「死」を覚悟するということ。
今日は木曜日の休診日です。一人、クリニックに来ています。
義弟のすべてが終わりました。お通夜は私は出られませんでしたが、お葬式とそのあとはずっと参加することが出来ました。でも、改めて、やっぱり若い人の死はつらいと思いました。お葬式はともかく、あの火葬場での出来事、儀式、これはつらいです。釜の中に一人入れられて、ガチャンと戸が閉まる時、それから何と言っても、お骨拾い。つらいです。残された者は、どうしてもこれらをやり遂げなければならないとは分かっていても、それでもしんどいです。
次々と体に起こる異変を本当に何とかしたいと思いながら、徐々に死の覚悟を決めて行った彼のことを思うだけで涙です。
彼は、遺影と書いた写真を残していました。どうみても、どこかの写真屋さんで撮っています。それも、最近の服を着ていますので、病気が悪くなって写したものに間違いありません。家族も誰も一体いつどこで写したものなのか、分からないのです。本当に穏やかないい笑顔をしています。どんな覚悟でこの写真を撮ったのでしょう。
それから、火葬場で待っているときに妹から聞きました。二週間前に、主治医に手紙を書いたのだと。自分ではもう字が書けないので、代筆をしてくれと、妹に書かせたのだと。「私はもう死が近いと思います。最後は、モルヒネを使って下さい。私の父も最後はモルヒネで逝きました。」という内容なのだと。それに、サインは自分でして、実印を持ってこさせてそれを押して、主治医に渡したのだそうです。
でも、それよりも後、彼は私に〇〇病院に移ることはでないだろうか、と言ったのです。私はそれはとても無理だと思ったけれど、聞いてみましょうね、と答えました。
主治医はモルヒネをどんどん使われました。それでも、彼は亡くなる二日前までトイレには自分で行きました。細くなった足でよろよろしながらも。
残された者にとって、考えてもとても悔しいことが次々とありました。本人にとっては、私たち以上に、どんなに無念だっただろうかと思います。それでも、彼は、全く愚痴をこぼしませんでした。それらの出来事も、運命と受け入れたのでしょうか。
彼は、よく泣きました。私が行っても泣く。やさしい看護師さんが来られただけでも、涙でした。疲れ切った妹が「今日は家に帰るね」と言っても泣きました。そして、すぐに携帯で「来てくれ」と呼び戻していました。覚悟をしても、彼にとってさびしく、悲しいことであったことには違いありません。
「死を覚悟するということはどういうことなのだろう」それを考えただけでも、私には、途方もない思いです。どうやって自分の死を受け入れたらいいのか。
でも、一方で、今、「死」は覚悟しなくっても、むこうからやってきて、連れて行ってくれるのだから。自分で何もしなくってもいいのだから。だから、覚悟なんかしなくってもいいのでは、とも考えています。
残された者は、これからも生きていかなくてはなりません。遠方の方たちもみんな帰られて、アットいう間にひとり暮らしとなった妹には、まだしなければならないことが沢山あります。役場などでの手続きや、銀行での名義書き換えや、それは沢山のことがあります。それらをこなすことで、一人暮らしの寂しさや、人を失った悲しさも徐々に癒えて行くでしょう。それまで側面からそっと支えていこうと思います。
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コメント
河野先生、こんにちは。
先生のお話を読んで、涙が出そうになりました。外出先で見たから泣かなかったけれど、家で見ていたら涙が流れたと思います。
それぞれのことに、共感したからです。
自分が深い悲しみのなかに居た時どんなだったかはあまり覚えていません。覚えておけないほど辛かったのかもしれません。
火葬場でのこと、全くその通りだと思いました。
母の時は喪主だから、私にはいくつも役割がありました。気を失いそうなぐらい辛かったです。結果的には何とか持ちこたえましたが・・・
人が亡くなると、山のように手続きがありますね。
私が、役所に手続きの一つで行った時、係の方が、この手続きの場合、戸籍謄本は確認するだけでよいから、と原本を返して下さり、「他にもたくさん手続きがあって、そちらにも必要でしょうから。」と言われた時の優しい感じが今でも心に残っています。
投稿: 迷い人@広島っ子 | 2010年1月28日 (木) 17時27分
「死ぬと言うこと」「死を覚悟した時」など
子供の頃から何回も何回も考えたテーマです。
怖くなったり、平気になったり、虚しくなったり、
その時々で考え方も答えも違います。
小学4年生の時に親父に「死ってなあに?」と訊くと
親父は「無」と答えました。その「無」が怖くて怖くて
1年以上夜になると泣きました(昼間一人で泣いたことも)
今も死に関する考え、怯え、まったく進歩していません。
一生懸命に生きたいと思います。
そして、合掌
投稿: ⑦パパ | 2010年1月30日 (土) 13時35分
迷い人@広島っ子さま
お若いのに、お母様の喪主という、そんなつらい役目をなさったのですね。ほんっとに大変だったことと思います。私も、考えただけでも気が遠くなりそうです。しんどいことだけれど、妹もこれから徐々に立ち直っていくでしょう。生きなければ、ね。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2010年1月31日 (日) 07時02分
⑦パパさま
そうですね。私も、小さいときから、フトンの中で死ぬことばかり考えては、泣いていたことが延々とありました。ここのところ、7年お寺にも通ったり、滝の行をしたり色々しましたが、今は中断しています。また、復活しようか、それとも、他の宗教を覗いてみようか、等と考えています。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2010年1月31日 (日) 07時06分
先生
呉にある「白龍院」へ行ってみてください(ホームページ有り)
ユニークで素敵なお坊さんです。
足を運ぶだけで元気になれると思います
投稿: あいこ | 2010年1月31日 (日) 07時54分
あいこさま
コメントありがとうございます。いつか、時を見て行ってみますね。あいこさま、お元気ですか?時には、クリニックを覗いてください。お子様と一緒に。みんな歓迎しますよ。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2010年2月 4日 (木) 00時01分