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韓国ドラマ「悲しみよ・さようなら」と「アイリス」について

シリーズは、プリンスホテルでの性教協全国大会をちょっと後回しにして。今日は、韓国ドラマについて。

 ずっと楽しみに見ていたLaLaテレビでの「悲しみよ、さようなら」。全60回、28日で終了しました。珍しく悪役がほとんど出てこない、家族の絆をしっかり描いたドラマ、良かったです。終わってしまって、なんだか気が抜けました。

 入れ替わるようにTBSで始まったイ・ビョンホンの「アイリス」。28日が二回目の放送でしたが、すぐにはまりましたね。イ・ビョンホンもいいけど、何より引かれたのが、キム・テヒ。なんともきれいで、笑顔がかわいくて、ちょっと勝気そうな表情が何ともいえません。本当に素敵な女優さんです。ほれぼれしながら見ています。

 2回見たら、もうたまらなく次が見たくなって。実は、10回分のDVDを手に入れていたのを引っ張り出しました。そして、29日の朝5時半までかかって10話全部見ました。ああ、早く次が見たい、と、今もそわそわしています。

 私は、韓国ドラマは吹き替えはいやで、韓国語の音と字幕で見ています。私の持っているDVDは韓国で放送されたそのままです。28日にTBSで放送されたのは、所どころ切って短くしてあります。特に、秋田での二人のラブシーン、とっても素敵なのに、日本ではほとんどカットですね。別に全裸ではないし、とっても素敵なシーンなのに、カットされるのは残念です。

 それと、アイリスは、北と南の分断された厳しい状況の中での両方の情報員(?)のドラマですが、一方的にどちらかが一方的に悪者というのでない描き方も好感がもてます。

006_2 以前韓国に行ったときに国境を尋ねるツアーに参加しました。板門店ではなく、別の国境なのですが、その厳しいチェックに体が硬くなりました。国境地帯に近づくと、バスに、大きな銃を持った兵隊さんが入ってきて、胸に持ったパスポートと顔を一人ひとり点検されました。

 国境の一箇所の写真です。沢山の人の思いがここに書かれています。家族と離れ離れになった皆さんの思いはやはり統一。いつの日か統一されて自由に会えるようになりますようにというその切実な願いがいっぱい書かれていて、胸を打たれました。

 やはり今も戦争状態にある両国で、この写真からもっと国境近くに入っていった所では、軍隊の兵隊さんが厳しい表情で警備していますし、塹壕も掘ってあります。その中にも入らせていただきました。河のすぐ向こうには、北朝鮮の建物が見えます。山はほとんどが禿山、木がありません。貧しい生活で、木はほとんど暖房用に燃してしまっているとのことです。

 そんな緊張状態にある北と南ですので、このドラマのようなこともありうること。でも、韓国では、日本のように北朝鮮を悪く言う人たちに会ったことがありません。全く日本と雰囲気が異なります。考えてみれば、私たちだって、日本の真ん中に線を引かれ、東京にいる私の子どもたちとは異なる国になって、自由に会うことも出来なくなったなら。何とかしてまた自由に行き来できるようになりますように、と願うはずです。

 そんなことを考えながら、アイリスを見ました。それにしても、これから先も早く見たい、何とかしなくっちゃ、です。


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「私と性教育」(24)性教協に来て戴いた方たち。

 性教協というのは、民間の性教育の研究団体で、誰からもどこからも制約されていません。教師や助産師、看護師、医師、養護施設の職員など、様々な立場の人たちが自由に参加できるゆるやかな団体です。

 1988年性教協広島サークルを結成して、これまで長い間、めげることなく研修、学習、実践を続けて来ました。公開講演会、セミナー、例会。今、改めて見て、感無量の物があります。

 私たちが主催した数々のセミナーでも、性教協の会員の人たちばかりで行っているという事ではありません。これまで次のような方たちにおい出いただいて、講演を聞きました。

 映画監督の槙坪多鶴子さん(1988年)、エリザベート音楽大学の心理の教授(当時)の松原秀樹先生(1989年)、広島市児童相談所(当時)の所長の岡田隆介先生、中国新聞の女性記者(当時)の中村隆子さん(1990年)、ブラジルで長い間エイズのボランティアをし、現在は東海大学の教授になっている小貫大輔さん(1990年)、詩人、うましめんかなの作者の栗原貞子さん(1990年)、産婦人科医であり、昔から若者の性の相談役を担って来られ、ハウトウーセックスの著者である奈良林祥さん(1991年)、当時は編集者であり、ジャーナリスト、現在エイズ関連のNPOの代表である池上千寿子さん、中国新聞の記者、現在の解説委員の山内雅弥さん、広島大学の高田昇先生、国立療養所の寺井英一先生、当時、エイズ患者としてはじめてカミングアウトをした平田豊さん(1992年)、当時血液製剤によるHIVの感染の問題を精力的に取材、放送していたNHKのディレクターの池田恵理子さん(1993年)、フリージャーナリストで多くの著書のある宮淑子さん、東京家政大学の樋口恵子さん(1995年)、沖縄のジャーナリストの宮城晴美さん、心理カウンセラーの森川早苗さん(1997年)などなど、様々な人たちの講義を受け、勉強して来ました。

 それぞれの現場で自分の仕事に取組んできた人たちのお話にはいつも胸を打たれます。

 また、学校現場で性教育の実践に取組んでいる人たちの実践報告は、私のように教育現場の外にいる者にとって、本当に勉強になりました。

 そして、橋本先生が希望してもかなえられなかった性教協全国大会を、ついに広島サークルが引き受けることになりました。2002年8月8・9・10、プリンスホテルを三日間借り切っての開催です。

2010_04270001よぼG先生のブログで初めて知った「御嘉家」。職場のすぐそばにあるのに、これまでいったい何をしていたのでしょうね。焼き鳥等の居酒屋さんですが、お昼のランチがあるとは。早速行ってみました。G線の少し向こう、私の行きつけの「酒呑」の手前です。これはミニ三色丼定食です。この前に普通サイズのをいただいたら、ちょっと多過ぎて、ミニでちょうどです。そぼろがとってもおいしいし、から揚げも二個ついています。これで550円。でも、行くのが二回目からは50円引きになるので、500円でした。ここのから揚げは名物みたいで、おいしいです。「てんから定食」というのがあって、何なのかと尋ねたら、なんとから揚げが10個ついているのだそうです。いくらでもカロリーの欲しい若い人たちが行くといいですね。私たちには、ミニがちょうどです。他にも沢山のメニューがありますので、これからいろいろと制覇してみます。


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「私と性教育」(23)性教協広島サークル結成。

 広島エイズダイアルのボランティア活動には性教育に携わっている人たちも多く参加しました。性教協広島サークルのメンバーです。

 性教協広島サークルは、1988年夏に結成されました。というより、正確には再結成です。以前から、広島県福山市で橋本先生が中心となって性教協の活動はなさっていたのです。橋本先生は、先述のエイズの検査に保健所に行ったとき、朝食に何を食べたか聞かれたとみんなの爆笑を誘った人です。でも、福山での活動は細々でした。

 そんなとき、性教協の大会が倉敷で開かれ、それに広島県からも沢山の教師が参加し、目を開かれた思いがした、と、感動した先生達が広島でもそんな研究会を作りたいと動き始めました。

 私は、その頃、頻繁に出演していたNHKのおはようジャーナルで、村瀬幸浩先生と出会います。村瀬先生は、穏やかで、情熱のある先生でした。その村瀬先生から、性教協のことを教えて頂き、私も一匹狼ではなく、ともに歩む人が欲しいと思っていたときです。ちょうどみんなの意志が一致し、いろいろな変遷を経て、1988年に結成することが出来たのです。以来、性教協広島サークルでは、本当に沢山のことを学ばせて頂きました。それについては、後述します。

 今回は、橋本先生のことを。先生は、私が知り合ったときには、すでに教師を定年退職されていました。が、子どもたちを思う気持ちはとても強く、自宅で電話での教育相談を一人でなさっていました。当然、電話相談の内容から、性教育の必要性を痛感なさっていました。

 その先生と合流する形で性教協広島サークルを改めて結成ことができ、代表を橋本先生に引き受けていただきました。

 先生の悲願は、全国大会を広島でやりたいということでした。メンバーも増え、会としての力もついて来て、全国大会をひきうけてもいいのでは?となったのですが、それでも、出来ませんでした。ちょうど世羅高の校長先生もの自殺があった頃です。先生達の間にも、いろいろと動揺があったり、組合に対しての厳しい攻撃があったことも要因の一つでした。

 まだ全国大会は出来ない、となった時の橋本先生の残念なお顔が浮かびます。

 でも、いつかは、との希望を持って広島の地での活動を続けていたとき、橋本先生が癌にかかられた、との知らせが来ました。癌になっても、それでも頑張って参加されていた先生ですが、だんだんと悪くなってしまわれて。

 もう、とても危ないとなった時に病院に行くと、ベットの上で「これからをたのむなあ。」と握手をしながら言われました。その時に、私たちは、橋本先生の意志をついで、めげないで頑張ろうと決意を新たにしたのです。ほどなく先生は亡くなりました。

2010_04270004 昨日、そごうの北海道展でニシンを買いました。おなかにパンパンに卵、数の子を抱えています。私は塩漬けの数の子は知っていますが、こんな生の数の子を見たのは、初めてです。頭と尻尾を取って両側に三本細い切れ目を入れて、焼いて食べる、そのままでもしょうが醤油をつけてでもいいと、売っているオバちゃんに教えて頂きました。一匹630円だけれど、二匹買ったら1050円にして下さいました。もう、とっても美味しかったです。身はアブラが乗っているし、卵はもう最高!!いいものを買ったと思います。

 


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「私と性教育」(22)会いたくない教授に会う。

 エイズについて、官も民もいろいろに取組んでいた頃。私は、どうしても広島大学のある教授と会わないといけなくなりました。最も話しをしたくなかった教授です。

 当時、いかにHIVの感染の広がりをストップさせなければならないか、国全体、いえ、世界中が必死な頃です。教育の現場では、コンドームによる性感染症の予防ということをもしっかり教えなければならなかったのですが。

 その教授は、それと真っ向から反対の行動をとっていらっしゃいました。えらい人ですから、あちらこちらでよく講演をなさっていますし、県の組織の要職をしていらっしゃいます。その講演で「コンドームなんてことをいうから、性が乱れるんです。」と言っていらっしゃいました。絶対その人とは一緒にやりたくないと思っていたのですが。

 間を取り持って、私を説得されたのが、当時厚生省から赴任されていた広島県の担当の課長でした。僕が同席しますから、〇〇教授と話しをして下さいと。エイズに対して、県としての取り組みにボランティアをも入れなければならないということでした。私たちは、民間のボランティアとして独自の活動をすればよいと考えていましたが。国のほうから、それらをも一つにまとまりなさいというう指示があり、教授が会いたがっているということでした。

 会いたくない気持ちをもちながら、いやいやながらですが、私はその教授の部屋に行きました。仕方ない、私がなぜ教授を嫌っているか、ちゃんと話しをしましょうと決心して。そして、県の課長立会いの元、お話しをしました。

 私は、息子が中学生の時、息子に「女の子を妊娠させたらいけんよ。もし妊娠させたら、あなたから中絶を頼むようなことは絶対ダメ。もし、彼女がこの妊娠はつらい。産みたくないと言ったらそれは仕方ないけれど。彼女が産みたい、育てたいといったらそれはちゃんと引き受けなさいよ。もし学校に行ってたらやめてでも働きなさいよ。」と言いました。そばにいた娘が「大学はどうなるん?」と言いました。私は、「いけるか。大学に行くよりもちゃんと働いて、彼女と子どもの生活をちゃんと支えること。もし、歳をとって、生活も楽になたら、それから行きたければ大学に行けばいい。」といいました。

