当時報道されていた「赤ヘルケーキ」が欲しいといい、学生が買ってくると、大変喜んで私に見せに来てくれました。
その後、少女雑誌で大変大胆な性を取り上げた記事が掲載され、その監修に根岸先生の名前が載っていたと、大バッシングに会われとこともあります。もう、ホント、大変なのよと、でもけらけら笑いながら語られたものです。先生は、その後も池上さんと共に「文化としての妊娠中絶」や更年期の本等の貴重な翻訳、出版もされていましたが、50才の若さで亡くなってしまいました。大酒のみで、飲むと議論をし、それがいつも大けんかになってしまって、ハタにいるとハラハラという、そんな場に何回も同席させて頂きました。スケールの大きい人でした。早死にされたのが、とても残念です。
その集会をした年の夏、私は大学病院から土谷病院に移ったのです。
昨日は、お昼の時間があったので、姉と一緒に平和公園に行き、サクラの下の川岸でお弁当を食べました。太陽がぽかぽかと暖かくて、風で桜の花びらがさあっと降って来たり。患者さんのことで胸を痛めていたのですが、少しだけ癒されました。いよいよ今年の桜も終わりですね。
コスモス薬局のHPの中に私の「体の相談室」と「著書」の販売があります。
ぜひ、覗いてみてください。
| 固定リンク
コメント