「まずお伺いします。17年に同じ申請をされて、お断りしたことがあるのですが、その後何か活動を改められましたか?」
「ええっ?私たちは突然17年に申請を出したのではありません。それまでずっと。16年まで申請を受けて戴いて、後援をを戴いていました。17年に突然、後援できないとのお返事を戴きました。でも、その理由は何も教えて頂けませんでした。その後も、申請しても、申請しても、ずっとお断りされましたが、いつも何の理由も教えていただけませんでした。私たちはなぜそうなのか、理由が分かりません。分からないものは直しようがありません。」
「もう、申請をしなくなっていたのに、どうしてまた、後援申請をされるのですか。」
「申請してもずっとお断りされますので、もう申請はやめましょうということで、20年は申請していません。でも、今回は、「障がい者、障がい児の性教育」です。手をつなぐ育成会など、すべての障がい者の支援団体からは、後援の内諾を戴いています。それから、県内のすべての障がい者の作業所等の施設、自立支援学校にはご案内をしております。でも、学校現場の先生方にも是非来ていただきたいのです。そのためには教育委員会の後援が必要だと、ぜひ後援をお願いしたいと、そう話し合った末、お願いに参りました。」
「別に、教育委員会の後援がなくても、講演会はしたらいいではないですか。」
「でも、現実には教育現場の先生方は、教委の後援がない研修には、とても出にくい状況になっています。たとえ、休日であっても出てはいけないとする管理職の方がいらっしゃいます。そのような現実がありますから、ぜひ後援をお願いしたいのです。」
「あなたはいったい何者ですか。どうしてあなたがここに来ているのですか。」
「ここに役員の名簿がございます。ここに私の名前も出ています。私は役員のメンバーの一人ですが、他のメンバーはほとんどの者が教師です。勤務をしていますので、ここまででかける時間がございません。私でしたら、お昼休みがございますのでその時間を使って、使いとしてきています。本来なら、申請書は郵送でも良かったはずです。でも、今回は、キチンと教委の方にお会いして、お話して、お願いをしたほうが良いと考えて、こまでやって参りました。」
「代表は誰ですか。」
「この申請書にありますように、Jです。〇〇の教師をしております。」
「その人と話しをしないと、こんな誰か分からない人と話しをしてもよく分かりません。」
「では、Jの電話番号をお知らせします。Jは私がここに来ることを知っていますし、電話番号をお伝えすることも了解してくれます。」
「いいえ、そんな個人情報を他人から聞くわけには行きません、まず、本人から、ここに連絡方法を連絡するように伝えて下さい。しかし、学校の電話を使ってはいけません。かける方も、学校の電話にかけてはいけません。個人の電話にして下さい。それから、その人の勤務時間中に電話をしてはいけません。時間外に連絡をして、そのことを伝えて下さい。それから、その人がここに電話をしてくるのは、個人の電話で。それも、ここの勤務時間内に。そして、向こうの勤務時間外にかけてくるように。ここの勤務時間は、何時から何時まで。この内の何時から何時は、昼休みですので、時間外です。」
「こちらの時間内で、彼の時間外で、その時間がありますでしょうか。」
「そんなことは分かりません。向こうに聞きなさい。」
「これだけを伝えて、後はその人と話しをします。」
「分かりました。そう伝えます。ここに、私たちの20年間の歩みを冊子にしています。どんな活動をしてきたのか、見ていただいたら、お分かりいただけるかと思います。どうぞ、お目通し下さいませ。私たちは、永年、こつこつと、大切な活動をしてきているつもりでいます。私たちの何がいけないのか、それだけでも、どうぞ、ご指摘下さいませ。」
「ああ、コレが教育の現場を仕切っている人の対応なのか」
私が出かけて行って説明をしようと思ったのだが、結果は、Jへの連絡をするようにとの伝言を言付かっただけのことであった。
今思い出しても、涙が出るほど、とてもひどい対応をされて、そして挙句の果てが何の理由も伝えて頂けないまま、お断りであった。一筋縄ではいかないと覚悟はしていた。だから、突然でなく、ある県議の方を通して教委につないでいただいたのだが。能面のような、表情一つ崩すことのない、まことに暖かさのかけらもない教委の方の対応であった。こう話す彼の横で、女性の職員が、ずっと筆記をしていたので、以上の会話は、彼女の筆記にもそのまま記されているはずだ。
以上は県教委。次回、市教委の方との話を出します。

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