 息子が大学に入学して18歳で東京に行くとき、私は「コンドームのないセックスだけは、絶対にしてはいけないよ。」と言いました。大学生にもなけば、もういろいろあるでしょう。それは、自分自身の学生時代を考えてもありうることだと思います。だから、そういいました。そしたら、息子は、「そうじゃねえ。エイズもあるしねえ。」と言いました。先生、その言い方は何かおかしいですか?と加えました。

 県の課長は、「大学生にもなればもういろいろとあるでしょう」と言ったときに、上を向いてあはは、と大笑いしていました。

 でも、先生は、「コンドームなんてことを言うから性が乱れるんです。」という講演をなさっています。これは、今、世界を挙げてエイズの感染予防にとりくんでいることに反します。そのような講演をなさっている先生と一緒にすることは出来ません。と、言いにくいことですが、思い切って言いました。

 そしたら、教授は「僕は、今、初めて性教育を受けました。よく分かりました。よくわかったので、一緒にやりませんか。」と言われました。それまで性教育を受けたこともなく、考えたこともなかった人が、それぞれの分野で性教育に向き合わなければならなくなった、エイズの感染拡大がそうさせていたのです。

 それからは、県のHIVへの取り組みに、広島エイズダイアルも参加することになりました。

2010_04250014 2010_04250015  25日の日曜日の夕飯はたこ焼きです。初めて自分で作りました。上出来でした。外はカリッ、中はふわふわでおいしかったです。二回作って、後の一回分は、冷凍しました。湯気で写真がぼわっとしています。すみません。


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土・日のこと。

 シリーズはまだまだ続きます。エイズと性教育についても、もっと話したいこともありますし。が、今日はちょっとお休みして。

 この土日のことについて。

2010_04250002  24日土曜日は、診療後西区天満町の「のらや」へ。「平和を語る会」ヒロシマ、ナガサキからチェルノブイリ・上関そして再び8・6ヒロシマ平和の夕べへーチェルノブイリ24周年記念ーという長いタイトルの会が開かれていました。午後5時半からの始まりですので遅刻でしたが、懐かしい方々にお会いして楽しく過ごすことが出来ました。みんな、いろいろな現場で頑張って活動をしておられます。ちょうど、この8・6にする「平和の夕べ」のチラシが出来上がっていて、私は、その宣伝もかねて話しをさせて頂きました。

2010_04250004 会場は、椅子席と座席とに別れています。あっち行ったりこっち行ったりしていろいな人と話しをしました。

 25日日曜日は、アステールプラザでの映画「ヒロシマ・ピョンヤン棄てられた被爆者」の上映会に行きました。

 ヒロシマで被爆し、家族と離れて一人北朝鮮で暮らす李桂先さんのドキュメンタリー映画です。母親は大竹在住。母親に会いたいと涙ながらに語る桂先さん。その数日後にお母さんは亡くなってしまいました。近くて遠い国。その北朝2010_04250005 鮮の被爆者は、1911人。そのうちのすでに1529人が亡くなっています。確認できている生存者は382人。そのうち、被爆者手帳を持っているのは、たった一人。何の援助もなく、厳しい生活を強いられています。

 映画の上映の後には、映画の監督の伊藤孝司さんと広島市立大学国際学部準教授の 金 栄鎬(キム ヨンホ)先生の「日朝不正常関係の中の在朝被爆者」という講演もありました。

2010_04250011  今年は韓国併合100年。被爆65周年。8・6の集会で司会をする予定の私は、まだまだ勉強しなければなりません。

 映画の懇親会に出た後、今度は赤ちゃんに会いに行って来ました。ヨーロッパに養子としていく予定の赤ちゃんです。産んだお母ちゃんが一人で退院した後、病院で育ててもらっています。手続きにしばらく時間がかかりますので。看護師さんたちがかわいがって育ててくれて、情が移って、と言われています。幸せになろうね、と言って来ました。


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「私と性教育」(21)横浜エイズ会議・女性とエイズ。

 横浜エイズ会議の「女性とエイズ」には、沢山の女性達が集まり、世界中の様々な発表が行われました。その中のタイの研究者という女性の発表にびっくりしました。

 タイのプーケットに来た女性達が、「ビーチボーイ」とコンドームも使わないでセックスをしている。日本の女性は、物ごとをはっきり意志表示しない。あいまいな笑顔を浮かべる。ビーチボーイにとって格好のセックス相手となる。これでは、日本の女性達はエイズにかかってしまうだろう」と言うものでした。

 ビーチボーイとは、海でさまざまな遊びを指導したりして遊ばせてくれる人。私も、よく海外ではバナナボートやパラセーリングなどで遊ばしてもらいます。その世話をしてくれる人達は、みんなとても親切です。

 でも、その発表にはデータが何一つありませんでした。データがありますかという質問にもないとの答えです。

 私は、思い切って手を上げて発言をしました。

「私は日本人の医師です。女性のHIVに感染している人たちを診ています。私の患者さんのすべて、そして日本の女性の感染者達のほとんどすべてが、パートナーから感染しています。夫であり恋人である人からの感染です。それは、パートナーが感染していることに気づかなかった、だから感染しているに過ぎません。でも、日本の女性感染者達は、まるで性的にふしだらだから感染したという、そんな偏見が作られています。

 だから、彼女達は、身近な人にもなかなかカミングアウトできないでいるのです。もしあなたがあなたの国のビーチボーイのどれくらいがHIVに感染していて、その中のどれくらいが、たとえばある期間、何人が何回くらいの日本女性とセックスをしたか、その中のどれくらいがコンドームを使わなかったか、それに彼らに対してのどんなHIVの感染予防の教育をしているか、そんなデータを出したなら、あなたの意見も素直に聞くでしょう。でもあなたのこの発表は、日本の女性に対しての偏見をもっと強めるだけです。そんな偏見を作ったのは、家田荘子の責任もあるけれど、あなたもそうだ。」たどたどしい英語で話しました。そしたら、会場からものすごい拍手をしてもらいました。

 後で、司会をしていた人や聴衆の人など、日本人も外国人も沢山の人たちに取り巻かれました。それに後で知ったのですが、その彼女の発表は、日本の政府からのお金の援助でされたものであるということで、唖然としました。翌日の英語の新聞に彼女の発表と、私の抗議と、それに彼女のコメントが出ていました。「私は日本の女性達のために発表したのに、受け入れられなかったのは、残念だ」と言うものでした。

 私は、その発表は、全く研究としてなっていなかったと思います。研究者であるなら、ちゃんとフィールドワークなり、データ取りだの、または聞き取りだの、それなりのことをしないと。いったい、彼女達は日本からの大金をどう使ったのかねと思えるようなお粗末な発表でした。そんなことで日本の女性のためになんて、大きなお世話だと思いました。

 同時に、日本の女性たちに対しての厳しい偏見の目をますます感じたのです。

2010_04220006 週刊誌のコンビにスイーツのランキングで絶賛されて一位になっていたのがローソンの「スプーンでたべるプレミアムロールケーキ」。ロールケーキ大好きの私は、真夜中、この記事を読んですぐ車を飛ばしてローソンへ。ありました。ついでに並んでいた「プレミアムチーズロールケーキ」も買いました。おいしかったあ。150円でこんなのが食べられるなんて。ちなみに、チーズより、普通のほうが私には好みでした。これだから太る一方なのです。


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「私と性教育」⑳エイズと性教育

 エイズが大問題となったら、やはりそこに教育が大切だとなります。教育の課題としては、まず1.差別偏見の排除・松本や高知や神戸のパニックで見られたのは、HIVに感染した人たちに対しての差別の嵐でした。それを正していくこと。2.HIVの感染予防・HIVだけでなく、すべての性感染症の予防を含んで。

 だったのですが、でも実際の教育現場ではずいぶんと困惑と混乱がみられました。特に小学校では、HIVを「血」の問題とする教育がおこなわれました。確かに、血友病の方たちは「非加熱の血液製剤」で感染させられました。それに、感染経路は「輸血などの血液、セックスにより精液が粘膜にふれること、麻薬の回しうちなどの注射器の共有、後は産道感染・母から子へ」などが主なものです。でも、小学校では「性交」は教えないとするところでは、性交感染は言えないわけで。だから、血液を介してだけになってしまいました。

 それは、「血に気をつけなさい」血は手で触れてはいけません。となって行きました。結果、運動場で転んで膝から血を流した子が「血だ、血だ、エイズになるぞ」と友だちから遠巻きにされて騒がれるというような、そんなことがあちこちで起こりました。

 私が九州のある県に講演に行ったとき、まさにその通りの授業の実践の発表が行われていました。エイズの授業として、「血に気をつけなさい」と取り組んだと。それに対して、違うのではないかという指摘がありました。そしたら、教育委員会の方が出て、「わが県の理念としては、性交は教えないことになっているので、それでよろしい。」と言われました。「県の理念」にひどく違和感を持ちました。

 また、四国のある県でシンポジストとして行ったとき。ある教育大学の教授、性教育にも力を持っている人が「ここにエイズに感染した人がいます。皆さんはこの人とコンドームを使ってセックスをしたいと思いますか」と言われて、本当にびっくりしました。私は、「社会にはHIVに感染してして、でもコンドームを使いながらセックスもして、二人で懸命に生きているカップルは沢山いらっしゃいます。今の発言はその人たちを侮辱するものです。取り消して下さい。」と言いました。この方は、当時も高価な壷の販売で問題とされていた宗教団体の理論的指導者とされていた人でした。

 このように、エイズをきっかけとして、「ノーセックス」を主張する人たちがいたことも事実です。「セックスをするとエイズになるぞ」という脅しの利用ですね。

 でも、何だかんだとしながらも、国全体が性教育について論議し、あれこれ取り組んでいたのも事実です。今よりうんと活気がありました。

 そんなとき、第10回国際エイズ会議が横浜で開かれました。1994年8月です。私たちは広島エイズダイアルの活動報告をしました。発表は英語です。発表者の私は、HIP(平和のためのヒロシマ通訳者グループ)の小倉桂子さんにお願いして、女性のアメリカ人の先生を紹介して頂き、原稿のチェックと英語の細かい発音の指導をして頂いて、発表に臨みました。発表はそれなりにこなすことが出来たと思います。

 所が、その会議の「女性とエイズ」の会場でとんでもない発表が行われたのです。次回に続きます。

2010_04230001  昨日からそごうで北海道展が開かれています。早速お昼に行き、「すみれ」の味噌ラーメンを食べました。が、これは、もう年寄り向けではありませんでした。あまりに味が濃くて、塩気が強いし、あぶらギトギトで。全部食べることが出来ず、残してしまいました。平日の昼で、食べている人は若者はあまり居ず、ほとんどが年配の人たちです。皆さん、どうだったのかしら。これを全部食べると血圧が上がりそう。まあ、評判のお店なのだそうで、一度は試して見てもいいかも知れないけれど、もう二度と食べようとは思いません。これは、カロリーがいくらでも欲しい若者向けです。でも、そんな若者は北海道展には余り来ないのよね。


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「私と性教育」⑲署名を出しに厚生省へ。

 昨日の日赤看護大学の講演、無事終了しました。スライドは一応作りましたが、大学に着いても、まだどんなスタンスで話そうか、ずっと迷っていました。が、話し始めると、スイスイ。用意して行ったスライドは、10枚程度しか使いませんでした。

 学生さんたちはよく聞いてくれたと思います。若い人はいいですね。生き生き、のびのび。彼女達の将来に幸あれ!!

