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被爆者の方たちのさまざまな闘いについて。

 5月10日、佐賀に講演に行ったとき、講演会場の隣の広場で、佐賀の玄海原発プルサーマルの反対の大規模な集会が開かれていたことを以前ここにも書いた。

 その後プルサーマルが運び込まれ、このままではいよいよ今秋にもプルサーマル計画が実施されてしまうところまで来ている。

 私たちは、先日の「平和の夕べ」でも、佐賀県知事と佐賀県議会議長宛の署名用紙も参加者全員に配布した。それぞれの方たちが署名を集めて、送って下さることを期待している。

 ところで、この運動を中心になってしているメンバーの一人が、私の高校の先輩であった。これも書いた。私の高校時代の憧れの先輩で、難関の大学を突破して、そして、私が大学生の時に、その方がある教室の研究者として赴任された。実習の授業に助手として現れたときに、びっくりした。物静かで、でも大変優秀な助手だった。高校以来の何年ぶりかの再会に喜んだものだ。

 その方が、佐賀の講演会場に現れたときには、本当にびっくりした。隣の集会に出ているのだけれど、と言いながら、でも「助けてよ。このままでは、プルサーマルが・・・」と。

 私は、彼女が佐賀にいることすら知らなかったのだから。

Img080 その彼女の新聞記事。ああ、彼女は胎内被爆者だったのだ。それも爆心地から1.5キロという近距離で。家は倒壊し、下敷きになったお母さんを炎が迫っている中、お隣の方が助けてくれたのだと。1.5キロで生きている方はほんの少数だ。

 妊娠3ヶ月までに胎内被曝をした人たちは「原爆小頭症」として、障害を持って生まれてきた。8月6日と、そして昨夜の再放送、RCCの原爆小頭症の方たちのドキュメントを見て、これもたまらなかった。溝西さんは、被爆時、妊娠5ヶ月だったから、だから元気に生まれ、生きることができたのだろう。

 「被爆したときに私は死んでいたかもしれません。ここまで生かされた意味を考えると、プルサーマルが始まろうとしている今、子どもたちに負の遺産を残すなと反対の声を上げ続けることが、身をもって放射能の怖さを知っている被爆者の役目だと思うからです。」

 ぜひ、新聞記事をクリックして大きくして読んでください。原発の、とくにプルサーマルの深刻さが分かっていただけると思います。

 平和の夕べを終えて、皆さんが帰るために外に出ようとしているところに大急ぎで駆けつけようとしていたとき、一人の高齢の方に声をかけられた。

「青年の船に乗って世界中を回って来ました。」と。青年の船に乗り、世界中で語り部をして回る、こんな大変なことを被爆者の方たちがしてきたことは知っている。そのうちのお一人だったのだ。世界中、どこに行っても、とても歓迎されて、そして被爆の体験と、核兵器廃絶の訴えを真剣に聞いてくださったという。

 そして、その方は、「今度はヒロシマ・ナガサキ議定書の全国キャラバンに行きます」と言われたのだ。「それはそれは。ありがとうございます。どうぞ、お体にお気をつけて行ってくださいませ。」といいながら、本当に頭が下がった。

 被爆者たちは、使命感を持って、様々な闘いをしている。決して目立つ活動ばかりでなく、地道に、粘り強く、性根を入れて。ありがたいことである。さあ、私たちはこれから何をしましょうか。


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