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お葬式について夫との会話。

 明日(と言ってももう日付が変わっているので今日だけど)は暮に亡くなった従兄の49日の法事に行きます。

 子どもの頃から親しかった従兄弟だから、やはりつらいことです。ここのところ親しい人が次々と亡くなってしまい、多くの方を見送ってきたように思います。最近でも、12月に従兄、1月に義弟と。こうなると、いやでも「死」を考えざるを得ません。

 今日、「私も〇〇院の会員になっておこうかなあ」と言いました。義弟のお通夜、お葬式など、とてもよくお世話をして下さいました。至れり尽くせりのお仕事ぶりは、感動すら覚えました。でも、とてもお金がかかったようです。が、妹がそこの会員になっていたので、会員割引があったと。それも結構大きい金額でした。

 たちまち家は夫や私が近いうちに死ぬという状況ではないけれど、予測できないこともあるし。急に何かあったら、きっとうろたえるだろうし、等と考えてしまいます。「私、死んだら〇〇院がいいなあ」とつい言いました。

 そしたら、夫がなんと「こっちでやるの?」と言ったのです。びっくりしました。「まさか、あなた、私が死んだら大分でお葬式をするつもりなの?冗談じゃないわ。私の生活の場はここなんだから。ここでやるのが当たり前じゃないの。大分なんて、かんべんよ。」と言いました。当たり前でしょう。友人も、仕事の関係の人も、全く大分にはいませんもの。私にとっては、彼の実家が大分だというだけのことです。

「あなたは、自分が死んだらお葬式は大分でして欲しいと思っているの?」そしたら、「どこでもいい。自分は死んだら無だと思っているのだから。葬式なんて、しなくてもいいよ。ああ、でも焼かないといけないなあ。焼かなくても、今は土葬でも許されているんだろ?」

なんて、もうむちゃくちゃです。「土葬なんて、一体、どこに埋めるというのよ。あのねえ、お葬式ていうのはねえ、残された者のためにするものなのよね。」式をしようがすまいが、死んだ人が天国に行くことには変わりないのだから。

 そんな話しをしてみてよく分かったのは、彼にとっては、死が全然身近ではないということでした。「死」って考えないの?と聞くと、「全然」と答えが返って来ました。胃がんの大病を患ったというのに、この気楽さは何なのでしょうね。

 何をしてても心が重く、母や父の亡くなった時のことを思い出して、ふと涙が出そうになったり、「私の人生もいつか終わるんだなあ」とばかり考えている私がなんだか惨めになって来ました。

2010_02130002 昨日金曜日は、kei.先生の「お花とお茶を楽しむレッスン」でした。8本のチューリップを生けました。いま、いろいろなチューリップがあって、それぞれおしゃれな名前がついています。クリスマスとか、ハウステンボスとか。八重の花は、なんかチューリップではなく他の花のようにさえ見えます。結構暴れん坊で、あちこちむいてしまって苦労でした。クリニックに帰ってそっぽを向いているのをまた活けなおして修正しました。そっち写真撮ればよかったのに、と今思っています。


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コメント

河野様 今晩は。

「死はあたりまえのこと。どうということはありません」。

お釈迦さまの言葉です。身内や親しい人が亡くなると、なかなかそう云う想いにはなれませんが、いくらか冷静になれます。

初期仏教の生死観では、死んだ瞬間に生まれ変わるそうです。最近亡くなられた方も、既に何処かで生まれ変わって、新しい人生(人間として生まれ変わっているならば)を送っておられます。

もちろんそれを確認する術はありませんが、仏陀の教えなので、鉄人は信じています。

死に方は選べません(自殺以外)。どのような死に方になったとしても、今の瞬間瞬間を精一杯生きるしかないですね。

投稿: 鉄人 | 2010年2月14日 (日) 19時09分

人間の命(いのち)をどう見るか。
一つは、「もの」としてみるということです。
臓器移植というのは、人間の命を「もの」としてみていますから、使えるものは使おうという考え方ですね。
仏教では、当然「もの」としてはみません。
仏教は「縁」、命はつながりあって存在しているものです。
生の縁が尽きたら、死にます。
そして、死に方も、死の縁無量で、どんな死に様をするかわかりません。
しかし、死は、生きてきた最後の一瞬にすぎません。
その最後の一瞬を超えて存在するいのちを、仏陀は説かれたのだと思っています。
そして、人は生きてきたようにしか死ねません。
どこかにすばらしい「尊厳死」などは、ありえないと思います。

鉄人さまのコメントを読ませていただいて、私の思うところを少し述べさせていただきました。

投稿: 広島メイファーズ | 2010年2月14日 (日) 21時04分

鉄人さま
コメントありがとうございます。鉄人様の初期仏教について、興味深く読ませていただいています。仏教の「輪廻、生まれ変わり」今一つ確信を持って信じられないでいます。でも、「死はあたりまえ。どうってことはない」心境になりたいとは思っています。それが難しくって四苦八苦しています。
「瞬間瞬間を精一杯生きる」こと、その通りですね。ただ、精一杯も少々疲れてしまっています。のんびりゆっくり生きるのもいいかなあと。コメントいただいてうれしかったです。なかなかお返事を書く心境に慣れなくて遅くなりました。すみません。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2010年2月18日 (木) 03時47分

広島メイファーズさま
ありがとうございます。生きてきたようにしか死ねない、のですね。死を意識して、でもなかなかうけいれられなくて、泣いていた弟の姿がまだ生々しくて。かわいそうで。ついつい、私の場合は、と考えてしまいます。まだまだ課題が多いです。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2010年2月18日 (木) 03時50分

河野先生 
こんばんは いつもお世話になります。先月は母と娘にシリンジワクチン接種して頂きありがとうございました。
娘の父親が亡くなり、私の父の三十三回忌を済ませ、私のたった一人の弟も亡くなって先月一周忌を終えました。身内がどんどん少なくなって淋しい限りです。
先生のお気持ちも良く分かる気がします。
法事のたびに、子どものころは退屈でたまらなかった住職さんのお話が今は心に沁みて涙がこぼれます。
せめて娘のために長生きしてやらねば・・・と思っています。
今度は子宮がんワクチン接種に連れて行きますのでまたよろしくお願いいたします。

投稿: 親子でファン | 2010年2月20日 (土) 01時01分

親子でファンさま
そうだったのですか。お嬢さんの父親、亡くなったのですか。本当に大変ですね。子育て、もう少しだから、がんばりましょうね。またいらっして下さい。かわいい彼女に会うの、楽しみですよ。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2010年2月21日 (日) 20時04分

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