 学生さんたち、沢山のコメントありがとうございました。また、どこかでお会いできるといいですね。そうそう、「私は、土谷病院時代に先生に取り上げてもらいました。」と言ってくれた人がいました。本当にうれしいものです。沢山の赤ちゃんを取り上げて来ましたが、もう多くの子がしっかり大人になって活躍しているのですね。改めて、この私がしてきた仕事はいいものなのかもしれないと思っています。

 関係者の皆様大変お世話になりました。これからの皆様のお仕事に少しでもお役に立つことが出来たなら、うれしい限りです。

 さて、薬害エイズについての広島エイズダイアルの支援活動です。原告の方たちや弁護士さん、厚生省の方などをお呼びして、いろいろな講演会をすると共に、署名活動に取り組みました。厚生省は、裁判で闘うことをやめて、早く原告を救済して下さいという趣旨の署名です。沢山の方たちが署名集めをして下さり、アット言う間に10万人近い署名があつまりました。

 重いそれらを風呂敷に包んで厚生大臣に渡しにいきました。私は、ちょうど講演があって東京に行っており、後から新幹線で来たエイズダイアルのメンバーや原告の人たちと待ち合わせをしました。東京駅からタクシーで来る途中、「アッ、あれ何やあ」「あれは皇居よ。」「へえ、皇居か。広いのう。」などと大騒ぎだったと。本当に田舎から重い荷物を持っての上京でした。

 そして、あらかじめ、当時衆議院議員だった秋葉市長に手配して頂いて、大臣室に行ったのですが、大臣はいないで、秘書さんが対応されました。署名を渡しましたが、本当に大臣が目にされたのかどうか分かりません。

 追い立てられるように大臣室を出る時には大臣室に沢山の椅子が次々と並べられていました。誰かが来るのだなあ、その人たちには大臣が会うのだなあ、と思いました。外に出ると、「〇〇大臣後援会様」と言うステッカーを貼ったバスが止まっています。ああ、そうか、地元から支持者の人たちが来るのだわ。私たちには会わなくとも、地元の人たちには会わないわけに行かないのよね、とひがみっぽく思ったものです。

 ところで、高田先生は、原告の証人として大阪裁判の法廷に立たれました。先生は、当時広島大学の国家公務員の立場です。原告は国を訴えています。その裁判で国の職員である者が国を訴えた人の支援をすることに悩みが深かったと。当時の教授に相談に行ったところ、「あなたが正しいと思うことをやりなさい」と言われたのだそうです。その教授の言葉で、先生は法廷に立ち、大切な証言をされました。教授にそういわれたことなどは、先日退職されるときの広大での最後の講義でお話されました。

2010_04180006 ランチです。そごうの隣のメルパルクの二階の日替わり御膳。1000円です。あれこれと、本当に美味しかったです。こんな豪華なのはめったに食べません。いつもは400円から700円のラーメンミニだったり、にゅめんだったり、日替わりランチだったりです。こんなに豪華なのを食べた夜は、軽く済ませます。


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「私と性教育」⑱番外編・今日は看護大学で講演・ソニーについても

 今日は木曜の休診日。看護大学での講演です。どんなスジ立てにしようか、ずっと考えていました。担当の先生からは、「学生たちへの性教育を」という依頼でした。

 私はいつもスライドをつかわず、口だけで講演をしています。特殊な、たとえば癌についてとか、更年期についてとか、テーマが決まっているときは、統計などを出すためにスライドを使います。今度の広島大学での公開講座では、「性感染症、避妊」とこれもはっきりしたテーマが与えられていますので、これも使います。

 中学生や高校生と違って大学生ともなれば、かなりの高率ですでに性行動もとっているわけで、きわめて具体的に即役に立つことも伝えなければなりません。大学生といえども、ちゃんとした知識が入っているかというと、決してそうではありません。それまで自分が接した情報で自分自身の意識が作られています。

 しかし、今回は看護大学なので、かなり体については学んでいるでしょう。また、全学年ですので、4年生などは、しっかり知識が入っていると思います。後は、自分自身がどう行動を選択するかという問題だけでしょう。

 それから、中には将来自分が性教育に携わりたいという希望を持っている人もいるでしょう。病院で勤務をし始めると、性行動でのトラブルや悩みで来院したり入院したりという患者さんに接することもあるでしょう。その人たちにどう接したらいいのか、それも話したい。話したいことがいっぱいです。

 高校生でもない、一般の大学生でもない、子育てをしている保護者でもない、科学的知識はかなり持っている、その人たちにどんなスタンスで話せばいいか、ずっと頭を悩ませています。

 昨日から、夜通しこもってスライドを作っています。いろいろな統計を引っ張ってきたりしながら、あれこれ作っていますが、まだ完成しません。

 おそらく、ここの大学生たちと接するのは、この一回だけでしょう。この一回の出会いを大切にしたい、これからをしっかり生きて戴くためのなんらかの糧にしてもらいたい、そんな思いでもう少し頑張りましょう。

 そんなわけで、今日は性教育の番外編で、エイズはお休みにさせて下さい。

2010_04220005 しつこいのですが。以前、ソニーへの車が歩道へ車を止めることをブログに書いて、何人もの方がそのブログをソニーに教えて下さったようで、以来、歩道に止めることはなくなっていました。そしたら、夫が「甘いよ、昼に僕はなんども止まっているのを見てるよ。」と言っていました。まさか、朝だけ?と疑わしく思っていたのですが。

 昨日の朝はこうでした。横断歩道から歩道に乗り上げて、止まっています。横のドアがスライド式に開いて荷物をそこから降ろしています。歩道に完全に乗り上げていなかったのは、この向こう側、会社のビルとの間にもう一台止まっていたからです。二台止まっていて、あら、これは通れないわ、びっくりして、写真!とカメラを出そうとしているうちに、一台が歩道上の私の横をすり抜けて行ってしまいました。二台並んでいるのを撮れなくて残念。もう、元の木阿弥です。なんだか悲しくなりました。これは、運転手さんの問題ではないと思うのです。このビルに入ったところの一階の右側には事務室があります。そこに、「車は歩道にとめないで下さい。うるさいばあさんがいます」くらい書いて貼って置けばいいのに、と思います。しつこくっても、ウオッチングを続けます。私の通勤の時間だけですが。


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「私と性教育」⑰エイズウイルス抗体匿名検査

 結成当初、エイズウィルスの抗体検査を各保健所が無料匿名で行っていました。それがどうもちゃんとされていないのではないか、とくに匿名性というのがどうなのか、という問題が起こりました。あるところに検査に行った女性を職員がかわるがわる見に来たということもミニコミで発表されていました。

 私たちは、県内すべての保健所に検査に行くことにしました。あらかじめめすべての保健所に匿名で検査に行くこと、その結果については公表することをお知らせしておきました。

 そして、その結果の報告会を開きました。そこには、県の課長をはじめ担当の方たちにも来て戴いていました。

 広島市内ならまだしも、田舎の保健所では、エイズの検査に来る人なんて、ほとんどいない頃です。検査に来た人がエイズダイアルの人だろうというには、ばればれでしたが、それが分かっていても、それでもいろいろありました。

 特に圧巻は、橋本先生という、小学校の教師を定年退職し性教育のグループで共に活動をしていた男性の先生が検査に行ったときの話です。保健所でまず話を聞かれます。「空腹でこられましたか?」と聞かれ、「いえ、朝ごはんを食べてきました。」「ええっ、食べているのですか?何をたべられましたか?」「御飯と、味噌汁としゃけの焼いたのと」と答えたというのです。脂質や糖尿の検査ではないのですから、食べ物は全く関係ありません。これには、みんな笑いました。

 さらに、検査の結果は、まだその頃一週間後に聞きに行かなければなりませんでした。それを、「結果が出たら、こちらからお教えしますので、電話番号を教えて下さい。」と言ったというのです。匿名の人の電話を聞くなんて、ええー?というものです。それに、もし陽性だったら、電話で済む問題ではありません。「そりゃー、教えられん。」と橋本先生が言ったというところでは、もうおなかが痛くなるほど笑いました。

 県から来られた方は、「もう、大恥をかいた」と言われました。もちろん、恥をかかすために呼んだのではありませんし、私たちがこんなことをしたのは、私たちが行ったことを予行演習として、すべての保健所で希望者にはスムーズに気持ちよく検査をして欲しいという思いでした。が、やってみると、やはりいろいろだったのです。

 エイズについては、血友病の方たちの血液製剤による感染が世界的に大変なことでした。日本でも、多くの方の感染がわかり、それはそれは大変な事態でした。1989年5月、東京と大阪で薬害エイズ訴訟が提訴されました。

 私たちのボランティア活動も、電話相談、具体的なケアサポート、研修会の開催などに加えて、薬害訴訟の支援も大切なことでした。それを次回お話します。

2010_04180026 18日日曜日の世羅甲山ふれあいの里のこれはそめいよしのです。枝垂桜と共に満開で、それはきれいでした。今日はそろそろ散りはじめているでしょうね。


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「私と性教育」⑯「広島エイズダイアル」立ち上げ

 様々な方が駆けつけて下さったエイズメモリアルキルト展、最後の日にイベントを行うことになりました。キルトは四枚つないで大きな一枚になっています。はずした一枚を広げて持って、みんなで平和公園に行きました。ぞろぞろと臨時のデモ行進みたいなものです。

 原爆ドーム、子どもの像、慰霊碑と歩き、最後に資料館の下にキルトを広げて、みんなで囲みました。そして、キルト展を終えるにあたって、それぞれの思いを話しました。

 血友病友の会の一人が「僕はこれまでどうしたらいいのか分かりませんでした。でも、これで何をしたらいいのか、何か分かったような気がする。」と言いました。それを聞いていた高田先生が涙ぐみました。

 沢山の方たちにも出会いました。大変だけど、やってよかったと、本当に思いました。

 そのキルト展をしたメンバーがその後話しあいをつづけ、結局「広島エイズダイアル」を立ち上げることになりました。キルト展をしたのが1991年4月、エイズダイアルの立ち上げがその年の8月です。

 話し合いの末、代表を私がすることになりました。私はその前年に勤務医をやめ、開業医となって、だれからも縛られることがない立場になっていました。何のしがらみもありません。私にとって、新聞紙上でとても見識のない文を書いてしまった償いの意味でもありました。

 以来、これまでエイズボランティアを続けています。もっとも規模や活動のの中身など様々姿を変えてはいます。はじめた頃は、会員募集にどっと人が集まり、24時間電話相談などは、まるで野戦場のような雰囲気でもありました。電話相談員の養成講座にもいろいろな講師が来てくださり、沢山のひとが連続して講座を受けました。

 中でも、これまで一緒に性教育をしていた仲間が沢山参入して下さり、大きな戦力になりました。全国や外国の他のボランティアの人たちともつながりが出来ました。振り返ると、走馬灯のように様々な方たちのお顔が浮かびます。

 多くの方がなくなりました。はじめに話した山形の宇野信子さん、お子様をなくした後、ご自分もお家で倒れ、亡くなっていました。横浜エイズ会議では、自分の息子さんのユニホームを縫いつけたキルトを案内して下さいました。山形に講演に呼んでいただいて時には、こんにゃくをごちそうになりました。

 赤瀬範保さん、石田吉明さん、大分の草伏村生さん、平田豊さん、皆さんのお話しは、自分の命を懸けて鋭く、でも同時に皆さん他者に対しての限りない優しさをもっていらっしゃいました。

 私は常に、ボランティアとは何ぞや、とといかけながら過ごして来たように思います。もう少し、エイズボランティアの話をつづけます。

2010_04180032 18日日曜日の世羅の芝桜です。五分咲きといったところで、もうちょっとです。広大な敷地全部に咲きそろうと本とうにきれいでしょうね。

 


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「私と性教育」⑮メモリアルキルト展開催。

 池田恵理子さんのおかげで、根岸先生や宇野信子さん、それに高田先生にも斉藤洋さんにも縁が出来ました。その後あちらこちらでお会いし、私の性教育やエイズボランティアにどれだけの力をいただいたことかと思います。

