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三良坂で峠三吉「原爆詩集」に出会った。

 三良坂で中学生に話しをした、その会場に「山代巴記念室」があって、そして、その展示物の中に峠三吉の「原爆詩集」があったのです。

2009_08270011 ああ、手に取って開いてみたかった!!しかし、それはガラスのケースの中で、手は入れられません。残念。写真に撮ることで我慢です。

 この夏、私は仲間たちと精魂こめて平和集会を開きました。その中での講演の準備をする中で、峠三吉の詩「墓標」に出会いました。この詩を知ったことが、どれだけ私自身を膨らませることになったことでしょう。

 峠三吉は1951年9月、GHQのプレスコードで一切の原爆に関連した出版ができない中、どこも出版を引き受けてくれないために、ガリ版刷りで500部の「原爆詩集」を世に出しました。それは、ベルリンで開かれた世界青年学生平和祭に、日本代表の一つとして送られ、世界的に大きな反響を呼びました。朝鮮戦争で、トルーマンが「原爆の再使用も辞さず」と表明し、世界的に緊張が走っているその時代です。そして、原爆詩集は、翌1952年にもう5編の詩を新たに加えて、「青木書店」から出版されています。

 ここに展示してあるのは、その青木書店のものではなく、1951年のガリ版刷りの「われらの詩の会」発行のものの復刻版です。

 山代巴は、1945年暮、GHQから呼び出しを受け、原爆の悲惨を口にすると、沖縄送りにし、基地での強制労働につかせると脅されています。それでも、彼女は翌年峠三吉に出会うと、共に反原爆の署名運動をし、彼の文の編集など敢然と立ち向かっています。

 三良坂町は、平和や人権を大切にした町づくりを行って来ました。三次市と合併した今でも、今年も8.6.には「すべての原爆・戦争犠牲者を追悼する集会」を開催しています。中学生たちは、この日、朝から晩までずっと活動していたと校長先生に聞きました。

 その集会が開かれた「三良坂平和公園に」ある平和記念モニュメントの中のひとつ、「恒久平和へのちかい」に胸打たれました。

2009_08270015 写真はクリックすると大きくなります。

行政も学校も一つなってのこのような行事が続けられていることに、本当に大きな感激でした。これが、行政単位が合併して大きくなると、これからなかなか困難なことも起こるかも知れません。でも、このような平和への思いを大人たちから教えられて育つ子どもたちは、絶対に幸せだと思いました。

その一つとして私の講演もお役に立てたなら、うれしいと改めて思ったのです。


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ぜひ、覗いてみてください。

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コメント

こんばんわ。
三良坂は、義母の里です。。
義母の母も、104歳。
叔母が、自宅介護をしており、
私も、2年に1回は、訪ねる町です。

息子は、広大卒、富士で、中学の教師をしています。
いつか、河野先生にご縁があるといいなあと思っています。
息子なりに、平和への関心が大きく、
努力しているように思います。

投稿: みえこ | 2009年9月 1日 (火) 22時50分

みえこさま
ご無沙汰しています。富士山が見える生活ってどんなのかなあ、と、うらやましい限りです。三良坂とご縁があるなんて。本当に素敵な町です。大好きになりました。いつかお会いできればうれしいです。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2009年9月 3日 (木) 21時24分

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