 ともあれ、その時にいやと言えないで引き受けてしまった、エイズメモリアルキルト展を広島でもしなければならないこと。会場選び、お金集め、それは大変なことでした。とりあえず簡単にチラシを作り、それを持ってカンパ集めをしました。会場は、それは苦労しました。沢山のキルトの展示が出来る会場というと、なかなかありませんでした。

 広島でキルト展をすることを知った芸北の青年が、手伝うからと来てくれました。その彼が今も広島エイズダイアルの事務局長をしている三浦さんです。血友病友の会の人も何人か駆けつけてくれました。少ない人数で、それでも勢力的に動いて、準備を進めました。

 大変苦労して開催した広島展は結果的には1000人を越える方が来てくださり、大成功でした。カンパも沢山あつまりました。経費以上に残ったお金はメモリアルキルトジャパンに寄付することができました。

 その会場には、広島の人だけでなく、全国から人々が来てくださいました。中でも、日本で第一号にエイズウィルスに感染している事をテレビで公表した赤瀬範保さんが車椅子で奥様と共に駆けつけて下さいました。彼は、書家です。広島の会場で、彼は自分のキルトを作りました。畳一枚の布に、書で漢詩を書きました。「若い人たちが次々と死んでいく。君達よりも歳をとっている自分が生き残っていて、申し訳ない」という意味の漢詩でした。そして、赤の墨汁に自分の血液を採血してまぜ、それに手のひらを浸して、漢詩の下に手形を押しました。エイズウィルスが入っている手形です。それにドライヤーで熱風をあて、乾燥させました。壮絶なキルトでした。

 赤瀬さんは、ユーモアのある人でした。池田さんを東京の妻、そして私を広島の妻にしてあげると言って皆を笑わせました。私にとっては、一生懸命にやっていることを認められたようで、とてもありがたいことでした。

 それにしても、世界中から集められたキルトは、圧巻でした。アフリカで作られたキルトには、木の皮が縫い付けてありました。そこでは、人が亡くなると、木の皮をはいで、それにくるんで葬るのだと。エイズで沢山の人が亡くなるので、木が次々と丸裸になってしまっていると聞きました。

 かわいい赤ちゃんの顔の写真には、ベビーフトンが縫い付けてあり、まるで赤ちゃんがフトンの中で眠っているようでした。そして「あなたがいてくれて、私たちは本当に幸せだった、私たちのところに来てくれてありがとう」と、もちろん英語でメッセージが縫い付けてありました。これは、エイズの親から感染してうまれた赤ちゃんを養子として迎え、亡くなるまで育てていた養親が作ったキルトでした。

 中でも、とっても美しい笑顔の若い女性の写真が目を引きました。その彼女が着ていたワンピースのポケットには、彼女のボイフレンドからの手紙が入っていました。「いつまでも愛しているよ」と。

 まだまだ治療方がなかった時代です。それはそれは、一枚ずつが壮絶、ものすごいものを訴えていました。

2010_04180019 昨日、「世羅 甲山ふれあいの里」の桜祭りに行ってきました。250本もの枝垂桜が満開で見事でした。今年はちょうど奥にある「そめいよしの」も満開で、両方の桜を楽しむことが出来ました。

 何だか花ばかり追いかけています。ついでだからと、チューリップもポピーもラベンダーも、芝桜もと次々に訪ねましたが、どれもまだ咲いていなくって残念。今年は遅いのだそうです。ちょうどゴールデンウィークの頃にはきれいでしょう。


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「私と性教育」⑭エイズのそうそうたる関係者に出会う。

 1990年、私が土谷病院をやめて11月に開業をして、程なくのことでした。夜遅く、池田恵理子さんに呼び出されていったのは、近くのホテルの最上階のバーでした。入り口で池田さんを呼び出して、連れられていかれたところでは、何人もの方がテーブルを囲んで活発に議論をしていました。知らない方ばかり。池田さんのほかに、たった一人知っているのが高田昇先生です。覚悟を決めていましたので、すぐに私は頭を下げました。「その節は、私がまちがっていました。高田先生の反論でよく分かりました。ありがとうございました。」と。先生は、にこにことしていたので、ほっとしました。

 その時は何の会なのか知りませんでした。広島でエイズの大きな会が開かれ、そこに、日本で様々な分野でエイズと取り組んでいる、そうそうたる方たちが一同に会したのだと。その会の後にこうして皆さんが集まっていたのです。

 私は、全くエイズとは無縁のところにといたもので、ただ、皆さんの議論を聞いていました。物静かで、でもどこかウイットのある紳士だったのが、都立駒込病院の根岸昌功先生でした。日本でいち早くエイズの患者さんの治療に取り組み、マスコミにもしばしば登場している方でした。

 大変元気な女性、一生懸命に話しているのが、山形の宇野信子さんでした。血友病の息子さんがHIVに感染していました。これからの行く末について。多くの血友病友の会、患者会が、その頃崩壊の危機に陥っていると。患者会として機能しているのは、広島だけなのだと宇野さんは主張していました。その時だったか、その後だったか、宇野さんに涙ながらにお話しを聞きました。

 HIVに感染していることがわかると、ドクターから本人に告知をしなければならない。その告知になんども立ち会ったと。外で待っていると、告知された若い患者さんが、まっすぐに宇野さんのところに来て、「オバちゃん、僕、何をしたらいい?」と言ったと。当時、本当に治療法がなかった時代です。宇野さんは、その子をただ抱きしめて、そして、「強ミノの注射に通おうね」と言うしかなかったの、と。今から考えると、効くとは思えないその注射を一生懸命に受けたのだと。それしかより所がなかったのだと。本当に残酷な話しです。

 そんなやり取りを聞いていたとき、一人の男性が、「河野さん、僕はこういうものです。」と話しかけて来ました。それが、京都の染色家の斉藤洋さんでした。

 斉藤さんは、ニューヨークでメモリアル・キルトを見て、とても感動したのだと。それを日本でも展示したい、ついては、ぜひ広島でもしたいので、受け入れをしてくれないか、と言うことでした。メモリアル・キルトは、エイズで亡くなった人を偲んで、その家族や友人達が、畳一枚の大きさの布に亡くなった方が使っていたものや衣服や写真、メッセージなどを縫い付けたものです。

 それをアメリカから、100枚以上借りて全国を縦断すると。福岡ではデパートの催し物会場で、京都では博物館で、などと北海道まで、大変な会場ですることが決まっているのだそうです。急に広島でも、といわれて途方にくれる思いでした。

 でも、皆さんのエイズに対しての真摯な話しを聞いていて、心打たれていた私には、断ることが出来ませんでした。

 それが、エイズボランティアをこれまで20年間続けてきた、そのきっかけとなったのです。


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「私と性教育」⑬エイズ・高田昇先生との出会い

 土谷病院で、診療に性教育の講演にと、忙しくしている頃、1984年から、国内外で「エイズ」というそれまで聞かなかった新しい病気について報道されるようになりました。中でも、血友病の方たちの多くが、輸入血液製剤で感染させられていること、そしてどうも性交でうつる病期らしいということもぼんやりと分かってきました。

 1986年11月、松本事件が起こりました。HIV(エイズウイルス)に感染しているフィリピンの女性強制送還され、それとともに松本中の銭湯が「外国人女性おことわり」と張り紙をしました。

 1987年1月には神戸事件、2月には高知事件がおこったのです。神戸事件は、亡くなった若い女性がどうもエイズだったらしい、この女性とセックスをした人は、検査を受けろと、その女性の葬儀に潜入したカメラマンが葬儀写真を撮影し、週刊誌に載せました。高知では、出産を控えた若い女性がHIVに感染していると報道されました。

 神戸では、沢山の男性が、抗体検査を話受けるべく保健所におしかけて、パニックとなりました。高知では、大きな病院が「エイズに感染した人は当院を受診していません」と張り紙をしたりしていました。

 そんなとき、中国新聞から、エッセイを書くようにとの要請がありました。私は、その事件のことを取り上げて書きました。「右往左往する大人たちの姿は子どもたちに恥ずかしい、パパは大丈夫なの?と聞かれたら、大人たちはどう答えるのか。血友病で感染した人たちは大変お気の毒、この人たちも同じような差別にあわせてはならない」と。

 後で考えると、私の文そのものが、差別の文章だったのです。その頃、いいエイズ、悪いエイズの論調がまかり通っていました。それにどっぷりとつかった私の意識そのものが、患者さんを差別したものだったのです。

 それに対して、大学病院の高田昇先生から、反論の文章が掲載されました。「どんな感染経路であったとしても、私たち医師は、真摯に治療に取り組む」と。

 私は、もう深く後悔しました。ああ、そうだった!私が患者さんたちを差別していた!私は間違っていた、と。高田先生の言うとおりだ。それからは、もう私はエイズについての話しは一切しないと決めました。

 そんな時、NHKのディレクター、池田恵理子さんから連絡がありました。広島に行く機会があるので、会いませんか、と。池田さんは、私が当時度々出演していた「おはようジャーナル」のディレクターでした。その日、私はちょうど休みで、関東で講演をする日でした。でも、夜帰ってきますので、それからなら会えますと答えました。

 その夜、家で待っているところに池田さんから電話がありました。今、みんなで話をしているので、私と会うのは遅くなると。どんなに遅くなってもかまいませんよ、と答え待っていると、また電話です。まだ話しているのだけれど、ここのみんなが私もここに呼べと言っている、ここに来ませんか、と。そこに誰がいるのですか、と聞くと、その高田先生がいるというではありませんか。わあかなわん、私はよう会わんと思ったけれど、その高田先生も私を呼ぶようにと言っているとのことでした。

 私は、心を決めていくことにしました。いつまでも逃げていても仕方がない、キチンとお会いして頭を下げよう、と。


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「私と性教育」⑫知らないところでテレビ番組が作られていた。

 昨日は、春休みを終えて初めての生徒さんへの講演でした。私の好きな高校、岡山山陽高校の一年生へのお話しです。この高校では、毎年入学早々の一年生に話をしています。ここのところ、私が一年生に話し、岡山の上村先生が三年生に話すというのが定着しています。

 毎年呼んでいただけるというのは、とてもうれしいことです。それだけ先生方に認めてもらっているということかな?なんて、ちょっとだけ自負しています。今日講演を終えて帰る前にもう来年の予約を入れていただきました。入学式の次の木曜日です。「生きてたら、参ります。」とお答えしました。

 途中福山のSAでちょっとだけトイレ休憩をして、片道約二時間。帰りは食事をしたので、少し長くSAにいましたが。行き帰りの車の運転と二時間の講演でなんだか家に帰ると眠くなってしまって。久々で少し疲れたのでしょう。私も年かいな、なんて思ってしまいます。

 昔、そのNHK特集が放映された後なぞ、勤務医でしたので。それも土曜日もフルに診療がありました。途中から、交代で平日の二週に一回のみ休みをいただけるようになりました。そこに講演を集中的に入れていました。それと、日曜日です。北海道から沖縄まで、走りまわっていました。

 たいてい一日に二回の講演をしていました。地理的に近いところをまとめたり、また、同じところで、生徒向けと保護者向けだったり。ひどいときには、午前中岐阜で、午後宝塚で、そして夜岡山で講演をして帰るということもありました。若かったのでしょう。

 今は、毎週木曜日と時々日曜日、一日一つの講演だけで精一杯です。途中、20分の映画をして、その時が私の休憩で、計二時間ぴっちり話しますので、終わる頃には、声もかすれがちになります。

 来週は大学で学生に話します。要請がある限り、私の講演を聴いてくれる人がいる限り、できるだけ頑張って続けたいと思っていますが、さて、いつまで可能でしょうか。

 そうして講演に走りまわっていると、いろいろなことがある物です。ある日、山口県のある市で、女性団体の主催の講演をしたとき。テレビカメラが撮影をしています。講演の前に主催者の方から、「テレビ局が取材に来ています。」とだけ聞いていました。あっ、そうですかと、気にも留めないでいたのですが。地方に行くと、性教育の講演会が開かれたというニュースが流れたり、新聞に記事が出たりするもので。きっとその手の取材だろうと思っていました。でも、えらくしつこいのです。ずっと撮っています。しつこいなあ、とだけ思っていました。でも、どこのテレビ局なのかも知りません。名刺の一枚もいただいていません。それで終わったのですが。

 それからしばらくして。病院の売店の職員の方から「先生、またテレビにでられたのですね。」といわれました。ええ?何ですか?どこのテレビ?私知らないけど。と言ったら、新聞に出ていたと。新聞のテレビ蘭の番組の案内の記事が出ていたといわれます。さっぱり分からないので、その何日か前の新聞を捜していただきました。そしたら、びっくり。一本の番組が作られて、流されていました。それも、私の講演を撮影して、それを編集したものです。タイトルも全く別につけられています。

 本当にびっくりです。私はそんな番組が作られるなんて知りもしません。ただ、講演に呼ばれて行っただけなのですが。それに、講演をかってに短く編集されたのでは、私の肖像権も著作権もあったものではありません。講演をした本人が知らないところで、こんな番組が作られている、それはないでしょう。

 私はそのテレビ局に電話をしました。何と、電話に出られたのは、とっても有名な、名物ディレクターと言われている女性でした。私もその方の作られたドキュメントは何回か見ていて、尊敬する人でした。その方の指示で番組が作られたことを初めて知りました。でも、私の知らないところで、番組が作られるという、それはおかしいのではありませんか、と問いました。私は、その人の答えを忘れられません。

「あらっ、内のものが挨拶に行きませんでしたか。あら、おかしいわねえ。でも、主催者が取材してくれ、取材してくれというものだから、取材しただけですよ。主催者にお聞きください。」とそれだけでした。主催者に言っているといったって。私は主催者とテレビ番組を作ることなんて契約もしていないし、ただ、講演をすることしか受けていませんし。主催者がO.K.したら、それでいいのかしら。ふうん、と、なんだか納得できないまま、そのままになりました。

 私は、今も納得していません。あの有名なディレクターが、そんなことをされるなんて。と、不信感を持ったもののの、それを引きずったまま、そのままになりました。今の私だったら、謝罪くらい求めたかもれませんが。

2010_04080036_2 これが最後の植物公園の写真です。カトレア等の蘭ばかりの豪華な寄席植えです。

 お花の好きな方が勤務なさっているのでしょうね。好きなことを職業にして日々過ごすというのは、何と素敵で贅沢なことでしょう。と思いました。

 実は、私は植物公園に行ったのは、初めてです。ただもう単純にああきれい、でのんびり過ごしました。これからは、季節が変わるごとに行ってみようと思います。


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「私と性教育」⑪番組には男性が出ない!

 膨大な量の撮影がされ、でもそれを限られた時間に編集する段になると、もう私たちの手を離れます。そこには、作る人の意志、ディレクターがつくり、NHKの人達の厳重なチェックが何回も繰り返されたと聞きました。私たちは素材にしか過ぎませんでした。

 昨日のことです。結婚前の女性。産めると思っていたのに、ダメだった、中絶をと言って来ました。彼の意思だと。彼はまだ困ると言ったと。「で、避妊をしていなかったということについは、彼はどう言っているの?」「ちょっと油断したと言いました。」もう彼女は涙です。

「ちょっと」とか「油断」だとか。男にとってはそうかも知れません、でも、そんなことで、「ちょっと」や「油断」で、その結果で女は多大な負担を背負わされます。「あなたも甘かったね、避妊しなくっても、妊娠しても、産めると一人でかってに思い込んでた。現実はそうではなかった、男はそんな意識はなかったと言うことだよね。」「はい、彼は二回目だそうです。他の女性にもおろしてもらったと言ってました」と。

 この30年間、延々と続いてきたこのやり取り。ちっとも変わっていません。この姿が番組では全然出て来ませんでした。「男」が出ないのです。もちろん、男性をそのまま出すのは無理としても、私たちの会話の中で、それを表現することは出来ます。そんな場面は沢山撮影されていました。それらで浮かびあがらせることは出来たはずなのに。

 でも、出来上がった番組では、すっかりそぎ落とされていました。

 あれだけ協力したのに。こんなものになってしまった。私たちは素材にしか過ぎなかったことを深く思い知らされました。大変な挫折感でした。

 でも、社会的には大評判で、多くの学校がこの番組を録画し、授業で使われました。録画をし損ねた学校から再放送の依頼が殺到したと。で、再放送をしている最中に、ちょうど地震があってその速報を流したら、録画をしている教師から抗議の電話があったということまで聞きました。

 後に、その番組を有料のテープにして売り出したいとNHKの方が来られました。が、それはお断りしました。私の意志と異なる番組で、ますます少女達だけが責められていくというそれだけは防ぎたいと思いました。

 ただ、その番組でさらに私のところには講演や取材の依頼が殺到することになりました。皮肉なものです。

2010_04120010  今日はお花ではなく、久々に食べ物の写真を。養子縁組をする赤ちゃんに会いに行った後、ロイヤルホストでお昼を食べました。「鉄鍋 韓国風チキン わかめスープ付き」714円でした。甘辛のたれをかけて食べます。うーん、美味。でも、にんにくの香りが口に残って、午後の診療はマスクが必要でした。


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「私と性教育」⑩NHK特集「少女達の産婦人科診察室」

 皆様のおかげで、1111111アクセス達成しました。ありがとうございました。ひとえに私のつたない文を読んでくださる皆様方のおかげです。これからも、ボツボツと続けてまいります。どうぞよろしくお願いします。

 ところで、1111111番目のアクセスをして下さった方、どうぞ、コメントにご連絡を下さいませ。まだ連絡がないということは、1000000番目と同じように、気づかれなかったのかも知れませんね。ちょっとがっかりしています。もし、躊躇していらっしゃるのでしたら、遠慮は要りませんし、こうのみよこがそれだけ喜びます。プレゼントを用意しています。どうぞ、遠慮なくご連絡くださいませ。

 さて、シリーズです。

 産婦人科の診察室や病棟にテレビカメラが入るということは、とても難しいことです。どうしたらいいのか、NHKの方たちと共に考えました。患者さんの姿は絶対に写して欲しくありませんし、モザイクを入れるというのも困ります。第一、患者さんにカメラを向けるということ自体が問題なのです。いろいろと考えた末に、カメラを固定しておいていただく。出来るだけ目立たないように、箱に中に入れて。そこからレンズだけ、私たちドクターに向いています。

 そして、患者さんには、そこからカメラで撮影をしていること。しかし、患者さんは一切写らない、私たちだけしか写っていないこと。声も私たちの声のみで、患者さんのはすべて消しますから、と事前にすべての方に説明をし、了解を得ました。実際撮影してみると、私たちの声と表情だけで、すべての事態が浮かび上がります。説明も何もいりません。それだけで十分でした。医師は三人の時です。それぞれの診察が撮影されました。

 もう一つ、その撮影と同時に、私たちの診察室に来られた患者さんの内、年齢が10代だった人が1000人になっていました。その統計を取る作業もしました。それは、「初診時10代の患者さん1000人の統計」として、思春期学会で発表をすることにしました。診察室と、その統計と、それから私の講演と。講演は、ちょうどその期間に予定が入っていた京都と千葉の高校で、それから広島の小学校で保護者にしたのが撮影されました。それらを取り入れた、それなりに重いルポになりました。

 何しろ全国放送、それも日曜のゴールデンタイムの「NHK特集」です。あらかじめ各新聞のテレビ蘭で紹介もされていましたし、放映されると大評判になりました。新聞の投書欄には、この番組を見た人たちの投書が延々と続きました。

 それは、私があらかじめ心配したとおりのことだったのです。「今時の若い女がふしだらな」というありがちな批判が圧倒的でした。男性に対しての批判はなく、女性ばかりか責められる、その構図そのものだったのです。

2010_04080035 植物公園では、ゼラニウム展をしていました。これまで私はもっぱら赤のゼラニウムばかり見ていたのですが、ずいぶんいろいろな種類があるものです。本当にきれいでした。 

 


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(シリーズお休み)17歳の少女の出産、養子縁組。

 今日は、少々心が疲れているので、シリーズのような気合の入った文章はちょっとパスして。でも、必ず「NHK特集」のことは書きますので。ごめんなさい。

 そろそろ、1111111アクセスは今日だと思います。このアクセスを引いた方、どうぞ、どうぞ、ご連絡を下さいませ。よろしくお願いします。(しつこいけれど。百万が空振りだったのが堪えているのです。)

2010_04120014  先日の向原のアートまつり。雨の中、皆様ご苦労様でした。その日、ほとんど寝てなくて、でも朝早くから準備をして、出かけました。途中音♪さんと待ち合わせ。二人でお話しをしながら会場へ。始まる前についたのに、もう駐車場はいっぱいで、離れたところにとめました。雨の中、考えて、短いズボンとクロックスの靴で行って、大正解。ボチャボチャと水の中を歩いても平気でしたよ。

 あれこれ買ったものです。かごはこれから夏に使うのに。後はほとんどフェルトのハンドメイドの作品です。フェルトのかわいらしさにすっかりはまりました。メロンパンなんて、本当に食べたいくらい。お弁当も、本物のお弁当箱に、おむすびの和風のと、オムライスの洋風のと二種、お弁当を包む小さな風呂敷までついています。スイーツもああかわいい!。後は、写真にはありませんが、ノッティンさんのところで、アンティークのチーズおろしと一輪挿しにする瓶と。それに食べ物は、夕食用に山女の塩焼き二匹と、ひとは作業所のゴマせんべいの辛いの。あれこれ買って大満足です。

2010_04120012  食べたものです。皆さんのブログを読んでみると、おかしくなるくらい同じようなものを食べてます。クンちゃん卵の卵かけ御飯と、花かんざしさんが頑張っていたいのしし汁と、スジ肉の煮込みです。

 どうしても午後から会議があるので、お昼に帰らなければなりませんでした。二時間の滞在で、コレだけ買って食べて、改めて今、私の馬力もたいしたものだと思いました。

 たのしい時間を皆様ありがとうございました。それから、音♪さん、私に合わせて早く帰らなければならなくってごめんなさいね。もう少しゆっくりできたら良かったのだけれど。

 以前のシリーズで書いた17歳の少女が無事出産しました。毎日お昼時間に会いに行っています。育てるつもりはないので養子縁組を、と望んでいた彼女ですが、ここに来て、泣いています。今日は布団をかぶってグスグスずっと泣いていました。

 いつでも、養子縁組はストップできるよ。自分で育てるかね?それならそれで、その支援をするよ、と言うと、小さな声で、「でも、無理」と言います。男は逃げています。一人でとても育てられないと、本人は分かっているのですが、それでも、いざ産んでみると情がわくものです。これまでの少女達もみんなそうです。決して捨てるように手放すわけではありません。泣きながらです。この赤ちゃんは、ヨーロッパの国に行く予定です。きっと幸せになれると思います。

 彼女がやはり自分で育てるという結論を出すのなら、それはそれでまたよし、です。明日は、お昼時間に一緒に出生届けを出しに行きます。養親になる人から届いた名前を赤ちゃんにつけて提出します。その前にもう一度、彼女の意志の確認をしてからです。


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「私と性教育」⑨女性医師ばかりの産婦人科に。

 一人で赴任した土谷病院の産婦人科ですが、だんだん忙しくなって、とても対応できなくなりました。医師をもう一人増やして欲しい、と院長と大学の教授双方にお願いし、了解を得ました。その時に、私は一つのお願いをしました。

 後輩のドクターにはぜひ女性を、と。私は、土谷病院に赴任するときから「女性のドクターばかりの産婦人科を創りたい」という希望を持っていました。

 今と違って、その頃はまだあまり女性のドクターはいませんでした。特に、子どもを生み、育てなから産婦人科医を続けるというのは、あまりに過酷な職場でした。同時に女性の医師は出張病院からは歓迎されていませんでした。堂々と「女はいらん」という先生もいました。その理由に「女は妊娠するから」と先輩のドクターが言ったとき、呆然としたものです。だって、産婦人科で「妊娠するから」と言われるなんて。

 でも、まだその頃は、国全体が女性の労働というのを、そんな風に捉えていました。「男女雇用機会均等法」もありませんでした。少しずつ入局している後輩の産婦人科の女性の医師の研修や職場を私が引き受けようと思いました。

 そうして、二人目も、そして三人目、四人目もすべて女性のドクターが大学から派遣されて来ました。とにかく、勤務時間は全力で働きましょう。時間が来たら、早く帰りましょう。子どもの保育園のお迎えに間に合うように。でも、夜の交代の当番の時、子どもをどうするか、それだけは個人で対応を考えて下さい。

 その方針でなんとか回って来ました。そうしたら、いつも女性の医師が診てくれる病院として、ますます若い女性の来院が増えてきました。

 そんな時、NHKから取材の依頼がありました。私の「さらば、悲しみの性」を読んだディレクターが興味を持たれたようです。まず、番組として取り上げることが出来るか否か、産婦人科の診察室という大変プライベートでデリケートなところにカメラを入れることが出来るかどうか。それらを考えるために、まず派遣されたのが、当時NHKに入社したばかりの若い女性記者Aさんです。院長とも話しあった末、彼女はナースの服を着て、診察室や病棟に入りました。産婦人科の中に入った彼女がみた状況を検討した上で、ゴーということになったようです。

 そのAさんとは、その後も付き合いが続いています。彼女は今や立派なベテラン記者として、アメリカやヨーロッパで大活躍をしています。

 当時のNHKの看板番組、「NHK特集」で取り上げようと、NHKの方針も決まったと聞きました。でも、どうやって?一人の記者が現場を見るのとは違って、テレビとなるとカメラが必要です。診察室にカメラマンが入る?それは、とても無理な話でした。(まだしばらく続きます)

2010_04080033 植物公園でのお花たち。これは、一体の何のお花?と近づいてみたら、チューリップでした。八重咲きのチューリップ。こんなのもあるのですね。びっくりしました。


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「私と性教育」⑧「さらば、哀しみの・・・」

 出版当初の勢いはとんでもないことですが、ロングセラーとなって、それなりにボツボツと売れていた「さらば、」です。それを絶版にしようと思ったのは・・・。

 ある日、編集者の方から電話が入りました。新しく本を出す人が、どうしてもタイトルを「さらば、哀しみのドラッグ」にしたいと言われると。私の「さらば、悲しみの性」が好きで、そのタイトルが欲しいといわれると。びっくりしました。この「さらば、悲しみの性」というタイトルは、私自身、必死で考えたタイトルです。本文の中に「悲しみの性」という言葉が出ており、その言葉を使おうと思っていました。出版社から、「さようなら、悲しみの性」はどうかといわれた時、いえ、さようならではなく、もっとすっぱり、男っぽく「さらば」がいい、と私が考え、そう主張しました。

 以来、大切に大切にしてきたタイトルです。「悲しみ」が「哀しみ」になってたっておんなじ。まるでブラックジョークだと思いました。同じようなタイトルの本はこれまでもいくつも見ています。でも、それは同じ著者が第二弾、第三弾として書いたもので、全く別の人が、そっくりなタイトルで、それも同じ出版社から出すというのとは、違うんではないの?と思いました。

 それでも、まだその人本人から何か一言あるかと思ったけれど、何もありません。それから、その本の中に、このタイトルを使うにあたって、あとがきか何かに書いてあるかと思ったけれど、それも何にもありませんでした。

 結局、それで私は切れてしまいました。私は文庫を出します。同時に私の高文研の「さらば、」は絶版にして下さい、と言いました。もったいない話しではあるけれど、私のプライドがそう言わせました。

 以来、その方は続いて「さらば、哀しみの青春」という本も出され、すっかりそのタイトルが定着しているようです。時々私がその方のタイトルをもじって「さらば、悲しみの性」という本を書いたのか、と質問されることがあります。本家はこっちなんだけど、と苦笑しています。

 私は今、出版社に対してはなんにも思っていません。それどころか、私を世に出して下さった恩人と思っています。それでも、その本を書いた人には、嫌悪感を持っています。社会では立派な人のように、大ブームを起こしているかも知れないけれど、私のタイトルをもじっても何の一言もない、その人間性が嫌です。

 ということで、高文研の本、あの出産の感動的な写真が載っている初代の「さらば、悲しみの性」は絶版となり、代わりに「新版さらば悲しみの性」が形も文章も新しくなって集英社から出版されました。写真はないけれど、文庫ですので、高校生でも一人で買うことが出来る値になって、それはそれでよかったと、今思っています。

 こうして振り返ってみると、ろいろいとしんどい思いをしたこと、とても悔しい思いをしたことが節目のようにぽつぽつとあるものだと気づきます。そして、それを抜きに出来ないので。愚痴にならないように、また、読んで下さっている方を不愉快にさせないように、ボツボツと書きますね。

2010_04080028 植物公園の温室で、睡蓮が清楚で可憐な花を咲かせていました。心が和みます。


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「私と性教育」⑦「さらば 悲しみの性」文庫に。

 
「さらば 悲しみの性」は学校現場でもよく使われました。本は書き手の意志とは異なっても、使う人の意志によって、様々オリジナルな使われ方をします。

 本を50冊購入して、一クラスずつ本全部を読ませるという方法をとって下さるところも多くありました。が、一番使われたのは、一部をコピーして配られるというものでした。

 私は、最後に「16才の母たち」という章を立て、若くとも産んで頑張って育てている人たちのルポをも書いています。が、ここは使われません。

 使われるところは、ほぼ決まっていました。「人工中絶」のかわいそうなところ。それから、このシリーズでもちょっと書いたおなかが膿だらけのひどい腹膜炎になった15歳の高校生。彼女の入院中に起こったひどい出来事。まずそんなところです。

 何かといえば、やはり脅しとなるところ。「セックスをするとこうなるぞ」という意図が見え見えでした。性の危険性ばかりが強調されてしまい、性というのは、喜びの面もあることが教育現場ではなかなか伝えられません。一番手っ取り早い性教育、脅すために私の本が使われるという現象がつらくなってきました。特に、中絶を強力に脅したために、産んでも育てることも出来ないのに、おろせなくなってしまう子も出てきました。

 時が経って。本を書いた頃にはまだなかった「HIV」エイズという強力な性感染症、「援助交際」という思ってもいなかった奇妙な名前の売春が高校生を中心に広まったこと。低用量のピルが認可されて、より安全で確実なな避妊が出来るようになったこと。それら、書いた当時にはなかったこと。それらに触れないままだと、時代に合わなくなったこともありました。

 いつか、新しく書き直さなければ、と思っているときに集英社から、文庫の話しがありました。それも、これまでの文庫化のお話しがあった出版社と違って、話しを今から振り返る形でリライト、書き直したらどうか、という新しい発想のお話しでした。それにエイズや援助交際などを付け加えること。さらに、中絶について、女性の救済策としてあるということをも提示すること。それなら出来そうだと思いました。

 高文研のその本をリライトして高文研から新たに出せばよかったのかもしれません。でも、それは出来ない、その上、文庫化すると同時にそれまでの高文研の「さらば」は絶版にしていただくことにしました。まだまだ売れていた当時、絶版というのは、出版社だけでなく、私自身にも若干抵抗があることでもありました。でも、そうせざるを得なかったのです。それだけの理由がありました。(このシリーズ、時に人の悪口を書くことにもなります。躊躇するところもあるのですが。でも、それを飛ばすと、自分でなくなるので。)

2010_04080016  一昨日、神原の枝垂桜を見に行った後、広島市の植物公園の桜も見に行きました。そこの桜も素晴らしかったのですが。他のお花達も。

 まず入園したところに咲いていたパンジーとポピーです。ポピーは好きなお花です。風に揺れて可憐でした。本文の話しが硬っくるしいので、お花を一枚ずつ載せようと思います。


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「私と性教育」⑥「さらば、悲しみの性」を出版。

 診療の合間を縫うようにして講演をしていましたが、それはあくまでも県内のことでした。それが全国に広がったのが、私の初めての本「さらば、悲しみの性」でした。それがもっと爆発的に広がったのが、その本を読んだディレクターが作った「NHK特集少女達の産婦人科診察室」だったのです。

 「さらば、」は、ミニコミ誌に掲載された私のインタビュー記事を読んだ高文研の金子さとみさんという編集者からの電話がきっかけでした。当時高文研は「考える高校生」(後にデュパンスとなった)月刊誌を出版したり、様々な単行本も出していました。当時大変な評判になっていた「金八先生」のシリーズも出していた会社です。もちろん、それは後に知ったことで、当時はそんな出版界の事は何も知りませんでした。

 話しをしてるうちに、「本を出さないか」と誘われました。といわれても、私の何が本になるのか、自分では見当もつきません。それまでにも、先述の根岸悦子先生の紹介で月刊誌の婦人公論や週に一回創価学会系の新聞に連載したりの単発は細々と書いていました。が、一冊の本となると、気の遠くなるような話しでした。まして毎日の診療と、子育てで手いっぱいの時です。

 一応、私の講演を録音した物を高文研に送ってみました。そしたら、その講演がそのまま本になるといわれました。それを文章に起こして頂き、それに手を加えて原稿が出来たものです。

 また、本には赤ちゃんが生まれる写真を出せないだろうか、ということになりました。それまでにあったお産の写真を送ってみましたが、やはり本の写真となると、今一つで、これはプロの写真家の方に撮っていただくのがベストとなりました。そして、東京から、写真家の「英伸三さん」が来られました。英さんは、近くのホテルにとまりこんで、何人かのお産の写真を撮ってくださいました。妊婦さんと家族の方たちは、どなたも、大変気持ちよく写真の撮影と本の掲載を許して下さいました。それぞれの方には、沢山の写真を大きく焼いたものをプレゼントし、喜ばれたものです。

 土谷病院では、当時はまだ広島では珍しかった立会い分娩をしていました。生まれたての赤ちゃんと産婦さんとお連れ合いの、本当にほほえましい写真が本に掲載されました。

 1985年、出版してみると、珍しい本だったからでしょうか、さまざまなメディアに取り上げられましたし、高文研が全国の高校にしっかりルートを持っていて、宣伝が出来たということもあったからでしょうか。アッと言う間にベストセラーとなり、本当に売れに売れたものです。

 出版社は増刷してもしても、次々に端から売れていき、売り切れの状態が続いたりもしました。私の所に、著者用として送られてきた本も、本の取次ぎ会社の方が来て、ちょっと貸して欲しいと、箱ごともっていかれたりもしました。

 毎週毎週新聞のベストセラーの蘭に一位となっているのを見て、本当にびっくりし、戸惑いもしました。

 以来、この本はブームが去った後もコンスタントに売れ続けて、ロングセラーにもなりました。同時に別の出版社から、文庫にしないかというお誘いもあるようになりました。其れは、ずっと拒否してきたのですが、後に文庫とし、それまでの高文研の本を絶版としたのには、理由があります。(次回、そのあたりを書きます。)

2010_04080039 昨日、ツユマメさんのブログで教えて頂いた「神原の枝垂れ桜」を見に行きました。こんなに近くに、こんな見事な枝垂桜があるなんて、これまで知りませんでした。樹齢300年、ちょうど満開で、それは見事、きれいでした。大感激です。左の下に写っている人の姿と比べて頂くと、どれだけ大きいか、分かっていただけるでしょうか。ツユマメさん、ありがとうございました。今日の花の状態からして、この週末もまだまだ見ごろと思います。ぜひ皆様も一目見に行かれますように。その後、植物公園にも行きました。これからも、少しづつお花の写真をアップします。


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シリーズお休み。お知らせを。

今日はシリーズをちょっと横において。

 すでにちょっとだけお伝えしたのですが、そろそろ私のブログのアクセスの1111111が近づいてきました。最近、なぜか突然に6000とか7000アクセスという日があります。ここ数日でも、4月4日2720.4月5日6365.4月6日3406.4月7日2471と、いろいろと変動があって、予想が付きません。要警戒と言うところでしょうか。

 百万アクセスの時にプレゼントを用意していたのですが、どなたからも連絡がなくってさびしい思いをしました。1111111のときには、コメントを使ってぜひご連絡を下さいませ。私自身の記念として残しておきたいものですから。ご協力よろしくお願いします。

私の尊敬する乳がん患者の「のぞみの会」の浜中先生からのご連絡です。

Img111 Img112

画像はクリックすると大きくなります。ぜひ見てください。

 医療は刻々と進歩しています。乳がんの化学療法についても、新しい薬が次々と開発されています。早期発見は大切ですが、でも、たとえ癌になったとしても、いろいろな治療法があること、そのおかげで生きることが出来るようになったということを知っていただきたいのです。

こうして地道にこつこつと啓発の活動をなさっている方たちに頭が下がります。ぜひ多くの方の参加を!!

 私は少々落ち込み気味です。この時期、木の芽時は多くの方の気分が優れなくなるといいます。私も例外ではなく。桜が咲く頃に、いつものことです。ただ、体にムチ打って、心配ごとをじっと胸に収めて頑張らなくっては!ね。昨夜遅く、そして今朝早く、急患の診療でした。明日からまたシリーズを書きます。


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「私と性教育」⑤大学病院時代にした集会。

 医学部学生が中心となってするシンポジウム、私は学生達の指導をすることになりました。その当時「ウーマンズボディ」という本が大ヒットしていました。1980年、鎌倉書房から出版された翻訳本です。その翻訳ををした根岸悦子さんと池上千寿子を招きましょうということになりました。根岸悦子先生は、東京医科歯科大学の産婦人科医。池上さんは、いまはエイズのボランティア「プレイス東京」の代表など大活躍をしています。当時は東大卒の若くかっこいい女性編集者でもあり、翻訳家でもあり、研究者でもありました。

 お二人を交えてのシンポジウム、沢山の人が集まり、大盛況でした。このときのやり取りの中で、ある高校の教師で、生徒同士が付き合っていて、ある日キスをしたということが分かった。それで、両方の親を呼び、親と生徒に厳重注意をしたと、得意に話した人がいました。若い参加者から、一斉に、「ええーっ!!」という悲鳴に近いブーイングが起こったものです。

 実は、そのシンポジウムをするにあたり、せっかくのお二人が来られるのに、コレだけではもったいない。もう少し何かできないか、と考えました。女性の体と社会みたいな集会をやりたい。でも、私一人では到底無理。何とか仲間を、と考えました。その頃は、家と病院の行き帰りだけの毎日です。そのほかの方とのつながりはほとんどありませんでした。

 何とかしたい、誰かいないかと私は電話帳を繰りました。そこに以前新聞で見たことがある「女の図書室」という字を見つけ、電話をし、そこのメンバーの何人の方に集まって頂いて私の思いを話しました。二人の子を連れて喫茶店に行き、夢中で話しました。私の思いに賛同して下さった女性達とともに集会に取り組みました。

 その時の女性達とは、30年経った今も付き合いが続いています。「女の体、女の自立」とのタイトルでした集会も何百人もの会場からあふれる人で大盛況でした。当時まだ珍しいテーマでの会にラジオや新聞者の取材もありました。その取材に来ていた中国新聞の女性記者が中村隆子さん、後の「家族社」を作った方です。

 その会で印象に残ったのは、池上さんの「歯が痛い」とは人に言えても、「膣がかゆい」とはとてもいえない、との発言にはワッと笑いが起きました。会場からの質問で、「女性にとってセックスは健康のためにあった方がいいのか」という質問。これにも笑いが起きました。根岸先生が、「一つ言えるのは、セックスのない人には子宮頸がんは起こりません。」といわれたこと。女性の体について、一方的な講演でなく、会場全体が大変おおらかに語り合うことが出来た、貴重な集会になりました。

 まさに、今、子宮頸がんは性交によるウイルス感染で起こると科学で実証され、ワクチンまで出来るという時代になっています。30年前の根岸先生の発言は感慨深いものがあります。池上さんには、その後エイズの研修会にも来ていただいたり、他の会で同席させて頂いたりの付き合いがあります。

 根岸先生は、その時、小さな息子さんを連れて来られました。彼は、当時報道されていた「赤ヘルケーキ」が欲しいといい、学生が買ってくると、大変喜んで私に見せに来てくれました。

 その後、少女雑誌で大変大胆な性を取り上げた記事が掲載され、その監修に根岸先生の名前が載っていたと、大バッシングに会われとこともあります。もう、ホント、大変なのよと、でもけらけら笑いながら語られたものです。先生は、その後も池上さんと共に「文化としての妊娠中絶」や更年期の本等の貴重な翻訳、出版もされていましたが、50才の若さで亡くなってしまいました。大酒のみで、飲むと議論をし、それがいつも大けんかになってしまって、ハタにいるとハラハラという、そんな場に何回も同席させて頂きました。スケールの大きい人でした。早死にされたのが、とても残念です。

 その集会をした年の夏、私は大学病院から土谷病院に移ったのです。

2010_04060003 昨日は、お昼の時間があったので、姉と一緒に平和公園に行き、サクラの下の川岸でお弁当を食べました。太陽がぽかぽかと暖かくて、風で桜の花びらがさあっと降って来たり。患者さんのことで胸を痛めていたのですが、少しだけ癒されました。いよいよ今年の桜も終わりですね。


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「私と性教育」④問題発言がきっかけとなって。

 私の問題発言の数日後には、その学校の校長先生や養護教諭が尋ねてこられました。私は平身低頭。大変失礼なことを言ってしまいました。申し訳ございません。深く頭を下げました。校長先生などは、複雑なお気持ちだったことと思います。が、それよりもどんな風に生徒が来ているのか、教えて欲しいということでした。

 もちろん、学年や名前を伏せて、生徒の来ている状況をお話ししました。かなりびっくりされた様子でした。でも、それが実情なのです。それをきっかけに、私は校長先生や養護の先生と仲良しになりました。が、性教育に取り組んでいらっしゃった先生とは、お会いしないままでした。

 さらに、その医師会館での会に来ていたある中学校の保護者の方から、PTAでお話しをして欲しいという連絡が来ました。あのやり取りを真剣に受け止めて下さったようです。

 そのPTAでお話しをしたら、それが口コミとなったのでしょう。次々と講演の依頼がきました。やがて、話しは保護者にだけでなく、生徒さんたちにも直接話して欲しいということになりました。診療をしながらですから、きついものでした。車を運転しながらおむびをかじりながら・・・行ってすぐお話しをして、終わるとすぐに飛んで帰ってまた診療と、保護者の方などにはできるだけ休みの日、日曜日か夜にしてもらいました。

 実は、私は産婦人科医になった時から、性教育に携わりたいという思いは持っていました。でも、とにかくはじめは産婦人科という技術の習得。それに自分の結婚、二人の子の子育てもありました。ひたすら大学病院で学んでいたとき、ふと産婦人科医のための性教育セミナーがあるというのを知りました。教授にそれに参加させて欲しいとお願いし、東京に行きました。

 そこでのやり取りがとても面白くて、新鮮でした。そこでは、「男の子の教育はどうすればいいのか」という発言がありました。その発言をしたのが、後に私の性教育の恩師になる当時東京医科歯科大学病院の根岸悦子先生です。また、その時、すでに学校で画期的な性教育に取り組んでいるといわれていた、吉祥寺女子高の山本直英先生も指名されて発言されました。

「妊娠する性を持っている女性は自分の体に、妊娠させる性をもっている男性は女性の体に責任をもて、これが基本です。」とさらり、と、きっぱりと言われて、本当に感動しました。その先生達が、何年も後の私の活動の助けとなります。

 もう、今から30年以上前の話です。当時の広島の状況と比べて、ずいぶん画期的なことでした。その感動を胸に、でも特に何をすることもなく過ごしていたのですが。

 あえて言えば、大学病院で勤務しながら、週1・2回アルバイトとして行かせていただいていた地方の医院で、いわゆる非行少年、少女といわれて収容されている、学校付きの児童施設の生徒達に接したということでしょうか。内科も小児科も産婦人科もちょっとした整形外科も、すべてこなさなければならない医院での貴重な体験です。その近くにその施設がありました。ひとすじ縄では行かない子ども達を相手に四苦八苦したものです。同時に彼らの中に言いようのない悲しみをも見ていました。

 そんなとき、広島大学の医学部の学生達が医学展をする、そこで性教育をテーマにシンポジウムをしたい、それへの協力をして欲しいと産婦人科の教授に依頼があったとのこと。教授は、私が東京の会に行っていたことなどから、私に学生達の指導をするようにという指示をされました。何かしたいと思っていた私にとって、うれしい指示でもありました。(まだまだ続きます。)

2010_04040116 お庭で作っていたお花が咲いたから、と、チューリップとラベンダーをいただきました。チューリップは、夜になるとしぼみ、朝にまた開きはじめます。ラベンダーは太くて立派で、廊下にまでにおいがしています。お花のプレゼント、本当にうれしいです。


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「私と性教育」③私の問題発言で大騒ぎ。

 会場からの質問や意見が求められたとき、私は手を上げました。そして名乗った上で

「私は、今多くの高校生を診ています。でも、私は彼女達を非行少女とは思っていません。普通の家庭の普通の少女達だと思っています。どこかの家庭的に問題のある子の問題と思うのでなく、どこにでもいる若者の問題だと思ってこれからの教育を考えなければならないのではないでしょうか。」

「その上で質問なのですが。私の病院に今、高校生が入院しています。もうすぐ夏休みが終わって二月期が始まります。学校を休むために診断書を出さなければなりません。その診断書がもし性交と関係があるということが学校に分かった場合。今、学校は、どんな対応をされるのでしょうか。これからの彼女をケアし、指導しながら支えてくださるのか。それとも、高校生にあるまじきこととして退学させられるのでしょうか。それに寄って、診断書の内容を考慮しなければなりません。どなたか、学校関係者の方、教えて下さい。」

 司会のドクターの呼びかけで、会場から女性がマイクのところに出てこられました。そして、「そんなことを聞くなんて、どうしたらいいのか、カウンセリングをして上げましょう。」と言われたのです。私は唖然としました。司会の先生が

「カウンセリングって、それはその生徒にするということですか?それとも、河野先生にカウンセリングをと言うことですか?」と尋て下さいました。そしたら、私にだと彼女が答え、会場もざわざわとしました。

 その先生は、性教育が盛んに行われているとして、その日のシンポジウムにもそこの教師が出ていたし、そして同じクラスの生徒が4人妊娠して来ていた、その学校の教師だったのです。私はまたマイクの前に進み出ました。そして、つい、言いました。

「私は、ただ知りたいだけなのです。学校を責めているわけではありません。本当に、今の高校の状況が知りたい、それに寄ってどう彼女を守るか、考えたいのです。こういう質問をする私に問題があるというのでしたら、それなら、申し上げます。お宅の学校の生徒も沢山来ていますよ。」

 会場がワッと湧きました。壇上のシンポジストのその学校の先生も苦笑いをしていました。その反応を見て、すぐに私はしまった!と思いました。そして、ごめんなさい、失言でした。と誤りました。私にカウンセリングをしてあげるといったその女性の教師から、さらにひどい罵詈雑言をあびせられましたが、内容はよく覚えていません。

 でも、私のその発言でそれまでのシンポジウムがぶち壊しになったのは確かです。だって、それまでの内容は、女子少年院の方のレポートや、産婦人科医の先生も「髪を茶色に染めた子が来た」とか、学校の先生からも、いかに性交をさせまいか、それだけの内容の教育、いわゆる純潔教育の域を出るものではなかったし。

 本当はぶち壊したのではなく、その場に参加していた多くの学校の先生や保護者の方たちに「現実を突きつけることが出来た」のだと思うのですが。

 さあ、それから大変でした。叱られましたね。「あなたは、言ってはならないことを言った」と。その会をするのに尽力された産婦人科の先生たち、皆さんに怒られました。もうやめているのに大学の教授にも。「あんた、やったらしいの。」と電話がかかって来ました。でも、「それじゃが、あの教師も問題があったらしいの。」と、少しだけ同情して下さいました。

 その女教師の学校のシンポジストで出ておられた先生は、「やってくれました。彼女は問題があるのです。何かしでかすのではないかと心配していました。」と嘆かれたという話しも伝わってきました。

 福山の松永先生という産婦人科医の大先輩の先生からは、「頑張れ!」という電話がかかって来ました。しばらくの間、私の周りはそれは大変でした。(まだまだ続きます)

2010_04040141 昨日は、今シーズン初めてのカープの応援。パーティールームからの観戦でした。試合が始まる前に腹ごしらえ。次々と飲み物や食べ物が運ばれて来ました。子ども達も含めみんなでわいわいと楽しかったのですが・・・。

それにしても、カープ。負けても負けても応援に来てくれるファンに感謝しなければね。


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「私と性教育」②うその安全日を教えたために。

 同じ高校の、それも同じクラスの生徒が4人も次々と妊娠してきた原因は、授業にありました。保健の先生が「生理が終わって一週間は安全日で妊娠はしない」と教えたというのです。びっくりです。月経が終わってすぐに妊娠可能な時期になるし、それに終わって一週間、始まりから二週間、それはまさに排卵日そのものです。もっとも妊娠しやすい時期になります。

 罪なものです。間違って教えて、しかもそれを生徒がすぐに信じて実行してしまうという、本当に現実の社会を見せ付けられました。こんなことは、机上の考えでは、思いもつかないことでしょう。

 これ以来、私は現実を見て考えることの重要さを痛感したのです。

 何しろ、はじめは産婦人科医一人で赴任しました。それも救急指定病院です。夜昼かまわず救急車が飛びこんできますし、産婦人科の開業医の先生から、救急の受け入れの依頼もしょっちゅうです。病院として検査や手術室など、救急の体制は出来てはいるものの、産婦人科医一人で対応するのは、本当にきついことでした。

 そんなとき、一人の少女が救急車で担ぎこまれて来ました。15歳の高校生。重症の腹膜炎で、おなかの中が膿だらけでした。大急ぎで手術、そしてその後も入院が長引きました。

 それは夏休みがそろそろ終わろうというとき。ちょうどその頃、医師会館で性教育の大会が開かれたのです。当時の性教育は、産婦人科医でも結構お年寄りの先生方がしていらっしゃいました。その先生達が中心となっての「性非行と〇〇」というタイトルでの会でした。会場は超満員。学校関係者やPTAの保護者の方たちも沢山いらっしていたようです。

 大会の内容はとても私が見ている現実とは異なりますし、違和感を強く持ちました。その会で、私はついひどい問題発言をしました。そのために沢山のえらい先生からしかられ、大変でした。でも、それが私の性教育の講演、本の出版へとつながっていきます。次回このあたりを詳しくお話しします。

2010_04040114 誕生日にクリニックのスタッフからいただいたお花です。スイートピーとフリージア。大好きなお花達です。診察室の机に飾っています。黄色だけでなく、花のふちが赤いフリージア、初めて見ました。どちらも香りは一緒です。診療中ずっといいにおいがして、幸せな気分になります。このお花とロクシタンのシャンプーとコンディショナーをいただきました。


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「私と性教育」①土谷病院に赴任して。

 昨日は私の〇〇回目の誕生日でした。つらつら思い返してみると、本当にアット言う間に歳をとりました。早いものです。きっとこれからも猛スピードで歳を重ね、人生の終わりを迎えるのだろうなあとしみじみと思いました。

 さて、このあたりで少し昔を振り返ってみようかと思います。先日高田昇先生のラストの講義を聴きに行きました。先生は、世界の、日本の、そして広島、自分のエイズの歴史を順々に振り返られました。それを聞いて、私も様々なことがあったなあ、ここらでまとめておかなければと思いました。

 でも、考えているうちに、エイズボランティアの前に性教育がある、どうしてもそれを抜きに出来ないと思いました。そこで。「性教育と私」として、順々に振り返ってみようと思います。

 私が土谷病院に勤め始めたのは、医師になって9年経ったときです。土谷病院はそれまでの大手町から平和公園の噴水の向かいに新築中でした。まだ産婦人科がなかった頃です。

 その前、私は今のJR病院、当時鉄道病院に赴任が決まっていました。大学病院からの巣立ちです。もう送別会もして頂いていたのに、赴任直前に突然、それがダメになりました。教授室でそれを聞いて、呆然です。教授は「あんたの学生運動がいけんかったようじゃわい。わしは、子どもも生まれとるし、今さら何もするわけないと言うたんじゃが。」と。

 赴任が決まる前に私は、鉄道病院に面接に行っています。当時の副院長です。院長は中国管内全体の統括者で、広島の病院は副院長が実質の院長でした。その時。

「学生運動はしましたか。」と問われました。「はい。しました。」「逮捕歴はありますか。」「いえ、逮捕はされていません。」「それなら大丈夫です。あの頃は、みんな運動はしましたからね。」とそんなやり取りがありました。大丈夫といわれたのに、直前になってダメだなんて。でも、仕方がないことです。

 また私は大学病院で仕事をしながら、いつまでここにいることになるのだろうか、と不安を持っていたとき。友人にそのことを話したことがきっかけで、土谷病院から院長に会わないかという話しがあったのです。話した友人のお連れ合いが土谷病院で循環器のトップで働いており、そのドクターが院長に話したようです。産婦人科があれば、「総合病院になる」産婦人科は、総合病院になるための必須だったのです。

 当時の院長、土谷太郎氏は、伝説の人です。土谷病院だけでなく、JMSという今では上場企業もつくりあげ、その社長もしてしらっしゃいました。とても迫力のある人でした。その院長に「どんな産婦人科を作りたいのか、書いて来てくれませんか。」といわれました。私は必死でレポートを書きました。当時のレポート用紙で何十枚も。理想の医療、医療の原則については、散々学生時代に論議してきたことです。ほとんど寝ないで、手書きでつくりあげたレポートを提出したら、即、採用が決まりました。「いやー、先生、ご足労をおかけしました。ここまで書かれなくってもよかったのですよ。で、いつから来ますか?」と。

 それからは、とんとん拍子です。設計、機械の購入、看護師さんの研修など、あわただしく準備をし、診療をはじめたころ。まだその頃は女性の産婦人科医はほとんどいませんでした。

 診療を続けるうちに女子高校生が次々と来るようになりました。口コミでしょう。大学病院にはそんなに若い人は来ませんでしたから、本当にびっくりしました。市中の産婦人科にこんなに若い人が来るなんて知らなかったのです。

 特に、当時ある一つの高校の生徒がとても多く来るようになったのです。そこは、当時広島でも性教育に取り組んでいて、画期的な高校とされていました。そこの生徒が次々と妊娠してくるようになったのです。


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大衆演劇、お風呂。

 長い間、ずっと引っかかっていて、でも事態が動かなくって心痛だったことが、やっと動きました。ああやっと、やれやれで、ほっと力が抜けました。

 それに、4月14日の韓国語の検定試験、頑張って勉強していたのですが、ここに来て諦めることにしました。秋の試験にしようと思います。過去問をやってみると、とても難しくて、単語がまだ不足しています。今回はだめ、次回に、と決めたらこれも力が抜けて、ほっとしました。

 何だかなにもやることがなくなって。これまでいつもいつもせきたてられたような気だったのです。今は春休みですが、また木曜日は講演の日々が始まります。それで、昨日の木曜日、休診日は思いっきり休むことに。

2010_04010003  夫と姉と「ゆ~ぽっぽ」に行きました。お芝居を見て、お風呂に入ろう。お昼ごはんもそこでたべようと。雨もたいしたことなくって、楽しみました。大衆演劇は4回目です。世羅温泉や清水劇場など。今回のゆ~ぽっぽは九州の一月前に旗揚げしたばかりの劇団ということでしたが、なかなかよく頑張って面白かったです。

 それに、別府出身という若い男の子がかわいいし、踊りが抜群に上手で。彼はこれから伸びるし、ファンも出来るでしょう。お客も百人は入っていて、にぎやかでした。

2010_04010001 その前に食べたのが、これ「ちげ鍋定食」です。ハングルでチゲは鍋。だから、本当はチゲ定食と言うべきなのだけれど、なぜかここでは「ちげ鍋」と言います。

 これが、おいしい。日本でも韓国でもいっぱい食べていますが、ここの味はこれまでで一番おいしいと思いました。

 お風呂もきれいだし、ジェットバスもサウナも充実して、のんびりしました。

 今日から、新しい診療報酬での診療です。開業医にとっては厳しい改定です。経営がどうなりますか。やってみないとわからないのですが、何らかの経営のための努力が必要でしょう。憂鬱なことです。


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あの彼からの手紙です。

 先日の記事の大学生で命がけで産んだ、その時のベビーがもうすぐ二十歳、そしてこの度日本の大学生になるというので会った親子。その彼から手紙が来ました。明日、私の誕生日。歳を重ねることは、もううれしくもないことだけど、誕生日プレゼントも戴きました。

 彼の手紙、転載します。

Dear Dr.Kono&Mr.kono

先日は大変お忙しい中お越しいただいて誠にりがとうございました。

命の恩人である河野先生に出生地の広島でお久しぶりにお会いできたことを本当にうれしく思っています。また、大変素敵なバッグまでいただいてしまって、感激しました。どうやって恩返しをすればいいのか、今はわかりませんが、必ず何か恩返しができるような人間になりたいです。

先生方ご夫婦は大変素敵に見えました。貴重な平和関係資料もいただきありがとうこざいました。あの日の翌日の午前中に故郷の広島で原爆ドーム、平和記念資料館を見てきました。また先生とお会いしたことで、自分の命のありがたさと貴重さを再確認するのと同時に、今後生きていくにあたっての使命感のようなものを感じました。

先生が助けてくれたこの命で、何かの意味をこの世に残せるような立派な人間になるべく、大学での4年間精一杯頑張るつもりです。私が成人した時や今後も時折、私の成長のご報告をさせて下さい。バッグを大切にさせていただき、大学生活を謳歌したいと思います。

本当に何から何までありがとうこざいました。

                                 〇〇〇〇〇

 この手紙を読んで、また、感動しました。外国に住みながら、ここまでちゃんとした文章を書けることにもびっくりしました。彼女がどんなにか一生懸命に彼を育てたかよく分かります。彼も、住まいを転々としながら大変だったことでしょう。でも、本当にすくすくとちゃんと育ったこと、すばらしい青年になったこと、感慨深いものがあります。いくつもの危機を乗り越えて生まれ育った命です。どうぞ、大切にして欲しい、立派にならなくてもいいから、ちゃんと生きてね、と祈るような思いです。

 今日は、入学式。きっと彼の今の父親も外国から駆けつけてくれて、両親一緒に出席しているはずです。あらためておめでとうのメールをしましょう!!


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